石川理紀之助の功績を称える記念館は、名称が「潟上市郷土文化保存伝習館」となっている。陳列してあるものは、すべて翁に関係したものなのに、まあ農機具などもあるが、なぜ石川理紀之助翁の名前を全面に出さないのだろう。
建物は鉄筋コンクリート造のがっしりした外観だが、実は裏庭がいい。
3階から裏庭に出ると、そこはもう当時の雰囲気で満ちていて、高い木々が作る空間が気持ちよく、癒されることこの上なし。
でっかい樅ノ木は、翁が45才の頃、身長ほどしかなかったと言うが。それから130年で、こんなに大きくなるか。信じられんな。
昔のままの建物が数々あるが、やっぱり「備荒倉」だろう。ここには、100年前のコメが眠っている。
地元の小学生が毎年、翁の検定を実施しているが、その時100年前のコメを食べることが出来る。
出来た、と言っておこう。今はやってないかも知れない。
今年は無いそうだ。いづれ初期には実際、食べさせた。食べられるのだ。
この林には、針葉樹、広葉樹あるが、実の成る木を意識的に植えてある。今あるのはトチの木くらいらしいが、昔は柿の木もあった。
これはトチの実と違うな、クルミじゃないか。
思うに田舎に行くと柿が鈴なりにほったらかしてあったり、栗のイガだらけだったりするのは、飢饉に備えて、食える木を植えた名残ではなかろうか。
説明してくれた女性に聞いてみた。「今、イネの名前を募集しているでしょ。なんで、リキノスケって付けないんだろうねえ」そしたら「JAの初代理事長が石川理紀之助だったんですよ」と言う。
あれ~。身内かよ。「我田引水」ってやつだ。それで、敢えて避けてるとか・・。我田引水も農業から来た言葉なのに。むなしいわ。
石川理紀之助は、朝が早い。毎日2時に起きていた。4時間寝れば十分だと言っていたらしい。仕事への情熱が、それを支えていたのだろう。
オレは今朝、3時半に目を覚ました。不足分は、昼寝で支えている。