毎年言ってるんですが、また言います。
竿燈のいいところは、そこじゃない。
去年より2本多いとか、高さ12m重さ50kgとか、
そういうことじゃない。
ちなみに12mって、竿を足す前かい後かい。どっちでもいいが。
竿燈の神髄は、差し手と囃子手の掛け合いにある、と思っている。
それがジャズで流れていくんです。
お囃子は型が決まっている。古くから伝えられたリズムとメロディがある。
しかし楽譜で残すほど、窮屈なものではない。
基本形はあるが、人によって、拍の取り方、長音の伸ばし加減、
装飾音の付け方が違います。
これは県庁竿燈会の方が書いてあるのを見ました。
要するに興に乗ってアレンジできるジャズなのです。
それは目の前の差し手と一体でなければなりません。
差し手が見えを切る時に、最も自分が表現したいものを出すのです。
私の印象では、それは強弱の付いた次第に上がる太鼓のリズムに乗って、
笛の甲高い音を多用した一連のフレーズなのです。
お囃子には2種類あって、行進の時の「流し囃子」と、
演技中の「本囃子」があります。
どっちも曲が一回りするのは30秒から1分ほどですが、
それが途切れずに繰り返されるのです。
どうしても演技する側に注意が行ってしまいますが、
耳はしっかり音をとらえて下さい。
何百本も林立する中で、竿燈の神髄を、
目にするチャンスは少ないと思います。
見物する側も、流して歩いて、自分の好きな団体を見極められたら、
いい思い出に残ると思います。
県立大竿燈会の「あご」による演技。
正式種目にはありません。
「米子がいな万灯」にはあるそうです。