松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

竿燈の説明は、なってない。

2019-08-06 06:59:18 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年言ってるんですが、また言います。

  竿燈のいいところは、そこじゃない。

  去年より2本多いとか、高さ12m重さ50kgとか、

 そういうことじゃない。

 ちなみに12mって、竿を足す前かい後かい。どっちでもいいが。

  竿燈の神髄は、差し手と囃子手の掛け合いにある、と思っている。

  それがジャズで流れていくんです。

 お囃子は型が決まっている。古くから伝えられたリズムとメロディがある。

  しかし楽譜で残すほど、窮屈なものではない。

  基本形はあるが、人によって、拍の取り方、長音の伸ばし加減、

 装飾音の付け方が違います。

 これは県庁竿燈会の方が書いてあるのを見ました。

  要するに興に乗ってアレンジできるジャズなのです。

 それは目の前の差し手と一体でなければなりません。

 差し手が見えを切る時に、最も自分が表現したいものを出すのです。

 私の印象では、それは強弱の付いた次第に上がる太鼓のリズムに乗って、

 笛の甲高い音を多用した一連のフレーズなのです。

  お囃子には2種類あって、行進の時の「流し囃子」と、

 演技中の「本囃子」があります。

 どっちも曲が一回りするのは30秒から1分ほどですが、

  それが途切れずに繰り返されるのです。

 どうしても演技する側に注意が行ってしまいますが、

 耳はしっかり音をとらえて下さい。

 何百本も林立する中で、竿燈の神髄を、

 目にするチャンスは少ないと思います。

  見物する側も、流して歩いて、自分の好きな団体を見極められたら、

 いい思い出に残ると思います。

 県立大竿燈会の「あご」による演技。

 正式種目にはありません。

 「米子がいな万灯」にはあるそうです。

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