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サイケおやじの生活と音楽

例えば、命預けるほどの愛……

2012-09-12 15:42:51 | 歌謡曲

命預けます / 藤圭子 (RCA)

サイケおやじの本サイト「サイケおやじ館」の掲示板で最近、ちょいと盛りあがっているのが所謂人形偏愛♪♪~♪

それは美女系人形に無償の愛を捧ぐ♪♪~♪

と、言えば体裁は良いんですが、物言わぬ人形に様々な自分の趣味嗜好を押し付けるという意味でも、これは一徹な思いの発露でもあります。

実は事の発端はオリエント工業が製造販売しているラブドール、つまりダッチワイフなんですが、それがCSの番組で紹介され、そのあまりのリアルな可愛さに夢中! というあたりから、前述会社のHPを訪れてみると、これがまた感動の嵐ですよ♪♪~♪

そして話は例によって妄想モードに発展し、他サイトの紹介から乱歩&手塚作品にまで及ぶ探求の道筋は、まあ、如何にも拙サイト好みとご理解願いたいところです。

しかし人形偏愛は少女趣味でもあり、また自己完結型という点においては、男であっても、それは共感出来るわけですが、まあ、都合の良い奴隷!? という意味においても、昔っから多種多様な描かれ方をしてきた趣味でしょう。

例えば往年のエロ時代劇では「生き人形の献上」が定番でありました♪♪~♪

また、ロマンポルノでは松川ナミ主演の「奴隷契約書」あたりが、それに該当するかもしれず、なんとっ! 箱詰めにされた奴隷が宅配便で届けられるという展開は秀逸でしたねぇ~♪

ちなみに現実世界の問題としては、件のラブドールを注文したとしても、その配達はど~なるのか? 幾分の不安も感じないではいられません。なにしろブツは人間に極めて近いサイズであれば、なにか誘拐事件と間違われるという恐れも笑い事ではありませんからっ!

いゃ~~、なにか本日は願望剥き出しの言い訳を綴っていますよねぇ……。

しかし昔っから、「人形のような……」という褒め言葉は確かにあって、例えば本日掲載したシングル盤ジャケットに写る藤圭子は、その「人形のような」ルックスとはケタ違いのミスマッチを激しく喚起させるドスの効いた声で歌う「怨歌」が日本中を熱くさせましたですねぇ~~♪

それが1970年代の我国をどれだけ盛り上げたかは、リアルタイムを体験された皆様には説明不要でしょうし、後追いの皆様にしても、現在では宇多田ヒカルの母親としての存在は有名過ぎますから、何かと往年の彼女のキャリアはご存じかと思います。

中でも旅回りの浪曲師の娘としての出自から、某お祭りイベントで歌う彼女がスカウトされ、そこからスタア歌手へと成長する物語は当時、本人出演の伝記映画が制作され、またアニメや小説等々のモデルにもなった事からドロドロに誇張された部分も含めて、根源的な暗さが昭和40年代後半の日本にはジャストミートする存在であった事実は無視出来るものではありません。

思えば現代は極度な不信が、あらゆる分野に蔓延していますが、その根底にあるのが自己保身であろうことは、それがひとつの要因でしかないとしても、否定は難しいでしょう。

例えば今、人気先行の地方政治組織にして、新党に発展せんとする某会に仲間を裏切ってまで入れてもらおうと画策する奴等には、この藤圭子の歌を聴いて欲しいもんですよ。

 命預けます
 嘘もつきます生きるため
 
 やっと開いた花一つ

 雨の降る夜は雨になき
 風の吹く日風に泣き

 いつか涙も枯れはてた

 こんな女で良かったら

 命預けます

いゃ~、流石は藤圭子の師匠・石坂まさを作詞作曲は永遠に不滅ですねぇ~。

それをジワジワとハスキーに歌う藤圭子のリアルな情感!

少なくとも永田町の先生方が、こうした気持の欠片でも抱けるのならば、国民はもうちょいと救われるんじゃ~ないですかねぇ……。

この歌は昭和45(1970)年のちょうど今頃からの大ヒットでしたが、それから既に40年以上経っているとしても、人の心と世の中は、そんなに変わるものではありませんからっ!

ということで、本日は妙な文章展開になってしまいましたが、そこは藤圭子の美しきジャケ写のポートレートに免じて、「人形のような」美貌を眺めつつ、ご容赦願いたいところです。

そして願わくば前述した伝記映画「わが歌のある限り(松竹)」がソフト化されますようにっ!

コメント (3)
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