「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

山上鎮夫さんの世界《Tabi-ぶらin常陸大宮辺り・その3》

2017年05月25日 13時27分49秒 | 山上鎮夫
山上鎮夫さんの世界《Tabi-ぶらin常陸大宮辺り・その3》












今回のTabi-ぶら「御前山、聴水庵あたり:自然を愛でて、美を愛でて」は棚田を巡りで里山の風景を眺め、梅原尚美さんの点てたお茶を戴きながら、山上鎮夫さんの描かれた水墨画を通して、自然を愛した山上さんの世界を多くの方に知ってもらいたい。と山本さんが僕に話す機会を与えてくれた。

お茶を戴きながらの短い時間では充分ではなかったが、那珂川に岬状に張り出した川番所跡の「聴水庵」流れを見おろし、対岸の雨に煙る山々は正に山上さんお世界で、説明の必要も無い場所だった。

山上鎮夫(1897-1993)さんの略歴を紹介。
眼科医で骨董・古美術収集家として知られたが、クラッシク音楽の愛好家、山歩きを好み、絵を描き、俳句や陶芸にも親しんだ。

自然を愛し、山川を題材とした絵も良く描いた。

津山藩の藩医の子孫で、藤田嗣治は母方の従兄弟と言う血筋も影響していたのかもしれない。85歳頃にピアノを購入、独学で即興演奏を楽しむ多才な粋人であった。




コレクションの写真集・私家版『古陶小集』のページから。



別冊太陽『101人の古美術』平凡社・1998年、にも掲載されている。



手紙や新聞記事など。



奥の埴輪は山上さんの手作り。
古代の風格が感じられる。





絵画展を開いた際の図録。











絵を観ながら、それぞれの感想を話し見解を述べる愉しいひと時でした。










気に入った作品はお持ち帰りいただき、後日、各自が額装されて飾られるようにお願い致しました。

画を希望の方がいらっしゃいますれば、高橋までご連絡ください。


これらの写真は中川 宗右衛門さん、久保田 直子さん、山本 哲士さん、梅原 尚美さん、栗田 健史さん、撮影の写真が含まれています。

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やまぼうし花の曼荼羅雨に垂る 山上雑林子

2015年05月18日 22時19分13秒 | 山上鎮夫
ヤマボウシ@偕楽園



金沢の兼六園、岡山の後楽園、水戸の偕楽園を日本三名園と云われる。
偕楽園は梅ばかりでないのに「梅」の印象が強いのか、或いは「梅の都」の宣伝をし過ぎなのかは分からないが、観光客は春先に集中してしまう。

兼六園や後楽園はそのような事はなさそうだ。
偕楽園は梅林ばかりでなく多くの樹木が植えられ、四季折々、様々な花を咲かせる。

千波湖から偕楽園に至る高架橋を渡るとヤマボウシが咲いている。



山地に自生ししているが、白い花が上を向いて咲くから、少しばかり目立たない。
雨に打たれると枝が下がって、花の存在が良く分かる。
この花が咲くと、梅雨も間近との感がある。

骨董の先達、山上鎮夫先生の句集『露霜』(昭和55年5月)の中には

やまぼうし花の曼荼羅雨に垂る
雨に垂る花やまぼうし手のとゞく
雨しづか花やまぼうしくれてゆく
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桜といえば山桜

2014年04月09日 19時56分13秒 | 山上鎮夫

山上鎮夫さんの山桜

P4090004.jpg


眼科医で古美術のコレクターでもあった山上鎮夫(1897-1993)さんはクラッシック音楽の愛好家でもあった。
野山に出かけることも大好きで、スケッチしては墨絵や油絵として描いた。
独自に会得した描法だが、自然を愛した心が感じられる。

この絵は抽象画の様にも見えるが、里山の山桜と新緑を描いている。
間もなく、県北ではこの様な風景が随所に見られる。

山上さんは私家版の「コレクション集」や「句集・随筆集」なども出版されたが、その中の一冊『草の実』(昭和61年)に次のような一文がある。

          桜
 桜おいえばそめいよしのと決まったような感じで、これが國花とおもわれそうなのを私は心配する。昔から人々に愛され歌によまれ画かれたのは山桜であって、そめいよしのは幕末の頃、植木屋さんが作りだした俗花である。山桜より花が早く葉が出ないうちに咲くので一寸はなやかではあるが、山桜の風情とは雲泥の相違である。山桜は花と葉が同時でそれらの色の組み合わせで風情が異なる。私が最も美しいと思うのは、枝が細く、若葉が赤く花の色がうすいものである。本居宣長もそのような事を書いてゐたと思う。吉野を始め関西では山桜を珍重し又古来多い。地方にもと処々に数百年を経たみごとな大樹を見ることが出来る。樹齢も山桜は数百年に及ぶに反して、そめいよしのは五十年である。同憂の志は相当あるのに、植樹されるのは殆んどそめいよしのであり増加してゆくのは誠に残念である。


僕も山上さんの影響で、山桜を愛でるようになった。
ソメイヨシノの寿命は7~80年と云われるが、手入れ次第では100年を超す場合もある。
そのような事もあって、最近はソメイヨシノと山桜、或いは山桜を多く植える傾向にあるのは嬉しいことだ。「水戸桜川千本桜プロジェクト」でも植えられるのは全て山桜の予定だ。

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掌(てのひら)の蓮弁   

2011年08月01日 16時54分33秒 | 山上鎮夫
掌(てのひら)の蓮弁    




 
歴史館の大賀蓮が咲いている。
この蓮は縄文時代の遺跡から発掘された種に基づく。
仏教の世界では天国の花として愛でられた。

蓮の花を見ると、山上鎮夫さんの事を思い出す、
古美術・音楽・自然をこよなく愛した山上さん。
蓮の花も大好きで、仏像の台座の一部としての蓮弁も好まれた。
手練で、蓮弁を造られ、彩色された。
わたしも、一枚戴き大切にしている。
同様のモノを大須賀発蔵さんに贈呈した。
それに対する感想文が、1993年9月「ぼんさんて」69号に『掌(てのひら)の蓮弁』として掲載されているのを転載した。

掌(てのひら)の蓮弁  
(財)茨城カウンセリングセンター 理事長の大須賀発蔵

ことし九十五歳を迎えられる山上鎮夫先生は、眼科医としての生涯を歩まれる傍ら、古美術の収集家として著名な方です。
先生は百歳を臨むご高齢にあって、ますます透脱の心境を深められ、実に新鮮な"まなざし"をもって、人生を、そして宇宙をごらんになっておられます。
「……花が好きなので飽かず眺めながら、花はなぜこんなに美しいのかわからないのです。虫を呼びよせるだけなら、こんなに美しくなくてもいいだろうに……。
そんなことを思っていたら、数日前はっとわかったのです。
これらの花は仏様の分身であることがわかったのです。
宇宙現象のすべては仏様の身体と理解していたはずなのに、心からわかってはいなかったのです。仏様の分身ならどんなに美しくても不思議ではなかったのですね。
人間は苦しいことや嫌いなことに当面すると、心を深く働かせて、そこから入生の真実をわかるものですが、`花があまりにも美しいのでわからなかったというのも面白いことでした……。」
先生にいただいたお便りの一節ですが、感性のゆたかさと深さに心を打たれました。



山上先生みずから焼かれた、天平の仏像の残欠である蓮弁を二枚お届け下さいました。
本来は木彫なのですが、彫刻はできないので、焼物で模作したとのことでした。九十五歳の先生が、慈悲の象徴である蓮の花びらをお焼きになるお気持に、どれほど尊い思いや願いが込められていたことか、私など安易に推察できることではありませんが、ただただ、もったいない思いで蓮弁を掌(てのひら)に載せてみました。

すると、蓮弁の大きさが丁度、掌一杯になり、私の掌はそのまま、蓮の花びらになりました。そして蓮弁の底のまろみが、その重さとともに掌に温かく伝わり、あたかも仏様の慈悲そのものにふれている感じがしました。
上面のゆるやかな窪みには、衆生の姿をあるがままに摂め取りながら、すこしも相手に力を感じさせないやさしさとしづけさがあるのです。
しかも弁の先端は裏面にそり返って、その曲線は露のこぼれロのようになっています。仏の慈悲に包まれながら、そこからすら逃げ出さずにはいられない私たち衆生の愚かさや悲しさを、はじめからわかって下さっているのでしょうか。
また色彩も、いわゆるきれいな色というのではなく雑色の美しさであり、衆生の生きざまをそのまま乗せられる安心感がただよっているのです。
まさに「衆生の心に随順し(華厳経)……」という仏の方便を実感させられました。

ところで、私たちが営む未熟な人間関係と、この蓮弁が伝えてくれている仏の慈悲を一つに重ねる思い上がりは、決してゆるされませんが、それにもかかわらずなぜか、「掌(てのひら)の蓮弁」に心が魅かれるこの頃なのです。

1993年9月「ぼんさんて」69号、茨城県精神保健協会発行より転載

大須賀発蔵さんは2011年5月26日ご逝去されました。
享年88歳でした。ここに謹んで哀悼の意を表します
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さくらんぼ

2011年07月20日 15時29分31秒 | 山上鎮夫
さくらんぼ



台風の影響で時折激しい雨が降る。
夜半にかけて、さらに激しくなるらしい。
進む速度が遅いので降水量も多く、被害が心配される。

とはいえ、自然の力に逆らうことは無理で、全てを任せる以外に手はない。

家人が〈さくらんぼ〉を小鉢に盛ってくれた。
桃や、さくらんぼを見ると山上鎮夫さんを思い出す。
自然を友とした山上さんは果物が大好きだった。
果物を食べるのは二の次で、眺めているだけで満足していたようだ。

句集『草の実』には

大皿に童話の世界さくらんぼ
盆の上さくらんぼの山崩れたり
さくらんぼ一つづつ長き手を伸べて
一つづつ光り輝くさくらんぼ
降りつづく雨は緑にさくらんぼ
手をつなぎ遊びころびしさくらんぼ
さくらんぼ一つづつ減りて無くなりぬ

続いて蓮の花の句が沢山ある。
歴史館の蓮池が見ごろだろう。
台風が過ぎたら、出かけていよう。
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2009年07月22日 23時37分28秒 | 山上鎮夫


桃を見ると山上鎮夫さんを思い出す。
果物はなんでもお好きだったが、特に桃を好まれた。

小さな桃がで始まる。待ちに待った様な懐かしい人にあったような感動である。
だんだん大きくなりうつくしくなってゆく。それは少女がだんだん美しくなっていくように。
梅雨の頃から初秋まで相当長い間楽しめる。
無論美しいばかりではない。美味しさも素晴しい。

桃丸し 桃ぞ美わし 桃美味し
桃くふ 小さき喜び 多き幸
老いければ 真赤な桃を 賜いけり
合掌の 一条あわれ 白き桃
桃の皮 うすく大きく 剥きにけり
桃むけば いよいよ丸く 真白にぞ
もぎたての 真っ赤な桃や 露しとど
脚細く両手に桃を下げてゆく

山上鎮夫著、句集・随筆「草の実」(昭和61年)より。


山上さんは眼科医だが古美術のコレクターとして知られた。
多忙なな診療の合間にクラッシク音楽の鑑賞、俳句、山登り、水墨画を描き、てびねりの陶器制作など広い趣味をお持ちだった。
特に、山川に遊び、草木を心から愛する大自然の信奉者であった。
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「八十七歳のピアノ手習い」

2009年07月20日 11時09分48秒 | 山上鎮夫
  「八十七歳のピアノ手習い」
 私はクラシック音楽の大ファンで大正14年に初めて月給にありついたとき第一に蓄音機を買ったほどである。特にピアノ曲が好きである。
 レコードの数も次第に増え、やかましい事を云うようになり、その終曲がピアノを買って自分でやろうという事になった。数年前87歳の時である。基本的なことは何も知らない。勿論音符も読めずおんちである。打てば鳴る。レコードとは異なった生の音が出る。自分勝手な音が出せる。その中には何とかなるだろう。
 そんな考えで毎日やっている。
 数年前テレビで「水琴窟」という放送があった。大きな甕を地下に埋めてその滴りを聞くのである。リズムもなくメロディもない。かすかな優しい美しい音色はピアノに似ている。
 いつ頃からあったものか詳細を聞き逃がしたが数百年前からのものであろう。古くて新しい、たまらなくよいおんしょくであった。
 ああいう音を出したいと思う。


無理やり所望して、生前の山上さんの演奏を聞いたことがある。
自分の感覚で弾きながら、確実なクラシック音楽のように聞こえた。
多くの曲を聞いた蓄積が、習わなくとも自然にほとばしってくる、と思った。
多くのことを習うより、自分流ですることを好まれた方だ。

この時は「水琴窟」が滴るような、単純な音ではなかった。

水琴窟の音は、サテーやジョンケージなどの現代音楽に通じるものがあるように思う。
僕はそれらに門外だから、正しいかは分からないが。

「高橋悠治の肖像」を聞いて山上さんのピアノを思い出した。
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山上鎮夫(1897-1993)さん

2009年07月20日 10時47分01秒 | 山上鎮夫
眼科医で古美術のコレクターでもあった山上鎮夫(1897-1993)さん。
ご自分のコレクションのを『古陶小集』(昭和37年、1962)という図録を私家版として出版している。

中国、朝鮮、日本の古陶磁を中心に愛憎品68点が掲載されている。
今は、散逸してしまったが石川県立美術館、京都国立博物館、広島県立美術館などに終の棲家を得ている品も多い。作品の一つ一つに山上さんの静謐な眼が感じられる。

序文の中に『心を虚しくして物にたいし、ほんとうに自分の心を打つものを選ぶ』ことが蒐集の基本であった。

また『古いものは新しく、新しいものは古い』という1節もある。
時は常に変化し、古い・新しいは縄をなうような事だろう。

陶磁器蒐集の他に、クラッシクの大ファン、自然の観察がお好きで、俳句もたしなまれた。
魅力多き方であった。おいおいご紹介したいと思っている。

今回、水戸芸術館でのコンサート『「高橋悠治の肖像」を聞いて感じたことから、山上さんのエッセーを思い出した。『句集・随筆 草の実』(昭和61年)の中からのひとつ。


「八十七歳のピアノ手習い」
 私はクラシック音楽の大ファンで大正14年に初めて月給にありついたとき第一に蓄音機を買ったほどである。特にピアノ曲が好きである。
 レコードの数も次第に増え、やかましい事を云うようになり、その終曲がピアノを買って自分でやろうという事になった。(以下次に)
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