「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

森永博志さん装幀の仕事@芝浦アトリエ

2017年10月28日 06時37分05秒 | 本・雑誌
森永博志さん装幀の仕事@芝浦アトリエ



森永博志さんは、文筆家・編集者、或いはプロデューサーとして幅広い活躍をされている。




初めて芝浦アトリエを訪問した際、著作ページのコラージュを布地で置き換えたような、Tシャツ・ジーンズなどを拝見し、芸術作品とも言えるのではないかと、感動した。

ステッチなども全てが手刺しで、手造り感が満載の一品ものだ。
色合いや、組み合わせの自由自在の感覚は稀有だ。

二度目にお目にかかった時は、パーティーの合間の時間。
森永さんの話を伺いながら、Tシャツと同じ手法で、文庫本の表紙を装丁した作品を見せて戴いた。






読書ノートを毎日書かれる愛書家。
日記として大判の大学ノートにペンで書き連ねる。
毎日の事だから、恐れ入った。




気に入った文庫本の表紙を剥がして、段ボールに置き換え、その上に布地などをコラージュすると、自分なりの1冊が出来上がる。



背中にタイトルの書き込みはないから、何の本かは自分しか判別できない。
正しく私家版の装丁だ。







合間の時間に森永さんの装丁の作業の一端を拝見した。
1針1針、無我無心の境地で刺してゆく。
見る見るうちに「森永ワールド」が出来上がる。

我が家に戻って、さっそく真似を始めた。
森永さんの様な才覚は無いが、何かを作るのは楽しい!
文庫本では小さいので、もう少し大判を選んだ。
まだ完成しないが、布地や糸を選びながらの手作業は楽しい。

厚手の雑誌には、薄手の段ボールでタトウの様に箱を着ければ表紙も傷まない。と思ったので試みることに。

捨ててしまう包装紙や枝折なども素材になりそう。
断捨離とばかり、捨て去ることばかり考えていたが、捨てないで再利用。
大切なことを、忘れてしまった。

●10月21日、南青山「レッドシューズ」の《森永博志presents 「第3土ヨー日」》に行こうと思い、森永さんの友人の夏目さんに連絡した。
その日は、6時半から森永さんのアトリエで「お台場海上芸術花火祭 2017」の「花火を見る会」が開かれ、花火終了後に森永さんは「レッドシューズ」に向かわれるとのことだ。






6時半からの「花火を見る会」のパーティーに参加し、積極的に生きようとしている若い人達の姿を見て、心強く思った。

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「緑内障」の対処法

2017年05月11日 05時06分07秒 | 本・雑誌
「緑内障」の対処法




10年以上、或いはもっと前に左目が見づらいので眼科に行った。
検査をした結果「緑内障」と診断された。
「緑内障」は目の視神経が障害を受けて死滅していく病気で、ひとたび障害を受けた神経は元に戻ることはない、とされる。

眼科では眼圧を下げて進行を遅らせる点眼薬を処方された。
現代の医学においては、その程度の対処法しかないらしい。

欠けた視野を回復する方法は、現代の医学で無くて”治す病気ではなく付き合う病気”と言われる。
新聞で数年のうちに「画期的な手術方」が出来る。と報じられたが、一般に実施されるには数年後のようで、直ぐには間に合わない。

医学の進歩が著しく、近いうちには完治する可能性もあるのだろうが、現在は点眼だけが対症療法なのは残念だ。

新聞で、失明しない!緑内障対策!
『夢21』2017年6月号・わかさ出版。の広告を見た。

近年、病に対するに民間療法を特集した本が多いが、そのひとつだろう。
効果の程に疑問はあるが790円+税、で購入した。





緑内障・視神経乳頭陥凹の拡大を克服!房水の排出を促す【血流アップ眉こすり】
●緑内障は原因不明の疾患で、そのため、予防が非常に難しい病気。
更には、老化現象であり、生活習慣病でもある。
僕は強度の近視なので、常に眼圧が高く、網膜剥離の危険もある。
以前に、剥離寸前に見つけてレーザーで焼き付けて事なきを得た。






■ 眉頭を軽くこするだけで水分代謝が促される!大学教授考案の血流アップ体操【眉こすり】
或いは眼の周辺をブラッシュでさすり、リンパの流れを良くする。




後頭部のマッサージ。

どんな病気でも同じ事でバランスのいい食事。
酢黒豆・キウイの皮の成分でダイエット。
肥満や糖尿病は万病の元。
正しい姿勢と歩き方による運動。
など、生活の意識改革が大切なことを改めて感じた。

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『暁斎鈍画』《1881(明治14)年発行》

2017年03月01日 08時51分58秒 | 本・雑誌
『暁斎鈍画』《1881(明治14)年発行》




河鍋 暁斎《かわなべ きょうさい、天保2年〈1831年〉―明治22年〈1889年〉》は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。

暁斎が先達の葛飾北斎(1760〜1849年)に私淑したであろうとはよく言われる。
『北斎漫画』に対して暁斎は『暁斎漫画』や『暁斎鈍画』を描いた。

葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集『北斎漫画』は、全十五編が発行され人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。

それに対し『暁斎鈍画』は筆さばきや描写などで劣るとは思えないが、描いた内容の幅の広さや量ではかなわないが、勝っている点も有る。



踊りなどの風俗を描いたものは順当だが。



特に、骸骨を描いたページは生き生きしている。

「骸骨は己の姿、よく観よ」は古今東西の主題だ。



踊り狂って、



三味線を弾き。



首と首にひもをかけての引き合い。



囲碁に興じ。



奥付に蝙蝠の絵柄の中に「酒仲画鬼」の朱印。



明治14年の出版。


●茨城県古河出身と云う事で、幕末の女流日本画家の奥原晴湖(1837- 1913年)と並び称されたが、今では河鍋 暁斎の評価が格段に高い。

お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが暁斎に入門し、イギリスの暁斎を意味する「暁英」の号を与えられるほど2人の交流が親しかったことも知られている。

●号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。
それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたもの。
明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。
狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。
その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。

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『直しや雑記帳』(よこの会・1987年7月・B6判 224頁)

2016年12月20日 21時54分50秒 | 本・雑誌
『直しや雑記帳』(よこの会・1987年7月・B6判 224頁) 
「サントピア水戸」の時代への挽歌 其の20




サントピアが1978(昭和53)年に開業した6年後に「服の直し屋」を5階に出店した。商人なら当たり前のことが、素人が始めたたので知らないことばかり、恥かしい話は五万とあるが、今回は割愛。

「ぼやいてばかり」でもしょうがないので、店で感じた「よしなしごと」を書きつけてみようと思いついた。サントピアの近所に日刊の地方紙「新いばらきタイムス社」があった。残念なことに廃刊となってしまったが、地方紙の存在は貴重だ。
藩士を持ち込んだら、幸運にも「家庭欄」に週1回で連載してもらえることに。
文章だけでは目立たないのでカットを1枚添えることにした。
絵も文も自信は無かったが、やるほかない。

悪戦苦闘しながら1984(昭和59)年10月~1987(昭和62)年3月までの約2年5か月間に100回に渡り掲載することが出来た。

連載が完結する頃、水戸青年会議所の卒業年度を同じくする友人で毎月16日に昼食会を開いている【よこの会】の仲間から「じゃ、出版したらいいじゃない」と勧められ、急遽、出版の話が具体化した。

これと言った計画が有ったわけではないのに、(無かったから出来たのかもしれないが)、出版したら記念の会を開こう、会費で何とかなるからと風呂敷が広がった。
仲間に「きど印刷」社長の城戸義明君がいたことが大きかったが、他のメンバーの協力もあり、1987年7月に『直しや雑記帳』(B6判 224頁)が誕生した。



若年の友人でデザイナーの加藤木洋一君が編集と装丁を担当してくれた。
段ボールを表紙にするというユニーク装丁。
定価を1600円としたのは昭和16年生まれの仲間のゴロ合わせ。
販売の予定はなく記念品として配布することに。
















100回の連載が纏まったものをみれば〈身の回りから暮らしを見直す〉〈過剰な装飾を排しシンプルに)(流行おくれなんて気にしない)(ものにとらわれずじゆうに)(サントピアと水戸の街)など。
もっともらしいことを記しているが、前に述べた水野正夫先生や浜野安弘氏などの考え方に大きな影響を受けている。

水戸市泉町の中央ビル8階の「ゴールデンホール」に300人が集まった盛大な出版記念会が開催されたのは身に余る光栄だ。



出版の集いを報じた「新いばらき」1987年7月22日号。



仲間の「三つ扇」滝田酒造の酒樽で「鏡割り」。
記念品には十河雅典さんデザインによる特性ラベル貼った「OSAKE」
中身は「三つ扇」の四合瓶

今にして思えば、短期間でいとも簡単にあんなことが出来たのか。
不思議だ、遅ればせながら仲間達と参加して戴いた多くの方々に心から感謝の言葉を申し上げます。
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『酒は人ありき』(2016年・磯蔵酒造刊)

2016年05月24日 20時10分00秒 | 本・雑誌
『酒は人ありき』(2016年・磯蔵酒造刊)




創業明治元年、茨城県笠間市稲田にある「磯蔵酒造」が「ちょっ蔵 新酒を祝う会・開催10周年記念」として出版された『酒は人ありき』はB4判128ページに及ぶ写真集。
大小取り混ぜて映されたカット数は数えきれない程。






撮影は森島興一・小泉慶嗣の両カメラマンだが、お二人以外の方々の写真も掲載されているとのこと。






今年で第十回となる「新酒を祝う会」は文字通り新酒を愛でる会ではあるが、11時から21時迄の10時間にわたって、バンド演奏・フラメンコダンス・落語・餅つき・和太鼓・稲荷ばやし・歌謡ショー等が次から次に催されるた。










酒のつまみの屋台も焼鳥・ピザ・和食など40店。



酒蔵と言ってもさほど広く無い空間に、延べ2500人以上が参加する一大イベント、日頃は乗降客の少ない水戸線稲田駅から蔵に至る道は人人人。







これだけの大イベントが出来るのは五代目の蔵主・磯貴太・光子夫妻を中心とした仲間たち。
東京始め地元の笠間や水戸からの大勢の支援者たちの協力の賜だ。

「地元の水、米」にこだわり「稲里 いなさと」を酒銘に、「米の味と香りのする日本酒」を醸造している、
近年は国外にも販路を広めているらしい。


地方の酒蔵が生き残る道は厳しいが、笠間の「磯蔵酒蔵」・水戸の「吉久保酒造」・常陸太田の「剛烈酒蔵」など僕の知り合いの蔵元が健闘しているのは嬉しいことだ。
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茨城文化考@『美術屋・百兵衛37号』(麗人社)

2016年05月01日 15時39分12秒 | 本・雑誌
茨城文化考@『美術屋・百兵衛37号』(麗人社)



美術屋・百兵衛(ひゃくべえ)は2007年に創刊された、季刊の美術雑誌。
全国47都道府県の美術を中心に現地を取材、各号ごとにひとつの都道府県を特集し、その地域の文化全般を紹介している。


第37号は茨城県の特集。

「五浦ゆかりの人物たち 横山大観」
茨城を代表する作家として、先ずは大観(1868-1958)。
没後60年になろうとするが、作品は売買件数・金額ともに上位といわれるから順当だろう。



岡倉天心と日本美術院。



茨城の美術と云えば横山大観と中村彝が思い浮かぶ。




板谷波山も日本を代表する陶芸家



水戸芸術館




陶芸の町・笠間
笠間日動美術館・茨城県陶芸美術館




注目の芸術家の作品や展覧会の話題を紹介。
「現美新幹線」

日本全国の美術ニュース、展覧会ガイドなども掲載されているからお出かけにも役に立つ。

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『御殿場線ものがたり』復刊ドットコム

2016年03月04日 22時07分06秒 | 本・雑誌
『御殿場線ものがたり』復刊ドットコム
著者: 宮脇俊三 文 / 黒岩保美 絵




「青春18切符2016年春季 」を購入したが、利用期間は3月1日から4月10日迄。この期間、年金生活の徘徊老人とっても何かと用事があって、予定表の合間をぬって何処に行こうかと迷う。

出先は何処であろうとも、乗車は先頭車両に陣取ることにしている。
運転席の脇の窓から、進行方向の景色がよく見えるからだ。
線路やホームの状況なども良く判る。

2015年冬季、高松からの帰途「御殿場線」に乗ってみた。
「現在は単線だが、複線時代のトンネルや橋脚などの痕跡を伺える場所があり
鉄道マニア、なら見所が沢山であろう。」との記事を書いたら『御殿場線ものがたり』と云う絵本が有りますよ、と見せて下さった友人がいた。



御殿場まわりの東海道線が開通して、急勾配の線路に特急や貨物列車をいかに走らせたかというノンフィクション絵本。
小学校中級向け、と云う事だが大人にも充分な内容。

原本は『月刊たくさんのふしぎ・御殿場線ものがたり』宮脇俊三著(福音館書店かがくのともシリーズ)1986年初版の復刻版。



運転手と機関士、どちらも技術が必要で、さらに煤煙に悩まされた。



線路・機関車・車両・ポイントなど多くの人達が働いた。



特急「つばめ」の登場(昭和8年)はそれまでの特急が東京~大阪を11時間半かかっていたが、8時間20分で走る様になった。
この所要時間は現在の「青春18切符」で普通電車を乗り継ぎした時間とさほど変わりはしないのだ。



沼津~国府津の高さと勾配と距離の比較。



補助機関車の連結や、食堂車の切り離し作業などが必要だった。



丹那トンネル(総延長7,804m、1934年・昭和9年)の開通によって、幹線から格下げになってしまう御殿場線。

「盛者必衰」「生者必滅」は世の習い。
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徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号

2015年03月09日 22時30分28秒 | 本・雑誌
徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号



茨城県立歴史館の特別展「徳川慶喜」(2月7日~3月22日)が開催されている。
水戸の梅祭りに合わせ、遠来のお客様に観て戴く企画であろうが、地元の我々も知っておかねばならない。水戸人でありながら、知らないのは恥ずかしい、とは思うが、よく分からない。

展覧会は観たが、もう少し資料はないかと探したのが「常陽藝文」1997年12月号の特集/徳川慶喜。
60頁に渡る大特集で、新書版1冊に相当する内容だ。
写真や図版も多用され、詳しい内容ながら比較的分かりやすく書かれている。

年代とタイトルを記しますが、詳しくは図書館・資料館などで読んで下さい。

1837年 慶喜誕生―徳川斉昭(烈公)の7男で七郎麿―
1838年 水戸に移住―9年余を水戸で過ごす―
1841年 弘道館で学ぶ―追鳥狩にも参加―
1847年 一ツ橋家当主に―水戸家世子の予備的立場から一転―
    八代将軍・吉宗の血を守る三卿。*一橋家継承の持つ意味
1855年 美賀と結婚。
1856年 将軍継嗣争い渦中の人となる。
1859年 安政の大獄により隠居謹慎に。
    
1862年 将軍後見職にー朝廷・外様雄藩の圧力により―
    *開国論を唱えるも実行せず *水戸藩士を伴い上洛。
    *参豫会議を解体―公武合体雄藩の支持を失う―
    *将軍継承抗争の内幕を探る。
1864年 朝廷の命により禁内守衛総督に。
    禁門の変(蛤御門の変)で実践指揮をとる。
1866年 征夷大将軍に叙任。
1867年 大政奉還 -王政復古のクーデターにより1転―
    *慶喜のブレーンは水戸藩士だった。
1868年 弘道館で謹慎―静岡と東京で暮らす― (32歳で隠居、大正時代まで生きる)
*明治維新につながる 慶喜の近代化政策。

西暦と年号、慶喜関連事項、水戸の出来事、国内の出来事を対照した項目。
詳細な徳川家系図。
瀬谷義彦・佐久間好雄・宮澤正純・小松徳年など歴史家の見解。など多様な内容が記されている。
将軍職に在ること1年余、政治の表舞台で約10年。
32歳で表舞台を去り、1913(大正年2)年に77歳で没した。
徳川幕府260余年の幕を引き、新時代の扉を開けたことは歴史的な事実。

「常陽藝文」は財団法人常陽芸文センターが毎月発行する文化情報誌で郷土の歴史、民俗、芸術、自然などのテーマを様々な角度から掘り下げて紹介している。月刊誌ゆえに、その月で読み去られてしまうことが宿命、と言えるが特集号などは単行本として刊行すべき内容だ。



1998年10月号は慶喜の弟「最後の水戸藩主・徳川昭武」を取り上げている。
最新の2015年3月号は「徳川御三家水戸藩とその御連枝高松藩(Ⅰ)」とし、香川県高松市ほかを取材した記事。水戸と高松の縁を詳しく紹介している。
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「月刊 みと」500号 おめでとう。

2015年03月03日 21時29分10秒 | 本・雑誌
「月刊 みと」500号 おめでとう。



1973年に不定期のタウン誌として「ミニマガジンみと」が創刊され、その後、毎月発行となり誌名は「月刊みと」に変更された。
創刊から2年目、「川田工房」から「ふじ工房」と経営及び社名が変更された。
水戸におけるミニコミのはしり、といえよう。


創刊以来、表紙は地元作家の作品で飾られていた。
1980年頃は、1人の作家が1年間担当し、画廊に於いて原画展も開催された程。



福地靖さんや片岡洋一さんが好評だった。





僕にとっても、「身辺古玩」と題し、俳句と古物を繋ぎあわせ文と写真を、見開き2頁で、1年間連載したのは1981年のことだった。
俳句や骨董に入門し、分け分からずに興味津々の時代で、にわか仕込の事柄を、かなり気どって書いている。
編集部に持ち込み、掲載してもらった。という、何とも厚かましい話で恥ずかしいが、その時の経験が役にたっているのは、有難い。
その当時は、以来原稿か持込み原稿か、かなり大勢の人達が書いているが、ミニコミ誌・タウン誌の良さだろう。

その後、沢山のタウン誌が創刊され廃刊された。
最近は、食やエステなど女性向けの無料のタウンガイド誌はポステングで配布するなど、発行部数を競っている。

「月刊みと」は加盟店・賛助店が有る程度の部数を買い取るシステムで、広告を専門にするタウン誌とは性格が異なり、書店でも有料で販売している。

内容的にも本・DVD・映画・音楽・イベント・グルメなど、総合誌なみに範囲が広い。
協賛の加盟店と云えど、小さな広告は載るが特別な扱いはない。
取材の態度は公平だから、記事に信頼感がある。
従って、水戸の街のためにも、大いに役立ってきた。

多くの雑誌が創刊から3号までで命運を決する状況が多く、40年以上に渡り、独自の編集方針と販売法を続けたことは尊敬に値する。

大震災以降、打ち上げ花火的な単発の催事が多く、それらに関連した記事が多い世の中と成ったが、惑わされる事無く、着実な発展をされる事を願っている。
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