OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ちょっと呆れた話

2011-05-21 16:51:35 | Weblog

法事のため、本日は休載させていただきますが……。

お寺の住職から、ちょいと気になるというか、呆れた話を報告されました。

なんと今春、寺の墓場で露出系AVの撮影を無断でやっていたとか!?

そこには見事な桜の木がありますから、絵にはなったんでしょうが、周囲のお墓が映り込んでいるとすれば、穏やかではありません。

当然ながらバカ野郎な撮影隊は住職から注意と叱責を受けた後、連絡先を置いて逃げ去ったというのですが、もちろんそこは嘘八百! 警察に通報した事は言うまでもありません。

まあ、個人的にはエロスの仕事は歓迎するほうですが、それが自分の檀家寺であったとすれば、やはり憤りは正直な気持ちです。

う~ん、この自己矛盾!?

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ガレスピー親分と夏へ向かう

2011-05-20 15:10:05 | Jazz

Dizzy On The French Riviera  / Dizzy Gillespie (Philips)

既に今年も半分近く過ぎたところで、急に暑くなって来ましたですね。

なんか、もう、真夏が思いやられる気配ということで、本日のご紹介は初夏向けの1枚♪♪~♪

エンタ系を貫いた天才トランペッターのディジー・ガレスピーが自らレギュラーバンドを率いて作ったライプ盤という体裁ながら、実は様々なスタジオの魔法が上手く施された結果の楽しいアルバムなんですねぇ~~♪

一応の録音は1962年5&7月、メンバーはディジー・ガレスピー(tp,vo,per)、レオ・ライト(as,fl,vo,per)、ラロ・シフリン(p,arr)、クリス・ホワイト(b)、ルディ・コリンズ(ds,per) のレギュラー陣に、ジャケットのクレジットでは、Elek Bacsik(g)、Pepito Riestria(per) の他、実際は数人の助っ人が参加しています。

A-1 No More Blues (Chega de Saudage)
 いきなり波や渚のざわめきが聞こえてくるあたりは、既に通常のモダンジャズアルバムを超越(?)した作りになっていますから、こういう効果音の使用について、イノセントなファンはちょいと面食らうかもしれません。
 しかし自然に響いてくるボサノバのリズムと哀愁のメロディが流れてくれば、そこは素敵な桃源郷♪♪~♪ 「No More Blues」とクレジットされていますが、実はカルロス・ジョビンが畢生の「Chega de Saudage」と同じ曲なんですから、たまりませんよねぇ~~♪
 しかもAメロをリードするレオ・ライトのアルトサックスには絶妙の湿っぽさがあり、サビで登場するガレスピー親分のトランペットが開放的というコントラストも秀逸ですから、後は流れに身をまかせというか、メンバー各々のアドリブとサポートの妙技に耳を奪われること必定です。
 中でもラロ・シフリンのミステリアスにして奥の深いピアノから、楽しさ優先モードのディジー・ガレスピーが登場する件はジャズ者が絶対にシビレる決定版でしょうし、幾分の引っ込み思案が逆ら素晴らしいレオ・ライトのアルトサックス、さらには再び躍動するラロ・シフリンのピアノを煽る打楽器隊の浮かれた雰囲気の良さは絶品!
 そしていよいよ登場する Elek Bacsik のギターが、これまたシブイ! ジャズギターの王道からは外れているかもしれませんが、随所にオクターヴ奏法やトレモロ的なフレーズをミックスさせる匠の技は侮れません。
 ちなみにこのトラックはライプレコーディングというデータがあるものの、前述したSEや拍手の雰囲気も含めて、スタジオでの加工が良い方向に作用していると思います。

A-2 Long, Long Summer
 ラロ・シフリンが書いた思わせぶりな哀愁ハードバップの人気曲で、そのエキゾチックなムードとファンキーな味わいの匙加減が流石の仕上がりですよ♪♪~♪
 もちろんファンキーな部分を担当するのがディジー・ガレスピーであることは言うまでもなく、何時もとなんら変わらぬスタイルを披露しつつも、十八番のアフロキューバン節も抜かりありません。
 また、ラロ・シフリンが要のリズム隊は力強く、時にはゴスペルファンク的な煽りも素晴らしい力演は最高だと思いますが、レオ・ライトの出番が少ないのは残念……。それでも要所では情熱的なフレーズを吹いてくれますから、まあ、いいか♪♪~♪
 それとこのトラックは多分、スタジオレコーディングでしょう。テープ編集の痕跡も散見されますし、ラストでは正体不明のバリトンサックスがアンサンブルで登場していますから!?
 そしてギターは誰?

A-3 I Waited For You
 これはディジー・ガレスピーが永遠の定番演目としていた自作の美メロパラードですから、ここでもツボを外していません。短いながらも、実に密度の濃い仕上がりは手慣れたというよりも、集中力でしょうね♪♪~♪
 もちろんラロ・シフリンの些か暑苦しいピアノも要注意だと思います。

B-1 Desafinade
 これまたボサノバの大有名曲をミュートで軽く吹いてくれるディジー・ガレスピーが良い感じ♪♪~♪ そしてレオ・ライトのフルートやリズム隊のキメも鮮やかですよ。
 当然ながら、そうした部分を担っているのはラロ・シフリンのアレンジの冴えということで、3分半ほどの短いトラックですが、きっちりとした纏まりが最高です。
 ただし如何にも疑似的なライプの拍手は、些か無用という感じがします。

B-2 Here It Is
 こちらは真性ライプトラックでしょうか、自然な臨場感が熱いファンキーハードバップにジャストミートした素敵な演奏が楽しめますよ♪♪~♪
 それはグイノリの粘っこい4ビートで「お約束」の手練手管を駆使しするメンバー全員の意志の疎通であり、またモダンジャズ全盛期の証でしょう。こういう輝きこそが、わかっちゃいるけど、やめられない! それに尽きます。

B-3 Pau De Arara
 ついに出ましたっ!
 これぞっ、ガレスピー楽団伝来のラテンジャズをハードバップで煮〆た味わいが最高潮です。あぁ、こういうアップテンポの祝祭的なノリは、やっぱりジャズ者の琴線に触れまくりでしょうねぇ~~♪
 う~ん、山本リンダの歌と踊りが出そうな雰囲気と言っては、贔屓の引き倒しでしょうか?
 いえいえ、きっちり4ビートで突進するディジー・ガレスピーのトランペットには絶対に溜飲が下がるでしょう。
 くぅぅぅう~~、本当にたまらん世界です♪♪~♪

B-4 Ole
 そしてオーラスはモードを使ったエキゾチックな新風モダンジャズで、なかなか意欲的なバンド演奏が楽しめますが、親分がミュートを吹いているだけに、なんとなく同時期のマイルス・デイビスがやっていた事に共通する何がが感じられると思いますし、そういえばジョン・コルトレーンにも同じようなタイトルで似たムードの曲がありましたですね。
 しかしこれはガレスピー親分のオリジナルという事になっていて、しかも絶妙の親しみ易さが隠しようもありません。
 ですからレオ・ライトのフルートが神妙なフレーズを綴り、おそらくは Elek Bacsik であろうギターがしぶとさを聞かせるうちに、演奏は何時しか最初と同じような渚のざわめきと波のSEが被さってきて終焉するという演出がニクイですねぇ~~~♪

ということで、なかなか用意周到に作られた快楽盤だと思いますが、その仕掛人はプロデューサーのクインシー・ジョーンズなのでしょう。もちろんディジー・ガレスピーも納得ずくの結果であり、そうでなければ、これほど気持良いモダンジャズ作品は生まれなかったはずです。

ただし、そういう点を素直(?)に受け入れられないジャズファンも少なからず存在しますから、このアルバムがガイド本等々で名盤扱いにならないのも、これまた納得するしかないのでしょう。

それでもジャズ喫茶では局地的な人気盤になっている事実も否めませんし、なによりも楽しいジャズを求める愛好者が、このLPを競ってゲットしていたのが、往年の中古盤屋の風景でした。

まあ、今となってはCD化もされているようですし、再発も何度かありましたから、誰でも気軽に聴けるようになったはずでありながら、どうもイマイチ、注目されない事実は???

どうやら電力不足の猛暑は避けられない夏に向かって、このアルバムで涼をとるのも一興だと思うばかりです。

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アイズリー・ブラザーズ生涯の1枚

2011-05-19 16:40:10 | Soul

■Live It Up / The Isley Brothers (T-Neck / CBS)

アイズリー・ブラザーズが1974年に出した傑作人気アルバムで、それは「ジ・アイズリーズ・ライプ」と「3+3」によって目覚めたサイケおやじにとっては、初めてのリアルタイム盤だったんですが、案の定、我国ではヒットしていません。

というか、当時はアイズリー・ブラザーズのようなニューソウルでもハードロックでもない中途半端な存在は、レコード会社や洋楽マスコミでも扱いにくかったようで、特に目立ったプロモーションは無かったと思います。

しかし内容は、自意識過剰とも受け取られかねない頑固さと流行に対する敏感な反応が上手くミックスされた、実に美味しい歌と演奏がテンコ盛り♪♪~♪

 A-1 Live It Up (part 1 & 2)
 A-2 Brown Eyed Girl
 A-3 Need A Little Taste Of Love
 A-4 Lover's Eve
 B-1 Midnight Sky
(part 1 & 2)
 B-2 Hollo It's Me
 B-3 Ain't I Been Good To You
(part 1 & 2)

まず冒頭、強いビートでうねりまくるクラヴィネットのコンビネーションは、完全にスティーヴィー・ワンダーの「迷信」から強い影響を受けている事は否定出来ないわけですが、これが最高の気持良さ♪♪~♪

と言うか、シンプルなファンクビートと粘っこいボーカル&コーラスが黒い熱気を醸し出し、さらにはジミヘン直系のブラックロックなギターが泣きまくるという展開は、これでシビれなければバチアタリでしょう。

こうした歌と演奏は前作「3+3」で確立されたオケーリー、ルドルフ、ロナルドの年長組ボーカル隊とアーニー(g,ds)、マービン(b) の弟2人に従兄弟のクリス・ジャスパー(key) を加えたインスト組の6人が一体となって作られたもので、特にアーニー・アイズリーはド派手なギターばかりでなく、潔いまでにファンキー&シンプルなドラムスを担当していることが、結果オーライだと思います。

つまり、こうしたファンク物は単調なビートの繰り返しの中に様々なアクセントやイントネーションを表現していく事で生成されていくスリルとサスペンスが面白いわけですから、あまり変則的なオカズ過多はお呼びじゃない!?

このあたりをつまらないと言い張るのがジャズ愛好者だろうと思いますが、それじゃ電化期のマイルス・デイビスやジェームス・ブラウンは、どうなんですかぁ~~?

まあ、そんな生意気な質問には答える義務や義理も感じなくて当然ではありますが、基本的にファンクビート中毒者のサイケおやじは、もう、この一発でイチコロでしたねぇ~♪

しかも執拗なファンク攻撃が延々と続いた直後に潔く入っていくメロウソウルの「Brown Eyed Girl」が、最高にたまらない世界ですよ♪♪~♪

このあたりは硬軟自在にソウルフルな歌いっぷりを完全披露するロナルド・アイズリーの真骨頂ですし、意外と生音主体の演奏パートも侮れず、こうしたコントラスの妙がアルバムの流れと雰囲気を作っていく十八番の目論見が、早くもここで成功したというわけです。

そして再びギターが暴れ、クラヴィネットがリードする「Need A Little Taste Of Love」から甘いフュージョンソウルな「Lover's Eve」へと続く展開は、結論から言えばB面への露払いでしょうが、ドゥービー・ブラザース調の前者に美メロが心に染みわたる後者という構成は、後に白人ミュージシャンがブルーアイドソウルの発展形として表現するAORへの最短距離かもしれません。

ですから、このアルバムの真価を収めたB面の素晴らしさは、何度聴いてもアイズリー・ブラザーズのファンで良かったと思う他はありません。

それはファンキーフュージョン&ソウルの決定版「Midnight Sky」で早くも実感され、前半のソフト&メローな展開が後半では強烈なゴスペルファンクに変貌するという物凄さっ! 正直言って、同じ曲とは思えないほどですよっ!

もちろん、その中では強烈なギターバトルをひとり数役で演じてしまうアーニー・アイズリーの大奮闘が眩いばかりですし、年長組の熱血ボーカルも最高の極みでしょう。

ちなみにここでのイカシたリズムギターのカッティングはサイケおやじが最も好むところで、当然ながらレコードに合わせて練習を重ねた日々が確かにありましたが、当時はこんな事をやっていると周囲からは奇異の目で見られていましたですねぇ……。

しかし、この強烈な盛り上がりが自然終息した次の瞬間、スパっと繋がるのがご存じ、トッド・ラングレンが畢生の美メロ曲「Hollo It's Me」のソウルフル極まりないカパーなんですから、身も心も血の滾りからトロトロに溶かされてしまう、これは素晴らしき落差♪♪~♪

もう、この流れだけで歓喜悶絶は必至なんですが、さらに劇ヤバなのが「Ain't I Been Good To You」のドラマチックな構成展開で、前半の甘くてヘヴィなロッキンファンクが一端終了した後に再スタートする後半の超スローなゴスペルソウルの世界には、泣きじゃくるギターとソウルフルなオルガンも効果的で、ほとんど中毒症状に陥りますよっ!

いゃ~~~、何度聴いても涙がボロボロの傑作アルバム!

こう言って、絶対に後悔しませんっ!

もちろん、ご存じのとおり、このアルバムにしても以降の全盛期からすれば、物足りない部分はあるでしょうし、助っ人参加したジョージ・モーランド(ds) やカール・ポター(per) 等々の存在、さらには前作同様にスティーヴィー・ワンダーのブレーンだったロバート・マーゴレフとマルコム・セシルの暗躍が気になるポイントだと思います。

しかし既に自らの手でプロデュースも演奏の大部分も自在にやれるようになったアイズリー・ブラザーズ唯一無二の個性は、充分に確立されていると思います。

なによりも当時、一般的に流行の兆しがあったファンクやAORといったR&Bとロックの融合志向を素早く具象化し、実践していた点は無視出来ないはずです。

そして、そんな理屈よりも、まずは聴いていて最高に楽しくて気持良い音楽が、ここにあるのです。

ということで、山下達郎の元ネタとして楽しむのもOKでしょうし、トッド・ラングレンがお好きな皆様にもオススメ出来る1枚として、実に嬉しいアルバムなのでした。

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何をやってもイエスはイエス

2011-05-18 15:45:01 | Rock Jazz

究極 / Yes (Atlantic)

サイケおやじの趣味志向は昭和40年代、つまり1965年からの10年間に形作られて今日に至っていますから、以降はなかなかリアルタイムで夢中になれる事象がなく、それは音楽でも同様でした。

平たく言えば、1970年代後半には自分の好みに合うレコードがそれほど出なくなったという事なんですが、しかし、なんとか追いかけていこうと決意していたバンドのひとつが、当時は既にプログレの王者に君臨していたイエスです。

ところが、流石に本日ご紹介のアルバム「究極 / Going For The One」を最初に耳にした時は驚きましたですねぇ~~~~!?!▲◎!?▼?!

 A-1 Going For The One
 A-2 Turn Of The Century
 A-3 Parallesl
 B-1 Wonderous Stories
 B-2 Awaken

発売されたのは1977年の夏で、その頃は我国でも外盤アルバムは比較的リアルタイムで安く入荷するようになっていた事もあり、サイケおやじも頻繁に輸入盤店に出入りする日々を送っていたんですが、そこで新譜として鳴らされていた冒頭の「Going For The One」を聴いた時、これは絶対にイエスの影響を受けたバカテクのポップス系ロックバンド!? と思った記憶は今も鮮明です。

なにしろリラックスしたイントロのカウントから軽快なスライドギターが唸り、アップテンポで明るい曲メロとハイトーンボイスに爽やかコーラスという展開は、それまでの良い意味で勿体ぶったイエスの音楽性を無理に歪曲したような雰囲気でしたからねぇ~~◎▼??◎

しかし、これは聴いていて実に気持良く高揚させられるツボが確かにあるという名曲名演ですから、サイケおやじは思わず店のカウンター横に飾られていたジャケットを凝視して再び仰天!

掲載した画像でも一目瞭然だと思いますが、そこにはイエス特有のロゴがあるにもかかわらず、ジャケットデザインそのものが、それまでの路線と大きく異なっていたのですから、まさに呆気にとられるとは、こういう事を言うんだなぁ~~!

と心底、痛感させられましたですよ……。

ご存じのとおり、ここまでのイエスのイメージをひとつ決定づけていたのは、1972年の大名盤「こわれもの」から前作「リレイヤー」まで続いていた幽玄神秘なイラストのアルバムジャケットでしたから、この新譜での冷たく幾何学的なデザインは???

しかも男の尻が写っているのは大減点でしょう!?!

今となっては結局、イエスというバンドの有意変転性を顕著に示した1枚という歴史的な評価も確立されているようですが、確かに当時のイエスはデビュー当時の真性アートロックから3作目で独自の個性を目指しつつ、ついに「こわれもの」と「危機」においてプログレの頂点に屹立し、以降はグループとしての超絶技巧を証明せんがためのライプ盤「イエスソングス」、あるいは大作志向の極みとなった2枚組「海洋地形学の物語」、さらには堂々のフュージョンを演じた「リレイヤー」まで意欲的に作った後の煮詰まり状態だったのでしょう。

それが証拠(?)に、メンバー各人のソロアルバムプロジェクトも同時並行的に行われていましたし、継続して人気のライプ巡業があったにしろ、バンドメンバーの出入りは相当にありました。

また当時の業界の新しい動きとしては、例のパンクの流行や所謂ニューウェイヴの台頭があって、その中では大仰な姿勢を変えようとしないイエスやピンクフロイドといったプログレの大富豪が常に標的とされていたのですから、穏やかではありません。

当然ながらプログレというジャンルそのものの衰退も……。

ですからイエスがイエスとして生き残っていくためには、大きな変化も必要だったのでしょう。そしてイエスが上手かったのは、新コンセプトのジャケットに象徴される外見的なイメージの方向転換を産業ロック的な楽曲で具象化しながら、実は安易なコピーなんか絶対に不可能な高い演奏技術と音楽性を維持していたということです。

しかも黄金期のメンバーとして人気の要になっていたリック・ウェイクマンが復帰していた嬉しい驚きも、単なる迎合作品では無いという確信をファンに与えるものだったと思います。

そこでジョン・アンダーソン(vo,per)、スティーヴ・ハウ(g,vo)、リック・ウェィクマン(key)、クリス・スクワイア(b,vo)、アラン・ホワイト(ds,per) からなる真・イエスによる演奏は、既に述べたアルバムタイトル曲「Going For The One」が象徴するように、ライトタッチの産業プログレと言ってはミもフタもありませんが、気軽に聴けてしまう中にも、ハッするほど凄まじいイエス伝来のサウンドが高密度で凝縮されていて、やはり圧巻!

実はこうした傾向のサウンドは、当時のアメリカで流行っていたプログレ系のハードロックバンドに幾つか散見されていたので、ここにイエスがあらためてやるとすれば、それは哀しきパクリの誹りを免れないわけですが、そこは本家の底力というものでしょう。

続く「Turn Of The Century」はスティーヴ・ハウの繊細なアコースティックギターを前面に出した十八番の美メロ主義が全開する、これぞっ、イエスの真骨頂ですからジョン・アンダーソンのハイトーンボイスも冴えまくりですし、幽玄のキーボードとコーラスのミックスも素敵ですよ♪♪~♪

また「Parallesl」はLP片面の流れを見事に構成して締め括るに相応しい、これまた如何にもの歌と演奏がびっしりで、大袈裟なキーボードと目眩がしそうなギター、さらに重厚なリズムとピートに決して負けないボーカル&コーラスという、イエスならではの世界が堪能出来ますよ。

まあ、このあたりをマンネリとするか、あるいは安心感と身を委ねるかによって、このアルバムの評価と存在価値は十人十色だと思いますが、もちろんサイケおやじは後者の立場ですから、B面最初の「Wonderous Stories」の爽やか世界の提供には歓喜悶絶♪♪~♪

この欧州クラシック趣味の臆面も無い利用方法があってこそ、イエスはプログレの王者という証明は、これまでの大作主義を期待通りに継承した「Awaken」でも見事に健在で、それはイントロから披露される華麗なピアノや厳かなムードが躍動的に広がっていく曲展開があってこそ成就されるものでしょう。

実際、この「Awaken」はメンバー全員の緊密なコラポレーションが超絶的なテクニックで支えられ、それでいて妙に親しみ易いという、ある意味での中途半端さが快感の秘密じゃないでしょうか。

ということで、イエス本隊としては前作「リレイヤー」から2年数か月ぶりの新作として、全く新しいものを狙ったのかもしれませんが、ファンの気持と耳は意地悪ですから、ちゃ~んとイエスの本音を分かっていたと思います。

それはジャケットコンセプトの変更も含めて、いくらスリムで現代的なスマートさを目指したとしても、既に流行遅れになっていたプログレというジャンルからは決して抜け出せない、抜けだす気持も本当は無いであろうメンバーの商売優先主義に対するクールな反応であって、所謂どっちもどっち……?

ですから当時のライプ音源を探求すると、きっちり往年の人気曲をやっているイエスの律儀な姿勢に感動すら覚えるんですよねぇ~♪

ご存じのとおり、イエスは名前だけを優先させるかのように、以降はメンパーチェンジと音楽性の進化後退を繰り返しつつ、今日まで多くの作品を残していきますが、どの時期の味わいも実は「究極」を起点に聴くことが可能という、意味深な逆説さえ成り立ってしまうような気がします。

ですから、「究極」という邦題を命名した我国の担当者の先見性は流石!?

聴く度に、そんな事を思ってしまうのでした。

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やっぱり日本盤シングルは魅力

2011-05-17 16:10:55 | Beatles

ひとりぼっちのあいつ / The Beatles (Capitol / 東芝)

昭和41(1961)年4月に発売されたビートルズの日本盤シングルなんですが、ご存じとおり、AB面2曲共、本来は前年12月にイギリスで発売された名盤LP「ラバーソウル」に収録されて世に出たものです。

それが当時の業界の事情から、アメリカではビートルズのアルバムが本国イギリスとは別仕様の編集盤として発売されていたことから、前述の「ラバーソウル」にしても、この「ひとりぼっちのあいつ / Nowhere Man」は外されています。

そこでアメリカでは、1966年2月にピカピカの新曲扱いとして、このカップリングシングルを発売したわけですが、我国ではその両方の事情が並立していた所為でしょうか、アルバムとしての「ラバーソウル」は同年3月、きっちりとイギリス盤仕様で売り出されていますから、このシングルはそこからのカットという扱いでした。

しかし、このジャケ写に用いられたショットはメンバーの目線が揃っていないという、なんともトホホな1枚であり、おまけに翌月に来日記念盤として出された「ステレオ! これがビートルズVol.1」のデザインに使い回されるという真相は、当時のレコード会社の苦労が窺い知れますねぇ。

このあたりはもちろん、シングル盤と言えどもピクチャースリーブに拘りぬいていた我国の美しき慣習のおかげでもありますから、一概に非難することは出来ないでしょう。むしろそうした楽しみを後世に残してくれた当時の担当者に感謝するべきだと思います。

なによりも海外の情報が少なかった当時、たとえダブっていようとも、憧れの洋楽スタアの写真は1葉でも貴重でしたし、それを見るワクワクした気分は今日、絶対に味わえない喜びだったのですから!

ということで、日本盤シングル最大の魅力は、こうしたピクチャースリーブの存在でしょう。もちろんレコードに記録された音楽そのものも大切ではありますが、ネットで音だけを曲単位で買える現代にあっては、ますますそうした思いを強くしているのでした。

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今こそ登場が望まれる小畑ミキ系

2011-05-16 15:21:25 | 歌謡曲

愛の栞 c/w 雨はいじわる / 小畑ミキ (ユニオン)

いけないなぁ……、と思いつつ、見つけると結局は買わされてしまうのが、小畑ミキのシングル盤です。

中でも本日ご紹介の1枚は多分、彼女のラスト作として昭和43年晩秋に発売されたものですが、ご推察のとおり楽曲の出来は良いのに肝心の歌唱力が???ですから、ヒットしていません。

しかし、だからこその魅力があるんですよねぇ~~♪

まずA面の「愛の栞」は小畑ミキの作詞に津田龍一の作編曲がジャストミートの名作で、当時の流行になっていたクラシック調の歌謡曲に仕上がっているポイントは、チェンバロとストリングの湿っぽい使い方でしょう。

もちろんメロディも正統派昭和歌謡がど真ん中で、失礼ながら、これは小川知子が歌ったら大ヒットは間違いなかったと思いますよ。

ただし小畑ミキのターヘな歌いっぷりからは、だからこそのせつない思いが伝わってくるのも、また確か!?!

まあ、そのあたりは高値の中古盤をゲットしてしまった苦しい言い訳と受け取られるかもしれませんが、もうひとつ魅了がジャケットで、これは譲れません。

ですから作詞:かとうひろし、作編曲:植田嘉靖によるB面の「雨はいじわる」が、これまたバロック調のアレンジを強引に用いた昭和歌謡曲特有の展開に企画されながら、小畑ミキの歌唱力がトンデモ系に傾いていく結果も許せてしまうのです。

う~ん、それにしても彼女のような人が芸能界で輝いていた頃の日本は、やはり何をやっても良い方向にしか行かなかった幸運な時代だったと再認識させられますねぇ~~。

ということは、四面楚歌状態の今の日本には、彼女のような歌手&タレントの登場が待たれるという逆説でもありますが……。

そんなこんなの思いにとらわれつつ、今週も頑張っていきましょう~~!

本日の結論は、そういうことで失礼致します。

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退廃の美学の輝き

2011-05-15 16:26:16 | Rock

Children Of The Revolution c/w Jitterbug Love, Sunken Rags
                                                                                      / T. Rex (EMI / 東芝)

向かうところ敵無し!

という言い回しは滅多に使えるもんじゃありませんが、しかし1972年のTレックスは、まさにそれでした。

ご存じのとおり、Tレックスと言えばマーク・ボラン(vo,g) が中心であり、そのカリスマ性があればこそ、所謂グラムロックというブームも牽引出来たと思うのですが、しかし全盛期には二代目パートナーのミッキー・フィン(per)、スティーヴ・カーリー(b)、ビル・リジェンド(ds) からなるバンドとしての結束が大きな力になっていたはずです。

それはロックにおいてもテクニック偏重主義が罷り通っていた当時、シンプルなギターによるキャッチーなリフとブギのビートを主体とした温故知新のスタイルで大ヒットを連発し、併せてライプステージの熱狂も生々しく伝えられたことにより、決してキワモノバンドでは無いという評価が各方面で確かにあったのですから、いよいよ同年晩秋の来日公演が決定した時には、もう業界もファンも挙ってお祭り騒ぎの様相だったんですよっ!

そこで吉例の来日記念盤として発売されたのが、本日ご紹介の3曲入り徳用シングル♪♪~♪

まずはメインのA面「Children Of The Revolution」は、幾分鈍重なリフと分厚いストリングスが見事な化学変化を成し遂げた、これぞっ、グラムロックの代表曲! まさに退廃と快楽が同時進行しつつ、悪い予感にも満たされる唯一無二の感覚はリアルタイムで本当に新鮮でしたが、これにはプロデューサー兼アレンジャーとしてTレックスのブレイクに暗躍したトニー・ヴィスコンティの存在も大きかったんじゃないでしょうか?

特に不気味なフィーリングが冴えるストリングの使い方は圧倒的で、以降に関わるデイヴィッド・ボウイやシン・リジーとの仕事でも、その退廃的なムードの演出には流石の閃きを感じさせましたが、やはり原点となったのはマーク・ボランとの共同作業でしょう。

また、B面に収録された「Jitterbug Love」と「Sunken Rags」の2曲が従来路線の軽薄なR&Rブギのスタイルを受け継ぐマンネリだと言われても、その微温湯的な心地良さが独得の麻薬効果になっているところは侮れません。

ですから待望された来日公演が武道館で11月末と12月初頭に開催された時には、ギンギラギンの衣装と毒気に満ちたステージの雰囲気が優先されたらしいのですが、それでもきっちりとロックコンサートの掟は守られていたそうです。

と言うのも、実はサイケおやじはTレックスのライプには全く接した事が無いのですが、その時は折しもストーンズの幻となった初来日公演のチケット前売り騒動があって、青春ど真ん中のサイケおやじも参加した例の東急地下での徹夜行列には、なんとTレックスのコンサートが終了した後に並びに来た人達も大勢で、中にはストーンズよりもTレックスが最先端のカッコ良さ!?

そんな暴言を吐いた奴らも大きな顔をしていたんですから、如何に当時のTレックスの勢いが凄かったか、少しはご理解いただけるでしょうか。

もちろんサイケおやじは、そんな戯言を容認しているわけではありません。

しかしマーク・ボランは、確かにR&Rの荒野に登場したカリスマであり、不慮の事故で早世した事を差し引いても、本当の輝きを持ったスタアのひとりでした。

今日の歴史では、このシングル曲あたりを境にして急激な下降線を辿った人気という不可思議も印象深く、それを運命と決めつけるには、あまりにも眩しかったTレックスという存在の大きさは不滅だと思います。

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こんな粗雑なロックジャズもクリムゾン

2011-05-14 16:47:26 | Rock Jazz

Earthbound / King Crimson (Island)

キング・クリムゾン初のライプアルバムであり、音の悪い公式盤としては歴史に残る1枚でしょうが、サイケおやじは愛聴して止みません。

しかし当然ながら初体験時の完全なる肩すかし! あるいは痛切な失望感と裏切られた気分は今でも忘れられません。

と言うのも、キング・クリムゾンに対する当時の一般的な認識は、繊細な美しさと暴虐的なエネルギーを併せ持った唯一無二のグループであり、それは不滅の名盤「宮殿」以来の神聖でしたから、アルバム毎に変遷するバンドメンバーの顔ぶれが如何になろうとも、全ては許容出来るプログレの様式に収まっていましたし、来日公演の噂も、噂の段階で終わっていた当時であればこそ、ライプ盤が渇望されたのですが……。

 A-1 21st Century Schizoid Man
 A-2 Peoria
 A-3 The Sailors Tale
 B-1 Earthbound
 B-2 Groon

上記の収録演目は全て、1972年2~3月に敢行されたアメリカ巡業からの音源ですが、既に述べたように劣悪なクオリティの真相は、ミキサー卓に直結したカセットレコーダーを使用したがゆえの事です。

しかも当時はロバート・フリップ(g)、メル・コリンズ(sax,key)、ボズ・バレル(b,vo)、イアン・ウォーレス(ds,per) という4人組がキング・クリムゾンを名乗っていた時期で、つまりオリジナルメンバーはロバート・フリップ唯ひとり! さらにグループのコンセプトを大きな比率で担っていた作詞家のピート・シンフィールドも去っていたと言われていますから、必然的に演奏は現場主義になっていたのでしょうか……?

結論から言えば、全篇が歪みまくった、ヤケッパチのロックジャズ!

ですからキング・クリムゾンに対する先入観念としての荘厳な様式美を期待すれば、外れて当然だったのです。

ちなみに、このアルバムは本国イギリスでは1972年の初夏に廉価盤として世に出ながら、その劣悪な音質の所為でしょうか、我国では発売されず、それはキング・クリムゾンの人気がリアルタイムで最も高かったアメリカでも同様でしたから、日本の熱心なファンは必然的に当時は殊更に高かった英国盤を買うしかなく、それなのに前述の如き音の悪さと演奏そのものの粗雑な暴虐があったのですから、全く無慈悲な仕打ちというのが正直なところでしょう。

ですから翌年あたりからは中古盤市場にも頻繁に出回る状況中で、サイケおやじもどうにか入手は叶ったのですが、それでも冒頭に述べた不条理な気持は否定出来るものではありません。

しかし、だからと言って、ここに収録されている演奏が嫌いな種類かと問われれば、かなり好きなんですねぇ~~♪

まず初っ端の「21st Century Schizoid Man」からして、オリジナルバージョンで象徴的だった歪みまくりのボーカルが、ここでは意図的に作られた部分に加えてナチュナルな響きが既に歪んでいますから、それが素晴らしく良い方向に作用していると思います。

加えて暴虐的なアドリブ合戦から、例の目眩がしそうな最終パートのバンドアンサンブルも、まさにライプならではの緊張感を孕んでスリル満点! 誰かがどっかでミスるんじゃないか!? 心底、そう思わされる目論見が完全に成功していると思います。

団子状の音質が逆にド迫力を生み出している結果も、実はロバート・フリップの深淵な企みかもしれません。

ですから、続く「Peoria」が重い8ビートで起承転結も無く演じられるロックジャズなインストであったとしても、また前作アルバム「アイランズ」に収録されていた「The Sailors Tale」が、これまた中途半端なジャム系演奏と感じられても、それはそれで相当に熱いエネルギーが圧倒的!

その要因は、リーダー格のロバート・フリップが置き去りにされたかのような黒人音楽系のグルーヴとジャズっぽいアドリブ中心主義だと思いますし、その中でメル・コリンズのサックスがフリーな音色とモードジャズの語法を多用すれば、ドカドカ煩いイアン・ウォーレスのドラムスはハードロックとモダンジャズのゴッタ煮であり、ボズ・バレルの意味不明なシャウトやアドリブスキャットにはR&B風味も濃厚という、なかなか闇鍋的な楽しさが満喫出来ますよ♪♪~♪

そしてB面では、それらがますます煮詰められ、ほとんど怖いモダンジャスになってしまう「Earthbound」からフリージャズと現代音楽が激しく対峙したような「Groon」と続く流れにグッタリと心地良い疲労さえ覚えるんじゃないでしょうか。

また何れのトラックも、中途半端なフェードアウトや強引な繋ぎがミエミエの編集を施されているあたりが実に意味深で、現実的に廉価盤だったとしても、ちょい聞きにはブートよりも悪質商売の如きアルバムを作ってしまったロバート・フリップの意図を、少しは擁護出来ると思わせるのが、真の狙いなんでしょうか……。

ご存じのとおり、この後のキング・クリムゾンは、またしてもロバート・フリップ以外のメンバーが入れ替わり、新展開を模索していくのですが、こういうロックジャズがど真ん中の演奏スタイルが洗練へと向かう結果を知っているだけに、このアルバムが妙に愛おしく感じられます。

特に「21st Century Schizoid Man」は、これまでに幾つものバージョンやテイクが残されていますが、個人的には途中での誰かの感極まった叫び声も含めて、このアルバムでの演奏が一番好き♪♪~♪

ということで、決して万人向けではありませんし、プログレ王道の様式美からも無縁の仕上がりですが、ロックジャズが大好きな皆様であれば、納得の1枚だと思います。

そして音の悪さが、だからこそ、良い!

残念ながらリマスターのCDは聴いたことが無いんですが、本当にそう思える数少ないレコードと確信しているのでした。

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今日は苦しいです

2011-05-13 16:09:33 | Weblog

重要会議紛糾中のため、本日の1枚は休載ご容赦願います。

最近、度々で申し訳ございません。

う~ん、しかしそんな時のコーヒーブレイクってのも、実はこれを入力している最中なんですが、油断は禁物!

正直、仁義なき戦いになっているのでした。

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タイガースで大ヒットした英語の歌

2011-05-12 15:12:52 | Pops

Smile For Me / ザ・タイガース (ポリドール)

サイケおやじの世代なら、アメリカ西海岸と同じぐらいに憧れた外国がロンドンだったと思います。

もちろんそこはビートルズやストーンズを筆頭にするブリティッシュビートの聖地であり、つまりは1960年代中頃からのロック先進地帯でしたから、洋楽ファンならば尚更の気持だったのです。

そこで我国の歌手やバンドも、特にGSブーム以降は渡英するのがスタアの証明の如き扱いで、とすれば絶大なアイドル人気を誇ったタイガースも例外ではありません。

なんと主演3作目の映画として企画された「ハーイ! ロンドン(東宝 / 岩内克己監督)」はタイトルどおり、ロンドンロケも敢行され、公開された昭和44(1969)年7月には所謂夏休み作品として話題騒然!

そしてタイアップ(?)で発売されたのが本日ご紹介のシングル曲「Smile For Me」なんですが、驚くなかれ!?! 全篇が英語詩でありながら、爆発的な大ヒットになったのは、既にGSブームは下降線を辿りはじめた頃という実相がありますから、まさに驚異的でした。

もちろん歌詞の中身は、日本人にとっては直に理解出来るものではありませんでしたが、曲メロがジェントルなムードに溢れた抜群の素晴らしさ♪♪~♪ スマートで粋なアレンジとストリングスやエレピが効果的な演奏パートに転調を高音域で見事に歌いきるジュリーのボーカルがジャストミートしています。

そして当然ながら、これはロンドン録音というウリもあって、しかも同じくリアルタイムで抜群の人気があったビージーズのバリー&モーリス・ギブが作ってくれた曲という特別な企画性があるんですからっ!

ちなみに当時のタイガースは加橋かつみが脱退し、岸部シローが参加したばかりという時期でした。しかも既に述べたようにGSブームも終焉間近でしたから、なんとなくジュリーのソロプロジェクト的な作品と言えないことも無いでしょう。

実際、この前作シングルの「嘆き」は、モロにその雰囲気が濃厚でしたからねぇ~。

ただし、「Smile For Me」は、そこではあまり存在感のなかったメンバーによるコーラスが、相当にリアルな使われ方が印象的♪♪~♪ 結果的にタイガース最後の大ヒットになったのもムベなるかなです。

また、気になる本篇「「ハーイ! ロンドン」はタイガースの他に藤田まこと、左とん平、小松まさお等々がコメディリリーフしたドタバタ物でしたが、ジュリーの相手役にはお約束の久美かおり♪♪~♪ しかも彼女が劇中で歌った「髪がゆれている」は、和製ソフトロック歌謡の隠れ名曲でしょうねぇ~♪

ちなみに彼女は実質的にこの映画で芸能界を引退……。告白すればサイケおやじが年末の二番館興業でこの作品を観たのも、全ては彼女の出演が目当てでした。

ということで、まさに昭和44(1969)年を象徴する歌と映画の欧米中華思想!?

今から思えば笑われるかもしれませんが、まだまだ上昇気流のエネルギーに満ちていた日本では、それこそタイトルどおりに笑って許せる出来事でした。

こういう雰囲気こそが、現代に必要なのかもしれません。

コメント (5)
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