日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

暑さの中で

2007-07-28 17:56:48 | Weblog
 熊本市で26日(木)に1泊した時に、暑いと思った。タクシ一の運転手さんに聞いても、熊本市の夏は非常に暑いと言う。何でも、熊本市は夏暑くて冬寒いとか(水は、地下水で、とてもおいしい)。山が邪魔して盆地みたいになっているかららしい。その点、上天草市の自分の住む所は、しのぎやすい。大分県の日田市は、盆地のせいか、夏暑くて冬寒い。私の故郷の佐伯市は、夏涼しくて冬温かい。佐伯で冬に雪が積もること、ないことの方が多い。
 日本の夏は、北海道にしても暑い。日本は、亜熱帯から亜寒帯までの領域になっている。本当は、日本は位置的には砂漠になるはずだが、エベレストの山脈に南からの温かい風がぶつかって、島国の日本に、恵みの雨をもたらせてきた結果だ。
 日本ほど、こんなに温度差の大きい所はないだろうと思っていたが、カナダのモントリオ一ルに行って現地の人から聞いてビックリした。そこでの夏は、昼間が40度以上になり、それに反して、冬も、そこでは零下20度近くまでなるとか。とても暑くても、とても寒くても、その気候に応じていろんなスポ一アツがそこで出来るので、そのことに関しては、特に若者は気にしていないないどころか、楽しみにしているとのこと。
 モスクワの人は、冬のスポ一ツを楽しむ為に、冬が来るのを楽しみにしているとの内容がテレビで放映されていた。
 インドネシアのバリに2年前の夏に1カ月間行った時には、メチャクチャ暑くて、閉口した。現地の人も、こんな暑い時がたまにあると言っていた。
 ヨ一ロッパには、ク一ラ一は、ない。それは、暑い夏は、北風が吹いて涼しいし、寒い冬は、南風が吹いて温かいから。それが狂うと、熱中症で亡くなることになる。
 日本の場合は、暑い夏は、暑い南風が吹き、寒い冬は、寒い北風が吹く。それに、台風の通り道になっていて、更には、いくつかのプレ一トが交叉していて、地震発生多発地帯になっている。
 日本人は、自然の偉大さを小さい時から自然に自然から教わってきている。だから、海に漁師が行く時には、海の神様に祈る感じで拝んでいる。山に猟師が行く時には、山の神様に祈る感じで拝んでいる。
 その点、外国では、自然を神様とするよりも、アラ一やキリストやブッダを崇める感じで、一神教になっている。日本人の感覚とは違っている。土地がつながった外国では、人間同士の争いが一番の悩みできている。しかし、海に囲まれた日本では、自然と人間との闘いできている。
 家に帰って、母の家で父の写真を見て、いつもおかしな気持ちになる。父の写真の左に、(母が敬虔に信じている)天理教の祭壇があり、右に仏教の仏壇があり、更にその右上に神道の神棚がある。
 そんな中の父の遺影の写真の顔を見ていると、まあ、皆、宗教に関係なく仲良くすればいいよと言っている様に思えてならない。



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為になるかも知れない本(その162)

2007-07-28 07:45:51 | Weblog
○昭和53年6月5日(月)晴。
 ○○ちゃんの心カテをした。TOF(ファロ一四徴)は、この子が初めてなのだ。なかなかRVに入らなかった。S先生がしたらスパッと入った。肝静脈で強引に形を付けるのが怖かったからだ。大丈夫だとは言われているのだが。心臓だけでなく、僕としては、血液も神経も、詳しくなりたい。
○昭和53年6月6日(火)晴。
 教授回診があった。ニュ一フェイスのTさんも初めての経験。大柄で和田アキ子みたいでサッパリとしていていい。○○先生は、あまり教えなくて、細かい所は結局は僕が教えるみたいだ。
○昭和53年6月8日(木)晴。
 不明熱を受け持った。腸チフスかとも思った。脈が熱の割に少ないのだ。白血球数も多くはない。熱が長い。直ぐにカルチャ一(培養)して免疫学的な検査もした。
○昭和53年6月10日(土)曇。
 チフスの疑いの子、採血をひっきりなしにすることになった。一体何の病気かなあ。わからない。それにしても気になる患児だ。○○先生は、講義に行った。学生が講義中うるさいので叱ったとのこと。その点、僕は甘いなあ。叱らないもんなあ。
○昭和53年6月11日(日)雨。
 病院に昼過ぎより行った。日曜にも行かないと仕事が終わらないのだ。○○さんの総括をやっと書き上げた。胸につかえていたのが一つなくなった感じだ。明日は当直だ。
○昭和53年6月13日(火)晴。
 当直明けなのに、宮日の育児相談に行く様に言われて行った。多くて、50人位いたが、パッパッと手際よくしていった。帰ってから、元気なくボ一っとしていた。
○昭和53年6月14日(水)晴。
 明日はボ一ナス日だ。20万もあるかなあ。あまり多くもないけど少なくもない感じだ。やっと初めてのまともにもらえるボ一ナスなのだ。午後から心音図をした。学生に教えてあげた。僕はこの心音図の検査をとても意味あるものと思っている。前のグル一プからとても為になったと言われたからだ。
○昭和53年6月15日(木)晴。
 午後から心音図をした。学生に丁寧に教えてあげた。その後、学生が教授から面接試験を受けると言うので、スライドで講義もしてあげた。今度のグル一プは、前のグル一プと違って、態度が大きい感じの人が多いなあ。受験でもまれた感じのイリ一ト意識の強い受験戦士だった人は、医師には最も不向きだ。
○昭和53年6月16日(金)曇。
 心カテが(午後から)あった。午前中、僕はフリ一のはずが、○○先生から外来に来る様に言われて外来をした。月、水、金の午前中は、外来に僕がいないと出来ない感じになっている。月、金の午後は心カテがあるし、火の午後は教授回診と抄読会があるし、水、木の午後は、心音図の検査があるし、火、木の午前中は、白血球のアナリ一ゼをしている。こんなに忙しいのに、合間を見て、研修医と学生の教育まで一所懸命にしているのだ。下っ端だから、忍の一字で今は頑張るしかない。7月から、S'君とY'君が来れば、楽になるはずだが。
昭和53年6月17日(土)曇。
 土曜というのに忙しかった。退院した○○さんが15:00頃来るので、どうしても僕に診て欲しいというので待った。僕には皆遠慮がないんだなあ。これがいいことか悪いことなのかサッパリわからない。昨日、てんかんの講演会があって、学生がO助教授と飲みに行って、僕がとてもよく教えてくれていると言ったそうだ(○助教授の話より)。今日は、給料日だった。

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