「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

アフターコロナの今、水戸市民が問われているのは何か?

2020年06月27日 23時28分09秒 | 水戸今と昔
アフターコロナの今、水戸市民が問われているのは?










それぞれの考えが有るでしょう。

財政破綻が目前、そんな余裕が有るのでしょうか?

新たな生活様式が問われています?

未来を先取りした施設のありようは?

30年前、佐川水戸市長が目指したものは何?
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オマージュ! パロディ!!画家は名作にそそられる@笠間日動美術館

2020年06月27日 10時09分52秒 | 美術館
オマージュ! パロディ!!画家は名作にそそられる@笠間日動美術館
2020年5月23日(土)~7月19日(日)




新型コロナウイルスのため、閉館していた美術館や博物館が次々と再開されている。6月18日、久しぶりに「笠間日動美術館」に。



作家は名作の模写、或いは文学・音楽などを基に創作意欲をよびこされる。
オマージュであったり、パロデイなど様々だ。



明治時代、単身ロシアに渡った、笠間出身のイコン画家・山下りん 。



デユ―ラーの影響を受けた、城戸義郎 《Self Portrait》 2001年



フェルメールの女性像を思わせるが、アイパッドに描いている。
山本大貴《手紙を書く女》2012年



背景にマチスの絵が描かれている、山本大貴 《Sound of Silence》 2010年



アンリ・マティス 《ジャズ》 より「道化師」1947年



切り絵を制作中のアンリ・マティスの肖像写真



新館と旧館をつなぐ丘は彫刻庭園。
屋外に設置された彫刻や庭も日動美術館の特色。



右側が旧本館。



旧本館1階のパレット展示室。
開館当初、作家から贈られたパレットのコレクションがメインだった。



ピカソとダリのパレット。







新館1階の「鴨井玲の部屋」

◎笠間日動美術館が開設されたのは昭和1972(昭和47)年。
東京・銀座の「日動画廊」の創業者、長谷川仁・林子夫妻により長谷川家ゆかりの地に創設された美術館。
当初は、国内外の著名画家が愛用したパレット画が主な展示品だった。
地方都市には美術館が少なく、「お稲荷さん」で有名な笠間に新名所が出来たと評判を呼んだ。
同時に、北大路魯山人の鎌倉の旧居を芸術村に移築し「春風満里荘」と名付け、別館とした。
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「水戸の上水道を歩く」(ブラヨーちゃん:№3)

2020年06月23日 23時01分17秒 | 水戸の今と昔
「水戸の上水道を歩く」(ブラヨーちゃん:№3)
6月27日(土)17:00~ @水戸市泉町「雑貨と珈琲の店・たけうち」








タイトルは「水戸の上水道を歩く」ですが、実際に散歩するわけではなく、写真集を見ながら、お話し会です。

「雑貨と珈琲の店・たけうち」は朝の10時から営業で、午後2時過ぎには資料を見ることが出来るように準備しておきます。


今回の概略は

昭和5年~昭和7年(1930~32年)に建設された水戸市の水道工事の記録『水戸市水道工事写真帖』が建設工事を担当した遺族に依って発見され「水戸市博物館」に寄贈され「復刻版」が刊行されました。
発行部数が数冊、見る機会が少ない貴重品です。
デジタルした映像を見ながら、話し合う会を開催します。



那珂川中州の水源取水口の工事現場。




芦山浄水場の工事現場。



低区配水塔工事現場。




浄水場での竣工式。

写真集を寄贈した後藤一彦さん、水戸の地形と水に詳しい「井戸ライフ代表」西原昇治さん、お二方も参加予定です。

お話しを伺いたいと思います。


世界規模での新型コロナウイルス。
収束するまでかなりの日時を要します。
ウイルスと共存し、新たな生活のスタイルを模索するほかありません。
マスク・手洗い・消毒など参加者の皆様方のご理解をお願い致します。

*会費は無料:珈琲の代金は各自でお支払い願います。
*事前に、水戸市北見町の「水戸市低区配水塔」外観やロケーションを見ておくことをお勧めします。

◎ FC2「よーちゃんの雑記帳」http://yochan310.blog98.fc2.com/ h
◎ goo「西の谷緑地公園を美しく!」https://blog.goo.ne.jp/yochan310west
◎ アメブロ「破髯斎拾遺」https://ameblo.jp/yochan310/

上記の3ブログに今回に関連する同じ記事が掲載されています。
◾ 水戸の水道建設に関わった人々 (06/22)
◾ 水戸の地形・地質と水道建設 (06/19)
◾ 『水戸市水道写真帖』(1932年・小貫写真館) (06/14)
◾ 水戸市水道高区配水塔と低区配水塔@水戸市北見町 (06/13)
◾ 『水戸市水道工事写真帖』水戸市水道部・昭和5年11月起工 昭和7年7月竣工 (06/11)
など、事前に覗くと理解が深まると思います。

世界規模での新型コロナウイルス。
収束するまで数年を要すると思います。
「恐れず・侮らず」ウイルスと共存し、新たな生活様式を模索する他ありません。
マスク・手洗い・消毒など参加者各位のご理解をお願い致します。
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水戸の水道建設に関わった人々

2020年06月22日 15時11分36秒 | 水戸の今と昔
水戸の水道建設に関わった人々



竣工式において、技師長・岡田卯之助の工事経過報告。
中央の司会は土木課長兼水道工務課長・後藤直彦。


上市を含めた全市水道布設は水戸市の懸案であり、1914(大正 3)年に就任した川田市長は布設を企画し、地下帯水の状態などの調査を行ったが、実現するに至らなかった。
1924(大正13)年頃から、井戸水の減退・水質の悪化・悪疫の流行・防火上の危機など、水道の必要性が切実に認識されるようになる。
第8代の水戸市長・鈴木文次郎は那珂川伏流水を利用し、ポンプ揚水(渡里村高区・三の丸低区の両配水塔)という当時としては斬新な方式を採用して「全市水道問題」解決のため内務省の決裁をうけ1930(昭和5)11月那珂川中州において地鎮祭と起工式を挙行、1932(昭和7)年7月に竣工した。
重機が無い時代、全てが人の力で1年半の工期をもって完成したのは驚異だ。



右上・水戸市役所(現在の水戸京成ホテルの所)
右下・水道事務所と消防望楼(昭和5年完成・現在の水戸三井ビルの所)
水道完成を見越し、常設の消防部が出来たのは1928(昭和3)年。
左上・水源の中州での起工式。
左下・起工式で鍬入れする水戸市長・鈴木文次郎(就任期間・大正13年8月~昭和7年8月)。


明治後期から昭和初期にかけて上・下水道の設計の権威であった茂庭忠次郎を技術顧問とし、技師長に岡田卯之助を迎えた。

◎茂庭忠次郎、(1880年 - 1950年・水戸の就任期間・昭和5年9月~昭和7年8月)1880年 仙台に生まれ、1904年 東京帝國大學卒業。
1904年 東京市下水道設計調査主任・名古屋市水道技師・内務省土木局技師・日本大學高等工學校土木科長(初代)1930年・水戸水道部顧問として、全体の計画を立案する。1939年 日本大學工學部長(2代目)。

◎岡田卯之助
詳しい履歴は分からないが大正11年6月から大正12年5月まで、前橋市の水道の調査設計を委嘱されるなど、各地の水道に関与した。
水戸市水道技師長としての就任期間は昭和5年9月~昭和7年9月。



各地の水道建設に関連して多くの技術者がスペシャリストとして関わった。
水戸市に於いても多数の人達が各部門で採用された。
現在も大手の土木建築の技術者はプロジェクト毎に移動する。



昭和5年8月5日の茨城新聞(水戸の水道史から)
1929(昭和4)年秋にアメリカ合衆国で起きた恐慌は日本にも及び、日本経済を危機的な状況に陥れた時代に水戸市の水道工事が始まることになった。
職を求めた人たちが多数応募した。

「昭和恐慌」は優秀な人材を獲得できたこと、デフレにより資材価格が下落した。
など、予算的にも良いタイミングで、工事にとってはメリットが多かった。

多くの技術者が県外・市外の人物であった中で土木課長兼水道工務課長・後藤直彦(就任期間・昭和5年9月~昭和7年8月)は事務方と技術者集団を束ねる重要な役目を果たした。

後藤直彦は1876(明治9)年に現在の水戸市見川町に生まれる。




水戸中学(現在の水戸一高)卒業後、近衛兵として志願入隊、神宮警護にあたった。
1899(明治32)年に陸軍歩兵少尉八等官・正八位、1905(明治38)年、従七位勲五等として叙勲を受けている。
士官学校の卒業でなく、少尉まで昇進し叙勲を受けたのは稀な事例に思える。

除隊後、茨城県土木課で測量技師・土木技師として国道118号建設に携わる。
1922(大正11)年道路技師として正七位の叙位をうけている。
軍人から一転し、測量技師・土木技師としての技量を身に着けたことは勤勉な人柄であったのだろう。




1930(昭和5)年に水戸市役所の土木課長兼水道工務課長として招かれたのは、こうした経歴をかわれたのだろう。
多くの人材をまとめ、短期間で事業を完結させた力量は素晴らしいことだ。

上水道工事が1932(昭和7)年7月に竣工してから間もない、1936(昭和11)年に60歳で没した。




墓地は水戸市見川町「多寶院護国寺」
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水戸の地形・地質と水道建設

2020年06月19日 06時51分30秒 | 水戸今と昔
水戸の地形・地質と水道建設

「ブラタモリ#61水戸編」(2017年2月)は水戸市内をブラブラしながら、幾つかのテーマを探る番組で、その都度、専門家が登場して謎解きをする。









井戸ライフ代表の西原昇治さんも登場した。
「笠原水道」に関連する地質や地層などは今回のメインと言える。

光圀が作った笠原水道は、笠原不動付近の湧水地から暗渠構造で総延長10・7㎞、低湿地の下市までの詳細が知った。
「神崎岩」(凝灰質泥岩)を使用し、隙間を作って岩樋の周りの湧水を取り入れながら送水するユニークな発想は理にかなっていた。
2年足らずの工期で完成させたのは、工区を分割し全区の工事を進める現代と同様な方式を取ったことと推測される。
「井戸ライフ代表」の西原昇治さんも登場し解説。
「笠原水道」に関連する地質や地層などは、水戸編のメインと言える。

1663(寛文3)年に完成した水道が、近代上水道が出来る1932(昭和7)年まで270年の長きに渡って(部分的ではあるが)使用されたとは驚きだ。

「水戸層」と呼ばれる地層は、関東ローム層の下10~15mまでは砂レキ層で、その下は泥岩の不透水層で水を貯え、崖際であれば湧き水となる。
下市の「笠原水道」は湧水を巧みに利用したが、上市の台地の住民は湧水を使用できるのは崖際の住民だけで、ほとんどは「井戸」だった。

1889(明治22)年、市制により水戸市誕生(人口約2万5千人・東京・横浜など全国で36市の1つ)した。
都市生活にとって上水道が不可欠だが、下市は近代の上水道ではないにしても「笠原水道」を利用した給水栓と消火栓の設置がなされていた。

上市の地下水は人口増による水量減退と、汲み取り式の便所など水質の悪化を招くようになる。
1924(大正13)年、衛生面と消防用水を考慮し全市水道への調査が始まる。
1929(昭和 4)年 7月の市内井戸数 2583個のうち飲料適は僅かに28.5%という驚くべき事実が判明した。

水質悪化、水量不足は市民の保建衛生に影響し、毎年少なからぬ疫病の発生をみている。
防火については、下市では水圧は低くても各戸に給水栓、街路に消火栓があったので延焼を防止するのに役立ったが、水道のない上市では消火用水の不足から延焼することが多く、明治以後における市の大火はいつも上市に限られていた。

水戸市の近代水道までの大火の主なるものは次の通り。
*明治40年 7月 3日、汽車の飛火により上市神崎から発火、折からの烈風により神崎観音堂を焼失、延焼11ヵ町におよび焼失戸数 189戸。
*大正 7年 3月25日、汽車の飛火により上市奈良屋町から発火、烈風と水不足のため上市目抜きの場所を横断して延焼、焼失戸数 496戸。
焼失建物の主なるものは裁判所、連隊区司令部、郵便局、高等女学校、新聞社、知事官舎、銀行など。
*大正15年 5月 5日、上市向井町1丁目から発火、井戸深度深く使用に耐えず、防火用水を使用しつくすも鎮火せず138戸を焼失して鎮火。

上記の経過をたどり、水戸市の上水道工事は1930(昭和5)年11月起工。
1932(昭和7)年7月に竣工した。




水戸市水道部「水戸の水道史」を基に「水戸時層学会」(オーサー:那珂川緑波)が制作した簡単な年表「水戸の水道概略史」



衛生面を考慮した上水道の役割が重要なのは勿論だが、消防用水としての使命も大きかった。市役所脇での放水試験。



低区配水塔の中央にバルコニー風の回廊がせり出している。
その上部の正面2箇所に施されたレリーフは、消防ホースのノズルが交差していることからも頷ける。
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『水戸市水道写真帖』(1932年・小貫写真館)

2020年06月14日 20時12分24秒 | 水戸の今と昔
『水戸市水道写真帖』(1932年・小貫写真館)





『水戸市水道写真帖』(1932年・小貫写真館)

水戸市見和在住の後藤一彦さんが、父親の遺品を整理中に祖父の直彦(当時、市土木・水道工務課長)のアルバムを発見し、水戸市に寄贈した。
アルバムはフィルム原版からプリントされた写真が添付された貴重品なので「水戸市立博物館」で所蔵し、水戸市水道部が『水戸市水道写真帖』として、2016(平成28年)8月にレプリカ(複製本)を制作した。

ところが、これとは別に『水戸市水道写真帖』(小貫写真館)が存在した。
「水道工事」ではなく単に「水道」としていることから1932年の竣工を記念して市民に販売されたアルバムのようだ。
小貫写真館が発行したように記されているので、工事に関する一連の写真は同館が行ったのであろう。

水戸市水道部制作の復刻版とほぼ一緒の内容だが、工事関係者の部署・役職・氏名が分かること、更には工事を請け負った工務店などが記載されているこ
「水戸市の水道」という市民にとって重要なテーマについて「再認識する」作業を始めて、今日、このアルバムを手にした時「新発見」と心が躍った。



この工事に関わった首脳部と言える一団。
市長・鈴木文次郎、助役・倉持平十、収入役兼水道経理課長・山口新、土木課長兼水道工務課長・後藤直彦、庶務課長兼水道庶務課長・谷伴夫の5名。

工事中枢で指揮した後藤直彦の役割は大きい。
◎今回の「水戸市の水道工事」を調べる発端になった人物。



技術関連の顧問:工学博士・茂庭忠次郎、技師長・岡田卯之助、嘱託・大口章次、嘱託・大森茂、嘱託・海老澤民之。



庶務主任・高橋六郎、技術主任・原芳男、浄水場工営所主任・今村謙輔、配水塔工営所主任・後藤鶴松、鉄管敷設工営所主任・伊藤金太郎。



市役所脇に在った「水道事務所」は工事全般の中枢本部。



浄水場工営所。



配水塔工営所。
中央が後藤鶴松で配水塔が文化財指定を受けたことで名前が出てくる方。
何故なのか?疑問を持っていたが、配水塔主任であったことによる。




鉄管敷設工営所。



市内全域に配水鉄管を敷設した。



水道工事請負人氏名。
水戸市内の有名土木建築業・電気工事及び東京の高砂鉄工など。

2年間と言う短期間で、高台・低地の両方に給水する大工事。
建設機材は全て人力と言う時代に竣工に及んだ快挙。
水なしで生物は存在しえない。
更に、近代上水道という健康生活には不可欠の事業を推進した方々に大いなる感謝をささげる。
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水戸市水道高区配水塔と低区配水塔@水戸市北見町

2020年06月13日 20時57分38秒 | 水戸今と昔
水戸市水道高区配水塔と低区配水塔@水戸市北見町





有形登録文化財・水戸市水道低区配水塔(平成8年指定)



配水塔が竣工間もない昭和9年の水戸地図。
旧茨城県県庁舎(現・三の丸庁舎)と道路を隔てて隣接。


『水戸市水道工事写真帖』は昭和5年~昭和7年(1930~32年)に建設された水戸市の水道工事の記録写真帳。
巻頭の2頁に渡って「水戸市水道概要」として、水源・配水塔・送水鉄管・配水鉄管延長・消火栓設置、予算などが詳細に記されている。
数字は尺貫法で記されており、旧漢字も多く漢字カナ交じり文で図表はない。
地形や高低差など測量に基づいた綿密な計画だ。

ブログ「水戸時層学会」(オーサー:那珂川緑波)は水戸に関する興味深い話が沢山載っている。
2014年12月13日の「低区配水塔と高区配水塔」
概略を引用させて頂く。

『水戸の近代水道』
芦山浄水場と低区配水塔、現存しない高区配水塔はすべて水道関連の施設です。
いずれも完成が1932年。この年が水戸の近代水道スタートの年です。

近代水道とは、浄水をおこなって水道水を生産している上水道のことです。
湧水を直に利用していた笠原水道はもちろん、鋳鉄管での送水や配水タンクを設けていた下市水道も浄水をおこなっていないので近代水道ということはできません。

芦山浄水場、低区配水塔、高区配水塔は「芦山浄水場と配水塔」という名義で厚生省が1985年に発表した近代水道百選に選ばれており、歴史的な価値が高いことを裏付けています。

以上の位置関係をカシミール3Dで作成した地形地図上で表示すると以下のようになります。』(1932年当時の水戸全市水道関連施設 作成・那珂川緑波)







『水戸の当時の市街地である上市と下市では20m以上の標高差があります。
上市地区に適当な加圧をおこなう高区配水塔と、下市地区に適当な加圧をおこなう低区配水塔の、二つの配水塔が設けられることとなりました。』


以上を踏まえ、改めて『水戸市水道工事写真帖』から竣工当時の写真。






芦山浄水場
昭和20年代、「浄水場見学」は五軒小学校の遠足の定番でした。
平成5(1993)年、設備の老朽化により廃止された。
跡地で『カメラを止めるな!』(2017年製作、監督・上田慎一郎)のロケが行われ、今や映画ファンの聖地となっている。




芦山浄水場か高区配水塔(中央の上部)を望む。





高区配水塔(高さ37メートル)
水戸の西部方面、那珂川の流域のどこからも眺められる、ランドマークでした。



1993年の稼働停止後、取り壊され現在は民有地。
浄水所を一直線に登った方面から。





送水鉄管の埋設された跡地は直線の水道道路に。
茨城大学(中央の奥)が望める距離。




低区配水塔のコンクリート工事。



竣工時の低区配水塔。



配水塔前の噴水とメーター建屋。



配水塔の1階内部。
現在は見学不可能だが、見学会を開催してもらいたいと思っている。
同級生の記憶によれば、遠足或いは学習見学で内部を見たとのことだ。
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『水戸市水道工事写真帖』水戸市水道部・昭和5年11月起工 昭和7年7月竣工

2020年06月11日 14時40分57秒 | 水戸の今と昔
『水戸市水道工事写真帖』水戸市水道部
昭和5年11月起工 昭和7年7月竣工







『水戸市水道工事写真帖』は1930~32年に行われた、水戸市の水道工事事業、低区配水塔(水戸市北見町)芦山浄水場・高区配水塔(渡里)などの着工から完成までの経過を112枚の写真を42ページにわたり収めている。



この写真帖は水戸市見和在住の後藤一彦さんが、父親の遺品を整理中に祖父の直彦(当時、市土木・水道工務課長)のアルバムを発見し、水戸市に寄贈した。

アルバムは複数冊が製作されたが、水戸の空襲などにより市役所にも存在しない貴重な記録。


写真帖は「水戸市立博物館」で所蔵することとし、水戸市水道部が2016(平成28年)8月にレプリカ(複製本)を制作した。




1水源の那珂川の中州

2浄水場

3送水鉄管

4高区配水塔

5歩兵2連隊兵舎(現・茨城大学)



水戸市役所

水戸市水道事務所(水道部脇は消防署の望櫓・最上階で署員が常時巡視していた)

水源中州の起工式場





水源から浄水場への給水管工事



浄水場工事




浄水場

浄水池

揚水ポンプ





高区配水塔工事

1999年解体して更地、現在は民間が所有している。



市内への配水管工事



低区配水塔の敷地、



工事中の写真



完成した低区配水塔



浄水場での竣工式



水戸市役所前での竣工行事

特別宴会

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山あじさいの小路@水戸八幡宮

2020年06月10日 00時04分33秒 | 水戸今と昔
山あじさいの小路@水戸八幡宮








水戸八幡宮の境内の一画に「八幡の杜・山あじさいの小路」が在る。





杉木立の森の中に「花笠」「白富士」「水無月」「玉あじさい」など、山あじさいを中心にして、次々と境内を彩る。

間もなく、梅雨入りする今頃からが見頃だ。
“山あじさい”系は原種に近いから、小ぶりで淡い色合いのものが多い。






北側に「烈公御涼所」(9代藩主斉昭の諡号は烈公)が在る。
元旦にはここから初日の出を望む初日出御来光清祓式が行われる。




北側の崖の上で、久慈の連山や那珂川を眼下に望むことができる。






水戸八幡宮は水戸城の外堀(通称・西の谷)がすぐ背後にあった。
文政5年(1826年)の古地図

現在は堀跡を思わせる場所は皆無だ。

東側の太郎坂の中ごろから階段を登るのが本道。

鉄砲矢場とあるのは斉昭が作った兵器廠で、鉄砲筒師・刀工・鎧甲冑師などを住まわせた。

現在の栄町通りは一直線だが、当時は堀に沿って、くねくねと折り曲がっていた。

栄町と末広町が丁字型の交差する「末広町1丁目」交差点がポイント。


◎水戸八幡宮
佐竹義宣が居城を常陸太田より水戸へ移すにあたり、文禄元年(1592)に分祀。
慶長3年(1598)八幡小路(北見町)に本殿を創建。
一時、常北の那珂西に移遷されたが、現在地に再び遷座された。
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リューシュ ブンカムラ@水戸市千波町262−3

2020年06月09日 06時53分46秒 | 骨董・古美術
リューシュ ブンカムラ@水戸市千波町262−3




水戸市千波町、お茶園通り「ウェルシア」の駐車場の脇道をぬけると、画家の川澄淳さんが主宰する多面的な芸術空間「リューシュ・ブンカムラ」前に。




緑の小路の奥は不思議な世界。




イギリスの田舎から選りすぐりのアンティークが床から天井まで。




足の踏み場もないほど品物が並んでいる。



硝子類、



サイドボード、本棚、キャビネットなどの大型の家具も。



寛いだカフェの空間でもある。



川澄さんの絵画や彫刻作品も販売されている。

絵画教室の空間にもなる。

奥様が担当する「ウェディングマリア」はウェディングドレス・ステージドレス・礼服などのオーダー、ドレスのお直し・着物や古いドレスを使ったリメイクなども。

◎駅南の桜川沿いにアンティークの店を出したのが始まり。
数十年前のことだ、恐らく30年以上はたつ。
骨董古美術の世界で生き抜くのは至難の業。
絵画教室を含めた事業で補ってきたのだろう。
千波に移っても20年位か?
何れは地元の鉾田市に「美術館を」夢もあるらしい。

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藝文ギャラリー秀作展 人のかたち

2020年06月07日 22時36分44秒 | 美術展
藝文ギャラリー秀作展 人のかたち

<第1会場/藝文ギャラリー>
前期:2020年6月3日(水)~6月28日(日)
後期:2020年7月1日(水)~7月26日(日)










<第2会場/藝文プラザ>
2020年6月3日(水)~7月21日(火)



<第3会場/常陽史料館(水戸市備前町6-71)>
2020年6月2日(火)~7月12日(日)









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「稽古場・風」の赤松の大樹@水戸市新荘3-4-5

2020年06月06日 19時59分23秒 | 水戸今と昔
「稽古場・風」の赤松の大樹@水戸市新荘3-4-5




「稽古場・風」は堀籠貴子(風野行衣)さんが主宰する多目的な空間。
絵画や陶器の展覧会・ジャズライブ・演劇会場などに幅広く使用されている。
道路際の樹齢200年に近い、赤松が目印。



常磐大学高等学校の正門から、水戸商業の一郭は整然とした区割りで、以前は武家屋敷が立ち並んでいた痕跡が最近まで在った。



旧「松小路」の町名碑。



幕末の古地図。
何時のものかは分からないが、天保7(1836)年以降。

松小路を始め、梅小路・楓小路・柳小路・花小路・桜小路・桃小路・桐小路・柏小路・常磐小路、などの洒落た名前の小路が並び「新屋敷」と呼ばれた。

江戸時代初期、寛文6(1666)年頃は水戸藩付け家老の中山備前の守の下屋敷となり備前町から(私の推測)家士を移住させて「新屋敷」とした。
中山氏が松岡藩の領主として独立した後は、陸田などになっていた。



文政9(1826)年の地図は「下屋敷」とあるが、町割りはされていない。

天保7(1836)年、水戸藩主斉昭は天保の改革の一環として、定府制を廃止。
江戸在住の家臣に国元帰還を命じた。
この時に再び武家屋敷となった。

屋敷割の際に、目印となる樹木を植え小路名とした。
何とも粋な計らいだ。
松小路の由来は、稽古場・風の赤松の大木に違いないだろう。

この地区は町名変更の際に「新荘」となったのは残念な話だ。

近年、この辺りは個人の住宅が減少しマンションなど、集合住宅が多くなった。

そんな風潮に抗い「稽古場・風」は健在だ。




毎月9日「風マルシェ」が開催される。
「生活クラブ生協」の品物やこだわりの農産物、手作りケーキの販売など。
その時に依って出し物は変わる。





庭&駐車場の一画の小屋は立ち飲みカフェ「小さな風」。
200円でコーヒーが飲め語り合う場。
多少の雑貨なども展示販売される。

久し振りに6月9日(火)に開催予定らしい。
新型コロナウイルス禍の状況下での開催だ。
珈琲を飲みに訪ねようと思っている。
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GOOD WOOD HOLIDAY(グッド ウッド ホリデー)

2020年06月03日 13時12分29秒 | カフェ・喫茶
GOOD WOOD HOLIDAY(グッド ウッド ホリデー)
@水戸市本町2丁目11-11











水戸市下市の備前堀の景観は倉敷を連想させる要素がある。
魅力を発信と地元の人たちも何かと努力しているが、今一つ盛り上がらない感も在る。
内原町在住の吉澤さんご夫婦が、昨年の6月に珈琲&ステンドグラスの店「GOOD WOOD HOLIDAY」を開いた。
ご主人の定年後に始められる予定で進行していたが、奥様が「私も手伝う」との話しでご夫妻でスタート。


備前堀に沿った一郭で橋の際だが、車は通行できない細い橋。
幾らか分かりづらい場所、確認してから訪れるのが間違いない。
少し離れた場所に、駐車場が確保されている。


天井の白い梁が見える、広々した空間。
ご自慢のステンドグラスや照明器具が設置されてある。




ご主人の吉澤忠さんが長い間を掛けて集められた思い出の品々で埋め尽くされている。
奥様が担当のアクセサリー類も豊富。






窓からは庭木のバラなどを通して備前堀が間近。
テラス席もある。




銀座パウリスタの特選ブレンド豆を使用した挽き立て珈琲。
奥様の手作りのケーキセットと一緒に楽しめる。




雑誌「VINTAGE LIFE」(「ヴィンテージライフ」)
ご主人の好きな、クルマ・バイク・時計・カメラ・自転車を中心とした、古き良きアイテムと、それを楽しむ人々を世界中から紹介する。

そのようなライフスタイルの一つが、イングランドのグッドウッドで開催されるモータースポーツのイベントが「グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード(Goodwood Festival of Speed)」が年に一度、6月下旬から7月初旬に開催される。
「GOOD WOOD HOLIDAY」の店名はこの集会を念願として付けた。

新たな居心地の良い隠れ家が出来た。
この店から歩いて10分足らずの所に、コーヒーとジャズの店「Rings Twice」
も在る。

備前堀界隈に素敵な店が揃った。
これから益々良い店が増えて、情緒在る街並みになることを願っている。
残念乍ら、備前堀が農業用水で年間を通して流れないのを解決できないものか?




開業日: 火曜日・木曜日・土曜日 の3日間の変則営業。
時 間:13.00-19.00
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