日本の心・さいき

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為になるかも知れない本(その149)

2007-07-15 08:36:44 | Weblog
○昭和52年11月29日(火)晴。
 M先生の代わりに育児相談に行った(院外)。はっきりとわかる先股脱の子を見つけた(大学では、上の小児科の先生から、先股脱の怪しい時は自分に依頼がくることが時々あった)。抄読会で、今回は僕の番で(これが2回目)、何とかやれた。
○昭和52年12月1日(木)晴。
 12月に入ってしまった。月日の経つのは早い。大学に来て2カ月も経ってしまった。今年もあと1カ月で終わりなのだなあ。よく考えてみると、僕は医者になってまだ1年半しか経っていない。それなのに、図々しくも治療をしている。いいかげんな治し方を大学に来てもしている感じがなきにしもあらずだなあ。早く充実した生活をしたいなあ。何か宙に浮いている感じだ。
○昭和52年12月3日(土)晴。
 中央高校の看護科に午前中教えに行った。雰囲気が田野の高校とは違った感じに思えた。昨日、この為にプリントを作成していたので、それを利用した。かなりのエネルギ一をこの講義の為にさいている。当直の日だった。
○昭和52年12月4日(日)晴。
 処方箋を沢山書いた(日曜に仕事をして、やっと1週間のたまった仕事が終わる様な感じになっていた)。日曜も、産婦人科の先生は、出勤している(小児科と産婦人科の病棟は、同じ階にあった)。よく働くなあ。何か、バタバタしているけど、はかどらない感じだ。新設医大はどこも初めはこんな感じなのだろう。
○昭和52年12月5日(月)晴。
 ボ一ナス日だった。104.000円もあった。産まれて初めてボ一ナスをもらった。国家公務員だから。全額でカメラを買うことにした。来年の夏のボ一ナスで、8ミリを交おう。
○昭和52年12月6日(火)晴。
 テスト問題をM先生の代わりに作った。まあまあの出来かな。僕は何故か講義をしたら、それに関する問題を作るのが先天的に好きな人間みたいだ。僕みたいな人間、大学には少ないだろうなあ。
○昭和52年12月7日(水)晴。
 今日も又一人受け持ったしまった。血沈が促進しているので、悪性のものかも知れないなあ。多分股関節炎だと思うけど。何か思苦しい雰囲気だなあ。毎朝、カルテにていねいに記載することにしよう、出来れば、夕方もそうしよう。カラシアの子、いつ退院できるのかなあ?あのお母さんは、どうも苦手だなあ。医大もまだ設備が整っていない。病棟での学生の教育が全くなっていない。


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