牧野藩下屋敷の一部を使用の民家@笠間市大郷戸
「笠間ぶらぶら」その3
廃藩置県で民間に払い下げられた牧野藩下屋敷の一部を使って建てた富田家。
木造平屋建て124坪、欅と檜木を使用した豪壮な建築。
沢山部屋が在る中、下屋敷だった部分は床の間、中の間、次の間の3部屋。
案内してくれた大和田さんは、子供の頃に何度も訪れた。とのことだが、生憎、所有者が不在であった。
残念ながら、内部は拝見できなかった。
斜面から流れ出る湧水による池のある庭。
往時の華やかさが偲べる。
奇妙な形の燈籠があった。
この家の山側、500m位の所に、高野公男の生家が現存。
所縁の方がお住まいらしい。写真は撮りませんでしたが。
驚いたのはこの屋敷の直ぐ近くの「竹江家」住宅。
あたかも「豪族の御殿」と云う感じに見える。
この様な屋敷が現存しているのか、と驚いた。
塀や門、屋敷内まで見事に美しく管理されていた。
●笠間は笠間氏が鎌倉時代初期からの領地。
その後、幾多の大名の所領となるが、江戸時代中期より明治まで《延享4年(1747)-明治4年(1871)》牧野家が領有した。
佐白山の麓にある山麓公園は江戸時代「下屋敷」と呼ばれていた。
笠間城の下方にあたるのでそう名付けられ、笠間藩の役所と藩主の居宅を兼ねて御殿があった。
「笠間ぶらぶら」その3
廃藩置県で民間に払い下げられた牧野藩下屋敷の一部を使って建てた富田家。
木造平屋建て124坪、欅と檜木を使用した豪壮な建築。
沢山部屋が在る中、下屋敷だった部分は床の間、中の間、次の間の3部屋。
案内してくれた大和田さんは、子供の頃に何度も訪れた。とのことだが、生憎、所有者が不在であった。
残念ながら、内部は拝見できなかった。
斜面から流れ出る湧水による池のある庭。
往時の華やかさが偲べる。
奇妙な形の燈籠があった。
この家の山側、500m位の所に、高野公男の生家が現存。
所縁の方がお住まいらしい。写真は撮りませんでしたが。
驚いたのはこの屋敷の直ぐ近くの「竹江家」住宅。
あたかも「豪族の御殿」と云う感じに見える。
この様な屋敷が現存しているのか、と驚いた。
塀や門、屋敷内まで見事に美しく管理されていた。
●笠間は笠間氏が鎌倉時代初期からの領地。
その後、幾多の大名の所領となるが、江戸時代中期より明治まで《延享4年(1747)-明治4年(1871)》牧野家が領有した。
佐白山の麓にある山麓公園は江戸時代「下屋敷」と呼ばれていた。
笠間城の下方にあたるのでそう名付けられ、笠間藩の役所と藩主の居宅を兼ねて御殿があった。