「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

手打ち蕎麦「だぼう」 @那珂市東木倉855-3

2010年01月31日 15時55分50秒 | 食べ歩き
手打ち蕎麦「だぼう」 @那珂市東木倉855-3



かねてから気になっていた蕎麦屋に行った。
我が家から車で10分程度の那珂市東木倉855-3、新しく繋がった道路が近い。
畑に囲まれた住宅で少しばかり、分かりづらい。
駐車場は広く、入り口の門構えは蕎麦屋風だが、建物は洋風。

お品書きの片隅に、

坐忘。仏教用語、正座して雑念を去り自分を取り巻くものを忘れる。
だぼう。 勝手に作った言葉。蕎麦を打ちながら全てを忘れる。


という様な事、を記してある。
メニューは豊富、天丼などのご飯類もある。

蕎麦は「外一」「田舎」「10割」の3種類を選べる。
夜の部は酒の肴に向く品々もアル。
友人達と夜の部に来たい蕎麦屋だ。

今の時期はやはり、漬け鴨南蛮。
鴨はフランス産と書いてある。
写真では分からないかも知れないが、厚切りの鴨が4枚、外を炙った程度で中はレアー。
タレの味に、もう一味欲しいと感じた。



手打ちの蕎麦は、御覧のように美しく、量も充分。

食後に、韃靼蕎麦のアイスクリームを食べてみた。
通常、蕎麦の後にデザートなど食べないが、



韃靼蕎麦を炒った粉が振りかけられて食感も良い。

帰りしなにご主人に「ご馳走様」と満足の意を述べた。
開業して4年半とのことである。
少し話してみると、多くの友人が常連さんであったのは驚き。

今日は『勝田マラソン』が開催されており、常連さんはマラソン大会に参加、夜の部は予約で満席とのこと。
マラソン大会の打ち上げには最高の場所だろう。
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偕楽園から千波湖に

2010年01月30日 23時37分36秒 | 水戸
偕楽園から千波湖に

ぽかぽか陽気に誘われて、偕楽園から千波湖へと散歩に出かけた。
土曜日の昼近く、観光客から散歩やジョギングとそれぞれのスタイルで楽しんでいる。
湖畔の野鳥も楽しそうだ。
水戸は水と緑に恵まれた街と思う。

「水戸の梅祭り」は2月20日(土)~3月31日(水)。







既に紅梅は盛りだし、白梅も咲きだしている。
開催期間が2月20日からを、もう少しはやめたらと思っている。
温暖化で開花時期が早まっているのがここ最近の状況だ。

偕楽園と弘道館の梅は、早咲き・遅咲きと種類は多いから何時でも見ごろといえるが、3月下旬は桜の時期となってしまい、かぶってしまう。
観光客を通年で呼び込むためにも、早めに開催した方が良さそうだ。

千波湖という呼び名、以前は、仙波湖とも書いた。

仙波湖の方が趣を感じるが、如何だろうか?

湖畔に建築中であった、新たな観光施設が姿を現した。



工事中からどの様な施設なのか心配だった。
景観上どうなのか?
何を目的なのか?
開業するまで疑問は解けない。
出来てしまったこと、を悔やんでもどうしようもない。
観光客ばかりでなく、市民の憩いの場となるような運営を目指して欲しい。
期待と不安が混じる。

さらに、水戸駅方面に足を向ければ「桜田門外の変」のロケ現場となっているオープンセット。
水戸の活性化の起爆剤として期待を込めている向きもあるようだが、これまた疑問だ。
どの様な映画が出来上がるか?観ようとは思っているが。

何か、思いつきだけでコトが進行しているような気がしてならない。
先人が遺してくれたものを、大切にしたい。
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『星岡』第29号 星岡窯研究所刊 

2010年01月29日 23時29分09秒 | 本・雑誌
『星岡』第29号 星岡窯研究所刊 

北鎌倉の魯山人旧居を訪ね、『雅美生活』の一端を偲ぶことができた。
以前、魯山人作の小皿を買ったとき『星岡』という雑誌も付いていた。



昭和8年4月号。

皿はとうの昔に手元を離れたが雑誌だけは未だに有る。

魯山人73年間の生涯は波乱万丈だ。
図書館で借用して読んだ、山田和著『知られざる魯山人』文芸春秋2007年刊の年譜を参考に記すと以下のようになる。
この本は魯山人に関する書物の中では異色の本だ。

大正 9(1920)年37歳、中村竹四郎と日本橋に「大雅堂美術店」を開く。
大正10(1921)年38歳、大雅堂2階で「美食倶楽部」を始める。
大正14(1927)年42歳、赤坂山王台に「星岡茶寮」を開店。
昭和 2(1927)年44歳、鎌倉・山崎に「星岡窯」築く。
昭和 5(1930)年47歳、機関紙『星岡』創刊。
昭和11(1936)年53歳、「星岡茶寮」を解雇される。
*中村竹四郎との共同経営であったが、以後は作陶生活に専念する。

書家・篆刻家、美食家・料理人であり料亭の主人、陶芸家、など多面的な顔を持つ魯山人は批評家としても一流であった。
その面目躍如といえるのが機関紙『星岡』に掲載した文章。
料亭の宣伝誌であるが、魯山人の「個人誌」的な性格が強い。



料理や陶器を初め書や絵画に渡る批評は辛辣。
没後、平野雅章により部門ごと編集され「魯山人陶説」「魯山人味道」などに纏められて、たくさん出版されている。

物事の見方や考え方は、今に通づることが多い。
生前の人柄には問題が多い人であったらしいが、作品と考え方に対する評価は高い。
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フクジュソウ(福寿草)

2010年01月28日 02時49分30秒 | 山野草
フクジュソウ(福寿草)



久し振りに那珂市の「麦や」に行った。
相変わらず素晴しい佇まいだ。

落葉樹ばかりなので、陽だまりが温かい。





庭の片隅に福寿草が咲いていた。
別名はガンジツソウ(元日草)といい、キンポウゲ科の多年草で毒草であるらしい。

今月の句会の題が「福寿草」であった。
その幾つか転載しておく。


亡き妻に逢えて耀き耀き福寿草  吉治
福寿草みんな貧しきころの花    靖
過ぎたこと過行くことの福寿草   輝子 
日だまりにあるしあわせよ福寿草 輝子
元日草母娘でつまむ甘きもの   美智子   
クレヨンの減る色同じ福寿草    克人   


子供の頃、新年に向け福寿草を炬燵の中で暖めた。
懐かしい想い出だ。

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「古代・中世の茨城-経塚・板碑・和鏡-」

2010年01月26日 21時31分42秒 | 文化遺産
「古代・中世の茨城-経塚・板碑・和鏡-」
@東京国立博物館 平成館企画展示室。 2010年3月7日迄。




東京国立博物館では毎年、地方の博物館と考古資料相互活用事業を行っている。
今回は茨城県立歴史館から借用した資料を展示している。
「古代・中世の茨城」では、歴史館所蔵の門毛(かどげ)経塚出土品を中心に古代から中世にかけての茨城県出土の経塚遺物と中世の板碑(いたひ)、和鏡をとりあげ茨城県の歴史の一端が紹介されている。



特に中世の和鏡は僕の大好きな品々だ。
和鏡の柔らかな繊細な線は中国の鏡には無い美しさ。
一度は手に入れたいと思いながら実現していない。



茨城で出土する和鏡は全国のレベルに比較しても遜色ない。
古来、常陸の国は文化果てる地ではない。こと実感する。

同時に、平成館考古展示室では「茨城の弥生再葬墓」と題する展示が開催されている。
常陸大宮市の出土の人面付壷などが展示されている。

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「国宝 土偶展」@東京国立博物館 本館特別5室 

2010年01月24日 22時51分00秒 | 文化遺産
「国宝 土偶展」@東京国立博物館 本館特別5室 
2009年12月15日(火)~2010年2月21日(日)




日本の美術品で世界に誇れる物の1つは縄文時代の土器と土偶だ。
初めに縄文土器を評価したのは外国人か?
日本人では岡本太郎と宗左近といった人達が真価を喧伝してくれたお陰で世界のプリミテイブアートとして認識した。
何れにしても、ここ100年足らずの出来事であろう。

茨城県は縄文の土器や土偶の宝庫だ。
古美術の世界に入門した頃は経済が拡大している時期で、開発に関連して遺跡が発掘さた。

 “ひとがた”をした素焼きの土製品「土偶」の発生は、縄文時代草創期(約13,000年前)にまでさかのぼる。
多くはお腹の大きい女性像。再生と豊穣を願った「祈りの造形」とも称される。
僕も見事なボインの土偶を所持していたこともあったが、今は何処の何方が所持しているのか思い出すことがある。

東京国立博物館 本館特別5室で「国宝 土偶展」が開催されている。







3件の土偶が国宝に指定され、同時に展示されている。

展示資料に拠れば、
 縄文時代のはじめ(およそ13,000年前)に出現した土偶は、顔や手足の表現がない単純・小型のものでしたが、乳房があらわされているので女性像であることがわかります。
 それが縄文時代前期(前4000~前3000)になると、単純ではありますが顔や手の表現がみられる三角形に近い板状の土偶が出現し、定型化の道を辿ります。中期(前3000~前2000)には、前期より引き継ぐ板状土偶が装飾性豊かな十字形土偶として発達する一方、関東・中部地方では立体的な全身立像が誕生するなど、地域性もみられるようになります。
 続く後期(前2000~前1000)には、各地で実に多彩な土偶が生まれます。そして晩期(前1000~前400)には、抽象と具象を兼ね備えた土偶が東北地方を中心に展開され、芸術性に優れた中空の土偶も数多く誕生しました。

と言うことだ。
今回初めて眼にする土偶が多かった。
古代からの、日本文化の多様性を再認識した。

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旧松竹大船撮影所 @鎌倉市大船

2010年01月23日 20時00分50秒 | 文化遺産
旧松竹大船撮影所 @鎌倉市大船



藤沢のレストラン「レスプリ・フランセ」でのランチの後、大船のIさんのお宅をお訪ねすることになった。
大船駅で下車し、駅前の商店街を抜け砂押川沿いの道を進む。
川沿いの小路はプロムナードに整備され、桜の古木の並木。
桜はかなり樹齢が進み、脇には若木が植えられている。
古木はソメイヨシノで若木は山桜。
ソメイヨシノの寿命が短い(50年~70年)とか云われる。
最近はヤマザクラが圧倒的に多くなりつつある。
ヤマザクラは数百年はもつらしい。

以前にIさんのお宅に伺ったことがあるが、どうも方向が少し異なると思った。
彼は気を効かせて、我々を松竹大船撮影所の跡地を見せてくれる魂胆だった。



川べりに松竹大船撮影所の関係者によって植えられた桜の記念碑と、少し離れて美空ひばりと渥美清演ずる寅さんのメモリアルタイル絵が大きく描かれている。
下には、このタイル絵の建設に協力した人たちの名がびっしり書かれていた。
跡地の殆どは鎌倉女子大のキャンパスとなっている。

女子大とイト-ヨ-カド-との間の遊歩道が、わずかに松竹大船撮影所を偲ぶ場所だ。
松竹映画や大船撮影所に特別の思い入れは無いが、時や記憶は想像以上に早く過ぎ去って行くものだと感じた。

Iさんのお宅はここから徒歩で約10分の岡の上。
数年前に新築したお住まいは後期高齢者対応となっている。
日当たりの良い応接間で暫しの歓談。
再会を約して帰途に着いた。
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きりたんぽ鍋

2010年01月22日 21時25分29秒 | 
きりたんぽ鍋

北鎌倉の魯山人の旧居を探し当てることが出来たのは大きな喜び。
昭和初期の開設時の写真のイメージと現在の姿は大幅に異なるが、桜の時期に再訪したいと思った。
同級生のご家族が経営している藤沢のフレンチレストラン「レスプリ・フランセ」での昼食会も楽しかった。

1泊2日の旅でも充実した内容だったのは50年来の友人Fさんのお陰だ。
横浜市栄区の自宅を夕方に訪れ、まもなく夕食となった。
今までも何度か泊めてもらい、横浜や鎌倉を案内していただいている。
その度に、奥様の手料理を味わあせて頂いている。



今宵は「きりたんぽ鍋」だった。
我が家ではめったに食べることは無いが、Fさん宅では冬場の定番のようだ。
きりたんぽ鍋は“きりたんぽ”と鶏肉と牛蒡に芹が基本らしい。

鶏肉は比内地鶏とのことで、脂の味が良い上にサッパリとした旨味があった。
牛蒡は味と香りがあり、冬の鍋料理には欠かせない。
芹がきりたんぽの薬味のポイントか。

きりたんぽ鍋を食べながら、ビール・焼酎・日本酒と飲み継ぐ。
話題は「お宝鑑定団」的な陶器・絵画を中心に12時近くまで延々と続いた。
ご馳走様でした。


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北鎌倉、山崎の星岡窯と魯山人旧居

2010年01月21日 19時41分29秒 | 文化遺産
北鎌倉、山崎の星岡窯と魯山人旧居

骨董古美術の世界に入門当時、先輩のFさんに「先ずは魯山人の『独歩』を読みなさい」と教えられた。以来、何かにつけて魯山人のことが気になる。
魯山人は書家・篆刻家・陶芸作家・美食探究家としてどれをとっても一流の人物であったが、人間的には欠点だらけで、男女関係も紊乱であって妻や友人とも関係が長続きしなかった。それでも、多くの人をひきつける魅力がある。



昭和2年魯山人は北鎌倉の山崎に「星岡窯」を開設した。
当時の写真には前景の水田越しに丘陵のふところに建つ星岡窯の建物が見える。
山林田畑を含めた総面積は7000坪。ここに窯場、茶室「夢境庵」蒐集した古陶磁を展示する2つの展示館などが散在した。神奈川県高座郡の旧家を移築し迎賓館「慶雲閣」とした。後には同じところから移築した母屋を自分の住まいとした。

この建物は、笠間日動美術館の付属施設「春風満里荘」となっている。
この母屋は公開されているので、御馴染みの方も多いだろう。
僕の魯山人の旧居への憧れは、この建物に拠る。

最初は荒涼たる山里であったのを一棟一棟増やしてゆき、一応完成をみるのに15、6年を要したとのことだ。

その桃源郷も昭和34年に魯山人が世を去った後は野村証券の北裏喜一郎が人を介して魯山人の旧居の引継ぎを依頼され、現在は野村不動産が管理しているらしい。
何年か前に、残された建物の一部が火事になり今は、建物は殆ど残されていない。
という様な事が、事前に知りえた情報。


横浜の友人Nさん宅に泊めていただき、藤沢の「エスプリ・フランセ」の昼食会に出かける前にNさんの車で星岡窯と魯山人の旧居を探しに出かけた。
手がかりは山崎小学校の近くということだけ。



小学校の近くで犬の散歩をしている人を見かけ「魯山人の旧居を探しているのですが」と訊くと「この直ぐ先で、私は魯山人と話したこともあります」という。
テレビ番組風に云えば、完全にヤラセとしか思えない出来事だった。
この人にでも訊かなかったら、分からずに戻ってしまったかもしれない。

当時の写真とは全く異なってしまった景観だから、探しようがない。







しかし、塀で囲まれた空間を上段から見回せば幾らかの名残を見出せた。
茶室らしき建物も残っている。





隣接地となってしまった当時の窯場(穴窯及び登り窯があった)は「其中窯」として河村喜太郎が引き継ぎ、今はその子息がその後をやっていると聞いている。
窯の一部を覗き見ることも出来た。

田圃は埋め立てられ、小学校の敷地となったようだ。

先ほどの近所の人の話によれば、魯山人旧居の一画にイサムノグチと山口淑子が昭和24年に所帯を構えた場所は山崎小学校のグランドの辺りだといった。





旧居跡地を3方向から眺めることが出来たのは幸運であった。
次回は写真を持参し、当時と比較しながら見ることが出来ればと思った。
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レスプリ フランセ @ 藤沢市鵠沼海岸7-7-11 

2010年01月21日 08時14分02秒 | 食べ歩き
レスプリ フランセ @ 藤沢市鵠沼海岸7-7-11 

横浜近辺に在住している高校時代の同級生から食事会のお誘いを受けた。
数年前に、同級生の夫人とお嬢様が自宅を改装して始めたレストラン。



鵠沼海岸の近く、閑静な住宅地の一角に存在する“ヨーロッパの香り漂う 隠れ家 フレンチレストラン”ということだ。



レストラン営業の他に雑貨品の販売もしている。
大きな特徴はホールにスタンウェイのグランドピアノとプロ使用の音響装置が設置されていることだろう。
毎月サロンコンサートが開かれる他にも多くの企画が組まれ文化センターでもあるようだ。
「フランス語で楽しむシャンソン講座」「文学をフランス語で読む会」「世界の名曲を歌う会」など各種用意されている。



久し振りに顔をを揃えた4人は日本庭園が見える窓際のせきでランチをいただいた。
フレンチに和風の庭というミスマッチは違和感無く、落ち着きがある。





フランス留学体験のあるお嬢様がシェフで季節の野菜をふんだんに使い、オリーブオイルをベースにしたヘルシーで美味しい気軽なフランス料理が狙いという。




心のこもった料理を楽しみながらの食事会。




必然的に昔話になったが「えー、そうなの」という話しが多かった。
1月にしては眞に暖かい午後の日を楽しんだ。

食後は、それぞれに予定が有ったが大船のIさん宅を訪問することに。
大船駅近くの旧「松竹大船撮影所」の跡地、現在は鎌倉女子大学の敷地を案内していただき、案内板を見ながらノスタルジーの世界に浸りIさんの家に。
お茶をごちそうになりながらの昔話。

再会を約して散会した。

会場となった同級生Tさんの自宅「レスプリ フランセ」。
彼は商社マンだった10年前、出張先のロンドンで客死。
小学校時代からの長い付き合いだっただけにとても残念で、今でも良く思い出す。
遺族の皆さんが、力を合わせ素晴しいレストランを運営されているので安心した。


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スプーンカフェ「spoon cafe」

2010年01月19日 07時43分47秒 | Weblog
スプーンカフェ「spoon cafe」
水戸市酒門(さかど)町3024-5   電話029-291-6657


俳句会が終了すると、有志でお茶を飲みに行くか、食事会に出かけることもある。
その場所は一定していない。
今月は新年会がてら、水戸市酒門町に昨年10月にオープンした「スプーンカフェ」に行った。
水戸市の東部地区、「けやき台」や「百合丘」の近辺は水戸の街とは思えない雰囲気がある。その団地の中間地点に、スプーンカフェ「spoon cafe」は在った。



かなり広い店で、カッフェというよりレストランの感じ。
横長で駐車場も広く入り易い店造りだ。



若いスタッフがキビキビと動き気持ちが良い。
最も、このような店に来るのは若いお客さんが主だろうから。

仲間6人で多いに食べた。
何を頼むかはお任せし、食べて飲んだ。



パスタ・パエリャ・などイタリア料理だったが、他にも沢山。

勿論、昼はランチメニューがありそう。
陽の当たるガラス面の席に座って、ランチの後のコーヒーを飲みながら本でも読みながらノンビリと過ごした思った。


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日めくり俳句会、

2010年01月18日 22時49分29秒 | 俳句
初句会


日記の如く一日一句を作る。ことを目的として発足した俳句会は30年を過ぎた。
かなり初めからの会員だが、何時まで経っても出来ない。

それでも続いているのは、会友の皆様が理解による。
新年になると今年こそは!と決意を表明するが、めったに出来ないのは我ながら情けない。



新春句会が開かれ出席した。
参加者の兼題と席題で僕の好きな徐々にご披露してゆきます。






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井上雅之展 @アートワークスギャラリー  1月6日~17日

2010年01月17日 12時40分12秒 | 美術展
井上雅之展 @アートワークスギャラリー  1月6日~17日

アートワークスギャラリーの新春企画展は井上雅之さんの陶芸展だった。
正月は何処にも出られず、画廊をまわることも出来なかった。
会期が今日まで、滑り込みセーフ。

今までの陶芸家の概念を越えようとしてる作家と思った。


IMG_2739.jpg


大作が中止にドーンと座っている。
台座の鉄のフレームに載っているのだが、キャスターが付いて移動可能。
土台の鉄と陶器は時代を経た感じに細工されており味わい深い。
僕は、素材の味わいを重要に思うから、この作家の感性は好ましい。

オブジェやモニュメントを制作する現代陶芸家らしいが、今後の活躍がたのしみだ。



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またもや 永坂更科 布屋太兵衛 水戸京成店

2010年01月17日 01時40分59秒 | Weblog
またもや 永坂更科 布屋太兵衛 水戸京成店

IMG_2737.jpg


このところ京成のレストラン街に行くことが多い。
駅前の京成ホテルは暫らくご無沙汰している。

今日の昼食は畏友Oさんと「永坂更科 布屋太兵衛 水戸京成店 」に行った。
南面した座席は北風が強いのに、暖かだ。
千波湖を見なが蕎麦をすすりながらの積もる話をした。

掻き揚げ蕎麦を頼んだ。
噂にたがわず厚さ4センチに近い。
エビと野菜だが、揚げ具合はイマイチだった。
昼食時、混雑していたから止む終えないのか?

名店に恥じない味ない味であることを期待する。

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涸沼の「はぜ丼定食」

2010年01月16日 23時40分32秒 | 食べ歩き
涸沼の「はぜ丼定食」

エビネンコさんおブログに次のような記事が有った。

店内からは筑波山と涸沼の景色を見渡せます。
とても日本的な山水の図です。
水と山が見える風景とは、、
日本人にとっての「原風景」と言ってよいと思います。
筑波山は内陸にあるので、
大きな水面越しに見える風景といえば、
霞ヶ浦あたりからしか見えないという先入観がありましたが、
まさか涸沼からも見えるとは考えたことがありませんでした。

そして水がある風景では、
なぜか開放的になって食欲が出てくるものです。
仙台に勤務していた時によくやった芋煮会も
なぜか河原でやることが多かったです。
こういう時に食べたくなるものは、魚や野菜です。

メニューを見て、感激。
「ハゼ丼定食850円」がありました。
ハゼは魚屋では基本的には買えない魚です。
釣りをしないと食べられないのです。
私は釣りがNGなので、
滅多に食べる機会がない魚だからです。





この地点からの風景は僕の大好きなところだ。
早速話がまとまり、Uさんご夫妻と出かけた。



写真が噂の「ハゼ丼定食850円」。
小鉢などもつき、食後のコーヒーは飲み放題。




駐車所に隣接した場所では野菜の直売も在る。
乾燥芋の切り落としを買った。
形は悪いが味は一緒。
その後、あちこちドライブして帰途についいた。
この件は、後日書きます。

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