「西の谷緑地公園」を美しく!

「公園都市水戸」の街造りを考える人達と協働したいと思っています。

大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡@大佛次郎記念館

2018年12月25日 23時56分52秒 | 人と作品
大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡@大佛次郎記念館









平成30年も残り僅かとなった。
来年には平成天皇が譲位され,新たな年号となる。
今年は明治150年となるが、明治100年の企画として朝日新聞に連載が始まった大佛次郎『天皇の世紀』の執筆開始から50年。



後に明治天皇となる祐宮の誕生から始まり、ペリーの黒船来航から戊辰戦争に至るまでの激動の幕末維新の時代を膨大な歴史資料を駆使して描いたノンフィクション。
著者の病気のため第1555回をもって休載となった著者の渾身の作品。







得てして、この時代を描く小説は旧幕府側か新政府側か、どちらかに肩入れ・思い入れをしてしまうことが多いが、大佛は是は是、非は非と、両者を平等・公正に扱っている。
司馬遼太郎のような著者の感情移入もあまりなく、抑制の利いた筆致はできるだけ歴史を客観的に見ようという著者の姿勢だ。

著者は明治天皇についても当然に言及するつもりであったに違いないが、それも果たされぬままで、著者の死が惜しまれてならない。
病気で入退院を繰り返しながら作品に取り組んだ6年半に及ぶ。





歴史の舞台となった日本各地を訪れ、約1000点に及ぶ資料に依拠しながら執筆を進めた収集品などが展示されてある。

水戸藩関連では、尊皇攘夷思想の基となった会沢正志斎の『新論』。



徳川光圀によって開始され、光圀死後も水戸藩の事業として二百数十年継続し、明治時代に完成した『大日本史』



1871年史上初めての人民自治を実現したパリ・コミューンの歴史的経緯を、克明に調査し現地を踏査してまとめた一大叙事詩である『パリ燃ゆ』の原稿など。



自宅の書斎を復元した部屋。




鎌倉の自然保護のため、イギリスのナショナルトラストに習った組織を立ち上げた日本の創始者でもあった。



こよなく猫を愛した。





水戸からの訪問者と知った学芸員が、天狗党の悲劇を題材とした長編小説『夕顔小路』を読むことを勧めてくれた。
200頁にわたる大著だ。後日、県立図書館で借りて読むことにする。

時代小説『鞍馬天狗』で有名な大佛次郎だが、幅広く多くの著作がある。


渾身の大作『天皇の世紀』は明治天皇に関することで、今上天皇の話ではないが、奇しくも「天皇誕生日」の訪問は新たな課題を背負った感じがした。
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港の見える丘公園@横浜市中区山手町

2018年12月25日 06時49分54秒 | 公園・緑地
港の見える丘公園@横浜市中区山手町







「大佛次郎『天皇の世紀』1555回の軌跡―取材旅行から絶筆まで」を拝観のために横浜に。




会場の「大佛次郎記念館」は横浜市中区山手町の「港の見える丘公園」の一郭を占めている。

港を見渡す高台の上、幕末に横浜が開港した際にイギリス軍とフランス軍が当地に駐留した、という歴史を有する。

太平洋戦争後も、アメリカ軍などがこの地を接収した。
接収が解除になってから、横浜市が公園用地として手に入れ整備し、1962年(昭和37年)に風致公園として公開された。

公園までのアクセスは多様だが、周辺には見どころが沢山。
開館前に着いたので、拝観前と後に園内と周辺を散策した一部を紹介。



多様な宗派の教会が点在している。
この日は日曜日だったので、日曜礼拝が行われていた。



お嬢様学校の印象が強い「フェリス女学院」










「外国人墓地」



イングリッシュローズをテーマに一年草と宿根草との混植のガーデン。
冬のため花の数は少なかった。
最盛期には見事だろう。

山下公園と並んで、横浜市の観光地の公園の一つで、横浜港を見渡せる高台に位置する。





見える物はあくまで本当の意味の「港」であり、横浜ベイブリッジを除くと、横浜の代表的な観光地であるみなとみらい21や関内といった地区を見下ろすことはできない。




大佛次郎は大の猫好きだった。
公園の中で、野良猫発見。






青春切符18切符、冬の陣。
有効期限は1月10日まで、スケージュールはタイト。
次回は何処?


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Bistro泉邸@那珂市門部2709-1

2018年12月22日 09時28分12秒 | 食べ歩き
Bistro泉邸@那珂市門部2709-1



「香川敬三を知る・シンポジュウム」の会場は常陸大宮市文化センター小ホール。
会場に向かう途中「開会は13時半から、先に食事しませんか?」と案内の後藤一彦さんが提案された。

旧家の長屋門をフランス料理店にリノベーションした話を聞いていたので、行ってみる事に。




築・150年は経過したであろう見事な建物だ。



奥の母屋は・西洋館が在り現在も使用している感じ。

長屋門の内部は天井が高く、黒い梁も見える。
レストランに改装‣開店して半年とか。




手づくり小物の販売もあります。



前菜・低調理した鳥ムネ肉、スパイシーチキン。
野菜は自家栽培・無農薬を主に使っているらしい。





スープ。

メインは肉と魚から選べる。



魚のポワレ、キャンベツのワインビネガーソース。



デザートはココア風味のロールケーキ。
飲み物は珈琲・紅茶などが選べます。

会場に向かう前で、建物や料理に付いてお聴きする時間がなかった。
改めて訪問したいと思った。

後藤さんに乗車に同乗させて頂いたので、勘定を払おうとしたら、既に後藤さんが支払い済み。ご馳走様でした。


●水曜・木曜定休
ランチタイム  11:30〜14:30(Lo13:30)
ディナータイム 17:30〜21:30(Lo20:30)
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香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~

2018年12月20日 21時39分22秒 | 講演会
香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~



日時:平成30年12月15日(土)13:30~16:30
場所:常陸大宮市文化センター小ホール



シンポジュウムは2部構成で。【基調講演】「香川敬三の足跡をたどる」
講 師:皇學館大学 文学部 国史学科 特別教授 上野 秀治氏。
「皇學館大学」が所蔵する豊富な資料に拠って香川敬三の履歴について説明された。




香川敬三(1839-1915)は現・常陸大宮市下伊勢畑の出身で、藤田東湖の門人となり尊攘運動に身を投じた。
文久3年(1863)に藩主に従って上洛するが脱藩し隠棲中の岩倉具視の知遇を得る。其の後は倒幕運動に身を投じ、戊辰戦争においては具視の子具定が務める幕府討伐の軍監となる。
明治3年(1870)に宮内省に採用され、翌年秋には岩倉使節団に随行し欧米を視察した。
多くの志士と同様に小林彦次郎という変名も使用したが、明治6年以降は香川敬三と名乗っている。

明治4年、皇后宮大夫とおして近侍し、大正期には皇太后宮大夫となった。
死去する大正4年(1915)に伯爵、従一位に叙せられ、水戸藩出身者では数少ない栄達を遂げた人物ながら地元でもあまり知られていない。

休憩後
【講演】「香川敬三と茨城の近代」
講 師:茨城県立歴史館 史料学芸部 主任研究員 石井  裕氏




①香川敬三と明治の水戸藩士
禄を離れ経済的に困窮していた旧水戸藩士に対し就職のあっせんや金銭的な援助の手を差し伸べた。

②香川敬三と「大日本史」
水戸家は財政上の問題で「大日本史」の完成と出版をあきらめていたが、水戸徳川家の評議員であった香川の財政的な援助によって完成に至った。

③香川敬三と田中光顕
旧土佐藩士であった田中光顕と香川は盟友で、共に旧水戸藩士の顕彰に尽力、昭和4年(1933)「常陽明治記念館」を設立した。
*天狗党忠魂碑・諸政党慰霊碑を建立、両派の和解に努めた。

④香川敬三の娘・志保子
英国に留学した娘の志保子は英語通訳と洋装を担当する女官として、父と共に明治天皇の皇后(昭憲皇太后)を長く支えた。




●幕末から明治にかけて、水戸藩は尊王攘夷運動を展開する中で改革派と門閥派(天狗と書生)が対立し内部抗争に明け暮れた歴史がある。
結果として、明治の新政府において活躍した人は数少なく「薩摩警部と茨城巡査」と言われる状況が続いた。
旧水戸藩士ながら、明治政府で活躍した稀有な人物を全く知らなかったのだが、2017年5月に開催された「Tabi-ぶらin常陸大宮辺り」に参加の後藤一彦さんが旧川番所の「聴水庵」に立ち『この辺りから香川敬三は水戸に下ったのだろうね』と対岸の伊勢畑を望む那珂川の川岸で、感慨深そうに話されたことがきっかけだった。
その後、香川敬三について知る機会がないままに過ぎたが、「香川敬三を知る ~明治150年記念シンポジウム~」に後藤さんと一緒に出席することが出来たのも何かの縁だろう。


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武石 堯 展@常陽藝文センター1F 

2018年12月07日 07時14分18秒 | 美術展
武石 堯 展@常陽藝文センター1F 






日本古来の物語や奈良の風景・寺院や仏像などを題材として描いてきた武石堯さんの「やまとしうるはし」と題する展覧会が常陽藝文センター1Fで開催されている。

<第1会場/藝文ギャラリー(入場無料)>
前期:平成30年11月28日(水)~12月27日(木)
後期:平成31年 1月 5日(土)~ 2月 3日(日)
<第2会場/藝文プラザ(入場無料)>
会期:平成30年12月8日(土)~平成31年1月30日(水)









●第1会場の前期はこれまでの作品を、後期は奈良をテーマに描いた新作を展示。



●第2会場では茨城新聞に平成10年より掲載している「灯台めぐり・ペダルの旅」シリーズのイギリス編とフランス編より抜粋した原画と紀行文を併せて展示。

武石さんは大洗町在住で、太田一高や水戸二高の国語の先生をされていた。
春休み・夏休み期間中は奈良に滞在され寺社巡りをされ、それ等の心象を絵画作品として発表してきた。
退職後は絵筆一筋の暮らしを送っている。
パキスタン仏教遺跡の修復の募金活動や奈良の寺社の復興に協力する個展なども開催している。
何度か拝見したが、伝統にとらわれない今に生きる仏画として共感している。

1997年からは日本一周のサイクリングの旅を始められた。
灯台を訪ねながらの旅の記録を、絵と文章で『灯台巡り・ペダルの旅』として「茨城新聞」連載し、今では300回を超えた。

国内を走破の後は、イギリスとアイルランドに挑戦し、イングランド・アイルランド・スコットランド・ウェールズに18回渡った。
その結果を -イギリス・アイルランドの灯台を描く-として何回かの個展で発表した。
現在はフランスの旅に挑戦中だ。



1937年生まれの84歳。
僕も旅は好きだが、外国を自転車で一人旅をする自信はない。
常に新作に、しかも大画面の製作に挑戦している。
見るからに若々しくダンデイな姿を含め、僕の目標で憧れの存在だ。
お酒好きな武石さんと酌み交わし、お話を伺いたいと思っている。
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