「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

『極私的昭和』大曾根克彦著(2023年1月)

2023年01月31日 23時41分04秒 | 本・雑誌
『極私的昭和』大曾根克彦著(2023年1月)





表紙・裏表紙





目次



自選俳句200句(1990年~2022年・308頁~336頁)

奥付

茨城新聞社、産経新聞の記者を経てタウン誌「月刊みと」の編集人を務めた後、1982年からフリーランスとなり多分野にわたる執筆活動を続けた。
常陽芸文センターの機関紙『常陽芸文』の仕事はフリーになると同時から参加し茨城県及び近隣の歴史・文化・自然・人物などの紹介、発掘と掘り起こした。

画家・福地靖さんを尊敬し、交流は長きにわたった。
『福地靖とその時代』をテーマに単行本の刊行を目指していた。
本書においても55頁に渡り論じている。

福地さんと同様に「日めくり俳句会」の有力なメンバーで社会を鋭く切り取った俳句も多かった。巻末に自選200句を掲載している。

それぞれの頁を読み進めると大曾根さんの声が聞こえるようだ。
大曾根さんの文章は、日頃の語り口が文章に成っている。
読み進めば、沢山の思い出が連なる。

僕が大曾根さんと知り合ったのはタウン誌『月刊みと』4号(1973年)の頃に始まるから約50年に及ぶ。
1981年1月號から『身辺古玩』のタイトルで骨董にまつわる話題を写真付きの見開き頁で紹介する企画を持ち込み、1年間連載する無謀なたくらみを実現した。
俳句と古器に季節の花を挿して写真を撮影した。
ニコンのカメラまで購入するほどに入れ込んだが、いい思い出で、雑文を書くキッカケとなった。

一月尽私的昭和の本届く 破髯斎
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薪ストーブの部屋でキング・コールとシナトラを聞く

2023年01月30日 23時50分56秒 | カフェ・喫茶
薪ストーブの部屋でキング・コールとシナトラを聞く



笠間市大田町の住宅地の一画に、民家を改造した「カフェジュニアボナー」(Cafe JR.Bonner )には大きな薪ストーブがある。





沢山のレコードとCDコレクション。
アンプやスピーカーが沢山あって、楽曲により組み合わせを変えて演奏してくれる。オーデオ機材に詳しくはないが、切り替えて聞かせてもらうと音の違いが分かる。
レコードが主だが時にはCDも流される。
ジャズを旨とはするが、リクエストが有れば歌謡曲や裕次郎まで異なったジャンルのレコードもあるし、客が持ち込んだレコードもかけてくれる。
オーナー夫妻の明るい人柄は、親しい友人のお宅の様に居るような、心地よさを感じる。





奥様の作る、ご飯やスパゲテーの野菜サラダ付きのセットや飲み物のメニューも充実している。





ナット・キング・コール(Nat King Cole、1919- 1965)
小学生の頃(1950年代)に姉の手回しの蓄音機で聞いたのが初めてだが、今もって素晴らしい声だ。







フランシス・アルバート・"フランク"・シナトラ(Francis Albert "Frank" Sinatra、1915- 1998)は僕の大好きな歌手だが、ジュニアボナーのご主人もシナトラ大好き人間で、レコードコレクションはかなりの枚数を誇る。

冬の日差しをガラス越しに受け、薪ストーブの暖かさを感じる部屋で、キング・コールとフランク・シナトラを聞けた至福の時間。
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「笠間焼に魅せられて~75歳で博士号取得奮闘記~」

2023年01月29日 21時32分03秒 | イベント
「笠間焼に魅せられて~75歳で博士号取得奮闘記~」
仲根聰子さん@「笠間ふれあい大学」








バルセロナ、サグラダ・ファミリアの研究で修士、笠間焼の研究で博士を取得した、中根さんの生きざま、多彩な海外経、」そしてものづくりが好きで、ものづくりの研究。

笠間焼を学術的に研究したのは初めてのことらしい。

博士論文は「笠間焼の作業過程における文化的景観のシーンの抽出に関する研究」。

笠間市に現存する6つの登り窯を測量、そしてその6つの作業環境と作業過程を詳細にまとめ、分析してシーンを抽出した。











人生100年時代、105歳まで頑張りたいと!
孫が6人の凄いお嬢様です。
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丸干しの「ほしいも」が到来。

2023年01月28日 18時01分13秒 | 食事
丸干しの「ほしいも」が到来。



(丸干しの干し芋・パックされたままですが)

例年、今頃になると丸干しの「ほしいも」が届くのが楽しみ。
以前は「乾燥芋」と呼んで冬場の“おやつ”だった。
近年は品種改良や製法も変わって高級な「スイーツ」となってしまったのが幾分残念に思うが、特に「丸干し」と呼ばれるものは、味わいが深い。

サツマイモを秋に収穫し、寒くなるまで保存をして糖度をあげる。
蒸してから皮をむいてピアノ線で切り、寒風に当てて乾燥させる。
寒い中、瞬時の作業が続くらしい。
乾いて周りに白い粉が吹くまで干しあげて保存食とした。
そのままでは硬いので、炭火であぶって柔らかくして食べるが、甘さを感じる程のないおやつだった。

芋の品種が改良されたことや冷蔵の保存法などで、柔らかな生の食感が味わえるようになって茨城の特産品として知られるようになった。
国内のシェアは9割を占め、贈答品としても人気が高い。
ひたちなか市、東海村、那珂市の辺りがお主な生産地だが、水戸の周辺で生産農家が増えてきた。

サツマイモの原産は中央アメリカと言われ日本へは、17世紀初めに中国から琉球にもたらされ、やがて薩摩へ伝わり、九州南部で栽培されたのが「薩摩の芋」として、全国へ広まり定着した。
江戸時代に飢饉を救う救荒作物として栽培が奨励され、8代将軍・徳川吉宗の命によって、1735年、蘭学者の青木昆陽が薩摩から江戸に種芋を取り寄せて、小石川御薬園(現:小石川植物園)などでサツマイモを試作し、これをきっかけに東日本各地でも栽培が広がった。
この件については『禁断の海辺―国策に翻弄された半世紀の記録 』(1984年・箕川 恒男 )に詳しく語られているが手元に無いので、図書館から借りて確かめたい。

この時期ならでの「干し芋」だが、特に、カット出来ない小さなものを丸ごと干した「丸干し」は身が厚く、濃厚な味わいで人気がある。
干し芋を食べるなら「丸干し」が一番だ。
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大寒の千波公園・西行緑地

2023年01月27日 05時51分04秒 | 西の谷緑地公園
大寒の千波公園・西行緑地



西行緑地には3本の紅梅があり、何れも早咲き。
先日の雪にもめげず咲いています。





両脇の湧水が溜まった沼も2か所あります。
夏は葦に覆われますが、今は枯れて氷が張っています。



ラクウショウ(別名・和名はヌマスギ)の気根。
北アメリカ原産の落葉針葉高木。







竹林と樹木の剪定作業が行われています。
竹林の枯れ竹の撤去と間引きによって大分すっきりとしました。
竹の間を2m位の距離が無ければよく育ちません。
是でも少し混んでいます。







笠原水道に使用した岩樋の採掘跡、或いはコンロ用に採掘された窟が崩落した跡。湧水が氷結し氷柱となっている。
今年は厳冬により、かなり大きく連なっている。





山椿の白と赤。
咲いた後の雪で霜げてしまった。
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「不思議ワールド うつろ舟」展 @常陽史料館(水戸市備前町)

2023年01月26日 10時04分04秒 | 博物館
「不思議ワールド うつろ舟」展 @常陽史料館(水戸市備前町)
 2023年1月24日~3月19日






(地下への階段の踊り場に、彫刻家・北沢努さん制作の「うつろ舟」)

常陽史料館(水戸市備前町6-71)で「不思議ワールド うつろ舟」と題する展覧会が始まった。
「虚舟(うつろぶね)」他に「空穂舟(うつぼぶね)」とも呼ばれる架空の舟の民族伝承で、日本各地の民俗伝承に登場する。
最も広く知られるのが常陸国(現在の茨城県)に漂着したとされるものらしいが、このようなUFO話を見聞きしたことが無かったので興味津々。
本展はこの不思議な話を文献資料で紹介している。





彫刻家・北沢努さん(水戸在住)、陶芸家・田崎太郎さん(笠間市在住)や水戸芸術館の案内スタッフ (ATM フェイス)の「Face Labふぇいす・らぼ」による手作りアクセサリーなどが展示など、それぞれの空想・妄想の世界が拡大する楽しい展覧会。





「Face Labふぇいす・らぼ」による手作りアクセサリー作品や浜辺で拾い集めた貝殻など。



陶芸家・田崎太郎さん制作の「うつろ船」



養蚕信仰を伝える「金色姫伝説」の金色姫と特徴が酷似する女性が描かれた「水戸文書」



『兎園小說』(昭和女子大学図書館藏)
「南総里見八犬伝」で知られる読本作家の滝沢馬琴らが書いた奇談集「兎園小説」、11巻に「虚舟の蛮女」を収録。
鹿島神宮(鹿嶋市)の大宮司家が収集し、1987年に鹿島神宮から昭和女子大学図書館(東京都)に他の史料と移管されていた。



錦絵 「養蚕守護神衣襲明神真影」(神栖市歴史民俗資料館蔵)
神栖市には天竺(インド)の姫が流れ着き、養蚕技術をモたらしたという「金色姫伝説」も伝えられる。

*「うつろ舟」研究の第一人者で岐阜大名誉教授の田中嘉津夫氏のインタビュー映像も会場で放映されている。
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『水戸先賢烈士と其墳墓』福地徳 編(1929・昭和4年:杉雨樓書屋)

2023年01月25日 10時13分14秒 | 本・雑誌
『水戸先賢烈士と其墳墓』福地徳 編(1929・昭和4年:杉雨樓書屋)







「自序」によれば

水戸の「常磐原墓地」と「酒門原墓地」の両墓地は二代藩主の光圀より賜った先哲烈士の墓所であるが、十分なる管理がなされていないことを嘆き、墓域の清掃や保持活動、墓地の案内道標を設置するなどの活動をしてきた。
水戸に来訪する方々への手引書として、墓碑の『何々の墓、誰某撰文、何某書』を一々実地の墓碑に行き、筆写した。
先哲を敬愛する念で墓参を重ねた結果で公刊の意思はなく、自己の参考資料として記録したものと記してある。
しかしながら、これは大変な労作であり、時代を経て現在は読めなくなってしまった碑文もあるから貴重である。







巻頭の8頁に渡って立原翠軒の肖像や墓地の写真が掲載されてある。



碑文は読み下し文で記されてあるので分かりやすい。



添付されてある墓地案内図。

「常磐原墓地」と「酒門原墓地」の他に神崎寺、本法寺、神応寺、祇園寺、などの墓地についても記されてある。



水戸藩の2代藩主・徳川光圀は儒教に基づく藩政を目指した一環として寺社改革を進め1665 (寛文五)年に法令を定め移転や取り壊しを行った。
同時に、僧侶によらない自葬祭を奨励した。
さらに『文公家礼』にもとづいて喪祭儀を解説した『喪祭儀略』を頒行した
儒式(神式の要素も加味)による葬祭の仕方・墓石の大きさや形態まで規定し、簡素化を勧めた。

*著者の福地徳は現在の那珂市本米崎に生まれ「常総新聞」(後に「茨城新聞」と合併)の主筆を務めた。「杉雨」と号し、能書家としても知られた。
小鉾田市紅葉に在る「宮山楓軒頌徳碑」(昭和17年・1942) の撰文と書も担当した。
子息の一人が洋画家の福地靖だが、時には水墨画などを描くこともあり、その際の落款は父親が愛用のした「杉雨」印と朱泥を用いた。
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茨城県近代美術館所蔵作品展

2023年01月24日 07時42分30秒 | 美術館
茨城県近代美術館所蔵作品展

美術館や博物館などのテーマを決めた特別展を観に行くことが多いが、館の収蔵品を順次公開する所蔵品展を拝見するのも楽しい。
特に、東京国立博物館の本館の展示は素晴らしく、観客も少なくぶらぶらと眺めるのも心地よい。
同様に「茨城県近代美術館」1階の所蔵作品展の会場で出合った作品はアレコレと思い出す。

展示室1
日本の近代美術と茨城の作家たち 冬から春へ
2022年12月24日~2023年4月9日
横山大観・小川芋銭・中村彝など茨城ゆかりの作家の作品を中心に、春への季節を感じさせる作品が展示された。



筑波山 横山大観 〈絹本·淡彩 昭和3年(1928)〉
紫峰にかかる月とおひさま、筑波は茨城の人にとって切り離せない存在だ。



丁卯清平 小川芋銭



湖上迷樹 小川芋銭

霞ヶ浦や牛久沼も同様で、2016年山本哲士さんに案内でされ、小川芋銭の最晩年に建てられた住まいを兼ねたアトリエ「雲魚亭」(小川芋銭記念館・牛久市城中町)を訪ねた。
河童が現れてもおかしくない風景が残されている。



老子 小杉放菴
小杉 放庵(1881年(明治14年) - 1964年(昭和39年))
明治・大正・昭和時代の洋画家・日本画家・歌人・随筆家。
「老荘思想」に漠然と憧れているが「「放庵紙」と呼ばれる特別に漉かれた和紙に渇筆で描かれた放菴ならでの書・画にはその神髄があるよう。



カルピスの包み紙のある静物 中村彝 大正12年(1923) 油彩・麻布
中村彝 明治20年〜大正13年 (1887~1924)
関東大震災の後、結核を患いながらも生き延びた彝は花を中心とした静物画を繰り返し描いた。この作品を描いた翌年、彝はその短い生涯を閉じた。



椿 須田 国太郎  昭和15年(1940)



鳩舎 脇田和 昭和42年(1967) 油彩・麻布

脇田和 明治41年~平成17年 (1908~2005)
子供や鳥を主題に、簡略化した形態と中間色の柔らかな色彩で、抒情性豊かな作品はとても楽しい。花のデッサンが彫刻家・後藤清一さんのアトリエにいつも掲げられてあった。



小渓(あるいは谷間)・木村 忠太(大正6年~昭和62年)
昭和61年(1986)・油彩・麻布
フランスに長く滞在し奔放な筆遣いによる新鮮な色彩で、大胆に対象を簡略し、自ら「魂 の印象派」 と呼ぶ光の表現を追求した。

展示室2



熊岡美彦とその時代・2022年12月24日~2023年2月12日
石岡市出身の洋画家・熊岡美彦(1889-1944)は、大正から昭和の戦前にかけて官展を舞台に活躍した。熊岡作品のほか、彼に教えを受けた洋画家たちの作品などを展示。熊岡美彦/斎藤与里/森田茂/小貫綾子/斎藤久子/小又光



「追羽子」 小又 光 昭和22年(1947) 油彩・麻布
小又 光 (大正8年~昭和53年)
日本舞踊や歌舞伎など伝統芸能を題材に、踊り手が舞台で生みだす一瞬の美を追求した。大正8年 現・茨城県常陸太田市に生まれる。 昭和8年 菊池五郎に師事。昭和16年 上京して熊岡絵画道場に学ぶ。
*「白牙会研究所」での指導を終えた土曜日の午後「一楽洞」に必ず立ち寄られ骨董談義、ご自宅に何度もお伺いしたことなどを思い出す。
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「環の花」の大寒玉子

2023年01月23日 19時03分09秒 | 歳時記
「環の花」の大寒玉子

2023年1月20日(金)~2月3日(金)は、二十四節気の「大寒」。





昔、鶏は冬前に餌をたくさん食べて栄養を蓄え、冬本番になると卵を生まずにじっとしていた。そのため大寒の頃の卵には栄養が凝縮され、ほかの時期の卵と比べて1個あたりの栄養価が高かったと言わる。
そんなことから、大寒に生まれる卵は「大寒卵」と呼ばれ、縁起物として扱われるようになった。



常陸大宮の「環の花」の自然卵を味わうには、調理をしない「卵掻きごはん」に限る。子供の頃は何よりのご馳走だった。

寒玉子掻けば昭和が次々と 阿然斎

*「環の花」の自然卵は··
★大地の上で元気に育った鶏の卵
★餌は自家配合飼料と有機野菜と草
★ 黄身は昔ながらのレモン色
★ オス、メス混飼いの平飼い有精卵
※ホームページは環の花で検索してください。
〒319-2513 茨城県常陸大宮市氷之沢2899 TEL/FAX 0295-58-3412 宮永憲治
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木管5重奏 (2WE) による・新春コンサート@ギャラリーたけうち 2023年1月21日 (土) 15時開演

2023年01月22日 19時38分48秒 | コンサート
木管5重奏 (2WE) による・新春コンサート@ギャラリーたけうち
2023年1月21日 (土) 15時開演








水戸市泉町3丁目「雑貨と珈琲の店・たけうち」の2階に2022年に「ギャラリーたけうち」がオープンした。
ギャラリーと銘打ってはいるが、多目的な用途に使える貸ホールとなっている。
1月21日 (土) 15時から木管5重奏団「2WE」による第3回のコンサートが開催された。入場無料(飲み物1オーダー)ということもあり、開演の3時前には30名以上の聴衆が集った。

Programは1 ノヴェレッテ、2 冬のメドレー、3 ニュー・シネマ・パラダイス メドレー、4 スタンダード・ミュージカル・コレクション、5 人生のメリーゴーランド、6 水戸黄門のテーマ、7 サザエさん一家などクラッシック音楽の枠を超えた馴染みのある楽曲を目の前で、生で聞けたので誠に楽しい一時だった。
アンコールに答えて中島みゆきの「糸」と坂本九の「上を向いて歩こう」が演奏された。

出演者はフルートと司会:大高 章吾さん、オーボエ : 福地沙織さん、クラリネット: 馬立稔之さん、ホルン :小室 直樹さん、ファゴット: 横山 慎一郎さん他女性の方1人(お名前聞き漏らしました)何れもアマチュアの方々。
練習を兼ねての公演だったが、再演されることを期待したい。



美術展や音楽会が毎週行われるほど日程は詰まっていないが、これから数多くの方々が使用されることを願っている。
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戦後日本版画の展開-照沼コレクションを中心に@茨城県近代美術館

2023年01月20日 13時18分11秒 | 美術館
戦後日本版画の展開-照沼コレクションを中心に@茨城県近代美術館
2022年12月24日~2023年2月5日






県内のコレクター・照沼毅陽氏(1926-2021)より寄贈された作品を中心に、戦後の日本版画の展開をたどりながらその魅力を紹介する展覧会。







浜田知明《初年兵哀歌(歩哨)》1954年



棟方志功《〈二菩薩釈迦十大弟子〉より「舎利弗の柵」》1939年



浜口陽三《黒いさくらんぼ》1962年



靉嘔《グッドバイ・ムッシュウ・ゴーギャン》1973年



加納光於《「波動説」―intaglioをめぐって No.24》1984-85年



野田哲也《日記 1977年8月10日》1977年

など180点が展示された。

50年前頃に版画に興味を持った時期がある。
今はなき洋画家・福地靖さんの影響が大きい。
銀座の「シロタ画廊」水戸に在った「ギャラリー鴉屋」などによく顔を出した。
コレクターの照沼毅陽さんについての話も聞いた。
後にコレクションを茨城県近代美術館に寄贈された。
展覧会を通して何度も拝見する機会が有るのは嬉しい。
コレクションが散逸せずに多くの方々に見てもらえるのは収集家冥利に尽きることだろう。
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水戸徳川家名宝展 ―花鳥風月―」(其の2)@水戸徳川ミュージアム

2023年01月19日 21時01分42秒 | 博物館
水戸徳川家名宝展 ―花鳥風月―」(其の2)@水戸徳川ミュージアム



香之覚 徳川家康筆
上段は薫物に用いる練香 「千年菊方」の調製のための覚書き。

沈香、丁子、甲香、麝香などの香料を調合する 次第が記されている。
下段は香木に貼る香札を貼りこんである。
いずれも家康の自筆で、下段中央の香札には「東大寺」と書かれている。
これは蘭奢待の異名で、家康が蘭奢待を所持していたといわれる一つの根拠である。(水戸徳川家伝来の銘香壺には、家康御譲りの蘭奢待も納められている。)



三幅対  円山応挙筆
円山応挙 (1733-95)は現在の京都府生まれの江戸後期の絵師。
写実的な画風で知られ、現在も続く円山派 の祖。
6代治保の遺愛の品として伝来した。
㊨ 猫見鼠之図両欲執之図
障子越しに影を浮かべる鼠、それを捕らえようと睨みを きかせている猫。
㊥ 花籠牡丹蝶舞遊之図
花籠に紅白色鮮やかな牡丹が生けられ、そこに蝶が舞遊 する様子を描く。
㊧鶏家鴨卵雛貝水中遊驚図
鴨の雛が悠々と泳ぐ姿、それに驚き注視する一対の鶏。





赤楽茶碗  銘 「かすみ」  2代 光圀作  (江戸時代 17世紀)
光圀自作の赤楽茶碗で高台脇に光圀の花押が記されている。
淡い赤みの釉薬がかかった本品は「かすみ」と名付けられている。
現在確認されている茶碗の 中で光圀の自作の茶碗は本品のみ。





軍扇 梅松図 徳川家康所用
片面は青字に銀の日の丸を中央に描かれ、もう片方の面は赤地に金の日の丸、 梅と松を配している。
骨は10本あり、表裏 のコントラストが美しい軍扇。
家康の御譲り品として水戸徳川家に伝 わった軍扇は、本品を含めて4点。





采配(さいはい)徳川家康所用 桃山 江戸時代 (16-17 世紀)
采配は戦場で軍勢の指揮に用いられる武道具。
銀箔を捺した厚紙を細かく切った房、朱漆塗八角の柄には酢漿文 (カタバミ科の多年草を模ったハート形の文様)の金具と唐草文様の金銀象嵌が施されている。
家康の遺品として水戸徳川家初代頼房が受け継いだ品。



太刀 銘 「児手柏」  包永(かねなが)作
「太刀 児手柏」は水戸徳川家伝来の刀剣のなかで、宝刀の第一番目に記載されており、水戸徳川家の最も重要な刀で あった。



武庫刀纂總目錄 全23巻の卷之一 寶刀「兒手柏」

鎌倉時代の大和国(現在の奈良県)の手掻派 の刀工・包永作の太刀。
表は乱刃、裏は直刃 の珍しい刀剣で知られており、表裏の刃文が 異なる刀剣を児手柏と称するのはこの太刀 に由来する。
包永の銘を残して磨り上げ (刀剣の長さを詰めること)られた。
裏面に天正2年(1573) 銘。長69.6cm・反り2. 4cm

*水戸 家の当主の印として金扇馬標、日の丸軍 ともにこの太刀を受け継いできた、しかし大正12年(1923) 9月1日の関東大震災 で小梅邸において被災した。
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「水戸徳川家名宝展 ―花鳥風月―」(其の1)@水戸徳川ミュージアム

2023年01月15日 16時02分14秒 | 博物館
「水戸徳川家名宝展 ―花鳥風月―」(其の1)@水戸徳川ミュージアム







2023年のNHKの大河ドラマ 「どうする家康」に因んで水戸徳川ミュージアでは水戸徳川家に伝来した家康の遺品(48点が重 要文化財に指定されている)など「水戸徳川家名宝展 ―花鳥風月―」展が開催されている。



碁盤(銘 舞葡萄)徳川家康所用
豊臣秀吉が愛用し、 徳川家康との対局にも使用したと 伝えられる碁盤である。
「舞葡萄」の銘が示すように、 盤面に浮き出た葡萄の房のような模様が美しい。 材質は榧の根でたっぷりとした厚み、太くて短い脚が桃山時代の様式を伝えている。「駿府御譲品」として水戸徳川家初代・頼房 が譲り受けた。

四字一行書 「花鳥風月」徳川家康筆
徳川家康の直筆の書、 水戸徳川家に伝来した。
薄く具引した素紙に四字一行 「花鳥風月」と書した。
手習い作と みられているが、本書と同様のものが将軍家にも伝来している。
武人でありながら茶人のような風雅さがある。
今回の展覧会のタイトルに引用されている。



金小札緋緘具足 徳川家康所用
水戸徳川家に家康の御譲品「代々様御譲 「緋威具足」 明珍信家作の 具足。

六十二間筋兜、 前正中に「神武不殺」の文字が金象嵌され、鍬形に青龍の前立、靴は五段下り、鉢裏に「享禄四年辛卯二月吉日 明珍(花押) 」の銘がある。
胴は二枚胴、草摺は七間五段下り、籠手には梨子地雷龍文蒔絵、臑当には梨子地雲鯱文蒔絵が施さ れている。
征夷大将軍らしい金色の華麗な具足。



「紫羽二重地桐紋繡取羽織」(重要文化財)
表裏ともに紫羽二重、中綿入り。前後5箇所に変わり桐紋が金・ もえぎ 萌黄・白など6色の色糸で繍い取ってある。
鎧の上から羽織るため普通の袖よりも広めに、1か月限定展示。
ほかの服飾類と合わせて48点が重 要文化財に指定されている。





白天鵞絨地陣羽織(重要文化財)
元和2年(1616) 徳川家康が薨じた際、御三家を中心に分与された遺品の「駿府御分物」



印籠3件
「水戸黄門漫遊記」により印籠は日広く知られるが、印籠は古くは印や印肉を入れる携帯用の容器であったが、江戸時代には薬類を 入れるようになった。
印籠の左右の紐穴に緒と称される紐を通し緒・根付と称される部分を付けて、帯にはさんで使用した。
㊧楽器蒔絵印籠 (徳川家康所用)
雅楽の装束や楽器が蒔絵された優美な印籠。
水晶の飄型根付が付属している。

㊥黒地葵紋金蒔絵印籠 (2代 光圀所用)
黒地に家紋を金蒔絵した最高の格式の印籠。

㊨黒地岩木犀蒔絵印籠(所用者不明だが歴代の藩主の何方かであろう)
岩上に立つ木犀を蒔絵にした印籠。
象牙に菊花が透彫された根付が付属している。



太刀 ・銘 備前口村 (号 八丁念仏) 刃長 79.7cm
作者については未詳。銘の切り方から平安時代の作、古備前の刀と考えられている。 細身の姿が美しい太刀。
八丁念仏の銘は、切られた人が八丁 (約 900 メートル) ほど念仏を唱えて歩いて、そこで息が絶えたという由来から命名されたと考え られる。

*大正12年(1923)9月1日、関東大震災で被災し光を失ってしまった水戸徳川家伝来の「享保名物帳」に記載される「名物」と呼ばれ、168振の名刀を所持していたことでも知られている。
その中にはオンラインゲーム「刀剣乱舞」によって広く知られるようになった
「燭台切光忠」と新たに加わったのが「八丁念仏」。
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関東鉄道竜ヶ崎線@竜ケ崎市

2023年01月14日 18時57分36秒 | 
関東鉄道竜ヶ崎線@竜ケ崎市





JR常磐線龍ケ崎市駅(旧・佐貫駅)で乗り換え関東鉄道竜ヶ崎線・佐貫駅から竜ヶ崎駅へ。
全長4.5キロメートル、途中駅・入地駅を含めて3駅を片道7分で結ぶ短距離路線だが茨城県では最も古い私鉄で、明治33年(1900年)に開通した。





関東鉄道竜ヶ崎線・竜ヶ崎駅から東に2km位続いている本町商店街を往復した。閉店してしまった店も多いが、江戸時代以前から商業都市として栄えたと言われる面影が残る。
戦後「流通経済大学」の開学や「竜ヶ崎ニュータウン」造成により人口が増加しているが、昔からの商店街は衰退してしまったようだ。
6国道の西側に在る「牛久沼」は河童伝説と鰻で有名だが、隣の牛久市ではなく竜ケ崎市の北西部に位置していることはあまり知られていない。
牛久沼は多くの観光資源が有るのに。



八坂神社



ひときわ目立つ、当時の豪商「小野瀬家」の店舗兼住宅(国の登録有形文化財)



龍泉寺観音堂



友人のEさん達が街おこしの事業として始まった「龍ケ崎コロッケ」を食べながら街歩きをしたい、思ったのが竜ケ崎訪問の理由なのだ。
しかし、成人の日の翌日ということで、商店街がほぼ閉まっていた。
やっとたどり着いた「服部精肉店」では「もう火を落としてしまった」とのことで、残念ながら食べることは叶わなかった。
「宇都宮餃子」を始め、ご当地グルメがブームとなったが伝統的なものより街御輿しとして創られたものが多い。
いかに、それを盛り上げるかの手法に依って、明暗が分かれる。
新住民のEさん達の努力が実って賑わったが、その後は永続できなかった。
問題は大いにしても、商店街や市役所の人達の連携が上手くゆかないことに原因がありそうだ。





土浦で途中下車し「吾妻庵総本店」(土浦市中央1-6-11)に。
創業140年余、大正時代の建築は外観・内装ともに風格がある。
水戸の「吾妻庵」は高校時代からの馴染みの味だ。
直接の関連はないようだが、ルーツといえる店の蕎麦を試してみたかった。
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高崎城址公園・高崎市役所

2023年01月13日 10時14分00秒 | 
高崎城址公園・高崎市役所







烏川のほとりに1598年に井伊直政が築城したとされる高崎城。
城郭建造物は既に失われ、現在は三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残っている。
堀の周りには桜が植えられ花見の名所だが、真冬の今は枯木立。
21階の市役所や群馬音楽センターなど公共施設が多く並ぶ。





高崎市役所1階ロビー
気軽に立ち寄れる雰囲気がある。
名物の達磨が飾られていた。





直行エレベーターで21階展望ロビー
望ロビーからは上毛三山などが一望。



昭和11年に建立された白衣観音(高さ41.8メートル、重さ約6,000トン・建設当時は東洋一の大きさを誇ったといわれる)を拝むことが出来る。





東側に広がる商業都市のビル群。
街の規模としては水戸よりかなり大きい。



「群馬音楽センター」は群馬県を代表する文化施設の一つ。
建築家アントニン・レーモンド(1888年-1976年)の設計で、1961年に竣工した。2019年9月まで群馬交響楽団の本拠地でもあったが、老朽化により現在は使用されていない。
上から見た幾何学的な屋根の形状など、名建築であることが一目だ。



城郭の建造物は殆ど失われたが、乾櫓・東門がわずかに残されている。



高崎市内には7か所の自転車駐車場があり、そこに何台かの貸自転車が用意され借りることが出来て、料金は無料。
この日は寒く、風も強かったのと再訪を予定した「高崎市美術館」「旧井上邸」が連休の上りで火曜日が閉館で、残念ながら駅と市役所の往復にとどめた。



「高チャリ」は高崎駅西口を中心に、自由に乗降できる無料の貸し出し自転車。 市街地内に設置された16カ所のサイクルポートで150台の自転車を 借りることが出来る。ハンドル脇のバスケットにヘルメットも用意されてある。

*宇都宮に続いて群馬の高崎を訪れた。
宇都宮・高崎は水戸より人口も多く県の中核都市で経済規模も大きい。
日頃、自転車で移動しているので他所の街でもレンタサイクルを利用する。
両都市に比べ水戸の駐輪場の設置並びに歩道・自転車通路など・貸自転車のシステムなどにおいて各段に劣っていることを痛感した。
水戸は大型プロジェクトで市街地の再興を図っているが、地に着いた街づくり以外に妙手はない。
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