イランのアスガー・ファルハディ監督と主演女優のタラネ・アリドゥスティが、アメリカ・トランプ政権のイスラム諸国からの入国停止措置に反発し、アカデミー賞授賞式への出席を拒否したことで、世界中の話題となった。
そのアカデミー賞外国語映画賞受賞作品がこれだ。
平穏な日常生活が、外部からの闖入者によって、突然破壊される。
そんな謎めいた状況から、若い夫婦に不穏な空気が漂い、人間関係が変化していく。
その様子がサスペンスタッチで描かれる。
イラン社会の矛盾とともに、人間の愚かさを冷徹な視線で見つめる感性が鋭い。
現代のテヘラン・・・。
国語教師のエマッド(シャハブ・ホセイニ)は、妻のラナ(タラネ・アリドゥスティ)と一緒に、小さな劇団で活動しながら、平穏な日々を過ごしている。
そんな二人のアパートが隣の建設工事で崩壊する恐れが生じ、二人は新しいアパートに引っ越しを余儀なくさせられる。
劇団は新しい公演に向けて、稽古に励んでいる。
劇団ではアーサー・ミラー作の「セールスマンの死」の上演を決めており、エマッドとラナは主人公の夫婦を演じている。
公演の初日の夜、夫より先に帰宅したラナは、浴室で侵入者に暴行されてしまう。
だが、ラナは警察に被害を届け出ることを強く拒む。
怒りにに燃えたエマッドは、自力で犯人を捜し出すのだったが・・・。
ラナは、事件の表面化を恐れ、劇団員らにも事件を明かさないよう夫に求める。
イスラム社会では、姦通罪が現存し、女性が性的被害を受けた場合でも、女性側が罰せられたり、白い目で見られるといった、この社会独特のひずみが作品にも反映されている。
夫のエマッドが、追跡の果てにたどり着いた人物と対峙する時が、このドラマの大きなクライマックスだ。
しかしこの作品では、事件発生の瞬間が省略され、代って登場人物の動揺や不安をスリリングに描き出している。
もっとも、真犯人の設定には少々無理もあるのだが・・・。
夫妻が新しく移り住んだアパートのその部屋では、前の住人の女性がどうやらふしだらな商売をしていて間違えられたらしいのだが、その辺のところは詳細に描かれていないのでよくわからない。
この事件でラナは肉体的にも精神的にも傷つき、舞台に立つことができなくなり、このことをきっかけに二人の夫婦関係に亀裂が生じ、その感情のずれが繊細に描き出されていく。
イラン社会が描かれるここでは、何としてでも名誉を重んじる厳しい社会規範があり、それが一種の壁の役割を果たしている。
犯罪被害者は声を上げられないでいる。
このことは悲劇的な要素を含んでいる。
非情な現実を突きつけつつ、憎悪と悪を描くサスペンスは最後まで見応えがある。
長編「別離」(2011年)、「ある過去の行方」(2013年)のイランの巨匠アスガー・ファルハディ監督による、イラン・フランス合作映画「セールスマン」は、心理サスペンスを散りばめながら、夫婦二人の感情と葛藤を、社会の実相を背景に複合的に織り上げた、タペストリーのような作品だ。
[JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点)
次回はアメリカ映画「スウィート17モンスター」を取り上げます。