極右一色でも、高齢者一色でもなかった。15日、東京・千代田区の靖国神社本殿前に並んだ人々は普通の日本人たちが多かった。
異様な人ももちろんいた。暴力団員風のヘアスタイルで旧日本軍の軍旗を振り回す人、軍帽をかぶりゲートルを巻いた1940年代の軍服で完全装備した人…。しかし、息子を肩車した40代課長、暑い中で手をギュッとつないだ20代カップル、中高生の子どもを連れて来た30代主婦、静かに手であおぐ50代男女の方が多かった。どこでもいる普通の日本人たちが猛暑の中、神社入口から本殿まで約1時間並んだ。靖国神社は同日午前6時から午後7時までの間に19万人が参拝したと発表した。
最寄りの地下鉄・九段下駅から靖国神社まで850メートルにわたる歩道は「日本の右翼野外博覧会」をほうふつとさせた。従軍慰安婦攻撃団体・右翼教科書普及運動・河野談話撤廃運動・朝日新聞不買署名運動・安重根(アン・ジュングン)記念碑撤去運動の広報パンフレットを配るブースや、3500円の右翼Tシャツを売る露店などがあった。
そうした中、人込みをかき分け、高級車が続々と到着した。超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属議員67人が団体で参拝に来たのだ。安倍晋三首相の側近・稲田朋美自民党政調会長も、自身が率いる会の議員9人と別に参拝した。安倍首相も玉串料を奉納した。私費だったが、それを持ってきた代理人は国から給料を受け取っている人物だった。
道の向こう側の日本武道館では、終戦70年の全国戦没者追悼式が行われた。午前11時50分、天皇(81)の追悼の辞が靖国神社・遊就館(訳注:原文は戦争博物館)でも生中継された。
「先の大戦に対する深い反省」という天皇の声が第二次世界大戦時に死んだ兵士たちの顔の上に響き渡った。兵士たちの顔は戦争末期になるほど、若者というよりも「幼い子ども」に近づいているように見えた。遊就館はこの兵士たちの顔に「靖国の軍神たち」という題名を付けた。朝鮮人もいるのだろうか。靖国神社には朝鮮人2万1000人も本人の意思とは関係なく合祀(ごうし)されている。
正午の黙とう終了後、神社入口に集まっていた1600人近い人々は安倍首相の靖国神社参拝を要求し集会を行った。1945年の昭和天皇による降伏放送も流した。少し前、道の向こう側の日本武道館で「深く反省する」と言った人の父親は70年前、「他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとから私の望むところではない」と語った。降伏なのか弁明なのか、日本は当時もあいまいな言葉を使ったのだった。
このタイミングで、どうして増えるか、考えてみては?