OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

レーナード・スキナードの総意

2012-09-25 15:46:16 | Rock

Lynyrd Skynyrd (Sounds Of The South / MCA)

1970年代に大きなブームとなったサザンロックの王様は、もちろんオールマンズでしょうが、もうひとつ、サイケおやじが好きでたまらないバンドとして、レーナード・スキナードがあります。

その魅力は白熱のトリプルギター、ヘヴィにドライブするリズムセクション、男気と哀愁を滲ませる情熱のボーカル、さらにはオリジナル楽曲とカパー演目のバランス良さ、そしてデビューから初期のプロデューサーがアル・クーパーという、全くサイケおやじがグッと惹きつけられる要素ばっかりのグループなんですよっ!

そこで本日ご紹介するのが、その公式デビューアルバムで、世に出たのは1973年末でありながら、もちろんそこまでの紆余曲折、そして人気絶頂時における悲劇的なバンド消滅も含めて、まさに伝説の始まりが収められています。

 A-1 I Ain't The One
 A-2 Tuesday's Gone
 A-3 Gimme Three Step
 A-4 Simple Man
 B-1 Things Goin' On
 B-2 Mississipppi
 B-3 Poison Whiskey
 B-4 Free Bird

ところで、レーナード・スキナードが我国で紹介されたのは1974年だったんですが、とにかく最初に喧伝されたのが、アル・クーパーが直々のプロデュース! 

それは言うまでもなく、ニューロックの歴史を作った才人のひとりが認め、自ら設立した新レーベル「サウンド・オブ・サウス」からの第一号(?)タレントである資格と名誉をウリにした、些かの憎らしさがありましたですねぇ……。

しかし実際に出てくる音を聴いてみれば、これが実に骨太のロックが基本であって、同時に細かいところまで組み立てられた演奏と歌のバランスが秀逸なんですから、当時の洋楽マスコミは挙って実力派の登場!!

とにかく各方面で、ベタ褒めだったと記憶していますが、それもそのはず、既に述べたように、レーナード・スキナードには、みっちりと下積みがあったんですねぇ。

その始まりは中心メンバーのロニー・ヴァン・ザンド(vo)、ゲイリー・ロッシントン(g)、アレン・コリンズ(g) の3人が高校時代に結成したバンドであり、最初はストーンズやビートルズ、ヤードバーズ等々のコピーをやっていたというあたりは、如何にも1965年であり、また夥しくあっては消えていったアマチュアバンドの典型的な有り様です。

そして出身地のフロリダ周辺からアメリカ南部の各地区でドサ回りをスタートさせたセミプロ時代には、追々に後のレギュラーメンバーも揃っていくのですが、結局はカタギの就職もせず、なんとか食っていけたのは、彼等にはそれだけの実力と根性、同時に処世術があったからでしょう。

実はサイケおやじはレーナード・スキナードを最初に聴いた時、しぶとい感じを強く覚えたんですが、後にデビューまでの様々なエピソードを知ってみると、さもありなん!

なにしろ、1室だけ借りたモーテルに7~8人のバンドメンバーがザコ寝で生活していたとか、食料調達の諸々には触法行為もやっていたとか、まあ、このあたりは何もレーナード・スキナードだけでは無いはずですが、そうした苦節の味が、殊更微妙に彼等の歌や演奏から滲み出ている感じがするわけです。

さて、そんな苦節もあってか、いよいよ大手レコード会社からの本格的なデビューを狙ってのデモテープ作りには、マスル・ショールズのスタジオミュージシャンとしては超有名なギタリストのジミー・ジョンソンが協力してくれる事となったそうですが、そういう強い人脈が培われたのも、真摯(?)な下積み時代があったからじゃ~ないでしょうか。

ちなみに、ここで作られたデモ音源はバンド消滅後に纏められ、アルバム化されているのは、皆様ご存じのとおりです。

ただし、その頃になってもバンドメンバーは未だ流動的であり、折しもサザンロックの新しいブームに瞠目していたアル・クーパーに認められ、前述の新レーベルと契約レコーディングがスタートする時点になっても、レギュラーが揃っていなかったというのですから!?

ところが流石はアル・クーパーの手腕は堅実というか、自身が南部系のサウンドを作る時には頼り(?)にしていたアトランタ・リズム・セクション=ARSが根城のアトランタ・スタジオ・ワンを使い、録音現場の助っ人も願い出ているんですが、このARSの前身こそが、「Spooky」等々の大ヒットを放ったクラシックス・フォーというスタジオミュージシャン集団であり、バンド名どおりのサザンロックをやっていながら、なかなか万人向けのポップな感覚を前面に出したスタイルを持っていたんですから、何の心配も御無用という事でしょうか。

ここにデビューアルバムを作った時のレーナード・スキナードのメンバーはロニー・ヴァン・ザンド(vo)、ゲイリー・ロッシントン(g)、アレン・コリンズ(g) に加えて、元ストロベリー・アラーム・クロックのエド・キング(b,g)、ビリー・パウエル(key)、ロバート・バーンズ(ds)、そして当時は出入りの激しかったレオン・ウィルカースン(b) という顔ぶれだったようですが、現実的にレコーディングでベースを担当していのはエド・キングであり、また、そのフレーズ構成はオリジナルベーシストであったレオン・ウィルカースンのプレイをコピーした旨が見開きジャケット内側解説に特記してある事から、本人が正式なペース奏者としてバンドに復帰したのも、当然と思います。

もちろん、それゆえにウリとなったトリプルギターのバトルが確固たるスタイルになった事は言わずもがなでしょう。

その最初の成功例として、ここに収められているのが、以降のレーナード・スキナードでは最高の人気演目となった「Free Bird」で、約9分の長尺トラックの後半が、それこそギンギンのギター絡み合い! 一応、主なリードパートはアレン・コリンズとクレジットされていますが、クライマックスでは誰がどのフレーズを弾いているのか? 不明なのが本当にイライラしてくるほど、熱いですよっ!

しかし、もうひとつ、この「Free Bird」で大きな魅力となっているのが、一説によると早世したデュアン・オールマンに捧げたとされる、その哀愁ロックな曲メロを歌うロニー・ヴァン・ザンドのボーカルです。

いゃ~、まさに「切々とした」という表現がジャストミートの歌いっぷりが、実に泣けてくるんですねぇ~~♪

もう、それがあってこその、後半ギターバトル大会ですよっ!

その意味で、もうひとつ、ゆったりした哀愁ロックの「Tuesday's Gone」ではアコースティック&エレキギターのコンビネーションと緻密なバンドアンサンブル、そして泣けてくるストリングスをバックに歌う典型的なサザンロックのパラード表現が、たまりませんねぇ~♪

一方、骨太ブギの「I Ain't The One」、フェィセズと言うよりも我国のツイストみたな「Gimme Three Step」、如何にも十八番のハードロック「Poison Whiskey」に顕著なブリティッシュロックからの影響が隠し様も無いのは、まさに時代の流れでしょうか?

リズムの作り方、特にギターはエリック・クラプトン~ジミー・ペイジ系のコピー色がモロなんですねぇ~♪

それはミディアムスローから少しずつヘヴィに展開される「Simple Man」、ホンキートンクなピアノが良い意味で野暮ったい「Things Goin' On」、アコースティックなカントリーブルースでありながら、第一期ジェフ・ベック・グループみたいなヘヴィさが魅力の「Mississipppi」あたりにも強く感じられるもので、そうした感覚がアル・クーパーのプロデュースによるものか、あるいはバンド本来の持ち味であったものか、そんなこんなの論争があったのも懐かしい記憶です。

しかしレーナード・スキナードの個性は、そうしたブリティシュロック味がウケた事により、決定的になったんじゃ~ないでしょうか?

サイケおやじが贔屓なのも、そこに要点があると自己分析しています。

ということで、後の人気沸騰を鑑みれば、このデビューアルバムは必ずしも大成功作とは言えないかもしれませんが、幾分の不安定さや荒削りなフィーリングはロックの醍醐味のひとつであり、それが既に述べたとおりの緻密な部分と上手く融合している事は、アル・クーパーのプロデュースの力と思っています。

そして以降、1977年10日17月の飛行機事故によってバンドが消滅するまで、数枚の傑作アルバムを残しつつ、絶対的な人気を獲得したのです。

今となっては、オリジナルのレーナード・スキナードからの残党による別バンドやリバイバルグループが活動していますから、その衣鉢は立派に受け継がれているものと思いますが、であればこそ、本家の消滅は……。

う~ん、レーナード・スキナード、永遠なれっ!

コメント
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