「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

カピアンコーヒー千波店-@水戸市千波町376

2017年02月28日 20時34分29秒 | カフェ・喫茶
カピアンコーヒー千波店-@水戸市千波町376






水戸市千波の御茶園の通りの「 サロン・ド・テなかやま」は「サロン」と銘うつように“寛ぎの空間”こだわった珈琲店として繁盛していたのに、閉店してしまって残念だった。
繁盛店なのになぜ撤退してしまったのが疑問だった。

偶々、御茶園の通りを通ったら、同じ場所に「カピアンコーヒー」の大きな看板があったので、入ってみました。




店員さんに訊くと「ひたちなか市に本店が在り、水戸の笠原、県庁の近くにも店舗が在る」とのこと。

外装・内装とも「 サロン・ド・テなかやま」の時とほぼ同じ。

メニューも食事・コーヒーもありで、これまたあまり変わらず、の感じ。



今回はコーヒーだけでしたが、次回は軽食・ケーキなども試してみようと思っています。





庭を見ながら「ゆとりある椅子でのんびり」はこれも同じ。

近くには「ルブラン」も在りますが、好みの問題と行く時の気分。

北側の根本町の「マイルストーン」がお好みだが、これで南側も揃った。
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美浦村文化財センター「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3

2017年02月28日 16時52分48秒 | 
美浦村文化財センター(別称 陸平研究所)
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3




美浦村への「旅ブラ」今回のメインは「陸平貝塚」だ。



Wikipediaには《「陸平貝塚」は1879年(明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎、飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。》とあるように。縄文文化に興味があれば一度は訪ねたい場所なのだ。

今回の旅ブラで、念願がかなったのは嬉しい。



「美浦村文化財センター」で集合写真。
元美浦村村長・市川紀行氏は「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。
今回の企画に大いなる協力を戴いた。(後列の左から2番目)

陸平貝塚などの遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ小屋に「陸平研究所」という看板が掲げられたのが「美浦村文化財センター」の前身で、現施設は2004(平成16)年にオープンした。

陸平貝塚は霞ヶ浦南岸の標高20~30mの独立した台地に、縄文時代早期から晩期までに形成された大規模な遺跡。



貝はハマグリを主体としてシオフキ、オキシジミなど、魚骨ではクロダイ、スズキ、獣骨ではイノシシ、シカなどが検出されている。
道具類としては、土器以外に石皿、石鏃(せきぞく)、磨製石斧、骨角器、石錘(せきすい)など多様な出土物があり、様々な海や山の幸を食料としていたことがわかる。










明治時代の発掘時の調査報告や出土した土器の模造品が展示されている。





双口土器は珍しい。











猿投窯の灰釉陶器(平安時代・9世紀)
信太入子台遺跡(シダイリコダイイセキ)、美浦トレーニングセンター乗馬苑建設時の発掘調査で出土。現在の愛知県北部で焼かれた蔵骨器だか端正な形で、かなり身分の高い人のためであろう。



木原城址より出土した「十一面観音像」鎌倉時代。
高さ5センチ足らずの小さな像で鍍金が良く残っている。
武士が身に着け、お守りとしたものであろうか。
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妙香寺の薬師如来@美浦村土浦

2017年02月27日 20時04分33秒 | 
妙香寺の薬師如来@美浦村土浦
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の2






トレセンから今回のメインと云える「陸平貝塚公園」に向かう。
公園入口の駐車場の脇に天台宗「妙香寺」が在る。





元は蔵後池の畔にあった旧薬師堂に安置されていた「薬師如来」が妙香寺に移され、近年新築された御堂に。




「丈六の薬師」と呼ばれる高さ4.8mにもおよぶ木造仏。
一木造で体躯は幾分雑に感じられるが、美しい顔立ちの仏様で、室町時代の作と思われる。



大きさが良く分かる。




同じ絵柄の「絵馬」が何枚も。
昔は薬師如来の眼の病が多かったのでしょうか。



本堂の本尊。


「Tabi-ぶら」の良さは何か所か集合地点があり、何処からでも参加や退出が出来ること。
この日の集合は午前9:30に美浦村中央公民館駐車場(美浦村役場わき)。
主宰の山本さんの運転で水戸を7:45に出発。
写真家の皆川三男さんとご一緒に。

集合場所の手前に霞ヶ浦航空隊の記念館が在ったので立ち寄る。





零銭の復元模型が展示されていた。



記念館本館には入る時間がなく後日に。

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水戸ホーリーホック開幕戦@ケーズデンキスタジアム水戸

2017年02月26日 20時55分45秒 | 水戸ホーリーホック
水戸ホーリーホック開幕戦@ケーズデンキスタジアム水戸
2月26日(日) キックオフ:14:00




昨日のJ1に引き続いて本日(2月19日)はJ2が開幕。
水戸ホーリーホックはケーズデンキスタジアム水戸に湘南ベルマーレを迎えての開幕戦だ。
「水戸の梅祭り」が始まって初めての日曜日、偕楽園周辺は交通渋滞とは予想し遠回りしてスタジアムに向かう。
車中で出陣テーマ曲、リーモーガンの「ザ・サイドワインダー」を繰り返し聞きながらテンションを上げる、この時が一番楽しいかもしれない。
勝負は時の運、素晴らしいゴールシーンを見られるに越したことはないが、「何だよ、何やってんの!」とボヤクことがない好ゲームなら満足。
毎試合1万とは言えないが、8000人以上の観客が入れば文句ない。

予定時間を過ぎて清掃工場脇の駐車場に。



“アウェイ自由席完売”とのことだから湘南のサポも沢山来ている。
2000~3000人は居そうだ。

水戸がアウェイで平塚の場合、これ程の人が行くだろうか?
観客動員と順位は比例する、と思っている。
今季は昨年以上の人数であれば順位も上昇する



再三危ういシーもあったが、後半21分、セットプレーで一瞬の隙を突かれ、先制点を許してしまった。
反撃はならず、ホームで迎えた開幕戦で白星を挙げることはできなかった。
昨季J1で戦った湘南を相手に0-1は好し、とすべきか。
 
観衆は8636人。


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美浦トレセンの「ターフセンター」@美浦村大字美駒

2017年02月26日 11時09分37秒 | 
美浦トレセンの「ターフセンター」@美浦村大字美駒
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の1




2月25日(土)今年初めての「Tabi-ぶら」に参加した。

今回は美浦村の「美浦トレセン」や「陸平遺跡」を巡る。
美浦村にお住まいの増尾 尚子さんの企画で、増尾さんは「陸平をヨイショする会」のメンバーで、「ヨイショする会」の皆様から心温まるもてなしを戴き、天候に恵まれた春の1日、数々の貴重な体験が出来た。




ターフプラザ(広報会館)。
日本中央競馬会「美浦トレーニング・センター」内のターフプラザ(広報会館)。







4階ないしは屋上から調教馬場や厩舎地区を眺める。
広すぎて全貌は望めないし、馬や調教を身近に見ることは出来ないが巨大な広さに驚くだけ。



筑波山も遠望できる。

【Tabi-ぶら】でもない限り、訪れることはなかったろう。


●日本中央競馬会の「美浦トレーニング・センター」は1978(昭和53)年4月に開設された。約224万m2(東京ドーム約48個分)の広大な敷地に南北2つのトラック型調教コース、1,200mの坂路調教馬場、競走馬スイミングプール、森林馬道といったさまざまな調教施設を有する。



上空からの写真が展示されている。

約2000頭の競走馬と騎手(約70名)・調教師(約100名)・調教助手(約730名)・厩務員(約480名)がいるという、競走馬の街だ。
「 獣医も20~30名はいますね。」(斉藤 健さん情報)




美浦トレセン所属馬のGI優勝パネルやレプリカゼッケン。
その他美浦トレセンに関する様々な展示物。



記念のメッキされた蹄鉄。



ゼッケンなどを利用したバッグが展示されていた。
水戸の福祉施設で作られているらしい。


●山本 哲士さんが主宰するこの旅の会は、現地の方やその「こと」や「モノ」に詳しい方の企画立案に拠る。
会員相互の企画運営や役割分担がなされる素晴らしい会、何時も参加するのみで、役割りを果たせなく申し訳なく思っている。

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インド料理カルマ@水戸市中央2-8-10

2017年02月24日 00時01分14秒 | 食事
インド料理カルマ@水戸市中央2-8-10



久し振りに元・市役所の近所の「マサラ」に。
市役所の再建工事が始まったが、軟弱な地盤に建てるとあって、工事の進捗率はどの位か、何時迄かかるのか?等、気がかりなことが沢山。

現場周辺の店はイマイチに思えるが、夕飯時の「マサラ」は相変わらず繁盛で、旨い店なら場所に関わらず繁盛することが証明される事例だ。





「ラム」と「豆」のカレー2種、チャパティとライスのセットを注文。
久し振りにラムの香りと味の豊かなラムカレーを味わった。

ご主人とお手伝いの女性の“美しい笑顔”も相変わらずなのは嬉しかった。





今では本格的なインド料理を食べさせる店は沢山あるが、以前は少なかった。
30年前頃、米沢町に「ベンガルベイ」と云う専門店が出来た。
名の通り南インドのカレーは本格的な味のように思えた。
その後、南町の新井ビル2階に移転しライブハウス兼インド料理屋の様な店となり、更に那珂市の「花木センター」に移転。同じ時期に水戸市天王町に「まつりや弁駈」なる居酒屋も開くなど、あちこち移転・開店を繰り返した末に筑波研究学園都市に移った。
経営者の「マヒ」なる人物はアイデア豊かなユニークな外国人だった。

同じ米沢町だが、大分離れた場所に「マサラ」と云うインド料理店が開業。
どちらが先だったかは覚えていないが、ココナツミルクが入った本格的なカレーやナンを提供し評判になった。当時の水戸では一番店だったろう。

裏南町の居酒屋「こもれび」の弥生ちゃんが、実家の眞壁に戻ることになって閉店した後に「カルマ」という女主人のカレー屋さんが開店した。
味が「マサラ」に似ていると思ったら、元・マサラのシェフだったとのこと。
家からも近いのでお好みの店となったが、2年位経ってから駅南の市役所の近くに移転した。
距離的なことや、基本的には3食全てが自宅と云う事もあって年に数度、今回は1年振り位か、変わらぬ味に満足した。



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西成田洋子展「記憶の領域2017」@ギャラリーしえる

2017年02月23日 12時06分01秒 | 美術展
西成田洋子展「記憶の領域2017」@ギャラリーしえる
2017年2月21日~3月5日







西成田洋子さんの「記憶の領域」シリーズが始まったのが1991年。
自分の身の回りに有る廃物、布きれ・ボタン・ビニールチューブ・テープ・針金、新聞紙などを縫い合わせ、針金などで繋ぎあわせて形を造り、着色しニスで仕上げる。
怪獣のようでもあり、おどろおどろした感じは不気味でもあったが、現在の社会に対する悲しい抵抗にも見え、愛すべき存在にも思えた。

パーツのそれぞれには何らかの「記憶」が宿されているので「記憶の領域」と云うタイトルとなり、新たな「モノ」との出会いは発掘作業にも似て、尽きることなくシリーズ化した。

2002年、文化庁派遣研修員としておのーヨークに滞在してから、大分変化したように思う。

当初のジャンクアート的なものから、発表ごとに洗練され造形作品として完成度を高めてきたように思える。



中央にドンと置かれたこの作品は、見る角度によっていかようにも変化する。



縫い合わせて作られたこの作品は、ふっわとした毛のマフラーが付いている。
今までにない作風で、何か心境の変化でも?
写真が良く撮れていませんが、かなり精緻で濃密な作品です。



最近は平面作品も制作されている。
作家は心のままに気軽に描いているように思えるが、立体の要素を平面に凝縮された感じがする。








奥の部屋には身近な材料を使用した愛らしい小品が数点ならんでいる。
大作は手元に置けないが、これらは身辺の愛玩品として最適。

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伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)

2017年02月22日 23時28分31秒 | 水戸芸術館
伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)
2月22日(水)13:30~15:00 水戸芸術館 リハーサルルームA








水戸商工会議所主催する「水戸まちなかゼミ」が2月から3月にかけて70講座が開講している。
市内在住の専門家が幅広い分野で講座を担当している。しかも、受講料が無料。
今日(2月22日(水)13:30~15:00は水戸芸術館 リハーサルルームAでACM専属俳優・塩谷 亮さんが講師をつとめる「伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)」が開催された。

“発声が悪く、声が通らない”のが悩みの僕にとって『伝わる声の作り方』は魅力だ。

講師:塩谷 亮さんの自己紹介。

1967年北海道に生まれる。
茨城キリスト教大学文学部在学中より演劇活動を行う。
卒業後、1992年より水戸芸術館の劇団ACMに舞台俳優として所属。
ACM劇場主催公演に出演。さらに、太宰治や宮沢賢治などの文学作品を構成・演出・朗読。また近隣図書館での朗読会や幼稚園への訪問公演、小学校への訪問公演なども行なっている。2015年より茨城キリスト教大学兼任講師。

●水戸芸術館の素晴らしさは音楽・演劇・美術の3部門が教育普及のプログラムを充実させていること。これにより多くの小・中学生が受講しその後、専門家となった人も多いが、本物に触れたことは生涯の宝物だ。








*伝わる声にするのには、「自分の身体を楽器のつもりで、全身で発声する」
そのために、先ずは柔軟体操、筋肉をほぐすと響きのよい声が出る。



発声練習、[響き」「い」「え」「あ」「お」「う」の発声の方向。
[滑舌]口の形と動きを意識する。

声の要素(ボリューム、滑舌、距離、方向)をコントロールする。
大きな声は包み込むように。
よく「聞く」。







一応の訓練が終わって紫式部の「源氏物語」(瀬戸内寂聴・訳)を朗読。

20人が2グループに分かれ朗読してみる。

●約1時間半の講座であったが、あっという間に過ぎた。
短時間でも発声の基礎を教えて頂いただけで、大分通るようなった。
意識するだけで、これ程まで異なるとは驚き。

講師の塩谷さん、芸術館・商工会議所のスタッフの皆様有り難う御座いました。

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偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」

2017年02月20日 17時11分35秒 | 庭園
偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」
ブラタモリ#61水戸編、其の四




2月17日からの3日間「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin水戸」と云う鳴り物入りの催事があった。
18日(土)から3月末まで「水戸の梅まつり」が開催される時期でもあり、週末の水戸市内は日頃より人通りも多かったようだ。

今回の企画は実行委員と講師に著名な経済人・文化人が並び、茨城県や水戸市も参加した官民一体の大プロジェクトだった。

運営には県や水戸市の職員が多く携わり、多数のボランテアも加わった。
知り合いには大忙しの方もおられ「御苦労さまでした」と申し上げたい。

著名人が講師として多数参加されたが、手弁当で地方文化振興のボランテア、とも思えず「地方巡業」の営業と推測した。
とは言え、内容は講師と受講者の熱意、発信者・受信者の響き合いに帰結する。

その様な状況を思うと、今回は気が乗らず他の予定もありプレ企画のシンポジュウムに出席したのみで、講座に出席する機会はなかった。

受講者で「感激した」と云う方も多いので、それなりの成功なのでは、と好意的に見てはいるが、成果は受講された皆様がこれからの暮らしに活かせるかどうかに掛かっている。

さて、「ブラタモリ」の場組拝見の感想文は最終回。



偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」弘道館での学びの緊張のあとの精神の安らぎをテーマとして作られている教育施設だった、と案内人。



●「偕楽園記」の碑に趣意が述べられていることに基づく。
第九代水戸藩主徳川斉昭公は、天保12年(1841)から13年にかけて偕楽園を造成したが、碑はそれに先立つ天保10年にに建てられ、園を造る趣旨を公示した。

本文は大きく前段と後段に分かれ、
前段は、天地自然の間に厳存する陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づく。人間もまた身体の保全をはかり、あわせて他の生物と異なる特性の修養につとめよと説いている。
後段は前段の屈伸緩急の理論を実行する場として、学び勤めかつ遊ぶという勉励と休養のバランスを常に心がける者こそわれと偕に楽しむ資格ありとして「偕楽園」と命名した真意を示している。

二代藩主・徳川光圀公は特に学問を大事にし、f歴史編纂の彰考館を作った。
九代・徳川斉昭公は藩校「弘道館」を創設し、学びの後の場として「偕楽園」を設けた。
弘道館と偕楽園は1双の施設だった。


表門~竹林~好文亭~梅林と廻ったが、大名庭園につきものの「池」がないのは、近くにもともとある「千波湖」を池と見立てたからだという。



●江戸小石川の「後楽園」は大名庭園だが「偕楽園」は大名庭園ではなく、弘道館の付属で、戦乱が予想される状況に対応の「西方の砦・物見、梅林による兵糧供給」と考えるべきと思っている。
1年足らずで作った「偕楽園は」高松の栗林公園・岡山の後楽園・金沢の兼六園のような大名庭園とは比較できない
しかし、作庭の心は中国の西湖や水戸藩駒込邸からの不忍の池を眺めた景観に倣っている。



「この借景も水戸藩のあるものを生かす精神」とコメントだが、借景によって成り立っている庭園は多い。



全ては水戸藩二代藩主光圀公「水戸黄門」から始まった。
「偉い人です」が締めの言葉、そのとおりです。

先達の「あるものを大切にする」精神が、大型プロジェクト目白押しの今日、特に必要とされている。

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EATABLE CITY 水戸@泉町会館

2017年02月19日 15時58分45秒 | イベント
EATABLE CITY 水戸@泉町会館






2月18日(土)11時半~14時迄泉町会館「月イチ310食堂」が開かれたが、
14時からは2階で、水戸芸術館が3月11日から開催する「藤森照信展―自然を生かした建築と路上観察」展に向けたワークショップが開催された。




食堂に集まった規格外の野菜たちを素材に、建築家の藤森照信先生と一緒に未来の都市プラン「EATABLECITY水戸」を自由に創り上げるワークショップ。



未来の都市プラン「EATABLECITY水戸」に至る説明。

1946年生まれの藤森先生は『当時の“未来都市”とは現代科学の粋を凝らした、超高層ビルが立ち並び高速道路・鉄道が走る夢の都市だった。建築を学び始めた頃、疑問を呈したのは1961年にイギリスで結成された前衛建築家グループ「アーキグラム」。実際の建築より、紙の上のドローイングのほうがよりアイデアを鮮明に表現できる。極端な例は「インスタント都市」想像力で一瞬の間に街を出現させることも出来る。
藤森先生は野菜は人間に一番近い植物と考えた。
何故なら選別を繰り返しながら『人間と自然の接点』となった。
水田・茶畑・果樹園など農産物を作る畑はどれも美しい。



そこで「タマネギ、」のような小学校、「バナナ」の様なホール等を考えた。

そんなアイデアに共感したのが近江八幡のお菓子商「たねや」。
依頼に応えて、野菜などが植えられた庭や植物が植えられた屋根。

自然と共生した庭や建物が出来た。







(写真は「たねや」グループのHPから)

●結果は「ラ ・コリーナ近江八幡」の屋根に植物を植えコメや野菜を作り、それらを素材にお菓子を作る「農は藝術「を実践した施設として話題を呼んだ。僕は昨年に近江八幡と彦根に2度旅したが売店(と言っても素晴らしい店だった)には行ったが「ラ ・コリーナ」には行けず。




藤森先生も参加者と一緒に制作。

僕は次の予定があったので、説明を聞いただけで退席したが、参加者の皆様は建造物の様なものを作られ、鑑賞した後に食べられたらしい。



●追記

最後まで出席された佐藤 誠二さんのFBの記事が素晴らしいので添付させて頂きます。
『水戸は文教の街と私は思っています。
金土日と市内では大きな文化的イベントがありました。
そんな中、私は仕事休みの18日は、それとは別に行われた「310食堂×藤森照信×水戸芸術館ワークショップEATABLE CITY 」
に参加しました。
会場の泉町会館には小学生から年配の方、20名弱が集まり
藤森先生のなぜ野菜を使った未来都市なのかのレクチャーを受け
野菜を使って未来の街を作り、その作品を写真におさめ、作品や
余った野菜、制作過程で出た皮や野菜くず全てを使って料理しそれをみんなで食べるというものでした。
【作品の写真は。3.11からの藤森照信展で展示されるようです。】
藤森先生のお話で、野菜は人間が作った植物、そして田や畑は造形としてもとても美しい。自然と人間社会を繋ぐものである。というのが印象に残りました。
そして、ワークショップ
藤森東京大学名誉教授の作品作りに隣の小学生がツッコミを入れる。それを先生が普通に返す。参加者みんながフラットな関係で作品作り。とても素敵な時間でした。』




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ブラタモリ#61水戸編、其の参

2017年02月17日 15時30分46秒 | 街創り
ブラタモリ#61水戸編、其の参



笠原水道に使用された石の産地を探してやってきたのは、備前町先の崖下。
線路沿いに多数の洞穴が在る。



常磐線の「スーパー・ひたち」が通過。


この洞穴こそが、岩樋の採石場。
通常は入れないが、特別の許可を得て内部に。


●この洞穴は古代人の住居跡・水戸城に通じる隠し通路とか言われるが、笠原水道の採石跡で、僕が子供の頃は自由に出入りできた。
太平洋戦争の後、乞食の住居として使用されたことが有り、入り口をコンクリートで塞いだ所もある。
*このどれかに「ヒカリモ」が生息している。
ヒカリモ(光藻)は、日本各地の水のきれいな洞窟や池に生息する藻類で、暗所で光を反射させることで黄金色に光って見える。



江戸時代に採掘したノミの跡が今も残っている。






石は「凝灰質泥岩=火山灰を含む海底の泥が固まったもの)」。
軽くて運びやすく湿地帯に沈下しない、とても都合が良い石だった。
「あるものを有効活用」が水戸藩の信条。



水戸の町を支える岩盤なので、崩れないよう間口は狭いが奥行きが30m位。



工事の再現アニメ。

●軽い石で剥がれやすく加工がしやすく。1人が持ち運びできる大きさで30キロ位に切り出す。置いても沈み込まず耐水性もある。採掘現場から工事現場まで目と鼻の先位の距離。近場でこの様な石を見つけられたのか?
山師(鉱山学に詳しい人物}が差配詩tのだろう。との見解を水戸マニアの会「笠原水道・龍の道ウォーキング」で西原昇治さんから聞いた。(西原さんはブラタモのアドバイザーとして番組に名前も載っている)
更に、工区も分けて同時進行したので1年と云う短期間で完成したのであろうとも話された。西原さんは「水と地質」の専門家で、理論でなく現場で得た観測データと作業に裏付けられた見方は的確だ。




第9代藩主徳川斉昭が天保12年(1841)創設した。
日本最大規模の藩校「弘道館」に。


『梅まつりの四日間しか表門は開くことはないが、今回は特別に開扉、』と説明されていたが。

●僕が水戸二中に通学していた頃は常時開かれていたし、弘道館の濡れ縁で昼寝も出来たのだ。







弘道館の展示室に「大日本史」を見る。
徳川光圀が編纂を始めた歴史書で、初代から100代までの天皇の治世を記した402巻。
編纂には250年の月日が掛かり明治まで続いた。




資料集めに藩士の彰考館職員が全国に出向いたのが、光圀の「黄門様の全国行脚」になったのであろう。

全国の藩校の教科書にも採用された。



弘道館正庁には徳川斉昭の「弘道館記」の拓本。
光圀の業績を讃へ、その結果として弘道館を設立した。との意。




徳川斉昭(烈公)が弘道館を設立と同時期の天保13(1842)年に開設した偕楽園の表門に。

●現在は東門から入る人たちが多いが、東門は1874年に園の一部に常磐神社が創建されてからの通用門。




門を入って竹林・杉林の「陰」の世界を抜けて好文亭に至り、南面する梅林の「陽」の世界を観るのが正しい方法。と云うように案内人は話された。

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「みと・まち・情報館」@水戸市南町

2017年02月16日 22時29分54秒 | 街創り
「みと・まち・情報館」@水戸市南町





レストラン「よこかわ」で毎月16日に仲間が集う昼食会がある。
今日は偶々早く家を出たので12時の定刻には30分位早めだ。



以前から気になっていた「みと・まち・情報館」に入ってみることに。


茨城新聞のほか、福島民報、福島民友、下野、上毛の4紙が置かれ自由に読むことが出来る。



セルフだがお茶も飲めるのだ。



情報掲示板もある。






「水戸ご当地アイドル(仮)」の写真展・振袖姿146点が開催されていた。




携帯による情報が溢れているが、新聞を読み、各種のイベントのチラシを見るのはより具体的。

街中に出て多くの人に接することは楽しくも有り有意義なこと。

対応してくれた方がとても感じの良い方だった。
これからも南町を通った時は必ず立ち寄ろうと決めた。
有り難う御座いました。
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ブラタモリ#61水戸編、其の弐

2017年02月16日 16時25分53秒 | 文化遺産
ブラタモリ#61水戸編、其の弐



水戸藩は江戸と国元の水戸の両方に本拠地を構えたので藩の財政は厳しく、「あるものを活用する」倹約の精神で城下の整備にあたった。

城下町なのに石垣も無ければ天守閣も無い珍しい城下町。
城下を拡張するのも自然の地形を利用した。



南町広場から案内人の小野寺淳さん(茨城大学教授・歴史地理学)が加わる。

小野寺さんは江戸時代の地図を研究している。

水戸城は、北に「那珂川」南に「千波湖」に挟まれた台地の上に形成された。



城下町を拡大するために新たな濠を作ることに。
この図の④と⑤



佐竹時代の西の端がこの辺りで、南北に貫く太田街道が境界。


紀州堀・今は「梅香トンネル」につながっている。(南町から千波湖方面)
この、向って左側が濠の跡、



南側から北側の濠の跡を眺めると、(2・16.高橋が撮影)
埋め立てられたが、今でも数メートルの高低差がある)

旧鉄砲町の通り、現在の「五軒市民センター」前の通りに作られた濠なのだが、(今では痕跡もない。)



その延長に気象台横の崖に連なる。
「あるものは利用する」の精神。

●⑤のルートについて、番組では触れていないが現在の「西の谷」。
金魚坂を経由し、栄町~八幡宮に至る経路。



城の東側の湿地帯を埋め立て拡大することに。



湿地は飲料水の確保が難しく、新たな水源を探すことに。



選ばれたのが「笠原の湧水」を使用した水道。(末尾に笠原水道の解説付けました)




案内人の 安藤寿男さん(茨城大学 地質学・古生物学教授)。



湧水は、透水層と不透水層地層の間から流れ出る。

●この地層の話と笠原水道に関しては水戸マニアの会が主催する「笠原水道・龍の道ウォーキング」が1月22日(日)に開催され、水の専門家の西原昇治さんと、茨大の天野先生の話を聞きながら実地踏破をしたので理解が深まっていたので納得。








湿地帯を崖線沿いに暗渠の岩樋を使用して通水したが、そこには逆転の発想が。
水を漏らさずではなく、隙間を利用して湧水を取り込みながら流量を増やし通水する、これまた今回のテーマに沿った考えの実践例。




●笠原水道

2代藩主徳川光圀は藩主就任直後の寛文2年(1663)町奉行望月恒隆に下市の水不足に対処するための水道設置を命じた。
調査に当たった平賀保秀は笠原を水源地に選び、工事は永田勘衛門が担当した。笠原から逆川に沿い藤柄町まで岩樋を用いた暗渠を作り、備前堀を銅樋で渡して市街に入り、細谷まで全長約10kmの水道が翌年完成する。

以後、街の人達の共同管理により運営され、昭和7年、那珂川を水源とする、水戸市近代水道の完成によって、笠原水道は幕を閉じた。

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ブラタモリ#61水戸編、其の壱

2017年02月15日 15時09分07秒 | 文化遺産
ブラタモリ#61水戸編、其の壱



昨年末、「タモリを南町で見かけた」「常磐線の線路脇の洞穴に居る」などの情報があり、現場に駆けつけたが一足遅く、ロケ終了で間に合わず。
何処をどの様に取材したのかの放送を楽しみにしていた。
ついに、水戸編が1月28日(土)午後7時30分~8時15分に放送された。




水戸駅前の黄門像の前に降り立ったタモリさん。
「水戸黄門は なぜ人気があるのか?」が今回のテーマ。

案内役は関口慶久さん(水戸市教育委員会歴史文化財課)


「実は生きている頃も大変人気だったんです」と関口さん。



亡くなった時に詠まれた狂歌『天か下 ふうたつの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門』を紹介。





徳川御三家の「水戸徳川家」はどんな藩だったのか?





良く分かる場所へご案内と水戸城跡にむかう。





堀には水郡線の線路が走る。




番組では紹介されなかったが、この土塁の延長右端に明治時代初期まで隅櫓が建っていた。



本丸跡は茨城県立水戸第一高等学校。



タモリさんの大学時代のバンド仲間が下館出身で水戸一高の卒業生だった。
●私の母校でもあるから嬉しい。



本城橋を渡って校内に、随分贅沢な場所だな~。
本丸跡の全てが敷地。




佐竹時代唯一の遺構「藥医門」が校庭に。
水戸は佐竹氏の支配だったが、関が原で態度を明確にしなかったので秋田に移封され水戸藩が誕生。
(この門は僕の在学時代は他所に在って、その後、現在地に再建された)


初代水戸藩主・徳川順房(1603-1661)時代から支出が収入の倍以上という赤字財政なのは何故?








水戸と江戸の両方の屋敷の運営費。



江戸の方が多いのは御三家の大名としての体裁を保つためでもあり、国元にかける経費までは回らなかったのが実情だろう。

●水戸家のみ参勤交代のない定府(常時・江戸詰め)制で参勤交代の費用が掛からないいと思っていたが、江戸と水戸に家臣を配置するのは、経費がかさむ仕組みだった。
大日本史作成の費用が膨大で苦しいと信じていたから、意外な事実に驚いた。



財政難の水戸藩は「あるものを最大限に活用する」ことで乗り切った。
質実剛健の気風と云えば聞こえがいいが、倹約第一の質素な暮らし。

●赤字財政もなんのその、大型プロジェクト目白押しの現在の市政運営、先人に大いに学ぶべきことだろう。

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「水戸桜川千本桜プロジェクト」第14回ミーティング

2017年02月14日 21時24分42秒 | 街創り
「水戸桜川千本桜プロジェクト」第14回ミーティング



水戸市内を流れる「桜川」は水戸藩2代藩主・徳川光圀公が1696(元禄9)年に、桜の名所・桜川から現在の見川町から河和田町の一帯を流れる「箕川」にヤマザクラ数百本を移植し、川の名前を「佐久良川」と改めたのが起源。

この光圀公ゆかりの地にヤマザクラを中心とした樹木を植樹し、歴史に基づいた景観を再現しようと「水戸桜川千本桜プロジェクト」が2012年10月に誕生した。
5年を経過するが、代表の稲葉寿郎さんを中心として50名位が苗の育成と植樹、県内外の見学ツアー、桜川のポタリング、など多彩な活動を広げている。

第14回目のミーティングが2月4日(土)14:00~16:30まで茨城県生涯学習センターで開催された。

稲葉代表より活動報告・活動予定・ツアーイベント計画などについて発表があった。
4月開催の「京都・吉野」は催行決定、既に定員に達して募集は締切。
同じく、4月開催の「県北一本桜周遊」「桜川高峯ツアー」の予定など。



水と地層の専門家:西原昇治氏の講演。
「桜川から水戸を辿る」~水戸の台地を流れる小川のふしぎ~
と題し自然観察の重要性・源流から海までの流れ・桜川の水の流れ、など人間にとって一番大事な「水」にまつわる話の数々。

『水に王道なし・答えは現場にある』

永い間の経験に裏付けられた「水と地層」の話は説得力があった。

露出した岩盤が川底となった「膳棚」
桜川で一番の景勝地かもしれないのに、現状はゴミの山。
ゴミを撤去しただけでも景観は変る。
早急な対策が必要。


千波湖浄化にも話は及んだが、簡単に進む方策があっても水利組合など、既得の権益により簡単には行かぬが現状。
「霞ヶ浦導水」事業は摂理逆らった計画のごり押し、の感が在るが、これまた、利権が絡んでいるのだろう。

先日の「マニアの会・笠原水道」でも講師をつとめられ、散策しながら説明を受けたので、理解は深まったが専門的な分野もあり、これからの課題。



講演終了後、稲葉代表から歴史小話「水戸藩の法華信仰と桜」について。
千波湖・緑岡・七面山(後の偕楽園敷地)などと日蓮宗。





ミーティングの終了後はNHK水戸放送局の隣の「夢屋」で懇親会。

あんこう鍋を始め、料理の数々。



料理の写真は木村 理恵さんのブログから『みんなで美味しいものを食べ、飲み、熱く熱く語る。』

桜の季節に向かって「水戸桜川千本桜プロジェクト」は準備完了。

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