松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

長岡の花火を見た、テレビで。

2018-08-03 08:24:23 | 日記・エッセイ・コラム

 日本三大花火のひとつ、長岡の花火を見た。電気を消して夜風を入れ、スピーカーのボリュームを上げた。


 どうも規模の大きさを表現するのに、尺玉、尺玉って騒いでる。まるで尺玉しか上げないみたいに。とても「しゃく」にさわる言い方だった。
 テレビカメラマンと調整室は上手だったよ。大曲より。ロングもアップも切り替えがまあまあ良かった。こういう風にやるんだよ、どうして大曲の時、出来ないかなあ。


 しかし豪勢な割に、落ち着いた「型」というものが見えなかった。その点、伝統的な大曲の花火は男性の朗々とした声から始まって、最後は10号(尺玉)早打ちと共に流れる津雲優の「いざないの街」その中で歌われる秋田県民歌。これで締めるんですよ。これが県民には、たまらない。


 そして終わってからも帰らずに、花火師とのエール交換がある。この余韻を愛でるゆとりが、あるかね。

 かように起承転結が、はっきりしている。これが伝統たる所以で、ござりまする。
 昇り曲導付き三重芯変化菊、なーんて難しい名前は覚えなくても、花火師の個性を楽しめる大会なのですよ。


 手前に3尺玉を大そうに置いて、枝豆食いながら実況するパックン他ゲストは確かにうらやましかった。3尺玉の衝撃波が、どれほど腹にこたえるか。それを体験したかった。シカシあの距離じゃあ、それは出来なかっただろう。ざまーみれ。

 

コメント
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