OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

加藤和彦に帰って来て欲しい…

2009-10-18 09:12:51 | Singer Song Writer

帰って来たヨッパライ / ザ・フォーク・クルセイダーズ (東芝)

個人的に敬愛していた加藤和彦の訃報に接しました。

驚き、衝撃、絶句です……。

故人が私の前に初めて登場した時は、フォーク・クルセイダーズ=フォークルのメンバーのひとりであり、解散後にはニューフォークを歌うソロ時代、さらにサディスティック・ミカ・バンド、そしてシティミュージックやAOR風味満点のお洒落な音楽家として活動していた頃……。同時に作編曲家として映画や劇伴、またはアイドルやアダルトシンガー達への縁の下の力持ちとしての活動……。

自殺という報道が全く信じられないほどの充実した生き様があって、ほとんど何から書いていいのか、混乱の極みですが、やはり鮮烈に登場した「帰って来たヨッパライ」を本日は取り上げます。

ご存じのように、これは我国初のアングラソング、つまり今で言うインディーズからの大ヒット! もちろん作曲は加藤和彦です。

確か昭和43(1968)年のお正月過ぎから巷で流れまくった歌声は、テープの速度変換による奇妙奇天烈なものでしたが、その内容は酒酔い運転で事故をやったヨッパライが、天国へ召されても酒を止められず、神様から叱責をくらって追い出され、この世に逆戻りという、なかなかシニカルなものでした。

それを、オラは死んじまっただぁ~~♪ と調子良すぎるツカミの節回し、さらにサビが、天国良いとこ、一度はおいで~♪ と何かの民謡調で演じられる楽しさで歌われては、高度成長と昭和元禄が爛熟していた当時の日本にはジャストミート!

アッという間のミリオンセラーとなり、映画化までされました。

ちなみにこの曲は最初、ラジオの深夜放送あたりから人気が出たようで、私にしても確か「オールナイト・ニッポン(ニッポン放送)」で前年末頃に聴いたのが出会いでしたが、そのインパクトは鮮烈でしたねぇ~♪

つまりアングラというか、サイケデリックというか、そういう分野でありながら、それまでのイメージにあったネクラとか陰湿な部分が全く感じられないお気楽度数が素晴らしく、一緒に歌える楽しさが絶品だったのです。

そしてついにテレビに登場したフォークルは、はしだのりひこ、加藤和彦、北山修というご存じの3人組でしたが、良く知られているように、そこでメインのボーカルを歌っているはしだのりひこは、このレコーディングには参加しておらず、当然ながら、テレビやステージのライプでは普通の声で楽しく演じているのでした。

というのも、後に知ったことですが、この「帰って来たヨッパライ」は関西で活動していたフォークルが解散記念に自主制作した録音のひとつでした。しかもその時のセッションメンバーは加藤和彦、北山修、平沼義男、芦田雅喜という4人で、メインのボーカルは加藤和彦だったと言われていますから、はしだのりひこは参加していません。

ところが「帰って来たヨッパライ」が関西地区で局地的にヒットし始めたことから、大手レコード会社による原盤獲得競争があり、解散を決めていたフォークルも本格的な芸能活動に入ることになったのですが、これに一番積極的だったのが北山修であり、加藤和彦は反対派……。しかし、同じ関西地区でフォークを歌っていた旧知のはしだのりひこの参加を条件に、1年だけの約束で再びフォークルは継続されたようです。

今にして思えば、この「帰って来たヨッパライ」をフォークル解散記念に作っていた時点で、その後も加藤和彦が音楽活動をやろうとしていたか否かは、知る由もありません。しかし、3人組となった芸能界フォークル時代からソロアーティストを経てミカバンドを結成した頃の輝きは、本当にハッとするほど新鮮でした。

正直に言えば、サイケおやじはベタベタの歌謡フォークはそれほど好きではありませんし、ミカバンドも自分の感性には合っていませんが、加藤和彦という音楽家は最高に好きです。まずメロディの作り方がお洒落だし、その元ネタも当然ながら洋楽から拝借していたんですが、その取捨選択が実に素晴らしく、新しかったんですねぇ~♪

おそらくAORのマイケル・フランクスに最初に着目したメジャーな日本人歌手は、加藤和彦だったと思いますし、グラムロックに日本の伝統芸能や沖縄民謡をミックスさせ、さらにファンキーで味付けしたようなミカバンドの音楽性も、当時としては確信犯的なところもありましたが、実際に英国のロックファンを歓喜悶絶させた歴史は不滅です。

また楽曲提供では、原田知世の「カトレアホテルは雨でした」とか、高岡早紀の「薔薇と毒薬」あたりの私にとっては新しい時代のアイドル歌謡も、そのポップなセンスが素晴らしく琴線に触れまくりでした。また竹内まりあの初期楽曲も、素敵でしたねぇ……。極言すれば、元ネタよりも良いメロディを書いてしまう才能がありました。

こうした洋楽からのアイディア借用は独自のパロディ感覚に彩られているのも特筆すべきことで、もちろんそれは「帰って来たヨッパライ」でも、例えば間奏のピアノとか最終部分のお経に聞かれるビートルズへの敬意には、思わずニヤリ♪♪~♪

それとファッションセンスも素晴らしく、私にはとても真似できないダンディズムは時代を先取りしていながらイヤミがありませんでした。これも故人の人柄や人徳によるものなのでしょうか、もちろん面識はありませんでしたが、とにかく優しき粋人だったと思います。

おそらく今頃は天国の階段を昇っているのでしょうか……。それとも三途の河原……。

願わくばヨッパライのように、この世に戻ってきて欲しいものです。

合掌。

コメント (4)
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