新年の句会のお題が「去年今年」になった。
どうしても頭をよぎるのが高浜虚子が昭和25年に作った句
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」である。
大岡信も「去年今年とは、昨日が去年できょうは今年といいう一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新年の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。『貫く棒の如きもの』の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか」と絶賛している。
この年末は特にこの句が意味を持っているように思う。政権交代は「貫く棒の如きもの」。戦後六十年のヘドロを一掃する政治改革。日米関係の見直しとアジア外交の推進。景気回復も金融市場の回復も「貫く棒の如きもの」なのである!!
果たして新政権は、棒のごとく たくましく貫き通せるのであろうか?
どうしても頭をよぎるのが高浜虚子が昭和25年に作った句
「去年今年(こぞことし)貫く棒の如きもの」である。
大岡信も「去年今年とは、昨日が去年できょうは今年といいう一年の変わり目をとらえ、ぐんと大きく表現した新年の季語。虚子の句はこの季語の力を最大限に利用して、新春だけに限らず、去年をも今年をも丸抱えにして貫流する天地自然の理への思いをうたう。『貫く棒の如きもの』の強さは大したもので、快作にして怪作というべきか」と絶賛している。
この年末は特にこの句が意味を持っているように思う。政権交代は「貫く棒の如きもの」。戦後六十年のヘドロを一掃する政治改革。日米関係の見直しとアジア外交の推進。景気回復も金融市場の回復も「貫く棒の如きもの」なのである!!
果たして新政権は、棒のごとく たくましく貫き通せるのであろうか?
作句された昭和25年は、「朝鮮戦争」勃発に伴う「特需」による「成金」「買いだめ・売り惜しみ」更には「レッドパージ」による「とんでもハップン」が陸続した年。
「貫く」この句が一躍有名になったのは、これらの世相に動揺激しかった川端康成が、鎌倉駅に掲げてあったこの句を見て、その感動を触れ回ったことにあると言われていますが、「終始一貫」というのは、そんなに意義のある大事なことなんでしょうか。