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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

そっとしておきたいクリーム

2009-10-11 12:12:35 | cream

Badge / Cream (Polydor)

ロックバンド芸能史で最初に解散記念盤を出したのは、クリームだったでしょうか?

とにかく1969年3月に世に出た「グッパイ・クリーム」というアルバムは、グループとしては初めてチャートのトップにランクされるほどのヒット作になりました。

もちろんこれは解散後に発売された、ある意味ではお金儲けの道具ではありますが、業界のそんな思惑よりは、クリームという偉大なバンドを惜しむファンの気持が、件のアルバムを名盤扱いにしています。

ご存じのようにクリームはエリック・クラプトン(g,vo)、ジャック・ブルース(b,vo)、ジンジャー・ベイカー(ds) というテクニックも音楽性も極めて高い3人が、それこそガチンコでやっていたスーパートリオ! しかもそこには妥協なんて言葉は無かったと言われていますし、人間関係の縺れは日常茶飯事だったとか!?

ですからスタジオセッションでの雰囲気の危なさが、出来あがったトラックにはモロに反映されていたり、またライプステージでは決してナアナアの慣れ合いとは無縁のアドリブ対決が毎度の事でしたから、ファンは何れも、そうした緊張感にスリルを感じていたと思います。

そして行き着く先は当然、解散!

1966年のデビューから2年後の1968年9月には解散声明が出され、同年11月に「さよならコンサート」があって、ついにニューロックを作り上げたクリームは溶けてしまうのですが、その最後の仕事のひとつが、前述した解散記念盤「グッバイ・クリーム」の制作でした。

尤も中身は新録なんて全くありません。録り溜めてあったライプ音源とスタジオでの没テイクに手を入れただけの、所謂レアリティーズです。

そして本日ご紹介のシングル盤は、そこからカットされたスタジオ録音の楽曲なんですが、まず印象的なのが解散という、一般的には悲しい出来事とは全く逆の、実に晴れやかな表情の3人が写るジャケットじゃないでしょうか。これは当該アルバム「グッバイ・クリーム」にも使われていた写真の流用デザインなんですが、まだ世の中の事なんか全然知らない少年時代のサイケおやじは、ちょっと不思議な気分にさせられました。

で、この「Badge」は、今日でもエリック・クラプトンのライプステージには欠かせない演目の初演バージョン♪♪~♪ ご存じのとおり、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンの共作で、ジョージ本人もリズムギターを担当したという、本当に歴史的意義の高いトラックです。

そこにはエリック・クラプトンのリードボーカルとギターソロが、きっちり「お約束」して入っていますが、何よりもグッと惹きつけられるのが、中間部で聞かれる印象的なギターアルペジオの下降リフでしょう。

これはジョージ・ハリスンがビートルズで演じた「Here Comes Sun」にも同じ趣向が確かにありますが、個人的には、こちらが憎めません。

ちなみに私がこのシングル盤を買ったのは「Crossroads」の次で、しかもその時点ではクリームのアルバムは全然買えていませんでしたから、ますますクリーム熱が高くなりました。と、同時に、これで解散という事実にも、せつなくなりましたですねぇ……。

それゆえに後に発売された2枚のライプ盤はリアルタイムでゲットしましたし、公式アルバムも後追いで、思い込みも激しく聴きました。

そしてそうするうちに、やっぱりクリームは解散して良かった……、と思えるようになったのです。何故かと言えば、残されたギンギンドロドロのライプ演奏は、それ自体がリアルタイムの音でしかないのです。つまり1960年代後半の雰囲気しか表現出来ていないと思います。

このあたりは完全にサイケおやじの独断と偏見ですし、実際に同時代を生きた皆様にしても分かってもらえない感覚かもしれません。しかし1970年代に、クリームのような妥協の出来ないライプ演奏をしていたら、それは時代錯誤と言われるでしょう。

またスタジオ録音された楽曲にしても、歌詞の抽象性や曲構成のキメ方が、あまりにも究極まで行っています。つまり基本はトリオでの演奏が、これ以上の発展を許さないスキの無さ! なんですねぇ~。

エリック・クラプトンが後にレイドバックしたり、ジャック・ブルースが懐古趣味的なヘヴィロックに走ったり、またジンジャー・ベイカーが土着のリズムやビートに拘り始めたのも、結局はクリームが良くも悪くも凄すぎたからでしょうか?

ということで、今となっては、そっとしておきたいのが、クリームに対するサイケおやじの心情です。しかし何かのきっかけで、この「Badge」のキメのリフが頭に鳴り響くのは何故でしょう。そっとしておきたいのに……。

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愛しておくれと言われても……

2009-10-10 12:02:22 | Rock

愛しておくれ / The Spencer Davis Group (Fontana / 日本ビクター)

スペンサー・デイビス・グループの代表的なヒット曲♪♪~♪ そしてロック史にも屹立する名演ですが、イギリスの白人バンドでありながら、ここまで真っ黒なボーカルを聞かせているのが、当時弱冠18歳のスティーヴ・ウィンウッドだったという事実に驚愕!

今回、ここに至る経緯については端折りますが、私がスティーヴ・ウィンウッドという天才を強く意識したのはエリック・クラプトンにジンジャー・ベイカーというクリームの残党と結成したブラインド・フェイスを聴いた昭和45(1970)年で、そこから逆走してトラフィック、そしてスペンサー・デイビス・グループへと辿りついたのが真相です。

ということは、私の目当てが完全にスティーヴ・ウィンウッドに偏向していたわけですが、その天才性を楽しむうえでは、このスペンサー・デイビス・グループが究極じゃないか!?! と今は思っています。

で、このシングル曲はイギリスでは1966年11月に発売された、歴史的にはスペンサー・デイビス・グループ第一期の最後に近いものですが、それだけに密度の濃さは大ヒットも当然の素晴らしさ♪♪~♪

ドドドドドッド、ドドドドドッド、と繰り返される低音リフに熱いオルガンがキメを入れるイントロから、ヘイッと掛け声があって歌い出される狂おしい節回しは、スティーヴ・ウィンウッドの持ち味というよりも、本物の黒人シンガーに憧れて辿りついた刹那の境地としか思えません。

しかも繰り返しますが、これで弱冠18歳!

ちなみに当時のスペンサー・デイビス・グループは、当然ながらスペンサー・デイビス(g,vo,hmc) をリーダーにスティーヴ・ウィンウッド(vo,g,key,per)、その兄のマフ・ウインウッドウィンウッド(b)、そしてピート・ヨーク(ds) からなる4人組でしたが、レコーディングではスティーヴ・ウィンウッドがマルチプレイヤーの本領を発揮し、それがライプの現場にも及んでいたようです。

もちろんそれは彼等のブロデューサーだったクリス・ブラックウェルやジミー・ミラーの導きもあったのでしょうが、何よりもバンマスのスペンサー・デイビスが自分の力量を自覚していたというか、ある意味での度量の大きさだったのかもしれません。

またスペンサー・デイビス・グループは、黒人ブルースやR&Bに深く根ざした音楽性ゆえに、残された音源にはカパーの楽曲が多いのですが、この「愛しておくれ / Gimme Some Lovin'」はスペンサー・デイビスとウィンウッド兄弟の共作オリジナル♪♪~♪

ここにようやくバンドの方向性が決まったという記念すべきシングル曲で、さらに翌年には進化形とも言える「I'm A Man」を発表しています。

しかし、そのレコーディングに助っ人参加したのがジム・キャバルディとクリス・ウッド、つまり後のトラフィック組だったことから、恐らくはここでスティーヴ・ウィンウッドと息投合したのでしょう。新しい道を進み始めた天才は、スペンサー・デイビス・グループから独立するのです。

ということで、繰り返しますが、私の場合は後追いでスティーヴ・ウィンウッドとスペンサー・デイビス・グループを聴いたので、そんな冷静な判断も可能なのでしょう。このシングル盤にしても、昭和46(1971)年に中古で入手したものです。

しかしLPは当時の日本では、なかなか入手しずらい環境でした。もちろんシングルとして発表された楽曲はオリジナルアルバムには再収録しないという、イギリス特有の不文律もあり、それゆえにスペンサー・デイビス・グループやスティーヴ・ウィンウッドの音楽性を鑑みれば、不完全燃焼気味のベスト盤では満足出来るはずもありません。

そんなこんなから、私がイギリスプレスのオリジナル盤という世界に、バンドやグループを問わずに足を踏み入れたのも、このシングル盤が、ひとつの契機だったようです。

また、この「愛しておくれ」のアメリカ盤シングルのバージョンは、バーカっションを加え、さらにエグミの強いミックスに変えられたという、極めて特殊な味わいがヤミツキになりますよ。

このあたりのCD復刻は最近になって纏められたようですから、ぜひとも皆様にはお楽しみいただきたいところです。

最後になりましたが、このイケてないルックスのジャケ写は、当時としてはアイドル性とは無縁の実力派バンドの証でもありますが、それゆえにイマイチ、我国でブレイク出来なかったのかもしれません。

その意味では邦題も凄すぎます。

あぁ、リアルタイムで聴きたかったですねぇ~。

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ビートルズ来日公演にアイム・ダウン!

2009-10-09 12:28:41 | Beatles

I'm Down / The Beatles (Parlophone / 東芝)

本日のご紹介はビートルズの大ヒットシングル「Help」のB面に収録された、ポール・マッカートニー渾身のオリジナルR&R! 良く知られているように、来日公演のラストナンバーとしても、有名だと思います。

で、今日は少年時代のサイケおやじが経験したビートルズの来日について、ちょっと書いておきます。

まず今では歴史の狂騒ですが、当時の我国では、確かにビートルズ熱は沸騰していましたが、その時点ではベンチャーズやアストロノウツといったエレキインストのバンド、あるいはキングストントリオやビーター・ポール&マリー等々のフォークソングのグループ、そして歌う映画スタアとなっていたエルビス・プレスリーの人気も同等に高かったと記憶しています。

そして昭和41(1966)年4月、ビートルズの来日公演が決定のニュースが流れた時も、最初は「騒動」とは些か縁遠い感じだったと思います。それは主催が読売新聞だったことから、他のマスコミが冷ややかだった所為かもしれません。

ところが実際にチケットが販売される段になって、急激に騒ぎが大きくなるのです。

それは公演が6月30日と7月1日、東京だけで3回しか行われず、しかもチケットがハガキによる申し込み! それも個人名義で1人1枚限りに限定されていたのですから、会場が日本武道館で収容人員が1万人以上であったとしても、難関には違いありません。

というよりも、この頃から女性週刊誌や芸能誌が必要以上にビートルズ熱を煽るような報道を展開し、もちろんそれは女性ファンを狙い撃ちにした商魂優先の企画ではありましたが、他の一般マスコミがそれに追従したのは言うまでもありません。

当然ながら読売系列はビートルズに好意的でしたが、あとは音楽マスコミを除いて、概ね批判的であり、中には日本武道館を使用する事だけで売国的行為と決めつける報道さえあったほどです。

そこでサイケおやじ周辺のチケット騒動なんですが、まず従姉がどうしても行きたいということで、私も含めて父母や妹の名前も使って申し込んだのですが、全てハズレ……。もう従妹は半狂乱という醜態でした。

しかし捨てる神あれば、なんとやら♪

もう2回の追加公演が決定し、しかも某歯磨きメーカーの素晴らしきご配慮により、当社製品の空き箱を送ると抽選でチケットプレゼントの企画が発表されるのです。他にも某お菓子メーカーで同様の企画があったと思いますが、この頃になると私もゲーム感覚で従姉に加担し、歯磨きの空き箱を集めて合計3口送ったところ、なんと7月2日のチケットが2枚も当たったのです♪♪~♪

ところが今回も従姉は大ハズレ……。

当然ながら我が家に当たったチケットの1枚は従姉に回すことになり、もう1枚は隣の町医者で働いていた看護婦のナナちゃんにあげることになったのです。なにしろ「エレキは不良」でしたから、小学生の私は……。

あぁ、今となっては痛恨の極みなんですが、何故か当時の私は、それほど残念とは思いませんでした。テレビ放送があることも発表されていましたし、次の来日公演に行ければOK、なんて楽観していたのです。う~ん……。

で、いよいよビートルズがやって来ると、それはとんでもない騒ぎになっていました。マスコミのトップニュースは完全にビートルズの一挙手一投足であり、宿泊していたホテルから武道館や皇居周辺には警察官が大量動員され、各所で交通規制や検問まで行われていたのです。もう、いくら世界一のビートルズだと言っても、極言すれば単なるロックバンドに、これですからねぇ~。今、大物政治家が東京に集まったとしても、これほどの厳戒態勢は無いと確信するほどです。

そして肝心のライプ公演とテレビ放送なんですが、まず6月30日の最初のステージが終わった翌日の新聞やテレビ、そしてラジオでは、とにかく熱狂が大きく伝えられ、案の定、演奏や歌は歓声にかき消されていたとのレポートがありました。つまり集まったファンの狂騒が中心の報道だったのです。

しかし同日、つまり7月1日の夜9時からテレビ放送されたビートルズのライプステージでは、歌と演奏が明瞭に楽しめました。これは、その日の昼の部の公演だったんですが、とにかくカッコ良さは最高!

ちなみに番組そのものはカラー放送だったらしいのですが、我が家のテレビは当然ながら白黒でした。

また番組の構成なんですが、まず羽田空港への到着から記者会見、日本人バンドによる前座があって、ビートルズのライプは約30分でしたが、ジョンが自然体で歌う「Rock And Roll Music」から最新曲の「Day Tripper」や「Paperback Writer」までも含んだ演目は、非常に生々しい魅力がありました。

ただ、同時にビートルズが映画「ヤァ!ヤァ!ヤァ! / A Hard Day's Night」で披露していたイケイケの姿勢が、些か薄れていたようにも感じました。それは中盤での「Baby's In Black」や「Yesterday」といった穏やかな楽曲の所為でもあり、また後で他のライプ映像を様々に鑑賞した結論として、どうも1966年頃のビートルズはライプの現場でのテンションが下がっていたように思うのです。

しかしそれはリアルタイムのビートルズが発表していた「ラバーソウル」や「リボルバー」といった傑作アルバムに繋がる曲、例えばジョージが12弦のエレキギターを弾きながら歌ってくれた「恋をするなら / If I Needed Someone」、あるいはキメのコーラスも印象的な「ひとりぼっちのあいつ / Nowhere Man」での強い印象として何時までも余韻が残るのです。

そしてオーラスはポールが熱唱した本日ご紹介の「I'm Down」ですからねぇ~♪

まさに様々なモヤモヤをブッ飛ばす勢いが強烈至極! 所謂「のっぽのサリー」タイプの焼き直しではありますが、これはポール・マッカトニーでしか歌ってはいけない世界でしょうねぇ~♪

ちなみにレコードや以前のライプパフォーマンスでは「お約束」だったジョンのオルガンは、ちゃんとステージに用意していあったにもかかわらず、やってくれませんでした。

まあ、そんなことは後で知ったことで、私の本音としては前座の日本人バンド、もしかしたらドリフターズの荒井注が片付け忘れたのかと思っていたのですが……。

ということで、正直に告白すると、ビートルズの来日ステージでは「I'm Down」が一番に最高だと感じていました。

ところが「I'm Down」はその頃、日本で発売されていたLPには収録されておらず、したがって「Help」のシングル盤か4曲入りのコンパクト盤をゲットする他はなかったのですが、既に「Help」のアルバムを持っていた私としては、経済的な問題から非常に辛い決断を迫られました。

しかし、ここにも救い神が♪♪~♪

前述した看護婦のナナちゃんが所有していた、このシングル盤をプレゼントしてくれたんですねぇ~~♪ この時は本当に彼女が女神様に見えたほどです。

ということで、これが私のビートルズ来日騒動の簡単な顛末です。

そして音楽的な云々よりも、決定的に印象に残ったのは、繰り返しますが、ビートルズの「自分達で演奏して歌う」姿でした。失礼ながら前座に登場したブルーコメッツや尾藤イサオ、望月浩、内田裕也……等々がダ~サく思えましたよ。気になるドリフターズはステージの上を走りまわっていた姿しか記憶していません。

このあたりは当時の我国でバンド活動をやっていたプロアマの諸氏にも感じられたに違いなく、ビートルズの来日を契機として日本のロックがインストから所謂グループサウンズ=GSへ進化していったと思われます。

最後になりましたが、このテレビ放送用のソースは実質的に2回録画され、リアルタイムでの放送には7月1日の昼の部が使われました。また、もうひとつの6月30日のライプは、昭和54(1979)年に「たった一度の再放送」と称された時に使われ、同時にビデオソフト化もされています。

そして当然ながら、今日では両日の映像がオマケも含めて海賊版DVDとなっていますが、これも貴重な昭和の歴史として、公式な映像ソフト化が強く望まれるのでした。

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フィンガーズ最期のニューロック歌謡

2009-10-08 12:36:15 | 日本のロック

Love Me! / ザ・フィンガーズ (キングレコード)

日本の名人ロックギタリストと言えば、その創成期から寺内タケシ、三根信宏、石間秀樹……等々、次々に名前が浮かんで尽きることはありませんが、本日ご紹介のフィンガーズに在籍していた成毛滋! この人も絶対に欠かせません。

メジャーに登場したのは昭和41(1966)年のテレビ番組「勝ち抜きエレキ合戦」だと思いますが、その驚異的な早弾き、メカニカルなマシンガンフレーズを駆使したギターテクニックには、我国ばかりか、欧米からも「東洋の奇蹟」とまで称賛されました。

そして当然ながら正式にレコードデビューした時には、輝けるエレキインストの新星だったわけですが、既に時代はGSブームが爆発し、ボーカルバートが必須の流れということで、昭和43(1968)年頃には本物指向のロックバンドに変化しています。

しかし結論からいうと、フィンガーズは失礼ながら、それほど大きな成功を手にしていないと思います。

エレキインスト期の昭和42(1967)年には、今聴いても凄すぎるシングル盤を3枚残しているのですが、いずれもヒットせず……。またアイドル風味も強めたGS期にも3枚のシングル盤を出していますが、その最初の2枚では、ウリになっていた成毛滋のギターが、意図的に引込められた感があります。なんというか、ストリングスが多様された甘々ソフト路線なんですよねぇ……。極言すればオックスか!? タイガースか!? ってなもんです。

しかし、ついに解散間際の昭和44(1969)年6月に発売された本日ご紹介のシングル盤、それもB面において、素晴らしいニューロック歌謡が完成されるのです。

当時のメンバーは成毛滋(g)、高橋信之(g,vo)、クロード芹沢(key)、シー・ユー・チェン(b,vo)、松本幸(ds) とされていますが、実際は流動的だったとか!?

で、この「Love Me!」なんですが、ズパリ! クリームスタイルの歌謡ロック!

イントロからファズが効きまくったヘヴィなエレキギターが炸裂し、エッジの鋭いドラムスのピート、グリグリに蠢くエレキベース、さらにボーカルやコーラスに顕著なエコーが、完全にクリームの素晴らしき世界スタジオ盤の趣です。

しかもR&B風味のホーン、ハナからケツまで唸っては泣きまくる成毛茂のギター! 曲メロと歌詞そのものが、刹那のムードで満たされているのも「お約束」以上です。

もう、これを聴かずして、日本語のロックなんてものは成り立ちませんよ♪♪~♪

な~んて、本日も独断と偏見に満ちているサイケおやじですが、現実的にはA面収録の「失われた世界」が甘いメロディと気恥ずかしくなるような歌詞をチェンバロで彩ったソフトロックの歌謡曲だったことを思えば、それはそれで素敵なんですが、果たしてどちらがバンドのやりたかった事なのかは、直後のフィンガーズの解散が物語っているように思います。

ご存じのように成毛滋はフィンガーズを解散した後、ヴァニラクリームやジプシーアイズといった真ニューロックの伝説的なバンドを経て、1971年にはストロベリー・パスを結成! この頃、私が体験したライプでは、右手でキーボード、左手でギターの音を出すという、当時としては全く理解不能な神秘的テクニックを披露して、観客のド肝を抜きました。

ということで、日本のロックをニューロックへと進化させたのは成毛茂が、そのひとりとして絶対です。

現在では伝説の彼方にいる偉人としてのエピソードが独り歩きしている感じですが、ファンがース時代に残されたレコードこそが、その源でしょう。特に、この「Love Me!」は、ぜひとも聴いていただきたい名曲名演だと思います。

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スワンの涙は歌謡ロックか?

2009-10-07 11:43:43 | 歌謡曲

スワンの涙 / オックス (日本ビクター)

昭和元禄を象徴するグループサウンズ=GSの大ブームは、日本のロックの本格的な夜明けだったと思いますが、同時に歌謡曲の全盛期でもありました。

と言うのも、GSはロックバンドの形態を標榜していながら、明らかに最初っから歌謡曲ノリを露わにしていたグループも多数あり、また彼等に楽曲を提供していた職業作家達が、如何に日本芸能界の伝統と新しい音楽の共存を模索する結果だったと思います。

と、まあ、些か固い書き出しになりましたが、平たく言えば日本語のロックは歌謡曲の発展系が一番売れるという事実が確かあって、本日ご紹介のシングル曲は、その最右翼かもしれません。

演じているオックスは大阪で結成され、GSブームが全盛の昭和43(1968)年春に正式デビューしたバンドですが、それまでのキャリアを活かした所謂「売れセン」狙いを最高の形で表現出来た実力は流石だと、今は思っています。

メンバーは野口ヒデト(vo)、岡田志郎(g,vo)、赤松愛(org,vo)、福井利男(b,vo)、岩田裕二(ds,vo) というルックスにも恵まれた5人組でした。そして中性的なイメージと過激なステージパフォーマンスのコントラストが強烈な人気を呼び、特にライプのクライマックスでメンバーが失神する演出が大評判! 感情移入しすぎたファンの女の子達が、一緒に真実の失神をしてしまう騒動が各地で頻発したのですから、それは忽ち社会問題化したほどです。

今日ではオックスが歌謡曲どっぷりのバンドだったという認識は、確かにあるでしょう。昭和46(1971)年頃の解散後、野口ヒデトが真木ひでとに改名し、演歌歌手に転身したことも、そういう部分を強調する結果になったと思います。

しかし私も実際に体験したオックスのライプステージは、ロック以外の何物でもありませんでした。メンバーのアクションは必要以上な動きもある、本当にド派手なものなんですが、それが演奏の荒っぽさと巧みにリンクして、まさに一期一会の熱気を巻き起こしていたんじゃないでしょうか。

ちなみにこの時はスーパーの駐車場みたいな野外のステージだったんですが、集まった女の子というか、お姉さま達の化粧品の匂いとか、失礼ながら痴態嬌態としか思えない熱狂は、今も生々しい記憶になっています。、

そこで、この「スワンの涙」なんですが、実質的にはオックスの3枚目のシングル曲として昭和43(1968)年末に発売された大名曲! もちろん作詞:橋本淳、作曲:筒美京平という黄金コンビの傑作として、昭和歌謡史に燦然と輝く大ヒットになっています。

まず女々しい男のメルヘンチックな恋心を綴った歌詞を彩るメロディが、もう抜群! そしてベタなストリングを前面に出したアレンジを支える、些かチープな音色のエレキベースが、なんとも味わい深いんですねぇ~♪ シャン、ララン、ラン~♪ という覚え易い合いの手コーラスも、たまりません。しかも後々になって気がついたのですが、こういうビートでのストリングの使い方って、当時のアメリカ南部系歌謡ソウルに通ずるものがあったんですねぇ~♪

また間奏で独白する野口ヒデトの台詞が、もう気恥ずかしいほどです。

これはカラオケじゃ、絶対に歌えませんよねぇ。

しかも曲の構成が、もしかしたら、未完の2曲を合体させたような、つまりサビが二度あるような密度の濃さは、前半部分と曲終りのパートでは、雰囲気が異なるといって過言ではないのです。う~ん、凄い!

ですから、レコーディングセッションの現場にメンバーが演奏で関わっている部分は少ないと思われますし、実際、テレビの歌番組ではカラオケで演じられることもあったと記憶しています。

そして、これを聴いてファンになり、実演ライプへ出かけた女の子達が、オックスのド派手なワイルドアクションに圧倒され、泣きながら歌うようなパフォーマンスに感情移入した末の失神も、本当にステージと客席が一体となったロック的な至上の愛!

しかし、それも長続きはしませんでした。

あまりにもロックの本質を体現したライプが「騒動」だと大人達からは批判され、ついに会場の貸出がストップされたり、GSのやること全てが反社会的なものと糾弾されるのです。また、ちょっと前にあった「エレキは不良」なんていう戯言が蒸し返されたのも……。

ちなみに「オックスの失神騒動」が大々的にマスコミに取り上げられたのは昭和48年初秋頃ですから、この「スワンの涙」が発売される直前というのも、微妙なところでした。

結果的にGSブームは、この頃から勢いを失い、その多くは急速に歌謡曲へ傾斜していくグループと過激なニューロックへ走るバンドのふたつに流れが変わっていきました。

もちろんオックスは前者であり、ほとんどムードコーラスのグループが如き、ズブズブの歌謡曲を歌っていくのですが、それとて今となっては、なかなか味わい深いのです。

というか、その意味では「スワンの涙」が所謂歌謡ロックの元祖のひとつかもしれないのです。

う~ん、何度聴いても、大名曲!

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バイク好きの芸

2009-10-06 10:03:59 | 歌謡曲

番長シャロック / 梅宮辰夫 (テイチク)

サイケおやじはバイクが好きです。

これは多分、父からの遺伝でしょう。なにしろ物心が覚束ない頃から、父のバイクのタンク部分に乗せられ、嬉々としている写真が残っていますし、その当時、熱したバイクのエンジンで足に火傷した記憶も生々しいのです。

で、そんな子供でしたから「月光仮面」に熱狂し、「少年ジェット」にシビレたのは言わずもがな、青春時代は洋画の「乱暴者」や「ワイルド・エンジェル」、そして「イージー・ライダー」の世界にどっぷり♪ もちろん16歳で自動二輪の免許を取得してからはバイク乗り回しです。また愛読漫画が「ワイルド7」だったのは言わずもがなでしょう。

そして、中でも特に強烈なインパクトを与えられたのが、東映の「不良番長」という作品でした。

その宣伝ポスターには梅宮辰夫や谷隼人がカッコ良くバイクに乗り、スチールにもアクションとエッチ場面があったのですから、私は直ぐに観たいっ!

と思ったのも束の間、なんと同時上映が「徳川女刑罰史」では、中学生の私が映画館に入るのは無理というものです……。その後この作品はシリーズ化されますが、第2作「猪の鹿お蝶」が、またまた「セックス猟奇地帯(昭和44年・中島貞夫監督)」の添物とあっては……。

結局、私がこの作品を観たのは封切から2年後、某名画座での「不良番長」3本立てがあってのことです。しかもその頃はテレビでエロアクションの最高峰「プレイガール」が放送されており、そのレギュラーだった沢たまき、應蘭芳、桑原幸子が出ている上に、やはりバイクアクションで新宿をブッ飛ばした「野良猫ロック」を観ていたので、気分は、もう、観る前から高揚の極みでした。

ところが、実際には仰天というか、失望というか、とにかく全く別な世界を覗いてしまった違和感が……。

このあたりの詳しい内容については、拙サイト「サイケおやじ館」に掲載の「不良番長の中毒世界」をご一読願いたいところですが、基本はバカ映画とはいえ、明らかにクセになる魅力がいっぱい♪♪~♪

梅宮辰夫の銀幕での代表作といえば、間近い無く「不良番長」シリーズでしょう。

そして本日ご紹介のシングル曲は、そのメインテーマとも言うぺき、梅宮辰夫の名唱が楽しめます。

曲調は、なんというか、お気楽ロックの歌謡曲的な展開で、もう聴いていただく他はないんですが、その刹那的な調子の良さは絶品! ブラスの使い方は痛快ですし、リズム隊の仄かなファンキー度数も良い感じ♪♪~♪

映画で使われたのはシリーズ3作目の「練鑑ブルース」が最初でしたが、こうしてシングル盤化されたのも、最初からのヒット狙いだったと思います。ちなみに当然ながらフィルム音源とは異なるバージョンですから、梅宮辰夫の歌もグッとクールな熱気が素晴らしい限りなんですが、正直言えば、映画の中で流れてこそ、さらなる魅力があるのは否めません。

まあ、それはそれとして、告白すれば、この曲は私の宴会芸の持ちネタでもあります。

実は、おそらくは体質的なもんでしょうが、サイケおやじは酒に酔うということが、ほとんどありません。それでも最初のうちは幾分、気持も良くなるんですが、飲むほどに頭が冴えてくるというか、客観的になってしまいます……。

ですから、お前とは腹を割った話が出来ない、と言われたこともありますし、酒席では自分だけが浮いているのを感じたことが度々でした。また酔っ払いの介抱とか清算の仕事を押し付けられるのも、毎度の仕儀……。

そこで、その場に溶け込むためには「芸」が必要という事情から、単なるカラオケではウケないので、ついに昔から愛用の皮ジャンを着こんで、ジャケ写のような帽子も調達し、この「番長シャロック」を歌うという境地に辿りついたのです。

実際、最初にウケた芸が、これだったのも、嬉しかったですねぇ~♪

他にも小林旭の「ギターを持った渡り鳥」とか、同じ皮ジャン物では、尾藤イサオで有名な「悲しき願い」とか、いろいろやったんですが、やはり自らのバイク熱があってこその入れ込み具合が、結果オーライだったのかもしれません。

ということで、だんだんと芸に熱が入っていったサイケおやじは、劇中の名セリフ、オトボケの名場面を取り入れながら、不良番長の世界を僭越ながら演じていた時期が、確かにありました。

もちろん、毎度のマンネリから、軽く見られることは百も承知なんですが、酒に酔わずに、そのフリをすることに比べれば……。

そして昨夜も、久々にやってしまいましたが、なによりも自分が楽しいければ、それで良いと思うのでした。

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深くて黒い転石世界

2009-10-05 12:38:57 | Rolling Stones

決定版! ローリング・ストーンズ・デラックス (Decca / キングレコード)

これは私が初めて買ったストーンズのLPです。

発売されたのは昭和43(1968)年11月末でしたから、私がゲットしたのは翌年のお正月、お年玉を使いました。

実は度々述べてきたように、私が本格的にストーンズ命の世界に入ったのは同年に出た「Jumpin' Jack Flash」に狂わされてからです。そして初めて聴いたストーンズのアルバムにしても、従姉から借りた「あなたが選んだゴールデンアルバム」という、日本編集のベスト盤でした。

それなのに、なんでまた、ベスト盤を?

という疑問は至極当然だと思いますが、それは収録曲目で、ご理解願えると思います。

 A-1 Time Is On My Side
 A-2 Pain In My Heart
 A-3 Mona / 愛しのモナ
 A-4 Cry To Me
 A-5 Everybody Needs Somebody To Love
 A-6 I Wanna Be Your Man / 彼氏になりたい
 B-1 Heart Of Stone
 B-2 Can I Get A Witness
 B-3 2120 South Michgan Avenue
 B-4 If You Need Me
 B-5 I Can't Be Satisfied
 B-6 Walking The Dog

どうです、この真っ黒にシブイ選曲♪♪~♪

前述「あなたが選んだゴールデンアルバム」が、「黒くぬれ!」「涙あふれて」「一人ぼっちの世界」、そして「Satisfaction」や「夜をぶっとばせ!」等々、真にストーンズの大ヒット&人気曲を集めていたのに対し、こちらは実にマニアックでありながら、全くストーンズの本質をズバリと突いたプログラム! 今もって秀逸だと思います。

しかし若き日のサイケおやじは、そんな事に気がつく道理もなく、ただ「あなたが選んだゴールデンアルバム」とは異なるベスト盤が聴きたかっただけなんですが、それにしても、この熱い歌と演奏にはシビレましたですねぇ~~♪

ちなみに当時はモータウンやアトランティック系の黒人R&Bが、ようやく我国でも人気を集めていた時期でしたし、そのあたりの流行を察知して組まれた特殊形態のベスト盤という意図があるのかもしれません。

そして見事にその思惑に狙い撃ちされたのが、サイケおやじでした。

特に「Walking The Dog」や「Everybody Needs Somebody To Love」、そして「Pain In My Heart」や「If You Need Me」といった深南部系R&Bには、完全にやられましたよっ!

また同時に、「Time Is On My Side」や「Heart Of Stone」あたりの、所謂ストーンズ流儀の泣きのパラードにも感涙したのですが、こういう世界は明らかにビートルズでは感じることの出来ない、別物の魅力に目覚めたのです。

その意味で、ビートルズと競作になっている「彼氏になりたい」には、ちょっと……。

実はご推察のように、私はそれまでストーンズのアルバムはもちろん、ヒットシングル曲にしても、ほとんど意識して聴いていませんでした。何故ならば、当時はビートルズがなんでも一番! ストーンズだって、その他大勢のポップスバンドと同じ扱いだったんですよっ、信じてもらえないでしょうが……。

それと不思議な魔力に吸いつけられたのが、シカゴブルースへの愛情コピー「I Can't Be Satisfied」でした。そしてブライアン・ジョーンズが弾くスライドギターこそが、演奏の要と知るのです。

ということで、いよいよストーンズという魔界に足を踏み入れたサイケおやじの、今日は最高にぶる~~すな1日になりそうですから、ついつい、こんなアルバムを朝から聴いてしまったというわけです。

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売れっ子すぎた小山ルミ

2009-10-04 12:04:03 | 歌謡曲

初めてのデートc/wわたしの祈り / 小山ルミ (日本ビクター)

サイケおやじの世代では、ハーフ系美人女優や歌手には、きっとノー文句でシビレる皆様が大勢いらっしゃるに違いない!?! と、私は決めつけてしまうんですが、中でも小山ルミは昭和40年代の我国芸能界では特に忘れられないひとりでした。

私が彼女を意識したのは、何時だったのか……?

それは多分、若者向けのモーニングショウとして人気があった「ヤング720(TBS)」のマスコットガールとして登場した昭和42(1967)年頃が最初だったと思います。当時の彼女は確か中学生だったと思うのですが、ハーフ特有の目立つ容姿、キュートな笑顔が、とにかく愛くるしい限りでしたねぇ~♪

そのプロフィールについては当時も今も、例えば中学では女番長=スケバンだったとか、札付きの不良少女だったとか、様々に言われてきましたが、芸能界に入ってからは、自らの魅力を一途に活かす熱心さが、同時代のデビュー組の中では飛びぬけていたそうです。

ちなみに彼女は昭和27(1952)年生まれで、父親はアイルランド系、母親は日本人というハーフで、テレビでのデビューは昭和42(1967)年、大勢のセクシーアイドルを誕生させた伝説のテレビ番組「ビートポップス(フジテレビ)」のゴーゴーガールだったそうですが、私の記憶では、それほどはっきりしません。

しかし前述の「ヤング720」では翌年秋に司会へと昇格し、また女優業や歌手活動も活発化していくのです。

そして本日ご紹介のシングル盤こそが、小山ルミの歌手デビュー作♪♪~♪

A面は如何にも昭和43(1968)年という、乙女心のせつなさを歌った歌謡ポップスの決定版♪ ちょいと演歌色も強いのですが、キメのストリングスアレンジとサビのメロディ、さらに小山ルミの素直にして一生懸命な歌唱が、ハッとするほど良い感じですねぇ~♪

また意図的にエコーを強めたサウンド作りや強いビートを演出するエレキベースの存在感も、歌謡曲全盛時代を証明していると思いますし、聴くほどに小山ルミの歌いっぷりが、意想外の黒っぽさを表出しています。

それはB面収録の「わたしの祈り」で尚更に顕著というか、実はこれこそ、和製R&B歌謡の隠れ名曲にして、完全に私好みの名唱なんですねぇ~♪

初っ端からジャズロックな低音ピアノ、それに寄り添う重いピートのエレキベースとエグイ音色のエレキギター低音弦奏法、さらに黒いテナーサックスにピシっとキメまくりのドラムスで作られるイントロ♪♪~♪

もう、これだけで歓喜悶絶のところへ、王道歌謡路線を強く意識したマイナー調の曲メロを、まるでトランシーバーでも通したような「ひしゃげた」声質で、小山ルミがグサッと歌ってくれるんですから、たまりません。

全世界の歌謡曲ファンには、絶対のマストアイテムになること、請け合いの名演だと思います。

しかし、これほどのレコードを作りながら、この2曲はほとんどヒットしていません。

それは決して彼女の歌がダメだったわけではなく、小山ルミというタレントが女優としては映画やドラマに、またバラエティやCMにも絶え間無く出演し続けていた、まさに売れっ子すぎる事情によるものでしょう。つまり歌手活動に専念する時間がなかったのです。

ちなみに当時の彼女が出演した映画は多数ありますが、拙サイト「サイケおやじ館」でもご紹介した渡哲也の主演作「大幹部 / 殴り込み(昭和44年8月・日活・舛田利雄監督)」が、個人的には強い印象となっています。

そうした状況の中、昭和44年頃にはグループサウンズのボーカリストとして、一歩進んだロックバンドのような活動も計画されていたようですが、現実にはテレビやスクリーンでの仕事が優先され、あるいは加藤茶との恋愛問題から様々なスキャンダルで世間を騒がせています。ちなみにこの時期、彼女の妹分として結成され、デビューしたのが、あの高村ルナが在籍していたゴールデンハーフでした。

ということで、歌手としての小山ルミが本格的にブレイクしたのは昭和46(1971)年に出した「さすらいのギター」のウルトラ大ヒット♪ これは厳密には違いますが、所謂ベンチャーズ歌謡の亜種としてウケまくったのです。

そしてこの頃にはセクシー歌謡路線のトップスタアとなり、抜群の人気を集めています。なにしろレコードジャケットはミニスカ、セミヌード、水着、ホットパンツ等々が大サービスされ、ライブステージはもちろんの事、テレビでもキワドイ衣装で歌い、踊っていましたから、お茶の間は気まずい雰囲気に満たされることも度々でしたねぇ~♪

ご存じのように小山ルミは以降もヒット曲を連発しながら、本格的なミュージカル等々、さらなる飛躍を求めて昭和49(1974)年4月に渡米、日本の芸能界から去っていきました……。そして翌年にはロスに在住していた宝飾デザイナーと結婚、引退しています。

しかしそうなっても、いや、それだからこそ、私は本日ご紹介のデビュー盤が決して忘れられないのです。

今となっては小山ルミがセクシーアイドルなのか、はたまた歌手として記憶されているのか否か、定かではありません。しかし残された音源、楽曲は全てが粒揃い! 近年は復刻も進んでいるようですが、願わくばコンプリートのボックス物を熱望しています。

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ビー・ジーズの基本姿勢

2009-10-03 11:44:44 | Pops

Massachusetts / The Bee Gees (Polydor)

我国で最も有名なイギリスのグループのひとつに、ビー・ジーズがあります。

ご存じ、バリー、ロビン、モーリスのギブ三兄弟が中心となった所謂ファミリーグループで、1960年代前半から本格的な活動を開始していますが、その音楽性は決してロックではないと思います。

しかしビー・ジーズは卓越したメロディセンスとシンプルなコーラスワーク、そしてハートウォームでありながら同時に併せ持つクールな雰囲気が、他のバンドの追従を許さない魅力じゃないでしょうか。

その初期にはオーストラリアで局地的なヒットを出していたことから注目され、ついに本国イギリスで大々的に再デビューしたのが1967年の初頭でした。しかもマネージメントがビートルズと同じブライアン・エプスタインが率いるネムズ・エンターブライズだったのもラッキーだったと思います。

当時のメンバーはバリー・ギブ(vo,g,key)、ロビン・ギブ(vo,g,key)、モーリス・ギブ(vo,b)、ヴィンス・メロニー(g)、コリン・ピーターセン(ds) という5人組で、まずは「ニューヨーク炭鉱の悲劇」が英米でヒットしていますが、続く幾つかのヒットの中、我国で最初にブレイクしたのが、本日ご紹介のシングル曲だと思います。

これは既に英米では前年に大ヒットしていたウルトラ級の素敵なメロディ♪♪~♪ ですから昭和48(1968)年に発売されるや、バリー・ギブのハイトーンボイスも印象的な、その哀愁のコーラスサウンドが日本中でウケまくったのは当然が必然でした。

もちろん、その頃が全盛期だったGSのバンド、あるいはカレッジフォーク系のグループや歌手が、挙って持ちネタにしていたのは言わずもがなです。

しかし好事魔多し!

なんと絶頂期にロビン・ギブが独立し、続いてヴィンス・メロニーとコリン・ピーターセンも脱退するという分裂騒動から、ついにビー・ジーズはバリーとモーリスの2人組になるのです。

このあたりのあれこれは、当時の我国音楽マスコミでも特にゴシップ的な報道がなされたと記憶していますが、実はこのゴタゴタがあったおかげと言うか、ビー・ジーズは何とか生き残りをかけてロック化計画を進展させていったのは、後の再ブレイクを思えば不幸中の幸いだったかもしれません。

そして1971年になり、ビージーズの過去の音源から捜し出された「Melody Fair」が、映画「小さな恋のメロディ」に使われ、特に日本で大ヒット♪♪~♪ その爽やかにして芯の強いボーカルハーモニーが再び人気を集めたのですから、ついにビージーズがギブ三兄弟によるリユニオンとなったのは、これまた当然の流れでしたし、新たに力強いソフトロック路線で生み出された楽曲も、なかなか魅力がありました。

ただし我国での人気沸騰とは逆に、英米ではやはり落ち目の三度笠……。

それがまさか、1975年頃からのディスコ路線で息を吹き返すというよりも、世界中を大フィーバーさせるとは、想像も出来ませんでした。もちろんサイケおやじは、そんな快楽ファルセットを駆使したビー・ジーズも大好きなんですけどねぇ~♪

そこで「Massachusetts」なんですが、この誰もが口ずさめる、まさにメロディラインを大切にしたサウンド作りこそが、ビー・ジーズそのものだと思うんですよ。

ディスコ路線による一連のヒット曲にしても、フロアで踊っている人の大部分が、何かしらビートよりはメロディに酔わされていたのが、真相だったのかもしれません。

極限すれば、ビージーズって、周りがどんな状況になっても、基本姿勢を変えることが出来ない体質で、そこが魅力じゃないでしょうか。初期のある意味での歌謡ポップスも、第三期黄金時代のディスコ路線も、実は本質にそれほどの変化はなくて、それゆえの大ヒット♪♪~♪

本当に、そう思います。

最後になりましたが、ジャケットにはご丁寧に「Massachusetts」の地理的な説明がイラストで入っているのも、グッド・オールディーズの楽しみなのでした。

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8マイルの衝撃

2009-10-02 11:39:01 | Byrds

霧の8マイルc/w禁じられた願い / The Birds (Columbia / 日本コロムビア)

少年時代のサイケおやじがビートルズよりも好きだったのが、ザ・バーズという告白は「Mr. Tambourine Man」の項でも書きましたが、本日ご紹介の「霧の3マイル / Eight Miles High」にも、まさに8マイル先の霧の彼方へブッ飛ばされたような衝撃を受けました。

いきなりドンドロドロドロド~ン、という、恐らくはエレキベースとエレキギターの低音弦奏法をメインに作られたオドロの雰囲気からビョ~~ン、ギンギラギ~ンという摩訶不思議な音色のエレキギターが鳴り響く、実に強烈なサイケデリックイントロからして強い印象!

さらに倦怠して幻想的な「エ~ィ、マイ~ル、ハ~イ」という曲メロのキメコーラスが、いきなりのクライマックスという凄まじい歌と演奏でしたから、これをラジオで最初に聴いた瞬間、私は金縛り寸前でしたねぇ~~♪

それは昭和41(1966)年の事で、当時はベンチャーズやビートルズが我国でも圧倒的な人気を集めていたわけですが、少なくとも「霧の3マイル」に関しては、バーズのやっていたことが、そのどちらとも異なる、本当に異様なムードに感じられました。

このあたりは今日、スペースロックとかラーガロックとか称され、きちんと評価されていると思います。しかしリアルタイムの私には、理解の範疇を超えていたのは確かですし、それでいて非常に魅惑的な「何か」がありました。

う~ん、なんというか、分からないけど、凄~い!

で、当時のバーズはフォークロックで人気絶頂ながら、次なる展開を模索していた過渡期でしたから、バンド内部の人間関係や権力のバランスが微妙な状況だったのは、今日の歴史に記されているとおりです。

一応は中心人物とされるロジャー・マッギンにしても、エレキの12弦ギターを使った独得のサウンド作りの要だったかもしれませんが、グループの中では一番キャッチーな曲を書いていたジーン・クラークとの確執は深刻でしたし、加えて歌も演奏も自己主張が強いディヴィッド・クロスビーがバンドのフロントマンとあっては、ゴタゴタが避けられないのは……。

しかし、それゆえにと言っては語弊がありますが、この「霧の8マイル」で聞かれるサウンドの怖いほどの充実ぶりは圧巻!

またB面に収録された「禁じられた願い / Why」は、そのディヴィッド・クロスビーがメインで書いただけあって、十八番のモヤモヤした曲メロとサイケデリックなラーガ系エレキギターが冴えまくった、アップテンポの激烈ロック!

個人的にはA面よりも気に入ったほどです♪♪~♪

そのキモはジャズっぽさ! というのは後に知ったことですが、例えば「霧の8マイル」におけるモード風な曲展開は、ライプの現場では長時間のアドリブ演奏も含んだニューロックの醍醐味へと繋がり、実際、1970年に発売された2枚組の意欲作「タイトルのないアルバム」ではLP片面を使ったギター合戦の演奏が聞かれるほどです。

ただし、この蜜月的な充実期のバーズは長続きせず、「霧の8マイル」を出した直後にはジーン・クラークが脱退! そしてディヴィッド・クロスビーとクリス・ヒルマンがグッと存在感を強め、ロジャー・マッギンの個性が薄れていったのは、以降のシングル&アルバムで聞かれるとおりです。

その意味で、ザ・バーズの最高の瞬間のひとつが、この「霧の8マイル」であることは疑う余地もないでしょう。またロック史においても、最強シングル曲のひとつとして屹立していると、私は強く思います。

ただし、そんなことを独善的に自己満足しているのは、今となっての感慨です。リアルタイムでの「霧の8マイル」、そして「禁じられた願い」は、様々な雑念が入り込む余裕を与えないほどの衝撃度がありました。

それだから、若い頃に聴いた音楽って、尚更に素晴らしい♪♪~♪

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