Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

甚目寺(2015年3月15日参拝)

2015年04月17日 | 仏閣
笠寺・荒子・竜泉寺と尾張四観音の一つである甚目寺。
今回、事前チェックするまでは知りませんでした。

調べてみると重文の南大門と三重塔が凄く良さそうだったので、
参拝することは即決でしたよ。



所在地:愛知県あま市甚目寺東門
宗派:真言宗智山派
御本尊:聖観音
創建:伝推古天皇5年(597)
開基:甚目龍麿(甚目龍麻呂)
札所:東海三十六不動尊霊場、尾張三十三観音、尾張四観音


【縁起】
仏教が伝来した宣化3年(538)よりわずか60年後の推古5年(597)のこと、
伊勢甚目村の漁夫、龍麿という人が江上庄の入り江で魚をとっていました。
その網に黄金の聖観音像がかかり、歓喜した彼は入り江の北にお堂を建て像を納めました。

これが甚目寺の始まりと言われています。

甚目寺は7世紀中頃、天智天皇より宝鏡を下賜され、
続いて天武7年(679)に天武天皇から鳳凰山の額を勅賜しました。

その後盛衰があり康和5年(1103)には七堂伽藍が再興され隆盛を極めましたが、
天治元年(1124)大地震の被害を受けました。

しかし鎌倉初期建仁元年(1201)に聖観上人が再興をはかり七堂伽藍も整えられました。

16世紀の末には豊臣秀吉公から寺領160石を受け、
17世紀始めの名古屋開府と共にその鎮護の任にあたり、
徳川義直公からも300石を受領しました。

以後も歴代藩主の手厚い保護と土民の篤い信仰を得て、
尾張四観音寺の筆頭として栄え現在に至る。


【南大門】


建久七年(1196年)建立されたもので重文。

とても渋い門ですが、
電線の多さに辟易する。


【仁王像】


仁王像はあの福島正則が奉納したそうです。


【境内】


広い境内です。

観音霊場というのは独特の雰囲気があって、
ここに立っただけで観音霊場の雰囲気を感じられました。


【観音像】



【鐘楼堂】



【蔵】



【不動堂】


甚目寺観音諸堂順拝五番。


【十王堂】


甚目寺観音諸堂順拝四番。




堂内に入れました。








全部は撮影していませんが、
第一から第十までの王が勢揃い。




三途の川のほとりで、冥界に到る亡者の衣を剥ぎ取る悪鬼女で、
奪衣婆と呼ばれています。

東京新宿にある大宗寺の奪衣婆をテレビで見たことがありますが、
これが世にも恐ろしい姿をしていました。

大宗寺がある新宿は江戸時代に遊郭が栄えていたこともあり、
奪衣婆は神として祀られているそうです。

何でそんな悪鬼女が祀られて、現在も風俗や水商売の女性達の信仰があるかというと、
遊郭や風俗の女性は「脱がせてナンボ」の世界に生きているからです。




六道を守護するのが地蔵菩薩です。




ちょっと面白いですね。(^^


【東門】


重要文化財。
寛永11年(1634)再建されたもの。


【四国八十八ヶ所霊場】




甚目寺観音諸堂順拝一番。


【釈迦堂】




甚目寺観音諸堂順拝二番。


【鎮守社】



【本堂】


甚目寺観音諸堂順拝十二番。

鮮やかで立派な本堂ですね。




荘厳な雰囲気を感じられます。

聖観音像は釈尊の授記を受けて作られたもので、
百済を経て日本へ渡り、敏立14年(585)に海中に投じられた
三尊仏の内の一尊と言われています。

他の二尊もそれぞれ拾われ、阿弥陀仏は信州の善光寺に、
勢至仏は九州大宰府の安楽寺にあるそうです。

甚目寺の聖観音像は後に十一面観音の胎内仏となっています。

御本尊は豪華な装飾で飾られた厨子に安置されていました。




十体以上の仏様達が祀られていました。


【白山大権現】



【明王堂】





甚目寺観音諸堂順拝十一番。


【弘法堂】





甚目寺観音諸堂順拝十番。


【六角堂】




甚目寺観音諸堂順拝三番。

エサを貰えると思って鳩が寄ってきた。
本堂で豆が50円で売っていました。


【石仏】



【宝篋印塔】



【三重塔】




甚目寺観音諸堂順拝九番。

重要文化財。


【秋葉堂】




甚目寺観音諸堂順拝八番。


【法花院】








甚目寺観音諸堂順拝七番。


【御朱印】


二種類の内の一つをいただきました。


【感想】
観音霊場らしい雰囲気と見所いっぱいの甚目寺観音諸堂順拝が楽しめます。

愛知県には私が知らない名刹がまだまだあることを知りました。

荒子観音寺にも行ってみたいです。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
良いお寺さんですね♪ (明日香)
2015-04-18 19:40:17
○○石って、お米のとれる量ですよね?思ったんですけど、農民って、搾取するお寺に信仰を持てたりしたんでしょうか?
仁王像様白い!よく見ると赤いところが。昔は、赤かったのかな?イメージ的には、色が抜けると茶色?っぽいの想像するんですけど。て、言うか、蔵も堂内も白っぽいですねー。
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続き。 (明日香)
2015-04-18 19:47:00
奪衣婆の、お像は見たことなかったです!これも、一応、お仏像様になるんでしょうか?それにしても、怖いーw。
地蔵菩薩様は、キラキラしいですね♪けど、中身は、白いと思います!
下の天秤?は、なんなのでしょう?
愛知県なのに、四国八十八ヶ所霊場?
ご本尊様の、厨子も白っぽいですねー。
私は、好きです♪全体的に。
何か、? の、多いコメントで、すみません!
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Unknown (ゴマラー)
2015-04-19 07:34:30
仰る通り石高ってコメの量ですね。

当時の武士や農民は現代人よりも遥かに神仏に対する
信仰が篤かったらしいですよ。

だから搾取というよりお布施という感覚だったのではないかと思っています。

仁王像は完全に彩色が抜けてましたね。
昔は色鮮やかだったんでしょうね。

大宗寺の奪衣婆で検索してみてください。
もっと怖いですよ~。(^^;

仏というより商売神として祀られているようです。

天秤は古代エジプトでもありましたけど、
天秤が釣り合えなければ、または、罪の方が重くなれば、
地獄に落ちたり来世に生まれ変われないとされています。

そうならないように、
現世で真面目に生きよ、という戒めですね。

真言宗の大きなお寺だと四国八十八ヶ所霊場の写しがありますよ。

四国までお遍路に行くことが出来ない人達の為に、
このような霊場があります。

お砂踏みというのが有名ですね。
お遍路の各霊場の砂を埋めておいて、
その上を歩くとお遍路に行ったと同じ御利益があるとされています。
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