「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

酒列磯前神社@ひたちなか市磯崎町

2022年02月28日 22時27分28秒 | 
酒列磯前神社@ひたちなか市磯崎町







太平洋に面した岬の丘上に鎮座する、酒列磯前神社の創建は斉衡3年(856)と伝えられる。
主祭神:少彦名命(すくなひこなのみこと)、大名持命とともに国造りを行ったとされる。
配祀神:大名持命 (おおなもちのみこと)大国主命(大己貴命)の別名。
大洗磯前神社祭神で、その分霊、少彦名命の力を借りて国造りを行ったとされる。
那珂川対岸の大洗にある「大洗磯前神社」とは主祭神と配祀神を交換した形で、2社で1つの信仰を形成している。



歴史がありながら中世には廃絶し社殿もなくなった様だが、近世になって水戸藩2代藩主・徳川光圀により造営の起工がなされ、3代藩主・綱條により現在地に遷座がなされ再興された。
旧鎮座地は一の鳥居の辺りと伝えられる。
石垣に囲まれた300m参道もその頃に作られたのだろう。





参道両側や境内周辺は広葉樹林(椿やタブノキ、スダジイなど)で特に山椿が目立つ、これからが見頃だ。





参道の途中に海側の道路に繋がる通路と階段がある。
磯崎漁港と北側に連なる海岸が見渡せる。





本殿や拝殿を囲む境内地内や一の鳥居から拝殿まで続く参道両脇の樹叢は当時からの姿を留め、襟を正したくなる。





特に本殿背後の樹叢は人の手がほとんど入らず、禁足地的に保護されてきたことがうかがえる。

余録
酒列磯前神社(さかつらいそさきじんじゃ)の社名について、読むのが難しいし、意味も分からなかったので調べてみた。
当社の周辺海岸の岩石群は南に約45度に傾斜して並んでいるが、その内の一部の北に傾いた部分、すなわち「逆列(さかつら)」の地名が社名の由来とされる。のちに酒の神様を祀るところから「酒列」となったとされる。
「酒」の字は少彦名命の酒神としての御神徳に沿って「酒」という字を当てたのではないかとも考えられている。とのことだが、どうも納得がいかない。

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水戸八景「太田落雁 」@常陸太田市栄町・東崖。

2022年02月27日 16時10分12秒 | 水戸の今と昔
水戸八景「太田落雁 」@常陸太田市栄町・東崖。









「太田落雁 」の碑。

碑の形状等:縦170㎝ 横140㎝ 花崗岩で赤味を帯びている。









この場所は東の方角にひときわ眺望が開けている。
現在は眼下に市街地が広がるが、昔は真弓千石(まゆみせんごく)と称された水田が広がっていた。
遠景に寒水石の産地で有名な真弓山をはじめとする阿武隈山系が連なっているのは変わらない風景だろう。
落雁とは空から舞い降りて羽を休める雁のことで、秋の景色。
それにしても、田畑を眺めることが出来ない今は、想像するのも難しい。
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常陸国の二宮・静神社@那珂市静

2022年02月26日 12時12分02秒 | 文化遺産
常陸国の二宮・静神社@那珂市静





静神社は鹿島神宮(一宮)や吉田神社(三宮)とともに常陸国の二宮として崇敬されたという。
中世・佐竹氏の時代は3つの神社が鎮座し、さらに、7つの寺院がこれを囲んで大きな霊地を形成していた。

天保12(1841)年の火災で、徳川光圀が造営した社殿が焼失。
現在の本殿・拝殿は、水戸家9代藩主斉昭が再建。



本殿から石段と大鳥居を望む。



大鳥居
県道61号(日立・笠間線)に面するが、水戸から奥州に通ず街道の一つ。
交通の要地でもあり、門前町、宿場町として栄えた



謂われのありそうな樹の株。





『常陸国風土記』の碑と『織姫』の像。

『常陸国風土記』(713年)には「静織(しどり)の里」とあり、地名・社名の由来となったと思われる。



「静神宮印」(国指定・重要文化財)
寛文7年(1667年)、徳川光圀によって神宮寺が分離された際の改築造営に伴う土木工事によって、境内のヒノキの大木の根元より発見された。
印笥はこの印を納めるためのもので、銅印発見を喜んだ光圀がこれを蜀紅の錦の袋に入れ黒漆塗りの箱に発見の事情を、金文字で書き、社宝として寄進した。

印文は、楷書で「静神宮印」の4文字を、2字ずつ2行に配し、4周に輪郭を施している。奈良時代神社印中の秀作の一つである。
印面は方形、鈕は鶏頭状の莟鈕に造り、鈕穴を付ける。
4.9㎝、高6.1㎝。鋳銅製。





「静峰ふるさと公園」(写真は2013年4月18日の訪問時)

静神社の後背地に自然丘陵を活かした12ヘクタールの公園が在る。
「日本さくら名所100選」にも選ばれた桜の名所で10種類程の八重桜が約2,000本植えられている。
八重桜のほか、約200本のソメイヨシノもあり、例年、ソメイヨシノが散り始める頃に八重桜が咲き始め、1シーズンに2度桜が楽しめる。

*桜田門外の変に加わった水戸浪士の一人である斎藤監物は静神社神官であり、静神社向かいに墓がある。
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カサマレザー@水戸市栄町2丁目6-13

2022年02月25日 19時38分30秒 | 水戸の今と昔
カサマレザー@水戸市栄町2丁目6-13
◎営業時間 / 12:00 〜18:00 定休日 / 木曜・日曜・祝日








水戸市栄町に2年前に開店した皮革専門店「カサマレザー」
皮革の原材料と製品を格安に販売している。







皮工芸に興味のある方には、クラフト教室的に作り方を教えてくれる。
UVプリンターでオリジナルなデザインの革やホックを作ることも出来る。
元は設計屋だった経験を活かし、木製のテーブルなども制作・販売するというかなり間口の広い店だ。





工程に応じた専門的なミシンや工具も揃っている。

人類と皮革との歴史は古く、狩猟によって得た獲物を食用とし、剥いだ毛皮や皮を鞣して寒さや衝撃から身を守るため活用した。
太古の時代から歴史を有する皮革製品には衣料・生活用品として魅力にあふれた素材だ。

使い込むほど柔らかさが増して肌や手に馴染んでくる。
エイジングによる風合いや質感が増す。
オイルを添付し磨き上げるなど、手入れ次第で艶と光沢が一層変化する。
身に着けなくても、眺めているだけでも愉しい。

皮工芸の店は水戸市内に在ったが、これだけ本格的な店は初めて。
使用していた革製品に不具合が生じた際は相談に乗ってくれるとのこと。
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モンク・イン・ヨーロッパ@あまや座(那珂市瓜連1243)

2022年02月24日 22時04分35秒 | 映画
モンク・イン・ヨーロッパ@あまや座(那珂市瓜連1243)







ジャズ・ピアニストにして作曲家のセロニアス・モンク(1920~1982)の円熟期の姿を収めたドキュメンタリー2部作の第2作(1968年製作/59分/アメリカ)。

今から60年前頃(10代後半)にモダンジャズなるものを聞き始めて以来、未だに、その辺りを聞くのが心地よい。
YouTubeなるものが出現して、当時のライブ映像を見る事が出来るようになって、便利で有難い世の中になった、と思う。
とは言えPCの画面と音では臨場感が無いのでちょっと物足りない。
PCとテレビが一体となった機種もあるようで、大画面のパネルで見られれば映画に劣らない迫力だろうが、それまでの余裕はない。

あまや座でセロニアス・モンクの没後40年を記念したドキュメンタリー2部作『MONK モンク』『モンク・イン・ヨーロッパ』が上映されていることを知った。



あまや座はコロナ禍もあって、2020年8月に小笠原のレジェンドサーファー宮川典継を中心としたドキュメンタリー『PLANETIST(プラネティスト)』を見て以来、久しぶりだ。

上映時間が異なるのでどちらかを選ぶしかない。
1本1000円の格安料金、2本続けて観る手も有ったが、1968年のヨーロッパツアーの『モンク・イン・ヨーロッパ』を予約。









(予告編のYouTubeから)

ロンドン、ストックホルム、コペンハーゲン、ベルリン、マインツ、ロッテルダムの演奏旅行の空港・機内、リハーサルや本番演奏、モンク夫妻がホテルでくつろぐ様子や街を歩く姿など、プライベートな姿も収められてある。
1970代以降は表舞台に姿を見せなくなったので、今では貴重な記録だ。

◎モンクの死後に発見された幾つかのフィルム(この映画を含む)を編集してクリント・イーストウッドが制作した『Straight, No Chaser』(1988年公開)には、演奏シーンがふんだんに盛り込まれているようだ。
クリント・イーストウッドは1930年生まれ、今年92歳だが現役の俳優、映画監督、映画プロデューサー、作曲家でもある。
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柴沼清 作品展 @常陽藝文センター1F・藝文プラザ

2022年02月23日 22時58分24秒 | 美術展
柴沼清 作品展 @常陽藝文センター1F・藝文プラザ
枝画への誘い―光と二つのKAGE(影and陰)― 
2月18日(金)~3月17日(木)








自宅の庭樹を剪定した枝を組み合わせ、立体的な絵画作品に仕上げた柴沼清さんの「枝絵」と題する作品展が開催されている。
昨年の4月 2日 ~ 4月29日に同じ会場での展覧会を発展させた第2弾。

日本原子力研究機構(旧日本原子力研究所)の研究員を定年退職後、何か新たなことを、と考えた時に丸山応挙・葛飾北斎・長谷川等伯の作品に出合った。余白の中の宇宙観と余計なものを排除した心の奥の情景の表現、その中に「生と死」を見つめた精神性の高さに衝撃を受け、日本画や洋画の枠を超えた。
作品を作りたいと考えた結果が「枝絵」として結実した。







枯れ枝を絵のように構成し漆喰で固め、着色する。
立体の枝に依って(影/陰)が出来るが、その無作為な(影/陰)が思わぬ効果が際限がない。



書の作品も、(影/陰)が作る線が奥行きのある墨書にも見える。



京壁に塗りこめられたような枝と葉。





絵画・彫刻・レリーフ、ジャンルの垣根を越えたいと願う作品のそれぞれに解説文が添えられている。
読みながら眺めれば、作者の狙いが見えてくる。
アマチュア作家ならではの良さ、が感じられる展覧会。
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「宗敬・幹子の見た20世紀の海外」@一橋徳川家記念室

2022年02月22日 18時49分50秒 | 博物館
「宗敬・幹子の見た20世紀の海外」@一橋徳川家記念室
2022年1月29日(土)~3月13日(日)










明治~大正~昭和20年代頃まで海外に赴くことが出来たのは、ほんの一握りの
人々だけだった。
一橋徳川家第12代当主の徳川宗敬と、妻の幹子は、大正・昭和初期の頃から海外に赴いた。当時の日本人としては稀有な体験で、見聞を広め見識を新たにし、さらに、対外的には世界における日本の立場の構築にも、大きく寄与した。
宗敬自身が撮影した写真、あるいは幹子が海外にて入手した品々を通じて、宗敬・幹子夫妻がみた、激動の20世紀前半の海外事情を紹介する。





ライプチヒ、ミラノ、ベルリン、ロンドンなどでの写真など。







サンフランシスコ講和会議・条約。
1951年9月に第二次世界大戦・太平洋戦争後に関連して連合国諸国と日本との間で講和会議が開かれ平和条約が締結された。



第4回世界農村婦人協議会大会でのスピーチ(1959年・スコットランド)

徳川 宗敬(とくがわ むねよし・1897(明治30)年 - 1989(平成元)年
水戸徳川家第12代当主・徳川篤敬の次男として生まれ、一橋徳川家の養子となった。大正9年に江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の孫に当たる幹子と結婚した。
東大農学部林学科を卒業した宗敬は、幹子を連れて欧州へ留学する。
2人は2年半の洋行で先進国の文化に触れる一方、第一次世界大戦の敗戦国となったドイツやオーストリアでは地位や財産を失った貴族の没落ぶりも目の当たりにした。
第二次世界大戦後、最後の貴族院副議長となった宗敬は、昭和26年のサンフランシスコ講和会議の全権委員、伊勢神宮大宮司などを務める。
全国の植林運動にも尽力し、「緑化の父」とたたえられた。

幹子は21年に現在の水戸市見川付近の開拓地に一農民として入植し酪農に従事する。全国開拓者連盟婦人部の初代部長を務め、46年には茨城県婦人会館を設立して初代理事長に就くなど、水戸・茨城の女性の地位の向上のため大きな力となった。

余禄
講和会議はサンフランシスコのオペラハウス(ウォーメモリアル・オペラ・ハウス)で1951年に開催された。これに依って主権を回復した記念日だから、子供心にも忘れられない。
1991年に初めてサンフランシスコに行き、オペラハウス記念館を訪ねた時、この場所だったのか!と感慨もひとしおだった。
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華麗なる明治-宮廷文化のエッセンス-@茨城県立歴史館

2022年02月21日 22時13分39秒 | 博物館
華麗なる明治-宮廷文化のエッセンス-@茨城県立歴史館
2022年2月19日(土)~4月10日(日)








「降る雪や明治は遠くなりにけり」と中村草田男が詠んだのは昭和6(1931)年、今を去ること89年前のことだが、今年(2022年)は明治 155 年 にあたる。
「現代」の礎が築かれた時代で、生活に欧米諸国の文化が浸透し、衣食住の洋風化が進んだ。今展は明治時代の皇室の活動を中心に、宮廷を彩った華やかな文化、皇室に近侍した人々、本県各地への行幸啓などについて紹介している。



明治天皇と昭憲皇太后



明治美術の煌めき



正餐用食器・銀器 有栖川宮家所用





本県に関連した美術工芸家など。
彫金家・海野勝珉、洋画家・二世五姓田芳柳。



大礼服・昭憲皇太后着用







皇室を支えた茨城県ゆかりの宮廷人として、皇后側近の第一人者である香川敬三(現・常陸大宮市出身)と、皇后のスタイリストを務めた娘の志保子の事跡についてもふれている。



本県各地への行幸啓





小梅徳川邸行幸
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鈴木誉志男さんと松永公明さん

2022年02月20日 19時57分49秒 | 水戸の今と昔
鈴木誉志男さんと松永公明さん



『LI(エルアイ)』(2021年10月号)
ココリコ食堂に行ったとき、偶々手にした小冊子『LI(エルアイ)』(2021年10月号)の表紙はサザコーヒー会長の鈴木誉志男さん。



始めて拝見した『LI(エルアイ)』は《「茨城×中国」ビジネスのひらめきを見つける・伝える》情報誌でレイアウトやデザインなど、とても見易い。
茨城県に住む日本人と日常を共有する中国人のためのビジネス情報誌で、発行人は黄磊さん(表紙写真の左側)



「LI的〝喫茶時間″」その1
「日中友好のサザ 中国から学んだコーヒー屋」

『私はサザコーヒーという名前のコーヒー屋を54年前に始めました。
サザとは「且坐喫茶」、サザキッサと呼びます。
且坐喫茶は中国臨済宗の禅宗の七言絶句の言葉です。臨済宗は中国禅宗五客の唐代臨済義玄が開祖で、鎌倉時代に日本に伝わりました。その意味は「さあここに座してお茶を頂きなさい」です。
私は26歳の時に、思うことがあって、一週間に一回無心の時間を求めたいと、表千家茶道に入門しました。
茶道は、精神的な求道の道と、中国唐時代の総合芸術といわれています。茶道具、書、掛け軸、茶碗、書画、古代布の美に対する意識や感動を学びました。』
(巻頭部分を抜粋)

鈴木さんは父の経営していた映画館の一画に55年前に「サザコーヒ」を創業し、茨城を代表する、あるいは日本でも屈指のコーヒーブランドに育て上げ、コロンビアに直営のコーヒー園を所有するなど世界的にも知られるようになった。
勝田(現・ひたちなか市)の生まれだが、当時は越境と云って他の市町村から水戸二中に通学する生徒が多く1学年720人、全学年で2000人を超す大所帯だった。多数の卒業生の中でもでも出世頭とも言える鈴木誉志男さんの存在は抜群で、メディアに登場すると自然に目が行く。

特に1989(平成元)年 のサザコーヒー本社本店落成、ギャラリーサザの開廊頃から約35年に渡って顔を合わせることが有る。
会えば話題が豊富で旅、食べ物、モラや仮面などの収集品、勿論、コーヒに関わる諸々の話は尽きない。
コーヒー学会の開催や「勝田全国マラソン」開催時のコーヒーの無料提供など社会的な活動にも尽力している。

「ギャラリーサザ」は展覧会の予約でいっぱいだが、オープンの頃は空の時もあったので「摩訶曼荼羅華」と題する遊びの場として無料で使わせて頂いたこともある。



「LI的〝喫茶時間″」その2として
嘉木を求め、 嘉人に至る。有限会社アトムセブン 代表取締役 松永公明

松永さんは交通事故でかなりの重傷を負い、後遺症が酷くて治らない。
その頃、友人の医師が中国へ行くというので、松永さんも天津の医学校に留学。そこで知ったのが、漢方を煮出して、そこにお茶を混ぜるという方法。
そのおかげで身体がある程度良くなって帰国した時、“日本で漢方薬をやろう”と考え、漢方薬と中国茶の店「十倶茶游」を開いた。
中国には樹齢百年・千年という見たこともない大樹が沢山ある。
所変われば品変わる、多くの茶葉を求めて何度も中国に渡って仕入れをしている。





創業時は下市の本町、震災後に千波町に移転の新店舗は1階で販売、2階が喫茶室と中国茶の教室。



2階の奥にウッドデッキのテラスもあってお気に入りの店となった。
句会の当番を務めた際は2階を貸して頂いたこともあった。

4~5年位前「十倶茶游」のオーナーの松永公明さんは以前からの知り合いであったことが分かり驚いた!
半世紀前の頃、水戸市南町の商店主が出資して広告宣伝・店舗内装の「K企画」を設立した当時、友人が社員だったのでよく遊びに行った。
出入り業者で電気工事の会社を営んでいたのが松永さんで、雑談などをした覚えがあるが、その後の付き合いは無かっただけに、お気に入りの店のオーナーだったと知りビックリした。

コロナウイルスが蔓延し始めた2年前頃から訪ねていないが、営業時間の短縮や規模を縮小せざるを得ない状況とのこと。
営業時間・11:30~17:30 定休日・木曜日
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ココリコ食堂の朝定食@茨城県立青少年会館・1階

2022年02月19日 18時23分24秒 | レストラン
ココリコ食堂の朝定食@茨城県立青少年会館・1階





茨城県立歴史館の向かい側の茨城県立青少年会館1階に、昨年3月2日にオープンした「ココリコ食堂」(7:00~15:00)。
「ココリコ」とはフランス語の鶏の鳴き声「コケコッコー」なので朝7時から朝定食が始まる。
青少年会館内の「偕楽園ユースホステル」宿泊者の利用もあるが、格安価格にしては内容が充実していると常連さんも多い。



朝定食 500円
◎和定食 納豆生たまご、みそ汁 ◎洋定食 バタートースト卵付き

卵は常陸大宮市の「環の花」の平飼いの有精卵。
コーヒーはひたちなか市発の全国ブランド「サザコーヒー」を使用している。
更にヨーグルトとサラダの小鉢が付く。



広々とした店内はゆったりとしたソファーの席もあり、女性店主ならではの明るく優しい雰囲気に溢れている。



県立青少年会館の1階の受付前の壁面に「桜花爛漫」(二重作龍夫作)の大作が飾られているが、高いところに在るので見落とす方もおられる。

二重作龍夫(ふたえさく たつお・1916 – 1988)
水戸出身の洋画家で菊池五郎に師事し、熊岡美彦絵画道場に入門。
太陽美術協会会長 フランス国際展副会長、フランス文化勲章などを受けるなど活躍した。代表作は「ベニス」シリーズ、ドン・キホーテ、富士など。

◎ココリコ食堂の営業時間は7:00~15:00、月曜 定休日
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お茶のお稽古

2022年02月18日 20時36分18秒 | 生活
お茶のお稽古







ご近所にお茶室をお持ちの方がおられ、月に1度、数名の方々が集まってお茶の稽古をされる。
偶々、立ち寄ったが今日が稽古日で、幸運にも参加する機会を得た。











今から約50年前にJCに入会したのがきっかけで、先輩のNさんと共に趣味の会的な乗りでM社中の門をたたいた。
月2回の稽古日だったと記憶するが、床の間の花の素晴しさ、炭の香り、お菓子の美味しさ、手順を考えているだけで頭の中は真っ白の緊張感。
年に2回ぐらいのお茶時は少々のお酒と懐石料理など、楽しいことばかりだった。
その頃、骨董の世界にも足を踏み入れていたので、お茶の総合芸術の世界は魅力だった。しかしながら、その教室が閉鎖になってしまった。
約2年位の短い期間だったので、一服を戴くのも満足に出来ない状態だったにも拘らず、継続しないままに終わった。





80歳を迎え、改めてお茶を喫したいと思うようになっていたから、臨時の参加した1時間はあっという間に過ぎた。
その後、皆様方はお食事を共にされたり楽しい時間をすごされる。











道具類や掛け軸、其々に学ぶことが沢山あるなと改めて思った。
とは言え、お稽古に毎月通う気力はないから始末に負えないのだが。
精々、お茶を喫む機会を多くするように努めよう。
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Bistro BABAが南町に移転@水戸市南町3丁目

2022年02月17日 18時40分12秒 | 水戸の今と昔
Bistro BABAが南町に移転@水戸市南町3丁目







水戸市泉町の京成百貨店の隣に在った創業30年の洋食屋「Bistro BABA」が再開発絡みで2021年11月28日をもって閉店し、南町の「みずほ銀行」並びに12月下旬に新装開店した。
隣は大正15年創業の老舗パン店「木村屋」、水戸の名店が軒を連ねたのは明るいニュースだ。





新店舗は細長で、以前の店を左右に二等分して縦につなげた感じ。
厨房が見える奥のカンター席は前の店の入り口と錯覚するほど。



メニューもほぼ同じ。









ランチBは
煮込みハンバーグ魚のピカタ、デザートはプラス250円。

余白
夜はカウンター席で一皿のつまみで飲めるのもBABAの良さだ。
コロナウイルス禍も2年を過ぎた。
そろそろ、収束して飲める日も近いのでは、と期待している。
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「生きているうちが花なんだぜ」宇崎竜童

2022年02月16日 11時12分25秒 | 人と作品
「生きているうちが花なんだぜ」宇崎竜童







偶々TVを見ていたら「2020 FNS歌謡祭 」の再放送で「生きているうちが花なんだぜ」を演奏していた。

宇崎竜童の作詞作曲を、木梨憲武×宇崎竜童×佐藤浩市の3人で歌う。

「Woh Woh Woh 生きてるうちが花なんだぜ
Woh Woh Woh 生きてるうちが花なんだぜ花なんだぜ」

の繰り返しの後に、歌ってるかい、踊ってるかい、笑ってるかい、泣いてるかい、、、、呑んでるかい、酔ってるかい、盛り上がってるかい、馬鹿やってるかい、、





「Woh Woh Woh 生きてるうちが花なんだぜ
Woh Woh Woh 生きてるうちが花なんだぜ花なんだぜ」
を繰り返し、その後に日々の喜怒哀楽の一言を入れるだけ、自分勝手になんでも叫べばよい。

呑んでるかい、酔ってるかい、盛り上がってるかい、馬鹿やってるかい、

年を重ね、ましてコロナ渦が続く近頃は、吞んで馬鹿やることも無くなったが、
「生きてるかい」「生きてるうちが花なんだ」身に染みる。





YouTubeで検索したら中井貴一の加わったバージョンもあった。
宇崎竜童の他は役者などミュージシャンではないが、タレントは確かに何をしても様になる。

この曲は映画「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」(森崎東監督)で音楽を担当した宇崎竜童が、後に「生きているうちが花なんだぜ」という楽曲を作詞作曲し、続編の『ニワトリはハダシだ』のエンディングで使われた。とのことだ。







宇崎竜童 ”生きてるうちが花なんだぜ PV” 「拝啓 森崎東監督」に。

森崎東(1927-2020)
1956年に松竹入社。野村芳太郎や山田洋次の助監督に付き、69年、「男はつらいよ」第1作の脚本を山田とともに執筆する。
初監督は同年、山田の原案になる泥臭い人情ドラマ「喜劇・女は度胸」。
翌年には「男はつらいよ フーテンの寅」を監督するが、過激な描写が寅さんの雰囲気に合わないとして、シリーズからはずされる。
 その後、「喜劇・女は男のふるさとヨ」「喜劇・女生きてます」など人情豊かな喜劇を監督。「喜劇ではなく怒劇」と自ら称するように、社会から虐げられている庶民の怒りを代弁する作品を生涯撮り続けた。
 83年に古巣松竹で撮った夏目雅子主演の「時代屋の女房」がヒット。
85年の「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」も話題を集めた。
 04年の「ニワトリはハダシだ」で芸術選奨文部科学大臣賞。認知症の母親の介護を明るくつづった13年公開の「ペコロスの母に会いに行く」が、キネマ旬報ベスト・テンの1位に選ばれた。これが最後の作品になった。
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ニシモトホマレさんから漂着の軽石が届いた。

2022年02月15日 11時56分04秒 | 
ニシモトホマレさんから漂着の軽石4個が届いた。







小笠原諸島父島在住のニシモトホマさんから《父島・小港海岸に漂着の軽石》が届いた。

2021年8月13日に小笠原諸島・南硫黄島の北東約5キロにある海底火山「福徳岡ノ場」噴火、大量の軽石が噴出し漂流した。
漂着した軽石が大量に押し寄せた沖縄などの被害が報じられた。





小笠原諸島父島在住の、ニシモトホマさんに異常は有りませんか?と問い合わせたところ「小港ビーチを散歩したら軽石漂着ですね!洋ちゃんさんに言われなければ見過ごしていたかも、地球の息吹きを感じる朝でした!」のコメントと画像が送られてきた。



今回、採取した軽石4個をケースに入れて送ってくれた訳だが、大きさ2センチ足らずの軽石だが、市販されている軽石(風呂場などで使用する)物に比べ噴火間もない出来立ての軽石は、見れば見るほど多くの物質が混入、地球の営みを感じた。

2022年1月15日に南太平洋トンガ沖の海底火山の大噴火により、日本でも津波警報や避難指示が出されたことは記憶に新しい。
地球はマダマダ発展途上、如何なる災害が起こるか計り知れない。
2年以上を経過しても収まらない新型コロナウイルスの蔓延も然り。

そこそこ安全な遠出が可能な状況に成ったら、まず一番に小笠原諸島の父島に行きたいと思っている。
東京都でありながら、東京港の竹下桟橋から週1便の定期船「おがさわら丸」で1昼夜(約24時間)を要する太平洋上に浮かぶ小笠原諸島は。世界自然遺産に登録された大パノラマの自然が在る。
住民のニシモトホマレさんや、野生イルカと泳ぐ世界初のドルフィンスイムでブームを巻き起こし、絶滅危惧種となっていたアカガシラカラスバトを保護し、世界遺産の登録に大きな貢献をした宮川典継さんなどとお会いしたい。
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駄菓子屋 三平 @水戸市南町3丁目 佐久間ビル1F

2022年02月14日 23時22分35秒 | 水戸今と昔
駄菓子屋 三平 @水戸市南町3丁目 佐久間ビル1F







南町3丁目の裏通りの佐久間ビル1階、暫く空き店舗だったところにコインランドリー「ランドラネットラボ」と「駄菓子屋 三平」が開店した。
通りに面したコインランドリーは目に入るが、「駄菓子屋 三平」はコインランドリーの奥なのでちょっと見た目には分からない。

水戸市泉町の芸術館の通りに面したビルの4階に在った「駄菓子屋 三平」に初めて入ったのは10年前のこと。
子供向けの駄菓子屋ではあるが、大人も楽しめるプラモデルやミニカーなどもあるので、時々、足を運んだ。
ビルの都合で転居することになり、取り敢えずは仮店舗で営業していたが2021年の12月25日にリニュアールオープン。





以前の店に比べ広さは半分に満たないが、駄菓子を中心とした品揃えは変わらない。むしろ、見易くなった感じもする。
店主の菅藤秀樹さんは「チャールズ三平」という手相相談という顔も持つ。



プラモデルのキットも充実している。



プラモの完成品や食玩なども販売されている。



プラモ制作には欠かせない塗料類も充実の品揃え。





「駄菓子屋」は子供にとって遊びの、大人にとっては郷愁の世界。
コインランドリーの奥まった、ちょっと分かりづらい場所だが、多くの方々が楽しんでくれればいいな~
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