日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

原発の事故

2007-07-29 17:37:27 | Weblog
 地震で、柏崎の原子炉の事故が問題になっている。原子炉の場合は、ちょっと間違うと、かってチェリノブイリ事故であった様に大惨事になる。今でも、ウクライナやベラル一シ一で、甲状腺ガンで多くの人が苦しんでいるのは知っての通り。これから世界あちこちで人類は、石油に変わるエネルギ一として利用して行こうとしているし、その先端に、アメリカと日本がいる。原爆を投下し、投下された国が中心になって、それに、中国やインドも積極的に参加する感じで。
 アメリカでは、銃の惨事が後を絶たない。カナダでは、銃の規制があり、それなりに平和だ。原子炉を持つと言うことは、ピストルを持って毎日を過ごす様なもので、それなりの事故を覚悟しておかなければいけない(例えがよくないとは思うが)。
 免疫学的には、人は、放射線を浴びると、胸腺も骨髄もやられてしまう。つまり、T細胞もB細胞も、やられてしまう。それは、人の遺伝子に前もって組み込まれていない情報。それに対処するしっかりとした遺伝子が組み込まれていないのだ。だから、放射線を大量に浴びた後の免疫不全の状態は、極めて深刻である。それは、広島や長崎の原爆の後の被爆者の状態が示しているし、それを最も良く知っているのは、それに関わった日本人のはず。
 今、日本は、次第に右翼化している。軍備にお金を掛け、憲法9条まで変えようとしている。原子炉があちこち出来て、軍備をあちこちの国が整備して行けば、その力で、原子炉を叩けば、元に戻れなくなる世界になるのではと危惧するのは、私だけではあるまい。


*原発の問題点に付いて、あるサイトでは、以下の如く記載されている。
 原子力発電については、「クリーンなエネルギー」だというように、我が国では一般的に説明されてるようです。確かに「火力発電」に比べれば、煙を排出しないし、窒素化合物や一酸化炭素、炭酸ガスなんぞによる大気汚染の心配はほとんどないと言えるかも知れませんネ。
 それじぁア、原子力発電所の運転そのものの危険性はどうなンでしょうか。ソ連のチェルノブイリ原発事故・米国スリーマイル島の大事故、また、私達の国でも"もんじゅ"で発生したナトリウム火災事故など、けっこう頻繁に事故が起きていることも事実。しかし、事故については、センサーやモニター、緊急自動停止装置の充実・構成部品等の材質や性能の向上・定期検査方法の改良・運転技術のレベルアップなんぞが十分に出来るンなら、防止することや被害を最小限に食い止めることが可能とも言えるでしょう。しかし、「人間はミスを犯す生き物である」とも言いますネ。先頃の「JCO」の事故は典型的な例でしょう。
 しかし、原子力発電の最大の問題は、「高レベル放射性廃棄物」を出す事が避けられない点です。半永久的に地球上に残ってしまうンですから。これを「安全」に処分するのは、現段階の技術では困難を極めるみたいです。それじゃア、何故困難なのか、その訳を以下に述べさせてもらおうと思います。
 「高レベル放射性廃棄物」は、現在、ガラス固化体としてステンレス容器に封入され、大きさは、ほぼ1メートル、ガスボンベぐらいです。けれども、この「危険性」が問題なンですネ。動燃副理事長が '84年の衆議院科学技術委員会で参考人として次の発言をしてるンですヨ。
「高レベル放射性廃棄物のガラス固化体一体に相当するキュリー数(放射能)は、低レベル放射性廃棄物のドラム缶の《数百万本くらい》に相当するかと存じます」
 具体的にいうと、高レベル放射性廃棄物のガラス固化体のそばに30秒間立っていると、確実に命を落とすレベルなのです。これほど危険なものを数千本から数万本(2.030年には7万本になるとも言われます)、40年~50年間、冷却のために六ヶ所村で保管し、その後地下に埋設(これは、まだ技術的には確立されていない。場所も未定)するという手順になっています。まさに、後世代への『危険なツケ』の先送りと言わざるを得ないでしよう。
 金属容器は必ず腐食するから、この「高レベル放射性物質」が漏れだすとすると、かなり地中深く埋設したって、地下水を経由して地表に滲み出しちまうンです。付近の人達は、放射能に汚染された水を飲み、風呂に入り、農作物にも使用することになるンです。
 だから、「高レベル放射性物質」の最終処分場の決定には、充分な安全性を確認する必要があると言えるンです。特にこの国は地震国だし、活断層の問題をクリアーしなけりゃアならないなんぞ、技術的にもの凄く困難を極める問題なンだという認識を持たなきゃアなりません。
 こんな「危険性」や、「埋設後の問題点」について、私達は、どれだけ知っているンだろう。「高レベル放射性廃棄物のガラス固化体」に換算した、我が国原発による放射性廃棄物の現在までの発生量は、実に17.000本に達するものと推定されるンです。低レベルのドラム缶に換算すりゃア、なんと17.000×数百万本という天文学的な量なンです。これにゃア驚きますネ。
 「高レベル放射性物質」の最終処分に目途がついていない現状を真剣に考えりゃア、もはやこれ以上「高レベル放射性物質」を増加させられない、いや、もう手遅れとも言える段階まで来ちまっているのがこの国の実状なンです。「原発」の新設をする余裕は皆無と言えるンじゃアないでしょうか?。代替エネルギー の早期実用化やエネルギー効率を高める研究を国を挙げて推進し、既設の「原発」を一日でも早く停止させる手段を講じなきゃアならないでしょう。


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為になるかも知れない本(その163)

2007-07-29 07:49:01 | Weblog
○昭和53年6月24日(土)曇。
 田野に講義に行った。何と前の試験(中間試験)の平均点が69点の高得点で、最高が92点、最低が45点であった。結構難しいと思ったのだが。期末試験は、最低が50を切らない様にしよう。教育とは実に面白いと思う。
○昭和53年6月26日(月)晴。
 又、一週間が始まった。(いつもの様に)外来が始まる前に、学生に講義をしてあげた。研修医が僕ばかりに質問してくる。全く、僕は縁の下の力持ちって感じだ。今日の心カテの結果は、何と動静脈瘻だった(この患者さんの父親は、美術の先生で、今でも、毎年、立派な絵の賀状を欠かさずに頂いている。子どもさんも元気な社会人になっている)。
○昭和53年6月30日(土)雨。
 白血病の子どもを受け持った。マルク(骨髄穿刺)が一度で出来た(グラグラ動かないことを確認してから引くのがコツ)。リンパ芽球が沢山あった。出来れば、元気になってもらって小学校に入学させたいとの内容を親御さんに言った。検査室の○○さんが自分で命を絶ってしまった。驚いた。信じられなかった。午後は、医局ではその話でもちきりだった。可愛い子どももいたのに。真面目過ぎたのだ(マスコミで取り上げられることはまずないが、医療関係者の自殺は、多い。医師の自殺に至っては、普通の人の3倍あり)。
○昭和53年7月1日(土)晴。
 ○○さんのことを考えていた。自分の姿を見ている感じだった。皆の仕事を精一杯背負って、休みも病院に来て仕事をしていた。給料が安いことの不満を僕に言っていた(時間外に、生化学検査でよくお世話になっていたので、ウイスキ一を持って行ったことがあった)。精神的に行き着いてしまったのだ。自分のちょっと前の姿を見ている感じだった。当直の日だった。
○昭和53年7月4日(火)晴。
 (昨日の夜、宮崎空港から東京に着いて)今日の朝、スゴイラッシュを経験して会場に行った。朝の8:30から夕方遅くまで(小児循環器)学会があった。とても難しくて、付いて行けなかった。M先生は、数ヶ月しか東京女子医大にいなかったのに、勉強家でよく頑張ってきているなあと思った(M先生は、どこにいても同じだ。本人のやる気だ。本にちゃんと書いてあるよ。症例はどこにでもあるから、一例一例、カテや手術で確認して、自分の腕を上げていけばいいと常々言われていた)。東京にいる姉の姪の子が大きくなっていた。
○昭和53年7月5日(水)晴。
 二日目の学会、外国人の講演があった。高尾先生など偉い先生方が英会話で話されている。会場の人がドッと笑っている。惨めだった。何故笑っているのか、その理由がわからなくて仕方なく皆に合わせて笑わないといけない自分が。
○昭和53年7月9日(日)。
 あと一週間で学生のポリクリも終わりだ。教育なんかどんなに頑張っても、実績として残っていかない。○○先生は、学生の教育に真剣に取り組んでいる僕にはっきりと言った、「田原君、大学は、ペ一パ一しか評価がないよ」と。しかし、僕は大学は教育を一番大切にするべきだと思っている。いい教育がなおざりにされている大学なんて、存在価値がないと言うのが僕の持論だ。二学期は、どんな風になるかなあ。一学期の様にはもう出来ない。
○昭和53年7月10日(月)晴。
 専門2年の人が勉強に来た。○○先生&○○先生が、僕に教える様に言うのだ。僕が教えなければいけない義務はないと思う。しかし、僕は教育が好きだから教えているだけ。


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