1970さんからいくつかの質問などがあったので、エントリーでお応えしたい。
『ついでに (1970) 2015-07-14 18:36:45
今、違憲とやってる人達には是非「そもそも自衛隊が違憲、即刻武装解除しろ」ということをやってもらいたい。
でないと、自衛隊を認めた時点でもう矛盾してるんだよな。個別自衛権は正義で集団的自衛権は悪という捉え方は違和感が非常に強いと個人的に思っている。
相変わらずだね(笑) (1970) 2015-07-15 20:46:24
ま、議会制民主主義なんで前回の選挙で公約を掲げて大勝した自民党がこういう流れで安保改正するのは当たり前の話で。
だからまあブレーキになるのは最高裁の判断と次の選挙になるわけだ。議会制民主主義を尊重するならばそれしかない。 (後略)』
個別的自衛権も集団的自衛権も、国際法には存在しても日本国憲法には存在しない概念だと言うしかない。よって、国際法を日本国憲法の上に置くというならばいざ知らず、そうでないならばいずれも日本国憲法は認めていないというのが当たり前の解釈であろう。日本国憲法では「戦力不保持」は明確なのであるから。そして、「戦力」を持つというならば、正規にして固有の現憲法改正手続きに従って行うのが筋であるはずだ。それも明確な話と言える。70さんのこれら上記の文言は、貴方らしく筋は通っていると申し上げたい。
なお、上記国際法が上位と言うがごとき見解に関わることについて、もう一言。
自公政権は、こんな時だけ国際法を上に持ってきた。これは、ご都合主義であると批判したい。イラク戦争では、国連の制止を振り切ってアメリカが募る有志国に加わったではないか。あの既視感は今も鮮烈であるが、開戦理由が嘘だったと分かったときにも、国連の制止を振り切った行為について行ったことについて、政府からはその後何の釈明もなかったはずである。
選挙絶対多数政権が決めると言われたが、決めるにも法的な筋というものがあろう。それを無視したら国が揺らぐというような条項として。前述の国際法優先しかり、そして「友人が攻められたら、守ってあげるのが礼儀、品位」という国際的現実論しかりである。ちなみに、こんな「現実論」は憲法改定手続きとは何の関係もない。現実に憲法が追いついていないと見た場合でも、正規の憲法改定手続きを取れというだけのことである。そうでない方向に行くのであるから、やはりここでも、立憲主義無視の暴政という批判は出るべくして出た、まっとうなものと言える。
最高裁云々・・についても不審の既視感がある。中日新聞本日の中日春秋ではじめて知ったことだが・・・。
『一九五〇年代に最高裁判所長官を務めた田中耕太郎氏は「司法の独立」を強く掲げた。だが数年前に公開された米公文書が明らかにしたのは、「憲法の番人」の隠された顔だった。旧日米安保条約の違憲性が問われた砂川事件をめぐり、最高裁でどんな議論が行われているか。田中氏はひそかに米政府に伝えていたのだ▼そうして出された砂川判決は米国を喜ばせたが、この判決を「合憲」の根拠とするのが、安保関連法案だ。安倍首相は今春、米議会で演説し「この夏までに成就させます」と断言していた▼自ら「まだ国民の理解が進んでいない」と認めたのに強行採決したのは、何よりもこの約束をおもんじてのことなのか。最高法規とは、国民と政府との「至高の約束」なのだが。』
『ついでに (1970) 2015-07-14 18:36:45
今、違憲とやってる人達には是非「そもそも自衛隊が違憲、即刻武装解除しろ」ということをやってもらいたい。
でないと、自衛隊を認めた時点でもう矛盾してるんだよな。個別自衛権は正義で集団的自衛権は悪という捉え方は違和感が非常に強いと個人的に思っている。
相変わらずだね(笑) (1970) 2015-07-15 20:46:24
ま、議会制民主主義なんで前回の選挙で公約を掲げて大勝した自民党がこういう流れで安保改正するのは当たり前の話で。
だからまあブレーキになるのは最高裁の判断と次の選挙になるわけだ。議会制民主主義を尊重するならばそれしかない。 (後略)』
個別的自衛権も集団的自衛権も、国際法には存在しても日本国憲法には存在しない概念だと言うしかない。よって、国際法を日本国憲法の上に置くというならばいざ知らず、そうでないならばいずれも日本国憲法は認めていないというのが当たり前の解釈であろう。日本国憲法では「戦力不保持」は明確なのであるから。そして、「戦力」を持つというならば、正規にして固有の現憲法改正手続きに従って行うのが筋であるはずだ。それも明確な話と言える。70さんのこれら上記の文言は、貴方らしく筋は通っていると申し上げたい。
なお、上記国際法が上位と言うがごとき見解に関わることについて、もう一言。
自公政権は、こんな時だけ国際法を上に持ってきた。これは、ご都合主義であると批判したい。イラク戦争では、国連の制止を振り切ってアメリカが募る有志国に加わったではないか。あの既視感は今も鮮烈であるが、開戦理由が嘘だったと分かったときにも、国連の制止を振り切った行為について行ったことについて、政府からはその後何の釈明もなかったはずである。
選挙絶対多数政権が決めると言われたが、決めるにも法的な筋というものがあろう。それを無視したら国が揺らぐというような条項として。前述の国際法優先しかり、そして「友人が攻められたら、守ってあげるのが礼儀、品位」という国際的現実論しかりである。ちなみに、こんな「現実論」は憲法改定手続きとは何の関係もない。現実に憲法が追いついていないと見た場合でも、正規の憲法改定手続きを取れというだけのことである。そうでない方向に行くのであるから、やはりここでも、立憲主義無視の暴政という批判は出るべくして出た、まっとうなものと言える。
最高裁云々・・についても不審の既視感がある。中日新聞本日の中日春秋ではじめて知ったことだが・・・。
『一九五〇年代に最高裁判所長官を務めた田中耕太郎氏は「司法の独立」を強く掲げた。だが数年前に公開された米公文書が明らかにしたのは、「憲法の番人」の隠された顔だった。旧日米安保条約の違憲性が問われた砂川事件をめぐり、最高裁でどんな議論が行われているか。田中氏はひそかに米政府に伝えていたのだ▼そうして出された砂川判決は米国を喜ばせたが、この判決を「合憲」の根拠とするのが、安保関連法案だ。安倍首相は今春、米議会で演説し「この夏までに成就させます」と断言していた▼自ら「まだ国民の理解が進んでいない」と認めたのに強行採決したのは、何よりもこの約束をおもんじてのことなのか。最高法規とは、国民と政府との「至高の約束」なのだが。』
だから筋の通らないデモになる。
オレは自衛隊は必要だと思っているし、だからこそこの機会に入口の部分からやり直す為にも憲法改正の手続きを踏み分かりやすくするのがこれから先のことを考えればベストだと思うんだけどね。
アメリカとの関係も、では日米安保を破棄し日本が独自に国を守るとなれば防衛費から何から莫大な規模に膨れる(現実的に)。それはどう考えても無理だろう。
しかもいざとなったら攻め落としやすい島国だ。それでも日本は日本で防衛するという覚悟があるならばそれでもいい。しかし、それならスイスのようにいざとなったら国民全員が武器を取り戦う覚悟があるのかと言えばそんなのあるわけ無いと断言できる。そうするとアメリカとの関係を維持しながら生きていくのが現実的には一番の選択肢になる(まあ異論はあるでしょう)。
そうなればアメリカや他の同盟国との枠組みの中で時には汚れ仕事を担う場合も要請されることもあるだろう。問題はここなんだよな。これを何処まで受けるかということ。今回の安保法制の件もこの話を与野党でもっとクールにやらなければいけなかったんだが民主がグダグダにした。
だったら自衛隊の武装解除から言えよと。
殆どマスコミでは無視されていたが、小笠原村の村長のように中国漁船(一部海軍)に漁場を常に荒らされている離島地域では今回の安保法制成立を切実に望んでいた事実もある。だから自衛隊は認める、個別自衛権は認める、が、集団的自衛権は悪だなんて訳の分からない話を前提にした議論は是非止めて欲しいんだよな。
そうでないと筋は通らないし、そもそも覚悟が持てないと思うよ。
ただそれに日本が巻き込まれていないだけで。だから戦争の足音が聞こえない方がどうかしてるんだよ。直ぐにでも耳鼻科に行った方がいい。
そして、それが安保法制に反対すればこれからも巻き込まれず耳を塞いでいればいいのかと言えば、そんなことは無い。それは大間違い。
ISも日本へのテロは公言しているわけだから。
だからこそ、自衛隊のポジションから何から一度再考し、これから先の防衛を考える時期じゃないかと思うんだけどね。
感情論メインの話ではお話にならないんだよ。
僕は戦争はなくせるという一派。そういう人々がやがては地上から戦争をなくすだろうと考えている。勿論君は違うだろう。そして実は「戦争はなくせない」と大音声する人々こそが、戦争を増やしているのだと、僕は言いたい。イラク戦争についても「あーあんなことしょっちゅうあるだろうよ」、だろうし。
ただね、確かに、僕らがちょっと不利になった時代ではあると認める。冷戦が終わったのに、新しい形の戦争がどんどん起こっているようだからね。だから、アメリカに噛みついてきたのね。アメリカが居なかったら、今の世界、かなり平和になると思うから。
中国もロシアも困った物だけど、背後に1980年以降の新たな国際経済情勢があることは確かだと思う。新自由主義経済世界体制ね。この新自由主義体制自身が国連を骨抜きにして来たという事実も重なってね。社会ダーウィニズムのような、人間の闘争本能のような物が戦争を起こすとは全く考えていない。あくまでも具体的な、それぞれの歴史的戦争に一つ一つ別の原因があると考えてきた。
そして、戦争に関しては無くなって欲しいとか無くならないだろうでは無く、多種多様なバックグラウンドを持つ人間が何十億といる中では戦いが無くなるというのは現実的には無いと思っている。
だからこそその争いを最小限に留めるアプローチはしなければならない。当然そこには防衛論以外のものも含まれるし、防衛論も入る。
感情論というのは別に貴方に向けての言葉では無い。
今回の安保法制の様々な場面で感情論が目についたので書いた。勿論それも否定はしないがいつもそれでは先に進まないだろうということ。