北島まひと書画展
1981年(昭和56年)1月23~28日
会場:コロナ美術館
北島まひと氏は信州郷土料理の店「河和田山房」主人。
茅葺の古民家を何軒分も購入し、離れ屋を渡り廊下でつないだ隠れ家的な料理店を1960年頃に開業した。
水戸市内に喫茶店・バー・日本料理店などを経営し、何れも個性的な店だった。
それらを処分し、究極の店づくりに挑んだ。
古民具・古美術の収集品をインテリアとして大幅に取り入れ、あたかも旧家の離れに招かれた、かのような雰囲気を演出した。
知る人ぞ知る、という隠れ家のような店となった。
料理の腕前は当然だが、絵・書・作陶にも多芸な才能を発揮した。
天衣無縫な作風は「水戸の魯山人」と呼ばれることもある。
生涯を通じ、大小合わせると100回を超える個展を開催しただろう。
*「コロナ美術館」は現在の「茨城トヨペット・アートタワー水戸店」(水戸泉町2丁目)の所に在った。
名称は美術館だが、多目的な貸画廊で美術展以外にも貸し出された。
看板の書は、彫刻家の木内克であったと記憶する。
美術展や盆栽展など幅広い層に受け入れられた。
「新いばらき」1981年(昭和56年)1月24日
当時、茨城県内の地方紙は伝統ある「茨城新聞」と、戦後に創刊された「新いばらき」タイムスが競い合い、土浦には「常陽新聞」もあった。
「新いばらき」は町ネタが豊富で、このような個展も紙面の半分を費やして報じている。
投稿記事も大幅に掲載するなど、身近に感じる紙面だった・
北島正敏凸凹脱落書品展
1977年(昭和52年)10月14日~18日
会場:伊勢甚百貨店3階催場
篆刻・焼き物・書・画など、枠にはまらない作品が多数展示された。
*「伊勢甚百貨店」は現在の「水戸京成百貨店」の所に在った。
国道を挟んだ北側には「志満津百貨店」(後に「京成志満津」~「水戸京成」)
「伊勢甚」と「志満津」が向かい合ってしのぎを競った時代を懐かしく思い出す人も少なくなった。
*「伊勢甚」の催事場では個展やグループ展が開催されることが多かった。
伊勢甚の美術・宣伝部門を担っていた岩田正の功績は大きい。
第25回北島まひと展「草々頓首」
1986年(昭和61年)1月29日~2月8日
泉画廊@水戸市泉町1-3-22
協賛:布絵・今井美代、織・吾妻道子、織・櫻隆雄、茶・花 村山勉,大久保純子、
*「泉画廊」は水戸市泉町の小泉ビル(現・リリースクエアビル)の8階に在り、床面積も広く、個展・グループ店などにも使用されるなど、「相馬画廊」と共に、当時の水戸を代表する画廊の一つであった。
*会場でお花やお茶のパフォーマンスを行うなど、大勢の作家と協働の場とするなど、演出力にも才能を発揮した。
天衣無縫、権威をモノとしない野人、土臭い人間性。
骨董古美術の先達であった。
亡くなられて何年が過ぎてであろう。
新型コロナウイルス禍の影響で、外出を控え自宅で過ごすことが多くなった。
SNS上で過去の写真や読んだ本・レコードや映画などについて映像やコメントを記すことが流行ったが、チェーンメイルの要素が煩わしく、一段落した。
それに代わって、忘れていたものを見つけ出したが、処分する前に思い出の写真とコメントを付けるKさんの「実家の発掘シリーズ」。
「断捨離」の変形ともいえるが、こんな時代もあったと振り返る。
40年前の個展案内状や新聞の切り抜きの入った袋。
何の意味や価値があるの?と言ってしまえばそれまでだが。
過去は新鮮でもある。
1981年(昭和56年)1月23~28日
会場:コロナ美術館
北島まひと氏は信州郷土料理の店「河和田山房」主人。
茅葺の古民家を何軒分も購入し、離れ屋を渡り廊下でつないだ隠れ家的な料理店を1960年頃に開業した。
水戸市内に喫茶店・バー・日本料理店などを経営し、何れも個性的な店だった。
それらを処分し、究極の店づくりに挑んだ。
古民具・古美術の収集品をインテリアとして大幅に取り入れ、あたかも旧家の離れに招かれた、かのような雰囲気を演出した。
知る人ぞ知る、という隠れ家のような店となった。
料理の腕前は当然だが、絵・書・作陶にも多芸な才能を発揮した。
天衣無縫な作風は「水戸の魯山人」と呼ばれることもある。
生涯を通じ、大小合わせると100回を超える個展を開催しただろう。
*「コロナ美術館」は現在の「茨城トヨペット・アートタワー水戸店」(水戸泉町2丁目)の所に在った。
名称は美術館だが、多目的な貸画廊で美術展以外にも貸し出された。
看板の書は、彫刻家の木内克であったと記憶する。
美術展や盆栽展など幅広い層に受け入れられた。
「新いばらき」1981年(昭和56年)1月24日
当時、茨城県内の地方紙は伝統ある「茨城新聞」と、戦後に創刊された「新いばらき」タイムスが競い合い、土浦には「常陽新聞」もあった。
「新いばらき」は町ネタが豊富で、このような個展も紙面の半分を費やして報じている。
投稿記事も大幅に掲載するなど、身近に感じる紙面だった・
北島正敏凸凹脱落書品展
1977年(昭和52年)10月14日~18日
会場:伊勢甚百貨店3階催場
篆刻・焼き物・書・画など、枠にはまらない作品が多数展示された。
*「伊勢甚百貨店」は現在の「水戸京成百貨店」の所に在った。
国道を挟んだ北側には「志満津百貨店」(後に「京成志満津」~「水戸京成」)
「伊勢甚」と「志満津」が向かい合ってしのぎを競った時代を懐かしく思い出す人も少なくなった。
*「伊勢甚」の催事場では個展やグループ展が開催されることが多かった。
伊勢甚の美術・宣伝部門を担っていた岩田正の功績は大きい。
第25回北島まひと展「草々頓首」
1986年(昭和61年)1月29日~2月8日
泉画廊@水戸市泉町1-3-22
協賛:布絵・今井美代、織・吾妻道子、織・櫻隆雄、茶・花 村山勉,大久保純子、
*「泉画廊」は水戸市泉町の小泉ビル(現・リリースクエアビル)の8階に在り、床面積も広く、個展・グループ店などにも使用されるなど、「相馬画廊」と共に、当時の水戸を代表する画廊の一つであった。
*会場でお花やお茶のパフォーマンスを行うなど、大勢の作家と協働の場とするなど、演出力にも才能を発揮した。
天衣無縫、権威をモノとしない野人、土臭い人間性。
骨董古美術の先達であった。
亡くなられて何年が過ぎてであろう。
新型コロナウイルス禍の影響で、外出を控え自宅で過ごすことが多くなった。
SNS上で過去の写真や読んだ本・レコードや映画などについて映像やコメントを記すことが流行ったが、チェーンメイルの要素が煩わしく、一段落した。
それに代わって、忘れていたものを見つけ出したが、処分する前に思い出の写真とコメントを付けるKさんの「実家の発掘シリーズ」。
「断捨離」の変形ともいえるが、こんな時代もあったと振り返る。
40年前の個展案内状や新聞の切り抜きの入った袋。
何の意味や価値があるの?と言ってしまえばそれまでだが。
過去は新鮮でもある。