本日の中日新聞朝刊の4面「言論」欄に、浜矩子の標記の記事が載っている。見出しも『今最も重大なモリカケ』。何気なく目を通したが、事の重大さを改めて教えられたこの記事を、中部地方以外の人にもお伝えしたい。
なによりもこの「最も重大」を証明している部分を、ご紹介しよう。誰しもなるほどと読むことだろう。至極まっとうな正論である。
『ウソをついているかもしれない人々を相手に、国会審議はできない。事実に基づいてものを言っていないかもしれない人々とは、まともに議論できるわけがない。議論というものの土台が崩れてしまっているかもしれないのに、議論を行うことには意味がない。意味がないというより、それは欺瞞を意味することにつながるから、断じて、付き合ってはいけない行為だ。
「モリカケ」を巡るような疑念が生じた時には、他の全ての案件はそっちのけで、解明と決着に総力を挙げる。それが、国会議員たるものの基本中の基本行動のはずである』
どうだろう、正論というものへの情熱、その説得力が迸ったような文章だと読んだ。まさにこの通りだと思う。これだけウソを重ねたかもしれない人相手に、この疑惑を脇に置いてはどんな重要議案も議論できるわけがないと述べているのだ。それどころか、この「ウソ」の決着、けじめをつけなければ、さらにウソを重ねる可能性が高まっていくとさえ言える。国会の議論がそんな風になっては、まさに国会そのものの土台が崩れてしまうと述べているのである。
こういう自覚がない高位高官連中こそがこれまで「ウソ」を重ねて来られたのではなかったか。佐川以下の財務省の面々。首相秘書官連中。「『愛媛県に語った安倍・加計面談』はウソだった。県にウソをついて申し訳なかった」と堂々と語ったこの言葉自身がまたウソかも知れないと疑われている加計の事務長。それら一切を知らず、関知していないという安倍の態度、言葉こそが、今や最大の疑惑になっているという局面に至っているのである。これを脇に置いては、確かに、今後の国会議論などできるわけがない。与党が通したい重要法案であればあるほどウソをつかれるかもしれないのである。
労働法関連で国会に提出された実態調査数字にもウソの数々。防衛省日報に関わってもウソの積み重ね。これら全体を見れば、この内閣の元で行政全体にウソが蔓延しているとも言えるのである。「ウソの勧め内閣」をここで徹底的に浄化しておかなければ、断じて前へは進めない。
なによりもこの「最も重大」を証明している部分を、ご紹介しよう。誰しもなるほどと読むことだろう。至極まっとうな正論である。
『ウソをついているかもしれない人々を相手に、国会審議はできない。事実に基づいてものを言っていないかもしれない人々とは、まともに議論できるわけがない。議論というものの土台が崩れてしまっているかもしれないのに、議論を行うことには意味がない。意味がないというより、それは欺瞞を意味することにつながるから、断じて、付き合ってはいけない行為だ。
「モリカケ」を巡るような疑念が生じた時には、他の全ての案件はそっちのけで、解明と決着に総力を挙げる。それが、国会議員たるものの基本中の基本行動のはずである』
どうだろう、正論というものへの情熱、その説得力が迸ったような文章だと読んだ。まさにこの通りだと思う。これだけウソを重ねたかもしれない人相手に、この疑惑を脇に置いてはどんな重要議案も議論できるわけがないと述べているのだ。それどころか、この「ウソ」の決着、けじめをつけなければ、さらにウソを重ねる可能性が高まっていくとさえ言える。国会の議論がそんな風になっては、まさに国会そのものの土台が崩れてしまうと述べているのである。
こういう自覚がない高位高官連中こそがこれまで「ウソ」を重ねて来られたのではなかったか。佐川以下の財務省の面々。首相秘書官連中。「『愛媛県に語った安倍・加計面談』はウソだった。県にウソをついて申し訳なかった」と堂々と語ったこの言葉自身がまたウソかも知れないと疑われている加計の事務長。それら一切を知らず、関知していないという安倍の態度、言葉こそが、今や最大の疑惑になっているという局面に至っているのである。これを脇に置いては、確かに、今後の国会議論などできるわけがない。与党が通したい重要法案であればあるほどウソをつかれるかもしれないのである。
労働法関連で国会に提出された実態調査数字にもウソの数々。防衛省日報に関わってもウソの積み重ね。これら全体を見れば、この内閣の元で行政全体にウソが蔓延しているとも言えるのである。「ウソの勧め内閣」をここで徹底的に浄化しておかなければ、断じて前へは進めない。
じんわり、サヨ政党の正体を明らかにして、首を締めているんだけど、気が付かないかなぁ・・
まあ、面白いから、そのままで、いいよ。
・・民主党政権時代とか、振り返ってみた?
サヨ達、どんだけ、ブーメランが好きなんだろう?
例えば、1950~60年代は世界に性善説、楽観論が満ちあふれていた。植民地はどんどん独立し、有色人種の世界的発言権が増していくなど、民主主義の世界浸透が地球に満ちあふれていた。経済学で言えばケインズ主義の全盛。今から観れば、弱者救済の楽観論に満ちあふれていたはずだ。
が、1990年代から新自由主義競争がどんどん厳しくなるとともに、格差がどんどん広がっていき、勝ち組は弱者を顧みず、負け組は「衣食足りて礼節を知る」ではないが、礼節などどんどん構っていられなくなった。つまり、機会の平等とか、税の所得再配分効果とかの民主主義政策が骨抜きにされていくのである。
こうして、世が乱れてきたと言える。日本の1階ガラス窓にどんどん格子が入ったのはこの頃からではなかったか。
こういう乱れの先頭に立ってきたのが英米日であって、これらの国は率先して世界からの新しい種々の金融搾取に手を染めてきた。
米英日の政治の乱れもこんな経過であったと思う。政治の世界、あちらもこちらもフェイクだらけというわけだ。佐川、福田、アベチルドレン、トランプ政権の閣僚たちなどなど、人間の質そのものがどんどん落ちてきたのだと思う。為政者の中に民主主義を心底信奉する人がどれだけいるのだろうか。民主主義信奉者なら、今の経済格差は是認できるわけなどないはずだ。また、こんな格差を無くす経済力など、今の地球には有り余るほど存在するのである。
「ウソをついているかもしれない人々を相手に、国会審議はできない・・」て、それじゃ、元民主党な人達とは、何も審議できないじゃない。
・・民主党政権時代とか、振り返ってみた?
と、もう一度書くよ。
後で資料が出て来て、ウソだとばれたことが、もう何回あったろうか。
首相にしてからが、こんなウソをついている。
『私か妻がこの件に関係していたら、辞任します』
この言葉、妻が森友の名誉職にいたことが分かると、こう変えられた。
『関係していたらとは、金銭が絡むことだ』
馬鹿も休み休み言えというもの。名誉職が彼女だったから、役人たちも顔色を変えて努力したのは明らかである。さらに、婦人付き役人が何回も関係役所に電話をかけている。これは関係していたということに他ならぬはずだ。
こういう経過があるのだから、安倍などとっくに辞めているべきなのである。それを辞めない。どういう面の皮の厚さであるか。恥知らずと言って良い。
‥とか?
オイラは、それも含めて、楽しんでいるよ。
文ちゃんが、辞めなくても、「恥知らず」とか言わないから。
文ちゃんが、そう言ってきた人達と同じかな?
「ぐう」とかだけでも、いいよ。
ガンバレ