【 米大企業社長たちはこうして「金融の馬車馬」に 文科系 2016年09月28日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など
以下は、9月24日のエントリー、ある本の要約①の抜粋である。ロナルド・ドーア著「金融が乗っ取る世界経済 21世紀の憂鬱」(中公新書、2011年10月第一刷発行)。今後ここで、3部構成のこの本にあわせて、②、③と要約していく予定だ。この本の内容は、僕が10年ここで新たに勉強し直しては原稿を書き続けてきて、たどり着いた現代世界の諸不幸の大元の解説と言える。
この本に展開されていることは、日本人にはなかなか書けないもの。ここに描かれた動きが日本で目に見えるようになったのは最近の事であるし、この最新の動きは、英米経済の動きと比較研究してはっきりと見えてくるというもの。作者は、イギリス経済学の伝統を学び継いだ上で、日本江戸期教育の研究目的で東大に留学され、以来熱心な日本ウォッチャーを続けられたというお方。しかも、この本自身も自分の日本語で書かれているようだ。訳者名が付いていないからである。
以下は、その第一回目の要約のそのまた抜粋である。世界経済がこのようになったからこそ、今の世界の諸不幸が生じていると、そういう結論、大元解明のつもりである。
『米企業利益のうち金融利益の割合が、1950年代までは9・5%であったものが急増して、02年には41%と示される』
『機関投資家の上場企業株式所有シェアがどんどん増えていく。1960年アメリカで12%であったこのシェアが、90年には45%、05年61%と。そして、彼らの発言力、利益こそ企業の全てとなっていった』
『企業から「金融市場への支払い」が、その「利益+減価償却」費用とされたキャッシュ・フロー全体に占める割合の急増。アメリカを例に取ると、1960年代前半がこの平均20%、70年代は30%、1984年以降は特に加速して1990年には75%に至ったとあった』
『彼らの忠実な番犬になりえた社長は彼らの「仲間」として莫大なボーナスをもらうが、「企業の社会的責任。特に従業員とその家族、地域への・・」などという考えの持ち主は、遺物になったのである。こうして、米(番犬)経営者の年収は、一般社員の何倍になったか。1980年には平均20~30倍であったものが、最近では彼の年金掛け金分を含めば475倍になっている。その内訳の大部分は、年当初の経営者契約の達成に関わるボーナス分である。全米の企業経営者がこうして、番犬ならぬ馬車馬と化したわけだ』
『「証券文化」という表現には、以上全てが含意されてあるということだ。企業文化、社長論・労働者論、その「社会的責任」論、「地域貢献」論、「政治家とは」、「政府とは・・?」 「教育、大学とは、学者とは・・?」、そして、マスコミの風潮・・・』
最後のこれは、24日には書いてない事。以下のような数字は日本人には到底信じられないもののはずだ。この本の73ページから抜粋した、アメリカ資本主義の象徴数字と言える。
『2006年のように、ゴールドマン・サックスというアメリカの証券会社がトップクラスの従業員50人に、最低2,000万ドル(当時のレートで17億円くらい。〈この記述周辺事情や、最低と書いてあるしなどから、1人当たりのボーナスの最低ということ 文科系〉)のボーナスを払ったというニュースがロンドンに伝われば、それはシティ(ロンドン金融街)のボーナスを押し上げる効果があったのである』
これだけの強食がいれば、無数の弱肉が世界に生まれる理屈である。2006年とは、08年のリーマンショックを当ブログでも予言していた史上最大のバブル、サブプライム住宅証券組込証券が頂点に達していたウォール街絶頂の時だった。この結果は、失った家から借金まみれの上に放り出された無数の人々の群であった。しかもこの動きはアメリカのみに留まらず、イタリア、スペイン、ポルトガル等々にも、そこの失業者の大群発生にも波及していくのである。こんな所業を放置しておいて、どうして世界の景気が良くなるなんぞと言えるのだろうか。 コメント (11) 】
なお、この詳細を論じた第一回目の書評を明日掲載する。上の文中で「以下は、その第一回目の要約のそのまた抜粋である」と書いた、その要約を。
・・以上。
だよね。
結論が先に出ているんだから、何も論じてはいない。
でしょ。