「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

雪の弘道館公園  @水戸市三の丸

2012年02月29日 21時29分48秒 | 水戸
雪の弘道館公園  @水戸市三の丸



今日は2月29日、4年に1度の閏日。
未明からの雪が午前中まで降り続いた。
春の雪でも、午前中は北関東自動車道路が通行禁止になった。
たかだか5センチ程度の積雪でも交通に支障が出る。

雪に化粧された弘道館公園に出かけてみた。
夕方でもあったが、雪と寒さで観光客はまばら。
しかし、雪は風情を高めてくれるもので、訪れた人は幸運だ。
桜田門外の変は万延元年3月3日(1860年3月24日)。
関東地方は春の雪が多い。

桜田門外の変に遡ること20年。
弘道館が水戸藩の藩校として第9代藩主 徳川斉昭により天保12年(1841年)創設された。
藩士に文武両道の修練をつませようと武芸一般はもとより、医学・薬学・天文学・蘭学など幅広い学問をとり入れた、いわば総合大学というべきもの。
創設時の規模は178,431㎡、旧県庁舎や三の丸小学校を含んで現在の4倍くらいの規模で当時の藩校としては国内最大規模、政治的にも経済的にも混乱の時期に大英断であった。



正門




正庁



孔子廟(こうしびょう)の門。
震災により被害を受け、修復がなされていない。


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山口晃展@メゾンエルメス8階 中央区銀座

2012年02月24日 22時10分54秒 | 美術展
「望郷―TOKIORE(I)MIX」 山口 晃展 
@中央区銀座5-4-1メゾンエルメス8階フォーラム
            2012年2月11日~5月13日




先週末に上京した。
いつも高速バスを利用している。
何より、料金が安い。しかも、便数が多いから文句なしだ。
時間が掛かるという人も居るが、僕の場合、ドアからドアで往路が3時間、復路は2時間30分。

都合により浅草・上野・東京駅で下車する。
今回は東京駅で下車し、竹橋の国立近代美術館の「ジャクソン・ポロック展」に向かう。



東京駅の改築・改装工事が進んで、塔尖端部が見えるようになった。
新築当時の姿が間もなく戻ってくる。

「ジャクソン・ポロック展」については、後で書くにして、エルメス8階フォーラムで開催されている山口晃の展覧会について。

銀座の街あちこちに、世界的なファッションブランド出店している。
エルメスもその一つだが、高級ブランドには縁がないから先ずは行くことはない。今、最も注目される現代美術作家のひとりである山口晃の展覧会がエルメス8階で開催されていると知って行ったが、店頭から入って一番奥のエレベーターで8階に。


『忘れじの電柱/2012』
8階・9階の吹き抜け部分を使用して電柱と電線を配置。電信柱のシリーズで描かれたものを立体作品としている。通常の電信柱に近いサイズだけに迫力があるし、絵と同様に電信柱に便器やお宮などがユニークなものが付け加えられて、ユーモアがあふれている。
昭和30年代の古き町、僕は観ていないが『3丁目の夕日』を連想させる。
とはいえ、空想が混ざり合っているから、まるで当時の現実の光景、ではない。


『正しい、しかし間違えている』
白い小さな部屋、作者のアトリエの一部的な机やいす。
壁に貼られた、作品の設計図的な紙。
だまし絵のような部屋で、床も天井も全ての線が怪しいのだが、不思議にまともに見える。

『Tokio山水図2012』
閉廊後に作者は書き加えているとのことで、進行中の作品。会期終了の5月には完成するのだろうか?
「望郷―TOKIORE(I)MIX」のサブタイトル。
トウキヨウリミックス、トキヲリミックス、トキオリミックス。
時空が混在し、古今東西の事象風俗を、卓越した画力によって描き込まれた東京・江戸の俯瞰図(作品は現在進行中で、鉛筆の下書きを見た感じ)。
大画面に繊細な描写にも関わらず、力みを感ぜず淡々と楽しみながら自由に描いている。

日本美術史と大和絵に対する深い造詣をバックボーンにし、日常と空想が混ざり合う山口 晃の真骨頂。今様の浮世絵師ともいえる。



画廊においてある、パンフレットや図録を観ると、書籍の装丁や新聞の挿絵、ポスターなど作品の幅が広く、無限の才能を感じた。








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ブラヨー写真館 @奈良・京都

2012年02月23日 23時49分06秒 | Weblog
ブラヨー写真館 @奈良・京都



10時からTV番組『ブラタモリ』を見た。
古地図を手に都内のあちこちを散歩し、過去の痕跡を発見する。
浮世絵や古地図を参考にして制作したCGを現代に重ね合わせる。
些末なことに拘るタモリならではの番組。
一般の人が入れない場所に潜入出来るのも、テレビの取材だから。

前回の放送では、徳川家康が作った物流の大動脈・小名木川を水上探索し、都会に残る「江戸の運河」のヒミツを探った。
後編は、江戸の運河がどのように東京に受け継がれたのか追跡し、江戸の水運から平成の物流がテーマ。
富岡八幡宮や深川近辺、江戸の文化が完全に現代に引き継がれている。

『ブラタモ写真館』というコーナーは、何でもないものがタモリの目を通して見れば・・・

僕も、街をぶらぶらするのが大好きで、時には写真を撮る。
撮るのを忘れることもあるし、肝心なところ写していない。


奈良・京都の旅の写真、消去する前に・・・・
タイトルはパクリだが、それほどマニックではない。






新幹線に乗る前に購入した大船軒の弁当。
鯵の押寿し・鯵と小鯛の押寿し。



二月堂のお水取り、お松明に使用する大きな竹を準備中。
今頃は、出来上がっているでしょう。



錦の市場、早くも筍。





新京極のアーケードの店頭で見かけた自転車とスーパーカブ。
真っ赤な色が素敵だ。





河原町通りの屋台。おでんとタコ焼き、そしてホルモン焼き。






イノダコーヒー本店。
旦那さん連中が自転車で乗り付け、朝のコーヒーを飲みながら世間話。
良い雰囲気です。



明暗尺八根本道場の明暗寺は虚無僧寺の本家本元。
最近、虚無僧の姿を見かけませんね。

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重森三玲作 東福寺方丈庭園

2012年02月22日 23時27分25秒 | 庭園
東福寺方丈庭園・重森三玲作

方丈とは禅宗寺院における僧侶の住居。
後には相見(応接)の間の役割が強くなった。
東福寺の方丈は明治23年に焼失し、明治23年に再建された。
100年以上を経ているから、それなりの風格を感じる。

東西南北に四庭が配されている。
禅宗の方丈には古くから多くの名園が残されているが、方丈の四周に庭園を巡らされているのは、東福寺方丈のみだという。

この庭は重森三玲の作で、昭和14(1939)年に完成された。

南庭。








広さ210坪の枯山水庭園だが、西方には築山がある。
巨石が配され、鎌倉時代の質実剛健な風格を感じる。


特に有名なのが、北庭。






もと御下賜門内にあった敷石とウマスギゴケを用いて市松模様に配置した庭は、彫刻家・イサム・ノグチは「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評したそうだが、現代的な感覚の庭だ。


東庭・北斗の庭。




もと東司(重要文化財、旧便所)に使われていた円柱の余石の七本を北斗星に見立て配置した独創的な石庭で、狭い空間ながら小宇宙を感じさせる。
まさに、重森三玲の世界だろう。

西庭。



サツキの刈込と砂地とくず石。
地形的にも複雑、北庭に続く通天台と呼ばれる舞台もある。


重森三玲(しげもり みれい1896年 - 1975年
)の経歴を調べてみると。
日本美術学校で日本画を学び、卒業後に東洋大学文学部に進学。
にいけばなと茶道を習い稽古に励む。

昭和4年(1929年)京都へ移り住み、翌年には勅使河原蒼風らと「新興いけばな宣言」を起草(当時は未発表)、いけばなの革新を世に提唱した。

その後は日本庭園を独学で学ぶ。
昭和11年(1936年)より全国の庭園を実測調査し、全国500箇所にさまざまな時代の名庭実測、古庭園の調査などにより、研究家として日本庭園史のさきがけとなっていく。

昭和14年(1939年)、『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年(1976年)には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻(別巻2巻)を完成させるなど庭園史研究家としても多大な功績を残した。
『日本庭園史大系』などは、東日本大震災で被害を受けた庭園の修復の貴重な資料になるとも聞いた。

敷石や円柱などを巧みに使いこなし、植栽と融合させる。
伝統を受け継ぎ、創造につなげた偉大な人物と思った。


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東福寺・龍吟庵庭園

2012年02月22日 20時16分37秒 | 庭園

東福寺・龍吟庵庭園


重森 三玲(しげもり みれい、1896年 - 1975年。昭和期の日本の作庭家・日本庭園史の研究家)について建築家の中込佶さんから聞いたことがあった。

僕が骨董に魅せられていた35年前頃、〈お茶の世界も分からなくては〉と友人宅にお茶の稽古に通ったり、奈良・京都に足繁く運んでいた時代。

その頃、中込さんは淡交会茨城支部の青年部長を引き受けていた。
茶室などにも造詣が深かかったので、重森 三玲の庭実測図や古庭園について教えてくれたのだろう。
会合で京都に行かれる機会も多く、訪れた有名茶室の話などを聞かせて頂いた。


龍吟庵庭園

今回、「非公開文化財特別公開」で重森三玲の作の東福寺・龍吟庵の庭園(1964・昭和39年)が公開されるとのことで、東福寺に向かった。



龍吟庵






東福寺第三世住持 無関普門(大明国師)の住居あとで方丈(国宝・室町)は単層入母屋造、こけら葺。その正面は七間(約12.7m)、梁間は五間(約9m)、柱間中央に両開き板唐戸の入口を設け、両端の柱間には遣戸をはめ込むなど書院造に寝殿造風の名残をとどめた、現存最古の方丈建築です。
背面に開山堂があり、大明国師座像(重文・鎌倉)を安置しています。大明国師は南禅寺の開祖でもありました。

龍吟庭


方丈を東西南に囲む三ヶ所からなり、いずれも枯山水の庭。

西庭「龍の庭」





特に有名なのが西庭、龍が海中から黒雲を得て昇天する姿を四国産の青石の石組で表現している。白砂と黒砂は雲を顕している。
四国産の青石は苔のつかない種類、折からの小雨・小雪を得て緑色が強く見える。

東庭「不離の庭」

方丈と栗を結ぶ渡り廊下に面した、長方形の小さな庭。
中央の石組を囲んで、鞍馬石を砕いた赤い砂が取り囲んでいる。
鞍馬石も、水を含んで赤みが強くなっている。

石によっては、水を含むと色の変化が激しい、ということが分かった。
雨が降っている時が、見頃と云う事もあるわけだ。

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ライブラリーラウンジ・バー「ヘイヴン」@京都ロイヤル&スパ

2012年02月21日 23時13分01秒 | 
ライブラリーラウンジ・バー「ヘイヴン」@京都ロイヤル&スパ

「京都ロイヤル&スパ」に泊まろうと思ったのは、河原町三条で、どこに行くのも便利だ。
祇園辺りで飲み食いしても徒歩で戻れる立地の良さ。




隣は「カトリック河原町教会」で入り口には水戸出身の彫刻家・木内克作の「聖母子像」が建っている。
水戸京成百貨店の1階エスカレーター脇に設置されている像と同じような形だが、大きさはこちらが、かなり大きい。
木内さんは後藤清一さんの先輩で、表現方法は異なるが、どちらも水戸人としての気骨を持った生涯であった。





このホテル、レセプションやロビーは狭いのだが隣のライブラリーラウンジ・バー「ヘイヴン」は英国風の重厚で閑静。
僕の日常には無い空間だから憧れる。
これまで、京都に来た際に何度か利用したお気に入り。
いずれ、宿泊して寛ぎたいと思っていた。





お好みのマティーニとジントニックを?んでご機嫌。

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「れんこんや」@中京区西木屋町

2012年02月21日 09時37分24秒 | 食べ歩き
「れんこんや」@中京区西木屋町




ビヤホールは河原町通りで近辺は飲食店やファッションやお土産やが軒を連ねる繁華街の中心。

寺西さんの案内で新京極のアーケード街・河原町・先斗町などの通りや路地裏を歩く。旅は、路地裏歩きが楽しい。



灯篭の笠を使った、京都らしいしつらえの店頭。

夏なら、鴨川の河原を歩くのもいいが、この時期には無理。





高瀬側の流れの脇、木屋町で「れんこんや」を見つけた。
以前に、何度か訪れた居酒屋。
30年前くらいか?茨城県知事を務めた岩上二郎さんが退職後、京都へ臨時のカバン持ちとして同行したことがあった。
京都大学にまなんだ岩上さんを「れんこんや」にご案内したら、大いに喜ばれた。懐かしさのあまり入ってみることに。
寺西さんも、以前は良く来られたとのことだ。

カウンターにテーブル席と小上がりのこぢんまりとした店内。
女将さんは、先代のお嬢さんなのか、気さくな人柄。
正二合入りの燗酒用のチロリを使用していたのだが、現在は使っていないとのこと。



店名の由来の「辛子レンコン」。

こんな店が、繁華街のまっただ中に存在し続けていることが嬉しかった。

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アサヒビアレストラン スーパードライ 京都

2012年02月20日 21時41分39秒 | 
アサヒビアレストラン スーパードライ 京都
@京都市中京区河原町通



約束の6時、ホテルのロビーに寺西諄信さんがお見えになった。
五年ぶりの再会「近所のビアホールでも、如何ですか?」とのお誘い。
喜んで同行することにした



ホテルから歩いて5分、入り口に大型の生ビールタンクが2基設置されているビアホール。
アサヒビールの直営で歴史のあるところとのこと。



レンガに囲まれた店内は天井も高く明るい雰囲気。
友達との飲みかつ語らいにビアホールは最適だ。
僕の大好きな空間、水戸には無いのが残念。

先ずは、再会のご挨拶。





昨年末、後藤清一さんの『薫染』を観るため、国立韓国中央博物館に行ったこと。
作品が、日本室の中央に展示されていて感激したこと。

写真をお見せしながら説明した。
次に、後藤清一さの長男・道雄さんは美術史家で、長らく仏像の調査にあたられている。

その業績が認められ、昨年秋の叙勲で、『旭日双光章』を授与された、ことをご報告。

中ジョッキを注文したら、大きくてビックリ。
通常の大ジョッキ以上だ。
吹田工場より直送される生ビールは鮮度抜群で、まことに旨い。
ビールは新鮮さが一番と、改めて感じた、

ソーセージなどの肉料理は当然としても、新鮮な魚を一匹丸ごと好みに応じて調理してくれる。







魚の名前は忘れてしまったが、3匹それぞれをカルパッチョ・蒸・から揚げで注文した。

話が盛り上がり、ビールだけでは物足りず、お酒もたのんだ。
ビヤホールながら,日本酒もメニューにある。
嬉しいですね!

調子に乗り過ぎ、飲みすぎました。

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寺西恵然さんと後藤清一さん

2012年02月19日 22時06分52秒 | 彫刻家 後藤清一
寺西恵然さんと後藤清一さん

京都では、寺西諄信さんにお会いしたいと思っていた。
寺西諄信さんは、若き日の後藤清一さんが師事された浄土真宗の僧侶・寺西恵然さんの長男である。
この前お会いしたのは2007年11月、どうなさっているだろうか
寺西恵然さんと後藤清一さんとの交流のお話を伺いたく思うが、諄信さんの記憶も定かではなさそうだ。
1996年僕からの問い合わせに対して、次のような一文を寄せてくれたことがあるで、紹介しておきたい。


ふたり
 
明治に生まれ、大正デモクラシーの風潮に浴すや、やがて強まる軍部勢力下の昭和の初期を、茨城県水戸で過す二人の人物がいました。
 いささか大仰な語り口調に落ちましたが、筑波下ろしにも凍えぬ気骨と、太平洋の海鳴りにも押し潰されない強靭な心意気を膨らませ、しかも真摯な使命感にも似たこころ在を胸に、時には夜を徹して語らう若きふたりだったに違いないと思うからです。
 あまりにも、烈しい情熱ゆえに、至上の魂と世俗の情念に悶々と苦悩し、しかも高らかに謳うことを忘れず、時には仏法に耳を傾け、また時には芸術について、そして何より人間について、その深淵の極みまで赤裸々に洞察を培う二人だったに違いありません。
 その一人は、構造社展、文展、日展の日本の近・現代の美術を彫刻と共に生きた彫刻家の後藤清一氏であり、もう一人は、後に私の父となる西恩寺住職の寺西恵然でした。その時、後藤氏は明治二十六年の生まれの二十六歳、寺西は同二十五年生まれの二十七歳でした。二人は、文字通り血気盛ん、前途洋々たる青年だった訳です。
 今となっては、残念ながら、二人の機縁、尽きせぬ交友を詳らかにする由もないのですが、ただ一つはっきりしていることは、石川県生まれの父が、水戸に滞在していた事情です。
 父は、真宗大谷派東本願寺の布教師として常陸の教化布教のため、水戸真宗会堂々主を務めておりました。大正八年から昭和九年にかけての十五年のことでしたが、この間、「関東聖跡巡礼」、「原始真宗のあと」を著すなど真宗史の研究を続ける傍ら、関東一円の布教に東奔西走していたようです。
 不覚にも、真宗会堂がどのようなものであったのかは分かりませんが、何よりも教化布教の場であったとすれば、老若男女が三々五々自由に参集できる開かれた集会所でもあった訳です。後藤氏と父の親交が始まったのは、こうした祈りだったようです。
 そんな時、後藤氏の芸術家たるがゆえの苦悩にも似た烈しくも熱き心情、一方、法を説く父の宗教家としての諄々足る思いが、期せずして二人の意気高揚をいやが上にも
増して行くことになったのでしょう。各々志を異にしても、若き二人には言い尽くせぬ肝胆相照らすものがあったに違いありません。
 その後父は、東京九段の仏教会館々を経て、さらに輪番として京都の岡崎別院、富山の井波別院へと赴任することになるのですが、晩年の余生は、その任のもっとも長かった京都で過すこととになります。その京都に、後藤氏の来訪が数度はあったように憶えております。
 かつて、彫刻家ジャコメティが仏文学者の矢内原伊作氏をモデルに自分の肖像を制作した話題は広く知られたことでしたが、何故か、後藤氏のお姿からもまた矢内原伊作氏、否ジャコメティに通じるお顔だと強い印象を抱いたものです。以来、年々覚束ない足取りになる父に随行しては、日展の京都展を楽しみに、新春の市立美術館に赴くことになりました。
 作品の前の父は、ステッキを身体の支えにしたまま、かなりの時間そこにたちつくしておりました。その姿は、作品を鑑賞するというよりは後藤氏との再会を喜び、何かを語り掛けているようでもありました。はたして何を語り掛け、どんな思いに頷いていたのかは、もちろん私の耳に届くはずもありません。
 ところで、マッチ箱同然の拙宅には、後藤氏の手になる二十センチほどのブロンズの仏像の首が、幾星霜のなかに静かに輝いております。不思議な艶と香り、そして天女の奏でる妙なる音色までが幽かに伝わり、それはまるで極楽荘厳の世界を思わせるか如くの、崇高なブロンズであります。
 晩年、父は「穏やかな人」、「静かな人」といわれ、時には若いものからは「綺麗なお爺さん」とよばれたりもしておりました。後藤氏の作品の前に立つときの父の顔がやはりそうだったのです。それは極楽荘厳の前に立ち、作者後藤氏と語る至高の楽しみをこぼす表情だったのかもしれません。二人の心通わすが如きこんな情景に、年甲斐も無く私は、羨望にも似た思いをだいたりもしたものです。
 そんな父は昭和五十一年、八十四歳で他界し、後藤氏もまた五十九年、九十歳でその生涯を終えられました。いつしか、それから既に十三年が経とうとしております。
合掌。





寺西恵然さんが、かって赴任していた岡崎別院。



朝、ホテルを出る前に寺西諄信さんに連絡をしたところ、夕方6時にホテルのロビーで待ち合わせる約束が出来た。

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『水戸藩!味な城下町まつり』 @水戸芸術館広場

2012年02月19日 00時06分32秒 | 水戸芸術館
『水戸藩!味な城下町まつり』 @水戸芸術館広場



水戸芸術館の広場は美術展の屋外展示空間と使用される事もあるが、水戸市の成人式を始め、フリーマーケット、コンサートなど幅広いイベント会場として使われている。
街の広場であるが、公園としての憩いの場でもある。





きょう開催された『水戸藩!味な城下町まつり』は旧水戸藩の市町村とゲストの佐野市からの屋台21のテントが並んだ。
けんちんソバ、あんこう鍋、シジミ汁、稲荷寿司など、各自治体自慢の料理、さらに、物産品や地酒の販売まで幅広い。



舞台には「水戸の梅大使が」が登場し、抽選会も開催された。




ユルキャラと云われる着ぐるみ人形も人寄せに一役。



僕が食べたのは、
かすみがうら市の「霞ケ浦フィッシュ&チップス」
魚はナマズ、チップスはレンコン。
ナマズを始めて食べたが、白身の淡白な味。
レンコン輪切りのチップスは、お煎餅のようだ。



演劇ホールでは「第10回全国藩校サミットin水戸」が午後1時から開催のポスター。

漢字文化を重んじた江戸時代の教育を見直そうと、全国の旧藩から38藩の当主らと藩校70校の関係者が集まった。

講師は次の方々。
 Ⅰ德川恒孝氏(德川宗家第18代当主)
 Ⅱ石川忠久氏(元二松学舎大学長)
 Ⅲ德川斉正氏(水戸德川家第15代当主)
入場無料で聴講したいと思ったが、他の予定があったので残念ながらパス。

この時期、各地から水戸を訪れて下さる。
有難いことだ。

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第116回 水戸の梅まつり@偕楽園・弘道館

2012年02月17日 22時45分40秒 | 水戸
第116回 水戸の梅まつり@偕楽園・弘道館
2月18日(土)~平成24年3月31日(土)


今朝、外を見たら雪が積もっていた。
積雪量は5センチ程度か、今年の冬では一番だ
既に立春を過ぎているから、春の雪。
昼ごろには、溶けてしまったから交通機関には影響がなかった。

明日18日から「第116回 水戸の梅まつり」が始まる。
梅の花は春の魁、冬から春へと移る時期。
天候は不順で、雨や雪、時には強い風に見舞われる事も有る。

昨年3月11日の大震災により、偕楽園も弘道館も大きな被害を受けた。
偕楽園は庭園の修復が済んで、好文亭の修理も完了した。







修復なった偕楽園・好文亭を見学してきた。
梅林は例年より開花が遅く、咲いている花は少ない。
とは言え、『探梅』と云う季語もあるように、咲き初めの探すのが一興。

好文亭は何処をどのように治したのか、全く分からない程に完璧だ。



邸内のところどころに、災害後の写真が掲示されているから被害の状況を確認できる。




お祭りの本部、警備本部、お土産の売店などの準備も整った。

期間中には、水戸の市内の各所で、沢山のイベントが用意されている。
他所から大勢のお客様が来られることを望むが、我々市民もせっかくの企画を楽しまない手はない。
市報や案内チラシを参考に出かけることにしよう。

初日の18日(土)は



『水戸藩!味な城下町まつり』9:30~15:00 @水戸芸術館広場

水戸藩なの市町村から21の味の屋台が出店。
*食べてみたいのは、
北茨城市の[あんこう鍋] 石岡市の[筑波山麓しし肉煮込みうどん]
行方市の[なまず唐揚げ] 霞ケ浦市の[ナマズタコス]

19日(日)
野点茶会(石州流) 場所/偕楽園 時間/12:00~15:00
雅楽演奏会・神楽舞(水戸雅楽会)場所/常磐神社能楽殿 時間/11:00~12:00

*梅まつりの会期に関して。
今年は開花が遅いので明日辺りからでよいのでしょうが、最近は開花が早く3月下旬には花も散りますし、桜の季節となってしまいます。
もう1週くらい早めにしても良いと思います。
週末にイベントが集中するのはやむを得ないと思いますが、平日にも何らかの企画が欲しいですね。



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平清盛の娘・建礼門院ゆかりの寺 長楽寺 

2012年02月17日 18時06分26秒 | 文化遺産
平清盛の娘・建礼門院ゆかりの寺 長楽寺 



NHKの大河ドラマ「平清盛」が放送されているので、今年の「京都の非公開文化財公開」は清盛に関連する社寺も含まれている。

円山公園の脇に、「長楽館」と云うレストラン・喫茶がある。
石造りの立派な西洋館だ。
明治時代の実業家で「煙草王」と称された村井吉兵衛の京都別邸で京都市指定有形文化財。
その脇を抜けて大谷祖廟のさらに先の山腹に長楽寺があるので、「長楽館」の名前の由来はこの寺にある。

長楽寺は伝教大師最澄が創建した天台宗寺院で、後に時宗に改められた。
我が家も時宗、門徒が少ない宗派だ。
時宗の寺が京都にもあったのか、と親しみを感じた。
平清盛の娘・建礼門院徳子は壇の浦の戦いに破れ、入水されるが助けられ、出家した寺として知られている。

境内には遺髪を納めた供養塔がある。



建礼門院御影

時に御年29才、その時の御影で、建礼門院の御影の古いものは他に類をみず、源氏の目をはばかり、墨を塗り隠しまつられていた。



本堂の裏山を登ると、かなりの距離が有るが、京都市内を見晴らせる場所がある。紅葉の頃は最高の眺めらしい。





更に、もう少し上『おとな日和』に吉田さんが書かれていた『水戸藩兵留名碑』がある。
幕末の水戸藩は内紛状態の中で、京都の警護にもあたり多くの犠牲者を出した。それらの方の慰霊碑。



本堂の中では「水戸藩烈士の写真展」も開かれていた


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晦庵 河道屋 本店 @中京区麩屋町通三条上ル

2012年02月16日 15時17分34秒 | Weblog
晦庵 河道屋 本店 @中京区麩屋町通三条上ル






京都の名旅館と云われる俵屋・柊屋・炭屋、がある麩屋町通り。




その通りに「晦庵 河道屋 本店」がある。







間口は狭いが、如何にも京都らしい風情。
アプローチも流石と云う感じで、老舗らしい店構え。

入ってスグにある小あがり席。
二階席もあるようだ。
更に、奥の座敷がある。

3時頃であったか?
とにかく、時間帯がずれていたから客は我々二人。



一番奥の、庭が見られる席に座る。



鴨なんばセット(鴨なんばと季節ごはん・香の物 )
関東で食べている鴨南とは異なり、塩味で、こってりながらサッパリ。



にしんそば
甘辛タレでじっくり煮込んだニシン。
会津などのニシン料理も有名で、海から遠い所の保存食として発達したのだろう。

関東の(東京や水戸)の蕎麦とは別物という感じだが、それぞれの土地の文化。
ゆったりとした時間をすごすことが出来た。

河道屋の「蕎麦ほうろ」





蕎麦屋の並びではないが、直ぐ近くに「蕎麦ほうろ」
どちらも「河道屋」同じ経営のようで、お菓子屋さんが始まりなのか?
品質・価格に「老舗」を感じました。

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相国寺から室町近辺を散策。

2012年02月16日 10時57分57秒 | 文化遺産
相国寺から室町近辺を散策。











表千家・裏千家は隣同士だが、どちらの屋敷も広く、一巡りするだけで時間を要する。
「ここが、利休以来のお茶の本家かと」と感心して外から眺めただけ。







お茶とくれば、お菓子。
老舗のお菓子屋さんもある。
店頭や路地が、如何にも京都。

この様な小さな庭や石組に憧れ、自宅に再現したいと試みた時もあった。
今は他所で見る程度で充分。



同志社の一画を占める冷泉家を外から拝見。(本来は、同志社の辺りは冷泉家や相国寺の敷地だったのでしょう)

京都は歴史的な寺社・建造物・史跡などが沢山。
古美術に憧れていた時代、京都に移り住んで一年ぐらい暮らしたいと夢見た時代もありました。

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ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー

2012年02月15日 22時41分02秒 | 美術展
ゲルダ・シュタイナー&ヨルク・レンツリンガー
=力が生まれるところ= @水戸芸術館現代美術センター
2012年2月11日~ 5月6日









スイスの現代美術家ゲルダ・シュタイナーとヨルク・レンツリンガーによるインスタレーション等による展覧会。
サブタイトルが「Power Sources-力が生まれるところ」となっているのは、昨年の大震災により被害をうけられた方々への力と成れば、との願いが込められているのだろう。


展覧会の資料には


《1997年より活動を共にしている二人は、人間の営み、生命の神秘や驚異、身体や精神と環境との関係に強い関心を寄せ、インスタレーション、コラージュ、写真、オブジェや、会期中成長し続けるクリスタルなど、幅広い作品を発表してきました。なかでも、展覧会場のためだけに毎回異なるテーマで展開されるサイトスペシフィック・インスタレーションは、その土地にまつわる伝承、風俗、思想などの目には見えない無形の文化を表出させることで知られ、訪れる人から常に高い人気を集めています。》

ゲルダとヨルクの両人は、現代美術ギャラリーのボランテアIさんのお宅に1カ月以上滞在し、探索する中で出会った地元の人々との交流を通し、インスタレーションを制作したとのこと。








従って、拾い集めた廃棄物の様なものも作品に取り込まれている。
日に日に増殖し、変化を続ける作品もある。
ベッドの上に寝そべって見上げる作品、ブランコに乗ってみる作品など多様だ。









寝転んだり・座ったり、作品に包み込まれた感じで眺める。
或いは瞑想に耽ることも出来る。
どうぞ、ご自由に!という感じだ。

さらに、写真撮影もOK。
美術館・博物館など写真撮影が可能な場所も増えているから当然ともいえるが、水戸芸術館では初めての試み?

著作権・肖像権などで難しいこともあるのだろうが、英断だ。
写真撮影にフラッシュを使用する人はまずいないから、作品を傷める心配は少ない。
ツイッター・フェイスブック等を利用する人達が多くなった社会では撮影可と云う展覧会が増えるだろう。

大震災や原発事故の影響で、水戸を訪れる人が大幅に減った。
「梅まつり」の期間に開かれる、この展覧会は楽しさいっぱい、新たな発見がある。

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