「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

ラ チッタデッラ@川崎市川崎区

2017年01月30日 16時31分43秒 | 街創り
ラ チッタデッラ@川崎市川崎区






上京する高速バスで「ストレイシープ」(水戸市泉町)店主の世田さんに会った。
ストレイシープはヨーロッパの古着や雑貨などを年に数度、世田さんが買付けに行き、マニアックな商品が揃っているので人気がある。
仕入れから戻ると県内はもとより、かなり広範囲の地域から顧客が押し掛ける。
2009年10月の開店だが、それ以前から面識があったので、その後の着実な発展は嬉しいことだ。
車中で「今日は何しに」の話となった。

僕は「東博の春日大社展を観て、國學院大學博物館の縄文展に行き、5時に桜木町で友人と待ち合わせ。」と言う予定を話した。
世田さんは「川崎に出店しないかの話を戴いたので、打ち合わせに行くのです」とのこと。何処にとの問いに、川崎駅前の「ラ チッタデッラ」です、と言う。

川崎駅前の「ラゾーナ川崎」は1度訪ねたが「ラ チッタデッラ」のことは知らなかった。時間的に渋谷から川崎を経由、桜木町は治まりが良い。

國學院大學博物館の縄文展で新体験をし、渋谷からJRで川崎に。



川崎駅の東口から徒歩5分足らずで「シネチッタ」のゲート。
この辺りは以前の映画街で、業界の変遷に伴い1987年、川崎に日本初のシネマコンプレックスとなった。
2002年に商業施設の「ラ チッタデッラ」(小さな街)とライブホールの「クラブチッタ」を中心に、ショップ、レストラン、ウェディング施設などを加え、歓楽街だったエリアのイメージを刷新し、現代的な文化情報発信地となったらしい。(この経過については、水戸に戻って調べて分かった)




施設案内のパンフには、「この再開発地区の計画はイタリアのトスカーナ地方の丘陵の街をモチーフに、石畳の小道や噴水がイタリア古都の雰囲気を再現した」



とあるように、そのとおりで、らせん状のスロープを登りながら上の階に行く。
勿論、階段やエレベーターも設置されてはいるが。



エリア内を一回りしたが、確かに素晴らしい設計とつくりだ。
10年以上を経過しリニュアールの一環として「アンティークストリート」を作ることとなって世田さんにもお呼びがかかったらしい。
各地の「アンティークイベント」での実績が評価されたのだろう。



5~6軒が出店予定らしいが、ショッピングセンターを含め商業激戦区の川崎での「アンティークストリート」を成功させるのは難しそうに思えた。

これまでも独自の魅力で進化してきた世田さんのことだから、何か秘策を考えているだろうが成功することを願っている。

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「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館

2017年01月29日 17時10分09秒 | 博物館
「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館
平成28年12月10日~平成29年2月5日






縄文時代は約1万年前頃から稲作が始まる弥生時代に至る約3000年前まで続いた狩猟と採取による生活で土器や石器を使用していた。母系社会で争いの無かった時代と言われる。

煮炊きに使用された土器なのに非常に優れたデザインや技術が使用されているものが見られる。



機能性で言えば上部の装飾は必宝なく、逆に邪魔な訳だが、異様な文様ものも多々ある。今回の説明によれば縄文人の「世界観」と云う事らしい。



その代表的なものが火焔土器で縄文時代中期を代表する一種で、燃え上がる炎を象ったような形状で信濃川の流域で出土する。

美術家の岡本太郎(1911年- 1996年)は1951年に東京国立博物館で縄文火焔土器を見て衝撃を受け、翌年、美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表。この反響によって、日本美術史は縄文時代から語られるようになったといわれている。

今回の展覧会は発端となった火焔土器の特別展。
国際的な評価の高まりを受けての「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」のタイトルを付けたのであろう。

装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。
初めて発見された馬高遺跡を標式遺跡として馬高式とされるものの一部が該当する。


第1章 火焔型土器の誕生






第2章 火焔型土器と王冠型土器










国宝の新潟県笹山遺跡出土深鉢型土器(十日町市博物館蔵)

国指定重要文化財の新潟県馬高遺跡出土品(長岡市馬高縄文館蔵)や新潟県堂平遺跡出土深鉢型土器(津南町歴史民俗資料館蔵)なども展示されている。




第3章 火焔型土器のココロ



三角形土版。
始めて見たが、他にはあまり類例が無いように思える。




土偶も珍しい器形があった。


縄文土器のうち深鉢などには煮沸痕を有するものがあることから、食料を煮る(煮沸)ため、あるいは貯蔵するために用いられたと考えられる。
クマ・シカ・タヌキなどの動物、ドングリ・クリ・トチなどの木の実、シャケ・カイなどの川や海の生物など多岐にわたる。

●縄目文様は撚糸を土器表面に回転させてつけたもので、多様な模様が見られる。
しかし実際には縄文を使わない施文法や装飾技法も多く様々である。
縄目文様以外の施文法として、爪形文やササの茎・動物の管骨などを施文原体とする竹管文、貝殻を施文原体とする貝殻条痕文などがある。
*火炎土器は縄文は無く紐状の竹管文が施されている。

●縄文土器(縄文時代)の時期区分

草創期:約16,000年前~
早期:約11,000年前~
前期:約7,200年前~
中期:約5,500年前~
後期:約4,700年前~
晩期:約3,400年前~(晩期から弥生時代への移行は地域によって異なる)

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國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28

2017年01月28日 16時20分34秒 | 博物館
國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28



東博の「春日大社展」を観て「火焔型土器」の特別展が開催されている國學院大學博物館に向かった。國學院大學は遺跡の発掘や神主養成の課程がある。という程度の認識で、どんな大学で何処にあるのかを知らなかったので、事前に住所は確認した。

「渋谷駅」或いは「恵比寿駅」から徒歩で15分位。
どちらからでもさほどは変わらないらしいので恵比寿で下車し六本木方面に。途中に「山種美術館」が在る。



坂を登って左折すると「國學院大學・渋谷キャンパス」。
住宅地の一角にモダンで都会的なキャンパスが展開されている。
堅苦しく感じる校名とはかなり異なった感じだ。



平成25(2013)年に開館した國學院大學博物館の館内は、考古、神道、校史の3つの展示ゾーンと、さまざまなテーマによる研究成果を公開するための企画展示室で構成されている。
今回の「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」展は企画展示室に展示されている。
【入館料】無料 【開館時間】10時~18時(入館は17時30分まで)年末の閉館期間を除き。日・祭日も開館と言うのは嬉しい。

中学から高校時代はトロイアを発掘した『古代への情熱 シュリーマン自伝』に影響を受け、考古学に興味があったからこの手の展示には関心が尽きない。






火炎土器の特別展に関しては次回に述べるが、樋口清之教授が寄贈した資料を展示した「考古学陳列室」が博物館の前身になった歴史等の説明もある。





縄文土器



土偶。



弥生土器

●國學院大學博物館
昭和3(1928)年創立の考古学陳列室(後の考古学資料室・考古学資料館)と、昭和38(1963)年創立の神道学資料室(後の神道資料展示室・神道資料館)の、両組織を統合した施設として、平成25(2013)年に國學院大學博物館が発足した。

●國學院大學

1882年(明治15年)国学教育(日本の古典・礼式など)の普及として設けられた皇典講究所(国学研究機関)が1890年(明治23年)に国史、国文、国法を講究施設として開院した神職養成教学機関の國學院を起源とする。
1920年(大正9年)の大学令によって大学(旧制大学)に昇格し、戦後は、1948年(昭和23年)に現行学制によって新制大学となる。(Wikipediaより)
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春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 

2017年01月27日 18時52分50秒 | 博物館

春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 
 2017年1月17日 ~ 3月12日




世界遺産の一つである奈良・春日大社は、奈良時代の初めに鹿島から武甕槌命が白鹿に乗って御蓋山に降り立ったとされる。
鹿島を地元とする茨城の人間としては良く知っておく必要がある神社だ。
されど、殆どわからないので展覧会を拝観に。




御蓋山の中腹の本殿(上空から)

第1章 神鹿の杜



鹿島立神影図 南北朝~室町時代・14~15世紀春日大社蔵
武甕槌命が鹿に乗り、春日の地に降臨した様子。
春日大社の草創を物語る作例で、後小松天皇奉納と伝えられる。



本殿の第2殿を再現。
御殿の間の壁にある「御間塀」は、昨年の式年造替で撤下されたもの

第2章 平安の正倉院
神々の調度品として奉納された古神宝。
春日大社には平安時代に奉納された本宮御料(ほんぐうごりょう)と若宮御料(わかみやごりょう)が伝わり、「平安の正倉院」とも呼ばれる。



国宝 金地螺鈿毛抜形太刀 平安時代・12世紀 春日大社蔵
柄(つか)や鍔(つば)などの多くの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(さや)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現。まばゆく輝く黄金の太刀。

第3章 春日信仰をめぐる美的世界

草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げた。神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせた。



春日宮曼荼羅 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山、春日山、若草山を配している。
聖地・春日野を一望にする礼拝画の大作。


第4章 奉納された武具
春日大社には多くの武具が奉納されている。



国宝 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 鎌倉時代・13世紀春日大社蔵



春日大社の回廊沿いにずらりと並んでいる釣燈籠が23基。
古美術愛好家の憧れだ。

第5章 神々に捧げる芸能
祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品。



重要文化財 舞楽面 納曽利(ぶがくめん なそり) 平安時代・12世紀 
春日大社蔵

第6章 春日大社の式年造替
春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行なわれ、平成28年(2016年)の御造替は60回目。



獅子・狛犬(第一殿) 鎌倉時代・13世紀 春日大社蔵

●「千年の至宝」のサブタイトルにあるように、平安貴族の美意識を反映した神宝国宝・重文が100件以上展示されている。
この機会に細部まで拝見しておけば、次の機会には理解が深まるように思えた。とは言え度、次回の奈良訪問は何時のことやら。

●春日大社には次の四柱が祀られている。
武甕槌命 - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)、
経津主命 - 同上(下総国香取の神)、
天児屋根命 - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)、
比売神 - 天児屋根命の妻
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水戸ホーリーホック2017新体制発表

2017年01月27日 06時33分01秒 | 水戸ホーリーホック
水戸ホーリーホック2017新体制発表



2017年1月21日(土)15:00~「水戸ホーリーホック2017新体制発表記者会見」がケーズデンキスタジアム水戸で行われた。
(茨城新聞とホーリーホックのHPから)
新ユニフォームやトップチームのメンバー、新加入選手の発表など、今シーズンの水戸ホーリーホックの全容が発表された。



今年のチームスローガンは「 前進!」
前に進むこと。次の段階に進む、ステップアップの意。チーム一丸となって、着実に一歩、そしてまた一歩と力強く前へ進んでいくこと。

川又南岳先生によるスローガンの揮毫は恒例になった。




新加入選手10名の紹介。
背番号32 DF パウロン選手・背番号31 MF クォン ヨンジン選手・背番号38 FW 前田 大然選手など。



西ヶ谷隆之監督挨拶と一問一答
昨年順位の13位以上を目指す。
全員がキープレーヤー。



新ユニホームの紹介。

開幕戦は2月26日。湘南ベルマーレを迎え「Ksスタ」、

●水戸の年間入場者数は112,668名で、J2平均 は146,433。
順位は13位、成績と同じ。
入場者と成績は比例している。
今シーズン、10位以内を目指すには入場者が大きなカギ。
ホームの入場者が基準だが、アウェイでも多くの人数が欲しい。
ホームもアウェイもスタジアムを念頭に応援したい。



●水戸ホーリーホック vs. 鹿島アントラーズ
[いばらきサッカーフェスティバル 2017Jリーグプレシーズンマッチ]
2017年2月11日(土祝) キックオフ:14:00 (開門10:00 前座試合11:00)


J1優勝した鹿島に対し気魄ある試合を展開することを期待。
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笠原水道・龍の道ウォーキング@水戸マニアの会外伝

2017年01月23日 22時17分25秒 | イベント
笠原水道・龍の道ウォーキング@水戸マニアの会外伝



上水道としては日本国内で18番目に古いと言われる笠原水道。
明治時代までは使われていたらしい。

水源池には神社や碑もあり、何度か訪れてはいるが途中はどのような経路なのか、まるで分らなかった。
水戸マニアの会が主催する「笠原水道・龍の道ウォーキング」が1月22日(日)に開催されることを知り申し込んだところ定員30名、ギリギリで参加出来することが出来た。



午前9時半、笠原水源も守り神「水戸神社」の階段下から出発。
「龍頭栓」下市地区で使用されていたものを移築して設置。



中央は井戸と水のプロ西原さん。左は会長の 山口晃平さん。
NHKの取材が有りましたが、稀勢の里の優勝で、翌日の県域放送で紹介されました。



彰考館総裁を務めた藤田幽谷撰文の「浴徳泉記」の碑。
文政9年(1826)5月建立。

地質学のプロ西原さんと茨大の天野先生のすばらしい解説。



逆川沿い崖線に敷設された岩樋を辿りながら。



大正時代の地図。建設時と変わらない。



現在の地図。駅南開発などで崖を崩し湿地を埋め立てたのでかなり変わった。



出土した岩樋の前で西原昇治さんの説明。
岩樋は通水路と思っていたが、崖から湧き出た地下水を集めながら流す構造。
従って、完全にふさがれていない。
切り出した水成岩の大きさは約30キロ、人が運べる重さ。30㎝×60㎝位、厚さは10㎝位か。

切り出した穴が、常磐線の線路際に残されているが、そこから船で運び出したのであろう。
穴の深さは数十mに達するらしい。
今では、その穴に天然記念物の「光り藻」が繁殖している。

別な場所に設置された模造品は石質や形状がまるで異なるものとか。
早急に撤去して本物を展示すべきだろう。



笠原水道の素晴らしいところは僅かな高低差なのに、「水戸層」と呼ばれる地層に沿って地下水が流れ、湧き出す。其の湧水を集めて供給している点だ。





地層が顕われている場所で、茨大の天野先生と西原さんの説明。
水戸の台地は12万年前に出来た。2万年前頃に現在の地形に。
6千年前の縄文海進の際の水位は今より6m位高かった。
(この年代については記憶で、不確実ゆえに後日訂正します)

豊富な湧水を確認できる場所は何か所も在った。


ここは民家の裏、きれいな水を利用し山葵とクレソンを栽培。

藤柄町を通って今回の一応の終点・備前堀の「魂銷橋」に。
ここから下市地区5千人に水が供給された。

この後「武隈市民センター」に移動し水源の水を使用した「焼鳥バッパ」特製の豚汁を賞味。

天気にも恵まれ、素晴らしい講師の話を実証しながらの「龍の道ウォーキング」
素晴らしい一日に感謝です。

●笠原水道
2代藩主徳川光圀は藩主就任直後の寛文2年(1663)町奉行望月恒隆に下市の水不足に対処するための水道設置を命じた。
調査に当たった平賀保秀は笠原を水源地に選び、工事は永田勘衛門が担当した。笠原から逆川に沿い藤柄町まで岩樋を用いた暗渠を作り、備前堀を銅樋で渡して市街に入り、細谷まで全長約10kmの水道が翌年完成した。
*工期約1年は驚異的な速さらしい。工区を分割して一斉に進行したのであろうと云う西原さんの見解。
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稀勢の里が優勝、横綱昇進が確実に

2017年01月23日 18時23分08秒 | スポーツ
稀勢の里が優勝、横綱昇進が確実に





大関稀勢の里は22日の大相撲初場所千秋楽で横綱白鵬に勝って14勝1敗の好成績で優勝し、横綱昇進が確実になった。
横綱誕生となれば1998年の3代目若乃花以来で19年ぶりに日本出身の横綱ということになる。外国㔟が多い大相撲界の転期になるかもしれない。

中学校の卒業式を待たずに入門、17歳9カ月で新十両、18歳3カ月で新入幕と、貴乃花に次ぐスピード出世を果たし、将来を嘱望されながらあと一歩のところで足踏み状態が続き、30歳の節目の年にようやく大願成就となった。



国技館で観戦していたご両親の心はいかばかりか。

茨城県出身の横綱は江戸期の稲妻雷五郎(第7代横綱、現稲敷市出身)、明治・大正期の常陸山谷右衛門(第19代横綱、水戸市出身)、昭和期の男女ノ川登三(第34代横綱、現つくば市出身)の3人。
男女ノ川が横綱を務めたのは1936年から42年までで、以来、本県出身の横綱は出ていない。75年ぶりの快挙だ。

私の子供の頃は娯楽が無い時代で、大相撲中継のラジオ放送は楽しみだった。
表で遊んでいる時間帯なので、八百屋の店先から聞こえる中継を聞いた。
那珂湊出身の大関・大内山(1926-1985)が活躍していた時代、力士の紹介は尺貫法、何尺何寸、何貫目であったから、隔世の感がある。

その後、白黒テレビ・カラーテレビの時代となり、水戸泉・武双山・雅山など未来の大器と期待されながら、横綱に手が届かなかったから、今回は夢のようだ。

遅咲きの優勝と横綱昇進だが、真価が問われるのはこれからである。
白鵬の力に陰りが見え始め、存在感を持つ力士の登場が必要だが、稀勢の里がその任を担って名横綱と呼ばれるように大成することを願う。


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島剛彫刻展@ギャラリー桜林(常陸国出雲大社境内)

2017年01月21日 15時40分30秒 | 美術展
島剛彫刻展@ギャラリー桜林(常陸国出雲大社境内)
2016年12月17日~2017年3月5日







「島剛彫刻展 CORE SAMPLE WORK Inward⇆Outward 地中内視/向き合う視線」




会場は常陸国出雲大社境内の「ギャラリー桜林」は2016年2月に新設された「桜林館」に開設された現代美術のギャラリー。
宗教法人に附属した美術館・ギャラリーが多いのは、教祖や関係者に美術に対する感性・霊性が強い方などが多いのかもしれない。



案内ロボット、Pepper(ペッパー)がお出迎え。


画廊代表の石橋研二郎さんによると「高橋宮司はミヅマアートギャラリー代表三潴 末雄氏と学生からの長い付き合いで、海外旅行などを通して世界の芸術や文化宗教に触れ、“日本文化を世界に誇る文化として発信したい”お互い共感していたことにあると思います」との話、画廊専従者を配置していることで意気ごみの程が分かる。
何れは美術館の建設か。


島剛(しま つよし1963~)は木型の内部を炎で焼きコンクリートを流し込んで取り出した「Firework」シリーズ(1987年)に始まり、ブロンズ像によるモニュメント「木霊の壺」(1996年)、陶土に木肌を写し取る手法による大型陶彫「倒木更新」や「切株更新」シリーズ(1998年)などを制作し、2003年から1年間の屋久島研修後は、磁土を熔かしこむ無垢の塊作品「0 point」シリーズ(2012年)を発表するなど様々な素材と対峙し制作している

1996年茨城大学講師として着任以来2000年助教授、2014年から教授として現在に至る。





本展は、2014年から取り組む多色の廃棄ビンを熔解させた無垢のガラス作品の「元型の海」、「泥雲」などに続く「CORE SAMPLE WORK」シリーズ。




作家の住まいの近所、木内酒造の「ネストビール」の廃棄ビンを熔解させた。


原料にするガラス瓶の色・溶解温度や冷却時間などにより、多彩な作品が誕生する。

温度や時間の見極めが重要なポイントとなる。



1.、5トンの重量作品も。





素材が変っても地球や自然への畏怖、再生・更新を主題とする世界観と制作態度は変らない。

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常陸国出雲大社@笠間市福原

2017年01月20日 22時44分18秒 | 宗教
常陸国出雲大社@笠間市福原




彫刻家・島剛さんの個展が常陸国出雲大社の境内「ギャラリー桜林」で開催されていると聞いて、陶芸美術館から足を延ばした。

笠間市福原の国道51号線沿いの山を切り拓いて、出雲大社(島根県・大社町)より分霊を鎮座する社が出来たのは平成4(1992)年12月4日。

ご祭神は大国主大神。
大注連縄は長さ16m、重さ6tで日本最大級。





拝殿の天井に、美術家の奥田コウドウさんが「常陸の雲」を描かれたと聞いてお詣りしたのは開設時で、調べて25年前と分かったが、もっと以前と思い込んでいた。



拝殿奥に鎮座の本殿は入ることは出来ない。
柵の外から拝んだが、国宝出雲大社本殿(島根県大社町))・神魂神社(島根県松江市)本殿と同じ「大社造り」。



神魂神社本殿。(2007年11月の訪問時の撮影。)


常陸国出雲大社は平成26(2014)年9月から単立宗教法人となった。

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利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館

2017年01月20日 15時41分25秒 | 博物館
利休に見せたいッ!@茨城県陶芸美術館
現代の茶陶:1月2日(月)~3月12日(日)





きものを着「抹茶を一服」の暮らしを夢見ても、洋風化し畳の部屋が失われ、高齢化で椅子が多くなり、座敷を主とした文化が失われるのは残念だが、致し方ないのが現実だ。

その様な日常生活の中で「お茶」や「お花」掛け軸」はどうあるべきなのか、或いは将来はどうなのか、疑問と恐れへの答えは無い。



現代において「利休に見せたいッ!現代の茶陶」展

第1章古典陶磁の復興
石黒宗磨・荒川豊蔵・金重陶陽・藤原啓・山本陶秀などの人間国宝の作品は伝統作品としての完成度。

第2章戦後の茶陶と各地における展開
多くの作家の作品が展示されているが懐かしく印象に残った作家・作品は。

●骨董古美術に造詣の深かった辻清明の信楽の花入れや茶碗が4点。
●没後も絶大の人気の加守田章二の花入れが1点。
何故もう少し出品されなかったのか、茶陶のようなモノは制作しなかったのかもしれないが。
●テレビなどでの紹介される機会が多、い十五代楽吉左エ門の「焼貫黒茶碗」。



先日「日曜美術館」で製差烏工程や窯入などを見たばかり。




2015年9月に守山市の「佐川美術館」を訪ね、池の下の「樂吉左衞門館」は自ら構想し、5年の歳月をかけたと云うだの見事と空間と作品を思い出した。

●岡田裕の「灰被茶碗」は碗成りとした円やかさが良い。


第3章近年の多彩な表現



●水元かよこ「うさみみPOP」ウサギの耳まで着いた現代的な茶碗の存在感。象牙かと思えるような地肌にカラフルな彩色。

現代の「茶陶とは」、「お茶に」未来は、を考える展覧会だった。
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五味田充子 ニット展@ギャラリーしえる

2017年01月19日 20時30分41秒 | 美術展
五味田充子 ニット展@ギャラリーしえる
           - ルージュの伝言 ー
1月17日~22日まで











水戸市見川町の「ギャラリーしえる」は幅広いアート作品展が展示される。
女性が好む、織物やニットさらには染色などの展覧会もある。



糸作りから編み上げるまで一貫して手作りにこだわる五味田充子さんの「手紡ぎニットと小物展」は毎年1月に開催されるので、常連さんも多い。

今日(19日)に訪れたが、会期3日目にも拘らず大勢のお客で賑わっていた、

羊の原毛を解きほぐして糸に紡ぐ。
糸を好みの色に染め上げる。
編むのか織るのかテクニックは分からないが質感が立体的、
色が綺麗で配色が素晴らしい。

出来上がりはあらかた計算できるにしても確かでないから、自然に生まれてくる、と云う事らしい。



セーター、ベスト、カーデガン、帽子、マフラー、など約50点。
手間の掛かる手仕事のため作品展は年2回ほどしか開けないので、新作を楽しみにする愛好者が多い。





セーターなど着た際に目立つのは後姿。
特に、背中に留意して制作されているようだ。



ストライプの柄も好評。



ニット帽は価格もお手頃、大人気らしい。

手持ちの服との組み合わせを考えれば自由自在に楽しめる
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水戸徳川家の蘭 @水戸市植物公園

2017年01月18日 22時10分15秒 | 庭園
限りなく白い花を目指して
水戸徳川家の蘭 @水戸市植物公園    
1月7日(土)~22日(日)




句友のNさんは山登りが好きで野草山草の愛好家。
偕楽園や弘道館の歴史案内ボランテアもされている。

活動の一部を紹介するブログが「顎鬚仙人残日録」。
植物に関する気の利いた文章と自作の俳句が楽しい。

『蘭 パフィオペディルム (水戸徳川家の蘭)』
と言う記事で「白い蘭」の写真は気品があって奥深い。
早速、現物を拝見に水戸市植物園に。





水戸徳川家の14代、徳川圀斉氏(1912-1986)は蘭、とりわけパフィオペディルム(通称パフィオ)の白花の美しさに魅了され、新種を輸入し、交配を行い,歳月をかけて新しい品種を次々と作り出し,ラン栽培をライフワークとされた。

新たな品種には旧水戸藩に所縁の名前を付けた。



「スワンゴールド」
新種には英国王立園芸協会に新生登録するが、タッチの差で登録されず英語名もある。



「マユミ」
常陸太田市の真弓山で白い大理石が採れ、当時は藩の御用石。



「サクラガワ」
偕楽園下を流れる桜川は、光圀公が磯部(桜川市)の桜を移植して命名されたと言われる。現在、桜川沿いにヤマザクラ中心の当時の景観を復元する「水戸桜川千本桜プロジェクト」が始まった。



「ヤミゾ」・「カシマナダ」

「顎鬚仙人」さんの様な、魅力的な白い花の写真が撮れなかった。

植物公園の関係者にお願いしたいのは、



素晴らしい蘭の花なのに、新春の飾りの多くの花々など混ぜおきの展示。
展示会の様に一鉢ごとに無背景の中で展示すべきと思った。

更には、「水戸の梅祭り」が始まる。
既に開花している品種も有る。
梅は咲き初めを愛でるから、全てが咲かなくとも問題ない。

既に多くのお客様が水戸を訪れている。
素晴らしい「水戸市植物公園」知ってもらう絶好の機会。
おもてなしの心が感じられない運営は心残りだ。

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夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。

2017年01月17日 22時47分52秒 | 人と作品
夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。



水戸市泉町のアートセンター「タキタ」1階奥の「ギャラリー」を覗いたら夏目漱石が菊池謙二郎に宛てた手紙の額装が展示されていた。



大正4年9月30日
牛込区早稲田南町7番地より水戸市上梅香7番地、菊池謙二郎宛て。

拝復いつもご無沙汰をしてゐます近頃講演は殆んど遣らぬ事自然なつて仕舞ました是は小生の無精と時間がないのと夫を知つて頼む人が来なくなったからです先年も謝絶今度もお断りでは甚だ済みませんが右の譯で中々遠方へ出かける勇気も余裕も時間も根も有りませんからどうぞご勘弁をねがひます小生は旅行をするといつでも病気をします今春も京都に行って寝ましたまあ廃人の部に属すべき人間です不取敢御返事迄 匆々不一
九月盡
                  夏目金之助
  菊池謙二郎様
       座下

(勿論、手紙文は縦書きで、当時の習慣で句読点はない。漢字は旧字を使用しているがパソコンには無い文字もあるので、当用漢字を使用してある)

『漱石全集』には菊池謙二郎宛ての手紙は7通おさめられているが、この手紙は大正4年9月30日。1916年(大正5年)12月9日に夏目漱石は死去しているので約1年前、漱石最晩年のことだ。
当時、菊池謙二郎は水中(現・水戸一高)の校長であったから、学生に対する講演を漱石に依頼した。体調不良ゆえにことわっているが、旧友からの依頼ゆえ丁寧な断りをしたためた。

明治の文豪・夏目漱石を知らない人はいないだろうが、水戸出身で東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった菊池 謙二郎)については知らない方も多いように思うので、この書簡の紹介と菊池謙二郎について簡単に記す。

菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖・枳殻(きこく)庵。

東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった。
藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。

1895年(明治28年)28才という若さで、旧制津山中学校の校長に就任。
何校かの校長を経た後に1908年(明治41年)旧制水戸中学校の校長に就任し、13年間近く勤めた。
その間、校是「至誠一貫」「堅忍力行」や校歌などを制定し、現在の水戸一の礎を創った人物。
当時の校是や校歌が現在も使用されていることは驚異的だ。
《小生も卒業生の端くれだが、唱和し、斉唱した》
因みに校歌の1番は
旭輝く日の本の 光栄(はえ)ある今日のそのもと は義人烈士の功績(いさおし)ぞ 忠孝仁義の大道を 貫く至誠あるならば 天地も為に動きなん
*明治41年(校長:菊池謙二郎),10月に校歌の歌詞を生徒から募集したが,1.2等に該当するものがありませんでした。そこで改めて職員から作品を募集し,古賀快象作の今日の校歌が生まれ,11月11日に発表された。現在のものと,若干「行変え」や「仮名ふり」などが違うだけで,現在まで歌い継がれています。(※参考・水戸一高HP)

日を改めて正岡子規『水戸紀行』を基に正岡子規と菊池謙二郎。
漱石からの他の書簡などを調べて報告したい。
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NHK「スタジオパーク」に「清川あさみ」登場。

2017年01月17日 17時48分45秒 | 水戸芸術館
NHK「スタジオパーク」に「清川あさみ」登場。



「画狂老人、北斎の晩年」に続いてテレビからのネタになるが、NHK 「スタジオパークからこんにちは」を見ていたらゲストは「清川あさみ」さん。

連続テレビ小説「べっぴんさん」のタイトル映像を手がけてブレイクしたように感じられるだろが2011年11月3日~2012年1月22日迄、水戸藝術館・現代美術ギャラリーで「清川あさみ:美女採集」の大規模な個展が開催された。



旬の女優の写真に布・糸・ビーズ・スパンコールなどを用いた刺繡する手法は斬新で女性ならでの華やかな作品だった。
若い女性に絶大な人気を博していたが、大きな美術館での個展は初めて大いに注目を集めた。



オープニングのレセプションでお会いしたが、学生時代にモデルとして活躍したと云うだけあって、小柄ではあるが、ご自身も美女であった。

水戸の展覧会の後、衣装・空間・映像・イラストレーションなど多方面で活躍するテレビの特集番組が放送され、無限の可能性を秘めた方と感じた。



その後2013年3月、銀座のポーラミュージアムアネックスで「清川あさみ:こども部屋のアリス展」を見る機会があった。

「不思議の国のアリス」を題材に、25のシーンを清川あさみの作風で表現した夢と冒険の旅を描いた立体作品。
ミニチュアドールをのぞき込むような、或いは、立体紙芝居を見る感じで水戸での作品とはまるで異なった。

今日(1月17日)紹介された作品は再び「美女採集シリーズ」

美女を動物やモノに例えての作品。



夏木マリ×アンモナイト



檀密×」ナメクジ



谷村美月×コノハズク

など、意外な発想であったが、美しく楽しい作品だった。

水戸芸術館の現代美術ギャラリー、時には難解な作品が並ぶこともあるが、大方は愉しく、時代を幾らか先取りした展覧会が多いのは誇りにしてよい。


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~画狂老人、北斎の晩年~

2017年01月16日 14時31分36秒 | 人と作品
~画狂老人、北斎の晩年~




NHKのテレビ日曜美術館「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」
2017年1月15日(日) 20時00分~20時45分を見た。

昨年の暮れ「すみだ北斎美術館」を訪ねたのがきっかけで、正月2日は隅田川沿いの葛飾北斎(1760年~1849年)に所縁のある地を巡るなど北斎への関心が高くなった。「日曜美術館」は北斎の晩年を重点に紹介したので面白かった。

住居や号を頻繁に変えた北斎は75歳から“画狂老人卍”の号を使い始めた。
茶も飲まず酒もたしなまず、ひたすら絵を描くことに打ち込んでいたが、道楽の息子が博打で大金を借金し、その為、貧乏であったことや、乱雑な小部屋で、炬燵に入ったまま一日中絵を描いていた。などのエピソードも紹介された。

飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。



北斎72歳頃からの『富嶽三十六景』



天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。



『富嶽百景』を手がける。

信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。



天保13年(1842年) 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねた。この時、鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎を厚遇した。

天保15年(1844年)に小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。






信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)、『怒涛図』『龍図』『鳳凰図』などを描く。







『怒涛図』
ダイナミックで86歳とは思えない活力があふれている。





『鳳凰図』





『龍図』龍の表情が可愛らしい。



『富士越龍図』 肉筆画(絹本着色)。
嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、
落款は九十老人卍筆。死の3ヶ月ほど前、北斎最晩年の作。
幾何学的山容を見せる白い霊峰・富士の麓を巡り黒雲とともに昇天する龍に自らをなぞらえて、北斎は逝った。

嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。
墓所は台東区元浅草の誓教寺。

辞世の句は、
人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原
(その意、「人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」)。

炬燵背に画狂老人龍となる 阿然

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