残念なお知らせです。竹田恒泰氏がノンストップに出たので、
見てました。隣のカンニング竹山のどら声、向かいの女子3人組に
囲まれて、気の毒でした。
互いの主張はそんなにズレがないのに、とにかく3人寄ればかしましい
西川、紗理奈、千秋にやんや言われ、竹山には声量で負け、
論点のズレを指摘しても、まったくの無駄なのでした。
「日の丸を背負っている」の解釈にしても女子軍はカッカして
いるから耳に入らなかったらしいが、竹田氏は「国民の期待を
感じている」程度のことしか言ってないはず。
オリンピックに出るほどの選手は皆、素晴らしい素質の持ち主だし、
人に言えない苦労を重ねていることも真実でしょう。
そして参加することに意義がある、なんて考えている選手は
いないはず。みんな勝ちにいっているはず。
その上で、の話。前提で議論が止まってしまっている。
その期待に反して、メダルが取れなかったら、「楽しかった」
では一流アスリートとして、画龍点睛に欠けると言っている。
それも過去の五輪の話。
今ではない。今回の選手は皆、立派だったと言っているのに。
何に対して反論しているのか、分からない。
あったま、悪いんでない。
誰も言及しなかったが、十代のプロ選手がメダルを取って、
さほど嬉しそうじゃなかった。彼らは自己表現がへたなのか、
それとも、オリンピックでのメダルの価値は、彼らプロにとっては
その程度のものだったのか。
過去に柔道の篠原がミスジャッジで負けた時の言い訳を
例えに出していた。「自分が弱かったから負けた」
サムライは勝負の結果を、誰かのせいにはしない。
くやしさの裏返しの「楽しかった」は言わない。そういう意味。
あの世紀の大誤審に対して韓国なら、国を挙げて
署名活動をしたでしょう。
でも日本は、そんなことはしなかった。
それはあの試合に、金メダル以上のものを見たから。
日本人はそれでいいのだ、と思っている。
その人の価値は、メダルの色で決まるような
外見で見えるだけのものじゃない。
そのことを日本人は知っているし、
それが日本人の共通理解なのだ。