「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

日本料理・うんの @水戸市水府町1498−6

2015年02月28日 14時31分46秒 | 食事
日本料理・うんの @水戸市水府町1498−6



東京の某有名料亭で修業を積んで水戸に戻り、食堂経営の両親の店を手伝っているが、習い覚えた味と技を忘れず、更に進化させたい。
との願いで「日本料理・うんの」が昨年開店した。

「水府橋」を渡って間もなく、道路際ではあるが前が3台程度の駐車場、看板も小さいから見逃しそうだ。
営業時間は17:00~の予約のみ。
取りあえずは、試運転と云うことなのか。
昨年の暮れと今年の2月にお伺いする機会が有った。



日本料理だが座敷はなく、洋間でイスとテーブルのスタイル。
シンプルな空間だが、壁面には洋画や版画などが飾られている。



日本酒も洋酒も取り揃えてある。
杯の種類も豊富。


燗酒はお湯を張った器に、錫の徳利が入っているから、冷めることなく飲める。















白磁を使用するのが流行だが、ここは料理に合わせた皿や碗などを使っている。
全てが、へんてこな白磁の器使いは勘弁してもらいたい、と思っているから嬉しい。

どの料理も素材を吟味し、丁寧な調理で、見た目も味も素晴らしい。
少しずつ、多くの種類を味わってほしいとの気持ちは分かるが、品数は少なくとも良いように思える。品数を多くも最近の傾向ではあるが、、、

予約のみの営業なので、ゆっくりとした時間をすごせる。

小体で洋風な空間の日本料理屋が生まれた、
7~8人位の仲間同士の会合などには最適で、予算や料理についても相談に乗ってもらえそうだ。
味わい深い店として、密やかに存続してくれることを願う。
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「みちのくの仏像」展@東京国立博物館

2015年02月27日 22時32分44秒 | 博物館
「みちのくの仏像」展@東京国立博物館
2015年1月14日 ~ 4月5日



まもなく、東日本大震災から4年を迎える。
仏像をとおして東北の魅力にふれ、復興の一助になればとの願いで「みちのくの仏像」が開催されている。

東北の仏像を観る機会は少ないが、東北の三大薬師と称される、黒石寺(岩手県)、勝常寺(福島県)、双林寺(宮城県)の薬師如来像をはじめ、岩手・天台寺の鉈彫りの聖観音、成島毘沙門堂の伝吉祥天像、山形・吉祥院の千手観音、本山慈恩寺の慶派作の十二神将、宮城・給分浜観音堂の十一面観音、秋田や青森の円空作の菩薩、如来など。
東北6県を代表する仏像が26点出品された。
出展数として、多くはないが一堂に拝見することが出来た。



国宝・薬師如来坐像 平安時代・9世紀 福島・勝常寺蔵

胸板が厚く、大腿部の量感を強調し、額が狭く、厳しい表情の面相などに平安初期彫刻特有の様式が現れている。
杉材を矧ぎ合わせ、浮き彫りで唐草文様を表した光背も当初のもの。

●何年か前に、磐梯山の麓の、慧日寺跡(磐梯町)と勝常寺(湯川村)訪ねた
どちらも、法相宗の碩学「徳一上人」の創建といわれる。

慧日寺は会津盆地東側の山中で、自然豊かで仏道修行に適した土地であったろう。(広大な寺跡は昭和45年に国の史跡に指定され、復元整備が進められている。)
勝常寺は会津盆地の中央に位置し、仏教的権威を民衆に示すために薬師如来像をはじめとした諸仏像を安置したと考えられる。
*創建時は七堂伽藍が備わり、盛時には大寺院であったと伝えられているが、現在残されている建物は薬師堂(元講堂)のみだが、平安初期の仏像が多く伝えられている。今回は木造薬師如来と両脇侍像が出展された。



重要文化財・ 聖観音菩薩立像 平安時代・11世紀 岩手・天台寺蔵

●天台寺は古刹ながら荒れ果てていたが、瀬戸内寂聴が住持するようになり隆盛になった。僕は、安比高原の「シェジャニー」を訪ねた際に足を伸ばして参詣したが、寂聴尼は後進に道を譲られたのち。
この「聖観音菩薩立像」(表面に荒々しいノミ目をあえて残すことで、樹木の霊性をあらわした鉈彫像。)は何処に安置されていたのか、本堂と収蔵庫で観た記憶はない。或いは観たのに覚えていないのか?
記憶など当てにならないし、己が観る眼を開かねば見えない。


 
重要文化財 十二神将立像 (左から、丑神、寅神、卯神、酉神)
鎌倉時代・13世紀 山形・本山慈恩寺蔵

十二神将は薬師如来をお守りする役目。
鎌倉時代特有の力強さを有しながら、ユーモラスで可愛さを感じる。
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カフェギャラリー ゆずり葉 @水戸市米沢町432-1

2015年02月26日 18時24分15秒 | カフェ・喫茶
カフェギャラリー ゆずり葉 @水戸市米沢町432-1





民家の1階を改装した「家カフェ」の「カフェギャラリー ゆずり葉」。
最近の流行だが、この店の開店は5年前だとのことだ。

手入れの行き届いた樹木に囲まれた広い庭。



古木の梅が満開だ。

日本庭園を眺めながらの料理やコーヒー・スイーツ。
ランチも和風豆腐ハンバーグをはじめ自家製カレーなど、メニューは豊富。



この日のランチ「鰆(さわら)と野菜のクリームソース」



壁面の棚に雑貨などが並び、販売も。



応接間のまま、壁には絵画や書が飾られている。





農家の倉庫を改造した、「ギャラリーゆずり葉」
絵画・写真・陶芸・工芸作品等々の展示や発表の場として昨年開設。



今回は水彩画展が開催されていた。



コンサートなども開かれる。
3月21日に「星野由美子コンサート」が開催予定。

住宅地の一角で道路も狭いのに、大勢のお客さん。
あらゆる業種で変化が起きていることを感じる。
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「湘南レイニーブルース」伊太地山伝兵衛

2015年02月26日 15時51分55秒 | 音楽
「湘南レイニーブルース」伊太地山伝兵衛



「湘南T-SITE」の「湘南蚤の市」に行った。
「湘南」と云う語感には何かの魅力があるのか?と思いたくもなる。
「湘南」のエリアは?或いは連想することは?
人によりけりだろうが、加山雄三、桑田佳祐、葉山、茅ケ崎、など等。

僕は、その中の1つに「湘南レイニーブルース」を歌った伊太地山伝兵衛(いたちやま でんべい、1957年- 2013年)を加えたい。
慶應大を卒業し銀行員になったのに、退職し歌手の道に進んだ変わり種。
活動の主をライブとし全国に展開して、毎年200本を越えるツアーミュージシャンで「伝兵衛さん」と呼ばれるらしい。

何年か前に、音楽好きの友人のSさんに誘われ「ペーパームーン」(水戸市南町)で開催されたライブに行った。
既成概念にとらわれず自由なスタイルと、熟した大人の魅力溢れる歌声で、全国に熱狂的な幅広い層のファンが存在しているとのこと。
その時のライブを録音したCDを戴いたこと、その後まもなく水戸芸術館の広場で開催されたコンサートにも出演したこともあって、ファンになった。

コンサートでは語り口が印象的だったが、CDを繰り返し聞いて歌詞やメロデーを憶えた。
「湘南Rainy Days」「Wesが聴こえる」「天国行きのBUS」「プカプカ」
「またしてもHighway」「あと一杯」「夢はいつも」など。

全国各地をツアーし「伝兵衛さん」と呼ばれる人柄だったが、2013年に56歳で没したことも印象深くさせたのか、湘南というと伊太地山伝兵衛との図式ができた。

今回、戻ってから「YouTube」で映像を見、演奏を聞いた。
心に沁みる曲が多い。
佐山雅弘&石井康二とのトリオユニット→DUSTや、そこに村上“ポンタ”秀一を迎えた→DUST+PONTA、弦楽四重奏を加えた伊太地山弦楽団など様々な形で演奏している。

ピアニスト佐山雅弘の演奏は僕の好みだ。
水戸でのライブが有れば行きたいと思っている。
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一遍上人@清浄光寺(通称遊行寺)

2015年02月26日 07時52分44秒 | 神社仏閣
一遍上人@清浄光寺(通称遊行寺)





藤沢には、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派「時宗」の清浄光寺(通称遊行寺)が在る。
伊予国(現在の愛媛県)に生まれた一遍上人は、浄土宗を修めたのち新しく独自の宗旨である時宗を興した。
とは言え、一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、独自の踊念仏という信仰を生み出し、全国を遊行して貴賤を問わず広く念仏を勧め、民衆の布教に努めた一遍とその仲間は「時衆」と呼ばれ各地で活動したから、何処が本山と云う考えは薄かったようだ。



法灯を継ぐ人を「遊行上人」と呼んだが、三十二世遊行上人他阿普光は、天正19年(1591年)に常陸国の佐竹義宣に招かれ、水戸に水戸藤沢道場(後の神応寺)を建立し、時宗の本拠とした。
今は南町だが旧町名の「藤沢小路」はその名残。こうして短い間だが、遊行派本山となった。当初は寺号がなかったが、清浄光寺再興を受けて寛永10年(1633年)に神応寺と改称し、延宝8年(1680年)に現在の元山町の地に移転した。



その様な所縁の寺なのでお詣りしたが、寺宝として有名なのが「一遍上人絵伝」一遍聖絵(いっぺんひじりえ)または、一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)。
長時間たって編集される高僧伝と異なり、一遍死後10年に、一遍が遊行した足跡を再確認しつつ、記録を基に、聖戒が一遍に同行した時衆と共に再踏破した後に書かれた物であり、資料的価値が高いので国宝に指定されている。

全巻を観た記憶はないが多くの本に掲載されている。

清浄光寺蔵なのだが、法蔵館に常時展示されているかは未確認。



20年位前に鵠沼在住の友人を訪れた際にこの寺を一度、お詣りした。
今回、二度目だが奈良や京都の他宗の本山と比べると質素なものだ。
関東と関西の信仰心の多少によるのか、宗派として在り方に拠るのか。
僕は寺社仏閣を訪れた際、何かを願う気持ちよりも、「生かせれて有り難う御座いました」申し上げることが多い。
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「湘南蚤の市」@湘南T-SITE

2015年02月25日 17時56分09秒 | 骨董・古美術
「湘南蚤の市」@湘南T-SITE









「ストレイシープ」店主の世田さん、湘南蚤の市」で。

水戸市泉町3丁目の「ストレイシープ」は主にヨーロッパ古着を扱う古着・雑貨のお店で、県内はもとより遠方からのお客さんを集めている。
毎年数回、欧米に買い付けに行く。
特にイギリス・フランス製の古い作業着などは長い時代を経た味わいがある。
靴やバック帽子などや、インテリア用品もある。
店主のセンスの良さが光る店だ。

服を含めモノは増やさない主義なので買い物をしたことはないが、カルチャー誌「スペクテイター」を取り扱っているので、興味のある特集の場合は購入する。
数年前、京王電鉄関連の「Go Green Market」に行き、この様な「市」が日本にもあるのだ、と心を強くし、水戸でも行われないかと心待ちにした。
昨年の「七つ洞ケルト祭りは」それなりだったので嬉しかった。

2月23日(月)に湘南T-SITEを南仏プロヴァンスの蚤の市にしようとの企画
「第1回 湘南蚤の市」が開かれ「ストレイシープ」も参加するとのことで行って見た。











蔦屋書店が中心となって構成された「湘南T-SITE」庭園での「湘南蚤の市」
古着・雑貨・家具・パンとお菓子・鉢植え、植木・等のブースが約30並んだ。
屋外だけに、天候が心配されたが好天に恵まれ、最高気温20℃、家族連れで賑わっていた。

ロンドンの「カムデンマーケット」「ポートベロー・マーケット」「スピタルフィールズ」などには何度も足を運んだことがある。
そこまでは望まなかったが、それなりの雰囲気を味わえた。



「ストレイシープ」のブース。

帰途は「遊行寺」(時宗の本山)をお詣りして藤沢駅に。
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湘南T-SITE@藤沢市

2015年02月25日 08時25分04秒 | 街創り
湘南T-SITE@藤沢市



FUJISAWA サスティナブル・スマートタウン」はパナソニックと藤沢市が主導し、パートナー企業18社が推進するスマートシティプロジェクト。
約1000世帯が入居し、再生可能エネルギーの利用率30%以上など、最新の技術による省エネや暮らしやすさを掲げ、現在も新居が続々建てられている。

カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)が、湘南・藤沢に蔦屋書店を核とした複合商業施設「湘南T-SITE」を2015年12月12日に開業した。
従って、真新しい感じ。

施設全体が大きなBOOK&CAFÉ、そこかしこに椅子があるのは有り難い。



喫茶やレストランも在る。



ギャラリー空間も。



コンビニもお洒落です。







自転車売り場も充実。




ビンテンジカーやミニも展示されているが、販売も可?なのか。



とにかく見飽き市内空間です

「ライフスタイルを提案する書店」とありますが、この様な生活様式を実践する方が増えているのは羨ましい。さらに言えば日本も豊かになったものと感心する。
これは、ほんの一部の日本なのか。
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スマートタウン「Fujisawa SST」@藤沢市

2015年02月24日 20時08分11秒 | 街創り
スマートタウン「Fujisawa SST」@藤沢市





「湘南蚤の市」が開催された「湘南T-SITE 」は「Fujisawa SST」の一部を占める商業複合施設で、昨年末に開業したばかり。

「Fujisawa SST」は、パナソニックが1961年に初めて関東に進出した藤沢工場の跡地を活用した街づくりプロジェクトだ。
東京ドーム4個分にあたる約19ha(約6万坪)の土地に、約1,000戸の住宅と3,000人が暮らす街と商業施設、公益施設なども配置し2018年度の完成を目指している。





街全体と各戸の太陽光発電及び蓄電設備、街中にある見守りカメラ・ソーラーで稼働する街路灯、災害時は下の部分を外すとかまどとして利用できる「かまどベンチ」や災害時にマンホールを利用してトイレに使用する「マンホールトイレ」なども設備されている。
貸自転車からカーシェアリング、電気自動車用対応、さらにはヤマト運輸や医療福祉グループ等18社の協業体制で生活全般に対応する。

藤沢市、県、国と連携しながら街を育て、未来をつくるスマートタウンプロジェクトが「Fujisawa SST」だ。
藤沢駅と辻堂駅の中間地点で東京から東海道線で約50分。
京浜地区の通勤圏の住宅地として「スマートタウン」の造成が可能なのだろう。
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エイトホテル藤沢(8hotel)の貸自転車@藤沢駅南口

2015年02月24日 15時26分34秒 | 
エイトホテル藤沢(8hotel)の貸自転車@藤沢駅南口





3時間1000円で自転車を借り「湘南T-SITE 」に。

「湘南蚤の市」が開催された「湘南T-SITE 」は藤沢駅と辻堂駅の中間地点でバスの便も良くない。土・日はシャトルバスの運行もあるようだが23日は月曜日、ならば、何時もの貸自転車。
ネットで検索したら藤沢駅の南口近くの「エイトホテル」で貸自転車があるようだ。宿泊客でなくとも借りられるとのこと。
入り口は通りから少し入るが、デザィーナーズホテルというか、お洒落なホテルで若い人向け。



貸自転車と貸バイク。



夏期のみ運行・江の島海岸まで三輪タクシー「トゥクトゥク」(宿泊客専用)

旅先では貸自転車を借りると、行動範囲が広くなる。
目的地のレンタサイクル店を調べておくと重宝します。
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徳川慶喜関連資料展@常陽史料館・史料ライブラリー(2階)

2015年02月19日 20時38分40秒 | 水戸今と昔
徳川慶喜関連資料展@常陽史料館・史料ライブラリー(2階)
平成27年2月7日(土)~3月22日(日)月曜休館




「小沼里回タペストリー展」が開催されている「常陽史料館」は常陽銀行創立60周年を記念し、郷土の歴史や芸術文化、金融経済に関する資料を収集し、公開する目的で1995年(平成7年)7月に水戸市備前町に創設された。

館内には、貨幣や銀行に関する資料を展示する「貨幣ギャラリー」、郷土文化や金融に関する図書資料を公開する「史料ライブラリー」、「アートスポット」では随時企画展示が開催されている。

2階の「史料ライブラリー」は図書館の機能もあって、読書スペースやビデオ視聴の設備も備えられている。
2月7日(土)~3月22日(日)の期間は「徳川慶喜関連資料展」が開催されている。
『徳川慶喜公伝』『昔夢会筆記 徳川慶喜公回想談』など、徳川慶喜に関連する資料を展示されている。



特に興味を持ったのは『将軍が撮った明治―徳川慶喜公撮影写真集』(朝日新聞社 ・1986/10刊)
15代将軍徳川慶喜は明治以後、歴史の表舞台から姿を消し、晩年の消息を伝えるものは少ない。
慶喜の直孫によって秘蔵されてきた数々の写真は、空白の時間を埋めると同時に、その卓越した写真技術は、明治の風俗、歴史を物語って貴重だ。
鮮明な写真は当時の状況を目の当たりに見せてくれる。

●常陽史料館創設の翌年(1996年の9月)に「アートスポット」で『後藤清一・その深き美の世界』展を開いていただいた。
約20年前のことで、記憶のある方は少ないだろうが、後藤清一さんの彫塑の世界を知って頂くことが出来たことは嬉しい。
会報『常陽芸文』2003年5月号に芸文風土記「茨城彫刻界の重鎮・後藤清一」
として特集されたことも、良き思い出だ。
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「小沼里回(りえ)タペストリー展」@ 常陽史料館アートスポット

2015年02月19日 14時49分41秒 | 美術展
「小沼里回(りえ)タペストリー展」@ 常陽史料館アートスポット
2月3日~3月22日




織物作家・小沼里回さんの作品は、茨城県芸術祭美術展覧会や水戸市芸術祭美術展覧会等で何度か観たことがある程度だった。
今回は、点数も多く技法も多岐に渡り、30年に渡る制作活動を観る全貌展と言えるだろう。

地下に通じる階段の踊り場に織機が展示されている。
手織りの機械としては大型だ。
それに付随する、紡績や糸巻の道具類も展示されている。
染色から糸作り、更に織り上げるまで根気のいる仕事なのだ、と理解が深まる。



羊毛ばかりでなく絹糸を多く使うところが小沼さんの特色のように思った。
性格の異なる両者の織りなすタピストリーは半立体的だ。
色彩感覚とデザイン構成力が素晴らしい。

手仕事の盛んな北欧で、さまざまな織りの技法を駆使した作品に刺激を受けたことにから、単なる織物でない造形表現の可能性に取り組まれているようだ。

技法的なことは良くわからないが、柔らかで暖かみの作品群は繊維のマジックのように思えた。
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「あこがれの空へ―民間パイロットの先駆け 武石浩玻―」@水戸市立博物館

2015年02月19日 00時09分29秒 | 博物館
「あこがれの空へ―民間パイロットの先駆け 武石浩玻―」@水戸市立博物館
2015年2月14日(土)~3月22日(日)








ライト兄弟が有人動力飛行に世界で初めて成功したのが1903年、今からわずか112年前のことだ。ライト兄弟以後、飛行機はより速くより高くより遠くへ飛べるよう改良が続けられた。

茨城県那珂郡勝田村勝倉(現・ひたちなか市勝倉)出身の武石浩玻(1884年- 1913年)は1902年(明治35年)、茨城県尋常中学校(現・茨城県立水戸第一高等学校)卒業後、渡米。
職業を転々としながら放浪を続け、イェール大学に入学するも中退。
1910年(明治43年)、ユタ州ソルトレイクシティで『ロッキー時報』という邦字新聞の主筆を務めながらユタ大学に通学していたが、この時、フランスの飛行家ルイ・ポーランの姿に感動し、飛行家を志す。
当初はライト飛行学校に入学したが、1912年(明治45年)2月にカーチス飛行学校に転じ、同年5月、飛行免状獲得。1月に合格した滋野清武、4月に合格した近藤元久に次ぐ、日本の民間人として三番目の飛行家となった。

1913年(大正2年)4月、日本に帰国。同年5月4日、大阪・京都間の都市間連絡飛行に挑んだ際、京都深草練兵場への着陸に失敗し墜落死。28歳。
民間飛行家として最初に日本の空を飛んだ人物であり、民間飛行家の最初の犠牲者でもある。(Wikipedia)



操縦席に座る武石浩玻



墜落した武石浩玻の飛行機

今回の展覧会は、当時の写真や墜落した機体の操縦輪や車輪なども展示されている。
時速70キロ位だったが、目視による飛行なので、事前にルートを歩いて景色や建物などを確認する必要があった。

操縦席は、木の梯子状の所に座るだけで、身体を覆う設備も付いてない。
安全性は殆ど無いような乗り物だった。
それでも、空を飛ぶと云うことだけで大勢の観客が押し寄せた。

衝撃的な武石の最期に日本中が騒然とし、盛大な葬儀が営まれた。
それらは、日本の飛行機に対する熱を一層高めるものとなった。

墜落死から間もなく、郷里の水戸では記念像の建立が計画された。
募金運動が始まり、事故から半年後の12月には茨城県尋常中学校の 西端、旧水戸城址の土塁の上に銅像と碑文が建立された。

第二次大戦中、鍋釜から梵鐘まで多くの貴重な品々が供出させられたが、「飛行家」の像と云うことで免れた。
アメリカ軍の占領下でも、民間パイロットの像なので何のお咎めも無く存続した。
2011年の東日本大震災で台座が崩落したが、同年11月に場所を移して再建された。

100数十年で飛行機は大進化を遂げ、誰もが気楽に乗れる時代となった。
ここに至るまでの礎となった、武石浩玻の存在はあまり知られていない

少ない資料で、短い生涯を遂げた武石の業績を辿る企画は難しかったであろう。
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フィンガル@水戸市泉町1-3-22 Lily SquareビルB1F

2015年02月17日 22時35分38秒 | カフェ・喫茶
フィンガル@水戸市泉町1-3-22 Lily SquareビルB1F







近頃は、コンビニの片隅で手軽に安価にレギュラーコーヒーを飲める時代となった。とは言え、我々の世代の人間にとっては「喫茶店」が憩いの場だった。
スタバやドトール等のカフェは増えたが喫茶店は次々に姿を消している。

僕が行く昔ながらの喫茶店は、旧黒羽根町の「花留談」梅香の「梵」泉町の「フィンガル」

泉町のLily SquareビルB1Fの「Coffee Room フィンガル」は1975年の開店で35年の歴史と云うことだが、もう少し前とも思えるのだが。

開店時は「ルルド」と云う名前だったが、何年か後に現在の「フィンガル」に変更された。



その際、奥のほうの部分が内装も若干だが変ったようだ。
基本的に、椅子やテーブルは創業時のままだろう。

コーヒーの他にカレーなどの軽食も提供され、飲み物とのセット料金はとても割安だ。

この店の様な「昭和」を感じさせる「喫茶店」に愛着を感じる人が多いようで、幾つかのガイドブックも出版されている。



1913年11月に『47都道府県の純喫茶 ・愛すべき110軒の記録と記憶』山之内 遼 著 が実業之日本社から刊行された。
帯には「思い出の喫茶店はありますか?」



北海道から沖縄・九州までの101軒が掲載されており、その内の1軒として「フィンガル」も取り上げられている。
店長の徳田さんによれば「ふらっと入って来られ、二度ほどお見えになりました、会社勤めのコピーライターとのことでした」との話。
本の末尾には『10代の頃に純喫茶の世界に目覚め、これまで訪れた店は4000軒を超える。純喫茶の文化を後世に伝えるべく「純喫茶保存協会」を結成、本書が第1冊目の著書となる』
写真も自分で撮られたとのことだが、記事や装丁を含め、著者の思い入れが伝わってくる。

「純喫茶用語集」と云うのも添えられている。純喫茶とは何か、との定義もややこしいものが有る。



この本を含め、販売されている本もカウンターに並ぶ。



「自由にお持ちください」の本は無料で戴くことも出来る。


催事の告知ポスターも。



室内には版画や油絵が数多く飾られ、ギャラリーの様だ。
オーナーはこのビル7階で「泉画廊」を経営されていたこともある。
多くの作家が個展やグループ展を開催した。
北側は広いガラスで、其処から望む街並みも含め思い出が沢山詰まっている。
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山中宣明展@ギャラリーしえる

2015年02月16日 20時16分33秒 | 美術展
山中宣明展@ギャラリーしえる
1月12日~18日




2月10日~15日までギャラリーしえる(水戸市見川町2434-1)で「第4回 笠山会展」が開催された。
油絵を趣味とする、お医者さんのグループ展で、病院の関係者や患者さんなど連日盛況だった。
医師会館で開かれる、月に2度の制作に立ち会い指導されているのはつくば市在住の画家、山中宣明さん。







山中さんは1月12日から18日まで「ギャラーリーしえる:新春展」として画廊による企画展が開催された。
「しえる」での個展は2009年10月13日~10月25日以来、約5年ぶり。



1975 慶應義塾大学美学美術史学科卒業と云うことだから、本来なら美術評論等の仕事に就くのだろうが、実作者の道を歩んだ。

青を基調とした作品だが、下地に作りに工夫と時間をかけられるようだ。
油絵の画材ばかりでなくテンペラ画の顔料なども使用するなど、試行錯誤を重ねられているようだ。
ひび割れ、錆び付いた風合い、ぬり重ねられた肌合い。
多彩な画面から、抽象作品ながら優しさや親しみを感じる。

会場には「YAMAAN」のCDが流れているが、音楽と絵画が絶妙にマッチして、心地よい空間を生み出している。

「YAMAAN」は山中さんの息子さんで、作曲・演奏、更にはDJ、映像作品制作や写真撮影まで手がけるマルチタレント。
親子で芸術家と云うのは羨ましいが、今回流されているCDアルバムのカバーは父親が手掛けたというのは素晴らしい。





展覧会を取材した新聞記事も会場に置かれていた。

いつぞや、茨城県近代美術館のレストラン「プティ・ポワル ミュージアム店」に入った時、中山さんの作品が何点か展示されていたが、この様な空間にぴったりの絵画だと思った。
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みと懐かし保存会@ピッツェリア「rétro」水戸市新荘

2015年02月15日 21時04分07秒 | 水戸今と昔


みと懐かし保存会@ピッツェリア「rétro」水戸市新荘

昔と言っても、数年前・数十年前から現代まで、喫茶店のマッチや写真、地図などをネット上に公開し話し合うサイト「みと懐かし保存会」が1年半前頃に発足し、現在、メンバーは176名位いるようだ。
有志、と言っても3人だが、誘い合わせて食事会をした。



処は新荘町の住宅街のマンションの1階のピッツェリア「rétro」
以前は、大工町交番の近くのビルの地下1階で「トレヴィ」。
1970年に開店した本格的なピザ店として評判だった。
ピアノとジュークボックスがあり、若者の熱気あふれるサロンで水戸の街の未来などについて語り合った。
僕は、何年かは通ったが、徐々に大工町から足が遠のいた。

その後も盛況であったらしいが、10年前頃、惜しまれながら閉店した。
お客の要望もあって2010年、店舗を移動して再開した。



当初と機種は異なるが、ジュークボックスが2台。

店内には彫刻・絵画などが飾られ、あたかもアートギャラリーの感じもする。
これらの美術品は、再開してから。

マスターと対面するオープンキッチンなので、希望に応じた料理を作ってくれるが、メインはピザとスパゲティーは旧店舗と同じ。



栄螺のエスカルゴ風。(ピンぼけ写真でスミマセン)



ホワイトピッザ。
スパゲティーも食べましたが、写真はありません。

バレンタインデーの夜なのに、中年と老人の3人組が写真(昔の喫茶店等のマッチ)を見ながら、『在ったね』『知らねーな』『そういえば、、、』など等。
昔話から、今の話題や問題、未来の話まで、延々と語り合った。

新しい市民会館については、既存の施設や水戸市周辺の自治体のホールなどで充分、巨費を投じて箱モノを作る必要などない。
計画を取りあえず中止し考え直すべき、と結論。
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