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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

邦題も素敵だったザ・フー

2009-10-21 11:24:18 | The Who

恋のマジック・アイ / The Who (Track / 日本グラモフォン)

我国で洋楽を売る場合、その曲名に邦題をつけるのは当時の常識のひとつでしたが、その中には噴飯物のトホホもあれば、なるほど! と思わず唸る素敵なものもありました。

本日ご紹介するザ・フーの名曲ヒットの原題は「I Can See For Miles」、つまり「俺はどこまでも遠くを見ることが出来る」なんですが、これを「恋のマジック・アイ」とした意図は、主人公の目を盗んで浮気をする彼女に嫉妬する男の歌ですから、これで正解なんでしょうね。そして実際、歌詞の中には「俺の眼は魔法の眼」という一節があります。

そのあたりを上手く解釈する面白さが、日本で洋楽を愛好する楽しみのひとつになっていたのが、昭和の味わいでもありました。

肝心の歌と演奏に関しては、イギリスで制作・発売された1967年というサイケデリック時代にどっぷりのハードロックがど真ん中!

ヘヴィなベースを主軸にダビングされたエレキギターが鮮烈なアクセントになっていますし、時に激しく炸裂するドラムスが、ますます強烈です。そしておそらくは意図的に引き気味のミックスにされたボーカルに被さるモヤモヤとしたコーラスも良い感じ♪♪~♪

ご存じのようにザ・フーは4人編成で、しかも演奏パートはピート・タウンゼントのギターよりも、ジョン・エントウィッスルの爆裂エレキベース、そしてポリリズムのロックビートを終始敲きまくるキース・ムーンが中心でしたから、必然的にスタジオ録音ではダビングが多用されていても、実際のステージではバンドだけで演奏出来るスタイルが守られていました。

しかし、この「恋のマジック・アイ」だけは、流石にリアルタイムのライプでは演奏が不可能だったという逸話のとおり、本来はポップな持ち味を大切にしていたザ・フーにしては、些か凝りすぎの感が無きにしもあらずです。

そうした所為もあって、ザ・フーの歴史の中では名曲名演の決定版なんですが、それほどのヒットにはなっていなかったようです。

ただし、これが欧米よりは約半年遅れで発売された昭和43(1968)年春の日本では、かなりの勢いでラジオから流れていました。そしてサイケおやじにしても、以前から好きになっていたバンドでしたから、速攻でゲットさせられたのは言わずもがな♪♪~♪

とにかくヘヴィでハード、そしてサイケデリックなムードが横溢した歌と演奏には完全にKOされました。とりわけ強烈に蠢くジョン・エントウィッスルのエレキベース、そしてドカドカビシバシに弾けるキース・ムーンのドラミングには、それこそトランジスタラジオが軋むほどの迫力が確かにあったのです。

ところが後に聴いたアルバム収録のステレオバージョンが、完全に気抜けのビール……。それはミックスが大きく変えられ、エレキベースが極端に小さな音と言うよりも、ほとんど「音圧」だけの存在に成り下がり、またドラムスもカラ騒ぎ状態ですし、反面、ボーカルとコーラスが大きくなっているという、これにはシングル盤で馴染んでいた私の様な者には違和感がいっぱいだったと思います。

ですから、決してシングル盤を手放せないのは、ファンならば当然の仕儀でしょう。

このあたりがCD再発で、どのようになっているのかは、全てを検証していないので一概には断定出来ませんが、少なくとも今日まで、私を満足させてくれたものには出会っていません。

う~ん、ザ・フーって、けっこう罪作りなバンドなんですよ、いろんな意味で……。

でも、それゆえにいろんな楽しみが深~いのも、また事実!

そして最初の邦題の話に戻ってみれば、他にも例えば「恋のピンチヒッター」とか「俺の指図で」、あるいは「恋のサークル」や「ボリスのくも野郎」といった、相当に傑作なものがあるんですねぇ~♪ 原曲タイトルは、あえて省略致しますが、とにかく当時の我国レコード会社の担当者各位には、あらためて敬意を表したくなるほどです。

最後になりましたが、日本でレコードが初めて出た時には「ザ・フゥー」なんて表記されていたバンド名が、ポリドールに権利が移動して以降は、ようやく「ザ・フー」になったことを追記しておきます。

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ベース奏者のポールも最高♪♪~♪

2009-10-20 11:23:48 | Beatles

Wings Over America (MPL / EMI)

天才作曲家のポール・マッカートニーは、同時に優れたベース奏者!

なんてことは言わずもがなですが、それはライプセッションの現場で、尚更に素晴らしく楽しめるのも、当然が必然でしょう。

本日ご紹介のアルバムは、ポールが1970年代に率いていたレギュラーバンドのウイングスが、その絶頂期に残したアナログ盤LP3枚組という超大作ですから、ヒット曲が満載なのは「お約束」ですし、バンドメンバー各々の活躍もあり、実に様々な意味の楽しみがぎっしり詰まっています。

 A-1 Venus And Mars - Rock Show - Jet
 A-2 Let Me Roll
 A-3 Spirits Of Ancient Egypt
 A-4 Medicine Jar
 B-1 Naybe I'm Amazed
 B-2 Call Me Back Again
 B-3 Lady Madonna
 B-4 The Long And Winding Road
 B-5 Live And Let Die / 007死ぬのは奴らだ
 C-1 Picasso's Last Words
 C-2 Ricard Cory
 C-3 Bluebird
 C-4 I've Just Seen A Face / 夢の人
 C-5 Blackbird
 C-6 Yesterday
 D-1 You Give Me The Answer
 D-2 Magneto And Titanium Man
 D-3 Go Now
 D-4 My Love
 D-5 Listen To What The Man Said / あの娘におせっかい
 E-1 Let'em In
 E-2 Time To Hide
 E-3 Silly Love Song / 心のラブソング
 E-4 Beware My Love
 F-1 Letting Go
 F-2 Band On The Run
 F-3 Hi Hi Hi
 F-4 Soily

録音はアルバムタイトルどおり、1976年5~6月に行われたアメリカ巡業の各ステージから、そのベストテイクを選んだとされていますが、一説によると、もちろんスタジオでの手直しも入っているようです。

しかし上記演目をご覧になれば、その間然することの無い構成は既に圧巻!

初っ端の、これぞウイングスという、10分を超える「Venus And Mars - Rock Show - Jet」のメドレーでツカミはOK! またポールがビートルズ時代の十八番ネタをライプで演じたという話題性の強さも、当時は大騒ぎに近いものがありました。

ちなみにここでのウイングスは、ポール・マッカートニー(vo,b,g,key)、リンダ・マッカートニー(vo,key)、デニー・レイン(g,vo,b,key)、ジミー・マッカロク(g,b,vo)、ジョー・イングリッシュ(ds,vo) というレギュラー5人組に加え、4~5編成のホーンセクションを従えていましたから、スタジオバージョンを上回る強靭なロックのグルーヴが横溢した新名演も残される好結果♪♪~♪

そして既に述べたように、サイケおやじ的な楽しみとして、ポールの素晴らしいベースプレイが堪能出来ます。

それが特に顕著なのは、「Spirits Of Ancient Egypt」や「Medicine Jar」といったポール以外のバンドメンバーがリードボーカルの演奏で、まさに歌うようにドライヴしまくったエレキベースの醍醐味が強烈! 失礼ながら実際、サイケおやじはポールのペースしか聴いていないのが、この2曲の真相です。本当に、最高♪♪~♪

このあたりはポールがピアノやキーボードを担当した演奏で、例えばデニー・レインやジミー・マッカロクがベースを演じた曲になると、明らかにグルーヴが異質になってしまうという面白さもあるわけで、それがウイングと言われれば、全くそれまでなんですが、「死ぬのは奴らだ」なんかは、ちょっと勿体無い感じです。

その意味でE面以降の終盤で披露されるウイング流儀の怒涛のロック大会で、再びポールがベースに専念する演奏になると、これはもう、唯一無二のグルーヴが炸裂しています。特に弾みまくったベースのリフが単調な曲メロの展開を巧みに彩った「Time To Hide」とか、本当に楽しい「心のラブソング」のベースリフ♪♪~♪

さらに曲調がコロコロ変わる「Band On The Run」での適材適所のプレイから、強靭なR&Rを演出する「Hi Hi Hi」での熱血、そしてトドメの一撃というべきハードロックな「Soily」での意外な軽さまで、まさにベース奏者としてのポールが堪能出来ますよ。

ちなみに、どうしても書いておきたいのが、ビートルズ脱退からソロ活動、そしてウイングスを率いていた頃のポールへの風当たりについて、それはリアルタイムをご存じない皆様には想像も出来ないであろう、厳しさがありました。

なにしろ音楽マスコミの報道と洗脳もあるかもしれませんが、ジョンやジョージはピュアで、しかしポールは拝金主義だとか!? あるいはリンゴは自然体なのに、ポールは計算高いとか!? また、新譜を出せば、必ず言われるのが、ビートルズ時代との比較でした。

確かに私にしても、当時はそうしたことを痛感せずにはいられないほど、ジョンやジョージが発表するアルバムの充実度に比べ、ポールの諸作は「ロック的な純情」に欠けているようにも感じましたし、当時のロックに求められていた反体制な部分が、あまり感じられないのも事実だったと思います。

しかしポールが発表していたシングル&アルバムは、同時代のポップスの中では、確かに抜きん出ていたものがあって、例えばポール&リンダ名義のアルバム「ラム」は個人的にも大好き♪♪~♪ 本当の傑作盤だと思います。そしてウイングスは、あまりにもエンタメな性質は否定しませんが、このライプ盤あたりを境にして、私は以前のアルバムを聴き直し、再発見した気分になったのです。

もちろん、この3枚組を買ったのは、ビートルズ時代の曲を演じていたのが大きな魅力だった事を告白しておきますが、ウイングスというバンドの凄さに感銘を受けたのも、また事実です。

ご存じのとおり、この時の巡業からは同名のロック映画が作られ、そこにはリッケンバッカーのベースを弾いて躍動するポールの勇姿が眩しいほどに映し出されています。またダブルネックを操るデニー・レイン、ギブソンSGを持ったジミー・マッカロクが、如何にもロックミュージシャンの佇まい!

以前はビデオテープやLDで販売もされていましたが、海賊版は出回っているものの、一刻も早い公式DVD化を切望している熱演集として、必見だと思います。

還暦を過ぎたポールが、現在でもライプミュージシャンとして頑張っている姿は、流石に感銘を受けたりしますが、どうもそこでの演奏や歌が全体的に綺麗すぎるのは仕方が無いというには、物足りません。

もう一度、この頃のウイングスのような「ロック」が聴いてみたいもんです。

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モンク対フィリー・ジョー

2009-10-19 10:06:18 | Jazz

Thelonious Monk At Raris, 1969 (Jazz Vip = DVD)

セロニアス・モンクの映像は相当に残されていて、その復刻も着々と進んでいる今日、またまた嬉しい発掘が本日ご紹介のDVDです。

なんとフィリー・ジョー・ジョーンズとの共演!?!

しかも1969年!

もう、この一事だけで、即ゲットさせられました。

ただし結論から言うと、お目当ての共演は2曲だけなんですが、親分のセロニアス・モンク以下、バンドメンバーのテンションもなかなか高く、全篇約81分がきっちりと楽しめます♪♪~♪

☆Thelonious Monk Quartet At Paris, 1969
 収録は1969年12月15日、パリはサル・プレイエルでのライプから、メンバーはセロニアス・モンク(p)、チャーリー・ラウズ(ts)、Nate Hygelund(b)、パリス・ライト(ds)、そして既に述べたように、2曲だけですが、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds) が交代参加しています。
 01 I Mean You
 02 Ruby, My Dear
 03 Straight, No Chaser

 まずは楽屋裏の風景から映し出されるそこには、既にフィリー・ジョーや多分、ケニー・クラークと思われる旧知の面々が居並び、セロニアス・モンクもグラスを片手に上機嫌♪♪~♪ それがこの日の演奏の好調さに繋がったのかもしれません。
 ちなみに画質は「-A」程度のモノクロですが、時代を考慮すれば何の問題も無くご覧になれるでしょう。そしてバックには観客の拍手やチューニングの音声が重ねられ、いよいよステージに登場するセロニアス・モンクが弾き始めるのは十八番の「I Mean You」なんですが、このあたりの編集とカメラワークの良さも秀逸だと思います。もちろんセロニアス・モンクの手と指の動きもバッチリ映し出されていますから、あの神秘的で怖いコードワークの一端がっ!
 肝心の演奏そのものは、チャーリー・ラウズが余裕と貫録の存在感! 正直言えば、何時も同じようなフレーズばっかり吹いている気も致しますが、このライプではベースとドラムスが新顔の所為でしょうか、イヤミにならない程度の緊張感が結果オーライだと思います。
 気になる、その新顔では、ベースの Nate Hygelund が白人ながら、豪快にして繊細なベースワークが素晴らしく、またパリス・ライトのドラミングは如何にも黒人らしいビート感が最高! 小型アート・テイラーというところかもしれません。
 04 Nutty
 05 Blue Monk

 ここでいよいよフィリー・ジョーが登場♪♪~♪ もちろん観客からは拍手喝采です。
 しかも始まるのが人気曲の「Nutty」ですからねぇ~♪ その楽しいリズムに彩られた親しみ易いテーマメロディが出た瞬間から、フィリー・ジョーのスティックが躍動します。
 チャーリー・ラウズも何時も以上に唯我独尊のアドリブを聞かせてくれますし、フィリー・ジョーが親分モンクの様子を確かめならが敲いているのも、映像作品ならではの発見というか、なかなか興味深々でした。もちろん演奏の充実度は最高で、特にピアノトリオとなってからのパートは、Nate Hygelund の頑張りもあって、素晴らしい限り!
 そしてついに炸裂するフィリー・ジョーのドラムソロは、あの絶妙のクッションと弾けるビートが一体化した強烈な瞬間の連続で、全く目が離せません! セロニアス・モンクもドラムセットの近くまで寄って、じっくりと見ていますが、フィリー・ジョーは例よって半眼状態で自分を貫き、十八番のリックを敲きまくりですよ。
 確証は無いのですが、この2人の共演セッションは極めて珍しいのではないでしょうか。それを映像で楽しめるのですから、長生きはするもんです。
 またフィリー・ジョーの動く姿にしても、最近発掘されたビル・エバンスとの1978年のライプがあるぐらいですからねぇ。その約9年前というところにも、嬉しいものがあります。当然、その場の観客からも大拍手!
 しかし続く「Blue Monk」は本当に短い演奏で、もしかしたら編集してあるのかもしれませんが、バンドテーマみたいな扱いが残念……。
 06 Bright Mississippi
 07 Light Blue
 08 Epistrophy
 09 Don't Blame Me
 10 3 O'clock In The Morning
 11 Interview With Thelonious Monk
 12 Crepuscule With Nellie

 ここからは後半というか、再びレギュラーカルテットに戻っての熱演が楽しめます。特にドラマーのパリス・ライトはフィリー・ジョーへの対抗意識が良い方向へ働いたのでしょう。その溌剌として新鮮なドラミンクは感度良好!
 セロニアス・モンクにしても、この頃にはライプ活動が散発的となっていた時期とはいえ、既に述べたように、毎度お馴染みの演目をやっても、そのテンションの高さはモダンジャズ至高の輝きです。つまりマンネリのようでいて、緊張感とスリルに溢れたセロニアス・モンクの音楽だけが表現しうる世界は不滅!
 チャーリー・ラウズもセロニアス・モンクとの共演は、ほとんど末期の頃ですから、何時もながらのパターンとはいえ、それは決して「おざなり」のプレイではないと思います。なんというか、セロニアス・モンクの世界の中では、ひとつの完成形を演じているんじゃないでしょうか。それがこの時期でさえも、変りなかったのは、凄いと思います。

☆Thelonious Monk Solo Pian, 1969
 こちらはボーナストラックというか、同時期の欧州巡業から11月6日、ベルリンでのソロピアノ演奏を収録しています。ちなみに映像はカラーで、画質は「A」クラスだと思いますが、如何にもこの時代ならではという「光と影」の照明とカメラワークが個人的には気に入っています。
 13 Sophisticated Lady
 14 Caravan
 15 Solitude

 上記演目はデューク・エリントンが書いた名曲集という趣ですから、セロニアス・モンクにとっても気合いが入ったのでしょうか、こちらもなかなかにテンションの高い演奏となっています。まさに孤高の世界!
 しかし同時に不思議な和みも一緒に感じられるのが、この時期のセロニアス・モンクならではのソロピアノ♪♪~♪ そこには決して「円熟」なんていう言葉だけでは表現しきれない、「何か」が確かにあると思います。このDVDでは他にも前パートにおける「3 O'clock In The Morning」や「Crepuscule With Nellie」での絶妙の味わいとか、なかなか素敵ですよ。

ということで、セロニアス・モンクの発掘物というと、何時も同じような演目ばかりという事実は否定出来ませんが、その何れもが、実は常に平均点以上のモダンジャズになっているという真実はひとつです。それは実質的に晩年になっていた、このパリでのライプでも明らかだと思います。

そして、もうひとつのウリであるフィリー・ジョーとの共演が映像で楽しめるのは、最高に嬉しいプレゼントでした。

音質は当然、モノラルですが、全く問題無いレベルですし、個人的にはちょっとセロニアス・モンクを再発見したような気分になっています。

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加藤和彦に帰って来て欲しい…

2009-10-18 09:12:51 | Singer Song Writer

帰って来たヨッパライ / ザ・フォーク・クルセイダーズ (東芝)

個人的に敬愛していた加藤和彦の訃報に接しました。

驚き、衝撃、絶句です……。

故人が私の前に初めて登場した時は、フォーク・クルセイダーズ=フォークルのメンバーのひとりであり、解散後にはニューフォークを歌うソロ時代、さらにサディスティック・ミカ・バンド、そしてシティミュージックやAOR風味満点のお洒落な音楽家として活動していた頃……。同時に作編曲家として映画や劇伴、またはアイドルやアダルトシンガー達への縁の下の力持ちとしての活動……。

自殺という報道が全く信じられないほどの充実した生き様があって、ほとんど何から書いていいのか、混乱の極みですが、やはり鮮烈に登場した「帰って来たヨッパライ」を本日は取り上げます。

ご存じのように、これは我国初のアングラソング、つまり今で言うインディーズからの大ヒット! もちろん作曲は加藤和彦です。

確か昭和43(1968)年のお正月過ぎから巷で流れまくった歌声は、テープの速度変換による奇妙奇天烈なものでしたが、その内容は酒酔い運転で事故をやったヨッパライが、天国へ召されても酒を止められず、神様から叱責をくらって追い出され、この世に逆戻りという、なかなかシニカルなものでした。

それを、オラは死んじまっただぁ~~♪ と調子良すぎるツカミの節回し、さらにサビが、天国良いとこ、一度はおいで~♪ と何かの民謡調で演じられる楽しさで歌われては、高度成長と昭和元禄が爛熟していた当時の日本にはジャストミート!

アッという間のミリオンセラーとなり、映画化までされました。

ちなみにこの曲は最初、ラジオの深夜放送あたりから人気が出たようで、私にしても確か「オールナイト・ニッポン(ニッポン放送)」で前年末頃に聴いたのが出会いでしたが、そのインパクトは鮮烈でしたねぇ~♪

つまりアングラというか、サイケデリックというか、そういう分野でありながら、それまでのイメージにあったネクラとか陰湿な部分が全く感じられないお気楽度数が素晴らしく、一緒に歌える楽しさが絶品だったのです。

そしてついにテレビに登場したフォークルは、はしだのりひこ、加藤和彦、北山修というご存じの3人組でしたが、良く知られているように、そこでメインのボーカルを歌っているはしだのりひこは、このレコーディングには参加しておらず、当然ながら、テレビやステージのライプでは普通の声で楽しく演じているのでした。

というのも、後に知ったことですが、この「帰って来たヨッパライ」は関西で活動していたフォークルが解散記念に自主制作した録音のひとつでした。しかもその時のセッションメンバーは加藤和彦、北山修、平沼義男、芦田雅喜という4人で、メインのボーカルは加藤和彦だったと言われていますから、はしだのりひこは参加していません。

ところが「帰って来たヨッパライ」が関西地区で局地的にヒットし始めたことから、大手レコード会社による原盤獲得競争があり、解散を決めていたフォークルも本格的な芸能活動に入ることになったのですが、これに一番積極的だったのが北山修であり、加藤和彦は反対派……。しかし、同じ関西地区でフォークを歌っていた旧知のはしだのりひこの参加を条件に、1年だけの約束で再びフォークルは継続されたようです。

今にして思えば、この「帰って来たヨッパライ」をフォークル解散記念に作っていた時点で、その後も加藤和彦が音楽活動をやろうとしていたか否かは、知る由もありません。しかし、3人組となった芸能界フォークル時代からソロアーティストを経てミカバンドを結成した頃の輝きは、本当にハッとするほど新鮮でした。

正直に言えば、サイケおやじはベタベタの歌謡フォークはそれほど好きではありませんし、ミカバンドも自分の感性には合っていませんが、加藤和彦という音楽家は最高に好きです。まずメロディの作り方がお洒落だし、その元ネタも当然ながら洋楽から拝借していたんですが、その取捨選択が実に素晴らしく、新しかったんですねぇ~♪

おそらくAORのマイケル・フランクスに最初に着目したメジャーな日本人歌手は、加藤和彦だったと思いますし、グラムロックに日本の伝統芸能や沖縄民謡をミックスさせ、さらにファンキーで味付けしたようなミカバンドの音楽性も、当時としては確信犯的なところもありましたが、実際に英国のロックファンを歓喜悶絶させた歴史は不滅です。

また楽曲提供では、原田知世の「カトレアホテルは雨でした」とか、高岡早紀の「薔薇と毒薬」あたりの私にとっては新しい時代のアイドル歌謡も、そのポップなセンスが素晴らしく琴線に触れまくりでした。また竹内まりあの初期楽曲も、素敵でしたねぇ……。極言すれば、元ネタよりも良いメロディを書いてしまう才能がありました。

こうした洋楽からのアイディア借用は独自のパロディ感覚に彩られているのも特筆すべきことで、もちろんそれは「帰って来たヨッパライ」でも、例えば間奏のピアノとか最終部分のお経に聞かれるビートルズへの敬意には、思わずニヤリ♪♪~♪

それとファッションセンスも素晴らしく、私にはとても真似できないダンディズムは時代を先取りしていながらイヤミがありませんでした。これも故人の人柄や人徳によるものなのでしょうか、もちろん面識はありませんでしたが、とにかく優しき粋人だったと思います。

おそらく今頃は天国の階段を昇っているのでしょうか……。それとも三途の河原……。

願わくばヨッパライのように、この世に戻ってきて欲しいものです。

合掌。

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何時も感動のアンチェィンド・メロディ

2009-10-17 12:25:23 | Pops

Unchained Melody / The Righteous Brothers (Philles / ポリドール)

ライチャス・ブラザースは1960年代中頃に一世を風靡した白人ボーカルデュオで、主に低音を歌うビル・メドレーとハイトーンボイスが魅力のボビー・ハットフィールドには、血縁関係がありません。

まあ、このあたりは芸能界の「しきたり」というわけですが、しかしそのボーカルコンビネーションは流石に素晴らしく、黒っぽいフィーリングとお互いのソロパートを尊重した歌いっぷりは、今日でも不滅の素晴らしさだと思います。

それは1965年に大ヒットした本日ご紹介のシングル曲が、1990年になって映画「ゴースト」のメイン挿入曲に使われ、またまたのメガヒット! と言うよりも、この歌があってこそ、映画本編が尚更に素晴らしい印象を残したのは、実際に作品を鑑賞された皆様ならば、納得されているはずと思います。

さて、肝心のライチャイス・ブラザースは1962年頃からデュオを組み、1963年にはマイナーレーベルからレコードデビューしていますが、やはりブレイクしたのはフィル・スペクターに見い出されてからでしょう。

ちなみにフィル・スペクターは所謂「音の壁」と呼ばれる壮大なサウンドプロデュースで、キャッチーなメロディと強いビートを伴ったシングルヒットを作り出していた、その当時の大衆音楽業界では屈指のブロデューサーです。そして今日ではビートルズの解散騒動や例の事件も含めて、神格化された存在ですが、その全盛期だった1964年に契約したライチャイス・ブラザースは、自らが運営していたフィレスというレーベルでは初めての白人グループ!?!

ですから、黒人歌手にはスマートで甘口の手法を使っていたフィル・スペクターが、白人のライチャイス・ブラザースには辛口とも思える壮大な仕掛けを施したのは大正解! 今もってフィル・スペクターの最高傑作プロデュースと言われる「ふられた気持 / You've Lost That Lovin' Feelin'」が1965年に世界的な大ヒットとなったのもムペなるかなです。

そして次なる不滅のヒットが、この「Unchained Melody」なんですが、実は頑なに信じられている伝説とは異なり、ライチャイス・ブラザースは決してフィル・スペクターの操り人形ではなく、この曲に関してはビル・メドレーがプロデュースを担当しています。

それはフィレスに残された3枚のオリジナルアルバムを聴けば尚更に顕著で、むしろフィル・スペクターがプロデュースした楽曲の方が少ないほどなんですが、しかし流石は芸能界の厳しさを知っているのがライチャイス・ブラザース! ちゃ~んとフィル・スペクターの手法を踏襲したサウンド作りは素晴らしく、それが「Unchained Melody」に結実していると思います。

高音で気持良く歌っているのは、もちろんボビー・ハットフィールドですが、これがウケまくった所為でフィル・スペクターも意地になったと言われているとおり、このシングル盤B面に収録の「ひき潮 / Edd Tide」では、なんと再びボビー・ハットフィールドのソロを前面に出し、サウンドのキモはビル・メドレー風というか、幾分大人びた感じのスペクターサウンドが聞かれます。

ちなみに「Unchained Melody」は本来、フィル・スペクターが自作&プロデュースしたシングル「Hung On You」のB面でしたから、それがあまりヒットせず、逆にビル・メドレーのプロデュース曲「Unchained Melody」がライチャイス・ブラザースを代表するヒットになったのは屈辱、という想像は易いと思います。

当然ながら、この時期を境にしてフィル・スペクターとライチャイス・ブラザースの関係は上手くいかなくなり、またビル・メドレーとボビー・ハットフィールドの2人にも確執が生まれたと言われています。

ところで私がフィル・スペクターを強く意識するようになったのは、やはりビートルズの「レット・イッド・ビー」に纏わるゴタゴタがあってのことですから、つまりは昭和45(1970)年前後なんですが、実は当時の我国ではフィル・スペクター関連のレコードを聴くのが容易ではありませんでした。

ちょっと前はキングレコードから、ロネッツやライチャイス・ブラザース等々のシングル盤が出ていたのですが、契約の関係でしょうか、その頃には権利がポリドールに移ったらしく、本日掲載したシングル盤も前述のヒット曲をカップリングした再発盤です。

ライチャイス・ブラザース自身も、実は1966年にフィル・スペクターと決別してヴァーヴに移籍していたことから、関連音源がポリドールで発売されるのも理解されるところではありますが、このあたりの権利関係の分かりにくさは、後々まで問題として残るのです。

また、ビル・メドレーとボビー・ハットフィールドの間にも確執が強まり、1968年にはライチャイス・ブラザースが解散……。しかも同じ頃、フィル・スペクターも本国アメリカでは完全に落ち目の三度笠ということで、なかなか音楽史的に微妙な立場なのが、「Unchained Melody」かもしれません。

しかし、そんなあれこれは、この素晴らしい楽曲の前には問題になりません。何時聴いても感動を呼ぶ歌とは、こういうものを指すんじゃないでしょうか。

本当に、そう思います。

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覚えていますか、ゲス・フーを

2009-10-16 11:33:33 | Rock

American Woman / The Guess Who (RCA / 日本ビクター)

1960年代後半からのハードロック流行期に登場したバンドは、多かれ少なかれ、イギリス産のグループから影響を受けていることは否定出来ません。

例えば本日の主役たるゲス・フーはカナダで結成され、当地で活躍していたバンドですが、デビュー当時からの音楽性は明らかにブリティッシュロック! それもヤードバーズやキンクスあたりのハードなギターリフを応用した演奏が得意だったようです。あるいは個人的に当時の音源を聴けば、サーチャーズをヘヴィにした感じもします。

ですから1965年にはアメリカでも「Shakin' All Over (Scepter)」というヒットシングルを放っていますが、もちろん、これらの歴史は私が後に知り得た事ですし、リアルタイムの我国で人気を集めたのは、やはり1970年前後だったと思います。

そして結成当時は6人組だったというバンドも、その頃にはランディ・バックマン(g,vo)、バート・カミングス(vo,key)、ジム・ケイル(b)、ゲイリー・ピーターソン(ds) がレギュラーとして纏まり、大手のRCAと契約して、その全盛期を迎えていました。

このシングル曲は、まさにその決定打として、1970年春から秋にかけての大ヒット♪♪~♪ 当然、我国でもラジオの深夜放送を中心に、しぶとくヒットしています。まず、とにかく覚えやすくて気持が高揚させられるキメのギターリフが最高なんですねぇ~♪

ちなみに、これはシングルバージョンで、アルバムでは最初、モヤモヤしたブルースのセッション演奏があり、その場面転換として、前述したギターリフが鳴り響き、痛快なハードロックがスタートする仕掛けになっていますから、キャッチーなノリは「お約束」以上の効果があったというわけです。

それとバート・カミングスの歌いっぷりは、なかなかソウルフルというか、黒い感覚と白人ロック歌手だけのスマートさが自然体で融合した魅力がありますから、後にAOR風味のソロアルバムを出すのもムペなるかな!

さらにランディ・バックマンの正統派ロックギターの熱血が、琴線に触れまくりですよ♪♪~♪ ご存じのように、この人はしばらく後にバンドから脱退し、バックマン・ターナー・オーバードライヴ=BTOなんていう新グループを結成して、更なるブレイクを果たしますが、やりはゲス・フーの人気も、このギタリストが存在してこそだったのは、言わずもがなでしょう。

その豪快にしてB級グルメっぽい味わいの深さと潔さは、1970年代ロックのひとつの典型じゃないでしょうか。

掲載したジャケ写でもご覧になれるとおり、ゲス・フーのイメージは、決して垢ぬけたものではありませんし、それは音楽性とも重なるのですが、それゆえに実直でロックを聴く楽しみに満ちた歌と演奏が人気を呼んだと思います。しかも聴きこんでいくうちに、アコースティックギターの使い方とか、フックの効いた曲メロの旨みが、ジワジワとした感動を呼び覚ますという書き方は、大袈裟ではないと思います。

当然ながら、その頃の我国でも、この曲以外に例えば「These Eyes」とか「No Time」がヒットしていますし、お客さんの入りがイマイチだったという来日公演も、手抜きをしない真摯な姿勢が感度良好だったと言われていますが、残念ながら再発状況は厳しいようですねぇ……。

しかし後追いで聞いたカナダ時代の音源あたりは、所謂ガレージ物の秀逸な名演が多いですし、ライプでの安定感や全盛期のスタジオレコーディングの充実度からしても、ここらでひとつ、纏まった再発やボックス企画を熱望しているのでした。

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2枚目に買ったジミヘン

2009-10-15 11:59:18 | Jimi Hendrix

真夜中のランプc/w賭博師サムのサイコロ / Jimi Hendrix (日本グラモフォン)

偉大なジミ・ヘンドリックスは天才ギタリストというイメージが一番強いと思いますが、どっこい、サウンドクリエイター及びボーカリストとしての魅力も絶大! 個人的にもジミヘンのボーカルは大好きで、あの声質とボブ・ディランの影響が色濃いような歌いっぷりは、サイケおやじの感性にジャストミートしているようです。

さて、本日ご紹介のシングル曲「真夜中のランプ / Burning Of The Midnight Lamp」は、そうしたジミヘンのもうひとつの魅力が存分に味わえる名演でしょう。

いきなりイントロから意表を突かれるチェンバロの響きは、もちろんジミヘン独得の不可思議なエレキギターとユニゾンのダブルトラックになっていますが、これを最初にAMラジオのモノラル放送で聴いた時には、一瞬にして魔界へブッ飛ばされたような衝撃がありました。

そして続くドロドロにヘヴィな演奏本篇には、当然ながら重心の低いドラムスとピンピンのエレキベースが入っているものの、その音の録り方が意図的に潰したような手法ですし、ジミヘンのギターも出たり引っ込んだり!?!

実は、これはモノラルミックスでの印象で、しかし例えば傑作アルバム「エレクトリック・レディランド」あたりに収録のステレオミックスになると、ギターは左右のスピーカーを自在に浮遊し、全篇に不可解な彩りを添えているチェンバロの響きが、尚更に強烈なスパイスになったサウンドを楽しめるのですが、やはり45回転のシングル盤に特有の音圧の高さがあってこそ、ここに表現された歌と演奏は真価を発揮しているように思います。

もちろん強引に被せられた女性(?)コーラスが、サイケデリック期には欠かせないミステリアスなムードを増幅していますし、幾分棄てばちな感性さえ漂うジミヘンのボーカルは、ギタリストとしての本分よりも私は好きです。

ちなみにイギリスで発売されたのは1967年の夏、録音は7月頃とされていますから、メンバーはジミヘン(vo,g,key) 以下、ノエル・レディング(b)、ミッチ・ミッチェル(ds,per) という黄金のエクスペリエンス! しかもセッションの直前には、あのモンタレー・ポップ・フェスティバルに登場し、世界中に大衝撃を与えていたという、非常にテンションの高い時期でした。

ただし当然ながら、ジミヘンがスタジオで作り出していた歌と演奏には、プロデューサーのチャス・チャンドラーや録音エンジニアのエディ・クレイマーの働きも無視出来ないものがあると思います。しかし、そんな諸々を遥かに凌駕したジミヘンの創造力の充実が、このシングル曲には感じ取れます。

そしてB面に収録された「賭博師サムのサイコロ / The Stars That Play Laughing Sam's Dice」が、これまた強烈! こちらはジミヘンだけの正統派ハードロックなんですが、A面の「真夜中のランプ」に比べて、ちょいとばかり隙間だらけの音作りが、逆に粗野な雰囲気でバンドの強靭なグルーヴを演出しているようです。

実際、最初は軽く飛ばしている感じが、中盤からは毒々しいものへと変化し、過激に唸るジミヘンのギターが興奮を煽ります。あぁ、ガンガンに突き進む、この勢いが最高ですねぇ~♪ 随所に挿入される効果音や擬音という作り物めいた詐術も、ここでは結果オーライでしょう。一般的なイメージのジミヘンは、むしろB面にあるといって過言ではありません。

ということで、例によってアルバムが買えない若き日のサイケおやじは、このシングルを買いました。時は昭和43(1968)年末、我国ではGSブームが爛熟し、同時に昭和歌謡曲の全盛時代でもありましたが、洋楽の世界は明らかに別の次元が広がりつつあったのです。

ただし、それを感じていながら、やはり古い体質の私は、そうした日本の大衆音楽とニューロックを当時並行的に楽しめたのでしょうし、周囲の音楽好き、つまりロックファンからは軽視されていた歌謡曲の対極にあるジミヘンの歌と演奏にシビれる自分に、ある種の自己矛盾さえ感じていたのも、また事実です。

まあ、そんなこんなが、若さの特権だったかもしれませんね……。

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ペット・サウンズに出会った頃

2009-10-14 12:22:31 | Beach Boys

Carl And The Passions - So Tough & Pet Sounds / The Beach Boys
                                                                          (Brother / Reprise)




サイケおやじがビーチボーイズの世紀の名盤「ペット・サウンズ」と邂逅したのは昭和47(1972)年、それも意図的では決して無く、偶然の産物でした。

というのも、当時の私はビーチポーイズがリアルタイムで出していた「サンフラワー」と「サーフズ・アップ」という2枚のアルバムに心惹かれ、次なる新譜を待ち焦がれていたわけですから、本日ご紹介のLPも、例によって某デパートの輸入盤セールで発見した瞬間、速攻でゲットしたわけですが……。

正直、カール&パッションズと記載のある表ジャケットからは最初、これがビーチボーイズのレコードだとは思いませんでした。ところが裏を返して吃驚仰天! そこにはブライアン・ウィルソンもちゃ~んと写っている往年のグループショットが!?!

実はこのアルバムは2枚組で、まずビーチボーイズの新譜扱いという「ソー・タフ」が、なんと彼等がデビュー前に名乗っていたカール&パッションズ名義の作品として収められ、そしてもう1枚、今では名盤の「ペット・サウンズ」がオマケ的に付けられたサービス仕様だったのです。もちろん値段は輸入盤1枚物と変わらない価格の、確か2千円以下でしたから、これは買う他はありません。

ただし繰り返しますが、この時の私は決して「ペット・サウンズ」の魅力と真価を知っていたわけではありません。むしろ全く聞いたことのないアルバムでしたから、つまりは「お徳用」な気分が優先されていたのです。

で、まずはメインのカール&パッションズです。

☆So Tough / Carl And The Passions
 A-1 You Need A Mess Of Help To Stand Alone
 A-2 Here She Comes
 A-3 He Come Down
 A-4 Marcella
 B-1 Hold On, Dear Brother
 B-2 Make It Good
 B-3 All This Is That
 B-4 Cuddle Up
 結論から言えば、なかなかサイケおやじ好みのファンキーロックが楽しめます。しかし、これは明らかに、一般的なイメージのビーチボーイズではありません。十八番のハーモニーワークもほとんど聞かれず、またグッと惹きつけられる素敵なメロディも無いのです……。
 しかし、私は前作「サーフズ・アップ」からの流れのひとつとして、違和感がありませんでした。正直、けっこう、好きなんですよ♪♪~♪ バンドとしてのリズム&ビートが、グッとダイナミックな感じに進化していて、結果オーライです。
 というのも、実は当時のビーチボーイズは中心人物のブライアン・ウィルソンが諸々の事情から半病人のリタイア状態でしたし、一応はドラマーだったデニス・ウィルソンは私生活の乱れからバンドに参加することが稀になり、また助っ人として大活躍していたブルース・ジョンストンが、この頃のビーチボーイズを仕切り始めたマネージャーのジャック・ライリーに反発してグループを去っていたことから、残されたマイク・ラブ(vo) とアル・ジャーディン(vo,g)、そしてカール・ウィルソン(g,vo) が自分達で発見してきたブロンディ・チャップリン(g,vo,b) とリッキー・ファター(ds) という2人の黒人を新メンバーに迎えて作ったのが、このアルバムの真相だったのです。
 う~ん、これではビーチボーイズという名義が使えないわけです。
 しかも、ここでのバンド名どおり、カール・ウィルソンが実際の現場をリードしていたというのですから、ソウル&ファンキー志向が強まるのもムペなるかな!
 ブライアン・ウィルソンが持ち味のハーモニー感覚と当時のバンドが狙っていたファンキーロックが見事に合体した「Marcella」は、一番「らしくない」名曲の決定版として、以降のビーチボーイズではステージの定番演目になったほどですし、ソフトロック風味も強い「All This Is That」も忘れ難い印象を残します。
 ただし、誰しもに認められるのは、その2曲だけでしょう。今に至るもイノセントなビーチボーイズのファンからは、蛇蝎の如く扱われているのが、この「ソー・タフ」だと言われています……。

そして「オマケ」というには、あまりにも残酷な美しさを持っていたのが、「ペット・サウンズ」でした。

☆Pet Sounds / The Beach Boys
 A-1 Wouldn't It Be Nice
 A-2 You Still Believe In Me
 A-3 That's Not Me
 A-4 Don't Talk
 A-5 I'm Waiting For The Day
 A-6 Let's Go Away For Awhile
 A-7 Sloop John B.
 B-1 God Only Knows
 B-2 I Know There's An Answer
 B-3 Here Today
 B-4 I Just Wasn't Made For These Times
 B-5 Pet Sounds
 B-6 Caroline No

 各方面で語りつくされた大名盤について、今更クドクドと述べるまでもないと思います。
 しかし、唯ひとつだけ、この時点で初めて「ペット・サウンズ」を聴いた私は、ウキウキとしてホンワカさせられる曲メロと至高のコーラスワーク、アルバム片面及び全体の流れの良さ、そしてその完成度に圧倒されました。偽りなく、こんなに素敵なアルバムが、この世にあったのか!?! 本当にそう思いましたですねぇ、大袈裟ではなく。
 ただし同時に、これはロックの音がしていないなぁ……。
 なんて不遜なことも思いました。お叱りは覚悟しています。
 後で知ったことですが、ブライアン・ウィルソンは長いスタジオワークを続けながら、このアルバムのほとんどを単独作品=ソロアルバムのように作り上げたそうですし、他のメンバーは、ただ指示されたとおりに歌い、コーラスを演じていただけという実態も、今日では好結果として評価されるところでしょう。
 それが何故、あえてここに再発されなければならなかったのか?
 リアルタイムの1966年には契約会社のキャピトルから好意的には迎えられなかった「ペット・サウンズ」が、事もあろうにビーチボーイズが自ら設立したレーベルと新契約会社から出された経緯の裏には、音源の権利をビーチボーイズ側が概ね獲得した結果がありました。もちろんゴタゴタが続いていたキャピトル側との和解も進展していたのかもしれません。
 とにかく、こうして世紀の名盤が再度ひっぱり出されたのは、当時の最新レコーディングが、リブリーズ側から懐疑的な扱いを受けていた証でしょうし、ビーチボーイズ本人達にとっても、迷い道に他ならないと思います。

ということで、ここで「ペット・サウンズ」に出会ったサイケおやじは、やはり幸せだったと思っています。もちろんリアルタイムだったら、もっと良かったんでしょうが、しかし正直に言えば、その頃の私には決してシビれることのない音楽だったと思います。

つまり「ペット・サウンズ」は単なるロックのアルバムではなく、それを超越した永遠のポップス性と神秘性を兼ね備えた、アンタッチャブルな存在かもしれないのです。「ロックの音」がしていなくとも、それは当然でしょう。

それゆえに好き嫌いがあることも、また今日、あまりにも過大評価気味という事実も承知しているつもりですが、ある日突然、虚心坦懐に聴きたくなるのが、この2枚組♪♪~♪

それは決して、天国と地獄ではないのです。

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風船ガムのポップス天国

2009-10-13 08:27:11 | Pops

Simon Says / The 1910 Fruitgum Company (Buddah / 日本コロムビア)

1960年代後半の所謂サイケデリック~ニューロック期のラジオからは、それこそギンギンドロドロの歌と演奏ばかりが流れていたわけではありません。否、むしろそれとは対照的なお気楽ポップス、聞いて楽しいウキウキポップスが、やはり主流の一角を占めていました。

そして当時、それを称して「バブルガム」なんて呼ばれていた一派の代表選手が、本日ご紹介の 1910フルーツガム・カンパニーです。もちろん、その音楽性は、サッと覚えて、味が無くなれば捨てられる運命という、文字通りチューインガムの美味しさで、ウキウキするようなリズムと調子良すぎるキャッチーなメロディ展開、フックの効いたアレンジで演奏される歌とコーラスは、完全なるヒットチャートに御用達の世界♪♪~♪

で、このシングル曲は彼等のデビュー曲で、1967年に発売されるや忽ちの大ヒット! 日本でも翌年にはラジオから流れまくって、今に至るも心身に焼きつけられたメロディが忘れられません。

ちなみに 1910フルーツガム・カンパニーは1967年に結成され、一応のオリジナルメンバーはフランク・ジャッケル(vo,g)、パット・カーワン(g,b,vo)、マーク・ガトコウスキー(org,vo)、フロイド・マーカス(ds) とされていますが、そんなことは、ど~でもいい! というのも、通称「バブルガム」の流行はジェリー・カセネッツとジェフ・カッツという優れた2人のプロデューサーが黒幕となった企画商品だったのが真相です。

つまり、ある意図を持って、先にスタジオで作り出された楽曲があり、それがシングルヒットになれば、巡業用のバンドが組まれるという、業界では至極当然のプロジェクトだったと思われます。実際、1910フルーツガム・カンパニーには後にプラスロックの王者とて君臨するシカゴのギタリストに抜擢されるドニー・ダーカスも在籍していましたし、スタジオの仕事がメインのレニー・フェィゲン(ds) やバリー・ガーフィールド(key) も去来していたようですから、このシングル盤のジャケットには5人編成のバンドで写っていますが、あまり気にすることもないと思われます。

ただし1971年、なんとピンク・フロイドの前座として来日した時には4人編成ながら、巧みな演奏とコーラスワークを聞かせたという伝説が残されているとおり、実力派が集められていたんでしょうねぇ。

ですから、この「Simon Says」も間然することの無い完成度で、イントロから強い印象を残すチープなオルガン、反復的に強いビートを作り出すエレキベース、幾分わざとらしい感じのコーラスとお気楽なボーカル、さらに安っぽい間奏のオルガンソロ♪♪~♪ ドC調な手拍子やキメのオルガンブレイクも良い感じ♪♪~♪

あぁ、これこそ、ちっぽけなトランジスタラジオにはジャストミートのヒット曲ですよ! 決して豪華なオーディオ装置は、お呼びじゃない!

そして「バブルガム」は1970年代初頭まで、ニューロックやシンガーソングライターのプームに並び立つ、もうひとつの流行となっていたのです。

その立役者は前述のジェリー・カセネッツ&ジェフ・カッツが運営していたスーパー・K・プロダクションに所属の歌手やグループ、またモンキーズを生み出したドン・カシューナが新たに作り出したアニメ世界のバンドだったアーチーズ、そしてオハイオ・エクスプレス、レモン・パイパーズ等々、数え切れないほどのヒットメーカーが登場しています。

今日では、その子供向けのサウンドと他愛ない歌詞の所為もあって、軽視される存在の「バブルガム」ではありますが、実はこんなものもサイケおやじは大好きで、三十路を越えた頃から一念発起で集め始めたシングル盤を聴き進むにつれ、音楽業界の仕組みや流行の作り方という実用的な部分も含め、なかなかの味わいと蘊蓄に深いものを感じるようになりました。

中でもキャンディーや砂糖菓子の比喩を上手く使った歌詞は、子供達なりの恋心を上手く表現したものでしょうし、演奏面ではサイケデリックやニューロックのキモを易しく作り直したサウンドプロデュースが、例え子供達にレコードを売る手段だったとしても、意外に侮れません。もちろんモータウンあたりのR&Bフィーリングが巧みに応用されているのは言わずもがなで、この流れがイギリスのトニー・マコウレイやロジャー・クック等々の同系プロデューサーの仕事と相互作用していくのは、やはり洋楽史にとって無視出来ないものだと思います。

こうして生み出された一連の楽曲は近年、CDでもなかなか立派な復刻が出来ているようですから、纏めて聴くのも楽しいはず♪♪~♪ なによりも琴線に触れまくるキャッチーなメロディ、歌とコーラスと演奏の巧みなコラポレーションは、まさにプロが作り出したポップス天国! これも永遠に不滅の世界です♪♪~♪

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ザ・ラブの幻影

2009-10-12 11:23:29 | 日本のロック

イカルスの星c/wワンス・アゲイン / ザ・ラブ (東芝)

ジャズでは定番用語の「幻の名盤」、そのGS版のひとつが本日ご紹介のザ・ラブ、おそらくは唯一残されたシングル盤ではないでしょうか?

尤も私が、このグループを知ったのは後の「廃盤アワー」ブームの昭和60年でしたし、リアルタイムでバンドが活動していた昭和44年当時の事は何ひとつ知りません。当然ならが、この「イカルスの星」も全くヒットしていませんでした。

ただ、楽曲としては越路吹雪の人気演目のひとつとして、良く知られていると思います。多分、当時は競作扱いだったんでしょうか?

と、???ばかりのザ・ラブなんですが、メンバーは元アウトキャストの藤田浩一(g) をリーダーに、高宮雄次(vo)、木幡ヒロミ(org,key)、荒井ヒデオ(b)、島田史雄(ds) という5人組で、レコードを聴く限りでも、なかなかの実力派だと思います。

そして昭和44(1969)年3月に発売された、恐らくはデビュー曲であろう「イカルスの星」は、作詞:岩谷時子&作曲:内藤法美、さらに編曲が村井邦彦というだけで、これはもう名曲名演は決ったようなもんですが、実際、ザ・ラブの歌と演奏は素晴らしい限り♪♪~♪

まずイントロから絶妙の透明感で泣きまくるエレキギターのせつないフレーズ♪♪~♪ 強いビートでドライヴするエレキベースと力感溢れるドラムス、そしてこの時期ならではのチープなオルガンが最高の彩りとなった演奏パートに、グッと惹きつけられます。

また適度な湿りっ気が琴線に触れまくりという高宮雄次のボーカルは、多分コーラスも含めたダブルトラックだと思いますが、その意図的かもしれない微妙なズレが絶品のプロデュースじゃないでしょうか。もちろん曲メロと歌詞の解釈も上手いと思います。

う~ん、それにしても、この低音域重視の「東芝サウンド」は素晴らしいですねぇ~♪ それは間奏から後半へと展開されるクライマックスで、さらに感動的です。

それとB面の「ワンス・アゲイン」は藤田浩一が自作したサイケデリック系のハードロックな歌謡曲なんですが、唸るファズを効かせまくったエレキギターとブリブリのエレキベースがリードする演奏パートに強いコントラストで存在感をアピールする湿っぽいボーカル&コーラスが、これまた素晴らしい限り! せつない失恋と情けない執着を素直に表現した歌詞と歌い回しが、たまりません♪♪~♪ またパワフルなビートを叩き出すドラムスも良い感じ♪♪~♪

しかし、これほどの両面傑作名演を作り出しても、ザ・ラブはブレイクすることなく、消えて行きました……。

時代は既にGSブームが下火となり、いろんなグループが歌謡コーラス系へと転身していく中で、ザ・ラブは新進の気概とともに、後にパワーポップなんて称されるラズベリーズやバッドフィンガーあたりにも通じる洋楽指向を強めていたのは特筆されるべきだと思います。

ただ、それが当時は、カッコ良すぎたんでしょうかねぇ……。

今となっては、このシングル盤を残してくれたことに感謝する他はありません。

ちょっと前にはCD化もされていたようですから、機会があれば、ぜひともお楽しみ下さいませ。

コメント (18)
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