OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

ちあきなおみ、もう一度!

2009-09-03 11:40:10 | 歌謡曲

雨に濡れた慕情 / ちあきなおみ (日本コロムビア)

昭和歌謡曲といえば、それを代表する女性歌手のちあきなおみを抜きにしては語れません。

昭和47年のレコード大賞曲「喝采」、それ以前のコミカルなお色気路線、また「矢切の渡し」等々の正統派演歌からニューミュージック、懐メロや洋楽、さらにジャズ風味のポップス路線と、何でもござれの実力派ですが、そのいずれもが「歌謡曲」というスジの通し方は、流石だと思います。

その歌の上手さは、とにかく圧倒的!

さて、本日のご紹介は昭和44(1969)年6月に発売された、ちあきなおみのデビューシングル曲で、リアルタイムでは小ヒットでしたが、その洗練されたポップス性と正統派歌謡曲の味わいが見事に融合した名曲名唱になっています。

まず全体のサウンド作りが、当時の流行最先端というCTI系イージーリスニングジャズですよ♪♪~♪ 弾むピアノとグルーヴするエレキベース、軽いボサロックのドラムスにミステリアスなストリングが素晴らしくお洒落ですし、ギターはもちろんジャズロック♪♪~♪

そして肝心のちあきなおみのボーカルが、洗練された曲メロを大切にしながらも、実に自然体の「コブシ」を披露してくれます。

あぁ、この節回しの魅力は、ちあきなおみが永遠の歌の女神として降臨した証でしょう。

ちょっと鼻にかかったような声の伸びやかな表現は唯一無二だと思いますし、少しばかり虚無的な歌詞に絶妙の湿りっ気を含ませるあたりが、強い印象を残します。

ご存じのように彼女は幼少の頃から歌の道に入りながら、一緒に米軍キャンプ回りや有名歌手の前座をやっていた弘田三枝子や伊東ゆかりの後塵を拝しての下積みが長く続きました。

しかし、その歌手としての実力を高く評価していた当時の所属プロダクションの力もあって、昭和43(1968)年にはコロムビアのオーディションを通過し、このデビュー曲を書いた鈴木淳に預けられたところから、翌年の正式なレコードデビューとなったのです。

そこまでの経緯は、昭和49年10月にレコーディングされたライプ盤「ちあきなおみリサイタル(JDX7047-8)」に収録の「私はこうして生きてきました」という半生告白の歌に集約されていますが、続けて、このデビュー曲が歌い出される流れには、思わずウルウルしてくるほどですよ♪♪~♪

そして彼女は順調にスタア歌手への道を歩み始め、ついには頂点に輝きながら、夫で俳優の郷治との死別以降、全く活動を停止してしまったのは残念至極……。そのステージでの生歌を一度も聴く機会がなかった私は、それを今もって後悔しているほどです。

ただし奇蹟的にも、私はちあきなおみに、唯一度だけ、身近に接したことがあります。

それは今から18年も前になりましょうか、多分広尾だと記憶していますが、某喫茶店に入ったところ、そこは郷治が経営している店でした。そして本人が自ら、あの苦みばしった表情で、とても美味しい珈琲を入れてくれたのですが、なんとその時、ちあきなおみが店にやってきて、私の頼んだ珈琲を運んでくれたのです♪♪~♪

どうです、羨ましいでしょう。

ただし、その時の私は、憧れのスタアふたりを前にして、ガチガチに緊張してしまったですよ。実は仕事の打ち合わせだったんですが、もう、頭の中は真っ白でしたねぇ。流石にサインを頼むという非礼を慎むのが精一杯……。

ということで、ますます、ちあきなおみが大好きになった私です。

思えば彼女がデビューした頃はミニスカ全盛期でしたから、隠しきれないお色気がいっぱいというちあきなおみが、その二十歳前のエロスが滲む女の魅力を発散させるのは当然でした。もちろんサイケおやじの性癖嗜好にはジャストミートのお姉さん系♪♪~♪

基本的には愛嬌顔でありながら、本質的なスケベ心を刺激する面立ちと熟れた肉体、そして歌で表現される様々な愛の形や人生の機微、そうしたものの最高峰が、ちあきなおみであることに間違いはありません。

残された音源は全て絶大な価値があると断じて憚りませんし、テレビ出演も多かったわけですから、そうした宝石を纏めたボックス物も出ていますが、まずは、このデビュー曲は決して外せないところでしょう。

ちなみにB面に収録の「かなしい唇」は、全くのド演歌ですよ♪♪~♪ しかし、これも彼女ならではの味わいが絶品!

ちあきなおみの復活を心から願っています。

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