「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

世界の歩き方講座~行ってみたい!ヨーロッパの最も美しい村~ 写真家・吉村和敏講演会@水戸市国際交流センター

2023年11月26日 12時55分50秒 | 講演会
世界の歩き方講座~行ってみたい!ヨーロッパの最も美しい村~
写真家・吉村和敏講演会@水戸市国際交流センター
2023年11月25日(土)14:00~16:00






11月25日(土)14:00~16:00まで、水戸市国際交流センター3階ホールで写真家・吉村和敏さんによる「ヨーロッパの最も美しい村を巡る旅」の講演会が開かれた。
「ヨーロッパの最も美しい村を巡る旅」は1982年に「フランスの最も美しい村」協会が一つの村の村長の呼びかけで誕生したことに始まる。
美しい景観を後世に伝えたい、小さな村の観光を促進したいとの願いで設立された組織で、現在156村が認定されている。
その後、ベルギー、カナダ、イタリア、日本、スペインにもネットワークが広がった。









吉村さんは5年間をかけフランスの全村を訪れ、カメラに収め写真集を発刊した。その後、フランス・イタリア・ベルギー・スペインの全村を踏破し写真集を刊行している。
若い人たちが旅の楽しさを知り旅に出かけることを願って出版されたとのことだ。
今回は「特に記憶に残った村」の写真をスライドで紹介しながら旅の楽しさを語った。
都会を離れた街道の果に、中世の街がそのままの残っている村も多いこと。







どんな小さな村にも必ず地元の食材を使用した美味しく安価なレストランが必ず在ったとのことなど、日本とは異った環境はうらやましく感じた。
当時は円高で航空運賃やホテル代も安い時代で旅するには最高の時代であったといえる。
私も1990年代から2010年頃まで、主にはイギリスのロンドン近郊の街を旅した。特に素晴らしかったのはカントリーサイドでパブを兼ねた宿屋がどこにも在った。パブ巡りは大きな楽しみで、今でもときおり思い出す。
97・98年の中国の雲崗・竜門などの仏教遺跡巡りも思い出が深い。
リタイア後はタイにショートステイ、を考えた時期もあったが実現できなかった。フランス周遊・中欧、東欧、ギリシャ・トルコ、スペイン、イタリアなど毎年のように旅することが出来た。
若い頃に憧れたサンフランシスコも何度か訪れることが出来たのも良い思い出。
たった一度だがニューヨークに旅し、美術館巡りしたのが懐かしい。
ここ数年、コロナ渦で旅する心も機会も失われてしまったが、「旅は人生・人生は旅」その思いは変わらない。
ボチボチ旅を再開したが海外まで足を延ばすのが億劫になってしまった。年齢的な要素もあるし円安になって海外旅行が難しい状況になってしまったこともある。しかし、この講話を聴いて「海外への旅心」が目覚めた。
来年は海外への旅を考えてみよう
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長久保赤水資料群・其の2@茨城新聞みと・まち情報館 その他の遺墨などを読む

2023年09月28日 21時28分51秒 | 講演会
長久保赤水資料群・其の2@茨城新聞みと・まち情報館
その他の遺墨などを読む




赤水肖像幷家訓

この肖像画には「雪旦写」と落款がある。
雪旦といえば、長谷川 雪旦(1778- 1843・江戸時代後期の日本の絵師)だが、」時代も若干ずれているので、長谷川でないとすれば、地元の画家であったと思われる。
上段に自筆で書かれた家訓は、子孫が行うべきこと・行ってはいけないことなど述べている。
天明六年丙午十二月望 
水戸藩侍講 長久保玄珠 行年七十書
とあり、赤水70歳の自筆。

侍講とは字のように、藩主のお側近くに侍はべり、書物などを講ずる役である。
江戸の水戸藩上屋敷に常住し、殿様ばかりでなくその弟や若殿、また御家老から一般の侍まで教える教育係で多忙であった。貴重な資料に接する機会も貴重だった。
「百姓御殿へ上がり候事は先例これ無く、始めての事に候」と郡奉行皆川教純が記す、水戸藩では赤水が初めてのことであった。
葵の紋が入った着物と羽織を与えられた姿は誇らしく感じられる。



「赤水図」
立原杏所・任(画家・立原翠軒の長男)翠軒宅で描いた赤水の肖像画
木村 謙次(1752年- 1811・江戸時代後期の水戸藩の学者、探検家)賛
立原杏所は水戸藩に所縁のある人物の肖像画を何枚か描いているが、何れもその人となりを想像できる素晴らしい作品だ。

大日本史地理志編纂の特命
侍講を勤め上げ70歳で隠居格ともなれば、お役御免だが、藩主からは養老の料として七人扶持、宍戸藩主からも三人扶持を賜わり、藩主からは「大日本史地理志」の編集に従事するよう特命が下った。
息子たちが故郷に帰るよう手紙を出したのに対し、「地理志は、我等一命を懸て君侯御直之御仰を守り(中略)に死候までも其朝迄は、地理志の筆をとりて死申事を本意と存候」と返事した。

藩主からの意向は杏所を通じて行われ、肖像画が贈られた。

*木村 謙次(1752年- 1811)
常陸国久慈郡天下野村にて、農家の4男として生まれる。
立原翠軒から儒学を、吉益東洞からは医術を学んだほか、農政学にも通じていた。34歳のときに松島・仙台を旅したのち、奥羽地方や蝦夷地を何度も調査した。1793年(寛政5年)、水戸藩の密命を受けて松前を調査し、報告書『北行日録』を仕上げた。当時の奥羽や蝦夷地の状況を知る好史料となっている。
江戸では大黒屋光太夫関連のロシア情報を収集して『江戸日記』を執筆した。





杉田雨人 1934 『長久保赤水』杉田恭助

この文を書きかけているときにYさんから「Gさん宅にお伺いしませんか」とのお誘いがあった。
Gさん宅の母屋で天ぷらそばをご馳走になり、久しぶりに浮世話をした。
帰りしなに書棚に『長久保赤水』(杉田雨人 1934)を発見。
奇遇なことに驚く。90年前に評伝が刊行されていたのだ。

評価の高まる長久保赤水だが、知れば知るほどに奥深い。
連続講座(全3回)の第3回は9月14日(水)の午前10時半から正午まで、水戸市南町の茨城新聞みと・まち情報館で開催される。
講師は長久保赤水顕彰会の佐川春久会長。

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長久保赤水資料群・其の1@茨城新聞みと・まち情報館

2023年09月26日 19時42分08秒 | 講演会
長久保赤水資料群・其の1@茨城新聞みと・まち情報館





長久保赤水(1717~1801年)の生涯と功績を学ぶ連続講座(全3回)の第2回が9月14日(水)の午前10時半から正午まで、水戸市南町の茨城新聞みと・まち情報館で開催された。講師は長久保赤水顕彰会の佐川春久会長。





参加者全員に配布された『国の重要文化財指定記念誌・長久保赤水資料群』
この本を資料に佐川春久会長が解説された。

1.いったい何者?江戸時代の地図男!長久保赤水

遠祖は九州の大名大友家の流れを汲み、現在の静岡県駿東郡長泉町を領して長久保城主となり、長久保氏を称したとされる。
北条氏に攻め落とされ、東に逃げ、現在の高萩市赤浜に定住し代々農業に従事し庄屋となる。



長久保赤水像・自画自賛 赤水自筆
藩主から葵の紋の衣服を賜った。

11歳で天涯孤独となった赤水。
農作業をしながら寸陰を惜しんで勉学に励む。
かの有名な二宮金次郎に先駆け、書を懐に農作業に勤しんだ。
書籍・師・学友・旅人などから多くを学ぶ。
多くの書からミクロ的、マクロ的な複眼の視点をもって多くを学んだ。

2.『赤水図』の原稿を読み解く
長久保赤水は35歳の頃から日本地図の構想を始めた。
全国の絵図(模写図)や天文図は個人では見ることが出来ないので、水戸彰考館の図書係、立原蘭渓・翠軒親子や名越南渓、水戸藩の天文家であった小池友賢の指導を受け自らも天文書の研究をした。



ポルトラーノ型日本図草稿
海図を元に緯度経度による日本全体の正しい地形を描写した。
現地での測量を中心とした伊能忠敬と違って、赤水は文献から正確な図面を作成した。



『飛騨国図』
赤水の手書き図で国名の由来など地誌的記載もある。
『瀬戸内船路及び西国街道図』など船路の図もある。

3.中国地図の手書き原稿を読む



『三国鼎峙図草稿』 (唐土歴代州郡沿革図)
35.3 x 38.8cm 高萩市歴史民俗資料館所蔵 (長久保甫氏 寄贈)
和紙に極彩色で、『唐土歴代州郡沿革図』中国・ 三国鼎立時の手書き原稿、
中国に関する資料も多い。



『朝鮮興地之図』朝鮮半島の絵図
中川氏蔵本写、と表紙に書かれており、長崎奉行の中川忠英が作成した地図を赤水自身で書写した。唐通時(中国語翻訳官)を動員して清の江南や福建などから来た商人から聞き、これらを図説化した。当時は情報を図に書き込むのが普通の方法だった。



マテオ・リッチの6枚図を長久保赤水が1枚図にまとめた世界地図を読む。
地球を球形としてとらえ、平面の地図を立体的に表した地図。

経緯線・山川・湖沼・都市・島なども記されている。

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競馬で世界を駆け抜ける@水戸市国際交流センター3F

2023年08月26日 22時57分27秒 | 講演会
競馬で世界を駆け抜ける@水戸市国際交流センター3F
8月26日(土)14時~16時






水戸市国際交流センター主催の「競馬で世界を駆け抜ける」と題する講演会が開催された。講師はメディアプロデューサーの入江たのし氏。
登壇時に赤のボーラーハットを被って登場。
山高帽とも呼ばれるがチャールズ・チャップリンが愛用し、トレードマークともなった帽子で、アメリカではダービーハットともいうほどに、競馬とは繋がりがある。



公演前のスクリーンには歌手のトニー・ベネット(Tony Bennett)の映像とBGMには歌声が流れている。
今年7月に96歳で亡くなったアメリカのレジェンド、僕の大好きな歌手だ。
講演の合間の休憩時間に関連を伺うと、ご自身がアメリカの競馬場で撮影されたとのこと。
歌手・俳優で競馬好きは多く、ビングクロスビーは競馬場を所有していた。









イギリス・香港・アメリカ・アフリカ、世界の競馬場の様子や馬券売り場のことなど、話は多岐にわたった。



パンフレットや馬券に関する資料なども手に取ってみることが出来た。
休憩をはさんで約2時間、楽しく意義ある講話だった。

●入江たのし(メディアプロデューサー)大阪府出身。
学生時代から音楽関連の記事を中心に執筆活動を始め『ポパイ』編集部を経て『Olive』創刊に携わる。ニッポン放送入社。「オールナイトニッポン」で中島みゆき、サンプラザ中野、デーモン小暮閣下の番組を担当。ニッポン放送退社後は、ラジオを中心に番組制作で活躍。
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「知られざる郷土の偉人・長久保赤水」@茨城新聞みと・まち・情報館

2023年06月16日 12時59分45秒 | 講演会
「知られざる郷土の偉人・長久保赤水」@茨城新聞みと・まち・情報館
講師・長久保赤水顕彰会佐川春久会長





日本の地図を作った人物として、よく知られているのは伊能 忠敬(1745- 1818)で、寛政12年(1800年)から文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量、『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。今の千葉県佐原の人で現在も屋敷が保存されており、近所に博物館もある。
今回の講演会は長久保赤水顕彰会の佐川春久会長が「伊能忠敬より42年前に茨城県高萩市赤浜に生まれた長久保赤水は測量を出来なかったが、絵図などの情報により山川道路、主な町村などの情報や距離方向などほぼ正確な絵図であり地誌であった。」と多くの資料と復刻された絵図を元に話された。



「改正日本輿地路程全図」安永8年(1779)初版発行。発行は大阪。
寸法は、84×135センチメートル。縮尺は10里(約40km)を1寸(約3cm)とし、約129万6千分の1の縮図。方位盤は12個。墨1色と6色刷りのカラー版があった。
実測による伊能図は国防上の機密であったが、赤水図は江戸時代において実用性に優れた絵図だった。



常陸の国を中心とした部分。
詳細な情報が詰まった地図であり地誌だ。



関連の図書が沢山刊行されているが『長久保赤水顕彰会創立30周年記念誌・江戸時代後期の巨星・長久保赤水』が参加者に無償で配布された。



長久保赤水の肖像(立原杏所筆)





水戸証券の1階ロビーに展示された拡大図(ビニールシートにプリント)
上で図面を確かめると、多くの情報が刻まれているかが実感する。





長久保赤水の業績の一端に触れることが出来た。
近年、業績が見直され手評価が高まっているとのこと。
関連図書や映画YouTubeなども沢山あるようで、見てみたい。

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香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~

2018年12月20日 21時39分22秒 | 講演会
香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~



日時:平成30年12月15日(土)13:30~16:30
場所:常陸大宮市文化センター小ホール



シンポジュウムは2部構成で。【基調講演】「香川敬三の足跡をたどる」
講 師:皇學館大学 文学部 国史学科 特別教授 上野 秀治氏。
「皇學館大学」が所蔵する豊富な資料に拠って香川敬三の履歴について説明された。




香川敬三(1839-1915)は現・常陸大宮市下伊勢畑の出身で、藤田東湖の門人となり尊攘運動に身を投じた。
文久3年(1863)に藩主に従って上洛するが脱藩し隠棲中の岩倉具視の知遇を得る。其の後は倒幕運動に身を投じ、戊辰戦争においては具視の子具定が務める幕府討伐の軍監となる。
明治3年(1870)に宮内省に採用され、翌年秋には岩倉使節団に随行し欧米を視察した。
多くの志士と同様に小林彦次郎という変名も使用したが、明治6年以降は香川敬三と名乗っている。

明治4年、皇后宮大夫とおして近侍し、大正期には皇太后宮大夫となった。
死去する大正4年(1915)に伯爵、従一位に叙せられ、水戸藩出身者では数少ない栄達を遂げた人物ながら地元でもあまり知られていない。

休憩後
【講演】「香川敬三と茨城の近代」
講 師:茨城県立歴史館 史料学芸部 主任研究員 石井  裕氏




①香川敬三と明治の水戸藩士
禄を離れ経済的に困窮していた旧水戸藩士に対し就職のあっせんや金銭的な援助の手を差し伸べた。

②香川敬三と「大日本史」
水戸家は財政上の問題で「大日本史」の完成と出版をあきらめていたが、水戸徳川家の評議員であった香川の財政的な援助によって完成に至った。

③香川敬三と田中光顕
旧土佐藩士であった田中光顕と香川は盟友で、共に旧水戸藩士の顕彰に尽力、昭和4年(1933)「常陽明治記念館」を設立した。
*天狗党忠魂碑・諸政党慰霊碑を建立、両派の和解に努めた。

④香川敬三の娘・志保子
英国に留学した娘の志保子は英語通訳と洋装を担当する女官として、父と共に明治天皇の皇后(昭憲皇太后)を長く支えた。




●幕末から明治にかけて、水戸藩は尊王攘夷運動を展開する中で改革派と門閥派(天狗と書生)が対立し内部抗争に明け暮れた歴史がある。
結果として、明治の新政府において活躍した人は数少なく「薩摩警部と茨城巡査」と言われる状況が続いた。
旧水戸藩士ながら、明治政府で活躍した稀有な人物を全く知らなかったのだが、2017年5月に開催された「Tabi-ぶらin常陸大宮辺り」に参加の後藤一彦さんが旧川番所の「聴水庵」に立ち『この辺りから香川敬三は水戸に下ったのだろうね』と対岸の伊勢畑を望む那珂川の川岸で、感慨深そうに話されたことがきっかけだった。
その後、香川敬三について知る機会がないままに過ぎたが、「香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~」に後藤さんと一緒に出席することが出来たのも何かの縁だろう。


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シリアの話@水戸市国際交流センター

2017年11月01日 17時23分01秒 | 講演会
シリアの話@水戸市国際交流センター



水戸市備前町の水戸市国際交流協会では国際交流に関する多くの催しが開催される。協会が主催する他に関連団体の企画も多い。



10月29日(日)13:30~16:00、メサフレンドシップ主催の「ナヘード・アルメリさんが語る~シリアの豊かな歴史・文化・自然そして人々の生活~」
が開かれた。

「メサフレンドシップ」は、茨城県水戸市をベースとして県内で活動を展開している国際交流のボランティアグループ。
英語によるディスカッション/各国からのゲストアワー/各国料理教室/
日本語学習を希望する外国人への日本語指導支援など幅広い活動を展開している。



ゲストのナヘード・アルメリさんはダマスカス大学にて日本語を学び2011年に来日。筑波大学大学院に在学中、文学を通して歴史や文化を学びたいと考えており、大正時代の文学者「金子みすゞ」をテーマとしているとのこと。



シリアは、中東・西アジアの共和制国家。



北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。

古代都市ボスラ・パルミラ遺跡 ・古代都市アレッポなど、ユネスコの世界遺産のリストに登録されているシリア国内の文化・自然遺産。
2013年に、シリア情勢の緊迫化などを理由にその時点で登録されていた6件の世界遺産すべてが危機にさらされている世界遺産(危機遺産)リストに加えられた。

イスラム教徒86%、キリスト教徒13・5%、その他がユダヤ教徒など。
アラビア語は28文字、地方によって異なるにしてもアラビア語が世界中で通用するらしい。
食事はパンの様なものとオリーブが主なものらしい。

内戦状態でかなり危険と思うが、さほどでもないという話には驚いた。

詩や歌など文学を好む民族で、家族が集まれば詩を朗読し歌を唄うとか。



講演の後の懇親会、
メサフレンドの会員が手作りしたシリアのお菓子「バスブーザ」がふるまわれた。ココナツミルク風味のケーキだった。


まるで縁のない中東の世界、いくらか理解が深まったが未知の世界だ。

『世界でもっとも夕陽が美しい』とも言われるパルミラ遺跡。
ローマ帝国支配時の都市遺跡で、その名前もギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」からとられたと言われる。

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茨城県の「なつかし映像228件」公開

2015年08月28日 16時49分34秒 | 講演会
茨城県の「なつかし映像228件」公開





県は1948(昭和23)年から50年間に制作した映像ニュースと記録映画をデジタル化する作業、全228ファイル(計約42時間分)を終えて8月13日から「YouTube」で閲覧できるようになった、と報じられた。

茨城県立図書館の視聴覚室から16mmFILMを借り、何度か上映会をしたことが有る。貴重な映像なので、デジタル化して手軽に観られるようにならないかと思っていただけに嬉しいニュースだ。

8月25日に水戸生涯学習センター(旧県庁舎)で開催された「なつかし映像タイムトラベル」で公開された映像はそれらの作品のDVD。
DVDも借りることが出来るにしても「YouTube」でいつでも見られるのは便利だ。

視聴したのは8月25日、茨城県水戸生涯学習センター(旧県庁舎)で「なつかし映像タイムトラベル」と題した上映会と講演会。



主催者:水戸生涯学習センターの寺門 義典さんの挨拶。
寺門さんは、映画のことなら何でも任せての、貴重な人材。
主催される上映会を楽しみにしている。
今回も有難うございました。



茨城大学教育学部教授:島田裕之さんの講演がとても理解を深めてくれた。
表現者としての島田さんの作品を観る機会は多いが、大学教授としてのメデア論を聞くことはめったにない事、勉強になりました。

①フィルムとデジタルの特性。
温度・湿度を一定に保てばフィルムも永久保存が可能。
デジタルデーターは不安定。
デジタル技術では追従できない、映像の細かさ階調が記録されている。
デジタル化によってオンデマンドやネット公開が可能に。

意外に感じたのは、
8㎜フィルム=DVDの画質相当
16mmフィルム=2K(フルハイビジョン)の画質相当
35㎜フィルム=4Kの画質相当

②記録とドキュメンタリーの相違点。
記録映像を再構成して、何んらかの主張をした作品。
ドキュメンタリーと云われると、手を加えない記録のような錯覚をしてします。

家に戻って早速検索。
「なつかし・いばらき」で検索すると一覧表が有り、観たいものをクリックすると「YouTube」にリンクする。

再度見たいと思っていた「ふるさとの美第2部人と作品」( 昭和47年度 ・49分・県出身の優れた美術家9人を紹介したもの、)を観ることが出来た。
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山崎一希さん@アルベトレッペサロン

2015年05月20日 20時26分00秒 | 講演会
山崎一希さん@アルベトレッペサロン



第53回「アルベトレッペサロン」が5月19日18:30~水戸市国際交流センター 多目的ホールで開催された。
「有るべ・採れっぺ」と言う茨城弁を「アルベ・トレッペ」イタリア風の横文字にして、茨城の良さを世界に発信しようとするグループ。
多様な活動をしているらしいが、月に1度ゲストを招いての講演会は大きな柱。
開催はFB(フェイスブック)を通して連絡され、興味や都合がつくときに出席すればOK、で縛りが無いのが《自由なサロン》



第53回は、元茨城放送のディレクターで4月から茨城大学の広報室にはいられた山崎一希さん。
「My Favorite Things」題して生い立ちから現在に至る体験と活動を話された。パワーポイントを駆使して、約1時間半の講演は生き生きとしていた。

山崎さんとはイベントなどで顔を合わせたことが数回ある程度で、考えをお聞きしたいと思っていたので良い機会を得た。

山崎さん並びに「アルベトレッペサロン」の運営に関わっている皆さまに感謝
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「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛さん、講演会。

2010年08月03日 11時27分21秒 | 講演会
「ツキを呼ぶ魔法の言葉」五日市剛さん、講演会。

石坂洋次郎記念館を後にして、眞壁さんのご自宅に向う。





石坂洋次郎の旧居

記念館の辺りは、旧藩士の屋敷が在った場所だ。
訪ねたことが無いから比較できないが、角館の武家屋に劣らない雰囲気を感じる。
まもなく、眞壁さんのご自宅に着いた。
シャワーを浴び一休みしてから、横手セントラルホテルに向う。
6時から眞壁さんが副会長を務める「横手倫理法人会」の10周年記念行事に出席する。

式典は会員のみだが、記念講演会は一般の人も参加が可能。
300人ほどの参加者が詰め掛けて、会場は熱気に溢れている。

記念講演会の講師は五日市剛さん。

専門は大型掘削機械の設計・製造や材料工学が専門の工学博士。
大学院生の時代、イスラエルに旅して出会った婦人との体験談を知人の家で紹介。
その話しが勝手にテープ録音され、原稿のコピーが全国に出回り、冊子となった。
本人の知らない間に全国に出回り、100万部を突破し大きな反響を呼んだ、とのことだ。
その様なことで、月に1度程度位、講演をされているようだ。

学生時代は落語研究会に所属していたとのことで、駄洒落を連発。



多くの事例を話されたが、僕が共感したのは瀬戸内寂聴との対談の一部。

『恨みや怒りはすぐに伝えないで一晩寝かせること。一晩晩寝かせると、感情は薄れます。言わないでよかったということが多いはずですよ』

酒を飲んだ時、感情の起伏が大きくなって言い過ぎ、訳分らないことがある。
翌日、後悔しても後の祭り、肝に銘ずべきことだ。



懇親会で挨拶する眞壁副会長。

講演会終了後、懇親会があり、そちらも参加させていただいた。
東北の方は純朴で親しみやすい、との印象があるが、その通り。
優しく接していただき、昔からの友人同士に思えた。

会員の皆様、有り難う御座いました。

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