「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

ヂョン・ヨンドゥ をよんでみる@水戸のキワマリ荘

2014年07月31日 21時08分04秒 | 水戸今と昔
ヂョン・ヨンドゥ をよんでみる@水戸のキワマリ荘
2014年8月3日 17:30~19:00



明日(8月1日)から3日まで「水戸黄門まつり」が開催される。
提灯や竹飾りも出来て祭りの気分も盛り上がる。
幕開けは、千波湖畔の花火大会だが、天気予報は曇りないしは雨。
荒天の際は次週の8日(金)に順延となる。

8月2日・3日・9日・10日に国営ひたち海浜公園で開催される「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014」は今年で15回目。
日本中に知られる大イベントとなった。
この期間中、ひたちなか市を始め水戸市を含めた周辺の市町村の宿泊施設は満杯で予約は不可の状況だ。



水戸芸術館では8月2日[土]~ 10月19日[日]まで「近所の地球」と題した鈴木康広の展覧会が開催される。
彼の代表作品と新作によって構成されるが、「パラパラマンガ商店街 in 水戸」など、市街を新しい視点から表現する作品もあるようだ。
水戸芸術館の現代美術ギャラリー11月からの企画は「ヂョン・ヨンドゥ」展。
作家は既に水戸に滞在し、取材や制作を始めているとのこと。

 

水戸のキワマリ荘では写真家の松本美枝子を聞き手にトークショーを開催する。
会費は500円、事前の予約は不要で当日の支払いでOK.
8月3日(日)17:30~19:00

多様化した現代社会では、同時進行で各種の催事が行われる。
何を選択するかは、自分自身だ。
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全国の高校生の文化祭@茨城県内各地

2014年07月31日 18時46分47秒 | 美術展
全国の高校生の文化祭@茨城県内各地



7月27日から今日(31日)迄、茨城県内の各地で「いばらき総文2014~第38回全国高等学校総合文化祭茨城大会~」が開催された。
高校生文化部のインターハイとも呼ばれる藝術文化の祭典で、日本全国から高校生が集結し、演劇や吹奏楽などの発表や美術工芸などの展示も開かれた。
水戸市内でも赤のTシャツを着た関係者を数多く見かけた。


(申し訳ありません、どちらの高校か聞き忘れました)

30日のケーズデンキスタジアム水戸でのV・ファーレン長崎戦のゲート前でマーチングバンドのドラムが披露された。
ハーフタイムにも演奏されたが、試合を鼓舞する迫力があった。
試合は残念ながら0-0の引き分け。
夕暮れからの始まった試合は、爽やかな風が吹き渡った。











最終日の今日、茨城県立近代美術館の美術と工芸の展示を観たが、県展・市展のレベル以上の作品が、多数展示されていたのは驚嘆に値する。

高校生の美的感覚の向上は現代社会を反映している。
開催期間が5日間と云うのはもったいないが、仕方あるまい。



近美の前の広場には、お土産販売のテントも立ち並んだ。
土産品に勝る大きな土産を参加した高校生諸君は持ち帰るであろう。
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「水戸黄門まつり花火大会」@水戸市南町2-3-25 アットワークビル屋上

2014年07月30日 15時03分18秒 | 水戸今と昔
「水戸黄門まつり花火大会」@水戸市南町2-3-25 アットワークビル屋上



水戸市内の国道を跨ぐように祭りの提灯がつりさげられ、祭りの雰囲気が出てきた。
「水戸黄門まつり」は昭和36年に始まりで、毎年8月の第1金・土・日の3日間開催されている。
「七夕まつり」から始まって、何年かおきに見直しがなされ現在の形になった。神社・仏閣の祭りが起源ではないから、ごった煮的で、何でもアリがこの祭りの特徴といえる。
祭りに定型はないから、これはこれで良いのだろう。

当初から変わらないのが千波湖畔の花火大会。19:30~20:30の1時間に、約4,500発以上の花火が打ち上げられる。
大震災以降は時間が30分縮小され、いくらか物足りないが日本一ともいえる地元の「野村煙火工業」が打ち上げる花火は見ごたえがある。

《何処で観る・誰と観る。》は例年異なり定型が無い。
昨年、アットワークビル屋上の鑑賞会に参加した。Tシャツを購入し、着用するか持参すると屋上の会場に入場できる。飲み食い自由、と云う気楽な集い。更には、ライブ演奏なども。
今年も、参加しようと思いTシャツを購入した。

僕の昔からの友人、杉浦時彦さんが社長を務める「アットワークグループ」は水戸市の南町界隈をメインに15店舗位を展開するセレクトショップ。
店ごとの独自のポリシーと品揃えで、健闘している。
低価格と寡占化が続く現代に、独自路線を貫くのは至難の業。あえて、特色を出せる原因は、杉浦社長の力も大きいが、従業員のやる気が大きい。年に何度かのイベントを開催するが、全て社員の企画運営。
スポンサー等の協力は有るが、ほぼ自前。
笠間の「磯蔵」の酒のイベントもそうだが、補助金など当てにしないで行う独自の企画が街を動かすのだと思う。
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V・ファーレン長崎を迎え19:00キックオフ

2014年07月29日 22時23分26秒 | 水戸ホーリーホック
V・ファーレン長崎を迎え19:00キックオフ



27日午後からの爆弾低気圧による豪雨からいくらかしのぎ易くなった。
前日、26日の夜の南町広場での水戸ホーリーホックとロアッソ熊本のパブリックビュー、前半終盤に先制するも、後半に逆転され1-2で敗れてしまった。

熊本「うまかな・よかなスタジアム」の観衆は10232人。
サポーターの熱気が画面からも伝わった。
4連敗中の熊本を立ち直らせたのは応援に他ならない。

明日、30日はV・ファーレン長崎を迎えてのホームゲーム。
祭りを前にした、今年唯一、平日のナイトゲーム。

1万以上とは望まないが、せめて6000人であることを!
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「32CAMP」の準備が進んでいます@ 西の谷緑地公園

2014年07月27日 21時51分15秒 | 西の谷緑地公園
「32CAMP」の準備が進んでいます@ 西の谷緑地公園



8月2日(土)14:00頃~3日(日)12:00頃まで西の谷緑地公園で宿泊型対話イベント「32CAMP」を開催される。
「公園でのキャンプ体験を共有し私たちを取り巻く環境について改めてゆっくりと話す場を設けます。」との意図をもって開催され、今回で3回目。

今年のテーマは「場と間」。

 



開催に向けて西の谷緑地の草刈りや整備が進行中。
道路や公園の維持管理は市町村にとって、大きな財政負担を生じる。
従って、作る予算より維持管理費が重要と云うことを関係者は肝に銘じてほしい。

今日(27日)午後から寒冷前線の移動による嵐の様な雷となった。





1時間位で通過したが、整備中の西の谷も草がなぎ倒され、枯れ枝が散乱するなどの被害を受けた。
8月1日夜の「花火大会」迄に整備完了、という予定だろうが、充分の手入れを望む。



緑地の片側の水路にを飛ばそうとの案で、水路整備がされたようだが、今回の雨で落ち葉や枝も溜まってしまった。

今回の開催期日は「水戸黄門祭り」に重なる。
これを機会に、多くの人達が参加することを望む。

宿泊型対話イベント「32CAMP」を体験されると同時に、公園や緑地の重要性と維持管理についても充分の認識を持ってもらいたい、と思っている。
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上田薫のスーパーリアリズム@水戸市立博物館

2014年07月26日 23時53分14秒 | 美術展
上田薫のスーパーリアリズム@水戸市立博物館



関東甲信地方は7月22日に梅雨明けした、とのことだが連日猛暑が続いている。
夏休みに入って、海も山も大賑わいのようだ。
美術館や博物館も子供を対象とした企画が組まれている。

水戸市立博物館では
「ふしぎ ふしぎ 超リアル! 上田薫のスーパーリアリズム」と題する展覧会が、7月20日~8月31日迄開催される。
上田薫さんはスーパーリアリズムの巨匠として知られている。



ステンレスのナイフやフォーク、スプーンの輝き。
卵が割れて殻から滑り落ちてくる。

ゼリーがプリプリ・プルーンと巨大な画面に写真のように描かれている。
近づいて見れば写真ではなく油絵。

始めてみた時は誰もがわが眼を疑う。

上田さんは、1985年から1992年迄の7年間は茨城大学教授を務められ水戸市に住まわれていた。
丁度、水戸芸術館の開館する頃で、上田薫さんはじめ茨城大学の諸先生方にも美術関係ご意見をお伺したようだ。
その結果は水戸芸術館の「現代美術ギャラリー」の運営に生かされている。

2011年に開催された「CAFE in Mito 2011 ― かかわりの色いろ」展に際しては自作を何点か寄贈された。



その時の自作前での写真。
奥様の上田葉子さんはキルト作家として活躍している。



茨城大学を退官されて相模原に転居し、近年に鎌倉に移り住んだ。

2012年4月、鎌倉の鶴岡八幡宮を眼下に見る丘の上の住まいとアトリエを訪ねた。
温厚な人柄で淡々と人生を送られている。
お元気で新たな作品に取り組まれている姿を拝見し、心強く感じた。

 

アトリエを拝見したのち、孟宗の竹林で有名な報国寺にご案内頂いた。

東京生まれの上田さんは、幼いころからの憧れの鎌倉での暮らしを愉しまれているようだった。

水戸に移られて間もなくの頃からのご縁ゆえに、今回の展覧会は嬉しい。
「上田薫の世界」を多くの方に感じて戴ければ、と思っている。
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中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

2014年07月26日 16時45分45秒 | シェジャニー
中華・ピッザ・鮨 @盛岡市

食べられれば何でもいいと思っているが、たまには美味しいものもと思うときもある。
安比のジャニーへの旅は、水戸の京成百貨店のお中元売場に来水した、秋田のうどん屋さん「眞壁屋」の眞壁明吉良さんとの縁。

「明日、盛岡まで行きます」との話を聞いて、同乗を願い出た。
盛岡まで行けば、安比までは1時間足らず、何とかなるだろうと考えた。

朝7時に水戸を発ち昼頃には盛岡着。
眞壁さんが待ち合わせた方と一緒に昼ごはん,となった。
中心街にある、本格的な中華料理店とのこと。

萬花京@盛岡市菜園1-6-13









豪華な昼定食をご馳走になった。

次から次に、料理が出る。
ヌーベルシノワを標榜しているから、今風なのだろう。

写真を見て、料理をご堪能下さい。

ピッツェリア ピアーチェ@盛岡市大通3-6-23

安比から戻って盛岡に宿泊した。
散策の後はピッツェリア ピアーチェに。







PIZZA発祥の地、ナポリの伝統を 重んじている人達の後継者で、イタリア産小麦粉・水・塩・生イーストの 4つのみであることが基本とした薪窯の店。

「真のナポリピッザ協会(本部ナポリ)」の店で日本で36店舗目だとのこと。



●マルナーラ(ナポリPIZZAの原点・ニンニクとオレガノ)を注文。

回転鮨清次郎@盛岡駅ビルフェザン内B1F

 

ジャニーが「回転寿司だけど旨いよ」と云うことで、行きました。
魚の卸やさん経営によるとのこと、盛岡市内に何店か構えている中のひとつ。
確かに、ネタが良い。

 

天然ワカメ汁。

カンパチ・アイナメ・タイ。
何れも天然物。

 

更に,キンメ。
水タコ。
店長の長岡真広さんにご挨拶も出来た。
何れのお店も、機会が有れば再訪したい。
盛岡経由、安比高原は魅力にあふれています。
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安比高原への拠点、盛岡市の点描

2014年07月22日 19時44分31秒 | シェジャニー
安比高原への拠点、盛岡市の点描。



比高原への拠点、盛岡市の点描安比高原への拠点、盛岡市の点描。
歩いてたのしむまち

「シェ・ジャニー」のある安比高原は東北自動車道「松尾八幡平IC」或いはJR花輪線「安比高原駅」を経由する。
何れにせよ盛岡市が基点。
これまで何度か立ち寄り、わんこ蕎麦、盛岡城址公園、光原社などにも行った。
今回は盛岡に1泊し、貸自転車でポタリグしたので、いくらか詳しく見られた。

北東北の観光拠点になっている盛岡駅。東北新幹線、秋田新幹線の分岐点でもある。



駅近くで、貸自転車を借りる。



啄木であい道。川沿いの小道に沢山の歌碑が並ぶ。







開運橋を渡り、真っ直ぐ進んで行けば盛岡一番の繁華街・大通りに至る。
この橋、水戸の水府橋に似ていますが、昭和27年製。

材木町、宮沢賢治ゆかりの民芸品店をはじめ陶器、木綿、漆器、木工家具など手仕事を重んじる店が軒を並べている。



「光原社」は宮沢賢治の命名による。大正13年に賢治の『注文の多い料理店』を出版。





中庭に賢治の記念碑が建ち、裏の白壁には「雨ニモマケズ」などの詩が大書してある。
民芸品やコーヒー店も有ります。





大通りの商店街、空き店舗は殆んどありません。
映画通り、もありました。今でも何軒かの映画館が有るようです。





盛岡城跡公園(岩手公園)。
盛岡城は北上川と中津川の合流点の丘陵につくられた平山城。桃山時代から改修を重ねた石垣は見事。



公園の近くに、この様な懐かしき飲み屋街もある。



石割桜は盛岡地方裁判所前にある、樹齢約360年ともいわれるエドヒガンザクラ。
周囲21mの巨大な花崗岩を割って成長を続ける生命力が見事。国の天然記念物。
盛岡市は「歩いて楽しむまち」を標榜している。
案内図や標識など、心配りが感じられた。
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弟子からの便りの再録

2014年07月21日 22時21分18秒 | シェジャニー
弟子からの便りの再録


本年春田さんがレストラン・ボン ヴィヴァンを訪れた。

伊勢のレストラン・ボン ヴィヴァンのオーナーシェフ河瀬 毅さんが2006年にアップした記事をご本人の了解を得たのでアップします。(原文のまま) 料理の神様とも称されています。弟子からの便りの再録

料理の神様とも称されています。25年前に魅惑の南仏料理と言う本を出版したこの料理人について お話したいと思います。
前回に予告した北勢の虎の話は、又次回と言う事で勘弁して下さい。
何故なら私は、心から愛して尊敬するこの安比の神様の弟子の一人ボン ヴィヴァンであるからです。
私という料理人が形成された過程の中でレストラン・シェ・ジャニーがどれほどの影響を私に与え、 感動を覚えさせてくれたか・・・・ 春田光治は、決して叩き上げの苦労人の調理師ではありません。
もちろん勉強家ではありますが、 みじんも見せず鼻歌唄いながら楽しそうに鍋を操る、生まれながらの天才料理人です。
彼が作り出す料理の数々に当時の美食家達はせっせとレストランに通い詰めました。
今、流行りのこぎれいな料理ではありませんが、フロマージュドテート(豚の頭のゼリー寄せ)、 トリップアラモードカン(牛胃袋の料理)ラタトゥイユ(南仏野菜の煮込み)などなど 見掛け倒しの一発料理ではなく、素材、火の使い方、時間、香草、香辛料、味の構築。 全ての判断力が体にしみついてこそ初めて作ることが出来るこれらの料理。
素朴でしみじみと味わい深い料理が天才の手にかかると極上の皿に変貌します。
洋館を改造して変則的な決して広くはない厨房にいた当時の私たち11人。 まかないもシェフのお世話になりました。
ベトナムラーメン、ブランケット、叉焼、ピエジャメetc 若かった私たちはチームとなってレストランを盛り立て、褒美としてシェフの傍らに居させてもらっていた ような気がしてなりません。
にんにくは芽を取り除いてからパーンと潰してからアッシェにします。
生姜は繊維を断ち切るような方向で すりおろし、わさびは外皮を綺麗に削って緑だけにして鮫の皮のおろし金で円を書くように優しくおろす。
おろし終わったらわさびをそっと捏ねるんでしたね。
醤油の中にわさびは溶かず、刺身の上にちょっと乗せ醤油を少しつけて食べるもんだと26年も前に 教わりました。
グルメ本、指南書が溢れる今でこそ当たり前の知識。
でも私たちは貴方のおかげで当時からいっぱしでした。
渋谷の公園通りの奥に入った所。文化屋雑貨店から消防署の横を上がった所。
上がりきると、コロンバン、出来たばかりの釜茹でスパゲティの五右衛門があり、 坂の途中にはサザビーズが小さな店でオープンしは、まだシップスと名乗っていました。

代官山にハリウッドランチマーケットが出来て、神田のガラクタ貿易で三枚組のヘインズのTシャツが 予約待ちだった頃の話です。

岩手県に潜むジャニーへ。勝手にそんな頃の話をしてもいいですか? 当時の私たちの仕事。
渋谷の街の風景。何故ジャニーが連日満席の店を売ってあえて安比高原に移ったか。 これから、しばらくポツポツと深夜の独り言を喋っていきたいと思います。 そう言えばジャニー、先日届いたカキスープもベーコンも素晴らしかったです。
前回のクスクスやカイエットといいスタッフ一同、感動でやられっぱなしです。

*追記、ジャニーより若干の訂正が入りました。
大蒜の芽、よほど悪い色でなければ取りません、生姜は繊維に沿っておろした方がよろしいです
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水戸2-0で群馬に勝利@ケーズデンキスタジアム水戸

2014年07月20日 23時42分00秒 | 水戸ホーリーホック
水戸2-0で群馬に勝利@ケーズデンキスタジアム水戸

 



ザスパクサツ群馬を迎えての「北関東ダービー」
北関東自動車道の開通で群馬と茨城の距離が縮まった。
群馬のサポーターの数も多かったし、応援ぶりも見事だった。

 

ガールズ&パンツァーとのコラボ、




北関ゆるキャラ&グルメ祭り、
 

開始早々の2分に鈴木 隆行がPKを得て先取点。
守ろうとするのか動きが鈍くなり、前半が終了。


後半は巻き返し攻めに入った水戸は18分にまたもや鈴木 隆行がPKを決めリードを広げ、逃げ切った。



ガルパン・コラボや「北関ゆるキャラ&グルメ祭」など球団の努力が実り入場者は5776人だった。
これくらいは入れば雰囲気は良い。

7月30日19:00~のホームゲーム「V・ファーレン長崎戦」は6000人以上で応援したい。
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ザスパクサツ群馬さん、ようこそ

2014年07月20日 10時32分51秒 | 水戸ホーリーホック
群馬さん、ようこそ@ケーズデンキスタジアム水戸



天気予報は曇りだったが、朝から晴れて梅雨も明けたかとも思える。
今日は久しぶりに水戸ホーリーホックの応援。

ザスパクサツ群馬をホームに迎えての北関東ダービーで18:00kickoff。現在、水戸は14位でザスパクサツ群馬 は18位。
どちらも下位だが、これを機会にお互い浮上したいところだ。

水戸は7月13日に行われた天皇杯2回戦の福岡戦で、2-0と完封勝利した。この好調を維持したい。
今日は、北関東高速道路経由で多くのお客さんが来られることも願っている。
試合の前後、水戸のあちこちを散歩し楽しんで下さい。
サッカーの良さは、お互いの街を訪ねて交流を図るところに良さが有る。
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シェ・ジャニーの魅力

2014年07月19日 18時14分33秒 | シェジャニー
「シェ・ジャニー」の魅力。



渋谷区神南の住宅街に、春田光治さんがフランス料理店「シェ・ジャニー」が開業したのは1969年。
実家が所有していたアパートを改装した小さなレストランだった

フランスと縁の深いモロッコ料理・ベトナム料理など、当時の日本で初登場の料理は大人気を博し、連日、予約で満席という状況が続いた。今では、中華屋さんから居酒屋さんの突出まで、夏の定番メニュー「ラタトゥイユ」(ニース風野菜煮込み)を始めてメニューに載せたのも、春田さんだ。

開業して約15年、料理を頭で味わう人達が多くなったことを嫌気したオーナーシェフの春田光治さんは、1985年渋谷の地を離れ安比高原に移住した。グルメブームに背を向けた男と僕は思っている。

その後の約10年間は、スキー、釣りや狩猟など趣味の世界を楽しんだ。料理は、家族と友人のため、毎日の三食を真剣に取り組んだ。全ての事に妥協しない性格だ。

余りにも早い隠棲生活入りを惜しんだ友人の助言や、昔の常連さんの要望もあって1997年自宅の一部を改装し「シェ・ジャーニー」の営業を再開した。





5日前迄の予約制で、自分の食べたい料理などの希望を伝え、メニューなどを相談して決める。
戦中戦後の耐乏生活に生まれ育ったから、今の世は、かっての王侯貴族さえも出来なかったほどの豊かな暮らしにあふれている。

食べ物に関しても、料理番組のエンターテイメント、バラエテー化。廉価の飲食チエーンによる均一化。
町おこし村おこしのB級グルメブーム。ラーメン、カレー、蕎麦などの食べ歩き。
高級店でも、白磁一色の単純な器のオンパレード。高級食材をこれでもかと使い過ぎた豪華料理。等々、感じることは沢山ある。しかし、自分なりの物差しを得ておくことは必要だ。

「シェ・ジャーニー」春田さんの料理は、
料理の基本に忠実で、今風の奇をてらった器使いや料理は出さない。
厳選した素材と、原価率が高い(売値のかなりが材料費で利益は少なくなる)料理は健康食で、なおかつ美味しい。

素材や香辛料、作り方まで、隠さずに全てを教えてくれる。
「当店、秘伝のレシピ」などの野暮なことは絶対に言わない。
店の内外も飾り過ぎずにシンプルに。料理はコンサートなどと同じ時間の流れを楽しむことでもあり、次なる料理とのタイミングや取り合わせ。
食の重要性を考え,味と見た目の調和。全ての面で、一つの基準となりうる。
美味しい料理をお腹いっぱい味わってほしい。との信念は変わらない。
何処から行くにしても、安比高原「シェ・ジャーニー」への道は近くはないが、時には「シェ・ジャニー」に行くことをお勧めしたい。
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シェ・ジャニーの賄い

2014年07月17日 11時42分11秒 | シェ・ジャニー
シェ・ジャニーの賄い



1980年頃の渋谷神南の「シェ・ジャニー」道路わきの看板とメニュー。
ここを上がって、ツヅレ折の坂を登れば入り口。

「今晩7時頃、夕食にいらっしゃい」とのジャニーの誘いを受けて、ペンション「ウィングライトでひと休みしている間、渋谷時代を思い出していた。
調理人を目指していた友人のH君が、『女の部屋・№3』(1970年・ひまわり社)の「フランス帰りの若夫婦が、自宅を改装してレストランを始めた」という記事を見せて「この店で修業したいと思う」との願望を聞いた。
『女の部屋』は画家、ファッションデザイナー、編集者、イラストレーターとてマルチな才能を発揮していた中原 淳一(1913年 - 1983年)が「賢く美しい女性になってほしい」との理想に燃え創刊した雑誌で『それいゆ』の姉妹誌。
次なる時代の到来を想定していた。

念願かなったH君はシェ・ジャニー初代の弟子となった。
その後、店の人気が広まるにつれ、お弟子さんが増え、従業員は10人以上となった。
店も広げられて収容人数も増えたが、連日満席の状態だった。
ホールも満席だが、厨房の裏も賑わった。
営業終了の時間頃(夜の12時前後)になると、厨房に通じる廊下辺りに部外者が数名いることがある。
僕もその中の一人と云うこともあった。《洗い物や、片付けを手伝う》という名目だが、作業の段階で洗いも片づけも順次済ませて進行しているから,さほどすることはない。
要は、賄いにあり付き、話に加わりたい、と云う訳。料理界の人ばかりでなく、広い範囲の人達が集まってくる。
「賄い」と云っても、通常の賄料理とは異なり、店で出す料理と同等或いはそれ以上の料理が並ぶ。
ジャニー自らがメニューを考え、調理する。中華やベトナム料理などを始め、薬膳料理などあったと記憶する。美味しいもの、珍しい物への拘りだ。
先ずは「菊正」の樽酒で乾杯、倉庫には薦被りの樽が常備されていた。
野菜の糠漬けが必ず付く。これまた一年中欠かさない。
漬け物と酒の後に、ジャニー作のその日のメインとなる。
会話をしながら約1時間位の食事の後は、一斉に片付けで解散する。
時によっては、仕込や試作もあるから、なんやかんやで、早朝になることも稀ではなかった。
安比に移転前、フランス料理全盛の時代。

1985年、家族とスーシェフのハモさんを伴って安比に移住。
趣味に生き、料理は家族と友人の為につくる毎日。
移転して間もない1987年8月、2階のゲストルームに泊めて頂いた。
その後も、何度か泊めて頂く機会があった。
2011年の時より、ご苦労を思ひ、近所のペンションに。





2人の子供さんアリスさんとリオンさんが小学生の頃。
庭にドラム缶を半分に切ったバーベキュウ―用の炉で、子豚の丸焼きをした。
渋谷時代のスーシェフだった通称ハモさんが、家族や友人達の賄の為に同居していた。お抱えの助手といえるが、子供さんも小さかったし、何かと人手が必要だった。
レストラン営業はしていなかったが、雑誌の取材などが毎月入っていた。



98年10月、山もりの大きい餃子。



2003年7月のラーメン。
どれも当時の写真を複写して鮮明でないから分かりづらいが、酒とつまみが必ずと、中華料理も本格的に作る。
単なる「賄い」の領域を越えている。
全ての食事に妥協はなく、常に全力投球だ。しかも、己に厳しい。
2014年6月30日、今宵は春田さんご夫妻と僕の3人での食事。





最近お気に入りの三重の酒「八兵衛」を浄法寺塗の片口に移して。



この夜のメインは、焼きソバ。3人前なのに6玉の麺を蒸かし、改めて具材と共に大きい中華鍋で炒める。
焦げ目も付いて香りもたつ。直径40センチくらいの大皿にドーンと。
美味しいものを少し、ではなく腹いっぱい、という考えだ。
食後、午前1時頃までよもやま話、ご馳走様でした。
リンクしている「シェ・ジャニー」のブログを検索すると、美味しい料理や賄い料理の作り方まで含め、美しい写真で見られます。
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「茄子」郡司硯田・筆

2014年07月16日 14時22分51秒 | 人と作品
「茄子」「なすび」



郡司硯田・筆

3日か16日まで「お盆」今日は送り火だ。
月遅れに行う寺や家も多いが、梅雨明けしない時期よりは、間もなく秋と云う8月のほうが気分に叶う。

茄子やキュウリに割り箸を差しこみ、午や牛に見立て、供物や精霊を運んでもらう、という習慣が有る。
僕も子供の頃はやったが、最近は省略してしまった。

夏の代表的な野菜と云えば、ナス・キュウリ・トマトを思い浮かべる。
茄子の原産地はインドの東部で、その後、ビルマを経由して中国へ渡ったと考えられ、日本には平安時代に伝わったので、1000年以上にわったて食べられている。
従って種類も多く、漬け物から煮物・焼きもの・炒め物など料理の幅も広い。僕も大好きな野菜。

たまたま、昨日の新聞に「夏野菜として、栄養価の高い食材」との記事が有った。
水っぽくて淡白、料理次第でどうにでも変化するが多くの栄養素が入っているとは知らなかった。
形や色も良いので、画材になることも多い。

この色紙の作者は、郡司硯田(1907-1975)で水戸市下市城東の生まれ。
堅山南風に師事し、師匠と共に日光東照宮の天井壁画の修復に従事している。
鯉の絵を得意とし「硯田の鯉」として、人気が高かった。
今でも、水戸や常陸太田で「鯉の図」の遺作を見かける機会は多い。
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「独居老人スタイル」都築響一著 筑摩書房刊

2014年07月15日 20時50分47秒 | 本・雑誌
「独居老人スタイル」都築響一著 筑摩書房刊
 

20日(日)に「ひめくり俳句会」の月例会があった。
月に一度、頭の体操と思い参加しているが、各々方が選んだ句に対しての感想を聴くと、思いもよらない発見などがあるのが楽しみだ。
会主はいなく、輪番の当番さんがすべてを仕切る。
今月担当の吉治さん、山登りや自家菜園など守備範囲が広い。
お茶うけに、自家製の「青梅のゼリー」やミニトマトの酢漬けなどを持参されたが、これが商品として売れるほどに旨い。

その他の雑談も愉しみだが、特に、画家の福地靖さんは長老的な存在で、日常のよもやま話は面白い。
この日は「独居老人スタイル」という本を持参された。
面白そうなので、来月の句会までお借りした。

16人の独居老人の暮らしぶりが紹介されている。
都知事選に立候補したり、はたまたブリキの彫刻家として展覧会を開催するアーティスト秋山祐徳太子(あきやまゆうとくたいし)

ゴミ屋敷のような部屋に寝起きし「片付けるってのは、消極的なことですよ。」とのたまわく。
「片付けなくちゃ」と常日頃感じている僕には力強い生き方だ。
登場人物の全てに沢山の写真が添えられているから、凄く分かりやすい。
写真は、カラーとモノクロだが哀愁感が漂っている。

91歳で3点倒立を披露する伝説のアーティスト・ダダカン。

新宿の荒木町、路地裏の飲食街に着物姿にギターを抱えて姿を現す「流しの新太郎」今では珍しい「流し」が存在している。
「荒木町」も一度は訪れたいネオン街だ。

新宿3丁目のスナック「香夢」(がぼう)のママ・鈴木惇子。

福島県本宮市、人口3万人ほどの福島で一番小さい市。
「本宮映画劇場」館主・田村修司。

品川区西大井界隈、シャッター街の一角に「モミジ堂」と書かれた薬局。
そのままを利用したアトリエ兼画廊。
画家「戸谷誠」絵描きでは食えないので、午前中はビル掃除で生活費を稼ぎ、午後から絵を描く。

道化師「ブッチャリン」
漫画家「川崎ゆきお」
日曜画家、写真家の「川上四郎」

何れの登場人物もお金や世間の名声には無縁で、自分が好きな道を歩んでいる。

その様な人生を「好む好まないは」人それぞれだろう。
「独居老人」がテーマだが、独居も老人も特別に意味はなく、どの様な生き方を選択しているかを提示している。

僕には、しっくりとくる人達と行ってみたい町や店が沢山あった。
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