「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

河津七滝(かわづななだる)@静岡県賀茂郡河津町

2017年08月31日 17時39分59秒 | 
河津七滝(かわづななだる)@静岡県賀茂郡河津町
♫天城超え♫「伊豆の踊子」を辿る 其の6








天城トンネルを出た所の標識には「踊り子歩道」
旧道をその様に称するのか、別ルートがあるのか?「河津七滝まで8.2㌔」

『伊豆の踊子』には『トンネルの出口から白塗りの柵に片側を縫われた峠道が稲妻のように流れていた。この模型のような展望の裾の方に芸人達の姿が見えた。…』峠道は下りとなる。

旧道を離れてバイパスに乗ると間もなく、空中をループ状に旋回しながら下る。
写真を撮らなかったので説明が難しいが、ラセン階段の道路版と思えばよい。



下りきった辺りに「河津七滝」入口とあって、再度、旧道に。
滝は水が垂れる。の意味で滝をダルと発音するので「河津七滝(かわづななだる)」となる。

「これらの滝は、約2万5000年前に伊豆東部火山群のひとつ「登り尾(のぼりお)南火山」からの溶岩流が谷に流れ込んでつくり出したもので七滝のうち「えび滝」を除く6つの滝には、厚い溶岩が凝固、収縮し出来る柱状節理が見られる。」こと。



水戸の井戸博士・西原昇治さんの影響で覚えた「ジオパーク」《geology(地質学)+park(公園)からの造語》科学的・文化的に貴重な地質遺産を含む自然公園。





の典型的な場所で、興味津々だったが、七滝全てを巡ること出来なかったが、渓流そのものが素晴らしかった。

『伊豆の踊子』では『湯ケ野までは河津川の渓谷に沿うて三里余りの下りだった。…』としかないが、この景観の素晴らしさは物語としては邪魔になるので、敢えて触れていないのか?



しかし、地元では学生と踊子を並立させた像を何か所か建立。



何度も映画化もされており、其の紹介板も。
今なら、「ジオパーク」だけを売りで充分通用する時代となった。

ここは「湯ヶ野」の少し手前だが、『伊豆の踊子』ではここでの話なども面白く。小説を辿る部分は冒頭の「天城峠」に行ったことだけ、でこれから先の旅のは、そこを離れて見聞を記すが、タイトルだけは残しておくことに。
小説の世界の追体験は無理と云う自明の理。



大正15年の噴き上げから80余年が経過し、いまなお100度の温泉が毎分600リットル、地上約30mまで噴き上げる自噴泉。





この日はメンテナンスで休業だったが、パイプに付着物をノミで削って通りを良くする作業が終了し、試の自噴を見られた。

近年では1月下旬より3月上旬にピンク色に咲き誇る「河津桜」で有名な河津町は温泉も沢山ある。
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下田街道 天城峠♫天城超え♫「伊豆の踊子」を辿る 其の5

2017年08月31日 11時28分39秒 | 
下田街道 天城峠
♫天城超え♫「伊豆の踊子」を辿る 其の5






『伊豆の踊子』で主人公は修善寺温泉に1泊、湯ヶ島温泉で2泊し、天城を登ってきた。『…重なり合った山々や原生林や深い渓谷の秋に見惚れながらも、私は一つの期待に胸をときめかして道を急いでいるのだった。…』
主人公の一つの期待とは『…あの日が修善寺で今夜が湯ケ島なら、明日は天城を南に越えて湯ケ野温泉へ行くのだろう。天城七里の山道できっと追いつけるだろう。そう空想して道を急いで来たのだったが…』
『折れ曲った急な坂道を駈け登った。ようやく峠の北口の茶屋に辿りついてほっとすると同時に、私はその入口で立ちすくんでしまった。余りに期待がみごとに的中したからである。』



峠の北口の茶屋は概ねこの辺り、或いはもう少しトンネル寄りだったのか「伊豆の踊子・文学碑」が建立されている。



川端康成筆による冒頭の文章と、川端の・レリーフが埋め込まれている。



この旧道に至るには、バイパスの途中に分岐点が在る。



そこからは舗装無しの山道で、当時と変わらない感じだ。
ここは、擦れ違い用に道幅が広いが、概ね1車線くらい。
●1970年に竣工した新天城トンネル(延長は800 m)が開通する前は舗装されていたが、2001年の文化財登録時頃に舗装がはがされた。



天城山隧道(トンネル)
1905年(明治38年)に完成、全長445.5メートル。
アーチや側面などすべて切り石で建造された日本初の石造道路トンネルであり[、日本に現存する最長の石造道路トンネル。
2001年(平成13年)道路トンネルとしては初めて国の重要文化財(建造物)に指定された。



トンネル内部。
切り石を組あげている構造が良く分かる。内部の照明はかなり暗い。
『伊豆の踊子』には『…暗いトンネルに入ると、冷たい雫がぽたぽた落ちていた。南伊豆への出口が前方に小さく明るんでいた。』とあるが、正にそのとおり。
現在も通行可能で、我々も北側(伊豆市)から南側(河津町)に抜けた。
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♫天城超え♫

2017年08月30日 20時35分59秒 | 
♫天城超え♫
伊豆の踊子」を辿る 其の4




修善寺温泉を発って、今回の旅の主題である「天城峠」に向かう。
川端康成の名作『伊豆の踊子』の舞台を確かめに。

とは言え、短編の小説なのに読んだことが無く、冒頭の『道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨脚が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追って来た。私は二十歳、高等学校の制帽をかぶり、紺飛白の着物に袴をはき、学生カバンを肩にかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊り、湯ケ島温泉に二夜泊り、そして朴歯の高下駄で天城を登って来たのだった。…』を見たか読んだか。

今回、旅に出るにあたって新潮文庫を購入して読み、旅に携行して電車の中で読んだり、の程度だから心もとないが、同行のお二人も似たようなコトらしい。

映画化も何度もされているが、どれも観たことが無いし、テレビドラマも見ていない。

『伊豆の踊子』では、『最初は私が湯ケ島へ来る途中、修善寺へ行く彼女たちと湯川橋の近くで出会った。その時は若い女は三人だったが、踊子は太鼓を提げてゐた。私は振り返り振り返り眺めて、旅情が自分の身についたと思った』
の湯川橋は伊豆箱根鉄道・修善寺駅の近くだが修善寺IC付近から国道139・下田街道に入り湯ヶ島方面に向かったのでパス。

湯ヶ島には川端が宿泊し、気に入って毎年のように訪れた「湯本館」も在るが、ここも旧道沿いなのでパスした。
『伊豆の踊子』では『…湯ケ島の二日目の夜、宿屋へ流して来た。踊子が玄関の板敷で踊るのを、私は梯子段の中途に腰を下して一心に見ていた。―』、





湯ヶ島温泉を過ぎて上り坂になり、右側に大きな駐車場に「浄蓮の滝」の案内。



石川さゆりが1986年に発売した『天城越え』の歌詞の一節。
♪隠しきれない移り香が、いつしかあなたに浸みついた。
誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺していいですか
寝乱れて隠れ宿、九十九折り、浄蓮の滝、舞い上がり 揺れ墜ちる。♪

第28回日本レコード大賞・金賞受賞曲で作詞・吉岡治、作曲・弦哲也。
発端は静岡県・伊豆半島の天城山を舞台にしたご当地ソングとも言われる。

多くの歌手がカヴァーしているが、音楽に詳しいFさんは中森明菜など20人のカヴァーを編集したCDを制作。
修善寺~湯ヶ島~天城峠までカーステレオから流し続けた。

「浄蓮の滝」は、つづら折りの崖下に在る。
歌詞そのままの景色だが、この風景からから演歌の情念の世界を発想するのは、さすがプロならではの技。
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独鈷の湯(とっこのゆ)@伊豆市

2017年08月30日 14時42分41秒 | 
独鈷の湯(とっこのゆ)@伊豆市
♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿る 其の3




朝風呂を浴びて、朝食のバイキング食べて出発。
旅が始まる前、Tさんが“空海(弘法大師)が噴出させた修善寺の「独鈷の湯」に立ち寄ろう。と提案した。確かに、修善寺温泉の原点だ。
やり取りは今風にネットだが、検索すると、今は入れないとか、良く分からない。ネット情報は確実性に欠ける。



在りました「独鈷の湯」
密教法具に由来するので「どっこ」とおもっていたら「とっこ」と読むらしい。



Tさんがそくさくと、

修善寺川(通称:桂川)の川中にあり、土台の岩や大きな石を組んで浴槽をかさ上げし、足湯を楽しめるようになっている。



僕だけ足湯を愉しんだ。
裸足になったので、出てから軽く滑ったが、ことなきで幸い。



『戦前までは岩の隙間などから自然に湯が湧き出ていたと伝わるが、川中に突き出た形状で、豪雨の際に流れが阻害され、氾濫を引き起こす原因となりかねないとして、県の計画で2009年4月に19m下流の川幅の広い位置に移動させられた。』と云うことで、岩を組あげた上に温泉を引き込んである。



「修善寺」
807年創建のこの寺院は、弘法大師空海によって開かれた。



修善寺温泉の歴史は、この寺の歴史とともにあるが、現在は真言宗ではなく曹洞宗の寺院で禅寺だ、正式名称は「福地山修禅萬安禅寺」
御手洗(みたらし)の水が温泉で、飲めますと書いてある。
さすが湯の街だ。

修善寺温泉は漱石が転地療養した「菊屋旅館」など老舗旅館が多い。



木造3階建や、唐風の社寺建築の料理旅館。
1泊2食で御幾らか?縁のない世界だが、覗いてみたい気はした。

●空海(弘法大師)が大同2年(807年)に修善寺を訪れたとき、桂川で病んだ父親の体を洗う少年を見つけ、その孝行に感心した大師は、「川の水では冷たかろう」と、手に持った独鈷杵で川中の岩を打ち砕き、霊泉を噴出させた。
これよりこの地方に湯治療養が広まり、修善寺温泉が始まったとされる。

●独鈷(とっこ)
密教法具「とこ」「どくこ」とも読む。「独鈷杵」の略で、「一股杵」ともいう。
鈷は、「股」とも記す。



重文 金銅仏具金剛峯寺 平安時代
右端が「独鈷杵」

●夏目漱石の「修善寺の大患」、
明治43年(1910)8月24日、43歳の漱石は伊豆・修善寺の菊屋旅館にいた。持病の胃潰瘍による入院加療のあと、転地療養のためこの地に足を運んで、19日目を迎えていた。しかし、胃疾になり800gにも及ぶ大吐血を起こし、生死の間をさまよった。
この時の一時的な「死」の体験は、その後の作品に影響を与えることとなった。漱石自身も『思い出すことなど』で、この時のことに触れている。
晩年の漱石は「則天去私」を理想としたが、この時の心境を表したと言われる。
*吾々が8月22日に修善寺を訪れたのは何かの縁か。
漱石43歳、僕は馬齢を重ね76歳「則天去私」に至らず蠢いている。

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国指定史跡・韮山反射炉 @伊豆の国市

2017年08月29日 22時13分09秒 | 
国指定史跡・韮山反射炉 @伊豆の国市
♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿る 其の2






MOA美術館を後に「伊豆スカイライン」を経由して今晩のお宿・伊豆長岡温泉を目指す。
途中に「韮山の反射炉」の案内を見つけ。立ち寄ることに。

ひたちなか市の那珂湊にも水戸藩が建設した「反射炉」が残るが、恰好だけ再建したもので、稼働した反射炉が現存するのは韮山だけで、国指定の史跡となっている。



地元を愛する人達によって史跡が守られてきた。
ボランテアの方が説明してくれる。
それにしても観光客の多さに驚いた。次々と来館者がいる。



平成27年7月、韮山反射炉を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。
ことからなのか。
50年前頃に訪ねたが、現状のように整備はされてなかった。

幕末期に攘夷のため、大砲の鋳造が急務となり韮山代官江川英龍(坦庵)が手がけ、その子英敏が完成させた。
反射炉とは、金属を溶かす炉の形なのだが、説明を受けても今1つピント来なかった。この程度の設備で出来たの?



原料の石炭・鉄鉱石・コークスなどの投入口。



銑鉄を鋳型に流し込み加工するまで一貫した作業所だった。
加工の動力源は水力で、水を引き込んで水車の回転を利用した。
どちらにしても、チャチな製品しか出来ないだろう。
その様な大砲で、ことを構えようとした幕末の日本は世界を知らな過ぎた。

反射炉を見学し、「尊皇攘夷」とは何であったか?

反射炉の見学をすませ、宿泊地の温泉旅館に。

伊豆の国市と云う市名に若干驚く。
最近の市名は変った名前も多い。

伊藤園グループ・伊豆長岡金城館  
「伊藤園ホテルズ」気軽に・気楽に・身近に温泉。365日同一料金。飲み放題・食べ放題で御一人¥7800.がうたい文句。
パンフレットに拠れば、関東を中心に約50か所くらいあるようで、茨城の大子町にもあると書いてある。温泉旅館を買収し、再生する企業グループの経営だ。
安さ、手軽さが受けているのだろう。
熱海にも何か所か在るように記されているが、幾つかのグループが再生に関与し好業績で集客力も在るのだろう。
確かに熱海の駅前など、以前からは想像できない程に賑わっていた。
宴会場は全てセルフサービス。
仲間や家族が温泉に入り、夕方から宴会で懇親を深める、には絶好の場で、1泊して夕食・朝食が付いて7800円時代に合っている。

ソコソコに食べて飲んで温泉に入って床に就く。
いつもの調子で、熟睡できず数時間ごとに目が覚めた感じだが、2カ所ある温泉に入ったりして、朝を迎えた。
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MOA美術館@熱海市桃山町26-2

2017年08月29日 06時11分22秒 | 美術館
MOA美術館@熱海市桃山町26-2
♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿る 其の1




熱海駅前で待ち合わせ、駅前の高台に在る「MOA美術館」に。

世界救世教・教祖の岡田茂吉(1882年 - 1955年)のコレクションを基盤に生誕100周年にあたる1982年(昭和57年)に、現在のMOA美術館が開館した。
2017年2月5日に展示スペースなどを改修して、リニューアルオープンしたばかり。
国宝3件、重要文化財66件(2016年現在)、重要美術品46件を含む約3500件を所蔵している。



国宝「色絵藤花文茶壺」野々村仁清

●因みに茨城県内の国宝は
① 直刀 黒漆平文太刀拵(附刀唐櫃1合)鹿島神宮
② 短刀 銘 筑州住行弘 観応元年八月日 土浦市立博物館
の2件だけ、ということからもこの美術館の凄さが分かる。



エスカレーターを乗り継ぐ中間地点の踊り場の天井。
天井をスクリーンに見立て、万華鏡のように映像が変化していく。



山の斜面内部に掘られた、長いエスカレーターの回廊で昇り下り。
エスカレーターの維持費だけで毎日電気代が数十万円とか、巨額の維持費が必要で入場料ではとても賄えない。



「黄金の茶室」
豊臣秀吉が1586年に正親町天皇と宮中で茶会を開いた時に使われたという「黄金の茶室」を昔の資料から再現。



窓から見える相模湾の海景は、初島や伊豆大島、房総半島から三浦半島、伊豆半島まで180度の大パノラマを眺望できるのだが、この日は曇り。
遠望は利かなかったが絶景だ。

●リニューアルオープン以後、MOA美術館の所蔵品は全面的に写真撮影が解禁になったことは快挙だ。





特別公開「冨嶽三十六景」全46図を一挙に公開。
広重の東海道五十三次も合わせて展示。





「鶏頭図屏風」(桃山時代 六曲一双)鶏頭の群生が描かれている。
の前のFさん。

●尾形光琳の代表作として知られている国宝「紅白梅図屏風」も所蔵している。



重要文化財 阿弥陀如来及両脇侍坐像[平安時代(12世紀)木造漆箔 三躯 ]
平安時代後期の末法思想の流布と浄土信仰の隆盛によって制作された定朝様の来迎阿弥陀像。



重要文化財 観音菩薩立像 銅造鍍金 一口
総高35.8㎝ 像高17.4㎝
少し反り身にした体躯や左右相称の形に六朝仏の様式が残るが、穏やかで丸みを帯びた相好と自然に垂下した天衣の表現から見て、隋時代の典型的作例。



片桐門
豊臣家の重臣で、賤ヶ岳七本槍の一人として知られる片桐且元が薬師寺の普請奉行をつとめた際の宿舎の正門。
その後、奈良慈光院に移され、ついで昭和16年神奈川県大磯町の三井家別邸城山荘内に移築されていた、



光琳屋敷 (復元)
尾形光琳が自ら描いた図面と大工の仕様帖に基づき、復元した屋敷。
光琳は、正徳2年(1712)頃に京都の新町通り二条下ルの地に屋敷を建て、最晩年の5年間を過ごし、2階の絵所で光琳晩年の最高傑作、国宝「紅白梅図屏風」を描いたと考えられている。
この一角の「二條新町 そばの坊」で昼食。



庭から本館を望む。
ヘンリー・ムーア「王と王妃」

●高校時代の友人3人と昨年8月「湖北の観音様を訪ねる」として琵琶湖を1周した。
今年も同じメンバーで、♫天城超え♫ 「伊豆の踊子」を辿りながら伊豆半島を周遊することに。
コースと宿泊の手配並びに車と運転も全て横浜在住のFさんにお任せ。
大阪在住のTさんと僕は、参加するだけと云う気軽な道中が実現した。

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畑岡佑輔 立体展ー記憶の残影ー

2017年08月27日 15時28分03秒 | 美術展
畑岡佑輔 立体展ー記憶の残影ー
@ギャラリーしえる 8月22日~8月27日 






原寸サイズの鹿・犬・猫などが、コンパネで作られた箱状の台の上や中に。



ミニチュアサイズの犬・猫・鹿・猫などが台の上に。



作家の畑岡佑輔さん。



これら、展示されている全てが新聞紙とセロテープで出来ている。
と云うのだから驚きだ。

この手法で作品を作り始めたのは約1年前。
それまでは木や石など、彫刻の素材として一般的なものを使用してきた。

茨城大学教育学部の出身で、現在教師。

小学生への授業の「糸の引き抜き画」





出来た絵具のシミが模様のように、連想する形を線に起こすと動物などの形が現れて。

ぼんやりと見えてきたものを形に、更に立体にと云う発想は素晴らしい。
そこまでは辿るにしても、新聞紙とセロテープ(市販の25ミリ幅)で粘土を積み上げるように制作する。セロテープは耐久性があるわけでは無しから、数年で崩れ出すだろうから、作品の永遠性も考えない。
日々の出来事を形にタイトルの「記憶の残影」はそう云うことなのか。





この作品、立体だが素材が新聞紙で変形が自在で、簡単に変化できるらしい、
面白く楽しい展覧会だった、

●閑話「ー記憶の残影ー」と云うタイトルから「私の記憶の残影」
今日(8月27日)は茨城県知事選の投開票日。
終盤にかけてヒートアップした選挙戦の勝敗は如何に?友人には両陣営の応援者も多いから批判がましく聞こえたらゴメンナサイだが、見解を述べておきたい。
*「水も変えなければ腐る」首長は3選12年までと、法制化すべき。
*現職を担ぎ出した政党が、多選は良くないと、今度は足を引っ張る。
*現職が初当選の際は、対立候補をあらゆる手段を用いて逆転勝利。
*惜敗した候補者は今に語り継がれるビジョンを有しており、茨城も変わったであろう。健在なら中央政界でも活躍出来る逸材だった。
*病を得てではあったが憤死したとも言える。
*所詮同じ穴の・・・・。
競う2候補は年齢以外、政策について大きな差異は感じられない、
*茨城にとっても日本にとっても重要なのは地震・火山大国、都市が隣接する国で原発が安全と誰が保証できるのか。
核のゴミの捨て場が無い中、廃炉にすべきが当然だ。はっきり明言しているのは弟3の候補のみ。
*開票の予想だが投票総数の4・4・2.の割合で、5分の積み増しで当選が決まる。2割予想の候補者が3割を獲得すれば勝敗に関係はないが、市民及び県民の良識を計るバロメーターと思う。
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水戸惜しくも0-1@ニッパツ三ッ沢球技場

2017年08月26日 13時41分54秒 | 水戸ホーリーホック
水戸惜しくも0-1@ニッパツ三ッ沢球技場



Jリーグアウェイゲームは、相手チームの街を知る愉しさが有る。
8月20日 ニッパツ三ッ沢球技場18:00キックオフ、は11時にJR桜木町駅に到着。
歩いて野毛の散策に、





今年の2月に友人に案内されて食事に行った。
夜の街だが再訪のための下見を兼ねて





マーボー豆腐の昼食。
お値段はお手頃だが、味は確り本格。



ジャズ喫茶の名門「CHIGUSA」
2月には入ったが、今回はこれから横浜美術館に行くので、パス。

「ヨコハマトリエンナーレ2017」を観て横浜駅に戻ったのが17:30.。
「ニッパツ三ッ沢球技場」は横浜駅西口からバスで10分。
頻繁にバスが出る。羨ましい限りだ。
到着してアウェイのゲートまで可なり歩かされた。



辛うじてキックオフに間に合う。



水戸のサポが大勢で、頼もしい限り。

前半、終始ボールを保持するが、持たされているとも言える状況。
効果的な攻撃が生まれず、横浜FCの鋭いカウンターに冷やりとする場面も数度。 共にゴール無く、勝負は後半戦へ。

後半立ち上がりから横浜FCの攻撃に防戦一方となる。
後半8分、コーナーキックからの流れで失点。
さあこれから、同点・逆転を信じたが、ポストにけられたり、で得点できず。
残念ながら0-1で負けた

それにしても入場者数は3,483人 。
水戸からも数百人は行っていることを考えれば、サビシイね
そんな横浜FCに負けて10位に陥落。

明日8月27日(日)は福岡戦。
18:00キックオフもアウェイでの試合。
2位福岡に勝利して、再び上位戦線に!
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「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜市開港記念会館(地下)

2017年08月25日 17時47分01秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜市開港記念会館(地下)
2017年8月4日~11月5 日まで、




横浜市開港記念会館
横浜港開港50周年を記念し、1917年(大正6年)に創建。
現在、国の重要文化財に指定され、時計塔は「ジャックの搭」の愛称で親しまれている。



創建時の写真。



開港記念館前の神奈川県庁本庁舎は「キングの搭」



横浜税関本庁舎は「クイーンの搭」と呼ばれる。

この三つは「横浜三塔」として知られている。



会館地下、柳幸典の単独の展示スペース。
薄暗い部屋は手探りでの歩くのも難しい。
廃材・廃棄物を組み合わせた作品など、3作品を展示がされていた。



特に目についたのは、第9条の条文をバラバラにしてネオンサインにし、部屋いっぱいに並べてある作品。



ここ横浜は岡倉覚三(天心)の生誕地。
赤レンガ倉庫の小沢剛の岡倉覚三(天心)をテーマにしたインスタレーションは横浜生まれの岡倉を意識したことが、「帰って来た」シリーズに取り上げた理由の1つだろう。

●第6回を迎えた「ヨコハマトリエンナーレ2017」は世界の今と向き合うアーティスト38組と1プロジェクトが参加。
展覧会の3会場とあわせて横浜の施設や歴史的建造物を使用して様々なアートプログラムが組まれているので1日では足りない。
何度か足を運び、世界を考え未来の可能性を探る機会だ。
●このプロジェクトのディレクターの1人が逢坂 恵理子・横浜美術館館長。
逢坂さんは元水戸芸術館の主席学芸員で在任中は多くの水戸市民を巻き込んだ「カフェイン・水戸」を開催している。
今回の「ヨコハマトリエンナーレ2017」にその経験が大きく役立っているであろうことは水戸市民の大きな誇りだ
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「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜赤レンガ倉庫1号館

2017年08月24日 21時40分43秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の2@横浜赤レンガ倉庫1号館
2017年8月4日~11月5 日まで、




赤レンガ倉庫2号館会場。右側は1号館、左が2号館。
赤レンガ倉庫1号館は1913(大正2)年創建。レンガ建築技術の粋を集め建造され、世界の物流拠点として国内外の発展に寄与、1989年に役目を終え、2002年に展示スペース、ホールなどを備えた文化施設としてリニューアル。



後は横浜港大桟橋・国際旅客ターミナル。
大型のクルーズ船が停泊。









小沢剛
グローバルに活躍した歴史上の人物の海外での活動に焦点を当てた 「帰って来た」シリーズ。明治から大正にかけて活動した横浜生まれの美術史家・思想家岡倉覚三(号は天心)のインドコルカタでの足跡をたどり、現地の職人や音楽家に制作を依頼した看板絵と音楽で構成されたインスタレーション。









宇治野宗輝
美術作品の輸送に用いられる大型の木箱をビルに見立て《プライウッド新地》
家電製品や改造されたギター等が動きや音を発し、光と映像と共に演劇的な空間が現出。動きを小型カメラで撮影しノイズのような音とリンクする。
近代の文化を再定義するサウンド/スカルプチャー/パフォーマンスの複合プロジェクト。
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「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の1@横浜美術館

2017年08月24日 17時41分47秒 | 美術館
「ヨコハマトリエンナーレ2017」其の1@横浜美術館
2017年8月4日~11月5 日まで、




現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ 2017」が横浜美術館や横浜赤レンガ倉庫、横浜市開港記念会館地下などで開催 されている。

タイトルの「島と星座とガラパゴス」接続や孤立、想像力や創造力、独自性や多様性を表すキーワード。
「接続」と「孤立」相反する価値観が絡み合う世界の今を考える展覧会。





アイ・ウェイウェイ
横浜美術館の外壁と柱に、救命ボートと難民が実際に使用した救命胴衣を用いて、難民問題に関する大型インスタレーション。





ジョコ・アヴィアント
2000本のインドネシアの竹を持ち込み、独自の手法で編み上げたダイナミックな作品。
インドネシアでは、古くから家屋や日用品の素材として親しまれてきた。
「自国で失われつつある伝統文化、人間と自然の共生について考える」と云うことだが、そっくりそのまま日本にも当てはまる。
日本の竹の文化も伝統がある、より多くの使途が有る資源だ。



マップオフィス
島や領海、領域をテーマに島と云う存在の多義性を読みとる。



ミスター
アニメやゲームキャラクター風の少女像など。
日本独自の進化を遂げた「ガラパゴス」的なオタクカルチャー。



アン・サマット
スプーンやネジ、パソコン基板などが工業製品や日用品が編み込まれている。





畠山直哉
東日本大震災の被害を受けた故郷・陸前高田の連作。



全ての作品の写真撮影が出来ます。
最近、写真撮影が可能な美術館・博物館の展示が増えている。
幾つかの問題はあるにせよ、良い事だと思う。
多くの施設で撮影が出来ることは嬉しいことだ。



木下晋
10Hから10Bの鉛筆を駆使して描き出す人間の存在を浮かび上がらせる光と影。



マーク・スティファニー
薄い構造物なのに、錯覚によって無限のトンネルが出現。



オラファー・エリアソン

横浜美術館には28人の展示でこの3倍が展示されていた。
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オトナのラジオ体操@水戸千波公園

2017年08月24日 10時03分00秒 | 西の谷緑地公園
オトナのラジオ体操@水戸千波公園
2017年8月19日 6:30 - 7:00






昨年は「千波公園・西の谷」で開催されていた「オトナのラジオ体操」。
何故「オトナの…」と銘打っているのか分からないが、とにかく、老若男女が参加自由のラジオ体操。
早朝の公園での体操は気分が良い。
主催者の 森 智世子さん、ミナミ カナコさんが中心になって開催されるが、今年は毎日でなく、場所も不定。
FBで開催告知と云うことだ。





今回は、千波公園の「好文カフェ」前のペデストリアンデッキ。
開始時間の間際に知って、自転車をこぎまくって滑り込みでセーフ。

体操の後はヤクルトが配布された。
昨年までは「水戸ヤクルト販売」の協力で提供品だったようですが、今年は主催者お2人の自腹らしい。ご馳走様でした。

◆次回、ラジオ体操は、9月17日(日)泉町3丁目の「ザ★リノベマーケット」とコラボの可能性もあり、らしい。
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今日(8月20日)の横浜FC 戦に

2017年08月20日 04時31分40秒 | 水戸ホーリーホック
今日(8月20日)の横浜FC 戦に


水戸ホーリーホックはアウェイ戦。
ニッパツ三ツ沢球技場で18:00キックオフの横浜FC戦に臨む。


前節、アベックゴールを記録した前田大然と齋藤恵太の2トップに期待は大きい。
抜群のスピードを生かしたゲーム展開は魅力だ。

途中交代の監督采配もズバリ的中、も今シーズンの見所だ。
現在7位だが勝ち点を積み上げ、さらに上位を目指したい。

J2リーグにおける3位~6位のクラブは、J1昇格プレーオフに出場の出場資格があるが、J1ライセンスが付与されていなければならない。
水戸は球場の収容人員の件が達成されていないので、J1ライセンスを得ていないが6位内であることの存在感は大切だ。
水戸市が早期にスタジアムの改修に向けて動き出すことを願う。

Jリーグの魅力はホーム&アウェイ。
お互いのホームで戦うから、必ず相手チームの街を訪問する。
応援の名の下、見知らぬ街の名所を訪ね、街を散策し、地元の名物を食べる。
日帰りが不可能なら、宿泊して飲みに出る楽しみもある。
J2の年間42試合、半分は地元だから21試合は相手チームが訪れてくれる。
相手によるが、千人単位での来客もある。
それが毎年行われるのだから、街起しの効果もある。
自分が楽しみ、街も潤う。
市長はじめ市の関係者の早期の決断を願う。



今日の試合前は横浜美術館/横浜赤レンガ倉庫1号館/横浜市開港記念会館、 他を開場として開催されている【ヨコハマトリエンナーレ2017「島と星座とガラパゴス」】を見学する。
会場も分散しているので半日では観きれない。
2017年8月4日(金)~11月5 日(日)迄、88日間の長丁場だから、再訪の可能性はあるが、先ずは第一弾、とも言える。

これもサッカー観戦の副産物でもある。
文武両道、運動部・文化部の2本立てもサッカーの魅力だ。
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ALTO MADNESS Japan Tour 2017@森下文化センター

2017年08月19日 17時56分48秒 | シェ・ジャニー
ALTO MADNESS Japan Tour 2017@森下文化センター



タイトルの「ALTO MADNESS」はアルトサックス・バトルを強烈に表現。

ニューヨークで活躍しているアルトサックス奏者のVincent Herring & Erena Terakubo(寺久保エレナ)の日本公演 「ALTO MADNESS Japan Tour 2017」
が7/20(木)東京新宿 「Pit Inn」から始まり8/13(日)東京神田 「TOKYO TUC」
まで、国内で23公演が開催された。

この公演の1つが8月1日(火)森下文化センターで19:00に開催された。
シェ、ジャニーの春田さんはチャーリー・パーカーの大ファンで自らもアルトサックスを演奏する。
パーカーの系譜を感じさせるVincent Herring & Erena Terakuboの演奏に魅了されていたので今回の公演を聴くことに。

其の予定を7月に盛岡行った時に聞き、ジャズが好きではあるが詳しくない僕は春田さん夫妻と同じ場で演奏を聴ける、とあって急遽、チケットを予約。

と言う訳で、その日の状況は「シェ、ジャニー」のブログと写真を借用し、自分のコメントなどを追加して構成。



開場18:30の前に、一番乗りで待つ春田さんと一緒に。



開演前の春田さん夫妻。
会場の「森下文化センタ―・多目的ホール」は学校の講堂・体育館の様でジャズコンサートの雰囲気ではなかったが、天井の照明などは、凝っていた。



新作「Take The Yellow Train」発売記念ツアーでもあった。
この日はこのアルバムの中の楽曲を中心に演奏。

●『エレナちゃんは勿論、ピアノも素晴らしい。
リーダーのds小林さんも出しゃばらず控えめな素敵なタイコ。
音程のしっかりした若手のベース金森君もイイ。
でも圧倒的な存在感、物凄さはVincent
巨漢ではありますが、口笛を吹くがごとく、ただ息をしてるがごとく吹くアルトからは物凄いヴォリュームで艶やかな
今まで聴いたことが無いような美しい音色が
テクニックも素晴らしいし大感動。
でも、何より感動したのはこの劣悪ともいえる会場、客は私もお含め冴えないジジババ主体。
それなのにメンバー全員が全く手抜きなしの全力投球! 大熱演。
本当に全員JAZZが大好きで、お客さんに対するサービス精神とかではなく、自分の生き方としての全力投球だと思います。
今迄数々のJAZZコンサートを聴いて来ましたがこれ程素晴らしいコンサートは初めてです。
流石エレナの師匠ヴィンセント。
パーカー亡きあとは彼しかいないと思います。』



終了後のサイン会でヴィンセントと2ショットのジャニーさん。

●(パーソネル)
小林陽一(ds)、Vincent Herring (as)、 Erena Terakubo (as ), Anthony Wonsey (p)、金森もとい (b)
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さくら鍋「みの屋本店」@深川森下交差点際

2017年08月19日 06時02分54秒 | 食べ歩き
さくら鍋「みの屋本店」@深川森下交差点際



新大橋通りと清澄通りが交差点の傍に、明治30年(1897年)創業の馬肉料理「みの屋本店」は戦後の建物だが老舗の雰囲気。
最寄りの森下駅は都営新宿線と大江戸線が乗り入れている。



籐敷きの大広間は、連れ同士は向かい合い、隣には他のお客が座る横長の机の「入れ込み式」。これも老舗のスタイルで仲間同士なら良いですね。



お酉様の大きな熊手が飾られて。さすが深川。



老舗ならでは、履物を預けて「下足札」。
席で勘定をすませ下足番に渡す、昔ながらのやり方。



御品書き。



「馬刺し」を肴に一杯やって、が筋だが「板わさ」で。

「ドジョウ鍋」「トリ鍋」等と同じ、小さな鉄なべを使用の「小鍋仕立て」
鍋料理、一般的には冬の食べ物とも言えるが「暑気払い」として夏に汗を流しながらでも、が良いように思う。



〆はご飯の上に汁ごと、これが旨い。

浅草の吉原の大門前「桜なべ 中江」は何度か。
どちらが、はお好みによるだろう。



●池波正太郎作『鬼平犯科帳』で鬼平の行きつけの店・軍鶏鍋「五鉄」の想定地が清澄通りの本所二つ目橋の際、と云うことになっている。
“暑い季節に汗をぬぐいながら食べるが”本節のようだ。



●隣に煮込みが有名な居酒屋「山利㐂」が。ここも行きたい店だ。

●7月に盛岡のシェ、ジャニーを訪問した際、ジャニーこと春田光治さんご夫妻が森下文化センターで開催される「寺久保エレナ」のコンサートを聴きにくる話を聞いて、僕も参加することに。
「江戸東京博物館」を見て、清澄通り沿いを散策しながら会場に向かった。
近くに「みの屋本店」が在るのを知って、遅めの昼飯・早めの晩飯と云うことで夕方の開店と同時に入店した。
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