「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

94年前の今日(9月1日)関東大震災が発生した。

2017年09月01日 16時28分05秒 | 日記
94年前の今日(9月1日)関東大震災が発生した。

190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。

1923年(大正12年)のことだから、体験した方は殆どいないだろう。

2011年(平成23年)3月11日の「東日本大震災」の死者・行方不明者は18,449人と人数こそ少ないが、被災地の広さや津波なども重なって甚大な被害を受けた。
特に、福島第一原子力発電所で発生した炉心溶融(メルトダウン)の事故は7年を経過しても先行きは見通せない。

東日本大震災は数百年に1度位の発生頻度と云われるが、東京の直下型は100年単位で発生すると言われ、間もなく100年を迎える首都圏直下型は何時発生してもおかしくない状況にある。

地震予知の技術は殆んどないのが実状で、今日・明日も安全とは言えない。

8月29日午前6時すぎ北朝鮮から発射された弾道ミサイルによる、全国瞬時警報システム(Jアラート)。
発射されて数分で到達してしまうのに、何が出来るのか?
何のための警報なのか。
運用のシュミレーションも無しでイキナリの警報。

地震とミサイル警報は別の問題だが、アメリカやオーストラリア、さらにはインド・バングラデッシュなどでの大雨の被害。

関東大震災を教訓に9月1日は「防災の日」と定められた。
この日ばかりでなく、何時でも何が起こるか分からない。
それなりの心の準備をしておくことが必要なのだろう。
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2017年、今年は何年。

2017年01月01日 20時28分41秒 | 日記
2017年、今年は何年。





昭和生まれの自分にとって、昭和〇年と呼ぶのが分かりやすかったのだが、平成となって、ややこしくなった。
従って、西暦が世界的な基準で、比較も簡単なので使うようになった。

しかし、明治・大正・昭和・平成とつながる年号が良いという人達もいるのでカレンダーには、
2017年・平成29年・昭和92年・大正102年と併記されている。




年号に加え干支(えと)も使われる。
1 子 ね (ねずみ) 2 丑 うし( うし) 3 寅 とら (とら) 4 卯 う (うさぎ) 5 辰 たつ (たつ) 6 巳 み (へび) 7 午 うま (うま) 8 未 ひつじ (ひつじ) 9 申 さる (さる) 10 酉 とり (にわとり) 11 戌 いぬ (いぬ) 12 亥 い (いのしし)

何れも通常使用している漢字とは異なるが、この様な表記もある。
今年は「酉年」(とりどし)だ。
厳密にいえば鳥全部と云うより鶏(ニワトリ)をさす。

更に「十二支」と「十干」を組み合わせると、60種の組み合わせ ができる。
これを「十干十二支」という 。
「十干」の日本語の読みと音読みは
甲:きのえ(こう)
乙:きのと(おつ)
丙:ひのえ(へい)
丁:ひのと(てい)
戊:つちのえ(ぼ)
己:つちのと(き)
庚:かのえ(こう)
辛:かのと(しん)
壬:みずのえ(じん)
癸:みずのと(き)

因みに今年は、丁酉(ひのととり・ていゆう)。
過去には年号が頻繁に変更されたので、古文書などでは「十干十二支」が使われることが多い。
しかし、同じ組み合わせが60年に1度巡るから読み違えると60年動いてしまうことになるのがややこしい。



中国・漢時代の鶏の俑

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冬茜

2016年12月04日 16時50分10秒 | 日記
冬茜






小・中・高と同級だったO氏は棲み処も同じ町内だが、それぞれの道を歩んでいた間は、顏を合わせる機会も少なかった。

仕事を離れ、気ままな生活を送るようになったせいか、ここ一年、会う機会が増えた。

彼の住まいは千波湖を見渡し、筑波の峰も遠望できる絶景のロケーション。

朝焼けから日の入りまで、四季折々折、刻々と変化する景色は飽きることが無いだろう。

多才な方で写真撮影も年期が入っている。
夕景だけでも日に50カット位を写すこともあるとか。

ジャズから演歌目でまで音楽に対する造詣も深く数千枚のCDやレコードを集めていて、1日何枚も聴くことが有るらしい。






夕暮れ時に彼の家を訪ね、お酒を戴きながらジャズを聴くのは愉しい。
刻々と変わる空や雲や夕陽を見ながらの1杯は最高の贅沢だ。

何時もご迷惑をかけて申し訳ありません、この場を借りて感謝の気持ちを。

(写真は彼のFBから)

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ブログを引越ししました

2009年01月14日 20時00分37秒 | 日記
西の谷公園のブログの
引越しをしました。
以下のURLまでアクセスをしてください。
よろしくお願いします。

↓↓↓↓
http://pub.ne.jp/yochan310/
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絵日記

2009年01月10日 17時15分18秒 | 日記
中井川さんからの手紙の一部。

昨年12月、中井川龍岳さんから『たまにはお遊びにおいで下さい』とお手紙を貰った。
中井川さんは那珂市門部にお住まいで、今年は85歳を迎えた。
数年前に脳梗塞となり半身に軽い麻痺が残ったが、リハビリに努められ、ほぼ以前のような元気を取り戻した。

趣味でなさっていた書道の作品を、今は無き『泉画廊』で展覧会で発表した際に出会った。本名は「登」だが「龍岳」と号している。
今から15年ほど前のことだ。それを機に、何度かご自宅を訪ねるようになった。
素人だが、書・画・篆刻の腕前はプロ級だ。


再び絵筆をとる様になってからは、以前のように絵入りの手紙を下さるので、僕も三度に一度くらいは、和紙に筆で書いて返信するようにしている。
12月に『年内に一度お邪魔します』と書き送りながら、叶わなかったので、歳が明けて、お伺いした。
暫しの間話して辞する際『最近、絵日記を書いています』との事、無理に拝見させて頂いた。昨年の1月から半紙を2つ折にして毎日1頁、その日その日の出来事を、簡単な文章と絵で書きとめてある。
誰に見せるわけでもない備忘録だから、気楽に拘らない。

365日欠かさずに書き通してたのを見て、思わず頭が下がりました。

ブログもまま成らないのに、更には難しいかもしれない。
中井川さんのような絵日記を書いてみようと思った。

出来るかな?との声が聞こえてくるが。

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「EAST HOUSE」  那珂郡東海村舟石川駅東1-7-6

2009年01月07日 23時07分12秒 | 日記
「EAST HOUSE」  那珂郡東海村舟石川駅東1-7-6 
 TEL&FAX/029-282-0880

那珂市の家庭料理の店「元屋敷」については何度か述べている。
店主のお嬢さんが、東海駅前で「EASTHOUSE」と言う、複合店舗(カフェレストラン・花屋・骨董店・ギャラリー)を経営している話を聞き、訪ねてみようと思っていた。

駅から徒歩5分、駅前とは云えど清閑な住宅地の一角にある。
1階に花屋とカフェレストラン2階が骨董店とギャラリーとなっている。
大きな一軒家の中に、小さな店が4店舗と言う感じだ。

東海ステーションギャラリーの「関南沖展」の帰りに立ち寄り、庭の見えるカフェで友人3人と中国茶を飲んだ。
展覧会の感想や近況報告など、話しが弾んだ。

美術展やコンサートの後に、レストランや喫茶店で友人と語り合い余韻を楽しむのは、心地よいものだ。
水戸芸術館近辺或いは西の谷の周辺に、レストラン・カフェで骨董店も兼ねるこのような店舗があれば楽しいのに、と思った。骨董店が在ったら、の思いが強いが。

また、東海ステーションギャラリーに来た時も立ち寄るつもりだ。
僕のお気に入りのリストに付け加えたい。

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去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子

2009年01月03日 23時47分48秒 | 日記
偕楽園の紅梅は咲き始めた

去年今年貫く棒の如きもの  高浜虚子
昭和25年の虚子代表作の一句である。
新年になって、過ぎ去った年を振り返る心。或いは、あわただしく年が去り、また年が来たると感じる。同時に、大自然の流転に較べれば、世相の転変は所詮は煙霞の如きもの。とも思えるもので、好きな句だ。

暮れから正月にかけて、特別の決め事は無い。
骨董の虫が憑いていた時は、京都の南座のオールナイトコンサートで川島英五、加藤登紀子、山崎ハコなどを聞いて過した事もある。祇園・八坂神社のオケラ参りに行ったりもした。他人様の家でNHKの紅白歌合戦を観てすごしたり、ジャズ喫茶で朝までのライブを楽しみ、その足で神社に詣でたことも有った。
神社に詣でたり、お寺の除夜の鐘を撞きに行くとか、定まらない性格が出ているのだろう。
年賀状も書いたり書かなかったり。受取った年賀状を、半年掛けて返信した事もある。勿論、年賀状と言うより、その時季の挨拶として書き送った。
商人の様な事をしていた時もあり、31日まで働き一日休んで2日から仕事では正月どころでは無かった。

過ぎた1年や何十年は早い。全ては、何処から何処までと急激に変わる訳でもなく、連続し、棒が貫く如くに進み行く。今後も気楽に活きて行きたい、と思う。

とはいえ、正月となれば神仏に手を合わせたくなる。
昨日は八幡さん今日は常磐神社にお参りした。
隣り合わせの偕楽園にも足を運んだが、紅梅が咲き初めていた。
これから、本格的な寒さを迎えるが、春の兆しは既にある。が自然の営みだ。
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「ぐぁらんどう」 水戸市泉町1-3-14 

2008年12月30日 14時15分59秒 | 日記
1970年、コンサートでの小野和子さん。

水戸京成百貨店の東側、八百徳鮮魚店の角を曲がると「ビストロ・BABA」が在る。ランチもデナーも味が良くて盛りも良い。その上、値段も安いの3拍子揃っているので、連日満員だ。
この店については、後日紹介したい。とおもっている

2階はカフェバ-「ぐぁらんどう」は、おいしいお酒&料理で人気の店だ。
何よりの目玉は、70年代にプロのフォ-クシンガ-として活躍していたママ(旧姓 小野 和子さん)のギタ-による弾き語りだ。

1969年TBSテレビ「ヤング720」のオーディションに合格。この年にデビューした。僕が最初に出会ったのは、今年無くなった“トニー”こと町田通さんのお宅だ。その頃、彼らは高校生の「フォークソングクラブ・AI」を結成して水戸で演奏活動をしていた。

折からの、フォークソング・ブーム、渋谷のライブハウス「ジャン・ジャン」を始め全国に演奏旅行をした。綺麗な歌声は"日本のジョーン・バエズ”と云われたほどだ。シングル版を5枚出し、カップリング版も多い。

その頃、活躍した女性歌手を調べて見ると、浅川マキ、五輪真弓、イルカ、尾崎亜美、加藤登紀子、カルメン・マキ、庄野真代、新谷のり子、中島みゆき、森山良子、八神純子、山崎ハコ、リリィなどの時代らしい。
今も、活躍している人も多い。

声もきれいだが、色白の顔は西洋人形のようだった。今でも当時の美形が偲ばれる。(お世辞ではありません)
店内では毎晩、ギターの弾き語りを聞くことが出来るので、それを目当てに来る客も多い。
10年前に、オリジナルCD「歌詞1999」を出した。詩も曲もお店に来るお客さんたちを観察し、それぞれの人生を歌い上げた、味わい深い曲ばかり。僕は全曲、空らで歌えるほどに聴いた。
昨年、『歌綴』と題するCDを発売した。殆どが新曲だが「黒いカラス」は再演。

今日(12月30日)は1年間の感謝を込めて、けんちん汁と饂飩が振舞われる。
これに合わせ、鈍愚里さんが、記録作家の箕川さん、Mさん、Mさん、エビネンコさん、僕を招集し、年忘れ会を開いた。毎年恒例となっているが、エビネンコ今年はさんは初参加だ。

箕川さんの『海の民秘湯をめざす』出版をお祝いするのも、この日の趣旨。
話題は、舞台となった三斗小屋温泉の話しから始まった。
大なべの”けんちん汁”を味わいながら、酒量も上がる。
お客さんの半分ぐらいは知った顔なので、グラス片手に店内を渡り歩く。
すっかり出来上がった頃に、小野さんのライブが始まった。
この状況はリンクしている、エビネンコさんと鈍愚里さんの「アナログもぐらのへらずぐち」を御覧戴きたい。
鈍愚里さん、ご馳走いただき有難う御座いました。

「ぐぁらんどう」さん来年も宜しくお願い致します。
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冬茜

2008年12月29日 17時31分39秒 | 日記
京成百貨店5階エレベーターホールからの筑波山

久し振りに西の谷に行く。階段近辺の銀杏の実が落ちている辺りを掃き掃除する。
今年は、公園管理の清掃がなされているので、綺麗な状態が保持されている。
今年の水戸市役所公園緑地課の管理業務を素直に評価したい。
新たに何かを作ることより、今まで有る物の維持管理をするのが、先決だ。
来年も、さらに美しい西の谷緑地であることを願う。


家に戻ると、ビニール袋が有った。鈍愚里さんからの差し入れ、切り干し大根・芋がらの干したもの、キーウー、ヤツガシラ。さらに藪椿が2枝。
食べる物を戴くのは有難い。いつもお世話になります。

大気が澄む冬の季節、陽が西に入る時間帯の空の色の変化は見飽きない。
同じに見えることは無く、日に日に違う。
京成百貨店5階から8階、西側エレベーター前から筑波山方向を眺めていると、1時間位はすぐ経ってしまう。陽が落ちて、群青色の空に変わる頃がさらに素晴しい。





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追悼 『助六』三代目主人。

2008年12月28日 08時20分31秒 | 日記

西の谷の掃除を、この半月ばかりさぼっている。
冬場で雑草が伸びる心配は無い。
枯れ葉はゴミではないから、成り行きに任せる他ない、との気もある。

タバコの吸殻の投げ捨て、コーヒーの空き缶のポイ捨て、コンビに弁当の容器の放置と投げ捨てはいくらか減った。無くなったわけではない。
タバコの増税・値上げ論はいつの間にか消え去ってしまった。
喫煙に因る害を考えれば、値上げは、医療費を抑える大きな力にもなったろうに残念だ。

ポイ捨てや町の美観。或いは真面目に努力している飲食店の存亡を含め、全ては“文化”であり、住人の民度に大きく作用されると思っている。
『西の谷のブログ』は谷の清掃の賛同者を募りながら、老舗のお店も紹介して行きたいと考えた。一人でも多くが良い店を知り、店の一助になればと思ったからだ。

もつ焼きの老舗『助六』を紹介しなければ、と考えていた。暫く、ご無沙汰。
年末に行こう、と思った矢先、三代目主人が急逝した。
40代前半の若さだった。僕の長男の幾つか上だ。昨晩の通夜に参列したが、涙が止まらなかった。

お祖母ちゃんが、戦後間もなく創業した屋台のもつ焼き『助六』。
僕の父親は、毎晩のように通ったらしい。飲み過ぎが原因とは限らないが、55歳で脳溢血で倒れた。以後20年間、半身不随のまま、自宅で療養した。介護した母親の苦労は大変であった。義理堅い『助六』の女主人は、何度か自宅までお見舞いに来てくれた。

『助六』が黒羽根町の裏通りに在った頃、カウンターがコの字になっていて、周囲は客で溢れていた。入りきれない客は、通路に縁台を出して飲み食いした。炭火で焼く煙リが道路まで、流れ出し良い匂いが漂っていた。長い間、営為業した店内は、煙で燻され、真っ黒であった。水戸に名物数々有れど、代表する店だった。懐かしく思う人も多いだろう。
その名物も不審火で消滅した。その近所で立て続けに火災が発生し、その一画は現在駐車場となっている。

それを機に、創業の場所に近い現在地に店を移した。ショックからも立ち直り、娘さんと孫と3代が店内で仕事をした時期も有った。その後、初代の名物女将さんが、亡くなったのはそう昔のことではない。2代目は衣料関連の仕事をしていたので、3代目は孫が継ぎ、昼のランチと夜の営業と頑張って暖簾を守っていた。
おとなしい人だが、誠実な人柄で人気があった。スノーボードは水戸の草分けで、プロ級の実力と聞いた。

『助六』のレバー焼は実が厚く、葱を加えずレバーのみの串刺し、足して使い続けたタレと半生に近い焼き方は絶妙だ。腸の”シロ“も下ごしらえが大変なのだろうが,チョットそこらソンジョでは食べられない。
やっと、初代の味に近づきつつあったので、誠に残念としか言いようが無い。
結婚して、未だ10年とは経たない。二代目TukTukのご主人もさっぱりした素晴しい方で2度ばかりタイへの仕入れ旅行に同行させて戴いたこともある。
ご家族の皆様のショックは計り知れない。

人生は無常だ、さらに皮肉だ。どんなに真面目に仕事をし、誠実に暮らしても、突然の悲劇が訪れる。

ご冥福を祈り、『助六』の味が継続してゆくことを願う。

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有馬記念競走 12月28日

2008年12月26日 12時59分15秒 | 日記
イギリス生まれの馬頭観音。

年に数回、馬券を買うことがある。
G1と呼ばれる大きなレースのみで1回に2000~3000円のほんのお遊びだ。
馬名や枠で、勘に頼った適当な番号を買う。従って、まづ当る事は無い。
買えば、テレビ中継で馬の素晴しい走りのドラマを鑑賞できる。
昨年、福島の友人宅を訪ねた際に福島競馬場に行き、想像以上に綺麗であることに驚いた。

サラブレッドは、早く走るために人間が作り出した芸術品ともいえる動物だ。
姿もいいし走る姿は見事としか言いようがない。ゴール前、直線での競り合いは理屈なしに興奮する。

イギリスには15回位行った。夏の競馬のシーズン、華やかな大きな帽子がウインドに飾られる。ロイヤルアスコット競馬場のレデース・デイの衣装は帽子がメイン。競馬場以外でも街中で映画・マイフェアレデーィの様なご婦人を見かける。
競馬ばかりでなく乗馬はイギリスを代表するスポーツ。何所かしこに乗馬クラブがあり、馬に親しむ人口は多い。家族と同様、身近で親しい生きものなのだ。
来日したイギリス人に“馬刺しは旨い"ごとき話しをしたら、よくよく驚かれた。
”猫や犬は旨い“と同義のことを言ってしまったのだ。

来日したイギリス人の一人が、馬に関わる真鍮製の土産をくれた。幸運の縁起物の飾りだとのことだったが、飾り様がなく退蔵していた。お世話になっている鈍愚里さんに贈呈しようとしたら、茶房『梵』に置いて下さいとのことだった。お客には競馬のファンが何人かいる。数日を経て『梵』に行き、壁面を見ると、例の品が見違えるようになって飾られていた。

鈍愚里さんが『競馬観音』と名付けたそうで、願をかけ的中者も現れたと聞いた。
いよいよ、27日の日曜は、『有馬記念』のレースが開催される。
これは、買う他ないでしょう。

当れば、イギリス生まれの馬頭観音様の霊験はあらたかと言うことだ。
とはいえ、英国紳士を気取ってレースの観戦を楽しむことが大切だろう。
レースの推理は出来ないが、このブログ書きもその一端。
今年は女性が大活躍したので、雌馬の①カワカミプリンセス、⑬ダイワスカーレット。『風と共にさりぬ』に関連すれば⑧スクリーンヒーロー。名前の格好良さで⑨メイショウサムソン。散歩に歩いた浅草の街⑫アサクサキング。友人のジャニーにあやかって⑪ドリームジャーニー。当たればお祭り騒ぎで⑩マツリダゴッホ。等から選択するつもり。
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「市原ひかり グループ」ライブコンサート 

2008年12月24日 16時59分46秒 | 日記
「市原ひかり グループ」ライブコンサート @水戸市白梅1-7-15 Girl Talk

安比高原のフランス料理店『シェジャニー』のオーナーシェフ・春田光治さんから「市原ひかり、いいよ。23日に水戸のガールトークでやるよ」とのメールを貰った。
春田さんは、自分でテナーサックスも演奏するし、店内のBGMは渋谷で創業した時からジャズを流している。ジャズ歴は長い。
勿論、本業の料理の腕前は日本一と、僕は思っている。
機会を見て、彼のことを纏めてみたいと思っているが、波乱に満ちた生き様や、料理の専門用語や味について述べるのは難しく、実現しないままだ。

水戸駅南口から歩いて10分位、静かな住宅地の中にバー/ジャズクラブ『ガールトーク』が出来たのは、何10年前か?水戸のライブハウスの先駆けとして、ライブやイベントを企画し、水戸の文化の向上に大きな力を果たしている。さほどの広さは無いから、採算を取るのは難しいだろうな、と思う。
ガールトークが努力を重ねていることに対し、尊敬するのみだ。
たまには参加しなければ申し訳ない思い、予約をした。

《市原ひかり》について何も分からず、久し振りに生の演奏を聞く機会を得て、楽しみに出かけた。
今回のライブは、4枚目のアルバム『JOY』発売記念ツアーの最終日とのことで客席は満員。
グループの構成は市原ひかり/トランペット・フリュー-ゲルホーン、堀秀彰/ピアノ、中村薫平/ベース、平井景/ドラム。
登場した市原ひかりは、未だあどけない感じの小柄な乙女、トランペット吹きには見えない。出だしは、アルバムタイトルでもある、JOY。2曲目はスティービーワンダーの名曲、My Cherrie Amour で僕の大好きな曲。その後、アルバムに収録されている曲を次々に演奏。トランペットとフリューゲルホーンの2本を使い分けるが、僕は、優しい音色のフリューゲルホーンの演奏が好ましく思えた。
アルバム収録の11曲は全て、2セット終了時には演奏した。
アンコールに応え、昨22日が26歳の誕生日で、南青山のジャズクラブで公演中に、客に乗せられ、マイク片手に『ミスティ』を歌ってしまった。と話し、再び披露。
更に乗りの良い『All of me』を賑やかに演奏した。
あと1時間の休憩後、第3セットの演奏だが、時間も9時、この日は退散することにした。
最後の演奏が盛り上がるであろうことは承知しているが、久し振りにライブの雰囲気を味わったのみでも、充分だ。
このコンサート、水戸以外から来ている人達も多い感じを受けた。
街が元気になるには、「ガールトーク」のように、地味な努力を重ねている店が重要だと、改めて思った。








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冬至

2008年12月21日 23時56分51秒 | 日記
戯れに柚を描く。

12月21日(本日)は冬至にもかかわらず、暖かい南風が吹き気温は18℃位まで上昇した。これも異常季節なのだろうか?
バンクーバー近くのヴィクトリアと日本を半年毎に住み分ける、うらやましき生活を送っているNさん夫妻からのメールは、2日続けての大雪で非常に珍しいとの事で、ラスベガスの沙漠にも雪が降った、とも言った。

北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなるため、1年で最も昼が短く、夜が長くなる。太陽の位置が1年で最も高くなる夏至(6月21日ごろ)と比べると、日照時間におよそ5時間もの差がある。
西日の落ちる方向も随分違う。

冬至の過ごし方は、家によってまちまちだろう。
標準的と思うが、我が家は柚湯に入り、カボチャを食べるが定番だ。

先日、柚を大量に戴き、昨日の昼に柚風呂に浸かった。
柚湯の習慣は、既に、江戸時代の銭湯でも行われていたとある。
香りも良いが、皮の部分で肌を擦ると、ツルツルと皮膚が再生した気分になる。
今夜も柚風呂だ。
柚の食べ方もそれぞれだが、蜂蜜漬けとマーマレードにしようと思う。
以前、九州名産の『柚練』と言う桐箱入りのお菓子?をいただいたことが有る。
柚をじっくりと煮込んだ、或いは羊羹のように練り上げたのだろうが、あれほど美味しい柚製品はそれ以後であったことが無い。

鈍愚里さんが、お絵描きの材料にと、葉付の柚を届けてくれた事が有る。
その時、何枚か描いたのを、戯れ絵を添付した。

柚湯哉家鳴らす風聞きながら  破髯

カボチャは近所のKさんから、北海道産の『九重栗』(くじゅうくり、まるで、栗のブランドのようだが)を戴いた。皮の色は薄グレーでめっぽう硬い、薄く切って、電子レンジでチンしたのみ。
何も加えないが、味は正しく栗のようであった。
こんなカボチャも食べたことが無い。
カボチャはカロテンが多く冬場のビタミンの補給には最適らしい。



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小石川植物園

2008年12月20日 12時02分44秒 | 日記
東京大学現存最古の学校建築(旧東京医学校本館)
のテラスより望む小石川植物園

約320年前の貞享元年(1684)に、将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」から始まりが、長い歴史を経て「小石川植物園」として公開されている。
正式の名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」で植物学の教育・研究を目的とする東京大学の教育実習施設なのだ。

45年頃前に花見に行った記憶は有るが、何も憶えていない。
改めて訪れ、素晴しさを実感した。
面積は、161,588㎡(48,880坪)で、台地、傾斜地、低地、泉水地など地形の変化に富み、それを利用して様々な植物が配置されている。
ニュートンの引力の発見につながった林檎の樹、メンデルの遺伝の法則研究に寄与した葡萄の樹など(どちらも、それに由来する株だが)も植えられている。

温室は老朽化したので一般には公開されていない。
舗装されているのは、入り口から本館に到る通路のみで、かなり自然のままに保持されている。12月も半ばとあって来園者は殆どなく、広い園内すべてをのんびりと散策できた。

西の谷も植物園を兼ねた緑地ならば、より楽しめるのでは,と思った。
水戸市立植物園の協力を得て実現して欲しい。

敷地の一角だが、別の門を入ると1876(明治9)年に建築された東京医学校(東京大学の前身)の本館の一部が移築されている。国指定の重要文化財だ。東京大学総合研究博物館・小石川分館として無料で一般に公開されている。
木造の木組みと外観は当時のままだが、内部は展示空間として改装されている。
膨大な量の収蔵品が有る様だが、2年に一度位、展示変えがあるようだ。


大航海時代の西欧諸国では「驚異の部屋」と呼ばれる珍品陳列室王侯貴族や学者たちによって、競って作られたそうだ。現在の常設展示は、それにちなんだ学術標本が幅広く展示されてている。室内の什器も古い物を中心んに厳選されている。学術的な説明を避けて、眼で見れ分かる展示だ。

1階のテラスから眺める植物園の風景も素晴しい。
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誕生日の贈り物

2008年12月18日 16時26分20秒 | 日記
土付の葱・大根と白菜

新聞に包まれ届く冬野菜   破髯

本日12月18日は小生の誕生日。めでたく67歳となりました。
それを知っていた訳ではないだろが、素晴しい贈り物が届いた。
鈍愚里さんが見和の婆ちゃんから戴いてきたであろう、真っ黒で豊かな土付の葱と大根と白菜。さらに、「京仕込」と箱に書いてある酒粕。何気なく、玄関においていくなんて、鈍さんらしいね。いつでも大歓迎、今後も宜しくお願いいたします。
食品の頂き物は何よりだ。

今から15年前頃、『わら1本の革命』福岡正信著に影響を受け、知人の畑を借りて自然農法の真似事をした。自宅から12kmくらい離れた場所で、たいした手入れも出来なかったが、収穫の楽しみと自然の偉大さを実感した。かれこれ5年ほどしか続かなかったが、良い体験だったし、食の安全については良い勉強になった。

偶然ではあるが、鈍愚里さんからの野菜と酒粕、誕生日記念として、ありがたく戴きます。
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