松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

竿灯の見せ方は、つまらない。

2018-08-06 13:26:44 | 日記・エッセイ・コラム

 竿灯は国の重要無形民俗文化財に指定されている。ところがテレビでは、そのことに納得がいく説明がない。今年も竿灯の本数が去年に比べてどうだとか、そういう話しかしない。稲穂に見立てた竿灯の数が多ければそれで豪華なのか。


 本当の竿灯の迫力を伝え切っていない気がする。今年は新しい試みとして差し手の頭にカメラを付けて、演技者目線の映像を見せてくれた。一応、拍手を送ろう。
 しかしまだ物足りない。重さが50kgあると、毎回言っている。しかし観光客が触れるのは、軽い子供用のものだ。あれでは本物の重量感が伝わらない。実際に触って、上げたことはないが、竹竿で組んだ提灯は、しっかり固定されているとはいえ、柔軟にしなるはずだ。今度はその竹竿にマイクを仕掛けて、演技者が感じる音を伝えて欲しい。


 昔、大した見世物が無かった時代を想像しながら見る竿灯は、景気のいいお囃子のリズムに乗って、力自慢の男衆が技を競い合う、美しさも兼ね備えた祭りだったに違いない。
 その曲芸でありながら優雅な演技を、TVの2次元でどうにかドラマチックに表現できないもんかなあ。肩と腰にできたアザを見せるとか、差し手のこころの内側に踏み込んで欲しいなあ。

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帆船「みらいへ」入港

2018-08-04 05:48:58 | 日記・エッセイ・コラム

 帆船「みらいへ」は、日本で唯一、誰でも乗れる練習帆船(旅客船)だ。全長52m、北前船より一回り大きい。宿泊できる定員38名。


 中の通路は結構狭い。と言っても男鹿海洋高校マグロ実習船「船川丸」と同じ。人より大きい私には、圧迫感がある。閉所恐怖症の人は無理かもね。でもデッキに出さえすれば、大海原は自分のものだ。


 こういう船で沖へ出たことはないが、想像はつく。ちょっとしたうねりでも、相当足を踏ん張らないといけない。足元がググっと迫ってくる時の重力Gは、今の私には2時間耐えられるか自信がない。


 本日は午前・午後と体験航海の日だ。大人3,000円で2時間楽しめる。港から出て、デッキを歩けるかは知らないが、今日なら余計な心配はいらないだろう。


 こんなに長いマストを、どうやって支えているのか。帆船を見るたび、不思議に思う。水面下の船底は、見た目以上に深いのだろう。


 今日行ったら、帆を張った姿が見られるかも知れない。大型客船「にっぽん丸」と一緒に見に行くか。

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長岡の花火を見た、テレビで。

2018-08-03 08:24:23 | 日記・エッセイ・コラム

 日本三大花火のひとつ、長岡の花火を見た。電気を消して夜風を入れ、スピーカーのボリュームを上げた。


 どうも規模の大きさを表現するのに、尺玉、尺玉って騒いでる。まるで尺玉しか上げないみたいに。とても「しゃく」にさわる言い方だった。
 テレビカメラマンと調整室は上手だったよ。大曲より。ロングもアップも切り替えがまあまあ良かった。こういう風にやるんだよ、どうして大曲の時、出来ないかなあ。


 しかし豪勢な割に、落ち着いた「型」というものが見えなかった。その点、伝統的な大曲の花火は男性の朗々とした声から始まって、最後は10号(尺玉)早打ちと共に流れる津雲優の「いざないの街」その中で歌われる秋田県民歌。これで締めるんですよ。これが県民には、たまらない。


 そして終わってからも帰らずに、花火師とのエール交換がある。この余韻を愛でるゆとりが、あるかね。

 かように起承転結が、はっきりしている。これが伝統たる所以で、ござりまする。
 昇り曲導付き三重芯変化菊、なーんて難しい名前は覚えなくても、花火師の個性を楽しめる大会なのですよ。


 手前に3尺玉を大そうに置いて、枝豆食いながら実況するパックン他ゲストは確かにうらやましかった。3尺玉の衝撃波が、どれほど腹にこたえるか。それを体験したかった。シカシあの距離じゃあ、それは出来なかっただろう。ざまーみれ。

 

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百合をくれた人

2018-08-01 11:05:34 | 日記・エッセイ・コラム

 3年前、このユリを下さった方は、もう居ない。別世界へ行ってしまった。 肝臓ガンだった。ご本人の口から、それを聞いた。それが去年の話。


 辛抱強い人だった。最後まで苦しいと言わなかったそうだ。だから進行するまで医者に行かなかったのだ。
 町内会長になる人が居なくて、解散を宣言しようとした総会の、最後の最後に彼は名乗り出た。転入して間もないのに。そういう人物だから、早く亡くなるのだ。いい人から先に行く。だから私はまだ安心。


 まだ60代だよ。この世が住みよいとは言い難いが、残された人にとっては辛いことだ。
 そういう人を救うのが、宗教なんだが・・。


 だから人間は、

 自分の内に、仏さまを持っているはずだ。

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