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花見て一服 『クリスマスフラワーの巻』     草女

2007年12月21日 00時11分16秒 | 文芸作品
※写真は猩猩草・・・タイトルをクリックすると拡大します。

 クリスマスになくてはならない「あの花」にこのクリスマスフラワーや和名の猩猩(ショウジョウ)木が使われる事はほとんどなく専らポインセチアが使われている。
 この季節花売り場は多くのポインセチアで彩られ、人々をクリスマスに駆り立てる。和名の猩猩木は花の赤い色から名づけられたというのに最近では赤だけはなくピンク、クリーム、縞模様のものまである。(猩猩は中国の伝説上の動物。またそれを題材にした各種の芸能における演目。さらにそこから転じて、大酒家や赤いものを指すこともある。)
 色づく部分は苞で花は中央に集まって咲いているが花弁もなく地味で目立たない。しかし、花が咲かないと苞は色づかない。
 日が短くなって花芽をつける短日植物であるから、ちょうどクリスマスの頃開花する。この植物はメキシコ山地原産のトウダイグサ科の常緑低木である。原産地では高さ5mになるという。非耐寒性なので日本の冬を越す事は難しく、私たちはクリスマスが終わるとポインセチアも終わらせてしまう。
 ポインセチアほど苞の部分は大きくないが、そっくりな形の猩猩草(ショウジョウソウ)という一年草がある。ポインセチアと同じトウダイグサ科の北アメリカ原産の植物で観賞用に栽培されている。
 海上の森への道路沿いの家の植え込みの中で咲いている。気をつけて見ていると毎年場所が少しずつ違うので、こぼれた種で勝手に咲いているらしい。こちらの方がポインセチアより強靭で、姿も野趣に富んでいる。
 さて、トウダイグサ科の植物は、枝や葉を傷つけると白い乳液を出す。この液に毒性がある。口へ入れてはもちろんいけないし、皮膚に付くと水ぶくれや炎症を起こすので注意したい。
 余談だがポインセチアの名はアメリカ合衆国のメキシコ公使としてメキシコシティーに駐在しこの植物を最初に発見したポインセット氏の名前に因んでつけられた。
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4 コメント

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イイデスネー (文科系)
2007-12-21 21:16:11
イイデスネー。こういうの。

見たことがあるような、ないような。
名前だけのほうでは、この四月に滋賀県金勝アルプス(竜王山)に上った時、ショウジョウバカマ?というのを見たかなという覚束なさ。薄紫かピンクのような、小っちゃい蘭みたいな花だったかな? これで、合ってるかな?
こういうの、もっとやってください。ただし、もっと一般的なのでね。と言っても、僕が非一般的に過ぎるのか。 

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さらに一言 (文科系)
2007-12-22 12:10:51
皆さん、こういう「文化活動」の記事をもっともっと欲しいと呼びかけたいです。

9条の会と来ると、まず共産党か、そうでなくとも左翼と見られる。左翼はほとんど直感的に「狭い」と見られる。(そういう意味では、ここに保守系さんがいることは、僕は大変感謝している)
傾向として政治しか語らないし、特にミヤケンさんなどが、偏狭な「政治主義理論」で締め付けて、文化的な、豊かな人材を非常に多く外に追いやってしまったからだ。「文化と左翼政治論の対立しやすさ」って、マルクス主義発祥以来の難問なのであったとも言えよう。

有名なところでは民主主義文学同盟の大分裂(彼らは現在「葦牙」という同人に集っている。中里喜昭、亡くなった霜田正次など多数に上る)、テレビで活躍している有田芳生、「新日和見主義査問事件」では、やはり数百と言われる多くの文化的な若者が追いやられた。その時の幹部の中には、社会の文化面で活躍中の方々も多いのである。哲学者、政治学者も名前を挙げれば無数であろう。そういうものを横目に見ながらも、僕自身は党活動を40年続けてきた。
こうして、もともと政治主義になりやすい「左翼」の文化が、さらに抜け殻のようなものになってしまったと、今の僕は思う。

だから結局、狭い世界から外に出られない。外の人が話を聞いてくれない。共産党は、左翼は結局、文化問題をこそ含めて、もう一度やり直さなければならないのだと思う。僕個人は、そんな気持ちからここに関わっている。

私事で恐縮だが、僕はどんな忙しい時にも、自分の文化活動(僕は趣味などとは言えない)を細々とでも続けてきた。それが退職した今、本当に幸せなことだったと分かるのである。偉そうに言えば「普通の人間としても生き生きと躍動していない、見るからに狭い人の話なんか、誰が聞きたいか! そういう人が語る未来は偽物である」と言いたいのである。

こういう投稿をこそ、どんどん出してください。お願いいたします。
返信する
上の続き (文科系)
2007-12-22 12:33:09
「時代の後継者育成」に関わって

若者は特に文化に敏感である。非常に忙しく政治だけ語る時間しかないので、残念ながらついつい他の「活動」ができず、あとは疲れを癒すだけという両親を見て、良い子どもが育つだろうか。

子どもは大げさに言えば「文化の匂い」を嗅いで「人生への根源的な希望」を育まれてこそ、自ら育っていくようになる存在であると、僕は思う。いやしくも哲学を語る政党ならば、文化の専門性や熱意のようなものが、どうしても不可欠なのである。でないと、実質的にミヤケンさんのような政治主義になってしまう。

学生時代の「合唱団」や「歌劇団」などに違和感を持って、僕は思った。「音が美しくなきゃ、『音楽』じゃない」と。事実そうなのであって、合唱団も大いに変わってきたはずだ。
スポーツでも新日本体育連盟とかいうのがあったけれど、皆さんあれはどこへ行ってしまったのでしょうか? どなたか知っていたら、教えてください。

返信する
そろそろお次を? (文科系)
2007-12-24 15:25:20
そろそろお次をやっていただけませんか?
木瓜かマンサクでどうでしょう?
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