山上俊夫・日本と世界あちこち

大阪・日本・世界をきままに横断、食べもの・教育・文化・政治・歴史をふらふら渡りあるく・・・

親しい仲間川口一夫さんを失う

2018年03月22日 22時46分15秒 | Weblog
 昨日、長年親しく付き合ってきた先輩であり、仲間であった川口一夫さんの通夜に出席した。享年77歳。亡くなったのは2月20日朝。
 川口さんとのお付き合いが始まったのは、1975年4月、箕面高校に社会科の非常勤講師として行ったときに声をかけてもらった時からだ。川口さんは箕面のあと、箕面東、そして北野定時制に勤めた。先に私が北野高校定時制に転勤していたところに、1年後だったか、偶然川口さんが異動してきた。その付き合いは川口さんが定年を迎えるまで長くつづいた。もちろんその後もだ。
 川口さんは5冊の本を自費出版した。『三本綱物語』、『大鰻の小太郎』、『二重柿物語』、『少年の四季』、あと各所に書いたものをあつめた随筆集だ。随筆以外は、ふるさと宇和島市津島町の方言で書かれている。題材はすべて、ふるさとの少年時代の明晰な記憶にもとづいている。定時制の生徒に、退職したら『淀川夜間高校物語』を書くと言っていたが、これは成らなかった。
 川口さんは、食糧供給が途絶えるときでも生きていける人だった。山に入れば自然薯を掘り、タラの芽はじめ食用植物を次々見つけた。淀川に行けば投網を打った。定年後故郷に帰った後は、岩松川の漁業権を取り、川漁師になった。もちろん畑作業はお手の物で、故郷に建てた家の近くに畑をもち季節季節の作物を作った。定時制の教師時代、北野高校の家庭科の第2新館の裏に手ごろな空き地を見つけ、ここを開墾した。立派な畑にして、サツマイモはじめ数種の野菜を収穫した。それらは文化祭に提供してにぎわいに寄与した。北野は学校のぐるりを大きな銀杏の木がとりまいていた。実のなる木もたくさんあった。粒は大きくはなかったが収穫は多かった。しかし皮を処理するのに臭くて手間がかかり、学校の塀の際に捨てたときは腐臭に困った。私の家に持ち帰って処理をしたこともあったが、銀杏を乾かすまでは大変な仕事だった。
 組合の北大阪支部で春の行事の音頭を取ったのはいつも川口さんだ。淀川や京都の松尾の川辺でバーベキューをした。ありふれたバーベキューよりも、川口さんは山野草のてんぷらに力を入れた。タラの芽、タンポポ、カラスノエンドウなどのてんぷらに舌鼓を打った。ある年、淀川で投網を打って、一投目は大きい手長エビを手に入れたが、これは調子がいいと投げた二投目大きい石をひっかけて網はみごと破れた。松尾では龍谷大学のたくさんの学生が火をつけようとするが、全くダメ。そこで川口さん先頭に、われわれが手ほどきをし交流したこともあった。
 川口さんは組合活動家であり、安保破棄実行委員会の有力な活動家だった。国語教育や生活指導のテーマで様々な研究会、組合教研に参加し、自ら実践報告をし、人をさそった。安保破棄実行委員会では、紅鮭や日高昆布はじめさまざまな品を売って、活動資金を得るとともに、運動のつながりを広めた。ひっこみがちな私とは違って、川口さんは人との間に垣根をつくらず、どんどん人の懐に飛び込んでいった。川口さんの実家は魚屋だったこともあり、包丁さばきがうまかった。組合の集まりの時に、腕を振るってくれた。イワシのおから寿司は川口さんの手でしか作れない。新鮮なイワシと酢飯の代わりにおからをつかう。大人数で食べられるおでんは定番だった。
 定年後、2、3年講師をしたが、故郷への思い断ちがたく、宇和島の実家近くに家を建てて移り住んだ。移住後は、ふるさと通信『二重柿の里通信』を月1回発行し、地元宇和島ばかりか、大阪の私たちにまで郵送してくれた。畑や川の様子、ふるさとの伝統行事、小学校の子どもと行事の様子などあらゆることを拾い集めて、B4表裏の新聞にして書き残した。2,3年前に終刊となったが、川口さんはふるさと宇和島に旋風を巻き起こした。平和運動、9条の会、年金者組合では愛媛県全体の中心になった。
 川口さんは、仲間への気配りの人だった。旅をすれば、真っ先に旅先からハガキを出し、季節季節に電話で様子を伺い、何かことがあれば手を差し伸べ動いた。友人たちの退職など節目には当人を囲む会を企画するなど、思いやりの人だった。受け継がなければと思いながらも、なかなか実践できないことだ。川口さんがやったように、すこしは真似ていきたいものだ。
 川口さんのあまりに早い死は残念極まりない。でも川口さんの生き方から刺激を受け学ぶことで、力がわいてくる思いがする。だから悲しいだけでない。川口さんは、行動的に生き抜いた人だ。
 川口さんのふるまいに学んで、『川口さんを偲ぶ文集』をつくりたい。通夜の後、10人が居酒屋に移動して、川口さんの思い出を語りながら、宮武さんの提案で文集をつくることになった。宮武さんは、川口さんと愛媛の同郷で、高校の組合では中心的な活動家だった。簡素でも思いのこもった文集をつくりたい。川口さんへのお礼だ。
コメント (3)
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