「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

常照禅寺の枝垂れ桜@水戸市元吉田町

2024年04月03日 08時17分03秒 | 水戸今と昔
常照禅寺の枝垂れ桜@水戸市元吉田町







水戸市元吉田町の台地の先端にある常照寺は水戸藩の2代藩主徳川光圀が元禄13(1700)年に敬峯和尚を迎え、仏日山常照禅寺として創建された。
臨済宗大徳寺派に属するが、水戸で臨済宗はここだけだろう。
中世の吉田城跡だから、土塁や空掘が残っている。



山門から中門までは一直線の階段であたかも鎌倉の禅寺のような雰囲気だ。



中門の扉の板と金具は時代を感じる。







枝垂桜が4本くらいあるが、親木からのタネ取された若木を交え、咲き競う。
花も小さいし色も淡いからソメイヨシノの様な華々しさはないが趣がある。
寺域の環境を含め、水戸で一番の枝垂れ桜の名所と思っている。
何時もご一緒した吉田光男さん亡き今は何か侘しい。





本堂と本堂前の四脚門の佇まいも素晴らしい。
天明6年(1786)に再建された本堂の屋根は茅葺だったが、今は銅板で覆われている。

j11.jpg





水戸石州流何陋会が建立した「茶筅塚」
臨済宗大徳寺派なので、お茶との関連は深い。





常照寺池の周辺と道路が改修された。
休耕田が埋め立てられ分譲された敷地に建設中の家が沢山。
住宅団地の様相を帯びてきた。

本町に抜けて和菓子の「油屋老舗」に立ち寄り桜餅を食べる。
このお店で後藤清一さんの大好きだった黒羊羹を手土産にアトリエを訪ねた昔が懐かしい。

先代は昨年亡くなられたとのこと。
お嬢様がお婿さんを迎え、多くの種類を手作りされている。
成り手がなくて廃業するお店が多々ある中、嬉しいことだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

報仏寺の枝垂れ桜@水戸市河和田町

2024年04月01日 12時44分13秒 | 水戸今と昔
報仏寺の枝垂れ桜@水戸市河和田町









水戸市河和田町の報仏寺は仁治元(1240)年に浄土真宗の開祖親鸞の直弟子のひとり唯円(ゆいえん)によって開かれた念仏道場が始まりで、唯円は『歎異抄』の作者とも言われる。
バイパスを挟んだ南西に約500Mの湿地の原野が道場跡と言われ、石碑が建てられてある。

現在地は河和田城跡で1337(建武4)年、鍛冶弾正貞国により築城されたと伝わる中世城館の跡地で、のち江戸氏、ついで江戸氏家臣春秋氏の居城となった。
1590(天正18)年に佐竹義宣が江戸氏を水戸から追放し、河和田城も廃城になったと伝わる。現在残されている遺構は春秋氏時代に整備されたもので、土塁や堀が保全されており、東西約510m・南北約600mの広範囲を主郭とする、水戸市を代表する中世城館だ。
道路を隔てた天徳寺を含んだエリアを含む広大なエリアで市街地の中の城郭跡は貴重だ。
24輩の寺として多くの参詣者が訪れるが、枝垂桜の名所として花の寺としても知られる。
元吉田町の常照禅寺の枝垂れ桜と共に、毎年訪れる定番のお寺さんである。
昨日(3月31日)の訪問だが、隣の山桜の大木は未だ開花していないが、枝垂桜は丁度見頃だった。
例年より少し遅れているようだが、古木となり樹勢が衰えているようにも感じた。
樹木医による手入れが必要だろう。



梅は散ったが菜の花が満開だ。
楠の大木も間もなく新緑を迎える。



赤の木瓜も満開だ。
枝に刺があるが枝ぶりに味わが有る。
後藤清一さんのお宅で、周時代の青銅器にたっぷりとした水に浸った緑青色とのコントラストが印象的で、出会いを求めているが叶わず。



シモクレンも満開、白蓮と共に好きな花の一つ。



雪柳も季節の花。
画家の小又光さんのご自宅で、円筒埴輪に生けられた雪柳に感動した。
細身で姿の良い円筒埴輪に出会いたいと探し続けているのだが。



コブシが咲くと春の到来を感じる。



樒(しきみ・しきび)の花を初めて見た。
古くから仏教と深く関連がある植物で、邪気払いやお清めのために使われてきた。
樒は独特の強い香りを放つことから、香の木、香の花、香芝と呼ばれることもある。
お焼香で使う粉末状の香は、樒の樹皮と葉を乾燥させたもの。
抹香は、線香の材料としても使用される。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

江戸氏 知られざる水戸の戦国時代@水戸市立博物館 2月3日~3月10日

2024年02月16日 21時24分27秒 | 水戸今と昔
江戸氏 知られざる水戸の戦国時代@水戸市立博物館
2月3日~3月10日


水戸は江戸時代に徳川将軍家の御三家の一つであったので、徳川氏との繋がりは当然だが、歴史的にたどれば平安時代に遡る。
当初は馬場氏の居館が現在の本丸付近にあったと考えられている。
その後、馬場氏を追いやった江戸氏が水戸城を居城とし、天正18年(1590)に佐竹氏によって滅ぼされるまでの間、およそ160年近くにわたり水戸城主として地域を治めた。
江戸氏の時代に、都市としての水戸が誕生したといえるが、詳しいことが知られていない。
本展は、水戸や周辺地域に残された資料から、江戸氏の足跡をたどり、戦国時代の水戸の姿を明らかにする企画展だ。







水戸市立博物館の4階と3階の半分を会場とし、以下のような章立てになっている。
第1章 江戸氏の拠点
第2章 戦国の世を生きる
第3章 江戸氏の地域支配
第4章 江戸氏時代の信仰と文化
第5章 江戸氏の滅亡
第6章 水害と共に生きる

関東地方の戦国時代は話題になることが少なく、分からないことばかりだ。
会期中に何度か足を運べばいくらかでも理解が深まるのではないかと、今回で2度目の訪問だが、興味のある項目について幾つかを記す。





常陸国水戸城絵図
正保城絵図は、正保元年(1644年)に幕府が諸藩に命じて作成させた城下町の地図。
江戸時代初期だが、江戸氏の時代とさほど変わらないであろうという推測で展示された。
現在と比較してみれば、大枠としてはあまり変わっていない。
我が家の在る備前町を含め南町や泉町も然りで、街路は殆どが当時のままだ。
黄色で塗られたラインが当時の主な通路とのことで、本丸下から千波湖の裾を巡り神生宿から西町を経由し、金町から馬口労町(現・末広町)に至る。



寛政5年(1793)絵図の南町~泉町~大工町
上が南で下が北で、千波湖と那珂川が逆に描かれてある。
当時の地図は必ずしも北が上、南が下とは限らない。

現在は紀州掘り・西の谷と呼ばれている堀と土塁。
千波湖の広さ、台地の間際まで渚だ。土塁の上の松並木が明瞭に描かれている。
日本の原風景は松や松林だが、松くい虫による虫害で多くが失われた。
東海道などでは残されているものもある。
復元されることを願うが、手入れの煩雑さや虫害に弱いのが難題だ。





河田城縄張り図
延元元年(1336)、大掾氏家臣・河和田入道鍛弾正定国が桜川流域を支配するため築城した。その後、江戸氏がこの地を得て城主となった。
応永33年(1426)、江戸通房が大掾氏より水戸城を奪取した後は重臣春秋氏が城主となった。戦国時代、江戸氏は佐竹一門の待遇を得て佐竹氏に従い、大掾氏らと抗争を繰り返したが、天正18年(1590)小田原の役後、常陸国統一を目指す佐竹義重・義宣父子による水戸城攻略の際に河和田城は落城し、廃城となった。
しかし、堀や土塁が現存しており、中世の城郭を街中で見ることが出来る、貴重な文化遺産。





戦国時代からの水戸城下の中心的な町場であった大阪宿(水戸市大町)の辺りから見渡した那珂川方面の景観を描いた明治時代の絵図。
現在の水戸気象台の下の辺りを、私が子供の頃は「風呂の下」と呼んでいた。
変わった地名と思っていたが、かなり昔からの呼び名らしい。
台地の上には湯屋があったことに拠るらしい。
ここから青柳の渡船場(現在の「萬代橋」のところ)につながる。
幕末に烈公により制定された、水戸八景の「青柳夜雨」の地で石碑も在る。

台地の反対側(南側)、現在の梅香トンネルの辺りは湧水があり「満梅之湯」という温泉施設・銭湯が第二次大戦前まで在った。
水戸の舌状台地の南側と北側には必ず湧水地がある。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミニタニも宜しく!

2023年12月13日 23時32分05秒 | 水戸今と昔
ミニタニも宜しく!

エンゼルスからFAとなっていた大谷翔平投手が10年総額7億ドル(約1014億円)でドジャースと契約を結んだと9日(日本時間10日)に発表された。





米国在住で、大谷のモノマネ芸人「ミニタニ」としてエンジェルスの全試合を追いかけていたアキ・テリヤキさんも「ドジャースに来ることを願っていました」と胸を躍らせた。











早速、ドジャースタジアムのグッズ売り場で「ミニタニ」のユニホームを注文。
このところ、一気にブレイクしたような「ミニタニ」さんは、私の幼馴染の息子さんで、本名は神田明宏さん。高校在学中に日本テレビ系「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画“お笑い甲子園”で関東代表に選ばれ、お笑いの世界に入った。
満足に英語も出来ないのに2017年に渡米し、ダルビッシュの物真似「ミニビッシュ」として活動を始めた。
その後、大谷翔平の顔写真を切り抜いたお面を付けて「ミニタニ」として地元テレビ局を中心に活動を始めた。
今シーズンは始球式にも登板するなど、球団からも認められた存在になった。
大谷翔平選手の大活躍の影響で、日本のテレビ局の番組にも顔を出す機会が増えた。
読売テレビ系の情報番組「ミヤネ屋」や『Going!Sports&News』などに出演している。



ユーチューバーとして「TERIYAKI TIMESテリヤキタイムズ」をアップしているのでそのチャンネルを見ることが多くなった。
球場内外の紹介や、現地の人たちをインタビューして感想を聞くなど内容が幅広い。
日本語での説明も多いから、内容も良くわかる。

実家は我が家から5分足らずのご近所。
母上(同級生のお嫁さん)が優しい方で、出演予定の番組名や時間を連絡してくれる。
*次回は12月15日(金)午前9時から11時の日本テレビ朝の情報番組Day Dayに中継で出演予定。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柴田暁山と田中市郎兵衛~『禁断の海辺』から

2023年12月12日 23時43分36秒 | 水戸今と昔
柴田暁山と田中市郎兵衛~『禁断の海辺』から

旧茨城県庁舎(現・三の丸庁舎)前の水戸城土塁のイチョウの紅葉を観に行った時、堀の反対側の水戸地方裁判所の楠の樹の大木を見ていたら、ギャリソンキャップ(舟形の帽子)を被った米兵が沢山いた、進駐軍本部「茨城軍政部」の時代がよみがえった。



そんな時に「田中市郎兵衛のことを知っている人いない」との話が有った。
占領下の水戸において「柴田暁山と田中市郎兵衛」は度々登場する謎の人物だ。
当時は子供だったから知る由もないが、闇の世界で幅を利かせた人達がいた。
友人の箕川恒男さんが著した~: 国策に翻弄された半世紀の記録』(鹿砦社 1984.1)の中には度々登場していた。
箕川さんから贈られて読んだが、今まで知らないことばかりだった。
その後、誰かに貸したきりで手元になく、県立図書館から借りてきた再読した。





現在「国立常陸海浜公園」として四季折々の花々、特にネモヒラ・コキアなどが有名だが、あの敷地を含め広大なエリアを占めていたのが旧日本軍の前渡飛行場。
敗戦後にアメリカ軍に接収されて空対地の射爆場になった。
それらの経緯を調べ、公園が出来る前までの記録が述べられている。
今や、地元の特産品となった「干し芋」についても詳細に記されている。





その中の一部として水戸の軍政部による統治状況下の日本人サイドで登場するのが「柴田暁山と田中市郎兵衛」で、アメリカ軍政部や警察は彼と利用しあう関係であった。



柴田暁山は「親分」とはいっても今の暴力団とは違う「壮士」ふうで、ロッキード事件の小佐野賢治とは縁が深く、黒塗りのビューイックの車検証の名義は国際興業か国際自動車になっていた。(国際興業・国際自動車の社長は小佐野賢治)



『アサヒグラフ 1947年(昭和22年)2月5日号』に柴田暁山 生葬式が
顔役棺に入ると大々的に紹介された。

1883(明治16)年7月に東茨城郡常澄村川又(現水戸市川又)で生まれた柴田は東京で大親分として顔役だったが、大洗町に戻って町長となり、1947年に生前に葬式を挙げる「生葬式」を挙げた。茨城県知事をはじめ官民ら数の多数参列する盛儀となり話題となった。



北海道に生まれた田中市郎兵衛は昭和の初期に勝田に転じ、肥料商や官林の払い下げを受けた開拓地の造成など、任侠豪商として財を成した。
戦後、水戸に進出したが柴田暁山との出会いが何時なのかは不明だが『柴田さんと田中さんはいつもアメリカ軍政部にいました。普通の人たちはそこに出入りすることは不可能でした』との証言もあり特別な存在だった。
田中は非行少年を集めて更生に力を入れるなどしたが、戦後は病院経営に当たった。
帝国陸軍との、そしてアメリカ軍とのコネクションがどのように発したのかは不明だ。
『任侠』という言葉の人たちによってことが運ばれていた時代の人たちだった。



国道の脇に在った、オレンジと白で塗り分けられた「給水塔」は射爆場のシンボルで、通るたびにこの奥に何が存在するか異様に思えたものだった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

2023年12月09日 18時27分31秒 | 水戸今と昔
毎月9日は「稽古場・風の日」@水戸市新荘3-4-5

水戸市新荘の多目的ホール「稽古場・風」の庭に在る「小さな・風」で毎月9日にミニイベントが開催される。







寒い季節には薪ストーブが焚かれる。
コーヒーが200円で飲める他に桜川市の陶芸家・ローランドサクセご家族の手作りの食品の数々が並ぶ「サクセ家物産展」。







Xmasの時期のシュトーレンやそば粉クレープ・ガレットなども。

















薪ストーブの温もりを感じながら、屋外でのコーヒーの味は格別だ。
この日を目当てに市内はもとより市外・県外のお客さんが集まる。
知り合い同志の近況報告的な要素もあれば、新たな出会いが生まれることもある。
集まる一人一人が心優しい方ばかり。



広い庭にはアカマツの大木の他に季節の花が咲くが、今は白の山茶花が盛りだ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

故中山義雄(茶名素玄)さん追悼茶会@邂逅庵(水戸市南町)

2023年11月09日 21時40分51秒 | 水戸今と昔
故中山義雄(茶名素玄)さん追悼茶会@邂逅庵(水戸市南町)

6月22日に亡くなられた故中山義雄(茶名 素玄)さんの追悼茶会が11月5日に行われた。
邂逅庵・清水透さんが生前に「俺が死んだあと、これを掛けて追悼の茶会を開いてくれ」と掛け軸を託されたとのことで、追悼の茶会の連絡を受けた。
清水さんにとって、中山さんは茶の道に導いてくれた大恩人なので応えたいという。中山さん・清水さん共に石州流「水戸何陋会」に所属されている。
石州流は流派ではあるが家元制ではないので、各自が自由に運営されているのが魅力であるという。
この日の会は中山さんの思いを形にしたいと五人の友人に声をかけたとのことで喜んで参加させていただいた。









連中の1人は茶をたしなむが、私を含めた他の4人は心得も無く、11時30分からほぼ正式な茶事に倣った会が午後の3時頃まで行われ、故人を偲ぶことが出来た。
清水さんの奥様・お嬢様のご家族三人が心を込められた手作り料理を含めたおもてなしにより実現したが素晴らしい一日であった。
故人が心に描いた集いがどの程度であったかを知る由もないが、想像した以上の素晴らしい会であったと思う。



「主人公」の掛け軸(長野善光寺管主・小松玄澄書)
初めて目にした「主人公」という言葉は1885(明治18)年に坪内逍遥が著した「小説神髄」において用いられた造語という説があるが、禅語で自分らしく生きる〈本来の自分 自分の中にいる本当の自分〉という意味のようである。
庵主は「人生は神の演劇己自身である」と解いた様だが、禅語ゆえに答えは人それぞれで良いのであろう。

「邂逅庵」
清水さんの庵は、以前に何度もお尋ねしているので庵号「邂逅庵」は拝見しているはずだが改めて拝見した。
「邂逅」の読みは「かいこう」で、意味は「思いがけない出会い」「偶然に出会うこと」で、それ以上に「運命的な出会い」「運命を感じる巡り合い」というように「感動的な出会い」を意味する場合もあるようだ。
普通は使わないが素敵な言葉で、庵号としても素晴らしいと思えた。











懐石料理の一汁三菜などが次々と、
都度、お酒を少しずつ頂きながら味わい、濃茶・薄茶と。
作法の手ほどきを受けながら、仲間内なので間違い大歓迎と和気あいあい。











全てご家族の手作りとは思えない料理の数々、料亭の味に勝るともひけを取らず、量的にも大満足であった。
御亭主の清水さんが茶室のしつらえ、水差しの棚や懐石の諸道具などを含め全て手作りされた。



奥様・お嬢さんの全面協力と心からのもてなしは身に染みた。
ご家族の皆様、大変お世話になりました。



弘道館の修復時の古材で作られた香盒。
中山義雄さんの意向で虎屋の羊羹と共に、記念品として中山家より贈られた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偕楽園の萩まつり@水戸・偕楽園 9月9日(土)~10月1日(日)

2023年09月24日 18時01分37秒 | 水戸今と昔
偕楽園の萩まつり@水戸・偕楽園
9月9日(土)~10月1日(日)





偕楽園の萩まつりが行われている。
会期は10月1日までだが、開花が遅れていたのでこれからが見頃だ。
偕楽園公園といえば梅を連想するが、四季を通して多様な樹木や草花を楽しむことが出来るのが、あまり知られていないのが残念だ。

偕楽園の萩は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭が偕楽園創設時に仙台藩から譲り受け、植えたものと言われている。
宮城野萩を中心に白萩・山萩・丸葉萩など、総株数約750株が咲き競う。
萩の花はすこぶる小さいので、じっと目を凝らして観ることが大切だ。
万葉集の植物で一番多く詠まれているのが「萩」の花。
江戸時代は、お花見ならぬ「萩見」が盛んだったというから、もう少し見直されても良い。





松の木陰に若い女性のグループがお茶を楽しんでいた。
ネパール人の留学生とのこと。





結婚記念のアルバムを撮影しているカップルとの女性写真家。
披露宴で紹介する写真などを撮っていた。
自分の50年前を思い出す。





偕楽園で自慢出来るのは、手入れの行き届いた松の樹。
2代藩主・徳川光圀の作った湊御殿「い賓閣」の古木には及ばないが見事だ。





任天堂といえば今はコンピューターゲームだが、我々の時代は花札。
花札の7月は萩で、萩と猪の組み合わせで、萩=臥猪の床として知られる。
野生の獣が萩を寝床にして身を休めるという事だが、広義で天下泰平を表しているとも言われる。
望月玉泉《萩野猪図屏風》
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

good bakes (グッドベイクス)@水戸市泉町2-2-36 長谷川第3ビル 1F

2023年08月17日 22時43分23秒 | 水戸今と昔
good bakes (グッドベイクス)@水戸市泉町2-2-36 長谷川第3ビル 1F







7月30日に水戸市泉町2丁目の長谷川ビル1階にパン屋さんが開店した。
店名は「good bakes (グッドベイクス)」
入り口に小麦粉の袋がある。
素材に拘ってますよ!との意思表示なのだろう。





大きな窯も据えられてある。



食パンや調理パンも並ぶ。



多くの種類のパンが並んでいる。
沢山とは言えないのかもしれないが、いずれ種類も増えるのだろう。
ひと頃、「生食パン」がブームだったが一段落したらしい。
流行ではなく、日常に根差したパン屋さんとして頑張ってほしい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

終戦記念日の8月15日の水戸駅周辺を散策

2023年08月16日 23時29分57秒 | 水戸今と昔
終戦記念日の8月15日の水戸駅周辺を散策

終戦から78年を迎えた8月15日、犠牲になったおよそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で開かれ、全国から遺族の代表などが参列した。

戦後生まれが8割を占める今、戦争を体験した方々が少なくなった。
私は当時4歳だったが、記憶はまるでない。
僅かに、小学校に入学した頃のバラック小屋が立ち並ぶ街と焼け跡、水戸駅前の闇市などの記憶が少し。







水戸の空襲で焼け焦げてしまいながら再生した大銀杏は復興のシンボル。
ここを起点に駅前をブラブラ歩いた。



銀杏の北側、京成ホテルのところには市役所と消防本部が在り、東側は開発されて「西武リビン」となったが閉店後は跡地が暫く更地だった。
やっと最近、住宅棟(地上20階)や商業・業務棟(地上4階)、立体駐車場棟(4層5段)からなる再開発計画、2026年度の竣工を目指し建設が始まった。





水戸駅から同方向を望む。





駅前のペデストリアンデッキから水戸駅。
1985年(昭和60年)に水戸駅ビル「EXCEL(エクセル)」が開業。
駅ビルに隣接して丸井水戸店が在った。
丸井水戸店は1993年に移転開業し2019年に閉店した。
丸井撤退後は商業ビル「水戸オーパ」として営業しているが。 



水戸駅の東側の「三の丸ホテル」の後方の土塁上に隅櫓が望める。
2020年に水戸城の大手門と隅櫓が復元された。
水戸駅から望む城下町としての景観が大切なので、手前に見える震災により無住となったビルの撤去を始めとする周辺の整備は緊急を要する。



水戸駅改札口
鉄道の要だけに乗降客で賑わう。
改札口を出ると南口・北口と左右に分かれる。
以前は北口がメインだったが、近頃は南口が優勢。



水戸駅南口。
2003年頃より南口の再開発が始まりペデストリアンデッキなどが作られた。
デッキ上ではイベントの開催が多い。



2011年6月に駅ビル「エクセルみなみ」がオープン。
左にはサウスタワー、右にはホテル テラス・ザ・ガーデン水戸。



コムボックス上部はダイワロイネットホテル水戸などが。
桜川沿いに「プラウドみと桜川」などが建設中。
南口から水戸市役所に至るエリアは千波湖を埋め立てた田圃であった。
昭和・平成・令和と時代は移り、昭和は遠くなりにけり。
何処を見回しても戦後を感じる場所はなかった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マイク真木  ファミリーヒストリー&コンサート

2023年08月08日 20時37分38秒 | 水戸今と昔
マイク真木  ファミリーヒストリー&コンサート
10月4日(水)午後2時~4時 @水戸市民会館・中ホール






フォークソングブームの草分けの曲の一つが、マイク眞木の「バラが咲いた」(1966・昭和41年)で30万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。
半世紀前のことなので知る方も少なくなったが、記憶にある方々も多いだろう。
マイク眞木(1944年~)は幕末の水戸藩士眞木景嗣(大発勢)の末裔で、父は舞台美術家の真木小太郎という縁でマイク眞木は初代の水戸大使を務めている。
7月に開館した「水戸市民会館」を祝して、眞木家の歴史を紹介する講演会とマイク眞木の歌を楽しむ「マイク真木ファミリーヒストリー&チャリティーコンサート」が10月4日午後2時から、水戸市民会館4Fの中ホールで開かれることとなった。
ひたちなか市を拠点のブルーグラスバンド「万丈童子」も友情出演するという盛りだくさんの内容だ。
同イベントは、日本コーヒー文化学会茨城支部、水戸観光コンベンション協会などでつくる実行委員会が企画した。
料金/3,000円(歴史講演会講師/市村眞一)
※チケットは京成百貨店プレイガイド、水戸市民会館受付で販売中
問い合わせ/木村勝一 090-3521-9403

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『月刊みと』創刊50周年記念展・表紙を彩った作家展

2023年08月01日 07時04分38秒 | 水戸今と昔
『月刊みと』創刊50周年記念展・表紙を彩った作家展
@茨城新聞みと・まち・情報館(水戸証券ビル1階ホール)
8月1日から18日まで






1973年に県内初のタウン情報誌として創刊した『月刊みと』が創刊50周年・600号を迎えた。タウン誌として全国的に見ても稀な例として賞賛に値する出来事だ。ここ数年続いたコロナウイルス、ロシアによるウクライナ侵攻、直近のビッグモーターの事件など暗いニュースが多い中、おめでたい話で誠に嬉しい。
50周年の歩みを振り返る展示品と表紙に彩った作家の絵画・写真展が水戸市南町2丁目の茨城新聞みと・まち・情報館(水戸証券ビル1階)とホールで8月1日から18日まで開かれている。



創刊号のレプリカやバックナンバー等も並べられている。



600号記念号の7pに『月刊みと』創業者で、現在は東京で様々なコンサートに拘っている「アーチ・エンタテイメント」のプロデューサー宮崎恭一さんが創刊当時の思い出を語っている。
創刊4号から106号まで編集に携わった故・大曾根克彦さんとの縁で僕も当時の宮崎さんとお会いしたことがあるが、東京で大成功されたようだ、
現在の発行部数が何部かは知らないが、最大で2万部近く、通常でも1万部を超えるタウン誌となった。



40年間の1981年に『身辺古玩』と題し、俳句と古玩にまつわる文と写真を1年間連載したこともあり、『月刊みと』に寄せる念は強い。











ロビー広場では、表紙を彩った県内の作家やカメラマン5人の作品が展示されている。表紙を県内の美術家に1年ごとにお任せするのも『月刊みと』の伝統ともいえる。

現在の発行部数を詳しくは知らないが、最大で2万部近く通常でも1万部を超えるタウン誌となった。『月刊みと』の功績は大きいと、かねがね思っているので、大きな展示かを予想したが、いささか残念ではある。
されど会期中に足を運び、多くの方々と当時のこと、これからの水戸について語り合いたいと思っている。興味のある方は是非とも、お出かけ下さい。
地方紙(誌)の「巷の話題」が無ければ街を楽しむことは出来ない。
『月刊 みと』の益々の発展を望んでいる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森山進吾さんの旅立ちお茶会 @稽古場・風(水戸市新荘3-3-5)

2023年06月10日 22時26分14秒 | 水戸今と昔
森山進吾さんの旅立ちお茶会 @稽古場・風(水戸市新荘3-3-5)
6月11日(日)13:00→17:00(三々五々お好きな時間に)




汗かき小僧こと森山進吾さん(享年58歳)が2023年の春、突然に旅立ちました。「泰安洋行」を願い「稽古場・風」でお見送りのお茶会が開かれます。
午後1時から5時までの都合の良い時間(出入り自由)に平服でお気軽にお出かけくださいとのこと。
お香典・お供物なども無用(思い出の写真や極秘の話は大歓迎)のようです。

後記





















1時から3時頃まで、2時間近く滞在していました。
進吾さんの子供のころから落書きなどを含め大学・大学院生時代の資料なども展示されてありました。
出席者も茨大・美術科の同級生や下級生が主だったように感じました。
久しぶりの再会の方々も多いようで午後5時から9時頃まで半日以上滞在していたようです。
下級生で尼さんになったという方の読経もあったし、遺骨や遺影も置かれてありましたから、葬儀でもありました。
多くの方々に送られ昇天したと思います。
葬儀や偲ぶ会は故人の為でもありますが残された遺族や友人・知人が集って新たな生き方を確認する場でもあると感じました。
稽古場・風という素晴らしい空間だからこそ実現できたともいえます。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「つるばらガーデン」@カーサ・ブランカ:水戸市青柳町4268-2

2023年05月21日 16時51分31秒 | 水戸今と昔
「つるばらガーデン」@カーサ・ブランカ:水戸市青柳町4268-2
5月19日~26日










水戸市青柳町の回転寿司 「まるくに」 青柳店に隣接したギャラリー「カーサ・ブランカ」で開催される「つるばらガーデン」が今年で15回を迎えた。
白のトレラーハウス2台をウッドデッキで繋いだギャラリーでの美術展と庭のつるバラやワイルドフラワーを眺める優雅なオープンガーデンだ。













バラの花は初夏の5月~6月と秋の10月~11月に見頃を迎える。
特に5月はヨーロッパの各地でローズフェスティバルが開催される。
「カーサ・ブランカ」オーナーの笹嶋成子さんは旅とバラが大好きで、丹精込めためたバラの花と香りを多くの人達と分かち合いたいと開催している。

☆ギャラリーの絵画と彫刻作品展。
石島弘之・佐々木玲子・笹嶋成子・鈴木明美・鈴木美智子・林成枝・山本啓子。





☆「きまぐれ工房」の婦人服やアクセサリー。



バラの花ばかりでなく、季節の花が咲いている。
ハニサクロー(スイカズラ・忍冬)は甘い香りのする白い花。
幾分ピンクがかった種類もある。
スイカズラの名は「吸い葛」の意で、細長い花筒の奥に蜜があり、古くは子どもが好んで花の管の細いほうを口に含んで甘い蜜を吸うことが行なわれたことにちなむ。



「トチ」(マロニエ)の赤い大きな花。



他にもヤマボウシの白い花など。
周囲を取り囲む早苗の田圃も見どころだ。
今年は季節が10日以上早く、既に散り始めた花もある。
昨年の「つるばらガーデン」は吉田光男さんもご一緒であった。
毎年、楽しみにされていたが今年は叶わなかった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水戸市国際交流センターのアメリカハナミズキ@水戸市備前町

2023年04月12日 23時49分42秒 | 水戸今と昔
水戸市国際交流センターのアメリカハナミズキ@水戸市備前町







水戸市国際交流センターは「水と緑の国際都市・水戸」の創造をめざし、市民の国際交流活動を推進する施設として、また水戸に住んでいる外国人の方を支援する施設として、平成10(1998)年4月に開館した。
門の付近に植えられた「アメリカハナミズキ」(正式和名は「アメリカヤマボウシ」)は大谷翔平選手が所属するエンゼルスの本拠地であるアナハイム市と水戸市が昭和51(1965)年に「国際親善姉妹都市」の盟約を締結した際のシンボルツリーということもあり、街路樹として多く植えられている。
「水戸市民球場」の近くには「アナハイム通り」の呼称もある。

*エンゼルスの大谷翔平は現地11日(日本時間12日)、本拠地でのナショナルズ戦に「3番・投手兼DH」で先発出場。
7回1安打無失点6奪三振の好投を見せ、チームを2-0の勝利に導いた。
打者としても打率3割を記録する二刀流は、ワールド・ベースボール・クラシックの疲れを感じさせないパフォーマンスでファンを楽しませている。
*日本には大正4(1915)年に東京市がサクラを贈った返礼としてアメリカ政府から 30 本贈られたのが最初。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする