「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

あの震災から4年。

2015年03月10日 18時54分29秒 | 街創り
あの震災から4年。





未曽有の被害をもたらした東日本大震災から、11日で4年を迎える。
夢であったならば、と思うが現実におきたこと。
多くの問題を解決できないまま、時間が過ぎている。

3月1日に常磐道が全線開通し、東北道とのダブルネットワークが完成した。
東北道の事故・災害・異常気象発生時には、磐越道とともに代替ルートとして確保できる。などの前進もあるが、原発事故の終息には長い期間を要するし、解決策も無い。

何一つとして自分が出来ることはないが、時の経過とともに記憶は薄れる。
記憶にとどめ、自らを律するためにも、その場所は見ておきたいと思っている。

昨年(2014年6月)仙台市若林区の荒浜地区に行った。
荒浜は東日本大震災では、平野部としては世界最大級とされる高さ10mもの巨大津波に飲み込まれ、壊滅的な被害を受けた地区。




瓦礫は撤去され、延々と続く住宅地の痕跡。
ダンプカーや重機が動き、作業している様子は分かるが、何をしているのか。
復興への動きと云うより、何かの整理作業に見える、



荒浜小学校の校舎以外、建物らしき物は現存していない。



地区を見守るように建てられた、慰霊の観音像。
土台も含め約9メートルは津波の高さと同じと云われる。



戻ってこいよ!の願いを込めた、黄色いハンカチ。







震災前の地区の様子の写真や、震災直後の写真などがコンパネに展示されていた。
無人なだけに、なおさら心が痛んだ。

写真は2014年6月の撮影だが、おそらく、現状もあまり変わりはないだろう。

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徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号

2015年03月09日 22時30分28秒 | 本・雑誌
徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号



茨城県立歴史館の特別展「徳川慶喜」(2月7日~3月22日)が開催されている。
水戸の梅祭りに合わせ、遠来のお客様に観て戴く企画であろうが、地元の我々も知っておかねばならない。水戸人でありながら、知らないのは恥ずかしい、とは思うが、よく分からない。

展覧会は観たが、もう少し資料はないかと探したのが「常陽藝文」1997年12月号の特集/徳川慶喜。
60頁に渡る大特集で、新書版1冊に相当する内容だ。
写真や図版も多用され、詳しい内容ながら比較的分かりやすく書かれている。

年代とタイトルを記しますが、詳しくは図書館・資料館などで読んで下さい。

1837年 慶喜誕生―徳川斉昭(烈公)の7男で七郎麿―
1838年 水戸に移住―9年余を水戸で過ごす―
1841年 弘道館で学ぶ―追鳥狩にも参加―
1847年 一ツ橋家当主に―水戸家世子の予備的立場から一転―
    八代将軍・吉宗の血を守る三卿。*一橋家継承の持つ意味
1855年 美賀と結婚。
1856年 将軍継嗣争い渦中の人となる。
1859年 安政の大獄により隠居謹慎に。
    
1862年 将軍後見職にー朝廷・外様雄藩の圧力により―
    *開国論を唱えるも実行せず *水戸藩士を伴い上洛。
    *参豫会議を解体―公武合体雄藩の支持を失う―
    *将軍継承抗争の内幕を探る。
1864年 朝廷の命により禁内守衛総督に。
    禁門の変(蛤御門の変)で実践指揮をとる。
1866年 征夷大将軍に叙任。
1867年 大政奉還 -王政復古のクーデターにより1転―
    *慶喜のブレーンは水戸藩士だった。
1868年 弘道館で謹慎―静岡と東京で暮らす― (32歳で隠居、大正時代まで生きる)
*明治維新につながる 慶喜の近代化政策。

西暦と年号、慶喜関連事項、水戸の出来事、国内の出来事を対照した項目。
詳細な徳川家系図。
瀬谷義彦・佐久間好雄・宮澤正純・小松徳年など歴史家の見解。など多様な内容が記されている。
将軍職に在ること1年余、政治の表舞台で約10年。
32歳で表舞台を去り、1913(大正年2)年に77歳で没した。
徳川幕府260余年の幕を引き、新時代の扉を開けたことは歴史的な事実。

「常陽藝文」は財団法人常陽芸文センターが毎月発行する文化情報誌で郷土の歴史、民俗、芸術、自然などのテーマを様々な角度から掘り下げて紹介している。月刊誌ゆえに、その月で読み去られてしまうことが宿命、と言えるが特集号などは単行本として刊行すべき内容だ。



1998年10月号は慶喜の弟「最後の水戸藩主・徳川昭武」を取り上げている。
最新の2015年3月号は「徳川御三家水戸藩とその御連枝高松藩(Ⅰ)」とし、香川県高松市ほかを取材した記事。水戸と高松の縁を詳しく紹介している。
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青い灯@水戸市大工町1-3-16

2015年03月09日 14時10分17秒 | 食事
青い灯@水戸市大工町1-3-16



「深夜食堂」の漫画やテレビ・映画を観ると、我が町にも似たような店がある、
と連想する人も多いだろう。
営業時間が深夜から早朝までと云うことは稀だろうが、夕方から深夜までとか、或いは早朝営業の定食屋等、水戸にも沢山あったが時代と共に姿を消した。

水戸市大工町の「青い灯」はラーメンの店として知られるが、雰囲気的には「深夜食堂」で深夜零時を過ぎる頃から忙しくなる。
昭和26年の創業で当時、近辺には飲食店は殆ど無かったであろう。
僕が記憶している昭和33年頃、隣に鮨屋が1軒あっただけで飲み屋さんなどなかった。その隣は映画館だったから、いくらかの飲食店は有ったにせよ、今の様な歓楽街では無かった。

大工町は盛りを極めた20年前から徐々に静かになり、店はめまぐるしく変わったが、「青い灯」は健在だ。



入り口の格子が斜めに成っている。



席につけば出てくる、大根の漬物は創業以来変わらない。





ラーメンとコロッケ(カレー味)が定番だが、餃子や丼さらに定食もある。

場所柄、飲んだ締めに立ち寄る店で、酒席から遠ざかっているからご無沙汰している、21時まではサービスタイム、久し振りにラーメン&コロッケでも食べに行くか。

その他に、旧黒羽根町(現・宮町)「茶の間」「水戸っぽ」「五一小屋」など、「深夜食堂」の舞台となりそうな店がある。
勿論、皆様のご近所に贔屓の店は有るでしょう。
大切にしたいですね。
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リトルレガード@丸井水戸店7階

2015年03月08日 22時54分56秒 | 水戸
リトルレガード@丸井水戸店7階



3月14日のダイヤ改正で「上野東京ライン」が開通し常磐線特急も品川駅まで乗り入れになる。
宇都宮線、高崎線などは東海道線への直通も出来て便利になるようだが、常磐線は品川止まりで、残念ながら利便性は少ない。

梅祭りと年度末に伴って水戸駅の乗降客が増える季節だ。
しかし、南口のデッキ広場はイベントもあるし賑わいがあるが、北口は年々寂しくなっている。
丸井水戸店も知恵を絞って魅力向上に努めている。







7階のメンズ売り場に、ミニカーのリトルレガードが開店した。

泉町3丁目に本店があるリトルレガードの丸井店、と云う訳だが、本店と扱う品種は異なり、関連雑貨などを揃えている。

リトルレガードはマニアックなミニカーの店として、県外のお客も多い。
商店街の振興に市町村が助成金を投入したりしているが、基本的には、他にはない店、わざわざ行く価値のある店であることだろう。

小さくとも特色のある店が増えることが街の魅力を向上させる。



本店は水戸市泉町3丁目7-30 ラ・フォンテーヌビル1F
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水戸の梅まつり

2015年03月08日 21時26分08秒 | 水戸
「第3回全国梅酒まつりin水戸」など



3月7日(土)と8日(日)は「水戸の梅祭り」のメインとなる週末で、沢山のイベントが組まれたのに、先週末に続いてすっきりしない天候だった。



天候の不順はこの時期の特徴だから、致し方ない。
しかし、花は丁度見ごろだ。
梅は春の魁。
桜と異なり、満開よりは咲き初めを愛でる。
曇天、さらには雨や雪、それなりの天候で楽しみたい。






常磐神社境内での「第3回全国梅酒まつりin水戸」
梅酒のカクテル、梅酒に合う料理とのマリアージュ、全国の梅酒即売会、梅酒の様々な飲み方での飲み比べなど。





田鶴鳴梅林では「いばらき県産品まつり」



梅の苗木なども販売。



千波湖を見晴らす南崖の藪椿も見頃。

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深夜食堂@MARUNI COFFEE(マルニコーヒー)・水戸南町2丁目

2015年03月06日 21時29分49秒 | カフェ・喫茶
深夜食堂@MARUNI COFFEE(マルニコーヒー)・水戸南町2丁目



映画の「深夜食堂」は小学館「ビッグコミックオリジナル」連載中の安倍夜郎のコミックが原作で、単行本として刊行され、13巻まで発行されているようだ。
映画化の前にテレビドラマにもなってDVDも発売されている。

原作を読んで面白いから、映画・DVDを観るのだろうし、映像作品を観て原作を読んだら見たくなることもあろう。
原作と映像、共にそれぞれの良さがあるが、小説やコミックを読んでから映像を観ると、自分なりに想像した画面があるから少々ガックリ、と云うこともある。

映画を観て原作を読みたくなり、今日はMARUNI COFFEE(水戸南町2丁目)に行った。「深夜食堂」が10巻位揃っている。
2年前頃に、自家焙煎のコーヒーを廉価で提供する店としてオープンした。
今ではしっかりと根付いたようだ。
カウンターの他に椅子席もある。カフェと云うより「喫茶店」と呼びたい、落ち着きが感じられる。
店主が選んだCDの音が静かに流れ、漫画や雑誌がソコソコに置かれている。
「深夜食堂」もその内の一部だ。

映画だと1つのテーマで約40分以上かかるが、原作の漫画なら5~6ページ位で、数分で読み終え、おちも、明快で納得できる。
読み切りだから、何処のページを開いても読み出せる。



「ゴーヤー」と「たこぶつ」の2編を読み映画の感想などを述べた。
「ここで読んで、映画を観に行ったと云うお客さんもいますよ。結構入っているようですね」と店主の岡崎さん。

「深夜食堂」と同じようにコミック原作の「孤独のグルメ」のテレビも人気番組。井之頭五郎役を演じる松重豊のナレーションと演技が良いし、実在の店やメニューが登場しているらしい。
松重豊は「深夜食堂」の常連客の一人、剣先組の幹部「竜」を演じている。

「深夜食堂」と「孤独のグルメ」コミック原作の《グルメ》(この言葉は好きではない、何か置き換えられないかと思っている)番組として人気が有る。
この1年、テレビがないような生活ですが、YouTubeでそこそこ観られる、便利な時代となりました。
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「深夜食堂」@ユナイテッド・シネマ水戸

2015年03月06日 07時33分01秒 | 映画
「深夜食堂」@ユナイテッド・シネマ水戸



漫画を読むのは、どうも苦手で喫茶店などで4コマか、見開き2ページ位のものを読む程度だ。
何年か前に、安倍夜郎作で漫画雑誌の連載を単行本にした「深夜食堂」を友人のお勧めで読んでみた。

新宿・花園界隈の路地裏にあると設定された小さな飯屋で、深夜0時から朝の7時頃までの深夜にしか営業しない。のれんには単に「めしや」と書かれ、常連客から「深夜食堂」と呼ばれる。マスター1人で切り盛りしているのでメニューは豚汁定食、ビール、酒、焼酎しかない。しかし、マスターができるものなら言何でも作ってくれる。この店を舞台に、毎回、一つの料理を手間にマスターと客たちとの交流を描く。必ず落ちがあるが、これがまた良い。

南町の「マルニ」珈琲店には単行本が置かれているので拾い読みをする。
一篇ごと、一品ごとの読み切りだから、何処を読んでも良いので読みやすい。

単行本が好評で、小林薫の主演でテレビドラマにもなった。
我が家は、テレビも無いに等しいから、たまにしか見たことはない。
今回、映画化されたと聞いたので観に行った。



水戸駅南の「シネプレックス」が「ユナイテッド・シネマ」に館名は変更されたが中身は変わらないらしい。
上映時間を調べると13:10~の1回のみの上映。
人気度によって、館の大きさや上映回数を変更できるようで、さすがに最近の映画館システムは良く出来ているが、繰り返し観ることが出来ない。
1度では良く分からないので、繰り返し観られれば良く分かるのに、入れ替え制は不便だ。



寡黙なマスターを演じる:小林薫はじめ、とぼけた警官役のオダギリジョーや不破万作などの常連客と芸達者な役者がゲストとして登場する人情ドラマ。

時代設定は現代だが、飲み屋街の雰囲気は昭和45年代頃と同じ。
その当時、新宿・柏木に住んでいたから西口や花園神社近辺は懐かしい。
300坪のオープンセットを建てたと云う画面は昭和の雰囲気充分だった。

松重豊は「孤独のグルメ」で人気が有るが、このドラマも常連で
ちらっと顔を出す。余貴美子や田中裕子等の女優陣も存在感もありました。

映画版は119分でエピソードは「ナポリタン」「とろろ汁」「カレーライス」の3つで、放送枠30分のドラマに比べ、より丁寧に描かれている。
その分、私生活的な話も入り説明的になるが、其処が、映画化されたものの長所で短所。僕は、漫画で読みきりのほうが向きかもしれない。

1回の上映に観客は20人位、平日の昼ではこの程度かもしれないが全国の興行収入は上位らしい。
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「富張広司・也以、めおと展」@青野商店 提灯展示ルーム 

2015年03月05日 00時40分19秒 | 人と作品
「富張広司・也以、めおと展」@青野商店 提灯展示ルーム 





水戸市新荘の「青野商店 提灯展示ルーム」において、茨城出身の木版画家、富張広司さんと奥様の、也以さんによる夫婦展が3月20日(金)まで開かれている。


富張広司さんは「筑波山」「霞ヶ浦」など、茨城の景勝地をモチーフにした作品で知られるが、奥様の也以さんも版画家とは知らなかった。

サブタイトルに「版画めおと展」とあるように、それぞれの味が発揮されているのが楽しい。








白隠や浮世絵に想を得たような広司さんの豪快な作品。
西の内の和紙に刷った版画を貼った提灯はサイン入りのアート作品だ。





女性的な花をモチーフとした、也以さんの作品。

どちらも、今までの「提灯」と云う概念を突き抜けた、現代感覚に溢れている。
インテリアとして、或いは電球を入れた照明器具としても使える。

伝統技術に現代感覚が加わった「水府提灯」に取り組む姿を感じた。

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水府提灯・青野商店@水戸市新荘1-5-50

2015年03月04日 22時56分28秒 | 水戸
水府提灯・青野商店@水戸市新荘1-5-50




水戸と云えば「梅」「黄門さま」「偕楽園」「弘道館」などを連想されるが、小田原提灯、岐阜提灯等と同じ、提灯の産地の一つに数えられる、ことを水戸の人でもしらないようだ。
「水府提灯」と呼ばれるが、「水府」とは水戸の異称。
約380年前、江戸時代に水戸藩の産業振興策、下級武士の内職として生まれたのが、竹の加工品の籠、竹串や団扇等。




「水府提灯」は提灯の内側の竹ひごを、1本1本輪にして糸で結わえる「1本掛け」で作るため、堅牢であること。
さらに、貼られる和紙が丈夫で破れづらいことなどが特徴。
現在もその工法は変えずに、製造されている。


「水府」とは旧水戸藩の地域を指す言葉で、現在の常陸大宮市辺りまで含み、「西の内」と呼ばれる和紙は、全国的にも有名だ。

沢山あった「水府提灯」の製造元は、現在では主なところは3社らしい
その内の一つが青野商店。
現在は新荘と町名が変ったが、旧砂久保町。
この通りに店舗や倉庫を何か所か所有している。
昨年、ショールームを兼ねた店舗を新築した。

手前の部屋が資料館として見学が出来る。
型枠からひごを掛ける工程や、和紙の見本や貼り方まで分かる。

オートマタ(時計仕掛けの自動人形)の展示は、一見の価値がある



奥のギャラリースペースでは「版画と水府提灯のコラボ/富張広司・也以、めおと展」が開催されている。
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「月刊 みと」500号 おめでとう。

2015年03月03日 21時29分10秒 | 本・雑誌
「月刊 みと」500号 おめでとう。



1973年に不定期のタウン誌として「ミニマガジンみと」が創刊され、その後、毎月発行となり誌名は「月刊みと」に変更された。
創刊から2年目、「川田工房」から「ふじ工房」と経営及び社名が変更された。
水戸におけるミニコミのはしり、といえよう。


創刊以来、表紙は地元作家の作品で飾られていた。
1980年頃は、1人の作家が1年間担当し、画廊に於いて原画展も開催された程。



福地靖さんや片岡洋一さんが好評だった。





僕にとっても、「身辺古玩」と題し、俳句と古物を繋ぎあわせ文と写真を、見開き2頁で、1年間連載したのは1981年のことだった。
俳句や骨董に入門し、分け分からずに興味津々の時代で、にわか仕込の事柄を、かなり気どって書いている。
編集部に持ち込み、掲載してもらった。という、何とも厚かましい話で恥ずかしいが、その時の経験が役にたっているのは、有難い。
その当時は、以来原稿か持込み原稿か、かなり大勢の人達が書いているが、ミニコミ誌・タウン誌の良さだろう。

その後、沢山のタウン誌が創刊され廃刊された。
最近は、食やエステなど女性向けの無料のタウンガイド誌はポステングで配布するなど、発行部数を競っている。

「月刊みと」は加盟店・賛助店が有る程度の部数を買い取るシステムで、広告を専門にするタウン誌とは性格が異なり、書店でも有料で販売している。

内容的にも本・DVD・映画・音楽・イベント・グルメなど、総合誌なみに範囲が広い。
協賛の加盟店と云えど、小さな広告は載るが特別な扱いはない。
取材の態度は公平だから、記事に信頼感がある。
従って、水戸の街のためにも、大いに役立ってきた。

多くの雑誌が創刊から3号までで命運を決する状況が多く、40年以上に渡り、独自の編集方針と販売法を続けたことは尊敬に値する。

大震災以降、打ち上げ花火的な単発の催事が多く、それらに関連した記事が多い世の中と成ったが、惑わされる事無く、着実な発展をされる事を願っている。
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雛祭りの塩茹で赤豌豆

2015年03月03日 17時21分19秒 | 歳時記
雛祭りの塩茹で赤豌豆



みとまちなかパン&スイーツ工房スタンプラリー
2月28日(土)~3月15日(日)



但馬屋の「塩茹で赤豌豆」

3月3日は「雛祭り」。
女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事で、「ひいなあそび」ともいう。
「男雛」と「女雛」を中心とする人形を飾り、桃の花、雛あられや菱餅供え、白酒や寿司などの飲食を楽しむ。
と云うことだが、少子化で子供も少なくなりお祝いする機会が少ない。

雛人形の展示は年々盛んになり、町興しの催しが開催されるようになった。

雛祭りに合わせ「みとまちなかパン&スイーツ工房スタンプラリー」が水戸商工会議所主催で開かれている。

参加20店舗を巡って下さいとの趣旨だが、
専用の応募用紙に3店舗のスタンプを押印して、逸品の感想と必要事項を記入し、3月16日(月)(当日消印有効)までに、参加店舗に設置してある応募箱に投函するか、会議所に郵送する。

この機会に知られざる店や品を知るいい機会。



泉町・銀杏坂・京成百貨店に在る「豆処・但馬屋」
本店店頭で「塩茹で赤豌豆」。
節分の「青豌豆」に引き続き、ひな祭り期間限定。
青豌豆に比べ皮が固いが、ポリフェノールがたっぷり。
お値段は安いが美味しさたっぷり。

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藪椿@西の谷緑地

2015年03月02日 14時54分30秒 | 西の谷緑地公園


3月1日(日)の第2観梅デーは、あいにくの雨だった。
天候ばかりは、いかんともしがたい。
雨あはは雨、その日なりの楽しみ方をするほかはない。




西の谷では、山桜の土壌改良工事がほぼ完了した。
建築現場の残土などで埋立てられた「西の谷」は樹木の生育に適さない。
7年前に植樹された山桜の育ちが悪いので、公園協会によって、土を入れ替えと小枝の伐採がほぼ終了した。
来年は、美しい花を咲かせてくれるだろう。





西の谷の紅梅4本が真っ盛り。
梅は盛り寄りも、咲き初めが良いが、紅梅の満開の姿は、いいものだ。



早くも、しだれ桜が1輪咲きだし、つぼみも膨らんできた。
このまま行けば、あと半月で咲きそろいそうだ。

崖に面して自生している藪椿も、風にゆらゆら。





観梅客用の臨時駐車場のプレハブの番小屋。
臨時にプレハブ設置や人手間の経費をかけるなら、無料のほうが合理的。
平日は無料なのだから、遠来の客にもおもてなしを。



落ちた花を拾い、山上鎮夫さん作の連弁に置いてみた。


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班目和彦 展  @ギャラリーしえる

2015年03月01日 22時46分50秒 | 美術展
班目和彦 展  @ギャラリーしえる







茨城大学の教育学部を卒業し、小・中学校の美術教諭であった班目和彦さんの
七宝とデザインの作品展覧会が2月17日~3月1日に開かれ、展覧会を記念して、立派な作品集を作られた。
グラフィックデザインを専攻したので、当初はポスター作品などが多い。
後に、七宝に転向、試行錯誤を繰り返しながら現在に至った。










七宝は工芸的なものが多いが、班目さんは絵画的。

デザインの力をかわれ、学校誌や機関誌などボランテアとして依頼された表紙やカットも多く、その数は膨大だ。
原画等を戻して貰って保存しておいたのだろう、几帳面な方のようだ。
真面目な人柄を反映してか、幾何学的な作品も多い。



中締め、との意味もあって個展開催・作品集の制作。
となったのであろうが、約45年間に渡って制作された作品群を見ると、精進の跡を伺うことが出来る。

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「徳川慶喜」展@茨城県立歴史館

2015年03月01日 17時18分25秒 | 博物館
「徳川慶喜」展@茨城県立歴史館
2月7日~3月22日



今日から3月に入った。水戸の梅祭りは〔第2観梅デー〕として野点茶会〈石州流〉なども用意されていたが、あいにくの雨。
梅の季節は季節の変わり目、雨も嵐もある。

満開の花もあれば、蕾もある。
桜と違って、春の魁。
天候や咲き具合、それぞれに応じて愉しむのが梅に対する感じ方と思う。

3月22日まで茨城県立歴史館で「徳川慶喜」展が開催されている。


サブタイトルに、
『正統なる英傑(カリスマ)か。偉才の異端児(アウトサイダー)か。』
とあるように、家康以来の資質、教養に関して言えば家康、吉宗を遥かに凌ぐと言われた徳川15代将軍、慶喜 《1837(天保8)年~1913(大正2)年 77歳》。

将軍に就任し、果断に幕政改革を進めたが,将軍在位1年で江戸開城への道を開き,水戸ついで静岡で謹慎し、後半生は政治的沈黙を貫いた。


江戸の無血開城がなければ、内乱は避けられなかったろうし、列強の植民地になる危険性もあった。



背広の上下を、勤王の志士風に着こなした姿は、将軍とは思えない。
幕府と朝廷との板挟みに会いながら、京都を舞台にして苦闘を続けた。


ヨーロッパの先進性を十分に承知し、時代を読む眼力に富んだ傑物であったのは間違いない。



フランス軍の軍服を着用し、自らがフランス料理を振る舞い、各国公使との交流に取り組むなど、 伝統的な将軍のあり方を打破した。

1867年の「パリ万博」に弟昭武を将軍の代わりに派遣した。
昭武と共に渡欧した渋沢栄一ら、当時最高の知的エリートの人々は、ヨーロッパの最新の知識を持ち帰り、明治維新後の近代化に大きな足跡を残すことになる。
渋沢栄一は、後に日本の実業界の父と言えるほど数多くの会社を設立した。
今でもかなりの会社が当時のまま、または合併などで名称を変えつつ大企業として存続している。
「私利を追わず公益を図る」との考えを、生涯に亘って貫き通し、財閥を形成しなかったことも渋沢の見識だ。
徳川慶喜は間接的に今の日本企業社会を作らせたことになる。
渋沢栄一も、何かと面倒を見てもらった慶喜に深く感謝し、後年、慶喜に対する悪い評論を払拭すべく、『徳川慶喜公伝』(全7巻)を刊行した。
*現在・常陽史料館で展示中。


徳川慶喜は、江戸の火消しの親分である新門辰五郎と仲がよかった。
辰五郎の娘・お芳が慶喜の側室だった。ともいわれ、慶喜が最後に京都に出向いた際は、高齢である辰五郎も部下を率いて警護役として従っている。


徳川慶喜は評価が難しいとされてきた人物。
慶喜という人物を再評価してみる必要があるのではないか。
評価というものは、時とともに変わるものだ。
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