車を使って歩いていると、身体を動かした気分になる。
しかし肝心の足は使っていない。「帰りのあし、あるか」うまい形容
だと思う。その足を使って散歩した。すると小学生が声を掛けてくる。
「こんにちは」こっちは予期してないから、「おう、こんにちは」くらいしか
返せない。もう一人小学生が、おばあちゃんと歩いてきた。この子も
「こんにちは」と言ってくる。雪が降る中、完全武装の誰とも分からぬ
人間に優しく声を掛けてくれる。人間の基本は、あいさつ。それが
できるから、秋田県の子供は学力も上位なのかも知れない。
言葉に関しては、「カネを積まれても使いたくない日本語」の著者、
内館牧子氏に共感するところが大である。今風の若い子の使う
言葉に関しては、彼女が熟知しているので、しかも痛快なので省くが
それ以外にも、せっかく学校で習ったのに、いまさら変化している
日本語も多い。ローマの皇帝「カエサル」って何。身代わりの速いサル
かいな。「シーザー」って言えよ。なぜにわざわざ、カッコ悪い日本語の
方を使うのさ。J・G・バラードの「結晶世界」を、ついに1週間かけて読んだ。
その中に「ビールス」という言葉が出てきた。今の人には分かるまい。
「ウイルス」のことだ。古い記憶がよみがえった。DNAを発見した頃、
学会では「ビールス」という言葉を使っていたはずだ。
「インスリン」も気に入らない。なぜ「インシュリン」ではだめなの。
5年ほど前、下血して入院した時、向かいのベッドが糖尿病患者だった。
医者も看護師も、古い人はつい「インシュリン」と言ってしまうのを聞いた。
自分を殺してまで、使わないといけないの。
ついでなので、「分泌」これを「ぶんぴつ」と呼ぶ。しかし今でも「ぶんぴ」
と言っている人もいる。どっちかにしろー。
ついでに、「光合成」我々は「こうごうせい」と習った。しかしその後
「ひかりごうせい」になった。でもNHKEテレで「こうごうせい」と言っている。
どっちなんだー。オレらを、もてあそぶのも、大概にしろー。