慰安婦問題「決着」なるものについて、天木直人のブログにこんな文章があったが、この認識は誤っている。以下に先ず、天木の文章自身を見ておこう。
【 軍の関与を認めてお詫びした安倍首相の衝撃> 2015年12月29日 天木直人のブログ
日韓外相の共同記者会見における岸田外相の発言を知って驚いた。
次のように明確に語ったという。
「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題で、かかる観点から日本政府は責任を痛感している。安倍首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する・・・」(12月29日日経)
これは安倍首相とその子分たちが繰り返してきた従来の主張の全面的撤回であり豹変だ。
きょうの朝日新聞の社説もまっさきにこの発言を取り上げて次のように書いている。
「きのうあった外相会談の後、岸田外相は慰安婦問題を『軍の関与のもと多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題』と定義し、『日本政府は責任を痛感している』と明言した・・・安倍首相は日本の首相として元慰安婦に対し、『心からのおわびと反省』を表明した。かつて慰安婦問題をめぐる『河野談話』の見直しに言及した事もある安倍首相だが、岸田外相を通じてとはいえ、談話の核心部分を韓国で表明したことには大きな意味がある・・・」
大きな意味どころではない。
これまでの方針の全面否定であり、完全な転換である。
(以下略) 】
この天木の認識は、この点で誤っている。慰安婦設置への軍の関与などは、既に歴史家が証明済みの事なのである。当時の軍部のこんな文献さえ再発見・公表されているのだから。拙稿で恐縮だが、去年の9月22日エントリーの転載をまたぞろしなければならない。
【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介 文科系 2014年09月22日
以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。
『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
記
領事館
(イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
(ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
(ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
(ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
(ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
(イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
(ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
(イ)就業場所及家屋等ノ準備
(ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
在上海日本総領事館警察署 』
『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』
さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
後者の文献に関わって、今回の一言。
「募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ」
陸軍省が上記不祥事を認めたということと、今後起こらないようにこの通達を出すということとの両方を述べているわけである。つまり「誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」ことははっきりしていたのである。つまり、例え後にこれを禁じた(文書を出した)としても、誘拐に類する不祥事があって、それが陸軍省の責任になる事は明らかなのであった。
【 軍の関与を認めてお詫びした安倍首相の衝撃> 2015年12月29日 天木直人のブログ
日韓外相の共同記者会見における岸田外相の発言を知って驚いた。
次のように明確に語ったという。
「慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題で、かかる観点から日本政府は責任を痛感している。安倍首相は日本国の首相として、改めて慰安婦としてあまたの苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する・・・」(12月29日日経)
これは安倍首相とその子分たちが繰り返してきた従来の主張の全面的撤回であり豹変だ。
きょうの朝日新聞の社説もまっさきにこの発言を取り上げて次のように書いている。
「きのうあった外相会談の後、岸田外相は慰安婦問題を『軍の関与のもと多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題』と定義し、『日本政府は責任を痛感している』と明言した・・・安倍首相は日本の首相として元慰安婦に対し、『心からのおわびと反省』を表明した。かつて慰安婦問題をめぐる『河野談話』の見直しに言及した事もある安倍首相だが、岸田外相を通じてとはいえ、談話の核心部分を韓国で表明したことには大きな意味がある・・・」
大きな意味どころではない。
これまでの方針の全面否定であり、完全な転換である。
(以下略) 】
この天木の認識は、この点で誤っている。慰安婦設置への軍の関与などは、既に歴史家が証明済みの事なのである。当時の軍部のこんな文献さえ再発見・公表されているのだから。拙稿で恐縮だが、去年の9月22日エントリーの転載をまたぞろしなければならない。
【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介 文科系 2014年09月22日
以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。
『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件
本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
記
領事館
(イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
(ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
(ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
(ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
(ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
(イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
(ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
(イ)就業場所及家屋等ノ準備
(ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
在上海日本総領事館警察署 』
『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。
支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』
さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係当時の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
後者の文献に関わって、今回の一言。
「募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ」
陸軍省が上記不祥事を認めたということと、今後起こらないようにこの通達を出すということとの両方を述べているわけである。つまり「誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル」ことははっきりしていたのである。つまり、例え後にこれを禁じた(文書を出した)としても、誘拐に類する不祥事があって、それが陸軍省の責任になる事は明らかなのであった。
彼も、文科系さんの挙げた文献は知っているはずです。なんといっても切れ者の外務官僚だったのですから。
問題は、にも関わらず安倍一族がそれらを無視して知らぬ顔を決め込んできたのを、ここに来て認めざるを得なくなったというところにあります。天木はそこを突いているのであって、極めてまっとうな対応です。
おそらくは、米側からの圧力、経済界からの圧力などが作用した結果でしょうが、結果的にひとつの「転換」であることには間違いありません。
しかしながら、問題が解決したわけではありません。残された問題は以下でしょう。
この「決着」が、当の慰安婦たちの頭ごなしになされた(日韓両首脳の政治力学上の問題)ということ、そしてそれらが、日本大使館前の慰安婦像が撤去されるかどうかによって日本が金を出すとか出さないとかいうせこい問題へと矮小化されてしまっていること、さらには、慰安婦問題などは元々無かったと言い続けてきた安倍の子分ども、稲田朋美や閣僚たちの処遇をどうするのかなどです。
問題は天木の認識などではなくて、安倍が言葉のみならずこの領域でどういうことを実質的に為してゆくのかなのです。
ここで、慰安婦問題に関心をもつ人なら誰でも知っているようなデータを持ちだして天木を叩く理由がよくわかりませんし、無意味だと思います。
むしろ、そこへ舵を切った安倍が実質的に何をどう行うかを見続けることこそ必要なのです。
とりわけ、少女像の撤去によって金を出すなどという取引に終始するとしたら、交わされた言葉の空虚さのみが残ることになります。
【 わずか一日で破たんした慰安婦問題の「不可逆的決着」
2015年12月30日 天木直人のブログ 新党憲法9条
韓国の元慰安婦たちが猛烈に反発したらしい。そのことについては、私は驚かない。私が驚いたのは、その激しさについてだ。
合意を拒否するだけでなく、少女像撤去は認めない、それどころか作り続ける、次は東京の真ん中に必ずつくる(12月30日産経)、とまで語ったらしい。
韓国政府が事前に元慰安婦やその支援団体と十分に協議しないまま、日本政府と合意を急いだことはあきらかだ。
そして私が最も驚いたのは、ここまで重要な合意の事後説明、事後説得を、朴大統領自ら足を運ぶ事なく、外務第一次官などという官僚に任せたことだ。
これには心底驚いた。
元慰安婦が生きているうちに解決したいと日本に迫ったのは朴大統領だったはずだ。その朴大統領が、元慰安婦を怒らせ、悲しませる合意を、こともあろうに安倍首相と政治決着したということだ。しかも、元慰安婦らに説明、説得することから逃げた。
考えられないことだ。
この一事だけで、この合意は破綻したも同然だ。そして、その破綻の責任は朴大統領にある。
しかし、どう考えても解せない。
元慰安婦の反発を朴大統領は予想できなかったというのか。
それとも、朴大統領は元慰安婦らの反発を自らのリーダーシップで黙らすことができるとでもいうのか。
そう思ってハタと浮かんだ。
ひょっとしたら安倍首相や米国は一杯食わされたのではないか。
いくら米国や日本の圧力で政治決着をしても、当事者である元慰安婦たちが喜ばないような解決では、解決にならない、その事を自らの政治生命をかけて、示そうとしたのではないのか。
(以下略) 】
この予測が事実となるなら、何と悲しい事だろうか。どうして?
直近の拙コメントはあなたのコメントを知らずに書いた事です。つまり入れ違いになった。
あなたのコメントについては、こうお応えさせていただきます。
天木が、今回の事を余りにも褒めすぎていると感じたから、まー、「いまさら当たり前の事を何故そんなに褒める?」と書いたという感じかな。閣議決定もない首相個人談話だったというのも重要な事と思いました。
それだけ朴政権が追い詰められてるとも言える。
今までのままでは経済も安全保障も中途半端に孤立化するだけだから。
未来を視るならば合意は当然だろう。
誠意がないというか、政治家としての勇気がない。
靖国には奥さんを代わりにいかせて。
信用ができない人物という印象を深めた。
「韓国側の大ポカであって、アベはかなり点数を稼いだ」
この天木氏、元外務省官僚でありながら、どうしてこんなことが言えるのだろう。アベの狙いが世界相手(のスタンドプレー)であるならば、以下のようなこんなことになっているのだから、成功なんぞと言えるはずがないではないか。
「世界中に慰安婦像を建てるし、東京のど真ん中にも建ててやる」
それにしても、何と悲しい光景、何と情けない政権であるか。韓国政府を責めているだけで問題が済んでいくと考えているとしたら、辺野古と同じで泥沼が続くだけだろう。
安倍と朴が話をするところまでやればそれこそ外野の声が五月蝿くなるだけ。互いの国民感情で外交等するもんじゃない。
韓国は、今度という今度は韓国側から拗らせれば拗らせる程国際的には信用失墜になるだろう。
そして朴政権も今回は世論を押さえる態度を示す。
それが出来なければ政権も終わる。
良いコメントを深謝。ご自分が強烈に体験した文書がまた出てくると、嬉しいでしょうね。というコメントがまた僕にも嬉しかったと、申し上げておきます。
そして、70さん含めてお二人に、お返事。
こんな文書が1996年に発見されているのに、「軍部の関与は、あったかどうか・・・?」などとここまで強弁し続けてきたアベご一統。無理筋も良いところ。それをやっと「個人的に」認めて、謝罪?
①慰安婦像撤去に某金とか、②これで「永久に解決」とか。③それも年末の押し迫った時の突然の行動には、どうもなんかいわくもありげだ。
韓国大統領側に手違いや認識間違いやなどがあって問題が拗れてさえ、困るのは間違いなく日本だと思う。僕が推察してきたのは、以下である。
アジア通貨危機とリーマンショックとで、及びそのIMFなどによる後始末も加わって、韓国金融などが日米に散々やられたのだ。これは大っぴらには出来ない事だけに、その恨みは凄まじいはず。その後の経済沈滞も資金枯渇によるのだろう。だからこそ窮余の一策として中国に依って行った。まるで「窮鼠猫を噛んだ」と思ったのは、僕だけじゃないだろう。
そんな韓国なら、あのアベにオタメゴカシがあると見たら斜めに構えて、半信半疑でない訳がなかったと思う。つまり、本気で付き合ったのかどうか?
以上が真相とするならば、間違いなく困るのはアベだ。
①軍部の関与はあった(と認めたのだ)し、誘拐紛いの事もあった。
②韓国慰安婦像は執念のように広がるだろう。
③この同じ問題が台湾、インドネシアなどからも起こって、今や国際問題として大きくなっていくばかりだ。
事の性質上、15年戦争全体の反省が問われることにも繋がっていく問題性を含んでいると僕は見ている。日本国民の命という人権をさえ軽視された臣民だった時代に、20世紀前後から台湾、韓国などの植民地住民がどう扱われてきたかという問題を含んでいると愚考してきたものである。
こういう歴史の参考資料として、以下の拙エントリーをお読み願えれば嬉しい。
2015年9月1日「随筆 日韓不幸の源」