Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

甚目寺(2015年3月15日参拝)

2015年04月17日 | 仏閣
笠寺・荒子・竜泉寺と尾張四観音の一つである甚目寺。
今回、事前チェックするまでは知りませんでした。

調べてみると重文の南大門と三重塔が凄く良さそうだったので、
参拝することは即決でしたよ。



所在地:愛知県あま市甚目寺東門
宗派:真言宗智山派
御本尊:聖観音
創建:伝推古天皇5年(597)
開基:甚目龍麿(甚目龍麻呂)
札所:東海三十六不動尊霊場、尾張三十三観音、尾張四観音


【縁起】
仏教が伝来した宣化3年(538)よりわずか60年後の推古5年(597)のこと、
伊勢甚目村の漁夫、龍麿という人が江上庄の入り江で魚をとっていました。
その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て像を納めました。

これが甚目寺の始まりと言われています。

甚目寺は7世紀中頃、天智天皇より宝鏡を下賜され、
続いて天武7年(679)に天武天皇から鳳凰山の額を勅賜しました。

その後盛衰があり康和5年(1103)には七堂伽藍が再興され隆盛を極めましたが、
天治元年(1124)大地震の被害を受けました。

しかし鎌倉初期建仁元年(1201)に聖観上人が再興をはかり七堂伽藍も整えられました。

16世紀の末には豊臣秀吉公から寺領160石を受け、
17世紀始めの名古屋開府と共にその鎮護の任にあたり、
徳川義直公からも300石を受領しました。

以後も歴代藩主の手厚い保護と土民の篤い信仰を得て、
尾張四観音寺の筆頭として栄え現在に至る。


【南大門】


建久七年(1196年)建立されたもので重文。

とても渋い門ですが、
電線の多さに辟易する。


【仁王像】


仁王像はあの福島正則が奉納したそうです。


【境内】


広い境内です。

観音霊場というのは独特の雰囲気があって、
ここに立っただけで観音霊場の雰囲気を感じられました。


【観音像】



【鐘楼堂】



【蔵】



【不動堂】


甚目寺観音諸堂順拝五番。


【十王堂】


甚目寺観音諸堂順拝四番。




堂内に入れました。








全部は撮影していませんが、
第一から第十までの王が勢揃い。




三途の川のほとりで、冥界に到る亡者の衣を剥ぎ取る悪鬼女で、
奪衣婆と呼ばれています。

東京新宿にある大宗寺の奪衣婆をテレビで見たことがありますが、
これが世にも恐ろしい姿をしていました。

大宗寺がある新宿は江戸時代に遊郭が栄えていたこともあり、
奪衣婆は神として祀られているそうです。

何でそんな悪鬼女が祀られて、現在も風俗や水商売の女性達の信仰があるかというと、
遊郭や風俗の女性は「脱がせてナンボ」の世界に生きているからです。




六道を守護するのが地蔵菩薩です。




ちょっと面白いですね。(^^


【東門】


重要文化財。
寛永11年(1634)再建されたもの。


【四国八十八ヶ所霊場】




甚目寺観音諸堂順拝一番。


【釈迦堂】




甚目寺観音諸堂順拝二番。


【鎮守社】



【本堂】


甚目寺観音諸堂順拝十二番。

鮮やかで立派な本堂ですね。




荘厳な雰囲気を感じられます。

聖観音像は釈尊の授記を受けて作られたもので、
百済を経て日本へ渡り、敏立14年(585)に海中に投じられた
三尊仏の内の一尊と言われています。

他の二尊もそれぞれ拾われ、阿弥陀仏は信州の善光寺に、
勢至仏は九州大宰府の安楽寺にあるそうです。

甚目寺の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。

御本尊は豪華な装飾で飾られた厨子に安置されていました。




十体以上の仏様達が祀られていました。


【白山大権現】



【明王堂】





甚目寺観音諸堂順拝十一番。


【弘法堂】





甚目寺観音諸堂順拝十番。


【六角堂】




甚目寺観音諸堂順拝三番。

エサを貰えると思って鳩が寄ってきた。
本堂で豆が50円で売っていました。


【石仏】



【宝篋印塔】



【三重塔】




甚目寺観音諸堂順拝九番。

重要文化財。


【秋葉堂】




甚目寺観音諸堂順拝八番。


【法花院】








甚目寺観音諸堂順拝七番。


【御朱印】


二種類の内の一つをいただきました。


【感想】
観音霊場らしい雰囲気と見所いっぱいの甚目寺観音諸堂順拝が楽しめます。

愛知県には私が知らない名刹がまだまだあることを知りました。

荒子観音寺にも行ってみたいです。

大徳院(2015年3月15日参拝)

2015年04月16日 | 仏閣
武将所縁の寺社を堪能した後は北上し甚目寺観音を目指す。

大きな山門が見えてきて甚目寺観音に到着。

しかし、その手前で大黒天の幟があるお寺を発見。
そのお寺は甚目寺観音の塔頭である大徳院という。



所在地:愛知県あま市甚目寺字東門前26
宗派:真言宗智山派
御本尊:恵比寿・大黒天
創建:推古天皇6年(598)
札所:尾張三霊場、尾西七福神、海東西新四国八十八ヶ所


【縁起】
安産・子育て・延命長寿の地泉院、せんき薬師の西福院とともに、
尾張三霊場と呼ばれる真言宗智山派の寺。

推古天皇6年(598)の創建で、
福徳開運・商売繁盛・家内安全のご利益があると言われる。

建久5(1196)年、源頼朝の命により恵比寿大黒天の二尊像が奉安され、
仏紐をいただき願い事をしてこの恵比寿・大黒天にかけると願い事が叶うという。

慶長12年(1607)には、左甚五郎が当寺参拝の折、本尊の霊姿に深く感動し、
その威徳にすがって数カ月滞在し、ノミをふるって二天像を彫刻し住職に寄進した。

これが現在の本尊だと伝われている。


【全景】



【山門】


塔頭にしてはなかなか見事な山門です。

無料駐車場は山門横に10台分ほどあります。


【境内】


左に見えるのが甚目寺観音の三重塔です。


【本堂】




残念ながら堂内には入れませんでしたが、
外から見ることは出来ました。

全く見えないより断然嬉しいです。


【恵比寿像・大黒天像】


木像。
御札みたいなモノを貼れば御利益があるそうです。




こちらは石像です。


【御朱印】

常泉寺(2015年3月15日参拝)

2015年04月15日 | 仏閣
妙行寺の隣にもお寺があります。
それは山号がその名もズバリ太閤山という常泉寺。



所在地:愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷47
宗派:日蓮宗
創建:慶長11年(1606)
開山:日誦上人
開基:加藤清正公


【縁起】
当山は始め豊国大明神の廟堂として、
慶長中肥後守加藤清正・開山圓住院日誦上人とで創建されました。

御神体は豊太閤の肖像束帯唐冠で木食興山上人の彫刻です。
始めは大阪城にあった御神体を清正が秀頼公にお願いして此地に鎮座し奉りました。

又正殿の一宇を営み秀吉の宅跡を以て太閤山と号し、
古井戸は同公産湯の瑞水で涸れることのない名水の清泉が、
湧き出るので常泉寺と名づけられ、廟堂の別当としました。

加藤清正は慶長16年名古屋城の築城に加わり、数ヶ月名古屋萬松寺に身を置き、
完成の後、本陣の仮屋を日誦上人に喜捨して仏殿とし妙行殿としました。

この地は筑阿彌の宅跡であって、豊太閤降誕の地でもあります。

元和元年夏廟堂から火災に遭い殿宇悉く灰燼となります。

別当日探上人(当山二世)速やかに、
正殿に入り神像を背負って出て恙無き事を得ました。

その後日探上人一草堂を旧跡に建て妙行殿を妙行寺に改めて弟子日璋に授けます。
常泉寺を草堂に移します。これにより両院となり共に法華の霊場です。


【参道】


なかなか良い雰囲気です。


【山門】


横に2本の太い梁がある山門としては珍しい建築でした。


【本堂】


昭和58年4月に不慮の火災で全焼し、
檀家さんが一団となって再建されたもの。

奥様はそのことを本当に感謝の気持ちで私に説明してくださいました。


【梅】


矢島文昭上人第参行成満記念の桜です。


【手植えの柊】





【御題目石】



【豊太閤之像】


武将の衣装ではなく、
朝廷に出向かれる時の衣冠束帯姿のようですね。


【豊太公産湯の井戸】






本当に産湯に使ったかどうかは実際のところは分かりませんが、
誕生地がこの地で確定なら信憑性は高いでしょうね。


【本堂内陣】




御首題をお願いして、
本堂に上げてほしいとお願いしたらOKでした。(^^

日蓮宗らしい内陣です。






豊国大明神として太閤さんが祀られていました。

柔らかい良い表情をされていましたね。




本堂に上がれて本当に良かった。

そう思えた本堂でした。


【御首題】


上人が御不在で書置きをいただきました。



【感想】
太閤さん、清正公の誕生地に訪れて、
所縁の寺社を参拝することが出来て嬉しかったです。

妙行寺(2015年3月15日参拝)

2015年04月14日 | 仏閣
太閤さん誕生の地は加藤清正公の誕生地でもあるんです。

その加藤清正公所縁のお寺が豊国神社の隣にある妙行寺。

加藤清正公が熱心に法華経を信心していたことは、
歴史好きならご存知のことだと思います。



所在地:愛知県名古屋市中村区中村町字木下屋敷22
宗派:日蓮宗
御本尊:法華三法
創建:不明



【縁起】
当寺は日蓮宗正悦山妙行寺といい、昔は正起山本行寺といい真言宗の大伽藍地なり。
永人二年日蓮宗の僧日像菩薩京都弘通の為御通行の折受法し日蓮宗に改宗す。

その後堂宇悉く焼失し年経て天文年間日勢上人正悦山妙行寺と改め再建す。
慶長十五年加藤清正公、家康公の命に従い諸大名と共に名古屋城築城の折、
その余材と普請小屋を貰いうけて、妙行寺を清正公誕生の地に移し、
ご先祖ご両親の菩提をとむらう為に再建す。

慶長十六年六月二十四日清正公御逝去の後、日遙上人は清正公の御尊像二体を彫刻し、
その一体を本妙寺に安置し、他の一体を清正公誕生の地妙行寺に寄贈さる。
清正公堂に安置せる御尊像之なり。


【山門】


そんなに大きくないお寺ですが、
ここから見ても良い雰囲気を感じるお寺です。


【加藤清正公像】


代名詞といえる烏帽子形の兜も健在。(^^


【あらい浄行菩薩】



【宝物庫】



【鐘楼堂】



【清正公誕生之地】


もともと豊国神社八幡社境内が誕生地とされていましたが、
明治3年になって妙行寺が清正公生誕地として確実視されたそうです。

彼がここで産まれ育ったと思うと、
胸熱ですね。


【清正公堂】


清正公の木像が祀られています。


【本堂】




お寺の方に確認するとこちらが本堂になります。

堂内には入れませんでしたが、
日蓮宗らしい堂内を見れて良かったです。


【御首題】


こちらの御首題は以前からいただきたかったので、
いただけて感動しました。


余談ですが、
そろそろ加藤清正主役の大河ドラマが見たいですね。
細川ガラシャも。

松陰の妹とか訳の分からん女性を主役にするより、
よっぽど良いと思うんですけどね。

豊国神社(2015年3月15日参拝)

2015年04月13日 | 神社
今日は通称マ○コ祭りが行われる大縣神社へ遠征です。

この祭りは奇祭&エロ好きには有名で、
以前から私も訪れたかったんですよね。(笑)

神社は愛知県犬山市に鎮座しているので、
わざわざ新幹線とレンタカーを使用。

大金かかってます。(笑)

とりあえず名古屋駅から犬山市まで北上する道中の、
めぼしい神社仏閣を訪れます。

まずは豊臣秀吉公生誕の地とされる豊国神社へ。


神社には無料駐車場があるんですが、
近所の連中が無断で停めていると思われる車で満車。

仕方ないので名古屋競輪場の無料駐車場に停めさせていただいた。



所在地:名古屋市中村区中村町字木下屋敷
御祭神:豊臣秀吉公
創建:明治18年(1885)


【由緒】
中村公園が豊臣秀吉の生地に当たるこの地に、
明治17年(1884)当時の県令国貞廉平をはじめ地元崇敬者の人々による、
生地で秀吉を祀る運動が盛んとなり、
翌明治18年(1885)に豊臣秀吉を祭神として神社が創建された。

秀吉公にちなみ、出世・開運・茶道・建設の神として親しまれております。


【中村公園】





【八幡社】


加藤清正が出陣の際に必勝祈願をしたとされてるそうですが、
ということは豊国神社より古いってことですね。


【秀吉公誕生地】


え?ホントに?と疑ってしまうような石碑があるだけ。

派手好きな秀吉公らしく絢爛豪華な社殿でも建てましょうよ。(笑)


【鳥居】


思ったより小さな神社のようです。


【拝殿】



【肖像画】



【本殿】



【絵馬】



【狛犬】



【鳥居】


反対側の競輪場から入ったので、
本来最初に通るべき鳥居が一番最後になってしまった。


【御朱印】



何の予備知識も無しに訪れた豊国神社。

生誕地だけあって京都の豊国神社とまでいかないまでも、
もっと豪華絢爛な社殿があると思っていただけに、
ちょっと残念でした。

衝梅院(2015年3月14日参拝)

2015年04月12日 | 仏閣


妙心寺の塔頭の一つである衝梅院が、
「京の冬の旅」6年振りの公開とあって参拝することにしました。

庭がメインなんであんまり期待してなかったけどね。(^^;



所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町66
宗派:臨済宗妙心寺派
創建:文明12年(1480)
開山:雪江宗深
開基:細川政元



【歴史】
室町時代末期の文明12年(1480)、妙心寺中興の祖・第九世・雪江宗深禅師を開山とし、
細川勝元の長男である室町幕府管領・細川政元は父勝元の死後、
妙心寺全山再興を援助の外護を受けて創建されました。

衡梅院の開山・雪江宗深禅師は、応仁の乱後、後土御門天皇の勅命を受けて、
応仁の乱で全山焼失した妙心寺を再興し、再中興開山(妙心寺六祖)と呼ばれた名僧です。
文明18年(1486)に亡くなった禅師の遺命によって衡梅院が塔所とされました。

雪江宗深禅師には景川宗隆禅師、悟渓宗頓禅師、特芳禅傑禅師、
東陽英朝禅師といった4人の優れた弟子があり、
この4人は妙心寺四派の開祖となって妙心寺発展の基礎となりました。

その後、衡梅院は一時無住となり衰退しますが、
江戸時代初期の慶長9年(1604)に衡梅院の中興となった天秀得全禅師が、
大阪の陣の豊臣方七人衆の一人、真野蔵人一綱の援助を得て再建されました。



【山門】



【境内】



【前庭】


拝観料を支払い中へ。


【方丈前庭】



【梵鐘】


寛文12年(1672)衡梅院の第六代住職・妙道和尚が、
生母の桂春大姉(後水尾上皇の中宮・東福門院の侍女)の、
菩提を弔う為に鋳造寄進したもの。


とても優美で下の部分が特徴的。
こういう梵鐘は今まで見たことないですね。


【長法庵】





【四河一源の庭】








まぁ、特に心に響くものもなく。

このお寺で仏像を見た記憶が全く残っていない。

仏様を祀っていないのではないかな?と思ってしまうお寺で、
個人的には残念でした。


【御朱印】


書置きでした。


【抹茶セット】


「京の冬の旅」スタンプラリーで3つ揃ったので、
今回も妙心寺横の花園会館「花ごころ」で抹茶セットをいただきました。

前回は店員の愛想が悪くて今回は行くのを躊躇ったが、
他の店は駐車場の都合で、結局ここになるんですよね。

今回は店員の愛想が良かったです。(^^

妙心寺(2015年3月14日参拝)

2015年04月11日 | 仏閣


妙心寺を訪れるのは約4年振り。
「京の冬の旅」で妙心寺の三門が特別拝観してるので訪れました。

ずっと訪れたいと思っていたが、
他に行った事の無いお寺が多くて多くて。(^^;



所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町64
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:暦応5年/康永元年(1342)
開基:花園法皇
開山:関山慧玄


【歴史】
京都の禅寺は五山十刹に代表される室町幕府の庇護と統制下にあった一派と、
それとは一線を画す在野の寺院とがあった。

前者を禅林または叢林、後者を林下といった。
妙心寺は大徳寺とともに、修行を重んじる厳しい禅風を特色とする
林下の代表的寺院である。

平安京の北西部を占める妙心寺の地には、花園上皇の花園御所(離宮萩原殿)があった。
花園上皇は建武2年(1335)落飾して法皇となり、
花園御所(離宮萩原殿)を禅寺に改めることを発願した。

法皇の禅の上での師は大徳寺開山の宗峰妙超であった。
宗峰は建武4年(1337)12月没するが、臨終間近の宗峰に花園法皇が、
「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、
宗峰は高弟の関山慧玄を推挙した。

その頃、美濃の伊深で修行に明け暮れていた関山は都に戻ることを渋っていたが、
師僧・宗峰の遺命と花園法皇の院宣があっては辞去するわけにはいかず、
暦応5年/康永元年(1342年)、妙心寺の開山となった。

妙心寺は応仁の乱で伽藍を焼失したが、中興の祖である雪江宗深の尽力により復興。
細川家や豊臣家などの有力者の援護を得て近世には大いに栄え現代に至る。


【南総門】



【境内】


とてつもなく広いです。


【三門】




東福寺の三門と比べるとコンパクトな造り。
禅寺にしては珍しく朱色で派手な印象です。

現在の三門は鉄山宗鈍が徳川家康公の支援を得て、
慶長4年(1599)に建立されたもの。

重要文化財。


早速拝観料600円を支払い三門上へ登る。

階段が急で頭をぶつけそうになる。
楼上に上がると仏殿、法堂が上から見れて最高です。

しかし残念ながらこちらも撮影禁止でした。(泣)

早速中に入ってみました。

こちらは東福寺の三門と違って中が狭く団体さんがいれば、
楼上の外で待たされる場合もありましたね。


薄暗い照明に浮かび上がる御本尊観世音菩薩や十六羅漢像が威厳たっぷり。

雰囲気抜群です。

天上や柱には龍や飛天、鳳凰等が鮮やかに描かれており、
かなり保存状態は良かったです。


【御朱印】


宝冠円通大士とは観世音菩薩とのこと。

書置きでした。


【仏殿】


文政10年(1827)に建立されたもの。

重要文化財。


【法堂】


明暦2年(1656)に建立されたもの。

重要文化財。

こちらに世界最高峰である狩野探幽の雲龍図があります。


【経蔵】


重要文化財。


【大方丈】





【放生池】



【蓮池】



【御朱印】

龍雲院(2015年3月14日参拝)

2015年04月10日 | 仏閣
本能寺には見事な龍の襖絵を見ることが出来る塔頭があります。

その名は龍雲院。

現代作家柏原晋平作の龍雲図襖の画力が凄くて、
見に行きたくなりました。

http://information.kashiharashinpei.com/?eid=72



所在地:京都府京都市中京区下本能寺前町522-1
宗派:法華宗本門流
御本尊:曼荼羅
開基:日政大徳
創建:杉若越後守


【山門】


蛤御門の変にて本能寺は全焼したが、
火伏せのイチョウと龍雲院は奇跡的にも難を逃れたそうです。


【本堂内陣】


御住職や奥様のお話では、
蛤御門の変の際も必死に御本尊を当時の僧侶達は守ったそうだ。

襖絵も一部でしたが見ることが出来て、
とても力強い龍が見事でした。


【火伏せのイチョウ】



【御首題】


お昼に行った時は御住職が本能寺に出仕されていて御不在。
夕方改めてお伺いして御首題をいただきました。

結構必死でした。(笑)

本能寺(2015年3月14日参拝)

2015年04月09日 | 洛中法華二十一ヶ寺
東福寺の三門繋がりで妙心寺の三門へ行く途中で、
久しぶりに本能寺を訪れることにしました。

こちらも約4年振りの参拝となります。


<2011年2月19日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/11811b3b6cb5ed109d3beacbd8d4759a




所在地:京都府京都市中京区寺町通御池下ル下本能寺前町522
宗派:法華宗本門流
御本尊:三宝尊
創建:応永22年(1415)
開山:日隆上人
開基:小袖屋宗句
札所:洛中法華二十一ヶ寺



【表門】


駐車場はありますが有料です。
確か30分で150円だったと思うから安いです。


【日蓮聖人像】



【境内】





【本堂】


堂内は撮影不可でした。


【信長公廟】





【本能寺の変 戦没者合祀墓】



【供養塔・石塔】


手前が徳川家重夫人供養塔、真ん中が菅中納言局庸子の石塔、
奥が島津義久夫人の石塔となります。

徳川家重夫人は子が早産、自身も急逝。
寛永寺に葬られたが本能寺を信仰していたので、
遺髪と爪が供養塔の下に納められています。


【霊廟】



【大住院日甫上人顕彰碑】


本能寺塔頭高俊院第4世にして華道本能寺流祖。


【大寶殿宝物館】


御朱印、御首題をいただいた方は500円のところ、
300円に値引きとなりましたので見に行きました。

有名な三足の蛙や茶道具、書状等が陳列されていました。

茶道具は名器と呼ばれるモノは本能寺の変で灰燼と化したので、
そんなに興味が湧く茶道具はありませんでした。


【御首題】


通常は妙法ですが、御首題帳を出すと御首題をいただけます。

明暗寺(2015年3月14日参拝)

2015年04月08日 | 仏閣
芬陀院参拝後、もう一つの塔頭を訪れました。

それは明暗寺というお寺です。

ここはいつも門は開いているんですが、
どうも入り難い感じがしていたんですけどね。



所在地:京都府京都市東山区本町15-797
宗派:普化正宗
御本尊:虚竹禅師像
創建:建武2年(1335)
開基:天外明普
開山:虚竹了円



【沿革】
明暗寺の開祖は虚竹了円禅師で、日本の普化宗の始祖であります。
日本の歴史においてあみ笠をかぶり、
尺八を吹いて諸国を遊行して歩く尺八禅の一派があり、
その人達による普化尺八と云われる虚無僧が興りました。

普化尺八の廃宗時期がありましたが、京都の樋口対山師の指南努力により
明暗尺八の復興が出来ました。
現在、中興の祖になっています。
 
明治4年(1871)に廃仏毀釈により廃宗廃寺となったが、
明治23年(1890)に東福寺の塔頭である善慧院に明暗教会として復興。

さらに昭和25年(1950)に宗教法人普化正宗明暗寺として再興された。


【山門】



【石碑】



【境内】



こじんまりとした境内です。


【苔庭】






苔が濃くて綺麗でした。


【弁天堂】





【御朱印】


御朱印は二種類ありました。
ハンコですけど。

芬陀院(2015年3月14日参拝)

2015年04月07日 | 仏閣
東福寺の塔頭寺院である芬陀院を訪れました。

まだ訪れていない東福寺の塔頭の一つです。

何となく読み難いですが芬陀院と書いて「ぶんだいん」と読みます。

こちらは雪舟寺と呼ばれているらしい。



所在地:京都府京都市東山区本町15-803
御本尊:阿弥陀如来
宗派:臨済宗東福寺派
創建:(伝)元亨年間(1321-1324)
開山:定山祖禅和尚
開基:一條内経



【沿革】
芬陀院は東福寺の塔頭寺院の一つで雪舟作の名庭を伝えることから、
雪舟寺の名で親しまれる。

創建は鎌倉時代、後醍醐天皇の元亨年間、時の関白一条内経公が、
開山聖一国師の法孫にあたる定山祖禅和尚を開山として創建。

以来、一條家の菩提寺として今日に到る。

その後、二度にわたり堂宇を焼失するが、
後に桃園天皇の皇后恭礼門院より賜った御所内旧殿を移築。

現在の建物は明治3年(1899)昭憲皇太后からの御内帑金により改築したもの。

唐門も同じく恭礼門院の御所より移築された。


【山門】




いかにも京都といった品のある門構えです。


【庫裏】


こちらで拝観料を支払い中へ。


【鶴亀の庭】






雪舟の作庭と伝わる禅院式枯山水庭園。

雪舟が少年期を過ごした備中宝福寺は東福寺の末寺であり、
雪舟の本山来山のおりには芬陀院に起居したと伝わっています。


【本堂】



【書院】










雅な雰囲気を感じる書院です。


【中庭】






なにげない庭ですが、計算され尽くされた庭です。


【図南亭】






一條内経好みと呼ばれる躙り口の無い茶室。

とても落ち着きます。


【丸窓】




これは素晴らしい。

いわゆる悟りの窓ですが、
丸窓から見える景色は単なる庭の景色ではない。

その景色は人それぞれだと思う。

どんな景色が窓の向こう側に見えるか、
その景色を確かめに訪れていただきたい。


【一條恵観公像】



【東庭】




昭和19年作庭家重森氏の手により、鶴島を題材として作庭されたもの。


【唐門】





【御朱印】


書置きかと思っていたら、御朱印帳にいただきました。

東福寺(2015年3月14日参拝)

2015年04月06日 | 仏閣
二月に東福寺を訪れた時、
三門に登りたいなぁと思っていたら、
思ってたより早く登れる日が訪れました。(^^

3月14日から16日まで涅槃会があり、
通常非公開の本堂と三門の特別公開の情報が入ってきたからには、
何としてでも参拝しなくてはならない。

そして、ビーバップ!ハイヒールというテレビ番組で放送された、
あるモノを見れるのがとても楽しみです。



所在地:京都府京都市東山区本町十五丁目778番地
宗派:臨済宗東福寺派
御本尊:釈迦如来
創建:嘉禎2年(1236)
開基:九条道家
開山:円爾弁円



【通天橋】




【東司】




今までずっと素通りしていた建物でしたが、
やっぱりトイレでしたか。


【思遠池】



【三門】




さすが国宝だけあって堂々たる門です。

この山門に登れるのが本当に楽しみです。


【梅】







【三門】





【防長忠魂碑】


鳥羽伏見の戦争前夜に長州藩兵の本陣だったそうです。


【招魂碑】



【三門】


拝観料500円を支払い山門の上へ。

どこもそうだけど非常に登り難い階段を登りきり回廊へ。






危険だからという理由で写真撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。


三門は横に長くて高いのがよく分かります。

景色も良くて気分爽快。
高所恐怖症の方は怖いでしょうけど。(^^;

さて、中に入りましょう。




当然ながら内部も撮影禁止でしたので、
こちらも画像はネットで拾ったものです。


東大寺の南大門を模したと言われるだけあって中も広い。
100人は軽く座れる広さです。

薄暗くされた山門内には釈迦如来と十六羅漢像が安置され、
龍図と天女が天井に描かれていました。

とても良かったです。

ここの三門は登ってガッカリすることはありません。

続きまして本堂へ。


【本堂】


ここはいつもは入れないのですが、
涅槃会の時は入れるのです。




入ると目の前に大きな涅槃図が壁ドーンと掛けられています。

この涅槃図は15世紀初頭に明兆が描いたもので、
縦約12メートル横約6メートルの大きさ。

数年前は撮影OKだったのに、
今年は撮影不可でしたのでネットで拾ったものです。

そして一番見たかったのがコレ。



本堂の奥に安置されているのが、大仏の左手です。

今まで存在すら知らなかったのですが、
東福寺には大仏があったそうです。

しかし明治14年(1881)の火災で本堂が焼け、
左手だけが何とか僧侶達によって、焼失を免れたもの。

もし現在にまで残っていたならば国宝に指定されていたことでしょう。

実に惜しい。

火災は全てを失うから本当に怖い。


【三門】




本堂から見た三門。


【御朱印】


今回は本坊ではなく、本堂でいただきました。


【御朱印帳】


買わずにはいられない。(笑)


【感想】
冬の東福寺に訪れるなら涅槃会の時をお勧めします。

本堂と三門の特別拝観はとても良かったですから。

室生寺・其の二(2015年3月8日参拝)

2015年04月05日 | 仏塔古寺十八尊
奥の院からダッシュして受付けまで戻った。

ハァハァしながら集合時間に何とか間に合った。(^^

今回の参加者は20名ぐらいで御夫婦で参加してる方が多かったですね。

僧侶の御紹介が終わって「奈良 うまし冬めぐり」開始。



【仁王門】


ここはさらっと素通りして、
鎧坂でいろいろ僧侶にご説明していただく。

いろいろタメになる話です。

鎧坂を登りきるとまずは弥勒堂へ。


【弥勒堂】


ここは御堂の中に入れてくださいました。

この空間に入れるのは感動です。

弥勒堂の真ん中の厨子の中に重文の弥勒菩薩、
向かって右側に国宝の釈迦如来坐像、同じく左側に役行者像が祀られていました。

こんなに近くで見れて最高です。


【金堂】


続きまして金堂へ。

四年前に訪れた時は特別拝観してましたので、
あの素晴らしい仏様達に感動したことは、今でも覚えてる。

御無沙汰して申し訳ございません。

普段なら外の回廊から堂内及び諸仏を拝むことになるんですが、
ここからだと諸仏のお顔が見れないんですよね。

これが凄いストレスになるんですが、
外陣に入るとそのストレスも解消。

釈迦如来、十一面観音菩薩、十二神将、薬師如来等、
人類の至宝にして世界遺産ともいうべき諸仏がズラリと並んでいる。

その姿はまさに圧巻。

よくぞ現代まで残ってくれたものです。


【灌頂堂】






国宝。

本堂にあたります。
真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う御堂です。

こちらには如意輪観音菩薩が祀られていました。
観心寺、神咒寺の如意輪とともに日本三如意輪の一つと称されているが、
個人的には談山神社の如意輪観音がナンバーワンだと思っている。


【五重塔】




こちらでも僧侶の説明を聞く。
やはりあの台風で倒壊したことを仰っていました。


【如意山】


何の変哲もない山です。

だから今まで全く注目してなかったのですが、
僧侶の話を聞いてとても重要な山だと知りました。


弘法大師が師事する恵果阿闍梨より授かった如意宝珠を、
この山の頂上に埋めたという伝説がずっと伝わっていました。

その伝説が本当かどうか、
明治時代になって埋められていると思われる付近を捜索。
その時は見つからなかったそうだ。

時代は下がり昭和21年(1946)に捜索範囲を広げ、
再び実施された如意山頂上の石造納経塔の調査の際、
琥珀玉や巻物、当時の貨幣などが見つかり、
伝説が実話だったことが判明。

それ故、この如意山を持つ室生寺は真言宗にとって、
重要かつ格式の高い寺として君臨しています。

如意山は聖地であり禁足地として崇められ、
今なお東寺灌頂院に於いて、後七日御修法が取り行われ、
如意山に向かって遥拝しているそうです。


調査で見つかった宝物類は再度石造納経塔へ納められ、
元の如意山に埋められたそうで、二度と掘り出されることはありません。


この話を聞いただけでも、
このプログラムに参加して良かったと思う。


【修円僧都廟】


室生寺二世にして空海や最澄に匹敵するほどの名僧だったとか。


【五輪塔】


右側が織田信雄の墓だそうです。





【金堂】



【天神社】







【軍茶利明王】



【バン字池】


梵字の「ばん」の形をした池で、「ばん」は大日如来のこと。


【御朱印】


灌頂堂でいただきました。


【感想】
とにかく弥勒堂、金堂、灌頂堂を特別拝観出来たことは幸せだ。

普通にそう感じてしまうほど。

料金は十二神将のポストカード付きで1700円でしたけど、
めっちゃお得でしたね。

来年も「奈良 うまし冬めぐり」で室生寺があったら参加するだろう。

室生寺・其の一(2015年3月8日参拝)

2015年04月04日 | 仏塔古寺十八尊


室生寺に到着。

このお寺に来るのも久しぶりで約4年振り。
毎年訪れたいものですが、やっぱり遠い。(^^;


<2011年4月3日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/a21ab69bc059ada19259e2fd3d8dddd8




まずは門前の橋本屋で昼食。

とろろ汁付きの親子丼を食べました。
他の店では意外と高い店が多くて、庶民の私にはこれで充分です。

とろろ汁がめっちゃ熱くて美味しかったです。

さて、腹を満たしたところで参拝開始。



所在地:奈良県宇陀市室生78
宗派:真言宗室生寺派
御本尊:釈迦如来
創建:宝亀年間(770-781)
開基:賢憬
札所:仏塔古寺十八尊、西国薬師四十九霊場、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道


【太鼓橋】





【表門】


ほんとに気品のある門です。


【本坊】



【慶雲殿】





【赤門】


まだ集合時間まであと40分と、時間があったので、
受付けを済ませ先にプログラムの予定の無い奥の院へ。


【仁王門】


堂々たる見事な門です。


【仁王像】



【御朱印帳】


とりあえず先に御朱印をいただく。

すると綺麗な御朱印帳が目に付いた。
室生寺錦で作られたものですが、値段を見たら3240円。

欲しいけど、さすがに無理。(^^;


【御朱印】


室生寺では沢山の御朱印がいただけます。






仁王門前では三種類いただきました。


【仁王門】



【鎧坂】


ここの石楠花が有名ですね。


【弁財天】


坂を上りきると弥勒堂、金堂が見え、
さらに上に行くと灌頂堂が見えてきます。

こちらは後ほど。


【天神社拝殿】


お、拝殿が綺麗になってる。

また後ほど。


【放生池】



【宝篋印塔】



【五重塔】




国宝。

小さい塔ですが、実に美しい。


【御堂】



【五重塔】





【奥の院参道】



【朱橋】


ここから先はまさに結界に進んで行くという雰囲気。


【巨木】


岩にしがみつくという感じでしたが、
逞しく育っていました。


【賽の河原】




この辺りは賽の河原だけあって寂しいです。


【石段】


なんじゃこら~。

スゲー段数で萎えるわ~。(^^;
これは私の信仰心を試されてるな。

意を決して登ることに。


【石仏】


半分ぐらい登ってきたでしょうか。

しんどいわ~。


【石段】


ようやく奥の院の位牌堂が見えてきました。




舞台造りのようですね。


【石仏】







【足組】





【位牌堂】


常燈堂とも呼ばれています。
堂内は位牌ばかりでしたので、撮影は遠慮させていただきました。

位牌堂から風景をみれますが、
写真を撮りたいと思うような景色ではありませんでした。

まぁ、奥の院は景色を楽しむ場所じゃないですからね。


【御影堂】


重文。

弘法大師が祀られているので、大師堂とも呼ばれています。


【七重石塔】



【御朱印】


二種類いただけるようなんで、お願いすると、
如意宝珠の御朱印は金堂でいただいてくださいと言われました。

まぁ、それはそれで仕方がない。

しかし墨書きを書いてくれてる僧侶が超絶スローな筆さばき。

集合時間が迫っている。
しかも私の前に2人も待ってる。

既に御朱印帳を預けてるので、一旦下に降りてから、
また奥の院に行こうかと思ったけど、
あの石段を一日二回も登るほど体力、信仰心が無いから待つことにした。(^^;

それにしても遅い。

結局、墨書きに10分かけてました。
丁寧に書いてくれるのは嬉しいけど、あんまり遅いのは勘弁してほしい。

あの人は絶対お遍路では墨書きを書いてけないですね。(苦笑)


【石段】


集合時間まで残り10分。

石段をダッシュして何とか間に合いました。(^^


続きはまた今度。

室生龍穴神社(2015年3月8日参拝)

2015年04月02日 | 神社
今年三カ所目の「奈良 うまし冬めぐり」の寺社は室生寺です。

女人高野で有名な室生寺のプログラムは、
金堂、弥勒堂、灌頂堂を一度に特別公開するというもの。

まぁ、ちょくちょく個別のお堂の特別拝観している室生寺ですが、
三堂を一気に見れるのは貴重ですから参加しました。

集合時間に遅れるのは嫌なんで早めに行ったら、
めっちゃ早く到着したので、先に室生龍穴神社を参拝することにしました。


所在地:奈良県宇陀市室生1297
御祭神:高靇神
配祀:天兒屋根命・大山祇命・水波能賣命・須佐之男命・埴山姫命
創建:不明
社格:村社


【由緒】
主神 高靇神は伊邪那岐大神其御子迦具土神を斬り給へる時生れませる神にして、
水火を司るの威徳を具へ給ひ、晴雨を調節して 国土民生を安じ給ふ。

農を以て国の本とする我国古来の伝統 的民族信仰として、
旱天に慈雨を祈るの風朝野を 挙げて後を絶たざりし所以にして木津川、
淀川の上 流の当地に此大神の鎮まります事深く故なしとせず。

随って古来歴朝朝野の信仰篤く祈雨止雨の奉幣に預り給ふ事度々にして、
神階は度々昇敍されて 應和元年正四位下に敍せられ給ふ。

延喜の制貴船丹生等の社と列びその神威赫々たる
官幣の小社に列せられ所謂式内社として近畿一円に、
衆庶の信仰篤く以て今日に及べり。

配祀の祭神は古来聚落の叢祀に奉斎せしを明治末年に合祀せり。


【韋駄天社】


室生寺からだと一番最初に見える末社がお出迎え。

無料駐車場もありますし、
神社の手前に路上駐車も余裕で可です。


【境内】




いきなり凄い雰囲気だ。

ここはとんでも無いことがすぐに分かった。




これほど氣が充満している神社も久しぶり。
幽玄な雰囲気がたまりません。


【拝殿】






うーむ、凄過ぎて唸るばかり。

ここは本当に素晴らしい。




もっと荒れてるかと思ってたけど、
拝殿もきっちりと管理されていています。


【本殿】




瑞垣があってこれ以上進むことは出来ませんが、
例え進めても躊躇うほどの神域です。


【神庫】



【連理の杉】




苔のつき方が良くて、これぞ御神木と感じさせてくれます。


【境内】


少し離れた場所にある吉祥龍穴へ行く前に、
境内の雰囲気を名残惜しむように堪能した。

その雰囲気の凄さたるや、まさに神の如し!


【入口】


神社から数分でこの場所に着きますので、
この山道に入ります。




約800メートルですが、車一台が通れる道を走ります。
対向車が来ないでくれ!と願う道です。(^^;


【天の岩戸】




天の岩戸と言えば高千穂が有名ですが、
こちらにもあったんですね。


【巨石】


こんな岩の上にも関わらず、木が生えてることに驚いた。
木の生命力は凄いね。


【吉祥龍穴】


この鳥居の前に2台ぐらい車は停めれます。




龍穴は階段を降りて行きます。


【奥拝殿】



【吉祥龍穴】






ぶっちゃけ、龍よりもコウモリが出てきそうですが、
やはり雰囲気がありますね。

昔の人達はここで雨乞いをしていたんでしょうね。




龍穴の上はこんな感じです。


【招雨瀑】




巨大な一枚岩と思われる岩盤が迫力ありました。

これにて参拝終了。

御朱印はございますが、神職の不在がほとんどなんで、
いただけないのは織り込み済みです。

いただけたらラッキー程度と思うか、
事前に電話で確認されてから行くとよろしいかと。


【感想】
こんなに凄いとは。
本当に素晴らしくて感動。

これほど凄い雰囲気を味わえると思いませんでしたよ。

神社好きなら必ず参拝しなければならない神社ですね。
是非訪れてほしい。

損は絶対させませんよ。

出来ればピーカンの晴れの時じゃなく、
曇りやモヤってる時の方が雰囲気が良いと思います。