Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

有子山稲荷神社(2016年11月13日参拝)

2016年12月17日 | 神社
先ほど参拝した諸杉神社の隣に鎮座しているのが、
有子山稲荷神社という神社。

まぁ、当然参拝しますわな。(^^


所在地:兵庫県豊岡市出石町内町
御祭神:稲荷神
創建:慶長9年(1604)


【鳥居】





【輿殿】


神輿が安置されています。


【鳥居】






石段にはこのような鳥居が連なっている。

このような鳥居が連なってると何故か嬉しいですよね。


【紅葉】





【鳥居】


ようやく拝殿がある所まで登ってきました。

石段は154段らしいが結構しんどい。(^^;


【地蔵尊】


登山口があり上には城跡があるみたいですね。

勿論登るつもりはない。(キリッ)




何ともド派手はお地蔵さんです。(^^;


【狛狐】



【鳥居】



【拝殿】




ここまで登って来る観光客は意外にも少ない。

やはりあの石段を登るのはしんどいもんね。


【石】


これは何なのかよく分かりませんでした。


【紅葉】



【御神木】



【風景】



【境内】



【恵方稲荷大明神】


末社。


【イチョウ】


これにて有子山稲荷神社の参拝終了。

はぁ、腹が減った。


御朱印は恐らく無いと思われます。

諸杉神社(2016年11月13日参拝)

2016年12月16日 | 神社
宗鏡寺から徒歩で10分もかからない場所に、
出石城跡があって、その足元に諸杉神社が鎮座しています。

この時期は紅葉やイチョウが彩り、
とても良い雰囲気の神社です。



所在地:兵庫県豊岡市出石町内町28
御祭神:多遲摩母呂須玖神
創建:不明
社格:式内社、県社


【由緒】


当初は出石神社近くの豊岡市出石町水上に鎮座したといい、
現在地に遷座したのは天正2年(1574)とされる。

社名の諸杉に関わる多遲摩母呂須玖は古事記、日本書紀で見え、
かつ天日槍の嫡子にも位置づけられることから、
諸杉神社も古くから鎮座したものと推測されている。

なお、創建地とされる水上地域は現在も諸杉神社の氏子の関係にあり、
祭礼では水上までの神輿渡御が行われる。

江戸時代には出石城の山里曲輪北方に祀られ、
城主の小出氏・松平氏・仙石氏から崇敬を受けて社殿造営、
神供料寄進等がなされている。

仙石氏の城主時代は参勤交代からの帰国に際して、
城主自ら諸杉神社に参拝するのが習わしであったという。

明治維新後、明治6年(1873)10月に近代社格制度において郷社に列し、
大正13年(1924)4月21日に県社に昇格した。
その間、明治9年(1876)に社殿を焼失したが、
明治17年(1884)に再建されている。


【一の鳥居】


神社には駐車場はありませんでした。


【両部鳥居】



【拝殿】


建築的には余り好きじゃないタイプ。


【狛犬】



【本殿】





【太鼓橋】



【境内社】









【紅葉】



【社務所】


普段は無人のようです。

観光地なんだから常駐してくれたら良いのに。

凄く良い立地なんだから勿体ない。(^^;


【蔵】



【紅葉】


これはとても鮮やかでした。(^^


御朱印の有無は不明です。

宗鏡寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月15日 | 仏閣
出石を代表する寺院といえば沢庵寺こと宗鏡寺。

沢庵和尚といえば漬物のたくあん漬けの由来となったことで有名。
その和尚が再興したお寺が宗鏡寺です。


宗鏡と書いて「すきょう」と読みます。


所在地:兵庫県豊岡市出石町東條33
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:元中9年(1392)
開基:山名陸奥守氏清公
開山:大道一以禅師


【縁起】
開基は当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、
寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、
元中9年(1392)に建てられました。

山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、
織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。

元和2年(1616)小出吉英の援助の元、沢庵和尚を招き再興。

以来、京都紫野大徳寺派の但馬における中本山として、
現在に至ります。


【参道】


手前に大型バスも停められる無料駐車場がありました。

最初からここに停めれば良かったな。


山門で拝観料を支払う。
チラッと新しく出た御朱印帳が置いてあった。

デザインが好みじゃないので買いませんでしたが、
積極的に売るつもりは無いみたい。

知ってる人だけ買えるようにしてましたね。


【庫裏】


今日は生憎法要があって御住職は多忙の様子。


【境内】






真っ赤なドウダンツツジが心を艶やかにしてくれる。

これはインパクト強かったですね。(^^


【本堂前庭園】






ここは凄い良い庭でかなり気に入りました。

ゴマラー好みの庭ということにしておこう。(^^


【本堂内陣】


堂内には入れませんでしたが、
外から拝むことは出来ました。(^^

禅宗らしい内陣ですね。


【開山堂】






大道一以禅師が祀られており、
宗鏡寺で一番古い建物です。


【本堂】



【弁財天】



【鶴亀の庭】




沢庵和尚作庭と伝わる庭で、
色鮮やかで素晴らしい庭園でした。


【礎石】




一千年以上前の但馬国分寺の石だそうです。


【書院】



【咲かずの椿】



【胡蝶ワビスケ椿】


沢庵和尚御手植え。


【対来閣】






茶室。


【仙石久道公五代目の墓】



【沢庵和尚塔所】



【小出公の墓】



【投淵軒】



【心地の池】



【紅葉】



【本堂】



【ドウダンツツジ】





【苔】



【願いの鐘】


順路的に一番最後になっちゃうので、
鐘を打つ方は戻り鐘防止の為に先にしておきましょう。


【御朱印】


御住職が法要中の為、書置きをいただきました。

本高寺~願成寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月14日 | 宝の道七福神
出石神社から出石城界隈に到着。

しかし、さすがに人気の観光地だけあって、
駐車待ちの車がいっぱい。

このまま帰りたくなるほどだったが、
30分ほど我慢してようやく停めることが出来ました。

ちなみに鉄砲町パーキングに停めましたが、
出石城跡近くにも大きな大手町駐車場があるので、
こちらを利用した方が良いと思います。

まずは宗鏡寺へ向かう途中で見つけたお寺を寄り道。



<本高寺>
所在地:兵庫県豊岡市出石町魚屋94
宗派:日蓮宗
御本尊:十界曼荼羅
創建:康正元年(1455)
開山:日曾上人


【縁起】


当山は日曾上人が康正元年(1455)に開いたのが始まりと伝えられています。

当時は寺運が隆盛し最盛期には9坊を擁する大寺でしたが、
度重なる兵火により堂宇が焼失し衰微します。

日成上人の代に現在地に移し再興、慶安3年(1650)には、
出石藩主小出吉英から庇護され境内が整備されます。

宝永3年(1706)には長野県の上田城から移封し、
出石藩主となった仙石政明が帰依し仙石家の菩提寺としました。


【山門】



【本堂】


法要か何かあるのか檀家の奥様方が、
忙しなく掃除をされていた。

お邪魔するのもなんだし、外から拝ませていただき、
お寺をあとにしました。


【イチョウ】


御朱印の有無は不明ですが、
恐らく無いと思われます。



<願成寺>
所在地:兵庫県豊岡市出石町東條32
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:不明
札所:宝の道七福神



【山門】


宗鏡寺の前に願成寺というお寺があるので、
こちらを先に参拝することにした。

山門前に数台分の無料駐車場がありました。


【だるま大師】



【庫裏】


今日は着物を着た女性が訪れていたので、
お茶かお花の会でもあったんでしょうね。


【山門】


鐘楼門のようです。


【鐘楼堂】



【だるま大師】


素朴ながら味わいのある仏像です。


【本堂】


臨済宗らしい本堂前の庭園です。




釈迦三尊像が祀られていました。

御尊顔を拝するだけでも良かったです。


【和傘】



【御朱印】


今日は御住職がお忙しいようでしたので、
書置きをいただきました。

御朱印は他に宝の道七福神がありました。

出石神社(2016年11月13日参拝)

2016年12月13日 | 一宮
養父市から豊岡市の出石に移動。

ここは前から参拝したかった寺社があるのと、
お蕎麦を食べる為に初めて訪れました。

まずは但馬国一宮である出石神社へ。



所在地:兵庫県豊岡市出石町宮内99
主祭神:伊豆志八前大神、天日槍命
創建:不明
社格:式内社、但馬国一宮、国幣中社、別表神社


【由緒】
神社の創立年代はあきらかではありませんが、
社伝の一宮縁起には谿羽道主命と多遅麻比那良岐と相謀って、
天日槍命を祀ったと伝えております。
奈良朝時代既に山陰地方有数の大社であったことが伺われます。

但馬の国一宮として別名を一宮さんの呼び名で尊敬されており、
当時泥海であった但馬を瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、
現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、
殖産興業に功績を遺された神として尊崇を集めております。

また鉄の文化を大陸から持って来られた神ともいわれております。

戦国時代の天正年間豊臣氏により社領を没収された。
江戸時代には出石城主歴代の尊崇を受け、小出、仙石両氏が社殿を造営した。


【鳥居】


鳥居前と離れた場所に無料駐車場がありました。

普段の時期なら社殿に近い鳥居前に停めれると思います。


【狛犬】



【神門】



【境内】


神門から鳥居を撮影したもの。


【拝殿】




決して広くは無いけど、
清浄な雰囲気を感じる神社です。

さすが一宮といったところです。




七五三の御祈祷をされていました。(^^

それにしても、
私の時の七五三って全く記憶が無い。(^^;

親は神社に連れていってくれたのかな。(笑)


【本殿】







【拝殿・御神木】



【休憩所】



【神門】


【夢見稲荷社】



【比売社】



【境内】



【紅葉】



【天神社】



【御朱印】

隆国寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月12日 | 関西花の寺二十五霊場
高照寺の次は同じく関西花の寺の札所である隆国寺へ。

勿論目的は花では無く参拝であり、
伽藍を拝観することです。

というか、
参拝して初めて関西花の寺の札所であることを知った。(^^;


所在地:兵庫県豊岡市日高町荒川22
宗派:曹洞宗
御本尊:聖観世音菩薩
創建:室町時代
開基:垣屋隆国
札所:関西花の寺二十五霊場、近畿楽寺寿観音三十三カ所霊場、
宝の寺七福神、但馬七花寺霊場


【縁起】
隆国寺は室町時代に創建され、
山名の四天王筆頭といわれた垣屋播磨守隆国公の菩提寺と伝わっています。

実質開基ともいわれる光成公は策彦周良和尚から、
天正4年(1576)に「悦岩」道号記を授かっています。

策彦和尚は遣明使節団の団長もつとめており、
中国から持ち帰った牡丹を和尚から道号記と共に贈られたのが、
隆国寺と牡丹の縁の始まりといわれています。

元和9年(1623)に金山より現在地に移され、
牡丹寺として親しまれています。


【総門】


門構えから既に格式の高さを感じられますね。

参拝が楽しみです。

道路を隔てた場所に大型の無料駐車場がありました。


【山門】




かっこいい山門です。

享和2年(1802)に再建されたもので、
楼上には釈迦三尊と十六羅漢が祀られているそうです。


【地蔵尊】



【狛犬】



【境内】


凄く良い雰囲気です。


【紅葉】


やっぱり紅葉はいいなぁ。(^^


【楽寿観音】



【石仏】



【鐘楼堂】





【本堂】


寛政4年(1792)に再建されたもので、
禅宗というか曹洞宗らしい本堂です。


【内陣】


嬉しいことに本堂に上がることが出来ました。(^^

やっぱりお寺は幾ら花で客を呼んだところで、
本堂に上がれないお寺はダメだと思います。




御本尊聖観世音菩薩を中心に、
不動明王や布袋尊等が祀られていました。


【幸のとり観音】


手に子宝と幸せの宝珠を乗せて、
いつでも飛んでいけるように羽衣を纏っている観音様です。


【岸派襖絵】




本堂には襖絵が三十六面あり、
弘化3年(1846)岸岱・岸徳の二人によって描かれたもの。





猛虎図が特に素晴らしかったです。


【境内】


本堂から山門を見た境内です。


【位牌堂】



【蔵】



【内庭園】




本堂の裏側には綺麗な庭園がありました。


【西苑】








西苑や内庭園は季節毎に花が咲くそうですが、
特に牡丹の頃は観光客が沢山訪れるようですね。


【紅葉】






やっぱ紅葉はええなぁ。(^^

東福寺や永観堂の紅葉もガラガラで観れたらな。


【楽寿観音】



【御朱印】


書置きをいただきました。


【護符】




御朱印をお願いしたら無料でいただけました。

ありがとうございます。(^^

高照寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月11日 | 関西花の寺二十五霊場
何とか今滝寺の酷道から無事に生還し、
次なる参拝地である高照寺へ。

ここは関西花の寺の札所であるが、
花の無い時に訪れるのがゴマラーのセオリー通り、
恐らく花は何にも咲いていないだろう。(苦笑)


所在地:兵庫県養父市八鹿町高柳1156
宗派:高野山真言宗
御本尊:大日如来
創建:養老4年(720)
開基:行基菩薩
札所:関西花の寺二十五霊場、但馬七花寺霊場


【縁起】
承和年間、唐より密教を日本に持ち帰られた弘法大師が、
空海の住房の京都高雄の神護寺において伝法灌頂を開かれ、
比叡山の伝教大師最澄も弟子達と共に灌頂を受ける。

最澄の後継者と目されていた泰範上人は、
最澄と共に灌頂を受けたるも再び比叡山に帰らず空海上人の弟子となる。

その泰範上人が当山の住職として但馬と京都を往き来するうちに、
空海に但馬の寺名を栂尾山神護寺と呼稱することを許されたり、と古記に見ゆ。

その後 栂山の西北の庵坂に移り栂尾山蓮花寺と改稱して一時禅宗となる。
明暦元年(1655)観音堂屋敷に移り寺号を栂尾山高照寺と改め、
当時の住職宥尊法印をもって再々中興第一世とす。
観音堂屋敷にあること164年、その間住職の交代すること21人に及ぶ。
 
この地は豊臣秀吉の八木城攻略の際の古戦場で、死者累々地相悪しき故をもって、
第21世雄空法印は檀徒と相談の上、文政2年(1819)現在地に移築し今日に至る。

行基開基より1288年、四度目の現在地に移りし189年を経過せり。


【風景】


大型無料駐車場に車を停めると、
一本とても綺麗な紅葉が見れた。(^^

花が無くともこれで充分満足です。


【十三石塔】



【寺号標】


ちょっと小高い場所にお寺はあります。


【石仏】


どっかで見たような個性的なお顔をされています。


【境内】


なかなか良い雰囲気のようですね。


【鐘楼堂】



【厄除大師】


一番上の丸い部分に弘法大師像が刻まれていました。

横のポストのような箱に入山料300円を入れるシステムです。


【イチョウ】



【本堂】


田舎の農科の家のような本堂ですね。

御朱印をお願いすると本堂に入れていただいた。

別途拝観料は不要でした。(^^


【内陣】


本堂は三つの部屋に別れていて、
真ん中が本堂内陣でした。


【撫で弘法】


撫でるのはびんずるさんが多いけど、
ありそうで無かった撫でる弘法大師。

ありがたや ありがたや。


【天井画】



【地蔵菩薩絵図】



【大日如来絵図】



【境内】



【不動明王】



【観音堂】



【一笑尊者】



【花ことば色紙】


実際の花より絵の花の方が好きだと気付いた今日この頃。

色々な花ことばの色紙があり、
選ぶのに苦労したほど。(^^

御住職は絵心がかなりある方ですね。

一つ千円でした。


【御朱印】


但馬七花寺霊場の御朱印。




関西花の寺二十五霊場の御朱印で、
あえて書置きをいただきました。

今滝寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月10日 | 但馬西国三十三箇所観...
先ほど参拝した西方寺の元となるお寺である今滝寺へ。

今滝と書いて「こんりゅう」と読みます。

調べてみると昔は凄かった系ですが、
現在残っている山門が見たくて訪れました。



所在地:兵庫県養父市八鹿町今滝寺155
宗派:高野山真言宗
札所御本尊:聖観音菩薩
創建:延久元年(1069)
開山:覚増上人
札所:但馬西国三十三箇所観音霊場


【縁起】
今滝寺は延久元年(1069)覚増上人によって開かれ、
八木城主八木氏の菩提寺として栄えました。

蓮華院・教王院・安養院など9院と円乗坊・等意坊等、
3坊の塔頭をもつ大きな寺院でした。

しかし八木城の廃城と共に衰退。

現在は本堂と仁王門のみが残る。


【山道】


山道とは分かっていたが、
予想以上に酷道でした。(^^;

ここはまだ広い方です。




写真を撮ってる余裕は無かったけど、
上へ行けば行くほど車一台がやっと通れる細い道になっていく。

落ち葉を見ると車が通った形跡無し。
しかもゴルフボールやソフトボール大の落石多数。

この先は本当に車で進めるか凄く不安になってくる。

離合出来る場所で車を降りて確認してみたが、
結構な坂道で歩いて行くのもつらい。

悩んだ結果、意を決してそのまま車で進む。

荒れてる道だし狭いし、とても神経を使う。


【風景】


なかなかの山奥でしょ。


【寺号標】


対向車が来たらどうしようもなくなるような道を、
祈りながら進むとようやく到着。(^^

到着した時は本当に嬉しかったよ。

でも、またあの道を帰ることを思ったら気が重くなった。(^^;

全く、情緒不安定になるわ。(苦笑)




この辺りは車を余裕で停めれました。

下を見ると野生のシカのフンがあったので、
普通にこの界隈で生息しているようだ。


【民家】


こんな場所に民家があった。

まだ廃墟にはなっていないが、
住んでる気配は無かった。

まぁ、こんな不便でヤベー場所で住むのはつらいよね。


昔は八木氏の菩提寺であったというが、
場所が余りにも不便で悪過ぎる。

車の無い時代なら尚更。

そりゃ、新たに菩提寺として西方寺を建立するわな。
理由が良く分かったよ。(^^;


【山門】


苦労した甲斐があって、この山門を見て嬉しくなった。




質実剛健のなかなか素晴らしい山門です。


【金剛力士像】


木像の胎内に墨書の文字があり、正嘉2年(1258)3月に、
常光寺の仁王像として作られたことが判明しています。
仏師は阿形が澄玄、吽形が淡路公です。

常光寺も八木氏の菩提寺でした。
八木氏第12代・八木宗頼の子の聖芳が常光寺の住職になっています。










金剛力士像は永和4年(1378)、
常光寺から今滝寺に移されたと伝えられているそうです。


それにしても本堂が見当たらない。

ここは山門と金剛力士像だけなのかな。


【風景】


まだ上に山道が続いている。

もうこれ以上、あんな酷道を進むのは、
脳が全力拒否したので行きませんでした。(苦笑)

後日調べてみると、更に上に行くと本堂があったようです。

山門から本堂まで歩いて行ける道は、
例の酷道以外無いとか。

何でやねん。

まぁ、これも仕方あるまい。


今滝寺は当然の事ながら無住のお寺となります。

御朱印は西方寺の総代様でいただけるようですが、
未確認です。

西方寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月09日 | 但馬西国三十三箇所観...
二宮神社から今滝寺へ向かうが、
その途中にある西方寺というお寺に寄り道。


所在地:兵庫県養父市八鹿町八木2819
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:応安7年(1374)
開山:覚僧上人
開基:八木重家
札所:但馬西国三十三箇所観音霊場



【縁起】
開山は今滝寺と同じ覚僧上人と伝えられています。

第五代八木城城主八木重家の奥方が、
菩提寺の今滝寺に参拝するのが遠く難儀な為に、
城下町に設けた八木氏の菩提寺が西方寺だと言い伝えられています。

御本尊の阿弥陀像、観音堂の地蔵菩薩像は鎌倉時代の仏像として貴重であり、
また町指定文化財の十三仏(室町時代末期)をはじめ、
数多くの石造遺物も残されています。


【全景】


石段の横に数台分の無料駐車場がありました。


【山門】



【しだれ桜】


開花時期になるとライトアップする程の桜だそうです。

花の無い時期に訪れるゴマラーですから、
今回も葉っぱ一枚もございません。(苦笑)


【本堂】


個性的な本堂ですね。

しかし残念ながら堂内を見ることすら出来ませんでした。


【観音堂】


雪の多い場所には赤い屋根の建物が多い気がする。

この観音堂はかつては琴弾峠山麓付近にあったが、
安永8念(1779)に現在地に移されてきたそうです。


【観音菩薩】



【十三仏】


板碑という形式の十三仏で高さ79センチの舟形をした凝灰石岩に、
四体の仏像を3段に刻み、その上に一体の仏像を彫っています。


【鳥居】


お寺の境内には鎮守社と思われる三柱神社が鎮座。


【境内社】





【拝殿】



【境内】



【八木西宮恵比寿神社】


ちょっと上に行くともう一つ神社がありました。

どうやら先程の三柱神社は八木西宮恵比寿神社の摂社のようです。


【本殿】


但馬で一番古い恵比寿神社で、
「八木のえべっさん」と呼ばれているとか。


【御朱印】


ちょうどお寺の方がいらっしゃったので、
御朱印を確認してみると、近くの世話人が対応するとのこと。

何でお寺の方がやらないんだろう。(^^;


それでお名前を聞いて世話人の家を探す。

すぐ分かるということでしたが、
親戚が集まっている地域らしく、
同じ苗字の方が多くて4軒目でやっと世話人発見。(^^

見つけた時は嬉しかったよ。(笑)

世話人の様子では御朱印をいただくのが珍しいようでした。


さて、御朱印もいただけたし、
今滝寺の山門を見にいきますか。

しかし、あれほど焦ることになろうとは、
この時はまだ知らないのであった。

二宮神社(2016年11月13日参拝)

2016年12月08日 | 神社
蓮華寺からすぐ近くに鎮座するのが二宮神社。

嵐ファン並びに二宮君ファンの皆様、
養父市にも二宮神社があるので御紹介します。(^^

滋賀の大野神社と違って聖地にはならないと思いますが。(^^;


所在地:兵庫県養父市大屋町夏梅504
御祭神:月読尊
創建:不明
社格:村社
由緒:不明


【鳥居】


駐車場は無かったので鳥居前に停めました。


【境内】



【狛犬】



【拝殿】



【本殿】



【境内】



【稲荷社】



【境内社】






境内は田舎のいたって普通の神社です。
特別雰囲気が良い訳ではありません。

管理は名草神社がされているようですが、
御朱印は無いと思われます。

ちなみに参拝してませんが、近くに一宮神社がありました。

赤堂観音蓮華寺(2016年11月13日参拝)

2016年12月07日 | 近畿楽寿観音三十三ケ...
本日は兵庫県養父市と豊岡市の神社仏閣を巡ります。

まずはネットで話題の御朱印を授与されています蓮華寺へ。

事前に御住職がいらっしゃるかメールで確認したのですが、
残念ながら本日は御不在。

御住職がいらっしゃらない場合、御朱印は授与されないのですが、
住所、名前と希望の御朱印を紙に書いてポストインすれば、
後日送付していただけるとのこと。

他の日にするのが無理だったので、
とりあえずお寺を参拝してポストインすることにした。

また、お寺に参拝しなくても御住職の配慮により、
限定数ながら郵送してくれます。

しかし、私は参拝しないのに御朱印だけいただくのは、
いかがなものかと思っている。

まぁ、御住職がそれでも良いというのであれば、
これ以上、とやかく言うまい。



所在地:兵庫県養父市大屋町夏梅682
宗派:高野山真言宗
御本尊:弥勒菩薩
創建:弘仁年間(810~824)
開基:弘法大師
札所:近畿楽寿観音三十三ケ所霊場、但七福神霊場


【縁起】
当山秘蔵の空海直筆の般若心経とともに、
開基空海としてその歴史の源とする。

戦国時代までは現在地より北の向の山の中腹にありましたが、
大災害により川の流れが変わり参拝出来ないということで、
元和慶長頃、今の知に赤堂を重搭の部材で移築建立す。

その後、京都嵯峨野大覚寺塔頭より御本尊を招き、
現本堂と境内・参道を整備、隣接する山路寺の隠居寺として隆盛。

境内には亀島を持つ阿字池と渓谷風の滝を持つ心字池の庭園があり、
市の文化財に指定されている。

また有数の紅梅の古木もあり、別名「夏梅の庭寺」とも呼ばれる。


【社頭】


自宅から車で2時間チョイかかって到着。

物凄く長閑な場所にお寺はあります。

当然ながら知らないお寺でしたので、
話題の御朱印が無ければ参拝することは無かったでしょう。

これも御縁ということで。(^^


下の方に数台分の無料駐車場がありました。


【六地蔵】


六地蔵がお出迎え。


【地蔵尊】


子育て&水子地蔵等、たくさんのお地蔵さんが祀られていました。


【本堂】


お留守ということは事前に分かっていたので、
とりあえず外から参拝。


【赤堂】




文字通り赤い変わったお堂が観音堂で、
秘仏の聖観世音菩薩が祀られていました。

近畿楽寿観音三十三ケ所霊場の札所です。


【七福神】


但七福神霊場の札所。


【栃尾城庭園】









【御堂】



【地蔵尊・宝篋印塔】



【紅葉】



【鐘楼堂】



【風景】



希望する御朱印と御朱印帳を書いた紙をポストイン。

次回は御住職がいらっしゃる時に参拝するとしよう。


【御朱印】
20日後に到着しました。



扇面・観音菩薩。
見開きで御祈祷奉納料込みで2000円。

これは素晴らしい。

御朱印帳に貼って折るの惜しいほど。
まさに芸術ですね。




遠山秋葉・弥勒菩薩。
見開きで御祈祷奉納料込みで2000円。

こちらも芸術品ですね。




不動明王。
見開きで御祈祷奉納料込みで1000円。




訶梨帝母。
見開きで御祈祷奉納料込みで1000円。




蓮華寺金字観音弥勒尊。



聖観音金字御詠歌。



南無大師遍昭金剛。


特別霊木高野杉御朱印。
この三種の御朱印は御朱印帳を買えばいただけます。


【御朱印帳】


御住職高野山出仕参拝祈念として作成されたもの。

御朱印御祈祷奉納料として3600円でした。

見開きの御朱印が三種類込みなので高くはありませんね。

合計で9600円だけど後悔していない。

他にも御朱印はありますが、
今日はこのぐらいにしといたろ。(笑)

龍門寺(2016年11月6日参拝)

2016年12月06日 | 仏閣
本日最後の参拝となるのが龍門寺というお寺。

事前チェックではなかなかの立派なお寺だったので、
参拝がとても楽しみです。



所在地:兵庫県姫路市網干区浜田812
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:十一面観世音菩薩
創建:寛文元年(1661)
開山:盤珪永琢国師
札所:揖保西国三十三ヶ所観音霊場


【縁起】


当寺は臨済宗妙心寺派の禅刹で不生禅を説かれた盤珪国師の根本道場として、
当時の遺構をそのままに350年の法灯を持続している。

開創に当たり京極高豊候は方六十間境内用地を寄付され、
この地の富豪、佐々木道弥、正意、道珠の兄弟は巨資を投じて創建に尽力した。

又、民衆も献身的な奉仕に依り土木の役
に当たって造営に尽力する。次いで延宝元年(1673)大方丈、
禅堂寺が完成して一層壮麗を加えて播州随一の大叢林となる。

元禄三年(1690)に下された東山天皇の宸輸にも、
「龍門の巨寺、宗風を播陽に起す。」と仰せられており、
郷土の誇りとする寺院である。


【大門】


立派な山門です。

山門横から境内に車を停めることが出来ました。


【不動堂】




弘法大師作と伝わる盤珪永琢国師の念持仏を祀る為に、
貞亨3年(1686)に建立されたもの。

残念ながら堂内を見ることは出来ませんでした。


【経蔵】



【唐門】



【境内】


この先は進めませんでした。

左手に進むと開山堂に行けるようです。


【花】



【水掛一願不動尊】



【鐘楼堂】


元禄5年(1691)創建されたもの。


【観音堂】





【地蔵堂】





【禅堂】





【中門】



【庫裏】


庫裏で拝観料500円を支払って大方丈の中へ。


【不生庭】





【大方丈】




本堂にあたり宝永元年(1772)に再建されたもの。






御本尊様や達磨大師像は盤珪永琢国師作と伝わるそうです。


【通玄庭】



【禅堂】



【寺号額】


盤珪永琢国師直筆。


【襖絵】


これは見事な龍です。








狩野常信の筆で「降龍」と名付けられていました。






こちらは「昇龍」です。





【床の間】



【湯呑茶碗】


妙心寺に行幸された天皇・皇后両陛下が使用されたものとか。

これは貴重ですね。


【備前焼】


何故か備前焼の作品が売っていたのですが、
他はリーズナブルなのに、人間国宝伊勢崎淳の作品が300万円だった件。

これはどう考えてもボッタクリ。(苦笑)

今時、備前焼で人間国宝とはいえ、せいぜい何十万円がいいところ。

天皇・皇后両陛下が使用された湯呑茶碗でも、
さすがに300万円はしないと思う。


【御朱印】


書置きでわざわざ貼ってくれていた。


後で知ったことだが、拝観料を支払えば大方丈の他に、
唐門から開山堂に行けたとか。

知らんかったわ~。

どう見ても勝手に入ってはいけないようにしてあったもん。(泣)

ま、しょうがない。

またの機会にしよう。

亀山御坊本徳寺(2016年11月6日参拝)

2016年12月05日 | 仏閣
男山三社から亀山御坊と呼ばれる本徳寺へ。

ここは伽藍が立派なんで参拝することにしました。
楽しみ。


所在地:兵庫県姫路市亀山324
宗派:浄土真宗本願寺派
御本尊:阿弥陀如来
創建:永正12年(1515)
開基:蓮如上人
開山:空善上人



【縁起】
蓮如配下の空善が飾磨郡英賀の英賀城下に本堂を開山したのを始まりとする。

その後、在地の勢力である播磨三木氏の庇護のもと発展したが、
天正8年(1580)の豊臣秀吉の三木通秋の守る英賀城攻めに先立ち、
戦火を避けるために秀吉に寄進された亀山へ移された。

現在の伽藍の一部は英賀から伽藍等を解体し亀山へと移したものという。

慶長7年(1602)に浄土真宗は東西に分裂。
当寺は姫路城に入った池田輝政の政策の下で本願寺派に属した。

池田氏に代わって本多氏が姫路城主になると、
元和4年(1618)に真宗大谷派が当寺から分立し姫路城下の船場へ移った。

その後亀山は播磨国における本願寺派の根本道場として発展することになる。
江戸時代には西国総録所として傘下に380余の寺院を擁した。

明治時代以降は本願寺派の別格別院となり、
戦後は同派由緒寺の扱いとなって現在に至る。



【大門】


嘉永年間(1848~1854)に建立されたもの。

さすが亀山御坊と呼ばれるだけあって、
とても立派な真宗寺院らしい門です。

大門前に無料駐車場がありました。


【北門】


これは通用門みたいなもんです。


【太鼓楼】


これも真宗寺院でよく見るタイプの太鼓楼ですね。

寺伝によると天正8年(1580)に建立されたもので、
姫路城から移築されたという説もあり。


【書院】


ここは見学出来ないようでした。


【本堂】




見事な本堂です。

元文3年(1738)に建立されたもの。

堂内から雅楽の音が聴こえてくる。
そっと扉を開けてみると何やら行事が行われていた。

どうやら毎年11月第一日曜に行われる麗姫会報恩講・追弔会で、
とても堂内に入れる雰囲気では無い。

今回はタイミングが悪かったので外から参拝を済ませました。


【新撰組入刀痕跡柱】


新撰組が来ていたのね。

私は戦国時代が専門なんで、
幕末の新撰組は全く興味が無いから知らなかったよ。


【境内】





【茶所】



【鐘楼堂】



【経堂】


享保11年(1726)に建立されたもの。

とても立派な経堂ですね。


【中宗堂】


蓮如堂とも呼ばれ、蓮如上人が祀られていました。


【浄華堂】



本堂内陣に入れなかったのが心残り。

またいつの日か訪れましょうぞ。


ちなみに参拝記念証という名の御朱印が三種類いただけます。

しかし、浄土真宗本願寺派だから無いと思いこんでいたので、
今回はいただいておりません。

http://k-hontokuji.com/information/sanpai-kinensyo/

水尾神社~男山八幡宮~千姫天満宮(2016年11月6日参拝)

2016年12月04日 | 神社
廣峯神社から姫路城近くに鎮座する姫路神社へ向かう。

この時すっかり随願寺というお寺に行くのを忘れていた。
ここはなかなか良さそうなお寺だったので痛恨のミス。

次回姫路に訪れた時の宿題として残しておこう。


しかし、いざ姫路城近くに着いたはいいものの、
さすがに観光地だけあって駐車場はどこもいっぱい。

うーむ、やっぱり土日の姫路城界隈は朝に行っておかないと、
駐車場難民になってしまうな。




という訳で、姫路神社は諦め、
姫路城の写真を撮って次の参拝地である水尾神社へ。



<水尾神社>
<2012年11月18日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/3924edb0c55c71c43e63242d98c5ced3


所在地:兵庫県姫路市山野井町
主祭神:大己貴命・伊和大神
創建:欽明天皇26年(565)


【鳥居】


車は境内に停めることが出来ます。


【境内】


約4年振りの参拝ですが、
当時と全く変わっていません。(^^


【拝殿】



【境内社】



【御朱印】


前回参拝時は神職さんが御不在で書置きをいただきましたが、
印刷丸出しでガッカリした記憶があるが、
今回いただいた御朱印は物凄くグレードアップしてた。(^^

次は男山八幡宮へ。


<男山八幡宮>
<2012年11月18日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/5296d8c925c03a58a250eb14d0db7014


所在地:兵庫県姫路市山野井町
御祭神:八幡神、比売大神、大帯比売命
創建:貞和元年(1345)


【石段】


先に男山の頂上を目指し石段を登る。

やっぱりきついわぁ。(^^;


【男山配水池公園】



【姫路城】




ここから見る姫路城はまた格別。(^^

姫路城はやっぱり白かった。(笑)


【石段】


下りは怖すぎるわ。(汗)

ちょっとだけ下りると男山八幡宮があります。


【石鳥居】





【神馬】



【神馬】



【御朱印】


こちらも水尾神社の社務所でいただきました。
書置きで300円。


<千姫天満宮>
<2012年11月18日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/128991cc50695fd838de034d5e8f3bc5

所在地:兵庫県姫路市山野井町1-3
御祭神:菅原道真
創建:元和9年(1623)


【大黒天】



【鳥居】



【撫で牛】



【御朱印】


神職さんは普段いらっしゃらないので、
御朱印を希望の方は貼り紙に書いてある電話番号をかけてください。

近くに住んでる女性が対応していただけます。


それにしてもこの神社は七五三の時期だというのに、
誰もいませんでした。

あんまり人気無いようです。

千姫天満宮という人気が出そうな神社があるのにね。

何が足りないのだろうか。


【姫路文学館】


腹が減ったので神社近くにある姫路文学館へ。


【昼食】




オシャレなカフェでナポリタンセット。

なかなか美味しかったです。

廣峯神社(2016年11月6日参拝)

2016年12月03日 | 神仏霊場巡拝の道
続きまして姫路市を代表する古社の一つである
廣峯神社へ向けて車を走らせる。

先ほど参った白國神社から10分ほどの距離に鎮座しています。


所在地:兵庫県姫路市広嶺山52
主祭神:素戔嗚尊、五十猛命
創建:(伝)天平6年(734)
社格:県社、別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道



【由緒】
廣峯神社は崇神天皇の時代から二千有余年の歴史を持ち、
素戔嗚尊と五十猛尊が祀られたのが始まりとされ、
のちに遣唐使として知られる学者・吉備真備が、
この地に立ち寄った際に神託を受けて創建された神社です。

吉備真備は主祭神の素戔嗚尊、牛頭天王・天道神、奇稲田姫命を歳徳神、
八王子の神々を八将神として、暦を司る暦神とし、
唐で学んできた陰陽道を広めました。

暦を司ることから素戔嗚尊は五穀豊穣の神としてご利益があるとされ、
一年を通して農業に関わる祭典が多く行われています。

廣峯神社は元々神仏習合の神社であり、
牛頭天王が疫病退散の神として祀られていると共に、
仏様として薬師如来が祀られていました。

神殿にもその神仏習合であった際の形を残しており、
非常に貴重であるとされています。


【大鳥居】


大鳥居の近くに無料の大型駐車場がありました。

ここから拝殿まで車道を5分ほど歩かないといけないらしい。

どうやら御祈祷や七五三の場合は拝殿近くの駐車場に停めれるようです。


【参道】


車道の横に境内社の天祖父社へ行くルートがあります。

単なる車道は歩いても面白くないしね。

しかし、この道は歩き難いし疲れるわ。(^^;


【天祖父社】


摂社。

普段は誰も訪れないような殺風景な場所に鎮座。


【夫婦岩】



【参道】



【社頭】


到着。


【表門】





【宝篋印塔】




神仏習合の名残りですね。


【風景】



【狛犬】



【拝殿】


寛永3年(1626)姫路城主本多忠政が再建したもので、
重要文化財。

さすがに見事な拝殿です。




柱とか歴史を感じて渋いです。


【神輿】





【本殿】



【千年松】



【軍殿八幡社】



【境内社】


本殿の裏手にも境内社が鎮座してました。








稲荷社、大鬼社等7社が鎮座。


【本殿】


デカい。
こんなに大きかったとは。

これほど大きな本殿は日本広しとはいえ、
そんなに無いと思います。


【九つの穴】




本殿裏に9つあいていた。




中は何もない。

これは陰陽九星詣りというもので、
授与所で九つの穴守りを買って、願い札に祈願事を書いて、
願い札とおさい銭を穴に投げ入れ、暦神牛頭天王に願い事を、
穴にむかって伝えるというもの。


【参道】


どう見ても寂しそうな道。

案内板によると10分ほど上にいくと、
荒神社と吉備神社があるという。

こんな山道だからちょっと行くのを躊躇ったが、
やっぱり行っておかないと後悔するとので行ってみた。


【藤井家跡】


廃墟発見。

こ、これは?

調べてみると御師屋敷跡でした。

廣峯神社の社家や下級神官で組織された御師制度があって、
各地にお札を配っていたそうです。

それが時代の変革により廃墟となったようです。




何かヤバイのが出てきそうです。(^^;

神社側も撤去せずに、あえて残しているようですね。

このような御師屋敷跡が幾つかありました。


【花】


ザワついた心を静める為に綺麗な花を見て、
心を癒すとしよう。


【参道】


うーむ、よっぽど物好きしかこんな所まで行かないでしょう。(苦笑)


【荒神社】






ここが白弊山山頂らしい。

しかも昔は山城があったようですが、
その雰囲気は全く感じない。


【吉備神社】



【吉備神社仮宮】



【磐座】



【薬師堂】


本殿まで戻り薬師堂へ。




これは完全にお寺のお堂ですね。


【薬師如来】





【夫婦岩】



【蛭子社】




拝殿向かって左側に鎮座。


【地養社】




御祭神:蘇民将来

蘇民将来は災厄避けの神としての信仰は平安時代にまで遡り、
各地でスサノオとの繋がりで伝承され、信仰対象となってきたそうです。

日本各地に伝わる説話、およびそれを起源とする民間信仰とのこと。


【風景】



【車道】


駐車場までこの車道を歩かなくてはならない。
しかも登りあり。

老齢の御夫婦が杖をついて神社まで歩いていた。

凄く良い神社なんだけど、
立地アクセスは悪いし、駐車場から拝殿まで遠い。

神社にお金を落としてくれる人は、
近くの駐車場まで停めれるのは仕方ないけど、
お年寄りも停めれるような配慮がほしいですね。


【御朱印】


武豊とか参拝すればいいと思うの。(笑)