ベルギー戦だが、本日の中日新聞は一読で秀逸な解説だと思ったもの。日本を勝利させた最も重要なポイントを解いているからだ。サッカー評論で何を論ずるのも自由だが、ゲームなのだから勝つチームとはどういうものかを押さえた評論こそ優れていると言える。また、サッカー評論ではこのポイントが極めて難しい。野球の名投手や、1発でゲームを決めてしまう4番バッターのような立場はないからである。サッカーで名投手や4番バッターの役割をするのはあえて言えば、その組織であろう。歴史的に優れた組織戦略を創り出し、さほどでない選手にそれを徹底して、世界のサッカー史を塗り替えたような名監督が多くでているのがその証拠である。現在では、ドルトムントのように。
戦いの組織論と言えば戦争論があるが、戦争では戦略と戦術との区別は極めて明確である。前者は全体作戦、後者は局面作戦のことであって、前者を抜きにして後者だけ語りあうならば何度やっても勝てないはずである。同じように戦略を抜きにして戦術よりももっと小さい例えば選手入れ替えなどのことを語っても、こう言われてお仕舞いだろう。「そんなの戦術でさえない、ディテール(些細なこと)だよ」。もっとも、得点が少ないサッカーでは、このディテールで勝敗が決まってしまう場合があるから、たびたび大番狂わせが起こる。が、ディテールとはそもそも偶然性の世界。ベルギー戦で酒井高徳が付いてくる敵に気づかなかったから先取点を防ぐチャンスを逸したようなものだ。ちなみに、この酒井失敗の直前に川島の失敗も重なっていたが、酒井が敵に気づいていればあの失点は防げたと僕は確信している。
なお、サッカー戦略という場合彼我の人数は同数であって、近代兵器のようなものは存在しない。その意味では、白兵戦に近いということになる。同数の人間が白刃を交わし合う戦いとみなすのがよい。だから組織が大切になるのだと思われる。
さて、そういう現代サッカー戦略を進めて歴史に残るような名監督は現在三人いて、二人は「コンパクト戦略」(これについては、紙数の関係で、今回は述べない。10月28日拙稿をご覧下さい)に関わり、バルサでこれを花開かせたグアルディオラと、これをさらに発展させたドルトムントのユルゲン・クロップ。今一人は、コンパクト戦略全盛だからこそそれを崩すことが出来る現代カウンター戦略をさらに精密にしたモウリーニョであろう。このモウリーニョについては、10年4月29日拙稿「バルサ敗北」をご参照願いたい。
さて、ザックはコンパクト戦略を日本に入れようとした。というよりも、ザックがそういう監督だからこそ協会が彼を選んだのだ。小さくても速いスペイン人が、バルサ選手たちを中心としてこの戦略で世界を席巻したことから協会が学んだのであろう。ちなみに、前任者の岡田武史もその前のオシムもこの戦略の系統だったと言える。そして、このザック戦略実行に関わっては、代表は今まで非常に混乱していたと言って良い。良い時と悪い時の差が激しすぎたのである。これは、岡田武史の時代からそうだった。ドイツやオランダに善戦したと思うと、アジアの何でもないチーム相手やこの前の10月遠征のように酷いゲームをする。ところが、このことは、コンパクト戦略に通じたものにとっては、ある意味当たり前のことなのである。勇気と知性が要るのだ。それも、一人でもそれに欠けると失敗してしまう。失点を喰らってしまう。DFラインの上げ下げとか、前からのプレスをば、たった一人の選手が一瞬疎かにしただけで、モウリーニョのような名監督のチーム相手には失点を喰らってしまうという戦略なのである。ゲーム中にそれが分かると、他の全員がもう疑心暗鬼でびびり始めて戦略遂行が中途半端になってしまうという、そういう作戦なのである。戦略自身は「弁慶」なのだが、「泣き所」が存在するというわけだ。だからこそ、失敗を重ね、討論しあわないと熟成しない作戦とも言えるのである。今回は選手たちが10月2戦の敗戦から徹底的に論議を重ねたらしい。ザックも日本人というものにこれを徹底する術についてかなり学べたらしい。
本日の中日新聞・原田遼記者の「つながった 全員守備」は、まさに上に述べた戦略を視点に、そこからだけゲームを観た記事を書いている。これを読めば現代サッカーコンパクト戦略の真髄が分かるという記事なのだ。もちろん、好不調の差が激しすぎた代表のその訳についてもきちんと分かるような記事なのである。
戦いの組織論と言えば戦争論があるが、戦争では戦略と戦術との区別は極めて明確である。前者は全体作戦、後者は局面作戦のことであって、前者を抜きにして後者だけ語りあうならば何度やっても勝てないはずである。同じように戦略を抜きにして戦術よりももっと小さい例えば選手入れ替えなどのことを語っても、こう言われてお仕舞いだろう。「そんなの戦術でさえない、ディテール(些細なこと)だよ」。もっとも、得点が少ないサッカーでは、このディテールで勝敗が決まってしまう場合があるから、たびたび大番狂わせが起こる。が、ディテールとはそもそも偶然性の世界。ベルギー戦で酒井高徳が付いてくる敵に気づかなかったから先取点を防ぐチャンスを逸したようなものだ。ちなみに、この酒井失敗の直前に川島の失敗も重なっていたが、酒井が敵に気づいていればあの失点は防げたと僕は確信している。
なお、サッカー戦略という場合彼我の人数は同数であって、近代兵器のようなものは存在しない。その意味では、白兵戦に近いということになる。同数の人間が白刃を交わし合う戦いとみなすのがよい。だから組織が大切になるのだと思われる。
さて、そういう現代サッカー戦略を進めて歴史に残るような名監督は現在三人いて、二人は「コンパクト戦略」(これについては、紙数の関係で、今回は述べない。10月28日拙稿をご覧下さい)に関わり、バルサでこれを花開かせたグアルディオラと、これをさらに発展させたドルトムントのユルゲン・クロップ。今一人は、コンパクト戦略全盛だからこそそれを崩すことが出来る現代カウンター戦略をさらに精密にしたモウリーニョであろう。このモウリーニョについては、10年4月29日拙稿「バルサ敗北」をご参照願いたい。
さて、ザックはコンパクト戦略を日本に入れようとした。というよりも、ザックがそういう監督だからこそ協会が彼を選んだのだ。小さくても速いスペイン人が、バルサ選手たちを中心としてこの戦略で世界を席巻したことから協会が学んだのであろう。ちなみに、前任者の岡田武史もその前のオシムもこの戦略の系統だったと言える。そして、このザック戦略実行に関わっては、代表は今まで非常に混乱していたと言って良い。良い時と悪い時の差が激しすぎたのである。これは、岡田武史の時代からそうだった。ドイツやオランダに善戦したと思うと、アジアの何でもないチーム相手やこの前の10月遠征のように酷いゲームをする。ところが、このことは、コンパクト戦略に通じたものにとっては、ある意味当たり前のことなのである。勇気と知性が要るのだ。それも、一人でもそれに欠けると失敗してしまう。失点を喰らってしまう。DFラインの上げ下げとか、前からのプレスをば、たった一人の選手が一瞬疎かにしただけで、モウリーニョのような名監督のチーム相手には失点を喰らってしまうという戦略なのである。ゲーム中にそれが分かると、他の全員がもう疑心暗鬼でびびり始めて戦略遂行が中途半端になってしまうという、そういう作戦なのである。戦略自身は「弁慶」なのだが、「泣き所」が存在するというわけだ。だからこそ、失敗を重ね、討論しあわないと熟成しない作戦とも言えるのである。今回は選手たちが10月2戦の敗戦から徹底的に論議を重ねたらしい。ザックも日本人というものにこれを徹底する術についてかなり学べたらしい。
本日の中日新聞・原田遼記者の「つながった 全員守備」は、まさに上に述べた戦略を視点に、そこからだけゲームを観た記事を書いている。これを読めば現代サッカーコンパクト戦略の真髄が分かるという記事なのだ。もちろん、好不調の差が激しすぎた代表のその訳についてもきちんと分かるような記事なのである。
多分、ドルトムント並みの走力鍛錬をやってきたのだろう。ドルトムントは集団でやるが、彼はおそらく一人で。
口で言ってきた通りに、とんでも無い選手になった。この事を僕は初めて認めたい。この2ゲームでそう思ったのである。チームプレーだけに徹する本田。とんでもなく心強いザック心棒が生まれた2ゲームだった。サッカーに大砲はなく白兵戦だと思っている僕だが、その白兵戦の先頭に立つ勇将が生まれた。
こうして、柱が生まれて斑が無くなった我が代表。WCベスト8は見えてきた思いだ。アジア杯後には世界20位近くまで行った日本である。前プレスとDFライン上げさえ一糸乱れず出来るならという条件を付けて、世界10位に近いチームが生まれたのだと思う。これはカウンター戦略中心の南米一部チームにも通じる戦い方なのだから。屈強なベルギー選手相手に1対1の当たり合いでも一歩も引いていなかったことも含めて。
前半戦での4本のシュートのうち3本がスルーパス。
といった程度のお喋りは俺もするけど
しかしここはサッカーのブログではないよね。
やはり程度問題と思うよ。
通り一辺倒でなかった「あんころもち」さんとか「にんじん」クンが退場したことは、このブログにとって大きなことだったと、今になって思うこと、切。
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ルカクを中心としたパワー頼みの攻撃に対し、連携と運動量で対抗。相手MFがパスの出し所を探しているうちに一斉に前にでて、4度、5度とオフサイドトラップを成功させた。
オフサイドを回避するため、パス回しを選択されても、中盤に有効スペースは少ない。ボール保持者に複数人が群がり、ボールを絡みとった。
日本が磨き上げた守備戦術が時間を追うごとに機能。終盤、相手はさらなるパワープレーを仕掛けてきたが、のれんに腕押しの状態だった。
守備はDFだけでなく、11人の共同作業。「もっと前線でプレスをしないと勝てない」と香川は明かす。攻守の切り替えが早く、前線の選手が絶え間なく相手ボールを追いかけて守備陣の読みを助けた。
2失点したのは反省材料だが、W杯シード国を無力にし「守備が形になりつつある」と吉田。堅守が伝統のイタリアからザッケローニ監督を招いて3年。日本人に備わる規律と緻密さを生かした守備戦術が、完成に近づいた。(原田遼)
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なお、この場をお借りして上のコメントの誤字訂正を。MBPはMVPの誤りでした、済みません。
ご応答有り難う。ただね、この記事のたった一つ物足りないところを、貴方となら一言。
このコンパクトが実は、味方の得点源でもあるという点が書いてない。、紙数の関係だろうが、これが抜けているのね。コンパクトだから選手の距離間がよく、特に前に選手が密集しているところからパスサッカーから得点が生まれやすいということが。この2戦でこれが上手くできたということからこそ、このチームはメッシが居ないと困るバルサよりも、ドルトに近いと思う。
つまり、攻守ともに今の日本選手が最もよく生きる戦略!
数だけではなく、チャンス時の味方の数や相手の陣形の不揃いなどチャンスの質も良かった。
昨日ザッケローニ監督に「決定力があがったのか?」などと質問していた記者が居ましたが、そうでは無かったことを文科系さんの上のコメントから納得しました。
この2試合だけではない。
以前というのは、ザック体制になってからでも無い。
南ア大会の時点で彼の献身は見てとれる。だからこそ岡ちゃんは中村俊輔から本田にスイッチした。
そしてそれ以降も本田が身体をはる、周囲を上手く使うのは変わらない。そして無尽蔵のスタミナも変わらない。
ザック就任後アウェイの韓国戦で最後まで走り抜き、ボランチにした方がいいんじゃないかと(本田の得点力が分かっていない、或いは分かろうとしない連中)度々言われたのもスタミナと守備力があるからじゃない?
代表にとって良かったのはそういう分かってない声に耳を貸さず本田を前の中心で使い続けた監督が居たということだろう。
本田にしろ遠藤にしろ他の選手にはない特別なスキルを持っている。
監督がブレずに彼等を信頼し続けたから今がある。
それが本番への最大の武器になるだろう。
【南ア大会の時点で彼の献身は見てとれる。だからこそ岡ちゃんは中村俊輔から本田にスイッチした】
岡ちゃんが本田にスイッチしたことには戦略変更という理由があったはずです。献身性だけならば、俊輔も劣らぬものを持っていたと思いますから。スイッチ理由を岡ちゃんはこう語りました。
①この代表では先取点を取られると苦しい。追究してきた「コンパクト。繋ぎサッカー」から、ブロック守備体系に戦略そのものを置き換える。
②ついては、アンカーを新設して、そこに阿部を置く。
③ついては、前が一人少なくなるので少数でもキープ出来て、攻められる選手に換える。最もキープできる本田をワントップに置いて、同時にドリブルでも攻められる大久保と松井を先発にする。
④又岡田は常日頃こうも言っていました。
「代表は、あるポジションの上手い選手から順に持ってくるものではない。まずは、日本にあった戦略を求めつつ、そのチーム戦略にあった選手を持ってくるのだ」
1970さんがメインで言いたいことは、
文科系さんのコメント内の「口で言ってきた通りに、とんでも無い選手になった。この事を僕は初めて認めたい。」に対して、
昔から変わらず本田は監督のコンセプトに従順で献身的だったよ。ということではないでしょうか?(違っていたらごめんなさい)
これについては私もまったく同じことを文科系さんに主張したいです。
ここ最近の文科系さんの記事には、調子の波がある(選手全員がチームコンセプトに忠実に連動できないことがある)原因の一端は本田の性格やプレーにもあるという記載がたびたびありました。
そのことと、今回の本田を手放しで褒めている記事とのギャップから、「やっと本田も献身的になったか」という雰囲気が感じられてしまいました。
もしそういうニュアンスが少しでも含まれているのなら、
私も以前から言ってきたとおり、「以前も今も本田は口ではゴールに拘るなどと言っていても実際のプレーでは守備もするし球離れもよく、監督の指示に従順である」と再度反論したいです。
単純にこの2試合のパフォーマンスが普段より良かったということでしたらごめんなさい。
私もまったく同感です。
①やっと本田も献身的になったかという雰囲気が感じられてしまいました
②単純にこの2試合のパフォーマンスが普段より良かった
僕について今の正直な心境を言いますね。②は当然言いました。そして、①についての疑念も未だ払拭してはいません。「献身的」という言葉、質問はちょっと違いますが。それは以下の理由からです。
①このチームの戦略上の斑、つまり前プレスがない時がどこから出て来るのか不明確なままである。
②①に関して、本田に(も)あった過去のこの事は関わっていなかったかどうか。
A 自分がシュートをと気負いすぎのこと、時期があった。
B 繋ぎだけに拘りすぎて、抜け出しに合わせないゲームもあった。
C 彼がシュートが得意な左側に偏りすぎている時期もあった。
以上が僕の正直な心境です。A~Cは必ずチームとしての前プレス実施に影響するからです。これについて、10月惨敗のゲーム後に選手たちであったという議論(前プレスが必要という結論が一番大きかったようですね)の中身を知りたいです。ザックは、選手個人への批判はけっして外へは、そして多分内部でも、出しませんから。選手討論を起こす時に長谷部だけには何か言っているとは思いますが。
なお、②についてですが、この2ゲームでは以上の疑念は全く消えたという意味も入っています。こういうゲームばかりであれば、上に書いた本田コメント通りを今後にも書き続けることでしょう。