「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

玉ひで  @日本橋人形町

2010年03月31日 23時02分34秒 | 食べ歩き
玉ひで  @日本橋人形町


東京下町散歩のテレビ番組、必ず登場するのが日本橋人形町。
「浅草」「上野」「神田」「日本橋」にならぶ東京の観光名所だ。
安産・子授けの神様である「水天宮」の門前町として発展した。
現在は金融機関や会社の本・支店の並ぶ商業地区だが、脇の通りは「甘酒横丁」と呼ばれ、江戸時代から続く伝統工芸店や、老舗の料理店や菓子店などもが多く残っている。
浜町の明治座も近い。

久し振りに「水天宮」をお参りした。
都会の中の神社ゆえ、2階が神社の境内のような作りになっている。



周辺のビルと社殿のコントラストが面白い。

近所の「大観音寺」に鉄の鋳造の観音様があることを知った。
珍しいので是非拝見と思い探したが、見つからず。
その界隈をうろうろした。やっと発見したが、ここも2階に上がる階段を登ったところの小さなお寺であった。
観音像は何時でも拝観することが出来ない様だ。




残念と思いながら、路地を散歩すると「玉ひで」の看板が眼に入った。
宝暦時代に創業以来250年、親子丼の元祖の店として有名だ。
昼食限定の軍鶏を使用した「親子丼」が人気で、いつも行列が出来る。
どの様なものか、と思っていた店だ。

僕の東京散歩は、夕方になって昼飯を食べる。ということが多い。
この日も既に5時、夜の部の営業が始まっていた。

戦後の建築ではあろうが、風情が残る木造2階建。
土間ではないが、下足を預け、急な階段を登って2階の入れ込み式の部屋に案内される。
いかにも下町風なしつらえだ。

昼限定の「親子丼」はないが「極・親子丼」と言うメニューがあった。
夜は「軍鶏のすき焼き」など割烹料理の時間帯では、一番お手軽な品だ。




大きな椀に炙った軍鶏肉に軍鶏肉のすき焼きを載せた丼物。
農家で放し飼いされた軍鶏肉に比べれば、炙ってはあるが、さっぱりとした味。
玉子も、ふわーり・とろとろ、として上品な感じ。

昔、八郷の農家の庭先で、ひねったばかりの軍鶏をアルミの鍋で醤油で炒めただけの軍鶏肉を食した。
こんなに旨い鶏肉があったのか!と感激した印象が強すぎるかもしれない。

外食する機会は少ないが、池波正太郎が好みそうな店が好きだ。

鰻、どじょう、すき焼き(牛・桜肉・鳥)天丼など。
老舗の味は、昼の混雑時を避け、夕方も早めの時間帯が狙い目だ。


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西の谷への進入路

2010年03月30日 23時26分29秒 | 西の谷緑地公園
西の谷への進入路

昨年11月頃から工事が始まった、西の谷への進入路が完成した。
未だ供用はされていないから、一部は未完成なのかもしれない。
それにしても、たった50メートルばかりの進入路に5000万円以上の事業費を投じて、利便性が増すような利点が何処に在るのだろうか?
はなはだ、疑問の残る工事であった。
水戸市においても、公開された事業の仕分けが必要だと思う。





2枚の写真は、取り付け道路の入り口と、出口に向かって。

到るところに辛夷や木蓮の花が咲いている。
どちらも春を告げる季節の花。
辛夷の葉は、匂いもすごく良い。
僕の大好きな花々だ。



西の谷には、階段の脇に3本植えられているが、他の場所にも欲しい。
成長が早いから、若木を植えれば直ぐに大きく育つだろう。





木蓮は隣の神崎寺の境内の樹木だが、西の谷と神崎寺の境内は一体化している。
元々、西の谷の敷地は神崎寺の所有だったらしい。
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菜の花(なのはな)。

2010年03月30日 00時13分18秒 | Weblog
菜の花(なのはな)。



Uさんのお宅で沢山の菜の花を戴き、春を味わうことができた。
何かがあると、同様なことが続くのはよくあることで、次の日の朝に「菜の花が食べ頃ですよ、摘みに来たら如何ですか」とSさんから電話を戴いた。
Sさんの住まいは水戸市岩根で農業地帯。すぐ近くを那珂川が流れている。
那珂川の堤防と河川敷には3月から4月にかけて菜の花が自生する。
農家のアブラナの種が飛んで自生するようになったのか、或いは国交省が堤防の補強と修景を兼ねて蒔いたのか、は分からない。
大方の河川で、一面に広がる菜の花畑は壮観で、春の風物詩だ。

菜の花畑も綺麗だが、「花より団子」食べるのも大きな楽しみ。
未だ10センチ足らずの頃から、Sさんの近所の堤防に行き「菜の花摘み」をするのは20年来の恒例行事になった。畑で栽培されたもの、八百屋で売られているものに比べ苦味が強く、味わいが深い。
2月頃の北風が吹く中、堤防を上り下りしながら出始めを摘む作業は良い運動にもなる。
今年は、行く機会が無いままに過ぎた。

すでに花盛りとなったが北風の中で約2時間、買い物袋2つがいっぱいに成る程摘むことが出来た。
「菜の花」はアブラナまたはセイヨウアブラナのこと、本来は菜種油採取用として栽培されたのだろうが、今は菜種油採取の目的で栽培されることは少ない。

我が家は、軽く茹で、からし醤油で食するか味噌汁の具とする。
塩漬けにして、少し発酵してからご飯にのせて食べるのも旨い。
足が早いので、取り敢えず湯掻いて、冷凍保存して、適宜使用する。
ジャニーのブログの「ほうれん草の腐乳炒め」を見たのをヒントに「腐乳合え」にしてみたが、これもけっこうな味だ。いろいろと試してみるのも楽しい。
ジャニーのような専門家ではないので、手軽なことしか出来ないが、それはそれなりで。

収穫は毎年、何人かの知り合いに配るがTさんは「オリーブオイルで炒めて、塩・コショウの味付けが好み」と言う。
人それぞれの食べ方があるようだ。



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横浜中華街と氷川丸

2010年03月27日 00時12分11秒 | 
横浜中華街と氷川丸

横須賀美術館と称名寺・金沢文庫を巡っても時間に余裕が有った。



久し振りに、中華街に行くことにした。

中華料理は世界で一番の料理だと思う。
豪華料理を食した経験は少ないが、中国本土や香港や台湾を何度か旅した。
北京・広東・上海など、地方ごとの特色も有る。

僕はB級志向で、屋台料理が大好き。
横浜の中華街には屋台はないが、路地裏には食堂のような料理屋も在る。
その中の1軒の店頭で「モツ皿」の貼紙を見た。
どの様なモツ(内臓)料理なのか?



牛の胃袋(俗にハチノスと呼ばれている)のネギ炒め、だった。
あっさりとした塩味ではあったが、このような調理法も在るのだ、と納得。

次に、有名店の店頭で「肉まん」を買って立ち食い。



餡が肉イッパイの固まりで、1個でかなりのボリューム。
ついでに「あんまん」も食べる。
これはゴマ餡だから、こってりとした味だ。




料理屋の他に、中華料理の味噌・醤油・野菜など食材を商う店も点在している。
食材店を覗くと、ついつい買い込んでしまう癖が有る。
自分で調理する訳ではないから、カミさんに文句を言われるのが落ちなのに。
さらに、瓶詰め・缶詰などは目方が有るから、持ち歩くのも大変なのだが。
ピータン・ザーサイ・腐乳・肉糸豆鼓等を買う。

重いリュックを背負って、山下公園に足を伸ばす。

かなり前に、氷川丸が係留されてホテルになった。



ブリッジに「誕生80年」のような横断幕が掲げられていた。
高校時代、友人がアメリカ留学した時、中央埠頭から「氷川丸」で旅立った。
見送りに来たのは、50年前のことだった。
その友人も、今は亡き人となってしまった。

数年前に懐かしくなり、入場料を払って乗船し見学したことがあった。
「こんな小さな船で何日もかけ太平洋を横断し、シアトルまで行ったんだ」と思った。

かって、沢山のテープが連なり銅鑼の音と汽笛と共似に船出した中央埠頭に眼をやる。



そこには、大型の豪華客船が停泊しているのが見えた。


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称名寺と金沢文庫

2010年03月25日 23時29分49秒 | 文化遺産
称名寺と金沢文庫
「金沢文庫の絵画」2月18日~4月18日


称名寺や金沢文庫、名前は聞いたが、行ったことがない。
と言うのが、大方の人だろう。僕もその内の一人だ。
「横須賀美術館」を訪ねた帰り道「京急・金沢文庫駅」で下車した。
駅から徒歩15分、で称名寺の赤門に到達する。

「称名寺と金沢文庫」と題する地図付のパンフレットによる概略は、



称名寺ができたのは鎌倉時代で、北条実時(さねとき)の時代。
実時の持仏堂が称名寺になったのは1267年のこと。実時は学問を好み、本や書を集め金沢文庫が誕生した。
建物が建てられたのは1277年頃と言われ、多くの学僧が利用した。
「徒然草」で有名な兼好法師も利用したという。
1333年に北条氏が滅亡した後は、次第に建立当時の姿を失っていった。
金沢文庫もその時々の権力者が資料を持ち出し、特に徳川家康は江戸城の富士見文庫に多くの資料を移した。

時が過ぎ、1930年(昭和5年)神奈川県立金沢文庫として復興。
県立図書館として活動してきた。



1990年(平成2年)には新館が完成し、現在は、中世文化に関する博物館兼図書館の役割を果たしている。中世の金沢文庫の跡に建つ現在の文庫には、称名寺の文化財などを展示する展示室と図書閲覧室があり、所蔵の文化財は、本尊弥勒菩薩像など一部を除いて、金沢文庫に寄託されている。度々展示もされている。

境内は国の史跡に指定され、赤門、仁王門、金堂などがある。
金堂前の浄土式庭園は、1320年(元応2年)、金沢氏3代貞顕の代に整備されたもので、1987年(昭和62年)復元された。



浄土式庭園とは、浄土曼荼羅に基づいて配置された庭園のことで、平安時代末期に盛んにつくられた。
僕が訪ねた中では、宇治の「平等院」平泉の「毛越寺」やいわきの「白水阿弥陀堂」などが典型的な浄土式庭園だ。

金沢文庫では「金沢文庫の絵画展」2月18日~4月18日が開催されていた。
鎌倉時代の絵画は、殆どの作品が褪色してしまっている。
従って、ちょっと視ては良く分からない。
古画を理解するには、それなりの知識が必要だ。

仏像絵画について、何も知らないのが残念であった。


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ラッパ水仙  

2010年03月25日 20時56分16秒 | 山野草
ラッパ水仙  @Uさんのお宅の庭の

宅の庭今日(25日)は一日中雨だった。しかも、最高気温が7~8度で冬に逆戻り。
お彼岸の頃、横須賀・横浜を訪ねた時は20度近く、汗をかくほどだった。

久し振りに、Uさんのお宅を訪問した。
Uさんご夫妻はクラッシク音楽が大好き。
広い庭の一部は菜園だ。
雑草の間に野菜が育つ、自然農法。
パソコンやオーデオにもつよい。
持参のチップをテレビに映し楽しんだ。
京都や横須賀等の旅の記録だ。

Uさんのデジカメは新機種で、上下・左右に移動しながら映し出す。
BGMも付いていて、動画を見るように楽しめた。
技術進歩は目覚ましい、正に日進月歩だ。

抹茶やハーブテイーをご馳走になりながら話をした。
Uさんのお宅で過ごす一刻は僕にとってのオアシス。

ご夫妻は4月に「吉野の桜を」愛でに出かけるらしい。
僕は「吉野の桜」は未体験、実現したいと願っている。

帰りしなに、雨が降っているにもかかわらず、奥様が菜の花を摘んでくださった。
何時もこの時期に、僕は那珂川の河川敷に「菜の花摘み」に出かける。
今年は未だだった、ありがたく頂だいする。

庭には沢山の水仙が咲き乱れていた。
一枝を摘んで、菜の花に添えてくださった。




家に戻って、中国の戦国時代の銅器に挿してみた。
春先は黄色の花をつける植物が多い。
何故なのか?何時も疑問に思う。

水仙の種類は多いが、は大きく分けて和スイセンとラッパスイセンの2種。
原産は地中海沿岸が原産らしいが、いかにも日本的な花だと思う。

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横須賀美術館  @神奈川県横須賀市観音崎公園内

2010年03月25日 10時32分39秒 | 美術展
横須賀美術館  @神奈川県横須賀市観音崎公園内

三浦半島の観音崎周辺は「観音崎公園」として整備され、美術館、ホテル、森のロッジ、自然博物館、ビジターセンターなどが設置されている。


その一角に、横須賀市の市制100周年を記念して2007年4月開館したのが「横須賀美術館」。
別館として谷内六郎館が併設されている。
横須賀線や京急本線の駅から離れた場所、交通の便は良くない。
滞在型の観光施設を目指しているようだ。


「横須賀美術館」





京急本線、馬堀海岸駅より京急バス「観音崎」行きで約10分、終点で下車する。
せっかくの機会、バスターミナルから灯台を目指す。




この辺一帯は幕末に黒船が押し寄せ、防御の砲台なども作られ歴史的な遺産が多い場所。





一方、名も知れず死んでいった人たちも多いのか、浜辺には無縁さんの墓地も在った。



灯台と東京湾海上交通センターの大きな電波塔への登り口には、西脇順三郎の「詩碑」が立っていた。




程なく灯台に到着する。
沖を航行する大型船舶、上空は横須賀のアメリカ軍のヘリコプターの訓練か?爆音を轟かせて飛び回っている。
30キロくらい離れている、横浜のランドマークタワーも遠望できる。


浜辺の水は透明に澄んでおり、あまりの素晴しさに驚く。
ワカメを採取する人(漁師らしいが)もいる。

帰り道は駅まで海岸沿いに約1時間歩いたが、昔ながらの漁村(走水港)を見ることが出来た。

大洗から北茨城にかけての漁村は今や壊滅状態の感じがするが、この近辺は沿海漁業が生き残っている感じがした。
外洋と違って内海は魚の成育に適当な環境なのだろうか。



「横須賀美術館」は芝生のスロープの上に全面ガラスに覆われた建物。




塩害を防ぐため、特徴的な構造となったと言うが、吹き抜けの展示ギャラリーは自然光を取り込むために天井に穴が開けられていたる。
屋上は芝が植えられ、流行の環境に配慮したユニークな設計だ。

展示室の主な部分は地下になっている。
企画展「ワンダーシニア30」展(2月13日~4月11日)が開催されていた。
60歳から70歳にかけてのベテラン洋画家32人の仕事を紹介しているが、昭和時代の作品1点と近作1点を対比させて、その作家の歩んだ道程を浮かび上がらせる。
横尾忠則、絹谷幸二、島田章三が眼を引いた。

この美術館は島田章三が館長を務めている。



別棟は「谷内六郎館」が併設され、「週刊新潮」の表紙を飾った原画1300点の内から50~60点が展示されている。

谷内六郎と言えば「週刊新潮」。


創刊当時の谷内六郎の表紙絵は人気を呼んだ。
誰にも共通する、古き良き日本と、幼い頃の郷愁を感じさせてくれる。
さらに、想像力の豊かさは、夢や物語が連想させられる。

使用した画材も展示されているが、誠に粗末なチューブ入りの水彩用具やチビタ筆。
直ぐに道具立てから入る人が多いが、(僕もそう)
描く気持ちと、想像力があれば、それでいいのだ。
しかし、天性の感覚を持っていた方なのだろう。

其の後も、似たような絵を書く人達が次々と現われるが、彼を越える人はいない。

谷内館を観たこと。
それだけで心が洗われ、充分に満足できた。

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無鄰菴(むりんあん)@京都市左京区南禅寺草川町

2010年03月18日 10時53分08秒 | 庭園
無鄰菴(むりんあん)@京都市左京区南禅寺草川町


瓢亭の隣りは明治の元老・山縣有朋の造営した別荘「無鄰菴」。
東山山麓、南禅寺の近くは高級住宅地の一つ。
野村別邸など、お金持ちの別荘も多い。
その先駆けが「無鄰菴」で山縣有朋が自ら設計・監督した。





庭園は七代目小川治兵衛による。
東山を借景とし、明るい芝生に琵琶湖疏水を引き込み浅い流れを配した池泉廻遊式庭園だ。
近代的日本庭園の嚆矢とも言えるものであった。
その広さは約3,135平方メートル。1941年に寄贈されて京都市が管理している。




数寄屋造りの母屋、藪内流燕庵写しの茶室、煉瓦造り二階建て洋館が建っているが、庭園が殆どを占める。
母屋の廊下に腰をかけて流れに遊ぶ鴨や小鳥の姿。
東山を望む絶好の場所。
食後のひと時、ノンビリと過ごした。




京都には訪ねきれないほどの、名園が沢山在る。
何れも、長い時間と手間がかけられている。



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瓢亭の「鶉がゆ」

2010年03月18日 00時59分18秒 | Weblog
瓢亭の「鶉がゆ」

40年前頃、骨董・古美術の世界に入門した。
以来、日本文化の源流は奈良と京都にあり、と通った10年間。
年毎に、古きよき日本が失われてしまう。
今のうちに見ておきたい。願いは切であった。

未だ、市電も走り京の町屋の家並も残っていた。
土曜の午後11時発の「ドリーム号」で翌朝朝7時着。
寺社を巡り、又夜行バスで東京に戻る、宿代を浮かすための苦肉の策も編みだした。
貧乏旅行で、殆どが交通費だった。
京都に泊まったら、南禅寺脇の瓢亭の「朝がゆ」を食べてみたい、と思ったこともある。

瓢亭は、今から三百年ほど前(元禄中期)南禅寺へお詣りする人びとの休息所として庵を結んだ、のが始まりという。
当時の東海道の裏街道すじ、京へ上る旅人は、ここで旅衣を更え草鞋を新たにして三条大橋へ向かった。

念願がかなって「鶉がゆ」を味わうことができた。





観光案内の写真のように、玄関にある床几・茶つぼ・草鞋などが、往時の名残りを演出している。





案内を請うと、茶室に向うような路地を進み、部屋に案内れた。
全部で行く部屋在るかは訊かなかったが5~6部屋くらいだろう。






すべての部屋は茶室と同様の造り。」











「鶉がゆ」が主題だが、名物の「瓢亭玉子」を始め、季節の味や香りが加わった会席料理。






和敬静寂を心としている瓢亭の滋味豊かなもてなしを受けた。
老舗の味は、もてなしの心だと思う。


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「美の異端児 魯山人を使う 展」 @何必館・京都現代美術館

2010年03月15日 04時02分56秒 | 美術展
「美の異端児 魯山人を使う 展」 @何必館・京都現代美術館





北大路魯山人の展覧会が3月28日まで京都現代美術館で開催されている。
館長の梶川芳友という人は不可思議な人だ。
若くして古美術商になり村上華岳(1888年 - 1939年)を扱い大成功した。
其の後、独特の美術館を創った。
建設が始まってから10年位経過して開館したように思う。
息の長い話だ。
開館以降、訪ねる機会が無かった。







今回、「魯山人の展覧会」ということで、やっと念願がかなった。

今回は館蔵品の中から厳選した約100点が展示されている。
地下1階は魯山人の常設展示室。



1階・2階と4階・5階か?複雑な造りではっきりしない。
ともかく、良く集めたものだ。
その執念に恐れ入る。

魯山人の人柄については評価は分かれるが、多彩な人であったことは間違いない。
どれが?









と問われれば書作品と思う。


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結城文夫写真展 @ギャラリーしえる 3月2日~14日

2010年03月14日 23時14分22秒 | 美術展
結城文夫写真展 @ギャラリーしえる 3月2日~14日



結城文夫さんの写真展が今日まで,であった。
会期中、あちこちと出かけることが多く行くことが出来なかったが、滑り込みセーフ。

結城さんとの付き合いは、「新いばらきタイムス」が発行されていた時代に遡り、30年は経つ。
新聞社のカメラマンとして報道写真や伝統文化の取材をしていた。
芸術的な写真を撮影しよう。
など言う意識はなかっただろうし、現在もそのようだ。
何を撮ろう。
というより眼についた興味在るものにシャッターを切る。






路地裏など、市井の何気ないものに眼を向けている。








僕も町歩きが大好きで、綺麗なカッコイイモノの正反対なもの興味を持つ。

短い時間では有ったが、久し振りに結城さんと話す機会を得、昨年出版された、親鸞に関する本の写真を担当した裏話を聞くことが出来た。

建物や庭は簡単に撮れるが、寺宝を動かさず照明も自然のまま、しかも肉眼で判別できない絵画などを写すのは難しいようだ。
プロにはプロの苦労がある。
何事も素人が一番のようだ。



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高麗美術館(こうらいびじゅつかん)@京都市北区紫竹上岸町15番地

2010年03月14日 11時18分55秒 | 美術展
高麗美術館(こうらいびじゅつかん)@京都市北区紫竹上岸町15番地


京都には小さな個人美術館も多い。
洛北、北山通りに近い住宅地の一角に高麗美術館が在る。



柳宗悦が「朝鮮半島の美術」を紹介してから、李朝の白磁や高麗青磁に魅せられる人は多い。

僕もその内の一人で「日本民藝館」やソウル・慶州の博物館を訪ねた。

1988年に開館した、高麗美術館の存在を知ったのは最近のこと。
2年振りに京都に立ち寄ったので、訪ねることが出来た。





高麗美術館創設者の鄭詔文氏は、陳列の美術工芸品を通して祖国の歴史と文化を正しく理解して欲しい。
陳列品の背後にある民族の伝統と文化、さらに生活の息吹を知る場にしたい。と念じていた。
その一環として、雑誌を発行していたことを知った。

朝鮮半島の美術工芸や文化を知りたく何冊かの本や雑誌を読んだことがあり、その中の1冊が『日本の中の朝鮮文化』であった。



館蔵品はすべて朝鮮の考古美術品であり、その数は1700点。
種類は多岐にわたり、青銅器や金銅製品、陶磁器や彫刻、絵画など。
小さな美術館だが、そこにはきらりと光るものがある。

道路の反対側には高麗美術研究所が在る。
館蔵品の台帳の整備と一品ごとの調査表の作成。
朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国における考古美術品の展示施設および調査研究機関との交流。
そして、日本における同種の施設および機関との交流が行われている、とのこと。

日本の文化の多くは朝鮮半島を経由しもたらされた。
いわば、兄貴分の国と思うが相互理解は未だ出来ていないのが現実だ。
この美術館を通し、創立者の思いが伝わるれば。
と、切に感じた。


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城崎温泉(きのさきおんせん)

2010年03月13日 23時14分37秒 | 食べ歩き
城崎温泉(きのさきおんせん)


「名残の松葉かにを食べませんか」と先輩からのお誘いで、城崎温泉に旅した。
コウノトリの飼育・繁殖でも有名な兵庫県豊岡市に位置し、開湯1400年の歴史を誇る関西でも人気の温泉地だ。



志賀直哉、ゆかりの旅館「三木屋」

僕は、志賀直哉の短編小説『城の崎にて』のタイトルを知っていた程度。
江戸時代は但馬国と呼ばれ今では但馬牛の産地としても名高い。

山あいぬってを走る山陰線は急行といえど普通電車並み。



京都から2時間30分かかって、「城崎温泉駅」に到着。



駅前から各旅館を経由するバスが運行している。
翌日、散策して知ったことだが、全ての事が共同で行われていたのに感心した。

大正時代の北但馬地震で町は全焼するが、温泉さえあれば必ず町は復興する。



との『共存共栄』信念で新たな町造りをしたのが原点。

数箇所の源泉は一箇所にまとめられ、ブレンドされてから各旅館やホテル、共同浴場に配られる。
以前は各旅館にはお風呂場は無く、7箇所の共同浴場施設を宿泊客が巡った。




「御所の湯」共同浴場の一つだが、何処も大きく見事だ。

今では『内湯』と呼ばれ、館内の温泉も多くなったが、主流は『外湯』と呼ばれるようになった共同浴場施設。



飲泉場の一つ、町中に足湯等と共に、散在する。

それらを含め及び研修室や城崎温泉駅舎内のさとの湯、温泉街各所にある足湯、飲泉場が公設民営或いは市営だという。



駅前に、各旅館の「下駄」が展示されている。
城崎では浴衣を着て下駄を履くのが正装と言われ、冬場の今は丹前に下駄姿が多い。

城崎温泉駅前から7つの外湯につながる大谿川沿いに温泉街が形成されている。
大正時代の家並みも残っていて情緒深い。



創業150年の歴史「西村屋」本館



川べりには柳と桜が植えられ、柳が芽を出し桜も間もなくに見える。

知名度と京阪神からのアクセスの良さにもかかわらず、歓楽色の少ない閑静な雰囲気。
若い人達が目立ったのも印象的。

風呂を浴びての蟹三昧の夕食。







城崎近隣の津居山港で水揚げされた松葉がには『津居山がに』と呼ばれる“ブランドがに”茹で、焼き、生で刺身、しゃぶしゃぶ、寿司、雑炊と多彩なバリエーション。



酒も青竹に干した蟹の足を炙って熱燗にした、ふぐのひれ酒風。



「○○尽くし」なるものが良い。とは思わぬが、たまには有りか。と無理やり納得。
蟹との格闘は3時間を越えた。


寝る前にもう一度、のんびりと温泉に浸かってから翌朝まで熟睡。
長旅の疲れも癒えた。


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「長谷川等伯展」@東京国立博物館 3月22日まで

2010年03月10日 02時01分45秒 | 美術展
「長谷川等伯展」@東京国立博物館 3月22日まで



水墨画の最高峰 「松林図屏風」で知られる長谷川等伯(1539~1610)の展覧会が東京国立博物館で開かれている。
能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春」と名乗り主に仏画を描いた。

終生、日蓮宗の門徒で仏に身を捧げた絵師だと思う。

今回展示されている「仏涅槃図」の大作は博物館の天井から吊るしても架けきれず、床にまで伸びている。

30代で上洛すると画題を肖像画、花鳥画 などにも拡げ、豊臣秀吉や千利休らに重用されて、一躍時代の寵児となった。

時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続ける。




78件の作品が展示されているが何といっても「松林図屏風」だ。
今度で3回目と思うが、観るたびにその魅力が深まる。

作家は生涯に数点の代表作があれば、充分後世に名を残す。

画面に近づくと後ずさりするような迫力の筆づかい。
その荒々しい筆づかいが、遠くからみるとうっすらと浮かび上がる松林の情景を生み出す。
四つほどの松林のグループが、緻密に計算されて配置されている。
松が立ち並ぶ地面は画面の外に伸びる。
霧の中の、朝靄の中の、松林のなかにいるかのようだ。
墨の濃淡と筆のタッチだけで、霧の朝靄に包まれた松林の中にいる様に感じて来る。

400年近くを経ながら、昨日・今日描かれたと思える程に新鮮だ。
良いものは、永遠の生命を持つ。

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小江戸川越を見習いたい

2010年03月10日 00時19分09秒 | 街創り
小江戸川越を見習いたい


川越市立美術館で開催されている「脇田和展」を観た後、市内を散策した。
人口約34万人で、水戸市が約26万人。
しかし、交通網を含め商店街の活気ある姿は水戸の倍以上、との感じを受けた。
20年以上前に訪れ、今回で2度目で。全貌は分からないが、駅前から博物館・美術館・本丸御殿の在る旧城址まで、かなり広いエリアだが活気にあふれていた。



小江戸・蔵造りの町並みが目玉だ。
昨年のNHK朝のテレビ小説が好評で、宣伝効果があっただろう。
それが無くとも充分に観光客を満足させる魅力があった。
JR線、東武線、西武線と3っの駅を擁する東京近郊の街。
ともすれば通勤のためのベッドタウンに成りかねないが、歴史的遺産を上手く活用し、生き生きとした生活が感じられた。

思いつくまま、ランダムに書いてみると。
1、東武バス運営の1日乗車券が300円で乗り放題。
しかも運転手さんの案内が親切で、どちらかと比較といえないが大違い。





2、水戸市内の観光案内板が充実していないことは、僕も含め多くの人が感じている。
川越市内は、親切で多面的なルートを選択できる。

3、はじめてなのに、なぜか懐かしい町とうたった「散策ガイドマップ」は
駅周辺・中央通り、大正浪漫通り、蔵造り町並み・菓子屋横丁、本丸御殿・博物館・美術館・氷川神社、喜多院。
エリアごとの特色を出しながら、分かりやすい。





4、駅から北に伸びる「クレアモール」は600メートル以上ありそうだが、モールの名の如く車は通行できない。

レストランから有名ブランドのファッションや雑貨まで、市民生活そのもの、を感じた。
地元の住民が楽しめない町では観光客も楽しめないのは当然。
車の通らない細い通りに人が溢れている。

水戸の町でどの辺りが実現可能か?
地元住民の理解が無いことには無理な話となる。


5、一番有名な「蔵造りの町並み」確かに見事。
しかし、造られたのは昭和初期で江戸時代ではないのだが、雰囲気は正に江戸時代。
水戸市末広町は戦災に遭わない家も在るし、蔵造りも在る。二十三や尊を中心として懐かしい町並みを復活して欲しい。
水戸近辺の常陸太田の蔵造りの町並みは見事だ。再生を試みているようだが、いまひとつの状況。



6、一筋違って、「大正浪漫通り」は少し古く大正時代。
どちらも戦災に遭わなかったのでその時代の建築物が多く残り、観光客の夢を盛り立てる。



7、多くの種類の食べものやさんが在る。甘味系が多いが、食事系も豊富。



路地裏には昔ながらの食堂兼の飲み屋もあり、それぞれの年代に対応する店がある。



8、町中の寺社が生活の場・観光の名所となっている。水戸でも幾つかの神社が努力しているが時期が限られ、観光客が訪れる社は少ない。

水戸に生まれ育ち、20代~40代にかけて水戸の街創りに情熱を傾けた。
今の水戸は当時と比べられないほどに衰退した。

今考えてみれば浅はかであった、と反省することが多い。
次の時代を担う若い人達が力をあわせ、革新的な町創りに挑戦してもらいたい。
自転車程度のみが通行できる商店街が増えれば、町はもっと魅力を増すと思うのだが。

川越の町から多くを学びたい。

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